徒然草枕

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白鷺館アニメ棟

山形響大阪公演中止のお知らせ&ベルリンフィルでスークの交響曲を

山形交響楽団大阪公演も中止です

 今日になって6/22の山形交響楽団の大阪公演が中止と払い戻しを連絡するの案内葉書が到着した。政府は検査数を絞って無理矢理にコロナの終息宣言に持っていこうとしているのが明らかであるが、それに反して現実の状況は混沌としている。何しろ日本ではコロナの感染者数は非常に少ないことになっているのに対し、謎の肺炎死が例年の数倍に増加しているとか。これらの患者はすべて検査していると安倍は口から出任せを言っていたが、それがあからさまな嘘であることはすでにばれている(にも関わらず、この嘘を何度も繰り返しているようだ)。

www.symphonyhall.jp

 こういう状況ではコンサート再開もままならないだろう。またソーシャルディスタンスを守れなんて言われたら、ホール内はガラガラで採算は全く合わないことは確実。かといって入場料を5倍、10倍にしたら、ほとんどの客は(私を含め)チケットを買うことも不可能になる。結局は完全に回復するのにはかなりかかりそう。と言うか、下手すると永久に元のようには戻らない危険もある。

 さて先行きの不安に対するストレスで押しつぶされそうになるところだが、そこは気分転換でベルリンフィルデジタルコンサートホールを楽しむことにする。今回聞くのは比較的最近の演奏で、ペトレンコとバレンボイムの組み合わせである。

 

ベルリンフィルハーモニー管弦楽団(2020.1.11)

指揮:キリル・ペトレンコ
ピアノ:ダニエル・バレンボイム

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番ハ短調
スーク 交響曲第2番ハ短調《アスラエル》

 ベテランピアニスト・バレンボイムによるベートーヴェンのピアノ協奏曲は、彼らしく大らかで豪放とも言えるような演奏。正直なところテクニック的には所々つかえて聞こえるような箇所もないではないが、そういう細かい技術的な問題を越えた「味」と言うべきものが現れている。バレンボイムの演奏はそもそもカッチリと精緻にと言うタイプではないが、晩年になってそれがさらに進化したかという印象。これに対してバックのペトレンコは極めて明快な伴奏で巨匠を盛り立てている。

 巨匠の名演に場内は総立ち状態で大盛り上がり。バレンボイムは何度も出たり入ったりした挙げ句に、最後はコンマスを引き連れて楽団員と退場したのだが、その後に再び楽団員勢揃いの前でシューベルトの即興曲第2番変イ長調を演奏しているということは、もしかして収まりがつかなくなってもう一度引っ張り出されたんだろうか? あの場内の盛り上がりだったらあり得る話である。この演奏もテクニック云々という細かい次元を越えた味のある演奏である。後の楽団員が恍惚とした表情で聞き入っているのが印象的。

 後半は日本では決して知名度が高いとは言い難い、チェコのヨゼフ・スークの交響曲。むしろ孫で同名の名ヴァイオリニストの方が日本では知名度が高いかもしれない。この曲は彼が敬愛するドヴォルザークの死に衝撃を受け、彼に捧げるために書いた交響曲であるという。そのためか第一楽章などは非常に沈痛なほどに重苦しい。彼の作品はブラームスとドヴォルザークの影響が見られるとのことだが、そもそもドヴォルザーク自身が濃厚にブラームスの影響を受けているので、要はドヴォルザークの影響と考えて良いだろう。もっとも一流のメロディメーカーであり、常にメロディラインを前面に出していたドヴォルザークとは時代の違いもあってか、スークの曲はもっと複雑な構造になっている。

 息絶えるかのように終わった第一楽章に続く第二楽章は静かを通り越して不気味にも聞こえるような曲。第三楽章はスケルッツオだが、重苦しく悲しげな曲で始まる。それが中盤には急に雰囲気が変わって楽園的な音楽が現れるのだが、それをかき消すように怒濤の第一楽章の主題が戻ってきてこの楽章を終える。第四楽章は静かな音楽で、怒濤のように始まる第五楽章はところどころ第一楽章と通じる雰囲気や共通の主題を持ちつつ、徐々に静かで穏やかな世界へと到達していく。そして最後には天界が垣間見えてついに昇天かというところ。

 この難解な曲に対してペトレンコの表現はかなり明快。またこの曲はピアニッシモが非常に多いところから、そういう弱音部分での微妙な表現にかなり意識を割いているように感じられる。この手の曲は緊張感が切れてしまったらそこで終わってしまうのであるが、最後の瞬間までそれを保ち続けたのは流石というところか。

 

ロンドン交響楽団のライブ配信でベテランピアニストのウルトラセブン

ロンドン交響楽団ライブ配信(2014.1.21収録)

指揮:サー・ジョン・エリオット・ガーディナー
ピアノ:マリア・ジョアン・ピレシュ

メンデルスゾーン 「フィンガルの洞窟」
シューマン ピアノ協奏曲
メンデルスゾーン 交響曲第3番

 ロンドン交響楽団の今回の配信は2014年とやや古めの収録。指揮はジョン・エリオット・ガーディナーでピアニストはマリア・ジョアン・ピレシュとベテランコンビである。曲はメンデルスゾーンと「ウルトラセブン」ことシューマンのピアノ協奏曲。

 まずジョン・エリオット・ガーディナーによるフィンガルはかなり癖のある演奏である。テンポ設定やバランス設定などが普段聞き慣れているこの曲とやや異なる。テンポ変動などはかなり激しく、強弱のニュアンスなども強調気味であるが、弦楽がところどころノンビブラートを多用するためかその響きはロマンティックと言うよりはむしろ古典的に聞こえる。

 マリア・ジョアン・ピレシュは2017年に現役引退したとのことであるので、かなり最晩年に近い録音になる。冒頭からとにかくロマンティックというか情感タップリである。ただタッチはやや弱めで、所々運指に引っかかったように感じられる部分があるのは否定できないところ。ただそういうテクニック的な面を越えて、ベテランピアニストならでは味わいがあるのは間違いない。そのロマンティックさで有名なこの曲(私の世代なら、この曲の冒頭を聞いただけでキラキラをバックにしたアンヌの姿が浮かぶ)を自在のテンポで弾く内容はかなりのメロメロドラマである。それに比べるとむしろ後半の方は淡々として聞こえるか。

 最後のスコッチはなぜか弦楽陣が全員起立しての演奏(ホールが狭いという以外の何か理由があるのかは不明)。ノンビブの淡泊な音色に強弱変化及びテンポ変動も多いかなりロマンティックな演奏。だから古典派の影響を引きながらロマン派につながっていっているメンデルスゾーンの「古くて新しい」というところを表現したような興味深い演奏である。古典的な端正な雰囲気は保ちつつも、その中身はかなり劇的で激しい。かなりドラマティックな第一楽章の次は快速なテンポで駆け抜ける第二楽章。そして謳わせる第三楽章だが、ここではビブラートも使用しているようである。そしてアタッカで最終楽章へ。最終楽章はややアップテンポ気味で比較的あっさり風味・・・と思っていたら、最終盤で唐突にかなりコッテリとした味付け。とにかく変化が激しく、古典派とロマン派が入り乱れるような目まぐるしい演奏である。またビブラートとノンビブラートを表情付けに細かく使い分けているようにも感じられ、それがさらにダイナミックな変化につながっていた。ところどころに矛盾を孕んでいるようにさえ感じられ、ある意味ではそれがメンデルスゾーンそのものなのかもしれないなどと思わせられたりする。

 

ロンドン交響楽団のライブ配信で、ユジャ・ワンとティルソン・トーマスの演奏を

 5/7に配信されたユジャ・ワンをソリストに迎え、マイケル・ティルソントーマス指揮によるコンサートをYouTubeで視聴。

ロンドン交響楽団コンサート

指揮:マイケル・ティルソン・トーマス
ピアノ:ユジャ・ワン
ロンドン交響楽団

コリン・マシューズ 隠し変数
ガーシュウィン ピアノ協奏曲
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番

 コリン・マシューズは現代音楽家であり、ロンドン交響楽団の提携作曲家も務めていたという。だからロンドン交響楽団は彼の作品に通じており、ティルソン・トーマスも彼の曲を初演したことがあるらしい。そういう経緯があるからか、よく分からない音楽ながらも「気心知れた」という感があって、演奏に安定感があるのが感じられる。

 ガーシュウィンのピアノ協奏曲は、かなり伝統的な形式に則った曲という印象を受ける。ただクラシックの範疇にはあるものの、映画音楽的にジャズ的にも聞こえ、官能的な部分もある音楽である。それに対してユジャ・ワンの演奏であるが、例によってかなり技術が前面に出るところのある演奏。相変わらず本人の外観に反して演奏自体はやや色気に欠けるところがある。しかしバックのティルソン・トーマスがその学者的風貌に反してかなり色気のある演奏をしている。ロンドン交響楽団の弦などがしっとりと魅惑的に演奏し、トータルとしては非常にバランスの取れた名演となった。

 さてショスタコーヴィチだが、冒頭からやけに軽く始まるのには拍子抜けた。終始一貫言えるのは優美とさえ感じるような雰囲気。ショスタコのこの曲は冒頭から叩きつけるような悲しさ一杯の演奏をする者も多いのであるが、ティルソン・トーマスの演奏にはそのような影は微塵も感じられず、終始明るいといっても良いような普通に叙情的な演奏である。ゆったりとしたテンポでゆったりと謳わせるのは全体を通じての話であり、最終楽章もやけくそのような空騒ぎでも、華々しい勝利のファンファーレでもなく、普通に美しい音楽で一貫している。とにかく最後まで全く影が差さない。

 これもありなのかもしれないが、私としては冒頭の「拍子抜け」という感覚を最後まで引きずってしまったというのが本音。果たしてこれがショスタコなのかと言った時には、少々疑問は残る。

 

ロレンツォ・ヴィオッティ/ベルリンフィルでマーラーの交響曲第3番を聴く

 さて長いお籠もりGWも終わり、明日からまた仕事復帰(本業の方)である。とは言っても、緊急事態宣言が今月末まで延長された以上、私の職場も恐らく今月一杯は半休業状態を余儀なくされるだろう。

 とは言いつつも、すべて在宅勤務で終わらせられるわけでもなく、明日はとにかく職場に顔を出す必要がある。正直なところここのところのお籠もりで完全にニートスキルが開花してしまっており、果たして社会人に真っ当に復帰できるかがやや怪しげなところである。

 などと今後のことを懸念しつつ、GW最終日はまたベルリンフィルデジタルコンサートホールを楽しむことにする。今回はマーラーの交響曲第3番。本来はヤニック・ネゼ=セガン指揮の予定だったらしいが、キャンセルとのことで急遽の代演は新鋭ロレンツォ・ヴィオッティである。

 

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(2020.2.29)

ロレンツォ・ヴィオッティ
エリナ・ガランチャ(メゾソプラノ)
ベルリン放送合唱団女声団員
ベルリン国立大聖堂児童合唱団

マーラー 交響曲第3番ニ短調

ヴィオッティの指揮は昨年に東京交響楽団で聴いたことがあるが、その時の印象は若手らしく非常にロマンティックな演奏をするが、軽率にはならず将来の巨匠の雰囲気を感じるというものであった。

 本演奏でも若さに任せて突っ走ると言うことはせず、ドッシリと構えてゆったりとしたテンポで美しいアンサンブルを聴かせるという演奏となっている。マーラーが抱えている葛藤を正面に出すよりも、後期の交響曲で顕著になってくる天国的イメージを前面に出した印象の演奏である。徹底的に美しく荘厳さも感じさせる音楽となっている。

 このタイプの演奏は一つ間違うと退屈なものになる危険もはらんでいるのだが、そうならないのは流石にベルリンフィルの技術。またメゾソプラノと合唱が加わるとより音楽が妙味を増すのは、ヴィオッティが若いながらもオペラのキャリアを経験していることも関係あるのか。

 とにかく終わってみると「美しいマーラーだったな」という印象が残る演奏であった。マーラーの初期交響曲でこういう境地を感じたことはあまりない経験。

 

ロンドン交響楽団のライブ配信でラトルの幻想交響曲を聴く

 ロンドン交響楽団のHPで毎週木曜日と日曜日にかつての公演のアーカイブを順次放送しているようである。送信にはYouTubeを使用。そのためかベルリンフィルデジタルコンサートホールなどよりは画質・音質共に落ちる。なお放送開始は大抵現地時間の午後7時とかなので、日本時間だと夜中の3時とかになってしまう。ただ生で聴かなくても翌日などでも聴けるようである。ただし次の配信までには配信中止にされてしまうようだ。

lso.co.uk

 昨日にラトル指揮でジョン・アダムズのハルモニレーレとベルリオーズの幻想交響曲の演奏のライブ配信があったようなのでそれを聴いた。

 

ラトル指揮ロンドン交響楽団(2019.5)

ジョン・アダムズ ハルモニレーレ
ベルリオーズ 幻想交響曲

 ハルモニレーレについては現代曲でありながら、非常に聴きやすくて馴染みやすい曲。旋律を繰り返しながら盛り上げたりなどといった仕掛けになっており、ロンドン交響楽団の演奏もピリッと引き締まっていてなかなか。

 ベルリオーズの幻想交響曲であるが、ラトルの指揮は大人しいというか、どことなく中庸的な印象を受ける。第一楽章などはやや抑制的でカッチリとした演奏。ところどころでは古典的な曲に聞こえるような響きさえある。この曲に関してはいきなり若者の迷走のようなものをそのまま表現するような演奏も多いが、ラトルの演奏はかなり理性的な印象を受ける。同様に第二楽章でも完全には踊ってしまっていない。さらに第三楽章についてもあまり闇の部分は感じられずに、普通に叙情的な音楽という印象。第四楽章も狂乱的なものは全くなく、最終楽章にしてもおどろおどろしさは皆無でどちらか言えば端正な演奏である。全体的に下品なハッタリを廃して、お上品にまとめたというように聞こえる。

 アプローチとしてはこういうアプローチもありなのかもしれないが、幻想交響曲と言えばクラシック界のホラーやスプラッターのように感じている私としては、いささか食い足りない感を抱かずにはいられないものであった。

 

ペトレンコ、ベルリンフィル首席指揮者就任演奏会の第9をネット配信で聴く

ベルリンフィルのヨーロッパコンサートが5/1 18:00より無料中継

 コロナの影響で中止されるだろうと思われていたベルリンフィルのヨーロッパコンサートが、ベルリンフィルハーモニーでのペトレンコ指揮の無観客ライブとして公開されることになったとのことである。この模様はベルリンフィルデジタルコンサートホールで5/1の日本時間18:00(現地時間11:00)より生中継されるとのこと。無料放送とのことなので、ベルリンフィルデジタルコンサートホール非加入の方でも視聴は可能と思われる。ベルリンフィルデジタルコンサートホールは私は先日に加入したが、音質・画質共に良好であるのでお勧めである。

www.digitalconcerthall.com

 

 安全のために演奏は室内オーケストラ規模で行うとのことで、曲目はマーラーの交響曲第4番(室内オーケストラ版)とのこと。活動停止状態になっていたベルリンフィルもいろいろ手を打ちながら活動再開を図っていることが覗われ、これはドイツ自体が現在経済活動再開を模索しているのと呼応している。うまく行けば予想よりも早くドイツのオケは活動再開につながるかもしれないが、問題は日本の方がさっぱりの状況。恐らく今の日本の状態では、ドイツのオケを招聘したところであちらの渡航許可が出ないだろう。特に日本政府の出すデータが検査数が少なすぎて実態を反映していないと、国際的に全く信頼されていないことが致命的。

 さて今回は生中継に向けてペトレンコの予習というわけではないが、2019.8.23のペトレンコの首席指揮者就任演奏会のベートーヴェンの交響曲第9番を視聴。

 

ベルリンフィル・ペトレンコ首席指揮者就任演奏会(2019.8.23)

指揮:キリル・ペトレンコ

マルリス・ペーターゼン(ソプラノ), エリーザベト・クルマン(アルト), ベンヤミン・ブルンス(テノール), ユン・クヮンチュル(バス), ベルリン放送合唱団, ギース・レーンナールス(合唱指揮)

ベルク《ルル》組曲
ベートーヴェン交響曲第9番ニ短調《合唱付き》

 前半のベルクについては、正直なところ私にはよく分からない曲。ペトレンコとベルリンフィルの組み合わせらしいキレの良さは感じるが、残念ながらそれ以上のことはよく分からない。私にはどうしても単に奇々怪々な曲に聞こえてしまうのが本音。

 メインの第9であるが、これについてはペトレンコがキレッキレというか、いきなりかなりの快速テンポで突っ走る。弛緩しないというメリットはあるがいささかせわしない感がある。前進力ばかりが強くて、表現自体はやや素っ気なくサラッと流した印象を受ける。私的には特に第1楽章はもっとネチっこくやった方が好みではある。まあ第1~3楽章は第4楽章の前座と思っている者にはこの方が良いかもしれないが。

 ソロ歌手達を迎えての後半の第3楽章はやや落ち着いてゆったりと謳わせてくるが、それでもいささかテンポは速めか。そのまま最終楽章に突入しても快速テンポは変わらず。冒頭からやや速めのテンポで歯切れ良く進む。合唱参加後もよくある年末第九のようにガンガン行くわけではなく、適度に抑制をかけた引き締まった演奏。仕掛けもなかなか多い。やはりこの辺りは素人合唱団でなくてプロを起用している強みもあるか。非常に端正な印象であり、宗教曲のように思わせる荘厳さがある。

 演奏時間はトータル1時間ちょっとという、かっ飛び第9だった。やや小編成気味のオケと合唱といい、シンプルで誇張を廃したという印象のアプローチである。好き嫌いはあるところではあるが、これもアプローチの一つなのだろう。

 

新国立劇場の「巣ごもりシアター」で「エウゲニ・オネーギン」を見る

 GWと言っても完全にお籠もりを強いられて何かかにかと不自由と退屈を持て余している今日この頃であるが、今日は新国立劇場が「巣ごもりシアター」として公開しているチャイコフスキーのオペラ「エウゲニ・オネーギン」を見ることにした。

www.nntt.jac.go.jp

 

チャイコフスキー「エウゲニ・オネーギン」

指揮:アンドリー・ユルケヴィチ
演出:ドミトリー・ベルトマン

(タチヤーナ)エフゲニア・ムラーヴェワ (オネーギン)ワシリー・ラデューク (レンスキー)パーヴェル・コルガーティン (オリガ)鳥木弥生 (グレーミン公爵)アレクセイ・ティホミーロフ (ラーリナ)森山京子 (フィリッピエヴナ)竹本節子 (ザレツキー)成田博之 (トリケ)升島唯博 (隊長)細岡雅哉 ほか

合唱指揮:三澤洋史
合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

 プーシキン原作のチャイコフスキーによるオペラ。一流のメロディメーカーであるチャイコフスキーらしくあちこちに魅力的なメロディが散りばめてある。もっとも「スペードの女王」ほどの劇的内容ではないので、やや平板な印象を受ける作品でもある。

 内容は、タチアーナの愛の告白を「所詮は田舎娘」と手ひどく振った遊び人のオネーギンが、後に再会したタチアーナが公爵夫人として社交界に存在し、見違えるように美しくなっているのに心奪われて迫るものの、「私は既に夫がいる」と拒絶されるという限りなく自業自得としか言えないような物語である。

 限りなく自業自得のオネーギンを演じたのがワシリー・ラデューク。いささか堂々としすぎた遊び人である。タチアーナのエフゲニア・ムラーヴェワは心の揺れを無難に表現していた印象。ワンポイント的な存在にもかかわらずグレーミン公爵のアレクセイ・ティホミーロフがなかなかの存在感であった。

 全体的にストーリーも地味目だが、演出も演奏もやや地味目という印象を受けた。

 

広響の2015「平和の夕べ」コンサートでのアルゲリッチの演奏を聴く

 2015年広響の「平和の夕べ」コンサートのアルゲリッチによるベートーヴェンピアノ協奏曲第1番の演奏が、テレビマンユニオンチャンネルで無料公開されているのでそれを視聴した。

tvuch.com

 

2015広響「平和の夕べ」コンサート

ピアノ:マルタ・アルゲリッチ
指揮:秋山和慶
広島交響楽団

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番
シューマン:幻想小曲集より 夢のもつれ

  アルゲリッチと言えば「上手いけど非常にアクの強い演奏」で知られるが、その一端はこのコンサートでも発揮されている。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番という彼の曲にしてはアクの少ない曲が、アルゲリッチの手にかかれば後期の曲のようにアクが強いものになる。

 それでもオケとの絡みの多い第1楽章などはやや抑制気味に無難に演奏している印象。それがピアノがリードすることが多い第2楽章になると、溜やら揺らしなどの微妙な表現が多用される。まさにアルゲリッチ節というもの。もっともそれは単に悪趣味でそういう演奏をしてるわけでなく、曲が突然に深味を増すからそれはさすが。

 そして第3楽章は快速テンポで軽々と弾きこなす。ピアノソロパートでは揺らしもふんだんに入れるが、オケとのパートでは比較的無難な演奏。恐らくアルゲリッチの方も広響の技倆を計算に入れた上で演奏しているのは感じる。あまり極端な揺らしなどをすると、ベテラン秋山はともかくとして、オケとしてはアンサンブルが破綻する危険性があることは考慮の上なんだろう。

 さすがに最早大御所のアルゲリッチ。表現力の奥行きはかなり深いようである。テクニックの方も指のつかえのようなものは感じられないし、堂々たるものと言うべきだろう。そのアルゲリッチの胸を借りる形の広響もなかなかの熱演。

 アンコールはシューマンの幻想小曲集より「夢のもつれ」とのことだが、これがまさに変化自在のアルゲリッチ節。自在の変拍子でサラッと弾き流してしまう。やはり一筋縄ではいかない大御所である。

 

 「平和の夕べ」コンサートは今年も計画されていたが、このコロナの影響で開催が出来るかどうかが極めて怪しいところ。予定通り8月に開催されたとしてもアルゲリッチの来日が可能かどうかが極めて怪しい。広響の方もチケットの発売を当初予定よりも大幅に後送りにして様子を見極めているところのようである。アルゲリッチの来日が不可となれば、チケットの売れ行き事態にも大きく影響が必至なので、判断が難しいところだろう。

 

Sound Blaster Audigy Fx PCI-e SB-AGY-FXを試してみる

サウンドカードを新規導入

 Amazonに注文していたCreativeのハイレゾ対応カードのSound Blaster Audigy Fx PCI-e SB-AGY-FXがやっと到着、早速装着してテストしてみることにした。

  

 私のHPのワークステーションの蓋を開けるのは久しぶりだが、開けると中がとんでもないホコリまみれだったので、この際に掃除も併せて実行。ホコリを除いた後に開いていたベイにボードを取り付ける。ワークステーションは作業性が良くなっており、ドライバーがなくてもボードの取り付けが容易に出来るようになっている。

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ロープロファイル用の取り付け金具も付属

 

音量だけでなく音質が向上

 再起動後には問題なく音が出た。まずビックリしたのは以前のオンボードサウンドのラインアウトと比較して音量レベルが全く違うこと。爆音で起動音が出たので、危うくスピーカーをぶっ飛ばすところであった。今まで3時の位置まで上げていたアンプのメインボリュームが10時の位置ぐらいで十分という出力の差。しかもこれでもサウンドの設定を見るとVOLUMEは80%設定になっている。出力が桁違いである。

 とりあえず前回同様にベルリンフィルデジタルコンサートホールに接続、ペトレンコによるマーラーの交響曲第6番でチェックする。感じるのは音の透明感が上がったこと。恐らくノイズレベルがかなり下がったのだと思われる。また低域に向かってレンジが伸びた印象であり、前日よりもサブウーハーが快調に活躍している。もっともこのサブウーハー、ほとんど低域端設定なので、単独で鳴らした時に出るのはティンパニの低音ぐらいで、後はほとんど音が出ていないに等しい状況。しかしこれでも全体の音がグッと締まるのだから見事である。狙い通りの働きをしていると言って良い。

 

しかしユーティリティインストールでトラブル発生

 ただトラブルは後から来た。付属していたユーティリティディスクをインストールした途端、なぜか音が全く出なくなるというトラブルが発生。設定をあちこち見たものの原因は不明。結局はインストールしたユーティリティをアンインストールすることで解決というオチ。

 しかしこの状態だと、一応音は出ているのだが機能拡張が出来ず、今後サラウンドでもしようとすると困る(多分しないが)。そこでネットで調べたところすぐに原因は判明。付属のユーティリティーのバージョンが古いためにドライバがWindows10に対応していないようだ。とりあえずCreativeの製品ページから最新のユーティリティーをダウンロードすることで解決した。とんだトラップである。

jp.creative.com

追記:その後、Windows10のアップデートに伴って音声がおかしくなるというトラブルが発生し、再びてんやわんやすることになりました。その顛末と解決編はこちらです。

www.ksagi.work

 

PC用サウンドにFOSTEX アクティブ・サブウーハー PM-SUBmini2を導入、小型ウーハーの効果を確認する

お籠もりの中PCサウンドシステムを一新

 お籠もりのストレスフルな生活が続く中、私はライブ禁断症を誤魔化すためにPCでのベルリンフィルデジタルコンサートホールを楽しんでいる状況だが、そもそも私のPCは仕事用(ただし本業の仕事ではない)に組んだ事務用ワークステーションなので、サウンドシステムの方は全く考慮しておらず、音は「出るだけ」という状況だった。さすがにこれではあまりにお粗末すぎて音楽を聴けるものではないと、先日メインのスピーカーをFostexのものに更新した。

   

 結構素直な特性で、一応ハイレゾ対応を謳っているだけあって高域の伸びはまずまずあるようで(スピーカーの特性以前に高域は私の耳自体がかなり腐っているが)、そちらの方は満足していたのであるが、やはりサイズからくる限界というものもあり、特に低域がスパッと切れてしまっているのは明らか。ベースやティンパニなどの腹にズシッとくる感覚がどうしても皆無。そこで物欲解放でAmazonでFostexのサブウーファーをポチッと購入することにした。

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私の現在のPC音響システム

 なおこういう時に問題になる予算については、今月度はこの3ヶ月分ぐらいのコンサートチケットの払い戻しを一挙に受けている状態(外来オケを複数含んでいるので意外に大きな金額)で、例年のこの月にはあり得ないぐらいの健全財政状態になっていることから、それらを購入資金に充てることにした。いわば過去の貯金を放出したようなものだ。

 

Fostexの小型サブウーハーを導入

 購入したのはFOSTEX アクティブ・サブウーハー PM-SUBmini2。一般的なサブウーファーは30センチ角ぐらいのサイズと10キロ程度の重量があるのに対して、このサブウーファーは20センチ角程度の小型で重量も軽めであることが決め手。そもそもPCシステムなので部屋に響き渡るような重低音は端から求めていない。要求するのは今のシステムの低域をもう少し補う程度。さらに設置スペースとしてはディスプレイの裏側を想定しているので、そこに置けるのは20センチ角が限界というのが最も大きな選択基準である。また1万円台という価格も私の予算内。

   

 ちなみにこの際にアンプも以前の間に合わせから、そもそも過去にメインシステム(これが実は現状ではほぼ稼働させていないのだが)のために導入したアンプDENONのPMA-390REに切り替えることにした。あの簡易アンプも価格を考えると十二分なCPで気に入っていたのだが、残念ながらFostexのP802-Sはやや低能率であるために、ガンガン鳴らすには少々パワー不足気味であったためである。

   

 

接続及び調整は簡単

 接続についてはPMA-390REにはプリアウトがあるためにここと裏側のINPUTをRCAケーブルで直接に接続することになる。なおプリアウトがないアンプを使用する場合には、ソース(今の場合はPCのラインアウト)からの入力をここに接続し、となりのTHRU端子からRCAケーブルでアンプに接続する形になる。プリアウトを使用するメリットは、ソース切り替えが出来ることとマスターボリュームですべて調整できること、さらにこの接続だとPCの音声だけでなくCDプレイヤーからの再生もサブウーファーを使用することが出来る。

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PM-SUBmini2の背面端子

 なおサブウーファー側での調整はFREQUENCYとVOLUMEがある。FREQUENCYはいわゆるクロスオーバー周波数のことで、これを上げるほどサブウーファーの音に中高音域が含まれることになる。メインスピーカーの低域能力が低ければ低いほどここを上げることになるが、あまり上げすぎると中高音域がにごったり定位が悪くなることになる。VOLUMEの方はそのものズバリの音量。これを音を聞きながら調整することになる。なお私の場合は、メインスピーカーをオフにしてサブウーファーの音だけを聞きながら調整した。結果としてはFREQUENCYはかなり絞った状態、VOLUMEはやや上げた状態でバランスを取ることにした(低域末端強調型)。なおソースやシステムによってはスピーカーの位相が反転してサブウーファーを入れた時に低域が打ち消し合ってしまうという現象が稀に起こるので、そのような現象が発生した時にはPHASEのトグルスイッチをONにして位相を反転させる操作が必要だが、通常は触ることはほとんどなかろう。

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モニターの後ろにスッポリ収まった

 狙い通りにモニター後ろのスペースに本体が収まった。これからはここから低音がブイブイと出てくるわけである。

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ここが低音吹き出し口になる

 さっそく試してみたが、今まで軽かった低音に重みが加わり、なかなか御利益を感じることが出来る。なお今回視聴に使用したのはベルリンフィルデジタルコンサートホールの2019年度のペトレンコによるマーラーの交響曲第6番。冒頭からベルリンフィルによる荒々しい重低音の嵐が吹き荒れるので、ウーファーテストには最適である。怒濤のティンパニやハンマーなどの迫力が大幅アップである。

 なお本日、1ヶ月の無料視聴期間が切れてしまったので、私はベルリンフィルデジタルコンサートホールに正式に加入することにした。1ヶ月1700円ちょっと(ユーロ相場により変動あり)。何やらベルリンフィルの巧みなビジネスに嵌められた感もある。

 なおスピーカーシステムの見直しだけでなく、PC本体の方も現状のオンボードサウンドではソースに問題があるだろうとのことで、こちらもCreativeのハイレゾ対応カードのSound Blaster Audigy Fx PCI-e SB-AGY-FXを注文している。ここのところのドタバタでAmazonの発送作業が遅れているようだが、こちらも到着次第装着してテストしてみる予定。

  

 

ベルリンフィルデジタルコンサートホールで聴くハイティンクの最晩年のブルックナーは流石に極上だった

 びわ湖ホールから、先月にライブ配信された「神々の黄昏」がBDで発売されるとの案内が出た。最初はDVDで発売と言っていたようだが、私も「今時DVD?」と言っていたのが届いたのか(笑)、高画質のBDでの発売となった模様。発売予定は6月末で販売はびわ湖ホールなどで行うとのことなので、まあ事態が落ち着いてからの話である。当然ながらYouTubeで配信された固定カメラのものでなく、複数カメラを切り替えて編集した物になるようで、2日間の公演のそれぞれが発売される模様。

 さて勤め先も半休業状態となってしまい、果たして事態収拾後にまともな会社員としてフル活躍できるであろうかと一抹の不安を抱きつつお籠もり生活を送っている私であるが、ここのところはとにかくベルリンフィルデジタルコンサートホールを聴くか、かつてAT-Xで撮りだめたアニメ作品を見るかという日々を送っている。そう言えばベルリンフィルデジタルコンサートホールは1ヶ月の無料視聴と言うことで楽しんでいたが、そろそろそれも切れる頃が近づいてきた。1ヶ月の料金は1700円ほどとのことだが、これからどうするか悩ましいところである。

 今日は2019年のハイティンクによるブルックナーの交響曲第7番を。ハイティンクはこの年に現役を引退しているので最晩年の演奏と言うことになる。

 

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(2019.5.11)

指揮:ベルナルド・ハイティンク
ピアノ:ポール・ルイス

モーツァルト ピアノ協奏曲第27番変ロ長調
ブルックナー 交響曲第7番ホ長調

 ブロムシュテットと並んで老巨匠となったハイティンクによるブルックナー。老巨匠が晩年に至った心境が垣間見られる。

 まず最初のモーツァルトについては、ルイスのピアノにはモーツァルト的な軽快さよりももっとロマンティックな境地が見られる。彼の演奏はアンコールでのシューベルトのアレグレットハ短調で現れたような甘美なものが本領なんだろう。バックのオケもハイティンクの指揮の下、かなり堅実かつしっかりした演奏をしているので、結構重量感のあるモーツァルトとなっている。

 さてブルックナーであるが、ほぼ同年代のブロムシュテットの演奏だと、とにかくドッシリと構えてひたすら低重心であるのに対し、ハイティンクの場合はそれよりは華麗で躍動感があるのが特徴か。ベルリンフィルらしくアンサンブルの美しさも際立つ。ゆったりと構えた中で極上の音を重ねていくという美しさが実に見事。そこに溢れる生命感にはハッと息を呑まされる。2015年にロンドン交響楽団を率いて来日した時の極上の演奏を思い出した。

 演奏終了後は老巨匠の熱演に場内は総立ちとなっての大盛り上がり。楽団員も巨匠に敬意を表してなかなか立ち去らない中、何度も「ああ、しんど」というような様子ながらもやり終えた感を漂わせて現れる巨匠の姿が何となく楽しげでもあった。最後には自ら楽譜を畳んで「もう帰らせて」という感じであったが、楽団員が引き揚げた後も観客は引き揚げず、結局はもう一度引っ張り出される羽目に。しかしそれもさりなんの名演であった。

 

YouTubeでジャン・チャクムル/岡山フィルによるショパンのピアノ協奏曲を堪能する

 連日のようにコンサート中止情報が伝わってきて、その度ごとに郵便局に行っては特定記録郵便を送るという不毛な日々。つい先日も4/29の関西フィル定期の中止の知らせが舞い込んできたが、会員宛の払い戻しの連絡葉書が到着した。それによると払い戻しは前回の定期の分も合わせて6月の定期か7月の定期でということらしい。これは暗に5月の定期も中止になる可能性が高いことを匂わせている。実際に5/15,16の大阪フィルの定期の中止(デュトワ来日ならず、これは実に痛恨の極み。来年度か本年後半の特別公演辺りをお願いしたい)、さらには5/16,17の京都市響の定期も中止のアナウンスが出ているので、5/22の関西フィルの定期が出来るとは思いにくい。もっともそうなると、5/24の大フィルのチャイコチクルス第1回、5/30の関西フィルの指輪も怪しくなってくるが・・・。

 なお京都市交響楽団については、今年度上期の公演についてはどこまでが中止になるかが読みにくい状況なので、会員に対しては一件落着してからまとめて返金処置をとる旨が伝えられてきた。これは最悪は夏頃まではダメになる可能性があると覚悟しているということだろう。そうなると惨憺たる状況であるが、未だに自らの個人的利権を優先してまともな対策を打てない現政権を見ていると、状況悪化が年単位に及ぶ最悪の事態さえちらつく。無能なトップに有事に全権を与えることがいかに危険であるかを身をもって体験する羽目になろうとは・・・。

 

 さて関西のオケだけでなく、影響は全国に及んでいる。東京の惨状は言うまでもないが、私が以前から数回コンサートに出かけている岡山フィルも先の第63回定期に続いて、5/24に予定されていた第64回定期の中止のアナウンスが早々と出ている(シェレンベルガーの来日が不可能になったのだと推測する)。

 なおこの事態に際し、岡山フィルでは第62回定期演奏会での模様をYouTubeにアップしたようである。そこでそれを聴いてみることにした。

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岡山フィルハーモニック管弦楽団第62回定期演奏会

指揮/ハンスイェルク・シェレンベルガー
ピアノ/ジャン・チャクムル(第10回浜松国際ピアノコンクール優勝者)

ショパン/ピアノ協奏曲 第1番

 
 ピアノは浜松で優勝したジャン・チャクムル。超絶技巧の持ち主である新鋭である。彼のライブは私も何度か聴いているが、その度にその技巧には唸らせられている。本公演でもチャクムルはショパンのピアノ曲をまるで何事でもないかのように軽々と弾きこなしている。ただ彼のすごいところは単に技術をひけらかすだけの演奏ではないこと。本公演でも彼の演奏は、その超絶技術は余裕分として置いておいて、さらに情緒の表現に力点を置いているのが分かる。超絶技巧の持ち主ゆえにテクニックに患わされることなく、表現に専念できているかのような感覚を受ける。曲想もあるが、私が以前に聴いた演奏よりもさらに甘美な演奏になったように感じる。構成の甘さなどの様々な難点も指摘されるこの曲であるが、チャクムルレベルの演奏になるとそれが気にならないのも驚き。ショパンのこの曲は、やはり超絶技巧の持ち主であったショパンが自身による演奏を想定して書いたものだったのだなということを改めて感じさせられた。

 それにしてもチャクムルはまさに恐るべき逸材である。今後どこまでさらに伸びるかは計り知れない。なおアンコールでシェレンベルガーのオーボエも聴けるのがうれしいところ。ややマイクが遠目のせいで音量が弱いのが難点だが、シェレンベルガーの味わい深い音色を堪能することが出来る。

 

ブロムシュテットのブルックナーをベルリンフィルデジタルコンサートホールで聴く

 コンサートが完全に中止の状態。しかも外出がほぼ禁止の状態なので、美術館にも行けず(そもそも閉館中)、山城に出て行くわけにもなかなかいかず(散歩の延長だと言えば行けないこともないかもしれないが)という状況で、やることもなくこのページの更新ネタもなく、ページの方も閑古鳥が鳴いております(笑)。ほとんど夜のニュースで映っていたこの週末の新宿の状況です(以前に新宿並みの読者が来ていたわけでもないが)。

 幸いにして私はこれで食っているわけではないし(そもそも食えるだけの収益なんてない)、なんせ最初からテナント料(はてなの年間費用)もページの収益では賄えてないので、営業の前途を悲観していた飲食店とは違って廃業に追い込まれるという心配はありません(笑)。まあこれが本業だったら、30万円の支給を受けるための書類を揃えないといけないところでしょう(笑)。

 そんなこんなでここしばらくは家では現在1ヶ月無料期間中のベルリンフィルデジタルコンサートホールを聴いていることが多いです。今回はブロムシュテットのブルックナー交響曲第4番。実はこれの前にパーヴォ・ヤルヴィによる幻想交響曲も聴いたのですが、いかにもパーヴォらしいクレヴァーな演奏ではあるのですが、ベルリオーズ特有ドロドロ渦巻く情念の類いが全く感じられない妙にあっさりとして品の良い演奏だったので、あまり面白いと感じませんでした。そこで続けてブロムシュテットのブルックナーというある種の「定番」を。

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ベルリンフィルコンサート(2020.1.18)

指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
ピアノ:レイフ・オヴェ・アンスネス

モーツァルト ピアノ協奏曲第22番
ブルックナー 交響曲第4番

 一曲目はモーツァルトなんだが、もう最初の一音を聞いたところから笑ってしまった。とにかく分厚い。ベルリンフィルと言えば精緻であるがやや派手目な音色のイメージがあるのだがそれが渋い渋い。ベルリンフィルがバンベルク交響楽団みたいな音を出すもんだから思わず笑ってしまった。さすがのベルリンフィルも老巨匠の手にかかれば彼のオケになってしまうのか。

 もっともこれがモーツァルト?と思ってしまうぐらいの重厚さなので、これで良いのかなとちょっと心配していたら、それを解決してくれるのがアンスネスのピアノ。軽妙洒脱でこれぞモーツァルト。ドッシリ構えたオケをバックに軽快な音楽を展開してくれました。

 そしてブロムシュテットによるブロムシュテットらしさが炸裂するのがブルックナーの4番。もう初っ端からドッシリと構えて、圧倒されるぐらいの重厚さ。単にクソ重いのではなくベルリンフィルの技術に支えられているから、重厚でありながらも躍動感を秘めている。ブルックナーの音楽はゴシック建築なんかにたとえられることもあるが、確かに目の前に重厚極まりない神殿が現れるような印象である。決して焦ることがなく、それでいて緊張感が切れることもなく、最後まで精緻に組み上げた演奏は見事の一言。

 演奏終了と共に場内が息を呑んだように静まり、ブロムシュテットがゆっくりと手を降ろして肩を軽く動かした途端に一斉に爆発的な拍手の起こるこの場内の一体感は、単にベルリンのフィルハーモニーホールに来る観客がコンサート慣れしているとか、マナーが良いとかいうだけの話ではなく、ブロムシュテットの音楽に没入していたのだろう。また現役最長老とも言われるブロムシュテットであるが、杖もつかず椅子も使わずで、階段を颯爽と登って立ったままでこの長大な曲を振り切るかくしゃくとしたところは頼もしい限り。コロナ終焉後の来日に期待したい。

 

フィンランド放送交響楽団も来日中止です

 何か最近の私のブログはコンサート中止情報みたいになってきてますけど、5月下旬のフィンランド放送交響楽団の来日も中止となりました。リントゥ指揮でシベリウスも含むプログラムということで楽しみだったのですが、残念です。

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 いよいよ5月のコンサートも怪しくなってきた状況です。来日オケはともかく、国内オケも5月の公演まで出来なくなるようだといよいよ危険でしょう。現在は5月のコンサートの中止が続々とアナウンスされている状況ですが、国内オケはギリギリまで判断を粘っているようです。恐らくもう既に払い戻しに財務が耐えられなくなりつつあるところも出てきている頃だと思われます。さすがに定期が3回飛ぶような状況になったら、相当ヤバいのではないでしょうか。どうしてもクラシックというのは一般的にはマイナー分野なので「こんな時にそんなものどうでも良い」という考えなんかも出てくるようですが、自分には関係ないからと考えていたら、それがいずれは自分が密接に関係している分野にまで及んでくるということにも想像力を巡らせて欲しいところです。やはりそろそろ公的支援が不可欠なように思われます。

 

ベルリンフィルデジタルコンサートホールでペトレンコ指揮のマーラーの6番を聴く

 各地のコンサートの状況も惨憺たる有様で、全く何の支援もない中で事実上の活動停止を強いられている各地のオーケストラはいよいよ瀕死状態。本日、京都市交響楽団の4月定期中止のアナウンスが正式に出たが、4/29の関西フィルも中止を余儀なくされるだろう。問題は関西フィルにそれに耐えるだけの財務力があるかどうか。もう既に関西フィルのHPに「関西フィルの存続の危機に対しての寄付のお願い」という断末魔のような要請が出ている。いずこのオケも似たような状況で、関西のオケだけでなく新日フィルや東京フィルなんかも同様の要請を出している。私が資産家かなんかだったら、各オケに数百万ずつとか寄付でもしたいところだが、そんな財力の持ち合わせなどないのが悲しいところ。

kansaiphil.jp

 

 

 さて全くコンサートに出かけられなくなって1ヶ月以上が経過、この状況をさらに1ヶ月以上は強いられそうである。こうなってくるとせめてライブ配信でも見るしかない。と言うわけで1ヶ月間無料になっているベルリンフィルデジタルコンサートホールを見ているという次第。今回はペトレンコ指揮のマーラーの交響曲第6番。2020.1.25日のコンサートらしい。

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 まあ毎度のことながらさすがにベルリンフィルは上手いと唸らされるのであるが、前回に聴いた2.15のコンサートと同様でとにかくペトレンコの指揮はキレッキレの鋭さがある。それを力強くて華やかなベルリンフィルが見事なサウンドとして展開してくれるからまさに圧巻。マーラーのこの曲は後の第9番のような既に悟りのような境地に入っている曲ではなく、まだ人生を現実世界で暗闘しているような曲。第1楽章の重々しくありながらどこか滑稽さも秘めた行進曲は、まさに苦闘の中で人生を歩んでいくイメージなのだが、初っ端からブイブイと演奏してくれる。これについては昨年度のノット指揮のスイスロマンドがかなり力強い演奏を聴かせてくれたが、さすがにベルリンフィルはさらに一段各上である。最後まで怒濤のような迫力である。時々天界がちらつきつつも、それを運命が遮り、さらに暗闘していくというイメージ。正直なところ最後には涙が出る。

 このコンサートも大盛り上がりで最後は一般参賀になったようだがそれも分かる。多分私がそこにいたら、興奮して思わず大声上げただろうと思う。このコロナが終焉して、もしペトレンコとベルリンフィルが来日したら、私は絶対に行きたい・・・いかん、これではまるで私の死亡フラグだ。