徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

読響大阪公演のコバケンの「英雄」はド演歌だった

 昨日、大阪まで日帰りして疲労困憊しているのだが、今日も連日の大阪遠征になってしまった。今回は読響の大阪公演。前回は中止になったんだが、今回は規制の緩和を受けて実施する模様。ただし指揮者は来日不可なのでコバケンに変更。大阪フィルの定期に次いでまたもコバケンである。さては大フィル、この公演に合わせてコバケンに出演依頼したな。

 平日の仕事後だし、正直なところコバケン演歌は得意でないのでキャンセルも考えていたのだが、キャンセル申し込みのはがきが到着していたのが私の山陰遠征中で、葉書に目を通したのはキャンセル申込期限の日の夜。それでやむなく大阪まで来る羽目に陥った次第。

 仕事を終えると阪神高速を突っ走るが、昨日に続いて連日の夕方の渋滞。つくづく難儀なことである。ただ今日は昨日の教訓で早めに出てきたこともあり、大阪に到着したのは駐車場の予約時間よりも前。仕方ないので駐車場の入口の前で車を止めて、この原稿を打って時間をつぶしている(笑)。

 そもそもこんなことをして待たないといけないのは、フェスティバルホール会員の駐車場特典が3時間までということ。それを過ぎたら通常料金の追加がある。だからあまり早めに駐車場に入ると終演後に戻った時に追加料金を請求されるので、そうならない時間を計算して待たないといけない次第。そう言えば回りを見渡したら私と同じ道にやけに多くの車が止まっているが、もしかして同じ事情か? とりあえず夕食を摂る必要のある私は6時20分に車を入れたが、これは指揮者がコバケンであることを考えるとかなりきわどいタイミング。最悪は追加料金覚悟しといた方が良さそうだ。

 

昨日に続いて今日の夕食もラーメンに

 夕食だが、30分程度しかないので結局はラーメン、というわけで昨日と同じく「而今」に行くことに。さすがに昨日と同じものを食べる気はしないので「特製あさり塩ラーメン」を注文。昨日の経験から麺大盛りのオプションをつけて1100円。

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今日の夕食も「而今」のラーメン

 麺は昨日と同じ。ただの塩ラーメンならさっぱりしすぎるところだが、アサリの出汁が加わることで非常にコクのある味になっている。やはり海鮮系の出汁とは偉大である。特にラーメンとは相性が良い。なお麺大盛りにしたことでようやく「普通の量」になっている。これでファミマに行く必要がなくなった。

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特製あさり塩ラーメン

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麺は増量している

 時間に余裕がないのでラーメンをかき込むと急いでホールへ。以前より読響大阪公演は大人気だが、今回もセット券の販売がコロナ以前だったこともあって、場内はほぼ満員に近い。確かにこれでは席を間引きようがないので、前回は中止にしたのもやむを得なかろう。入場ゲートの警護に関しては、昨日の大フィルよりもかなり物々しく、サーモグラフによるチェックなども厳格に行っている。それにしても毎度毎度なぜかこのオケのコンサートはロビーに黒服がずらっと並ぶせいで威圧感がある。なお会場にはテレビカメラが入っていたが、読売テレビのようだ。読響クラシックコンサートに使用するのか、それても読売テレビの独自番組でもするのか? まあ前者だろうな。

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ホール内はほぼ満席

 

読売日本交響楽団 第27回 大阪定期演奏会

指揮/小林研一郎
ピアノ/河村尚子

曲目/グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
   ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲
   ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

 

 いきなりルスランが読響がフルボリュームでがなり立てるので驚いた。とにかく鬱憤を晴らすかのような大音量でノリで突っ走る演奏、そもそもコバケンは統制を効かせるタイプの指揮者でないし(って言うか、全然振ってない瞬間が多いし)、やりたい放題感がある。さすがの読響もいささかアンサンブルが怪しかったが、とにかく「勢い」は思い切り感じさせた演奏だった。

 ラフマニノフがその技巧をひけらかすかのような変奏曲は、河村のピアノの技に尽きるだろう。ガツンガツンとやや硬質なタッチで余裕で弾きこなす様は圧巻ではある。もっとも私はこの曲自体を以前からあまり面白いとは感じていないので、技術には圧倒されても音楽的な感動は正直あまりない。

 河村はこの後のアンコールで「私は叙情的な曲も弾けるんですよ」というところを披露していた。ただタッチがかなり力強いので、それが場合によって雑な印象につながりかねない紙一重。

 最後の英雄はコバケン節が炸裂。そもそもこの曲は古典的演奏とロマン的演奏に極端に分かれやすいが、コバケンの場合は後者というよりも完全にド演歌。第一楽章はノリでひたすら突っ走る印象だが、例によってのシットリネッチョリの味付けはある。しかしコバケン節が最強レベルで披露されたのは第二楽章の葬送行進曲。まさにコバケン演歌の真髄である。ネットリネットリした演奏の中で、なぜかこぶしが回っているように聞こえる弦楽の節回し。葬送行進曲が葬送演歌になっている。それ以降もややテンポを落とし気味の糸を引くような演奏。好き嫌いはあるが、個性的な面白い英雄にはなっていた。

 先日のベートーベンの第二番はあの演歌的演奏はどうかと疑問を感じたが、第三番になるとそれが意外にはまるのに気づいた。チャイコのマンフレッドは意外に面白かったし、とにかくコバケンという指揮者はクセが強いだけにかなり曲を選びそうである。指揮者が曲を選ぶと言うよりも、指揮者に曲を合わせた方が正解か。


 演奏後はコバケンの話にアンコールまであったので、駐車場まで走る羽目になってしまった。到着したのはギリギリの時間。ここから今日も夜の阪神高速を突っ走っての帰宅である。なお帰りにはフェスティバルタワーの裏手からハイヤーが続々と出てきていた。そういう階層の客が多いのが読響のコンサートの一つの特徴で(企業の接待なんかもあるだろう)、その辺りがロビーの物々しさにつながっている。他のオケでは滅多に感じない階層格差のようなものがこのオケだけはある。多分企業の体質なんだろう。

 

大阪フィルのチャイコチクルスを聞きに行く

 今日は尾高忠明指揮で大フィルのチャイコチクルスの第1回を聞きに行く・・・と言っても実はこの公演、そもそもは5月に予定されていたのがコロナの影響で今日に振替になったという次第。そのために8月にあった第2回の方が先になってしまったというややマヌケなことになっている。

 仕事を終えるとそのまま職場から車で大阪まで直行する。大阪に到着するまで何度か夕方の渋滞に巻き込まれて、駐車場に到着した時には予定時刻のギリギリになっていた。かなり余裕を持って出発したつもりだったが、やはり車は時間が読めない。

 

夕食にラーメンを摂ってからホールへ

 とりあえず夕食として何か食べたいということでフェスティバルホール地下のラーメン屋「而今」に入店、「特製にぼし醤油ラーメン(1000円)」を注文。

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ホール向かいのビルの地下にある而今

 スープは非常に煮干しの味が強いが決して嫌みではない。麺とも良くマッチしていてトータルとして考えるとまずまず美味いラーメンである。もっとも場所柄仕方ないことではあるが、ラーメン1杯1000円は壮絶にCPが悪い。

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特製は具が多くなる模様

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しっかりとした麺はなかなかに美味い

 あまりボリュームのあるラーメンではないので、これでは腹が少々心許なかったこともあり、ファミマでおにぎりを買い込んでからホールへ。大フィルでは前回の定期演奏会から座席を通常に戻しているので、5月のチケットをそのまま利用することになる。チケットの販売開始時期がコロナのまっ最中と衝突していた影響か、場内の入りは4~5割程度でかなり空席が目立つ。だから皆、自然に適当にソーシャルディスタンスをとることに。

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空席も目立つ

 

大阪フィルハーモニー交響楽団 チャイコフスキー・チクルス(Ⅰ)

指揮/尾高忠明

曲目/チャイコフスキー/交響曲 第1番 ト短調 作品13「冬の日の幻想」
   チャイコフスキー/交響曲 第4番 ヘ短調 作品36

 

 相変わらず尾高の指揮は年齢を考えるとかなりエネルギッシュである。ダイナミックレンジの広いメリハリの強い演奏をしてきた。またところどころに細かい仕掛けが散見されたが、大フィルもそれに追随していた(残念ながら一糸乱れずとはいかなかったが)。

 尾高の演奏は基本的には激しい両端楽章は派手にギラギラと鳴らさせ、間の緩徐楽章ではゆったりとメロディを謳わせるという形での変化を付けて聞かせる演奏となっている。もっとも交響曲第1番において、リズムを刻むような独特のアクセントを加えての演奏は、いささかギクシャクして聞こえて、これは少々疑問であった。最終楽章は基本的に乱痴気騒ぎなんだが、その騒ぎの最中に時々蹴躓く印象を受ける箇所があった。

 第4番についてはオケも慣れている曲なので演奏の安定度は高い。ただしかなりバリバリと金管を鳴らしている割には地味な演奏という印象を受けた。随所に細かい変化などを付けていたが、正直なところそれが正解かどうかはやや疑問。全体的にもっと音楽をノリで押していった方がスムーズなのではないかというのが私の考え。

 正直なところ、これという特別な印象の薄い演奏だったという感がある。決して悪い演奏ではなかったし、それなりに熱演ではあったのだが、なぜか私には今ひとつピンとこなかったのが本音。


 昨年ぐらいからチャイコの交響曲第1番というマイナー曲を何度か聴くことになったが、やっぱりさすがにポリャンスキー/九州交響楽団の演奏が至高だったという印象で、その後に聴いたものでそれを越えたものは出ていない。

 ちなみに今日の公演、カメラが入って撮影していたようなので、いずれはカーテンコールかどこかで配信があるのではないかと思われる。

 なお第3回は11月にあるのだが、残念ながらその日は京都市響ともろにダブルブッキングになっているので聴きに行けない。悲愴はともかくとして、第3番は生で聴ける機会なんてほとんどない曲だから聴きたくはあったのだが。

 

ハルカスの「奇才」展後期を鑑賞してから、大フィル定期演奏会でコバケン演歌全開のマンフレッドを聴く

 この週末は大阪フィルのコンサートに行くついでに、近場で宿泊して息抜きをしたいと思っている。ここのところ何かと心身共に疲れ切ることが多かったので、健康を保つための息抜きである。

 しかし最初から失敗した。当初予定ではコンサート前にあちこち立ち寄るために午前中出発の予定だったんだが、疲労のせいで久々に昼前まで爆睡してしまったようで気がついたら予定をとっくに過ぎている。とりあえず、慌てて限りなく昼食に近い朝食を放り込むと車で家を出る。

 雨とところどころの渋滞に苦戦しながら大阪に到着した時には既に1時頃。もう予定はグチャグチャである(当初予定では午前中に大阪到着のつもりだった)。とりあえずMIOの駐車場に車を放り込むと最初の目的地へ向かう。

 

「奇才 江戸絵画の冒険者たち(後期)」あべのハルカス美術館で11/8まで

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 江戸時代の個性的な絵師たちの作品を集めた展覧会の後期展示。登場絵師はほぼそのままで、ほとんどの作品が入れ替えられている。

 今回の目玉は長澤芦雪の「龍図」と「虎図」。この襖絵が両面展示されている。前期はここが猿の絵で、奥に曽我蕭白の「群仙図屏風」が異彩を放っていたのだが、今回はここは芦雪の龍図の裏の「唐子遊図」(子供よりもむしろ犬の方が目を惹くかも)と蕭白も「群童遊戯図屏風」なので会場の雰囲気自体が変わっている。もっとも単に童子が遊んでいる絵でも、どことなく怪しげな空気があるのはさすがに曽我蕭白である。とにかく普通の絵は描かない。

 インパクトのあったのは狩野山雪の寒山拾得図など。寒山拾得図は誰が書いても怪しい絵になるのだが(曽我蕭白などが書けばまさにモンスター絵となる)、この絵がさらに怪しい蝦蟇・鉄拐図と並んでいるのはなかなかに怪しい風景であった。目を惹くのは北斎の鷲図などであるが、国芳のいかにもドタバタな東海道中膝栗毛のワンシーンを描いた絵画などが楽しい。

 暁斎の精緻な画帳は例によって「さすが」の一言だったが、高井鴻山の百鬼夜行を描いた絵が水木しげる的で楽しかった。そして最後を締めるのは絵金の臨場感抜群の舞台絵である。

 個性豊かな絵師たちの個性豊かな作品が並んでいて堪能できる展覧会だった。前期・後期それぞれに見どころがあってよく考えている。

 

 ハルカス美術館の次回展は三沢厚彦のANIMALSとのこと。これは今まで別のところで何度か見ているし、今回はパスかな。

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次回展は三沢厚彦

 昼食を摂りたかったのだが、十分な時間もなく適当な店もないために1時間で駐車場に戻るとフェスティバルホールへ移動することにする。駐車場に車を置いてホールに到着したのは開演の30分前だった。今回の公演から大フィルは前の数列以外は通常の配置に戻している。隣に他の客が来るのは久しぶりだが、思いのほか狭苦しく感じる。

 

大阪フィルハーモニー交響楽団 第542回定期演奏会

指揮/小林研一郎
曲目/ベートーヴェン:交響曲 第2番 ニ長調 作品36
   チャイコフスキー:交響曲「マンフレッド」作品58

 炎の指揮者こと小林研一郎であるが、彼の真髄は炎と言うよりももろに演歌である。一曲目のベートーヴェンはやけにネットリとした演奏である。第2番はまだ古典派の影響が強いベートーヴェンの初期交響曲なので、もっとあっさりとした端正な演奏が一般的には多いのだが、いわゆるコバケン節全開で小節が回る濃厚な演奏である。もっともその分オケに対する統制は緩いので、アンサンブルがやや微妙な印象である。

 ただ第一楽章はそれでも良かったのだが、しっとりネットリの第二楽章はいささか眠たい音楽になった感がある。最後まで濃厚な味付けが付いて回ったが、果たしてそれが正解かは疑問である。

 後半はチャイコの問題曲マンフレッド。バーンスタインが「クソ」と断言して交響曲全集に絶対に加えなかったという伝説があるが、評価も分かれるところがある。当のチャイコ自身が初演直後には「私の一番いい作品」と言っていたのが、しばらく経ったら「いいのは第一楽章だけで第四楽章はひどい」と言い出し、第一楽章以外は作り直して別の交響詩にする」と言い出したらしい(実行はしていないが)。もっとも私のこの曲に対する評価はチャイコの後の評価とほぼ同じ。第一楽章はマズマズだが、第四楽章はあまりに冗長に過ぎるというものである。チャイコらしい旋律美と言うのは第二、三楽章にも見られるが、そこにも構成的な弱さが散見される。その点、第一楽章に関してはチャイコらしい魅力が見られる。

 さてコバケンの演奏なんだが、そもそもが濃厚でネットリとした曲なので、コバケンのネットリしっとりの演奏が不思議なほどにツボにはまる。第一楽章はなかなかの盛り上がりだったし、第二、三楽章の旋律の美しさも際立っていた。問題の第四楽章であるが、やはり曲の冗長さはどうしようもないが、それでも意外なほどに退屈しない演奏となっていた。何となくコバケンと理屈を超えた相性の良さのようなものを感じる。

 曲のマイナーさに反して、なぜかコバケンは今までこの曲をよく取り上げていたのを感じていたが、こうして聞いてみると何となくその理由が分かった。ある意味でコバケン節のもっとも適した曲であり、曲の弱点をコバケン演歌が見事にカバーするという奇妙なバランスをなしていた。一風変わってはいるが、なかなかの名演とは言えた。


 コバケンは以前からカーテンコールが長めなので、本公演も終了時には5時を回っていた。次の予定があるのと、駐車場の時間が気になるのがあって、拍手もそこそこにホールを後にして駐車場へ。慌てて車を出すと宿泊ホテル目指して夜のドライブになる。

 

ロトとT・ツィンマーマンによるヒンデミットのヴィオラ協奏曲

 最近になってアーカイブにアップされたロトとT・ツィンマーマンの共演したコンサートをデジタル試聴する。今回はあまり聞き馴染みのない曲ばかりである・・・と言うか、私が今まで聴いたことのある曲が一曲もない。果たして大丈夫だろうかとのいささかの不安はある。

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ベルリンフィルハーモニー管弦楽団デジタルコンサート(2020.10.10)

指揮:フランソワ=グザヴィエ・ロト
ヴィオラ:タベア・ツィンマーマン

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ 交響曲ニ長調
ヒンデミット ヴィオラ協奏曲《白鳥を焼く男》
J・S・バッハ ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタニ長調よりアンダンテ
バルトーク 弦楽のためのディヴェルティメント

 一曲目のカール・フィリップとは有名なヨハン・セバスチャン・バッハの次男坊らしい。古典派の走りのような位置づけの音楽家で、ハイドンなどにも影響を与えており、生前はむしろ親父さんよりも音楽家として名声が高く、父を尊敬する彼は常に「父の薫陶のおかげ」と言い続けていたとか。その後に段々と忘れ去られ、シューマンなどは「父親とは比較にもならん」と酷評だったらしいが、ブラームスは高く評価していたとのことだから、その辺りでもどういう位置づけの作曲家が見えてくる。

 で、演奏の方なのだが、ロトの指揮の下で整然と演奏するベルリン室内フィル(と呼ぶべきレベルの小編成)のオケは非常にシャープな演奏を繰り広げる。そのためか音色の燦めきなどがもっと後の時代の曲のように聞こえてくる。元の曲をよく知らないのでこれがカール・フィリップのそもそもの持ち味か、ロトが引き出したものなのかが定かではないのだが、なかなかに奇妙な印象である。

 二曲目は現代につながる時代の音楽という感じで、いきなり不協和音が炸裂するのだが、曲自体は意外に旋律的である。タベア・ツィンマーマンの演奏は軽快で縦横無尽、ベルリンフィルの名手達と丁々発止の掛け合いを繰り広げる。そのままアクロバチックな印象を残して曲は終了である。ヴァイオリンでなくてヴィオラなので基本的には音色は渋いのであるが、そこに煌びやかさを感じさせるのが彼女のすごいところ。

 会場の賞賛に応えてのアンコールはハープとの合奏によるJ・S・バッハ。相変わらず軽快さを感じさせる音色ではあるが、今度はしっとりと味わい深く聞かせてくる。実に情感深いバッハ。この辺りは流石と言うべきか。

 ラストはバルトーク晩年の新古典主義時代の曲らしい。クセはあるが、なかなか明快で躍動的な曲である。しかしこうして通して聞くと、ロトはカール・フィリップにヒンデミットにバルトークと明らかに時代背景が違う作曲家の曲を同じアプローチで演奏しているのではないかと思わせる。私がこの曲に詳しくないために他と比較しようがないのだが、今回聴いた限りでは明確で華やかな音色を前面に出したような演奏である。おかげで今回のベルリンフィルは全体を通して非常に色彩的な印象を受けた。


 あまり馴染みのない上に、不協和音が鳴り響いたりもする曲だったが、不思議なほどに抵抗を感じなかった。この辺りはロトの演奏が非常に明快だったことが影響しているように思われる。これがグチャグチャな演奏だったら、とても聞けたものではなかったろう。やっぱり現代に近い曲ほど、指揮者による楽曲の理解というものが覿面に影響するようである。さらに言えば楽団員の技倆も。

 

ヤノフスキ指揮でベンディックス=バルグリーのヴァイオリンソロでのブルッフは濃厚なメロドラマ

 さてベルリンフィルのデジタルコンサートの今年度プログラムであるが、先日行われたヤノフスキとベンディックス=バルグリーのライブがようやくアーカイブの方にアップされたのでそれを視聴した。ちなみにデジタルコンサートではライブ配信も行われているが、現地で夜のコンサートは日本時間ではもろに真夜中になるので堅気の社会人にはライブ視聴者は不可能。どうしてもアーカイブに頼らざるを得ないのだが、映像の編集に1週間程度かかるので、その間をまたされるのがもどかしいところである。

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ベルリンフィルハーモニー管弦楽団デジタルコンサート(2020.10.3)

指揮:マレク・ヤノフスキ
ヴァイオリン:ノア・ベンディックス=バルグリー

ブルッフ ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調
J・S・バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調よりアダージョ
ブラームス セレナード第2番イ長調

 ブルッフのこの協奏曲については同時代のメンデルスゾーンと同様に対極的な2種類のアプローチがある。古典派の延長としてのアプローチとロマン派の走りとしてのアプローチである。今回のヤノフスキとベンディックス=バルグリーのアプローチは明らかに後者のものである。

 冒頭からややゆっくり目のテンポの木管の演奏がかなりの哀愁を帯びて始まるが、ベンディックス=バルグリーのヴァイオリンソロが始まるとさらに音楽は大メロドラマに突入する。ベンディックス=バルグリーの音色は極めて甘く美しくブルッフの音楽の最大の魅力である旋律美を正面に描き出す。音色の一つ一つに非常に感情がこもっており、甘く切ない空気が会場を支配する。一方のヤノフスキも抑えめのテンポでヴァイオリンソロにさらなる情感を付与する。

 第1、2楽章はその調子のメロメロドラマで押していき、ややアクロバチックな趣のある第3楽章もテクニックを前面に出して行くのではなく、テンポは相変わらずの若干抑えめで音色の情感を忘れない演奏。随所でメロディを謳わせる。いささか大時代がかった感もある演奏ではあるが、これはこれで感動深いものである。

 会場の熱烈な拍手に答えてのアンコールは定番のバッハの無伴奏ソナタ。ブルッフで聞かせた甘く切ない雰囲気はこの曲にも引き継がれており、実に甘美な演奏である。情感豊かで心を震わせるバッハである。

 後半はヴァイリオンを欠く編成でのブラームスのセレナード。ヴァイオリンを編成から除くことで全体的に低重心のドッシリした音楽となっている。しかし重厚な中に煌めくような軽やかさも秘めている曲となっている。

 ヤノフスキの指揮はこのドッシリとした曲の中から美しさを引き出そうとしていることを感じさせる。さすがに老巨匠は決して軽薄にはならず、その演奏自体は一貫して非常に安定感の高いものであるが、その中に煌めくメロディを決して見落としてはいない。ブラームスらしい重厚な構成の中に潜む若さにも焦点を当てているんだろう。意外なほどに溌剌とした演奏でもあった。


 老巨匠の落ち着いて円熟した境地だけでなく、未だ衰えない若々しさを秘めた感性というものも感じさせられたなかなかの演奏。ヤノフスキもまだまだ衰えとはほど遠いということを実感させた。人間、死ぬまで成長していくもののようである。

 

ハーディング指揮のベルリンフィルのベルクと田園

 ベルリンフィルデジタルコンサートホールで今日視聴したのはハーディング指揮による2曲。ハーディングについてはパリ管のライブは聴いたことがあるが、ベルリンフィルを振っているのは初めて見た。果たしてハーディングがベルリンフィルを相手にどのような演奏をするかが興味深いところ。

ベルリンフィルハーモニー管弦楽団デジタルコンサート(2020.9.13)

指揮:ダニエル・ハーディング

アルバン・ベルク 弦楽オーケストラのための《抒情組曲》から3つの楽章
ベートーヴェン 交響曲第6番ヘ長調《田園》

 一曲目のベルクはやはり私には分かりにくい曲。「抒情組曲」と銘打っている割にはなかなかに激しいところもある曲。ハーディングの指揮はキレがあり、ベルリンフィルの演奏にも締まりがある。もっともそれでもやはり私にはベルクの曲はあまり面白くない。

 さて後半の田園であるが、やや速めのテンポでグイグイと進んでいく演奏である。音色自体は煌びやかで色彩的であり、ハーディング自身が細かいところで随所に渡って色づけをしていっていることも分かる。

 ただ全体的にあまりに駆け足過ぎるような気がしてならない。もっとゆったりと鳴らしても良いと思われるところでも、演奏はどうも前へ前へとせっつかれている感じがあり、今ひとつ落ち着かない。

 このテンポの速さは全楽章を通じての一貫したものであり、色彩鮮やかではあるのだが、どうにもいささかせわしない田園風景という印象を受けずにはいられなかったのである。


 うーん、やっぱり田園については全体的にもう少しゆったりと歌うタイプの演奏の方が好きである。田園風景の中での癒やしという雰囲気がやや薄い演奏だったように思われる。ハーディングがパイロットでもあるからというわけでもないだろうが、田園風景の上空をジェット機で飛び去っていったような感覚を受ける。

 

ツィンマーマンとペトレンコの競演をベルリンフィルデジタルコンサートで聞く

 さて「加入したものの全く元を取れていなかったベルリンフィルデジタルコンサートホールの元を取るための視聴」も2回目である。前回はどうも若手の意欲が空回った感じのコンサートであったが、今回聴いたのはその前に行われたもっと円熟した2人の競演となる。正直なところベルクは私としてはあまり得意なところではないし、ドヴォルザークの交響曲も5番となれば「どないやねん?」とやや微妙なところ。そういう辺りに不安はあるものの、さて公演の内容はいかなるものか。

 

ベルリンフィルハーモニー管弦楽団デジタルコンサート(2020.9.19)

指揮:キリル・ペトレンコ
ヴァイオリン:フランク・ペーター・ツィンマーマン

ベルク ヴァイオリン協奏曲《ある天使の思い出に》
J・S・バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調よりラルゴ
ドヴォルザーク 交響曲第5番ヘ長調

 ベルクについては正直なところ曲はあまりよく分からないし、あまり私の好みとも言えない。しかしさすがにツィンマーマンの演奏は実に雄弁である。殊更に技術を誇示したりこれ見よがしに自らの解釈をアピールするようなところはないのだが、それでもこの難解な音楽が流暢にスッと入ってくる。しかもよく聞いていると実に味わい深い。正直なところ「これがあの退屈な(私にとって)ベルクなのか?」と驚いたところ。またペトレンコのツボを押さえた指揮がツィンマーマンの演奏の後押しをしたことも忘れてはいけない。

 アンコールピースとしてバッハの無伴奏ソナタが登場するが、無伴奏になることでツィンマーマンの音色の深さが非常に良く分かる。この辺りは流石である。誇示しなくても全てが伝わってくるのである。

 ドヴォルザークの5番は非常に牧歌的で溌剌とした曲である。構成的にはやや冗長さも感じないではないが、それでもドヴォルザークらしい魅力的な旋律は登場するし、また後期交響曲につながる特徴も見られる(特に8番につながっているのがよく感じられる)。

 さてペトレンコの指揮であるが、溌剌としたところは明るく元気に、謳わせるところは美しくと曲の局面に応じて巧みにメリハリを付けてくる。これが曲の構成の弱点を補うことになる。躍動感があり生気に満ちたその演奏は実に魅力的である。結果としてドヴォルザークのこのマイナー曲に光を当てることに成功している。


 さすがにペトレンコである。抜群の安定性と冴えを感じさせる演奏だった。このような演奏に接するとドヴォルザークの5番も結構名曲に聞こえてくるから驚き。クラシックにおいて演奏がいかに重要であるかが痛感されるところ。実際に今日では名曲とされる曲の中にも初演での失敗でしばらくお蔵入りになった曲も少なくない。優れた演奏は曲に対する評価さえ一変させるのである。

 

ベルリンフィルデジタルコンサートで新進若手の演奏を聞く

 コロナがきっかけでベルリンフィルデジタルコンサートホールに加入したのだが、何だかんだと多忙に追われて、この1ヶ月以上全く聞いていなかった。毎月2000円弱の大金を支払っているというのに、これでは全くの金の無駄である。どうやらベルリンフィルでは今年のシーズンももう開始になった模様だし、アーカイブの中から最近のコンサートをビックアップして聴いてみることにする。

 今回聴いたのは9/26のコンサート。ステージ上の奏者は閑散配置となっており、ステージ上には12編成の2管のオケが乗っている。ホール内の観客数も定員の1/5程度か。まだまだ完全に正常な状態でのコンサートはベルリンでも困難なようだ。

 指揮・ピアノ共にベルリンフィル初登場の若手とのこと。指揮者のラハフ・シャニはズービン・メータの後任としてイスラエル・フィルの音楽監督に就任した今後に期待の新進気鋭。一方、ピアニストのフランチェスコ・ピエモンテージはイタリア系スイス人でモーツァルトを得意とするとのこと。

 

ベルリンフィルハーモニー管弦楽団デジタルコンサート(2020.9.26)

指揮:ラハフ・シャニ
ピアノ:フランチェスコ・ピエモンテージ

モーツァルト ピアノ協奏曲第27番変ロ長調
モーツァルト ピアノソナタ第12番ヘ長調よりアダージョ
シューマン 交響曲第1番変ロ長調《春》

 初っ端からやけにネッチョリネッチョリしたモーツァルトだなという印象。いきなり合奏が始まった途端に、いつになく糸を引くようなネットリしたサウンドなので、これが指揮者のラハフ・シャニの持ち味かと思っていたら、フランチェスコ・ピエモンテージのピアノ演奏が始まったら、それは指揮に輪をかけてネットリした演奏だった。細かい変拍子やところどころ装飾音などが加わる変化の激しい演奏でかなり濃い味付け。正直なところモーツァルトについてはやや軽快な演奏が好きな私には少々胃がもたれる感のある演奏。ショパンなどならこれでも良いのかもしれないが、モーツァルトの場合はもう少し爽快感が欲しい。ましてやバックのオケを意識する必要のないカデンツァとなればその傾向にさらに拍車がかかる。情感がこもった演奏とも言えなくもないが、私の耳にはいささか大仰で表現過剰に聞こえる。いちいちいささかオーバーに持たせる間が過剰演出として気になるところ。

 そして続く第二楽章は溜乱発のかなりネチコイ演奏。正直なところ私の趣味ではない。モーツァルトが得意と言うだけあって曲自体はよく把握しており、それ故に自分の表現を前面に出すのだろうが、やはりあまりに変化が過剰で音楽の流れがぶつ切れになっている。

 第三楽章は軽快な曲調のおかげで溜はいささかマシになるが、それでも装飾過剰の傾向は見られる。正直なところ若さ故の漲る表現意欲は感じるのであるが、それがいささか暴走しているのではないかという印象。つまりは一言で言えば「悪趣味に過ぎる」。それに尽きるのである。

 ピアノソナタ第12番ヘ長調はアンコールのようだが、さらにピエモンテージ節が全開である。所々で登場するまるで指がつかえたように聞こえる変則テンポの取り方がやはりどうも私の好みとは合わない。とにかくいちいち表現が大仰なのである。モーツァルトの音楽は浮き立つ心がステップを踏むようなところがあるのだが、ステップを踏もうとすると途端に蹴躓く印象で、危なくて歩けない。

 後半はラハフ・シャニによるシューマンである。この交響曲は若きシューマンのまさに浮き立つような心の現れた爽快な曲である。なのだが、シャニの指揮はやはりどこかネットリと糸を引くところがあるのが気になるところ。冒頭からいきなり実に仕掛けの多い指揮である。ただリズムを刻んでいくような独特のメリハリの付け方はいささか耳障りでもある。もっと単純かつ素直に曲を前進させていった方がこの曲の場合は全体がスムーズになる気がする。もっと陽性な音色でグイグイ行く方が私好みである。どことなく最後までつかえつかえの勢いの悪い演奏のような印象を受けてしまった。

 総じて若さ故の溢れる表現意欲が空回っていたという印象を受ける演奏であった。その溢れる表現意欲をあのような直截的な形でなく、もっと奥に潜めた上で深い表現が出来るようになれば、彼らもいずれ「巨匠」と呼ばれる時が来ると私は感じるのだが。

 

カーテンコールでの山響ライブでベートーベンの4番を聴く

 以前からライブ配信に熱心な山形交響楽団であるが、今日の19時からやまぎんホールで開催されるベートーベン交響曲スペシャルがカーテンコールでライブ配信されるとの情報が開演2時間前に飛びこんできた。慌ててPCの作業を終えて放送開始を待ち受けることに。事前に知っていたら夕食を先に摂るのだが、直前まで知らなかったので空腹を抱えての視聴になる。

 今回はベートーベンの交響曲第4番に序曲集である。ベートーベンの交響曲第4番と言えば、カルロス・クライバーによる超快速超熱演なんかが伝説に残っていたりするが、阪氏はどういう解釈で来るか。またラストのエグモントは村川千秋氏が登板とのことで山響と村川氏の組み合わせがどういうミラクルを起こしてくれるかにも注目したいところ。

 

 やまぎん県民ホール×山響 ベートーヴェン交響曲スペシャル(第3回)

指揮:阪 哲朗
   村川 千秋
管弦楽:山形交響楽団

ベートーヴェン/交響曲第4番 変ロ長調 作品60
       歌劇「フィデリオ」作品72 序曲
       「コリオラン」序曲 ハ短調 作品62
       劇音楽「エグモント」作品84 序曲(指揮:村川千秋)

 ベートーベンの交響曲第4番は快速テンポでとにかく明るい演奏である。細かいアンサンブル云々よりも全編をノリでグイグイ押していったという印象。元々古楽器も用いた室内オケなので、そもそもの音色が軽めなのであるが、かなり軽やかにして爽やかな演奏である。

 後半のフィデリオも基本的に同じアプローチ。古楽器を用いた金管の音色が柔らかくて非常に爽快。軽やかに駆け抜けるような演奏となった。

 次のコリオランはもっと深刻で重苦しい曲なのであるが、阪の指揮は重さに沈んでしまうことがなく、つねに躍動的である。演奏全体が常に前進力に満ちたものになっている。ただ深刻になりすぎるのはどうかとも思うが、この曲の場合はもう少し感情の襞があっても良いような気はした。

 そして最後は指揮者が村川千秋氏に代わってのエグモント。以前の時も村川氏が指揮台に経った途端に山響の音色が全く変わったのだが、同じ現象が今回も。急にドッシリと低重心なサウンドになった。演奏に一気に深みが増す。決して阪氏の演奏が悪いというわけではないのだが、やはり村川氏の演奏は味わい深い。実にしっとりとしたエグモントを聞かせてくれた。


 なかなかの演奏であった。ちなみに今回のライブ配信を聞き逃した方も、カーテンコールでは山形交響楽団の過去の演奏のアーカイブも配信されているのでベートーベンの交響曲第5番や6番を楽しむことが出来る。地方オケの雄・山形交響楽団の熱演をこの際に一聴されることをお勧めする。

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ヤン・ヴォー展を見学してから、大阪フィルの定期演奏会へ。沼尻の「大地の歌」はまずまずの名演。

 この週末は大阪フィルのコンサートで大阪に出向くことになった。コロナ感染はピークを過ぎた(本当かどうかには疑問の余地はあるが)とのことであるが、それでも相変わらず数十人から百人レベルの新規感染は常に出ており、GoToキャンペーンなんかの影響で再増加もあり得る局面。やはりまだ鉄道は避けて車で出かけることにする。

 家を出たのは昼頃。駐車場はフェスティバルホール会員予約で2時半からホール近くの駐車場を予約しているのだが、大阪にはそれよりも1時間早く到着してしまった。そこで時間つぶしに国立国際美術館に立ち寄ることにする。

 

「ヤン・ヴォー ーォヴ・ンヤ」国立国際美術館で10/11まで

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国立国際美術館

 ベトナム出身で現在世界的に注目を集めている新進気鋭のアーティストであるヤン・ヴォーの個展。

 ヤン・ヴォー自身がボートピープルとしてベトナムから逃れ、難民キャンプを経由してデンマークに移住したという経歴の持ち主だとのことで、作品の背後にメッセージ性を込めてはいるようなのではあるが、正直なところメッセージが直截的なものではないので私のような感性の鈍い者には全く伝わってこなかった。

 作品自体は最近のアートに多い、あらゆる既成の事物を組み合わせた「レディメイド」に分類されるところだろうと思われる。展示会場の特徴として、作品の正面だけでなくあえて裏側をもさらしているというところにもメッセージ性があるのだろうとは感じた。そのために会場は何となく工事現場感があったのではあるが。

 正直なところ、現代アートは一人作者の個展では、アイディアのパターンが一本になるので見ていてしんどいなというのが私の本音。よほど作者の感性が自身と一致していないと退屈する。実は本展よりはコレクション展の方が、各作者がアイディアを持ち寄っての展示になっているので、変化があって面白かったと感じたのは事実。

 

 正直な感想は「あまり面白くなかった」。まあ私の場合は現代アート系の展覧会で「面白かった」と感じることの方が珍しいので毎度のことではある。ただ今年になって「金の亡者になる」という生活目標(笑)を掲げている私としては、駐車料金と入場料を考えると金の無駄だったかなという考えも頭をよぎる。まあそういう金の無駄遣いも学習投資と考える考え方もあるのだが。つい最近も豪ドルの外貨預金で1ヶ月で3000円の損失(元手が5万円なんだから、割合から行けばかなりだ)という学費を支払ったところである。

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久しぶりのフェスティバルホール

 そろそろ駐車場の予約の時間になったので車を停めに行くと、ホールに向かうことにする。なお大阪フィルでも次回の公演からは通常の座席配置で実施するとのアナウンスがあった。正常化への大きな一歩ではあるが、果たして本当に大丈夫かはまだ不明な部分も多々ある。来年のオリンピックのためにコロナをなかったことにしたい政府の勇み足がかなり懸念されるところである。

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この大編成がステージに載せられるのは流石にこのホール

 

大阪フィルハーモニー交響楽団 第541回定期演奏会

指揮/沼尻竜典
メゾ・ソプラノ/中島郁子
テノール/望月哲也

武満徹:オーケストラのための「星・島」
三善晃:交響詩「連祷富士」
マーラー:交響曲「大地の歌」

 沼尻が大阪フィルに登場しての現代音楽(と言うには既に古典に近づきつつある)の前半と、後半はマーラーの声楽付き交響曲である。

 前半の武満と三善は正直なところ現代音楽があまり得意でない私には分かりにくい曲。武満については、彼の曲にしては分かりやすい方という印象を受けた。冒頭から炸裂する強烈な不協和音がいささか頭痛を招くが、曲自身は何やら幻想的な雰囲気がある。解説には「エロティシズムも含んだ」というような表現があったが、確かにそういう解釈も理解できなくはない。

 三善の曲についてはとにかく音色が多彩で派手派手な曲という印象が強い。様々に用意した打楽器が入れ替わり立ち替わりで多彩な音色を出すので、音楽的感慨というのとは無関係に興味深くはある。ただ私にはこの曲がどういう風に富士なのかということは今ひとつピンとこなかった。あえて言うなら太古の造山運動の世界の表現だろうか。

 演奏する側にとってはかなり難しい曲であると思われるが、その辺りは沼尻の指揮の下の大阪フィルには乱れは感じられなかった。難解な曲であるが、沼尻は曲自体をよく把握しているようである。

 後半はマーラーの歌付き交響曲であるが、オペラを手がけている沼尻が指揮をするとやはり曲自体がオペラ的な雰囲気になる。オケはなかなかに統制がよく取れているように感じられたが、声楽陣はテノールの望月哲也がやや弱めで、オケの音に埋もれがちに聞こえたのがやや残念。ただこの曲自体は正直なところあまり私が得意な曲ではなく、いささか曲調が冗長に感じられる(特に最終楽章)のがツラさがある。沼尻はそれをメリハリ付けて分かりやすい解釈をしているとは感じられたが。

 総じてオケを良くコントロールしたなかなかの名演だったと感じられた。流石にその辺りは沼尻である。大規模編成のオケをドライブする能力に長けているのを感じさせられた。下手な指揮をするとガラガラドッシャンになることもある大阪フィルを見事にまとめきっていた。


 今日の予定は終了したので阪神高速で帰途についたが、ちょうど夕方のラッシュ時なのか、それともこの日がたまたまなのかは不明だが、摩耶手前あたりで大渋滞に出くわして散々疲労する羽目になったのである。

 

嵐山の福田美術館を見学してから、京都市交響楽団の第649回定期演奏会へ

朝風呂と美味い朝食で極楽

 翌朝は7時に目覚めた。昨日はあまり激しく歩き回ってたつもりはないが、やはり長距離運転が堪えて腰を中心に怠さと鈍い痛みがある。まあ足腰が立たない状態出ないので良しとするところである。

 まずは目覚ましに大浴場へ。本当に朝風呂ってクセになりそう。毎度毎度私はこう言っているような気がするが、改めて「小原庄助さん万歳」

 朝風呂で目が覚めると身なりを整えてレストランへ(風呂は室内着で良いが、レストランは室内着お断りである)。朝食は本来はバイキングらしいのだが、今は時節柄定食形式になっている。ご飯と味噌汁は自由で、コーヒーに抹茶ラテなどのドリンクとパンなんかもあるという内容。だから私がよくやる和洋両様もOKである。なかなかしっかりした内容で、朝からガッツリと燃料補給。

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朝定食にドリンクを付ける

 今日の予定だが、メインは14時半から京都コンサートホールで開催される京都市交響楽団の定期演奏会。その前に午前中は嵐山の福田美術館に立ち寄る予定。そのために福田美術館の11時からのチケットをネットで購入してあり、駐車場もAkippaで確保済みである。と言うわけでチェックアウト時刻の10時ギリギリまで部屋で作業。

 昨晩書きかけていた「英雄たちの選択」の記事を仕上げるとネットにアップ。さらにパッドを使ってリモート接続で昨晩の「魔王学院の不適合者」をチェックするとその感想を書き上げてこれもアップ。さらに今回の遠征の原稿に取りかかった辺りで10時近くになるので、とりあえず荷物をまとめてチェックアウトする。

 嵐山まで40分程度。相変わらず京都の町は車で走りやすくはない。車を置くと嵐山をプラプラと美術館に向かうが、前回訪問時よりは観光客は増えてはいるが、やはりインバウンドが壊滅している状態では嵐山全体はガラガラといって良いお寒い状態である。この辺りの商店はかなり打撃を受けているだろう。

 美術館には11時よりも少々早めに到着するが、内部が空いているとのことで入場させてもらえる。

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福田美術館に到着

 

「大観と春草-東京画壇上洛-」福田美術館で10/11まで

 親友であった横山大観と菱田春草を中心に、当時の東京画壇の画家たちの作品などを紹介する。

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菱田春草「春庭」

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菱田春草「青波舟行」

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横山大観「春夏秋冬」

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横山大観「竹林図」菱田春草「波濤図」

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横山大観、竹内栖鳳、川合玉堂「雪月花」

 二階には横山大観と菱田春草を中心とした交友図のようなものが記されているのだが、これを見ていると大観は同じグループとして活躍していた画家に対してさえ「嫌い」とか「対立」なんて矢印が多数出ている。どうも芸術家にはよくあるのだが、人格的に難しい人であったのを匂わせる。まあ人格と芸術は別物だが(作者の人格が云々なんて言っていたら、モーツァルトの音楽なんて聞けない)。ちなみに私は横山大観の作品よりは、実は菱田春草の作品の方が性に合う。

 

 福田美術館の見学を終えたところで、さらに奥にある嵯峨嵐山文華館にも立ち寄ることにする。ここと福田美術館はセットのような扱いで、実際にセット券も販売されている。なお次回展の「悲運の画家たち(10/24~1/11)は両館を会場にして開催されるようである。

 

「いきものがたり」嵯峨嵐山文華館で10/11まで

 十二支になった動物たちの絵を中心に、さらには十二支から漏れた動物も加えて動物を描いた絵画を展示。

 まず登場するのは大橋翠石の迫力満点の虎の絵。伊達に虎の翠石と言われていない見事な虎である。応挙のネコなどとはまるで違う(笑)。

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虎の翠石による虎の絵

 で、その応挙による竜に、森寛斎が応挙を模写したという大蛇の絵。

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応挙の「龍」

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森寛斎の「蛇」

 さらには橋下関雪による定番の猿と森祖仙によるモフモフ猿に芦雪の犬。

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関雪の「猿」

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森祖仙のモフモフ猿

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芦雪の犬

 

 なおこの美術館は普段は百人一首関連の展示をしているとかで、面白いの100人の読み手達のフィギュア展示。

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百人一首フィギュア

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天智天皇

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小野小町

 2階は広い畳の部屋に絵画を展示してある(もしかしてここで百人一首の大会をするのか?)。山内信一による「十二ヶ月花鳥図屏風」の大作が印象深い。

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2階は広い畳の間

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十二ヶ月花鳥図屏風左隻

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十二ヶ月花鳥図屏風右隻

 

近くのスパセン「天山の湯」に立ち寄る

 展覧会を満喫したところで駐車場までプラプラと帰ってくる。少し歩きすぎたか疲れ気味である。今はちょうど12時ぐらい、コンサートの開演は14時半だから、少し昼食がてら時間をつぶしたい。今日は思いの外蒸し暑くて汗もかいたしということで、前回に立ち寄ったスパセンの「天山の湯」にまた出向くことにする。

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天山の湯

 温湯で汗を流すと体温風呂でゆっくりとくつろぐ。地下1200メートルより汲み上げたというナトリウム・カルシウム塩化物泉はそう特徴があるというものではないが、それでもやはりこうやって入浴すると快適である。

 風呂上がりにはサッパリとサイダーを頂く。やっぱりこういうのが極楽である。

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風呂上がりはやっぱりこれ

 昼食は館内のレストランで済ませることにする。13日に50食限定という「テンザンセット」を頂く。多くの料理を少量ずつ盛った会席風のランチでなかなかに美味い。

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今日のランチ、美味

 ランチを食べ終わった頃には13時半頃になってきたのでホールの方へ移動することにする。こっちの駐車場もAkippaで予約済みである。ホールへは14時過ぎぐらいに到着する。

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京都コンサートホールに到着

 コンサートホールのステージ上には京都市交響楽団が12編成でスタンバイできるようになっているので、これでほぼフル編成である。また客席の方は前回は3席おきにしていたのを、今回は2席おきにして以前よりはやや詰めている。今後の規制緩和を睨んでいるのだろう。

 

京都市交響楽団 第649回定期演奏会

[指揮]広上淳一

スメタナ:歌劇「売られた花嫁」序曲
ヤナーチェク:シンフォニエッタ
ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調Op.95「新世界より」

 アクセルロッドの来日が不可となったことから、指揮者が広上に変わってのオールチェコプログラムとなった。

 一曲目の「売られた花嫁」から非常に引き締まった演奏。アンサンブルがバッチリでさすがに京都市交響楽団は上手いなと感心させられる。アンサンブルに乱れがないので斉奏が喧しくならずに綺麗に響く。また今日はホール内に吸音材(人体)が少ないせいか、日頃はデッド気味の京都コンサートホールがいつになくよく響く。おかげでキレキレの上に響きの美しい名演となった。相変わらず広上のタコ踊りも絶好調である。

 二曲目はバンダを加えた華々しい曲。この曲はとかくのその華やかさの方にだけ気が向きがちになるのだが、広上はこの曲の本質を分かりやすく明示してきたという印象。よくよく考えてみると、私はこの曲を今までに何度か聞いたことがあるが、今回初めて「ああ、こんな曲だったんだ」と感じた。式典的にガチャガチャした曲というイメージを持っていたのだが、こうやって改めて聞くといかにもチェコらしい独特の節回しが散りばめてあり、意外に良い曲だったんだと再認識。

 最後は最早通俗名曲になった感のある「新世界より」。この超有名曲に対して今更特別なアプローチなどあるんだろうかと疑問を感じながら臨んだのだが、広上はこの曲を極めてゆっくりしたテンポでじっくりと描いてきた。そしてメロディを徹底的に謳わせる。今までこの曲はやたらに快速に勢いよく行く演奏か、民族舞踊的な側面を表に出したご当地色豊かな演奏などのタイプが多かったのだが、そのどちらでもないアプローチである。殊更に民族性を強調はしないが、一流のメロディメーカーであったドヴォルザークの特長をハッキリと現す演奏。これだけテンポを落としても弛緩したり崩壊しないのは、広上と京都市響の信頼関係があっての代物だろう。この曲のこういう表現もあったのかと驚いた。

 正直なところかなり独特という印象を受けたが、これはこれでありだろう。通俗名曲の通俗でない演奏に遭遇した次第。

 

 これでこの週末の予定は終了。車をすっ飛ばして帰宅することになったのである。

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「奇才 江戸絵画の冒険者たち」@ハルカス美術館&関西フィル定期演奏会

 この週末は大阪と京都でのコンサートの連チャンに出向くことにした。しかしながらまだまだコロナ禍は収まったと言える状況でないので今回も車での移動。これは例によって私の財布にジワジワとダメージを与えることになる。しかも身体の方も先月後半に発症した腰痛が完治していない状態。コルセットをはめて杖をつきながら歩くことは出来るものの、万全とはほど遠い。家で寝ときゃいいものを、そうは出来ない相変わらずの貧乏気質である(端的にいえばチケットが惜しい)。

 阪神高速を車をすっ飛ばし大阪に到着したのは昼過ぎ、今日は14時からザ・シンフォニーホールで関西フィルの定期演奏会である。だが大阪まで来たついでだからハルカスでの展覧会を見学しておきたい。MIOの駐車場に車を入れると地下伝いでハルカスへ。しかし駐車場はハルカスの一番東端ぐらいで、美術館は一番西端だから今の体調では結構嫌な距離を歩く羽目に。

 

「奇才 江戸絵画の冒険者たち」あべのハルカス美術館で11/8まで

 江戸時代には奇想の画家と呼ばれる個性的な画家が多く登場したが、そのような「奇才」を集めた展覧会。奇才といえば最近は専らこの人があがる伊藤若冲を始め、葛飾北斎、曽我蕭白、長沢芦雪など、以前に「奇想の画家展」で登場した辺りの定番画家を始めとして、さらにはそれよりは知名度は劣ってもインパクトでは負けないような画家の作品を集めている。

 会場正面をいきなり飾るのが小布施にある葛飾北斎による屋台絵。これから始まって曽我蕭白の強烈な「群仙図屏風」など各地の名品が集められている。伊藤若冲に関しては有名な鶏図の墨絵によるものを狩野山雪、円山応挙、池大雅といった個性はあるものの、奇才とまでいうほど強烈かというところにはやや疑問もある大家まで含めて蒼々たる作品が展示される。

 序盤では私が今まで知らなかった祇園井特の「デロリ」と表現される独特の美人画が非常にインパクトがあった。妙にリアルで妙におどろおどろしく、後の大正デカダンスに相通じる空気が既に江戸期にあったとは驚き。また中村芳中の犬の絵なんかは定番中の定番。

 さらに個人的には印象に残ったのは狩野一信の、まるで油絵を思わせるような濃厚な色彩で光の表現に独特のものを感じさせる五百羅漢図。これはかなり異彩を放っている。なおその流れで歌川国芳も登場。

 絵の技法として変わっているわけではないが、蠣崎波響の描いたアイヌの風俗の絵は興味を惹く。異国情緒溢れる衣装を実に綿密に描いており、この辺りは博物面で面白い。

 さらには河鍋暁斎のおどろおどろしい作品も登場しており、この辺りも漏れなく網羅してあるのはうれしいところである。しかも最後には絵金まで登場したのは私を驚喜させた。さすがに躍動感のある力強い画面には引きつけられるものがある。


 個性的な画家を集めた非常に中身の濃い展覧会であり実に堪能した。10/13からの後期では展示作を大幅に入れ替えるようなので、是非とも再訪したいところ。

 

 この時点で13時を回っていた。移動などで思ったよりも時間を費やしてしまったようだ。コンサートまでに昼食を摂りたかったのだが、その時間もないので高速を使ってホールに急ぐ。駐車場はAkippaで事前に確保していたのだが、この体調とあっては駐車場からホールまでの距離が恨めしい。

 ステージ上は今までよりは制限が緩和された模様で、関西フィルの12編成のオケが乗っかっている。ようやくまともなコンサートが出来るようになってきたのを感じる。

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ステージ上には12編成のオケが

 

関西フィルハーモニー管弦楽団第313回定期演奏会

[指揮]指揮:藤岡幸夫
[管弦楽]関西フィルハーモニー管弦楽団

メンデルスゾーン:交響曲 第5番 ニ長調 op.107 「宗教改革」
シューマン:交響曲 第4番 ニ短調 op.120

 メンデルスゾーンの音楽は指揮者の解釈によって、古典派の伝統を引き継いだやや古めかしい音楽から、ロマン派の走りである感情豊か音楽まで実に幅広く変化する。藤岡の解釈は明確に後者である。藤岡らしい熱のこもったかなりロマンティックな演奏を繰り広げた。全体的にアップテンポ気味で実にメリハリの強い演奏。藤岡がプレトークで「宗教改革」は名曲であるにもかかわらず、プログラムに入れるとまず集客を望めないと言っていたが、どうしてどうして確かに藤岡の熱い指揮にかかると、実にドラマチックで聞き所のある演奏である。第一楽章などはここまでドラマチックな演奏は初めて聞いた。

 第二楽章についてはもう少しかわいらしさがあっても良いかなという気もしたが、第三楽章から第四楽章にかけての壮大な盛り上がりはなかなかであり、終わってみるとこの曲自体をなかなかに見直すことになったこれは貴重な体験。

 関西フィルの演奏については、藤岡がややアップテンポ気味に煽り、アンサンブルの正確さよりも勢いとエネルギーを優先したということで、細かいところでは諸々の瑕疵もみられた。また全体的に金管が正面に出過ぎで、関西フィルの売りの一つである弦楽アンサンブルが奥に引っ込んだようなバランスの悪さもあり、アンサンブルの乱れから斉奏がやや耳障りに聞こえる局面もあり。まあ細かい難をパワーでカバーした印象。

 後半のシューマンも同じ傾向の演奏。こちらは元々押しも押されぬロマン派の曲だけに、それを徹底的にロマンティックに劇的に演奏している。その一方で、構成に甘さがあるとも言われているこの曲の構成がむしろ明確に見えてきたのは驚き。単に感情に溺れるのではなく、藤岡は結構計算した指揮を行っていたようである。

 トータルとしては、明確な難はあるのだがそれを凌ぐ大きな魅力もあった演奏であり、一言でいえば「熱演」である。実際になかなかに堪能できるものであったというところ。正直なところ私は藤岡の指揮についてはいささか侮っていたかなということも反省させられた。

 

 さて明日は京都でのコンサートなので、それに備えて今日は京都で宿泊するつもり、そして今日はまだ昼食を摂っていないことから、まずは腹ごしらえをしてから京都に向かうことにする。

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N響のオンデマンド無料配信でソヒエフのシェエラザード

 先月からNHKが無料配信している過去の名演は第4弾となって、リムスキー・コルサコフのシェエラザードとなったのでそれを視聴。ソヒエフは以前にトゥールーズキャピトル国立管を率いての「白鳥の湖」の非常にドラマチックな名演が記憶に残っているところ。果たしてN響からどんなサウンドを引き出すか。

www.nhkso.or.jp

 

NHK交響楽団 第1904回定期公演(2019年1月16日 サントリーホール)

指揮:トゥガン・ソヒエフ

リムスキー・コルサコフ/交響組曲「シェエラザード」作品35

 初っ端からかなりズッシリとした重量感のある演奏であるが、全体を通してテンポはやや抑えめのゆったりとした演奏である。

 しかしそこに非常にドラマチックな表情を加える。その表情は実に多彩である。ある時は淡々とまるで行進曲のように音楽を進めるかと思えば、一転してネットリと濃厚にフレーズを歌わせたりと曲の場面場面で見せる表情は幾重にも変化する。

 概してこの曲の演奏はリムスキー・コルサコフの煌びやかなオーケストレーションに耳を奪われて、単に派手派手の賑やかではあるが空疎な馬鹿騒ぎになってしまいがちなのであるが、ソヒエフはむしろ単純に賑やかしくなるのを抑え、この曲の風景をドラマチックにありありと表現する。ドッシリと構えて落ち着きがあるが、それでいて妙に色気があり、たまにはユーモアも垣間見えるという情緒の豊かな演奏である。そのことによって、この曲の背景には「千夜一夜物語」というベースがあったのだということを改めて思い出させてくれた。

 ソヒエフのアプローチはこの曲を音楽劇として表現している。この辺りはオペラも振る指揮者という特徴なのだろうか。非常にドラマチックに情景が浮かび上がるような演奏である。それにしてもとかく上手いのだが無味無臭な演奏になりがちで「公務員オケ」と揶揄されるN響から、こんなにも色気に満ちた生命力のある音色を引き出すとは、流石にトゥガン・ソヒエフ、ただ者ではない。


 本公演の表題には「次代のオーケストラ界を担う巨匠ソヒエフの《シェエラザード》」とあったのだが、看板に偽りなしの巨匠としての風格を漂わせつつ、それでいて実に若々しい演奏でもあった。とにかくソヒエフの表現には圧倒されるところであった。

 

大フィルのチャイコチクルスを聴きに行く

灼熱地獄・コロナ地獄の大阪へ

 今日は大阪フィルのチャイコチクルスのために大阪に出向くことになった。そもそも大フィルのチャイコチクルスはチャイコの交響曲6曲を2曲ずつ3回に渡って全曲公演するというもので、1+4,2+5,3+6というように、初期交響曲と人気の後期交響曲をカップリングしてあった。そして第1回はこの春、そして第2回が夏の予定だったんだが、第1回は秋以降にとんでしまい、今回の第2回が初回公演となってしまった次第。

 ただ大阪はイソジン知事の無策が祟って完全に感染爆発が起こっている状態。今や人口比で考えると東京をも越える感染地帯になっている。そこに乗り込むのはそれ相応の用意が必要。と言うわけでとにかく私が感染の一番の危険要因と確信している鉄道での移動を避けて、大阪まではるばる車で出向くこととした。例によって駐車場はAkippaで確保している。それにしてもコロナのせいで車移動が多くなったので、ガソリン代、高速道路代、駐車場代がボディブローのように私の財政を苦しめている。特に日本ではこれらの料金は政治の駄目さのせいで世界的に類を見ないほどのボッタクリになっているから、経済的なダメージは大きい。

 昼頃に家を出ると大阪に向かって突っ走る。例によって阪神高速は走りにくくて異常に疲れる道路である。かなり疲れを自覚した状態で大阪に到着して駐車場に車を入れたのは1時前。開演は午後3時からなのでそれまでに昼食を摂る必要がある。

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フェスティバルホール周辺も灼熱地獄

 それにしても暑い。こうなるとミネラル麦茶がライフライン。とりあえずこの状況下で長時間表を歩くのは命取り。さっさと建物内に逃げ込み、昼食はフェスティバルタワーの地下で取ることにしようと考えるが、半分方の店が閉店中。まあ人通りもほとんどないような状態なので仕方ないか。基本的にこの界隈はオフィス街なので土日人口は激減するが、その影響が特に露骨なようである。まあ通勤ででもなかったら、このご時世にこの界隈にわざわざ出かけてくる理由はない。

 

フェスティバルタワー地下で鳥取ランチ

 昼食を摂る店は「麒麟のまち」に決める。因幡・但馬地区地場産品を紹介しているアンテナショップである。しかしこの奥で地場ものランチをいただけるスペースがある。私が注文したのはハタハタなどがセットになった「きりんランチ」。ところで麒麟と言えば大河ドラマのあの人だが、あの人は鳥取とは縁がなかったはず(鳥取に縁のあるのはサルの方だが、あちらは侵略者である)。大河とは無関係か?

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麒麟のまち

 豪華さは感じないものの品数も多くてまあ普通に美味い素朴なランチ。栄養バランスも悪くなさそうだし、最近は年のせいか和食付いている私には適した内容か。ランチを終えた後はまだ開場まで時間があるので、店内でpomeraでこの原稿の執筆中(笑)。何しろ席の8割以上が空席の状態なので、こういうことをしていても回りに迷惑にならない(普通はランチタイムの店内でPCとかを広げるのは顰蹙ものだが)。

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きりんランチ

 開場時刻が近づいたところで店を出る。ホールの前に大行列が出来ているから何だと思えば、どうやら当日券購入のための行列の模様。やはりこのご時世下でライブに飢えている者も増えているようだ。私は事前にチケットを購入済み(だったので、座席変更の葉書が送られてきている)だからスムーズに入場。

 座席は相変わらず1つ置き。ステージ上には大フィルの16編成を載せている。これはステージが巨大なフェスティバルホールだから可能なこと。

 

大阪フィル・チャイコフスキー・チクルス(Ⅱ)

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広いステージに閑散配置

指揮:尾高忠明

チャイコフスキー/交響曲 第2番 ハ短調 作品17「小ロシア」
チャイコフスキー/交響曲 第5番 ホ短調 作品64

 第2番の方は、コロナ対策閑散配置が災いしてか、大フィルのアンサンブルの甘さがあちこちで目立つ。第1楽章冒頭からダーンと行かずにドッシャーンとなってしまったのが残念。その後も所々でアンサンブルの狂いによる音色の濁りなどが起こるのが気になるところ。

 尾高の指揮は比較的ゆったりと謳わせてくるもの。第1、2楽章は特にその傾向が強かった。第3楽章はサラッと流してから、第4楽章は乱痴気騒ぎ。元々の曲自体が構成の弱いところがあり、最終楽章は特にドタバタ騒ぎになってしまうのだが、それをそのまんまの大騒ぎで持ってきた。正直なところもう少し整理して聞かせて欲しいところ。

 第5番の方は尾高もオケも経験値豊富な曲だけに、演奏が一転して安定する。第1楽章からカッチリと鳴らしてきて、第2楽章はホルンソロが聴かせる。第3楽章を経て大盛り上がりの最終楽章への怒濤の展開。こちらはオケの方もしっかりとまとまって鳴らしていた。やはりこの辺りは練度の反映と言うところか。

 終演後に尾高は「かなり疲れた」という旨を語っていたが、まああれだけ激しい指揮をしたら、尾高の年齢を考えたらかなり疲れるのもやむなし。なかなかにエネルギッシュな公演であった。

 

 ちなみに本公演は映像収録し、10月頃にカーテンコールにて配信予定とのこと。コンサートを聴きに行くことの出来なかった方は、それを待つのがよろしいかと。

 

N響のオンデマンド無料配信第3弾は井上道義の幻想交響曲

 2週ごとにプログラムを変更して順次無料配信されているN響の過去の名演集であるが、第3弾は井上道義による幻想交響曲が配信されたのでこれを視聴。あの有名なおどろおどろしい曲を井上がいかに演奏するか。

www.nhkso.or.jp

明電舎 presents N響名曲コンサート 2019 (2019年7月2日 サントリーホール)

指揮:井上道義

ベルリオーズ/幻想交響曲 作品14

 井上道義らしい非常にロマンティックな幻想交響曲というか、テンポ変動から強弱変動まで非常に激しい、実にネットリぬっちょりした演奏である。初っ端から井上のタコ踊りが絶好調なのであるが、N響がそれに合わせていつにもない粘度の高い演奏を展開する。

 第一楽章などはもう冒頭から終始、ひたすらネットリぬっちょりで、歩いていたら蹴躓くんではないかというような印象だが、これはこれで面白い。第二楽章も舞踏会が納豆の糸を引いている。第三楽章はゆっくりと抑えめで進行、中盤以降におどろおどろしさが増してくるのであるが、ここでの表現は結構激しくはあるが、おどろおどろしさは意外に抑え気味。それよりは結構美しく謳っている。そして終盤には嵐の前の静けさ。

 次の第4楽章は怒濤のような行進曲。ここは勢いに任せて突っ走ったという印象。終盤に井上が指揮棒で首をはねるような仕草をしていたのが印象に残る。悪魔の饗宴となる最終楽章は初っ端から怪しさ全開である。ややおどろおどろしく始まった曲は、徐々に盛り上がって大狂宴となる。そのまま一気にラストまでである。

 クールで淡泊と言われているN響からこれだけの粘っこい演奏を引き出すとは流石に井上道義と言うところか。まあやはり幻想交響曲はこれぐらいおどろおどろしい方が面白い。