徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

エーテボリ交響楽団のライブ配信でステンハンマルを

ロシア語の次はスウェーデン語だ

 さて、先日来から世界のオーケストラ巡りをしている私が今回巡り会ったのはスウェーデンのエーテボリ交響楽団である。先日はサンクトペテルブルクフィルのロシア語で難儀したが、今度はスウェーデン語。当然のことながら私には何のことやらサッパリ分からんが、そこはGoogle翻訳がキチンと機能してくれているのでページの大意を取るのには問題ない。むしろ昨日のロシア語よりは良好な翻訳をしているように思える。Google翻訳は思いの外適用対象が広いようである。

www.gso.se

 ちなみに試しにイラク政府のHPに接続してみたら、なんとアラビア語まで翻訳する模様(あの意味不明のアラビア文字が日本語に変換される)。なおポーランド語やチェコ語にスロバキア語、ハンガリー語にも対応可能なのは確認済み。私の長年の夢である全自動翻訳機が登場する日も予想よりも早いか? 私が子供の頃からいずれ技術が解決してくれると考えていたワープロは既に登場して、私の不器用さから来る異常な悪筆というのは仕事上のハンデにならなくなった。次は実用レベルの全自動翻訳機の登場で、私の耳の悪さ(と言うか、それに連動している頭の問題の気もするが)から来る外国語能力の著しい低さが、仕事上のハンデにならない時代の到来を期待したいところだ。まあ既にGoogle翻訳は英語論文の斜め読みなどの際に活用しているのであるが。

 

エーテボリ交響楽団の思い出

 なお本題に戻ると、エーテボリ交響楽団はスウェーデンを代表するオケで、パパヤルヴィことネーメ・ヤルヴィ指揮のシベリウス交響曲全集は私の愛聴盤であった。今までも数回来日をしており、私の学生時代にはネーメ指揮の公演でアンコールのシベリウスのカレリア舞曲で心底感動したのは今でも昨日のことのように覚えている。今日の私のライブ通いの原点はここにある。ちなみに本来は昨年ロウヴァリが率いて久しぶりの来日の予定だったのだが、残念ながら昨年来のコロナの流行でおじゃんになったところである。

 このエーテボリ交響楽団もHPでライブ配信を行っており、スウェーデンの代表的作曲家であるステンハンメルの作品の特集を行っている。ステンハンメルは日本ではかなり知名度の低い作曲家となるが、スウェーデンを代表する作曲家であり、19世紀末から20世紀前半という活躍年代はちょうどシベリウスと被っている(シベリウスが非常に長寿だったので、ステンハンメルよりも先に生まれて、かなり後で亡くなっているが)。そのために作風的には同じ北欧の作曲家としての類似した空気を持っている。

 ブロムシュテット指揮で交響曲第2番とオーケストラのためのセレナーデの演奏が合ったのでそれを聴く。

 

エーテボリ交響楽団 ステンハンメル作品集

指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット

ステンハンメル 交響曲第2番
        オーケストラのためのセレナーデ

 曲自体は20世紀初頭の音楽となるのであるが、殊更に20世紀音楽というよりも、もっと古い型式を引きずっているところのある作曲家のようである。そのおかげで私には実に馴染みやすい曲である。それでいて曲全体にシベリウスと同様の北欧の空気が漂っており、それが何とも言えない味となっている。

 ブロムシュテットの演奏はいかにも彼らしく外連味のない手堅いものであるが、それでいてなかなかに若々しさを秘めている。北欧の霧が立ちこめる奥から、時折非常に快活なパワーがほとばしってくるところがある。正直なところ「意外とやるなブロム爺」というのが正直な感想。

 いくら煽ったところで、管楽器類の鳴り方があくまで北欧のオケであり、ベルリンフィルなどとは根本的に違う響きになるのはいかにもこのオケの持ち味。この辺りは私が30年ほど前に聴いた時から本質的には変わっていないようである。もっともあの頃よりはかなり垢抜けて、ヨーロッパの辺境オケからもっと都会的なオケに脱皮したようなお洒落さも感じるところはあるが。ご当地物のステンハンメルとなれば、やはり彼らも共感度は高いのであろう。その辺りはアメリカ生まれながらスウェーデン人であるブロムシュテットも共感するのか。

 交響曲第2番よりも軽めの曲であるセレナーデは、よりチャーミングな曲であり、この曲についてはブロムシュテットも茶目っ気のようなものを垣間見せる。終演後もいかにも楽しげなブロム爺の姿が印象的であった。

 

サンクトペテルブルクフィルのライブ配信を聴く

ロシア語は流石に苦労しますが、ここにもライブ配信が

 ライブ映像を探して世界の各オケのHPをサーフィンしているのが昨今の私であるが、今回はサンクトペテルブルクフィルのHPでニコラ・アレクセーエフが指揮したマーラーの交響曲第9番を見つけたのでそれとその他の公演も視聴。

www.philharmonia.spb.ru

 それにしてもページの地の文はGoogle翻訳が読んでくれるので問題ないのだが、映像中に登場する曲目などはロシア語を翻訳しようないので、読み取りに四苦八苦した。何しろまともなアルファベットでないので読み方の想像さえ出来ないし、翻訳に入力することさえ出来ない。「この辺りか」と想像を付けて逆に日本語からロシア語に変換させたのを見て確認するしかない。にしても「Сен-Санс」でサン・サーンスなんて、どう読みゃそうなるんだ?

 

サンクトペテルブルクフィルライブ配信

指揮;ニコライ・アレクセーエフ

マーラー 交響曲第9番

 アレクセーエフの演奏を初めて聴いたのは、数年前にサンクトペテルブルクフィルが来日した際、テミルカーノフが体調不良で急遽そのピンチヒッターとして出演した時である。その時の印象としては、とにかく個性が薄い大人しい指揮だなというものだった。副指揮者としてテミルカーノフの元でキャリアを積んできたせいか、自分を出すというよりもテミルカーノフならどう振るかと考えて指揮をしている印象を受けた。

 今回の演奏であるが、その「印象が薄い」というのは基本的にあまり変わっていない。マーラーのこの最後の交響曲は演奏の仕方によっては、狂おしい情念に振り回されるようにも、全てを悟りきって極楽に昇天したようにも、いかようにも表現できるのであるが、アレクセーエフの演奏についてはとにかく抑制的。狂おしい感情の爆発もないが、悟りきったという境地でもない。何となく淡々と音楽を進めていく印象である。

 以前の時にも感じたように、あまり自分の感情を強烈に前に出すタイプではないようだ。指揮姿も妙に安定した淡々とこなしている風情であり、いわゆるロシア系に多い感情むき出しの爆演型指揮者とは完全に対極にいる。

 以前の来日時も、彼はもう少し自分を正面に出せばもっと大成するのではと感じたのであるが、今回も基本的にその印象は変わらないところであった。


 他の指揮者によるプログラムもあるようなのでそれも聞くことにする。

 

サンクトペテルブルクフィルライブ配信

指揮:フェリックス・コロボフ

サン・サーンス バッカナール
ビゼー 交響曲ハ長調
チャイコフスキー 眠れる森の美女

 コロボフの名は初めて聞くが、ロシア人で元々はチェリストから指揮者になった人物(ロストロポーヴィチを連想する)のようである。

 前半はフランスもの2題である。最初はサン・サーンスのオペラ「サムソンとデリラ」から、まさに狂乱の舞踏曲であるのだが、エキゾチックかつお祭り騒ぎ的なこの曲をコロボフは極彩色で描き出した。オケもなかなかに鮮やかな音色を出す。

 2曲目はビゼーの軽妙かつウィットに富んだ交響曲。コロボフの演奏は何とも軽快かつ陽性の気持ちの良いものである。やや早めのテンポでグイグイとノリで突っ走るタイプ。最後の最後までまさに活気に満ちた「ハ長調」であった。

 眠れる森の美女は大きな動作でかなり感情のこもった指揮を行っている。もっともその表現は大きな溜や揺らしはない意外にオーソドックスなものではある。しかしオケの技倆もあってなかなかに楽しく美しい演奏となった。

 

ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団でフランソワ=グザヴィエ・ロトによる「英雄」

オランダも大雪が降っている模様です

 今週の配信は予定ではドゥダメル指揮でマーラーの交響曲第4番だったが、オランダの大雪でドゥダメル及びソプラノのカミラ・ディリングがオランダを訪問することが出来ず、収録が不可能になったとのこと。そこで急遽プログラムが差し替えになったとか。昨年の8月に収録されたフランソワ=グザヴィエ・ロトによる「英雄」が配信されることになっている。

www.concertgebouworkest.nl

 日本でも北海道を中心に大雪だが、どうやらアメリカやヨーロッパでも同様の現象が起こっている模様。なおこのような突然の寒波の襲来も地球温暖化に伴う気候の不安定化の一環と考えられるのだが、トランプのような科学に反した考えしか持てない愚か者は、逆に地球温暖化がデマである証拠などと考えるんだろうな・・・。

 

ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団ビデオ配信(2020.8月収録)

指揮:フランソワ=グザヴィエ・ロト

ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」

 何か冒頭からいきなり独特のリズムを刻む演奏に面食らう。こういう弾むような英雄は初めてである。どうやらリズムの刻みとアクセントの置き方に個性があるようだ。

 私はロトの演奏は6年ほど前に読響の大阪公演で耳にしているのだが、その時は読響の演奏のまとまりが今ひとつだったせいもあって演奏自体にはあまり良い印象が残っておらず、喝采に対して「ホンマ・オオキニ」と関西弁で答えたロトのサービス精神だけが印象に残ったようである。今回の英雄を聴く限りでは、かなり独特の演奏をしたせいで読響がついて行けてなかった可能性もある。

 振幅が大きくて一ひねり加えたなかなかにクセのある演奏である。随所に独自の味付けがあり「こういうのは初めて聴いたな」という感が強い。第一楽章で現れた弾むような独特のリズムは最終楽章でも現れ、それにかなり早めのテンポ設定も相まってかなり独自の躍動感となっている。その一方で突然にストンと落としてきたりなど、とにかく仕掛けが満載である。かなり表情豊かな英雄と言える。ユーモア溢れるというのか、ウィットに富むと言うべきか。この辺りはフランス人気質なんだろうか。いわゆるドイツコテコテの英雄とは一線を画している。

 

ニューヨークフィルの録音でドホナーニとギルバートを聴く

今回はニューヨークフィルの過去録音を聴く

 ニューヨークフィルのHPで2012年代の録音が公開されているので、それでドホナーニ指揮によるシューベルトの「ザ・グレート」とギルバートによるドヴォルザークの「謝肉祭」とチャイコの4番を。

nyphil.org

 ちなみに「準備中」になっていたオンデマンド配信が開始されることになった模様。年間5209円(月額だと520円)とのことでベルリンフィルデジタルコンサートホールの大体半額というところか。これを高いと見るか安いと見るかは人によるだろう。

 

ニューヨークフィルライブ録音(2012.3.22)

Schubert’s Symphony No. 9, Great

指揮:クリストフ・フォン・ドホナーニ

シューベルト 交響曲第8番「ザ・グレート」

 始まった途端に驚くのはそのあまりに快速に過ぎるように思えるテンポである。まるで早回しのようにグイグイと進むグレートである。ここまでテンポが速いとこれは解釈や表現云々という以前に、何か元曲のテンポ設定に関する新事実でも浮上したのかという考えも生じる(近年でもベートーヴェン時代のテンポ設定は現在と根本的に違うという指摘があった)。

 それはともかくとして、テンポだけに限らずとにかく陽性なグレートである。第一楽章などはアップテンポなせいと、そこにニューヨークフィルの陽性な音色が加わってとにかく元気爆発という印象。重厚さや壮大さでなく、躍動感と前進力が表面に現れている。

 そしてやや哀愁を帯びて聞こえる第二楽章も、この調子でやられると哀愁ではなくて滑稽さを秘めた音楽として聞こえてくることになる。単に陽性なだけでなく、全曲を通して生命感が非常に強い。実に活気溢れるグレートである。

 3年前の来日時にズヴェーデン指揮の公演を聴いた時には、元気な爆音オケであり緻密さに欠けるという印象を強く受けたのであるが、この演奏に関しては緻密さまでは感じないが雑と言うまでではない。もっともいささかエネルギーに溢れすぎなのはやや違和感がないわけではない。


 なかなか奇妙な演奏だったという印象。ただしかなり興味深くはある。さらにギルバート指揮による演奏もあるのでそちらも視聴。

 

ニューヨークフィルライブ録音(2012.5.12)

Gilbert Conducts Tchaikovsky’s Fourth Symphony

指揮:アラン・ギルバート

ドヴォルザーク 「謝肉祭」序曲
チャイコフスキー 交響曲第4番

 タケシことアラン・ギルバートがニューヨークフィルの音楽監督を務めていた頃の録音である。

 謝肉祭に関してはとにかく華やかな曲であるが、それでいて馴染みやすいのはドヴォルザークたる所以か。こういう元気な曲になるとニューヨークフィルのカラーに非常にマッチする。非常に躍動感に満ちた演奏である。

 チャイコフスキーの方は冒頭からやや抑え目のテンポで、華やかにはならず地味目の内容である。それよりはタップリと情感を謳わせるというタイプの演奏。いささか哀愁を帯びた演奏でもあるのだが、ニューヨークフィルの音色が基本的にかなり陽性であるので、哀愁にドップリと浸かりきるところまでは行かない感がある。

 音声配信なので映像を見られないのがいささか残念なのであるが、ギルバートはタケシの名に違わずゴツい体躯をフルに駆使したエネルギッシュな指揮振りから、剛田イズム全開などとも言われるのだが、単にがさつなだけのジャイアンではなく意外に細かい仕掛けの多い指揮をする。その特徴は本公演でも現れており、楽章中でも細かい溜やら煽りやらは所々に見られる。第一楽章などは抑え目から始まって、ここ一番になったら煽りまくったりなどの変化の激しいものであり、第二楽章も哀愁タップリに謳わせながらも突然に爆発を仕掛けたなりなどである。第三楽章のピッツカートなどはかなり高速でぶっ飛ばしており、とにかく変化とメリハリが強い。

 最終楽章などは単なる空騒ぎでなく、ドッシリと構えてスケールの大きな音楽にしようとしている仕掛けが見られる。ただしニューヨークフィルの方が完全に一糸乱れぬとまでは行っていない印象がある。まあそれでも剛田イズム全開のなかなかに楽しめる音楽ではあった。


 ギルバートの演奏はもう一本上がっている

 

ニューヨークフィルライブ録音(2013.2.21)

Bloch’s Schelomo and Brahms’s Symphony No. 1

指揮:アラン・ギルバート
チェロ:ヤン・フォーグラー

ブロッホ シェロモ
ブラームス 交響曲第1番

 一曲目は私には全く馴染みのない曲なのだが、20世紀初頭に活躍したスイス出身のユダヤ人作曲家ブロッホが1916年に作曲した曲だとか。シェロモというのは古代イスラエルの王であるソロモンのことであり、ソロモン像から着想を得た作品とのこと。

 現代音楽に入りかけの時代であるが、私が聴いて「馴染みやすい」と感じるのであるから、恐らくやや保守的な曲なのだろうと考えられる。フォーグラーのチェロの音はなかなかに厚みと深みを感じさせるもので、曲に重々しい威厳を与えている。

 ブラームスに関してはドッシリと構えながらも躍動感のある演奏である。例によってニューヨークフィルの音色は陽性であるので暗めの曲調の中でも明るい生命感は滲んでくる。ただしこれが場合によっては「軽さ」に聞こえなくもない。

 最終楽章も基本的に整然とリズムを整えてきた端正な演奏の方向であり、ニューヨークフィルでお馴染みの元気爆発というよりは、ドッシリと構えて美しさの方が前面に出るという印象。これがギルバート流のブラームス解釈というわけだろうか。

 

ビシュコフ指揮のロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団でチャイコの5番

コロナでお籠もりの日々はネットのライブ配信で

 コロナのせいで遠出するわけにも行かず、コンサートの方もたまに大フィルの定期演奏会を決死の覚悟で大阪に聴きに行くぐらいである。各地のオケは存続の危機を迎えているが、全くもって音楽愛好家にとっても受難の状況が続く。

 当然のことながら来日オケの予定などは見事に全滅してしまった(昨年のウィーンフィルの来日はつくづく奇跡のウルトラCだと思うが)。こういう状況では必然的にネットのライブ配信などに頼ることになる。

 さてそのライブ配信であるが、今回はセミヨン・ビシュコフ指揮のロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団の演奏がアップされていたのでこれを視聴した。

www.concertgebouworkest.nl

 

 無料配信なのはありがたいのだが、どうもロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団のHPはサーバが非力なのか、それとも通信回線が細いのかは不明だが、どうにも画質が悪い上に送信も不安定。昨日見ようとした時にはしょっちゅう凍っては矢印がクルクルの状態だったので、とても音楽を聴けるような状態ではなく、今日再びトライした次第。今日は画質は最低に近い(映像が極めて荒い上にしょっちゅうカクカクする)が、何とか音は止まらずに聴くことが出来た。まあやはりベルリンフィルデジタルコンサートホールのような有料配信とは投入できる資源に違いが出るのも仕方のないところか(ベルリンフィルデジタルコンサートホールがこのクオリティの配信をしたら直ちに「金返せ」の山である)。

 まあ所詮はネットでのライブ配信などは「温泉に出かけることが出来ないので、温泉の素で温泉気分を味わう」というようなところがある。早くコロナが全世界的に収束して、また来日公演が再開される日を祈りたいところである。

 

ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団ライブ配信

指揮:セミヨン・ビシュコフ

チャイコフスキー 交響曲第5番

 非常に濃厚な風味のチャイコフスキーである。テンポはやや遅めではあるがそう極端と言うほどでもない。むしろ印象的なのは所々で見られる独特の溜め。そのおかげで時々音楽がネットリと糸を引くような印象を受ける。情感タップリに音楽を揺らしてくる。そのために非常に粘っこくてややしつこい印象の表情の演奏となる。

 チャイコフスキーの演奏と言えば、旧ソ連時代にムラヴィンスキーなどのかなり個性的な演奏が存在したが、そういった大時代がかった雰囲気も感じられるところ。その辺りはかなり好みが分かれそうである。ビシュコフは強弱もかなり揺らすが、やはりそれ以上にテンポの揺らしが激しい。これを味があると捉えるか、下品と捉えるかが難しいところである。

 私としては面白いとは感じるものの、いささかこれは行きすぎという感を受ける。溜めが目立ちすぎて音楽のスムーズな流れを断ち切っているような感じを受ける。もう少し滑らかな演奏でも良いのではないか。やや胸焼けがする感がある。

 

フルシャ指揮ミュンヘンフィルでドヴォルザークの交響曲第5番

コロナ禍の中では音楽はライブ配信で楽しむしかないか

 さてコロナの方は未だに収束までにはほど遠く、今後も国内オケはともかく海外オケの来日が可能となるのはまだまだ遠い先であると思われる。こうなるとやはり音楽好きとしては海外のオケのコンサートはやはりライブ配信に頼るしかなくなってくる。

 有料配信に力を入れているベルリンフィルなど以外では、ロンドン交響楽団、パリ管弦楽団、ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団、ミュンヘン交響楽団などが定期的に無料のライブ配信を行ってくれている。今回はミュンヘンフィルのライブ配信でフルシャ指揮のドヴォルザークが配信中であったのでそれを視聴することにする。配信は現地時間の2/18の深夜までとのこと。

www.mphil.de

 ヤクブ・フルシャとしてはドヴォルザークはまさにご当地の英雄の曲であるだけに、そこはかなりの共感と理解の深さを持っていると思われる。その辺りが演奏にいかに反映されるかが興味あるところ。

 

ミュンヘンフィルライブ配信(2021.1.29収録)

指揮:ヤクブ・フルシャ
オルガン:クリスチャン・シュミット

プーランク オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲
ドヴォルザーク 交響曲第5番ヘ長調

 プーランクの曲はまるでバッハを思わせるような重厚なオルガンに、管弦楽の現代的な響きが重なっていく独特の曲。最初はいかにもバロックか古典のような雰囲気があるが、曲が進むにつれて段々と年代が近代へと下っていくという印象である。フルシャの指揮は非常に躍動感があって生き生きとしたもの。だから曲自体が非常に明快であるという印象を受ける。輝かしくて魅力的である。

 ドヴォルザークの交響曲第5番は耳にする機会の多い曲ではないが、ドヴォルザークの田園交響曲という評があるらしい。そのためか同じく田園交響曲と言われることも多い交響曲第8番と第1楽章などは驚くほど類似が見られる。ほとんど同じ旋律を使い回したと思われる部分まであり、この曲は第8番の元になったのではないかと感じさせられた。

 いわゆるスラブの田園風景を連想させるような明瞭で生命感が満ちた曲である。それをフルシャの演奏はまさに生命力で溢れんばかりの表現を行っている。ミュンヘンフィルの音色も実に輝かしくて聴いていて気持ちが良いという印象。非常に色彩的な演奏であり、フルシャがかなり深い部分で作曲家に共感を持っていることが感じられるので、曲の魅力がストレートに伝わってくる。この曲がこんなに面白い曲であったと言うことには今回初めて気づいた。

 

パリ管のライブ配信で、サロネン指揮のシベリウスを聴く

パリ管のライブ配信を聴く

 パリ管のHPでサロネンによるシベリウスの交響曲第6,7番が配信されていたので、それを聴くことにした。

live.philharmoniedeparis.fr

 サロネンといえば当然のように祖国の大作曲家であるシベリウスの演奏では定評がある。そのサロネンが、決してシベリウスとイメージが合致するとは感じられないパリ管を率いてどんな演奏をするかが興味深いところ。

 

パリ管弦楽団ライブ配信(2021.2.11 フィルハーモニドパリ)

指揮:エサ=ペッカ・サロネン

シベリウス 交響曲第6番
      交響曲第7番

 分かりやすい初期交響曲と違い、さらにシベリウスらしさが強まってひたすら幽玄な曲となってきた晩年の交響曲のプログラムである。

 流石にシベリウスは自家薬籠中であるサロネンである。演奏が始まる早々シベリウスらしい幽玄な響きが支配する。パリ管がこんなに渋い音色を出すとは驚かされる。実に深くて広がりのある音である。

 しかしそこは流石のパリ管、単に霧の立ちこめた地味な音色に陥るわけではない。霧の向こうからでも燦めきが見えてくる。決してサロネンの音楽をぶち壊さないように出しゃばることはないのであるが、その響きは実に美しくて鮮やかでもある。幽玄でありながら鮮やかという一件相矛盾するかのように思われることを簡単に両立してくれる。だから深い霧の奥から、時々ハッとするような美しい風景が垣間見える。

 ゆったり目のテンポで壮大でスケールの大きな演奏であり、この辺りはサロネンのまさに真骨頂であった。こうして聴いてみると、この両者の組み合わせはかなり最強。

 

尾高忠明指揮の大阪フィルでブルックナーの交響曲第9番を聴きに行く

またも大阪まで厳戒態勢で車で出向くことに

 この週末はフェスティバルホールで大阪フィルの定期演奏会である。今回は尾高忠明の指揮でブルックナーの交響曲第9番。前半はモーツァルトのピアノ協奏曲第24番だが、ピアニストが予定していたアンヌ・ケフェレックが来日不可となり、北村朋幹に変更になったようである。最近は海外からの渡航禁止処置のせいで、この手の日本の演奏家への急遽の振替が相次いでいる。既に来月の定期演奏会も齋藤一郎と菊池洋子という日本人ペアに振替になった模様。

 さて大阪に出向くことになるが、まだまだコロナが収束とはほど遠い現状を考えるとやはり最大警戒態勢を取らざるを得ない。例によって最大リスク要因である鉄道を避けて車で行くことにする。駐車場は例によってフェスティバルホール会員予約で事前確保済みである。

 昼前に家を出ると昼食は一旦高速を摩耶ICで降りてから、近くのトマト&オニオンで。店内を子供が大声を上げながら走り回っていてうるさい。子供というのはとにかくどこでも大声で騒ぐし、あちこちを触りまくる。その上にマスクしろ、静かにしろと言ったところで今時の子供は親の言うことを全く聞かない。新型コロナ変異株は子供に対する感染力が高いと聞いているが、確かにコロナの生存戦略を考えると、子供に対する感染力を高めた方が効果的だろう。高齢者中心で直ちに重症化する状態だと、ウイルスが広く拡散する前に宿主が動けなくなって死んでしまうが、子供に軽症の状態で感染したら、勝手にあちこちにばらまいてくれることになる。重症化の危険因子を持っている私としては、あの子供が感染者でないことを祈るのみ。

 昼食を終えると大阪に直行。しかし予定時間よりもかなり早く到着してしまったので、駐車場近くの路上で停車して、車内でビデオを見ながら時間をつぶすことに。目下のところ大阪に他に予定はないし、どこに行くにしてもその度に法外な駐車料金がかかることになるから、やはり大阪というところは本来は車で来るべき場所ではない。

 とりあえず時間をつぶしてから駐車場に車を置くとホールへ。さすがにゲートでは厳戒態勢を取っているが、来場者は結構多く、一階だけを見る限りでは6~7割というところだろうか。ステージ上はモーツァルトに合わせて10型配置になっている。

 

大阪フィル第545回定期演奏会

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10型の小編成

指揮:尾高忠明
ピアノ:北村朋幹

モーツァルト/ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K.491
ブルックナー/交響曲 第9番 ニ短調(コールス校訂版)

 北村のピアノはとにかく軽妙で繊細な印象。若手の音楽家らしくテンポや溜に表現意欲が見られるのであるが、タッチが全体的に軽いので、演奏のダイナミックレンジがあまり広くなく、強弱の面での表情付けがあまり出来ていない。その辺りが全体的にサラッとした印象につながってしまう。そういう意味ではモーツァルトという曲目は彼には合っているとは感じる。もう少し濃厚な味付けが必要な曲の場合は表現不足になる可能性が高い。もっともこの曲の場合は、モーツァルトのピアノ協奏曲の中では結構陰影がある方なので、それを強調した演奏もありなのであるが。

 後半のブルックナーはコールス校訂版という最近流行の「一番原典に近い」とされている版。もっとも私はどの辺りが版によって違うのかが分かるほどブルックナーには詳しくない。

 尾高と大フィルの演奏であるが、冒頭のホルンのセッションからしっかりと格好良く決めてきたので、なかなかやるなという印象を受けた。実際に全体を通して特に金管の鮮やかな活躍は実に目立った。

 ブルックナーの交響曲の中では珍しいほど「悪魔的」と言われる本曲だけに、第一楽章などはもう少し緊迫感を漲らせても良いのではと私などは感じるのだが、尾高の演奏は緊迫感を盛り上げよりは、中間部分などの天国的な美しさの方を前面に出してきた。まあそういう演奏はそれはそれでありである。

 第二楽章以降もやはり基本的に尾高の指揮はテンション系ではないので、若干のぬるさを秘めてはいるものの決めるべきところはキチンと決めてきているツボを押さえた演奏にはなっていた。トータルとして見た場合、なかなかの演奏であったと判断する。

 

チェコフィルのライブ配信でビシュコフ指揮のスコットランドにラベック姉妹

チェコフィルもライブ配信をやってました

 各地のオーケストラがコンサート中止を余儀なくされている中、チェコフィルも同様の状況のようで、収録映像のライブ配信が行われたのでそれを視聴する。

www.ceskafilharmonie.cz

 内容はラベック姉妹(かなり久しぶりに聞く名である)によるブライス・デスナーの二台のピアノのための協奏曲と、ビシュコフ指揮でメンデルスゾーンのスコットランドである。

 しかしロンドン交響楽団やミュンヘン交響楽団と言ったところがライブ配信をしているのは知っていたが、チェコフィルとは意外なところまでライブ配信を始めたようである。もっともチェコフィルはヨーロッパ屈指の一流オケなので、当然ながらそのような試みがあっても良いのではあるが。

 なおなぜかChromeではバグってまともに再生できなかったので、今回はEdgeを使用して視聴している。未だにこんなことも起こるようである。

 

チェコフィルハーモニー管弦楽団ライブ配信

セミヨン・ビシュコフ指揮
カティア&マリエル・ラベック(ピアノ)

ブライス・デスナー 二台のピアノのための協奏曲
メンデルスゾーン 交響曲第3番「スコットランド」

 ラベック姉妹は30年以上前にまだ学生だった私がクラシックを聴いていた頃に登場し、当時は「美人ピアノデュオ」としてもてはやされた存在だった。それからかなり久しぶりに名を聞いたことになるが、彼女たちもかなり年輪を重ねたようであるが、演奏の方には円熟味が増した感がある。ちなみにマリエル・ラベックがビシュコフの妻とのこと。

 正直なところロックギタリストであるというブライス・デスナーの曲は今ひとつ良く分からないのであるが、とにかく終始ピアノがかなり早いフレーズを繰り広げるいかにもしんどそうな曲。この辺りの息の合わせ方は流石に姉妹デュオか。

 さてスコットランドであるが、ビシュコフの演奏は情感タップリのなかなかのメロドラマを思わせる。とにかく細かい仕掛けも多い演奏であり、随所に揺らしの類いを加え、それがロマンティックさを増している。指揮中のビシュコフも実に表情豊かなのであるが、それが反映された非常に表情が豊かな演奏。この曲はとかくロマンティックと古典の両極端になりがちだが、ビシュコフの演奏はかなりロマン方向。もっともそれでも端正さが失われないのはさすがのチェコフィルである。キビキビ進める部分と、徹底的に甘く謳わせる部分の対比が非常に見事。

 

ラトル指揮のロンドン交響楽団のライブ配信でマイナープログラムを

ロンドン交響楽団は収録映像をライブ配信中

 イギリスは新型コロナの感染の広がりなどで大変な状況になっているようで、ロンドン交響楽団もコンサートを開催できない状況になっているので、1月以前に収録した演奏をライブ配信している模様。公開から一週間は無料で視聴できるとのことなので、これを視聴することにした。

www.marquee.tv

 なおロンドンではさらに状況が悪化しているのか、この収録さえも1月の途中で中断された模様。閉鎖空間にオケの団員が集まって演奏をするという行為そのものが出来なくなっているようである。イギリスが正常化するのはまだまだ遠そうである。

 今回はマイナー曲ばかり。ラトルらしいチョイスと言う気もするが、私としてはいずれも初めて耳にする曲ばかりである。どころかヒナステラとジェラールについては作曲家の名前さえ知らず、ジェラールに至ってはGerhardと記載があったので、ゲルハルドだと思って調べたのだが該当がなく、英語版と日本語版のwikiを付き合わせてようやくジェラールと分かった次第。

 

ロンドン交響楽団ライブ配信(セントルークスでの収録)

サー・サイモン・ラトル指揮

ドヴォルザーク セレナーデ ニ短調
ヒナステラ ヴァリアシオン協奏曲
ジェラール ドン・キホーテからダンス
ドヴォルザーク アメリカ組曲

 最初のドヴォルザークのセレナーデは、やや古典的な響きさえ感じる非常に明快な曲。旋律線がハッキリしているのはメロディメーカーであるドヴォルザークらしいところか。小編成でのロンドン響も実に明快で切れ味の良い演奏をしている。

 二曲目のヒナステラは20世紀のアルゼンチンの作曲家らしい。ちなみにヴァリアシオンというのはスペイン語であり、英語のvariationのことらしい。確かにその名の通り、中心となる楽器がコロコロと変わりながら様々な響きを繰り広げていく。20世紀音楽でありながら、極端に前衛的に尖っている印象ではないので聴きやすい。ロンドン響の演奏もさすがの安定性である。

 三曲目はスペインの作曲家ジェラールのバレエ音楽「ドン・キホーテ」からの抜粋の模様。バレエ音楽であるせいかそう極端な前衛曲ではない。ジェラールはシェーンベルクを尊敬していたとのことであるのだが、その曲自体はシェーンベルクほどの奇々怪々さは感じさせず、むしろ華やかしい非常に馴染みやすい曲である。オケの演奏の安定感は言うまでもない。

 最後はドヴォルザークのマイナー曲。ドヴォルザークらしいメロディラインのハッキリした曲だが、アメリカが題材なためか全体的に軽妙さと浮き立つような明るさを持った曲である。ただそれでも第四曲なんかは一転して哀愁を帯びた旋律がなかなか美しかったりする。これだけの閑散配置で隙のないアンサンブルを展開できるロンドン響は流石と言うべきか。

 やや近代のやや知名度の劣る作曲家の曲をドヴォルザークのマイナー曲で挟んだというラトルらしい近代シフトのプログラム。こうして聞くとドヴォルザークが古典曲に聞こえてくるから不思議。

 

ハーディング指揮のパリ管の「大地の歌」は流石の名演

昨年のライブが無料配信中です

 昨日の大阪フィルのインバルのショスタコの興奮がまだ冷めやらぬ感覚があるが、今日はパリ管のライブ配信の中にハーディングが指揮した昨年の「大地の歌」があったから、それを視聴する。

live.philharmoniedeparis.fr

 正直なところ仕事を終えてからの大阪への車の往復は予想以上に肉体的ダメージがあって、今日の朝は完全にダウンしていた。不思議なのは両足がパンパンに張っていたこと。別に自分の足で歩いて大阪に行ったわけではないのに・・・。まあやはりコロナを警戒して異常に神経を張っていて疲れたというのはあるだろうが。

 昨日の公演でも私の席の周辺がやけに混んでいて、しかも隣があごマスクのおばさんという状態だったので、自ら空いている席に移るなんていうドタバタもあった。それにしてもあれでマスク着用してるつもりなんだろうか?

 

パリ管弦楽団ライブ配信(2020.12.23フィルハーモニードパリ)

ダニエル・ハーディング指揮
アンドリュー・ステイプルズ(テノール)
マティアス・ゲルネ(バリトン)

 

 パリ管弦楽団はそもそも煌びやかな音色を特色としたオケであるが、そのパリ管がハーディングの指揮下に入ると極めて統制の取れた色彩豊かな音色を出す。音色には色気があり、生命感が満ちて躍動感がある。そこに華やかなバリトンのゲルネと力強いテノールのステイプルズが色を添える。

 第一曲など"Dunkel ist das Leben,ist der Tod!"(生は暗く死もまた暗い)がキーワードになった曲なのであるが、あまりにも華麗で煌びやかなのでやや面食らうぐらい。ましてや酒を謳った第五曲などなかなか豪胆である。そして陰鬱の内に息絶えるような終曲までもが、その合間に華麗さを見せる。総じて非常に前向きで生命力の強い「大地の歌」である。無常の中に果てると言うよりは、死ぬまでに豪快に太く短く生きてやろうとでも言うかのような力強さがある。

 正直なところ私はこの曲に対して「陰鬱で冗長」という印象を持っていてあまり好きな曲ではないのだが、この演奏では全く別の曲であるかのように非常に魅力的に感じられた。このような「大地の歌」は果たして正答と言えるのかどうかは賛否があるかもしれないが、とにかく私には非常に魅力的な演奏であった。

 何やらハーディングとパリ管の組み合わせも黄金時代に突入した感を抱かされる。前回の来日時にも極上の演奏を聞かせてくれたが、ハーディングは実に巧みにパリ管の魅力を引き出している。色彩感という点に関しては最強コンビのように感じられる。

 

インバル指揮の大阪フィルの定期演奏会に出向く

最大警戒で大阪に向かうことに

 今日は大フィルはインバルの指揮でショスタコの10番があるとのこと。今シーズンの目玉企画の一つだが(もう一つのデュトワは中止になった)、まあ昨今の外国人入国規制でダメだろうと思っていたのだが、インバルは大阪フィルの前に都響の出演もあったことから、昨年末から既に来日していたらしい。と言うわけで大阪フィルの公演も予定通り行われることになった。

 先週の京都市響はパスしたのだが、さすがにインバル登場となると万難を排しても参加したい。と言うわけで万全の注意を払った上で大阪に向かうことにした。当然のように大阪へは車で向かうのだが、ここでちょっとした落とし穴が。いつも使っている駐車場が時短営業で夜9時までとのことで使えなくなってしまったのである。そこでまずは駐車場をアキッパで確保することから始めないといけなかった。

 

夕食はいつものラーメンを

 大阪に到着したのは公演開始の1時間ちょっと前。とりあえず公演開始までの間に「而今」「煮干し醤油ラーメンの大盛り(1100円)」を夕食に。店内はキープディスタンスでやや閑散としていたのが、途中から客がゾロゾロとやって来た。どうもフェスティバルホールの客が多い模様。

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煮干し醤油ラーメン大盛り

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私の出た後に客がゾロゾロ来た

 

 夕食を終えるとホールへ。到着したのは開場10分後ぐらいだが、この頃はホール内は閑散としていた。しかし開演が近づくにつれて客がゾロゾロと増え、最終的な入りは5割ぐらいと言うところか。このご時世を考えると結構入っている。来るのは若者ばかりかと思っていたが、結構命知らずの高齢者も多い(私も人のことは言えんが)。

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ロビーは結構閑散としている

 

大阪フィルハーモニー交響楽団 第544回定期演奏会

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最初は12編成がスタンバっている

指揮/エリアフ・インバル
曲目/プロコフィエフ:交響曲 第1番「古典交響曲」ニ長調 作品25
   ショスタコーヴィチ:交響曲 第10番 ホ短調 作品93

 

 一曲目のプロコフィエフから結構爆音が炸裂する。大阪フィルは12編成と小編成にしているのだが、その割にはかなりの爆音が出ている。演奏自体はキレッキレのかなり鋭い物。インバルはこの一見古典的に聞こえる曲の現代的な響きに焦点を当て、基本早めのテンポで演奏しながら、ところどころテンポ変動を付けたりなどの細工あり。第3楽章などかなりパロディ的要素があるところなどを描き出していた。

 二曲目はショスタコの大曲なのだが、16編成に拡大した大阪フィルは先ほどに輪をかけての大爆音演奏でサウンドスペクタクルを展開する。しかしそこから一転してのピアニッシモの表現など、いつもに増して非常にダイナミックレンジの広い演奏を繰り広げている。基本的に先ほどのプロコと同様にキレッキレの相当にシャープな演奏となっている。

 また冒頭から低弦がズシンと決めてきたりというように、爆音になっても浮ついた感じがなく地に足がついた感覚がある。おかげで、この決して私にとっては好きであるとは言い難いこの曲でも、最後まで面白く聞くことが出来たのである。この辺りはさすがにインバルである。オケのドライブの仕方が堂に入っている。オケメンもかなりノッていた様子であり、コンマスの崔氏がいつにも増して動作が大きかったのが目についた。

 なかなかの名演に場内は大盛り上がりになり、最後には立ち上がって拍手する者も数人見られた。大阪フィルの定期演奏会では珍しい光景である。インバルも満足のいく演奏だったのか、にこやかに手を振っていたのが印象的。

 

ヤルヴィ指揮のパリ管で幻想交響曲を聴く

 先日パリ管のHPでマティアフ指揮のR.シュトラウスを聞いたが、本日には早速昨日録音されたヤルヴィによる幻想交響曲がアップされているようなのでそれを視聴する。

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パリ管ライブ配信((2021.1.27 フィラルモニ・ド・パリ)

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
ピアノ:ベアトリーチェ・ラナ

チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番
ベルリオーズ 幻想交響曲

 ラナのピアノはゴージャスと言うべきだろうか。テクニックを正面に出すタイプと言うよりも派手な演奏。曲調とバックのパリ管のカラーも相まって豪華絢爛な印象の演奏である。かなり好きに弾いているというように聞こえるのであるが、ところどころ指がつかえたかのような妙な溜が出るのが耳障りな時もある。よく聞くと音を弾き飛ばしていたりなど結構雑な印象も受ける。第三楽章などは、後でパーヴォは結構ゆったり構えているのに、ピアノが一人突っ走っている印象がある。

 幻想交響曲については冒頭からややゆっくり目のテンポでの端正な演奏。ただしあまりにクールすぎて、この曲につきまとう狂気のようなものは垣間見えない。続く第二、三楽章もゆっくり目で美しく奏でる。しかしただ単に美しいだけの音楽にも聞こえる。第四楽章は有名な断頭台への行進曲であるが、これも特に屈託のない堂々とした行進曲になっている。そして奇々怪々の最終楽章。冒頭からゆっくりとドッシリ構えた演奏ではあるのだが、そこにおどろおどろしさは全く感じられない。最後の悪霊達の乱痴気騒ぎさえも、統制の取れた大宴会という印象。

 総じて言えるのは妙に「健康的な」幻想交響曲であるということ。パーヴォの解釈は極めてあっさりとしている。この曲は阿片中毒患者の妄想という一種の標題性を持った音楽であり、当然のようにそこには狂気を孕んでいるのであるが、そういう要素をスッパリと切り捨ててまるで絶対音楽であるかのように演奏したという印象であろうか。確かにそこには美しくて明快な音楽が存在するのではあるが、果たしてそれが本当に幻想交響曲であるかと言えばいささか疑問がある。

 クールでクレバーというのがパーヴォの演奏の一つの特徴ではあるが、あまりに冷静すぎるという印象を受けて違和感が強かった。この曲は悪趣味寸前のグロテスクさが出ても良いと思うのだが。

 

フランスの新鋭・アリアン・マティアフでパリ管のフォーレとR.シュトラウス

今度はパリ管のライブ配信を

 この週末から世界の各オケのHPの巡り歩きをしている私であるが、今日はパリ管のHPでのライブ配信を見つけた。指揮は新鋭の女流指揮者アリアン・マティアフ。私は初めて聞く名前なのだが、Wikipedia英語版によるとオペラ歌手の娘でピアニスト及び声楽指揮者としてキャリアを積んだ人物らしい。シュターツカペレ・ハレの音楽監督をしたこともあるらしい。

live.philharmoniedeparis.fr

 なおページはフランス語であるが、例によってGoogle Chroamの翻訳機能のおかげでどうにかこうにか記述の意味は取れる。とは言うものの、まだフランス語の翻訳は英語の翻訳に比べると各段にレベルが低いようである。まともな日本語になっておらず、何を言いたいのか意味不明の文章も多々(当然のように原語を見てもフランス語を習ったことがない私が分かるわけもないし)。とりあえずHPの記述を汲み取るぐらいには使えるが、もう少し精度を上げてもらわないと文章を本格的に読むのはツラそう。

 

パリ管ライブ配信(2021.1.13 フィラルモニ・ド・パリ)

指揮:アリアン・マティアフ

フォーレ 「ペレアスとメリザンド」
R.シュトラウス 交響的幻想曲「イタリアから」

 一曲目はフォーレの美しくも輝かしい曲。当然のようにパリ管の音色は煌びやかではあるが、マティアフの指揮は必要以上には色彩を強調しない比較的抑えめのものに感じられる。その代わりに謳わせる部分は非常に美しく謳わせる。

 二曲目は若きR.シュトラウスがイタリア旅行した際のスケッチから作曲したものだという。そのためか曲全体に明るい空気と若々しさが満ちている。後のもう少しひねた交響詩群とは違って比較的素直な曲である。一応標題はついているようだが、特に風景などを描写した音楽というわけではなさそうである。

 マティアフはこの曲をその若々しさのままに躍動的に表現したようである。放っておいても煌びやかで華やかな音色の出るパリ管だけに、必要以上の虚飾は付けていない印象。それでも出てくる音楽は実に色彩的である。

 全く聞いたことのない曲に初めての指揮者ということで、このコンサートだけでは彼女の真価は計りようもないが、比較的手堅い指揮をするという印象を今回は受けた。

 

チョン・ミョンフン指揮のロイヤルコンセルトヘボウのライブ

世界の一流オケのHPを一回りして見ました

 さすがに世界の主要オケの中にはライブ配信に対応しているところは少なくないようである。中にはニューヨークフィルのようにcoming soonのところもあるが、大抵のところは何らかのライブ配信を始めており、しっかりと有料化に踏み切っているところも少なくない。

www.concertgebouworkest.nl

 そんな中でロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団のサイトで無料配信されているチョン・ミョンフン指揮の無観客コンサートの模様があったのでそれを視聴。なおサーバが貧弱なのか通信回線に問題があるのか、途中で凍ったりすることもあったし、映像のレベルも今ひとつなのが残念なところ。さすがにこの辺りはベルリンフィルデジタルコンサートホールなんかはしっかりしているんだが(そりゃ有料放送でこれだったら「金返せ」ものだから)。

 

ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団ライブ配信(2021.1.8)

チョン・ミョンフン指揮
リヴィウ・プルナル(ヴァイオリン)

シベリウス ヴァイオリン協奏曲
ブラームス 交響曲第4番

 ヴァイオリン協奏曲に関してはコンサートマスターであるプルナルの演奏も、指揮のチョン・ミョンフンも共に適度に抑制のかかった感情に溺れすぎない演奏。かといって無機質な演奏というわけではない。旋律の美しさがかなり正面に出ている。元々この曲は大仰にドラマを訴えるものではないので、非常に適度な情緒という印象。

 さてブラームスの交響曲である。この曲は冒頭からかなりメロドラマチックな旋律が繰り広げられるので、これがゲルギー辺りならさぞかし壮大なメロドラマ演出をするだろうななどと想像するところであるが、チョン・ミョンフンの場合はもっと淡々というか、メランコリックな感情よりもアンサンブルの美しさを正面に出してくる演奏。そしてそういう辺りになるとさすがにコンセルトヘボウの弦楽陣は実に分厚い。単純に目先の感情を表面に出すというよりも、もっと大きなスケールでのドラマを組み立てるという演奏である。溺れてはいないのにドラマチックというのはチョン・ミョンフンならではのバランス。オケの技倆によっては一つ間違えたら単なる眠い演奏になる危険もあるが、その辺りは「任せて安心コンセルトヘボウ」でもある。下手に煽らずともパシッとまとまった演奏をするのはオケの技倆。

 チョン・ミョンフンらしいというか、王道中の王道のような印象も受ける演奏である。ドラマで喩えると小手先での泣かせや意表を突くなどいう演出に溺れずに、淡々と描くべきものを描きながら終わってみると感動的なドラマになっているというところ。

 

PCオーディオシステムの調子も上がってきたようで

 今日は計画していたコンサートに出かけられなかった腹いせ(笑)もあり、部屋でライブ配信を堪能ということになったが、昨日からPC用スピーカーを全開でバンバン鳴らしていたせいもあって、ここのところの寒さで半分凍りかけてやや音に硬さが出ていたスピーカー(PC作業中はほとんど音を出していないので)もエージング及びウォームアップが出来たのか、段々とこなれた良い音が出るようになってきた。やっぱりスピーカーは定期的に鳴らしておく必要があると、今更オーディオの基本を痛感。

www.ksagi.work

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 ちなみに私が導入したPC用小型スピーカーとFostexのサブウーファーシステム、廉価で導入したシステムであるのだが、調子が載ってきたら意外にスケール感のあるよい音を出す。

   

スピーカーはこの廉価なものである

   

ちなみにサブウーファーはこの小型のもの

   

なおアンプだけはピュアオーディオ用のそこそこのものを使用