徒然草枕

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白鷺館アニメ棟

名古屋フィルのチャリティーコンサートの配信を聴く

 名古屋フィルが7月28日に愛知県芸術劇場コンサートホールで無観客で開催したOKAYAチャリティーコンサート2020について、地元放送局のCBCがテレビ放送すると共に、YouTubeで全国配信したようである。名古屋フィルのコンサートを聴ける格好のチャンスであるので、これを視聴することにした。

hicbc.com

 

OKAYAチャリティーコンサート2020

指揮:田中祐子
管弦楽:名古屋フィルハーモニー交響楽団
ピアノ:田村響
ヴァイオリン:福場桜子

シベリウス:アンダンテ・フェスティーヴォ
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調

 コロナ以降、チャイコの「オー人事」と並んで演奏機会の増えているシベリウスのアンダンテ・フェスティーヴォであるが、名古屋フィルもなかなかに美しい音色を聴かせてくれる。

 二曲目は地元名古屋の高校生ヴァイオリニスト・福場桜子の登場。今時の若手演奏家は大抵そうであるが、技術的には安定感があり演奏も堂々としていて力強さもある。ただやはりまだまだ若手と言うこともあって、自己主張は強くない素直な演奏。そのために演奏自体にあまり強いインパクトがないのが残念。第二楽章などはもっとメロドラマでも良かったように感じる。もう少し感情を乗せて堂々と歌えるようになれば大器として大化けする可能性はある。

 最後はベートーヴェンのピアノ協奏曲だが、バックの名古屋フィルがやけに重厚な演奏を始めるのに対して、田村のピアノは軽快なもの。どことなくそのバランスの悪さを感じる。終始軽快なピアノが重たいオケを引きずるという印象が付きまとった演奏だった。もう少し弾むような軽やかさがあっても良かったように思われる。全体的に非常に地味な演奏という感想を抱いた。

 数年前に田中祐子を見た時には元気なお姉さんという印象だったのだが、しばらく見ないうちに風格が出たというか落ち着いたというか、堂々たる中堅マエストロという雰囲気になっていて驚いた。相変わらず奇をてらわない手堅い指揮であるが、もう少し茶目っ気があっても良いかという気もする。


 コロナの影響でどこのオケも通常通りのコンサートが開催できずに苦労しているが、その副産物で名フィルや山響などなかなか聴きに行くことが出来ないオケのライブをネットで見ることが出来たのは思わぬ副産物。これはこれで良いのだが、やはり生には優るものはないし、いくらYouTubeで配信してもオケは潤わないということを考えると、やはり一日も早い正常化を祈るのみである。と言っても、その道はまだまだ通そう。例のGoToトラベルの結果、予想通りに全国的に感染爆発を煽ってしまった状態だから、恐らく秋の来日オケなんかも全滅だろうし、国内オケも通常通りに観客を入れれるのは来年以降だろう。まだまだしばらくは忍耐の時である(その忍耐の間に、あの無能すぎる政府を何とかしたいが)

 

クラシック音楽館「日本のオーケストラ特集3」

 先週はN響の公演を放送していたので、これでローカルオケ特集も終わりかと思っていたら、残っていたオケをまとめて総集してきたようである。在阪の大阪交響楽団及び大フィルが登場。ここに在京のオケの中でもマイナーに属する日フィルとシティフィルを加え、さらには関東ローカルの神奈川フィルを加えるというラインナップ。

 

 最初に登場したのは関東ローカルの神奈川フィル。2015年2月20日に横浜みなとみらいホールで開催されたコンサートで、川瀬賢太郎指揮でヒンデミット作曲のウェーバーの主題による交響的変容を紹介している。

 神奈川フィルは若手指揮者の川瀬賢太郎とペアを組んで長いが、その組み合わせによる演奏を紹介。川瀬が常任指揮者に就任したのは29才というという若さなので、大半の楽団員は彼よりも年配という状況。それなりの苦労もあったはずであるが、彼の音楽は楽団員にも受け入れられているという(確かにここのオケと指揮者の関係に悪い噂は聞いたことがない)。彼の音楽が明快で、その目指すところをストレートにオケに対して伝えているところが上手く言っている理由か。

 実際に演奏の方も川瀬の目指しているところは明快であり、ややグダグダしたところもあるこの曲を、キレよくスッキリとまとめている。所々爆発的な音楽が飛び出すところは、このオケが持っているエネルギー(やや雑に思えるところもあるが)と川瀬の若さの反映だろう。音楽全体を非常に上手くまとめている。

 なお神奈川フィルのコンサートについては私はまだ一回しか聞いたことがない。その時はパスカル・ロフェの指揮でサン=サーンスの交響曲第3番をかなりお祭り的な派手派手さで演奏したのが記憶に残っている。あの元気さはやはり持ち味なのか。

 

 2番手に登場するのは在京オケの一つ日本フィル。今回の番組はこの日フィルの歴史的な話でかなり時間を割いている。

 日フィルはかつて危機に瀕している。1972年に事実上の親会社だった民間放送局(番組ではこういう言い方をしているがフジテレビのことである)が財政支援を打ち切り、楽団の解散を通告した。この理由について番組では全く触れないが、財政上の問題というのは表向きの理由であって、実際にはその前年に日フィルが労働組合を結成したことが大きな理由と言われている(フジテレビの体質は言わずもがなである)。

 結局はこの時は楽団が不当解雇を訴えて法廷闘争となり、この争議は長期化する中で各地の労働組合なども支援に回る。その結果として地方とのつながりのようなものも出来たというなんか美談的取り上げ方だが、現実はもっと生臭いものであるのは考えるまでもないが、まあそんなところはどうでも良いところではある。とにかくこの頃に九州と特に強い結びつきが出来、日フィルは今でも毎年九州公演を行っているとのこと。また九州には日フィルの九州公演を支えるボランティアも立ち上がっており、彼らの支援によって日フィルの九州公演は実行されている。まあ組合云々の政治的なこと抜きにしても、九州で定期的に公演をするオケは九州交響楽団しかないので、そんな中で毎年九州公演を実施する日フィルが九州の音楽ファンにとっては貴重な存在なのは理解できる。

 さらに番組はここから熊本の話につながって、熊本出身のホルン奏者・原川翔太郎氏(顔を見ただけで熊本出身というのが納得できる人物である)に密着している。彼はあの熊本地震の時にたまたま熊本に帰省しており、そこから数ヶ月練習どころではない大変な日々を送ったという。しかしそんな中でも被災地各地を回ってのコンサートなどで音楽の力というものを感じたとのこと。日フィルはロビーコンサートを実施するが、今年2月の九州公演では彼がその企画を担当したとの話。熊本公演では彼の両親も駆けつけてと言うお約束の美談である。

 しかしこの九州遠征後に日フィルもコロナの影響でしばしの活動停止。再始動したのはつい最近、ここで5ヶ月ぶりにメンバーが顔を合わせて・・・という現況も紹介。結局は日フィルの大昔、少し昔、現在を伝えるドキュメントになっていた。今回の番組自身は明らかにこれがメインとなっていた。

 さて演奏の方だが、2009年10月18日東京芸術劇場コンサートホールでの、アレクサンドル・ラザレフ指揮によるハチャトゥリアンのバレエ音楽「スパルタクス」から。いかにもロシア的なやや荒々しさを秘めた音楽を、これまたロシアの指揮者がバリバリのエネルギー全開で振る演奏。日フィルもそれに応えてなかなかにパワー漲る演奏。なお私は日フィルのコンサートについては過去に5回聞いているが、指揮者が人気先行の西本、好き嫌いの分かれやすいコバケン(私は正直苦手)に私と相性の悪い山田和樹ということで、オケの評価は今ひとつになっているが、ラザレフとの組み合わせによる公演だけは高評価で、やはり私的にはこのオケはラザレフとの組み合わせがベストとの印象。緊張感が漲るとその時の評に書いてあるが、実際の今回の演奏もそうである(私が山田和樹と相性が悪いのも、彼の演奏にはそれがないから)。

 

 後半に突入しての3番手は在阪オケの大阪交響楽団。紹介するのは2010年6月13日のザ・シンフォニーホールでの児玉宏指揮でのバーバーの管弦楽のためのエッセイ第1番作品12である。

 大阪交響楽団は1980年に音大出身の若手演奏家が結成した大阪シンフォニカーが、市民と共に成長しつつ今日に至ったという。だからファンの中には「このオケを成長をずっと見守ってきた」という類いの年季の入ったファンも多い。ドイツの劇場で活躍していた児玉宏が主席指揮者に就任してからは、日本では知名度の低い曲をレパートリーに加えるなど、独自の展開をしてきた(大阪交響楽団の珍曲路線として有名)。

 という辺りが大阪交響楽団に対する紹介。ただこのオケは最近は日本センチュリーの危機の影でやや隠れているが、それ以前から常に苦しい運営状況が伝えられているオケで、今回のコロナ騒動でさらにその危機が進行しているのが否定できないところ。なお私も在阪オケとして大阪交響楽団のコンサートは何回か足を運んでいるが、残念ながら他の在阪オケと比較した時に技倆的に一段劣るのは否定できず、私の評価も厳しいものとなっている。

 今回のバーバーについては、私が曲自体をよく知らないのと、さらに言うと曲自体があまり面白く感じられないことから評価のしようがないと言うところ。


 4番手は在京のシティフィル。2007年7月26日東京オペラシティコンサートホールでの飯守泰次郎指揮によるホルストの「惑星」から水星と木星。

 1975年に創立した東京では比較的新参者のオケ。そのオケを飯守泰次郎が長年引っ張ってきたとしている。本演奏でも飯守との関係性の強さは演奏に反映しているが、それよりも私が驚いたのは、今から10年以上前の演奏だけに、飯守の指揮がかなり若々しいというか躍動感があること。残念ながらこの頃に比べると現在の飯守はかなり老け込んだという印象を受けざるを得ない。躍動的にオケをコントロールして自らの意志を的確にオケに飛ばしているという両者の良好な関係を感じさせる演奏。

 なおシティについては私は過去に2回しか生演奏を聞いたことがない。一度は高関指揮による第九(サマーミューザのプログラム)、もう一回は下野指揮でのスッペ序曲集。いずれも技術云々なんてことよりも、ノリの良いオケという印象が残っている。

 

 最後は関西の雄・我らが大阪フィルの登場である。2016年7月22日のフェスティバルホールでの井上道義指揮によるベートーヴェン交響曲第3番「英雄」から第4楽章を紹介している。

 大フィルは言うまでもなくまさに朝比奈隆のオケとして、その元で長年に渡って「大フィルサウンド」と言われる独特の迫力あるサウンドを築いてきたオケである。しかしその大フィルも朝比奈の死去によって変革を迫られているのが現状。その間、様々な指揮者によって率いられ、井上道義もその一時代を担った指揮者である。現状は尾高忠明の元でアンサンブルなどのレベル向上を図っている。

 さて井上道義による英雄であるが、私の過去の記録を精査してみると、たまたまこのコンサートだけは行っていないようである。この頃は大フィル会員でなく、その都度ごとにチケットを入手していたことから、「英雄」という曲目にあまり興味を惹かれずにパスしたのだろう。どうやらこの日は私は熊本に飛んでいたようである。

 で、演奏の方であるが、やはり井上道義らしいいかにもロマンティックな「英雄」である。メリハリが強く振幅が大きい。演奏者によって古典派流れをひく交響曲としても、ロマン派の最初を飾る交響曲としてもいかような鳴りようをするのがこの曲であるが、井上のアプローチは明らかに後者。大フィルもその井上の指揮にメリハリの効いた演奏で答えている。寸分の狂いもない精緻な演奏と言うよりも、少々グダグダがあってもノリとパワーで突き進むのは大フィルらしいところ。

 なお大フィルというのはとにかく指揮者によって非常に表情を変えやすいオケなので(フェドセーエフが振った時は見事にロシアオケになった)、これは井上指揮の大フィルの鳴らし方というところ。私が今まで度肝を抜かれたのは昨年のデュトワ指揮での大フィルの演奏だった。今年もそれが聴けるはずだったのだが、今回のコロナ騒動でぶっ飛んでしまった。そのことが返す返すも痛恨の極み。来年はまだ無理な可能性が高いが、その次の年辺りには実現してもらいたい。なお私はポリャンスキー指揮の大フィルというのも聴いてみたいと思う(ポリャンスキーのパワーと大フィルのパワーが高次元でマッチできればとてつもない名演の期待がある)。


 先々週の2でローカルオケ特集は終わりかと思っていたら、まだ第3弾があったのがうれしい驚き。結局最後まで無視されたのはPACとセントラル愛知だけか(笑)。両者ともにさすがのNHKも放送素材を有していなかったと推測される。まさか第4弾はなかろう。無理矢理するとすると、先の両者に東京交響楽団、東京ニューシティ、新日フィル辺りか。うん、放送素材なさそう(笑)。

 

カーテンコールでの山響のライブ配信で藤岡のシベリウスを堪能

 山響はコロナ以降積極的にライブ配信に取り組んでいるが、今回も特別企画としてライブ配信がカーテンコールで行われたので、それを視聴した。今回は一部の定期客を招待客として入れての演奏らしい。私の方は晩飯の寿司を食いながらの鑑賞(笑)。

山形交響楽団ライブ配信

[指揮]藤岡 幸夫
[ピアノ]田部 京子

・シベリウス/組曲「クリスティアン2世」作品27より"夜想曲"
・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 作品37
・シベリウス/交響曲 第3番 ハ長調 作品52

 一曲目は初めて聞く曲であるが、とにかく美しい曲。その上にシベリウスにしては非常に素直な曲(笑)。それでいて随所にシベリウス節が登場しており、彼の曲だと言うことが一発で分かるという代物である。山響のアンサンブルが冴えるし、ここの持ち味でもある管楽器の美しさが引き立つ。非常に爽やかな開始である。

 ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番は、古典的スタイルの中にロマンティックさが垣間見える作品。藤岡の指揮は冒頭から若干速めのテンポで軽快に始まる。無用に壮大なメロドラマにはしてしまわない適度なバランス。田部のピアノはいきなりかなり力強い。そして極めて軽快な演奏。清澄な音色で明快な印象のピアノである。もっとも下品な私の耳には、もう少し謳ってもいい気もする。やや一本調子なようにも聞こえる。ようやく謳いだしたのはカデンツァ以降。

 第二楽章はゆったりと美しいラルゴ。美しく鳴らしてくれるが、やや音色が硬質なのが気になるところではあったりする。そして軽やかなフィナーレ。こういうような曲調が一番しっくりくるようである。演奏の方も段々と調子が上がってきた様子で曲を閉める。総じて品のある演奏なのであるが、下品な私にはいささか食い足りない感もなきにしもあらずであった。

 ラストのシベリウスの3番は、いきなり冒頭から躍動感に満ち満ちており、山響の溌剌とした演奏に藤岡の指揮も熱を帯びている。そして美しくもやや混沌とした第二楽章へ。そして混沌は第三楽章でさらに極まって幽玄たる世界へ。そしてこの混沌の中から突然に浮かび上がるメロディは藤岡の解説によると亡き娘に捧げる賛美歌らしい。この辺りは意外にあっさりした処理をしている。シベリウスは藤岡も得意としている作曲家の一人だけになかなかの演奏。山響の演奏もなかなかにまとまりが良く、良い演奏を聴いたというところであった。

 

NHKホームページでブロムシュテットの「英雄」の配信を聴く

 NHKのホームページで順次配信されている過去のアーカイブが、今日からブロムシュテットの「英雄」に変わったようである。

www.nhkso.or.jp

NHK交響楽団第1924回定期公演(2019.11.6 サントリーホール)

指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット

ベートーヴェン交響曲第3番「英雄」

 ブロムシュテットで「英雄」というから、初っ端からドッシリ、ズッシリ行くんだろうと予想していたが、案に反してややアップテンポ気味で軽快な演奏。音色的に渋いのは相変わらずであるが、思いの外躍動感のある「若々しい」演奏である。

 第二楽章も過度に感傷に溺れずに淡々とした演奏。そしてやはり重くなりすぎない演奏である。そして軽快な第三楽章は整然として端正な演奏。あっさりとした響きはベートーヴェンのロマン性よりも古典性の方が滲んでいる。そしてそのまま整然と最終楽章に突入する。その調子で序盤は軽快に進め、中盤以降、急にテンポをストンと落としたのには驚いたが、どうもその辺りから演奏がいささかばらけたような印象を受ける。もう少し終盤にかけての盛り上げようがあったろうにというように感じられてしまった。まあ妙な虚飾や虚仮威しを廃しているところはブロムシュテットらしいとは言えるが。


 今や現役最長老とも言われているブロムシュテットであるが、まだまだ健在である。何よりもこの時点でまだ椅子を使わずに指揮をしているということ自体がある種の化け物。足取りもまだまだしっかりしているし、歩くスピードも速い。今後も達者に現役を続けてもらいたいところ。コロナ禍が過ぎ去ったら是非とも来日公演を期待したい。

 

クラシック音楽館「日本のオーケストラ特集2」

 NHKが地方オケの特集の第2弾を放送したのだが、なんやかんやで忙しくて、結局は見たのが一週間後になってしまった。ちょっと間が抜けているが、先週のクラシック音楽館について。

 

 第二部の最初に登場するのは北陸の雄・アンサンブル金沢。2009年1月7日に石川県立音楽堂コンサートホールで開催された井上道義指揮のベートーヴェンの「エグモント序曲」を放送している。

 永らく関係を築いていた両者であるが、この時は10年以上前ということで、井上道義も大病を患う前であろう。かなりエネルギッシュな指揮を行っている。アンサンブル金沢も小編成オケらしくまとまりが良くてなかなかに切れ味の鋭い演奏。音色的にやや硬質な印象を受ける。私がこのオケを聞いた時もなかなかにまとまりの良いオケという印象を受けたのを思い出す。もっとも私が聞いた時にはもっと音色に柔らかさがあった印象。これは井上の指揮のノリと曲調が影響しているのか。

 

 次に登場するのが我らが日本センチュリー。これも永らく関係を築いていた飯森範親の指揮で、2015年9月25日にいずみホールで開催されたハイドンマラソンの第一回からの放送。曲はハイドンの交響曲第77番である。

 飯森については私は彼のマーラーについては面白いと感じたことがないのだが、ハイドンやモーツァルトになると意外に面白い。下手すると起伏のない音楽になりかねない古典的な曲に対して、飯森独自のメリハリをつけてくるのが、ピリリとしたアクセントになって退屈しない演奏となる。また飯森がハイドンマラソンを始めた目的として、基本的なアンサンブル力の強化を言っていたのだが、実際にセンチュリーがなかなかのまとまったアンサンブルを聴かせている。

 もっとも現在経営的にかなり危険水位に達しているオケだけに、ここは生き残れるかどうかが一番の課題。どの指揮者も「すべてのオケが生き残れるように」ということを何度も繰り返しているが、その時にはこのオケのことが頭の中にあると言われている。頑張ってもらいたいところ。

 

 三番手は九州の雄・九州交響楽団。九州地区唯一のフルオケと言うことで地元にも思い入れの深い人が多いらしく、ファンが自らボランティアでスタッフに加わっているという。今回放送されたのは音楽監督を務める小泉和裕が指揮した2014年9月24日にアクロス福岡シンフォニーホールでの公演。曲目はブルックナーの交響曲第一番から第三楽章。

 ほんの5年ほど前の演奏であるが、それだけでも小泉の姿が今よりもかなり若く見えるのが一番の驚き。ここ数年で小泉は急速に頭が白くなったようである。頭が白くなると共に演奏が老け込んだと言う訳でもないだろうが、最近の小泉の演奏の印象よりもかなり演奏自体も若々しくて躍動感がある。いささか荒っぽいぐらいの九州交響楽団の持ち味との相乗効果だろうか。かなりダイナミックな演奏であり、良くも悪くも福岡のイメージに合致している。このオケについては、やはり昨年のポリャンスキーとのチャイコの名演が記憶に残るところ。かなり指揮者の影響を受けやすいオケでもあるようだ。

 

 四番手が関西の雄・我らが京都市交響楽団が登場。長年ペアを組んで、現在は芸術顧問にも就任している広上淳一の指揮による2014年3月14日の京都コンサートホールでのマーラーの交響曲第一番から第4楽章。

 京都市交響楽団はまさに広上の楽器として高度に洗練されたオケであるが、もう既にこの頃からそのことはハッキリと現れている。とにかく広上の粘っこい指揮に対して、オケが完璧に応えているという関係性の明快さがよく分かる。広上の指揮はややテンポも抑えめのとにかくネットリネットリとした濃いものであるが、それが漲る緊張感の元で繰り広げられているのは流石。これが指揮者とオケの意思疎通がうまく行っていなかったら、間違いなく弛緩した演奏になってしまっていただろう。広上のタコ踊りもまさに絶好調であるが、そこから広上が目指すところの意図を的確に汲み取っているのは実に見事。なかなかに印象的な演奏である。

 私が広上と京響の演奏を聴くようになったのはこの公演よりも後であるが、この演奏を聴いていると最近の広上はあれでもこの頃よりは淡泊になっているんだろうかという気がする。とにかくコッテリコッテリした演奏が印象に残る。

 

 最後は関東ローカルオケの群馬交響楽団。市民オケから始まった同オケを急激にレベルアップに結びつけた高関健との組み合わせによる2003年5月23日のすみだトリフォニーホールで開催されたヴェルディの歌劇「ファルスタッフ」のコンサート形式での公演からの抜粋を放送している。

 群響がオペラのバックをするというのは非常に珍しい印象を受けるし、高関がオペラを振るのも初めて聴いた。ヴェルディ晩年の喜劇だけに、音楽はどちらかと言えば軽快なもののようであるようだが、完全に歌が前面でオケはあくまでバックという構成になっているので、群馬交響楽団の演奏についてはよく分からない部分がある。

 私が以前に群馬交響楽団の演奏を聴いた時の印象では、技術的にはまだ課題はあるものの、なかなかの熱量を持ったオケという印象であった。同オケはまだ一度しか聴いたことがないので、いずれもう一度、新装なった高崎芸術劇場で聴いてみたいと思っている。

 

 N響の定期演奏会が完全に停止している状態なので、地方オケのアーカイブを引っ張り出してきたようだが、なかなかに興味深かった。よくもNHKはこれだけの素材を有していたものである。今回登場しなかったオケは放送素材を有していないということか。関西の雄である大フィルが無視されたことなどは、関西人としては悲しいところ。また名古屋のセントラル愛知などもスワロフスキーとの組み合わせで印象的な演奏を残していたりする。

 とにかく今は各地のオケにとって苦難の時であるので、何とか無事にこの危機を乗り越えて生き延びて欲しい。文化の灯というのは一度絶えてしまうと、復活はなかなか困難なことであるので。

 で、次回(本日放送)はようやく再開なったN響の定期演奏会の放送になるようだが、コロナ対応の超閑散編成。いつものN響とは随分異なる演奏となることだろう。これは後日改めて視聴したい。

 

福田美術館の「若冲展」を見てから、最大レベル警戒態勢の京都市響の定期演奏会へ

 気がつけば昨晩は9時過ぎぐらいにはもう寝てしまっていたようだ。疲れが全身に来ているのと、流石に「高級」ホテルらしく布団が良いことで爆睡してしまったようだ。次に気がつけば早朝の5時。そのまましばしウツラウツラして7時に目覚ましで叩き起こされる。身体の方は久しぶりに動かしたことで基本的に調子は悪くないのだが、それよりも全身疲労の猛烈な怠さと肩だの腰だの足だのとあちこちの激しい痛みがある。それでなくても最近運動不足だったところに、コロナ籠もりで完全にトドメを刺してしまっていたようだ。今後はコロナの感染を防止しつつ、運動もしないといけないということを痛感する。

 とりあえず朝風呂を浴びに大浴場に行く。このホテルは高級(あくまで私基準で)なだけあって、見事な大浴場があるので実に快適である。湯船でゆったりと体温を上げて行動モードに入る。

 ようやく活動できるだけの体温に上がったら(私は変温動物か?)、朝食を摂りに行く。このホテルは本来は朝食はバイキングらしいのだが、今はコロナの関係で旅館飯風のセットになっている。なかなかに美味い。ご飯と味噌汁はセルフで、さらにパンやコーヒーもセルフであるので、洋食の方もいただくことにする(朝食は和洋両様でというのは私のいつものパターン)。やっぱりホテルのランクってのは飯と風呂と寝床にでるなということを痛感。

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結構豪華な朝食

 腹が膨れて部屋に戻ってくると、10時のチェックアウトまではPC作業。昨日はこれの途中で集中力が切れてダウンしてしまったのでやることはいくらでもある。それにしても私は常々から「遊ぶように仕事をして、仕事のように遊ぶ」と言われているのだが、私のことをよく知らない人がこの姿を見れば、確かに24時間戦っている猛烈ビジネスマンに見えるだろう。実際は必殺遊び人なんだが。

 

インバウンドの途絶えた嵐山は閑散としていた

 10時になる前にさっさと荷物をまとめると直ちにチェックアウト。さて今日の予定だが、まずは嵐山の福田美術館に立ち寄るつもり。現在、福田美術館では「若冲展」が開催中で今日がその最終日である。密を避けるために現在は予約制になっているので、今日の11時からのチケットを確保している。また嵐山周辺は駐車場が高い(1日1000円が相場)ので、駐車場の方もやや離れた位置にAkippaで確保済み。例によって「仕事の手配は手抜かりだらけなのに、こと遊びに関しては細心の手配をする」というパターンである。この労力の半分でも仕事に向けていたら、今頃は部長ぐらいにはなっているのではなどとも言われるが。

 嵐山までは30分程度だが、昨日にも思ったがとにかく京都の町は走りにくい。一通地獄はカーナビを使えば何とかなるが、やはり道路が牛車基準なので元々幅が狭い上に郊外に出るとうねっているのでわけが分からん。しかも嵐山周辺はその狭い道に路面電車の嵐電が走っているのでさらに複雑怪奇。この走りにくい道を反映してか、運転もかなり雑。ところで左折時に前から自転車が来るので待っていたら後からクラクションを鳴らされた。「ひき殺せ」とでも言うのだろうか? わけが分からん。それともああいう時には強引に突っ込んで自転車の方を停めるのが京都のローカルルールなのか?

 慣れない道に四苦八苦はしたが、どうにか無事に予約していた駐車場に車を止める。ここから嵐山まで歩くが、これが10分以上かかる通常なら適度な運動だが、身体がガタガタの今の状態にはツラい距離。それにしても遠目に見ても観光客が激減しているのが分かる。嵐山はとにかく外国人観光客の多い場所だから、もろに影響を受けているのだろう。インバウンド依存の高いところほどダメージが大きいようだ。

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渡月橋を渡る人もまばら

 

「若冲誕生~葛藤の向こうがわ~」福田美術館で7/26まで

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福田美術館

 若冲の作品を展示。展示作は墨絵でサクッと描いたものが中心であるが、中には若冲の初期作品である「蕪に双鶏図」なども含まれる。八百屋の出身でとにかく鶏の絵が多く「鶏の若冲」と言われた若冲らしい作品である。観察眼の細かさはこの頃から既に現れている。野菜と鶏は若冲の二大画題で、このほかにもカボチャと鶏を描いた作品もあった。

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蕪に双鶏図

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カボチャと鶏の絵

 併せて若冲と同時代の画家の作品も展示。円山応挙の作品や曽我蕭白の作品もあった。応挙はさすがに精緻であるし、蕭白はどことなく馬の目つきが悪いのがこれまた蕭白らしい一癖あるところ。

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応挙は精緻

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どことなく馬の目つきが悪い蕭白の群仙図

 なかなかに楽しめる展覧会であった。なお併せて串野真也氏の靴を使った作品の展示もあり。彼は実際にレディ・ガガが履いた靴なんかのデザインもしているそうだが、完全に履くことから離れて若冲の作品のオマージュである作品なんかも展示されていた。

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レディ・ガガが履いたという靴

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これは若冲へのオマージュ

 

嵐山で昼食に蕎麦をいただく

 美術館を出た時はやや早めの昼時というところ。ついでだからここで昼食を摂っておくことにする。いつもは大行列で入店できない「嵐山よしむら」が、今日は待ち客がいないので立ち寄って「天ぷらと蕎麦の定食(2220円)」をいただくことにする。

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嵐山よしむら

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窓からは桂川が

 そば粉は北海道のものを使用とのこと。一年で一番蕎麦が悪くなるこの時期にこれだけの蕎麦を出せるのは流石だろう。なかなかに美味い。さらに天ぷらはサクッと揚がっていて実に上品。山椒ご飯も微妙にアクセントが効いていて美味。なるほど、人気が出るわけである。CPに目をつぶれば文句はない(やはり場所柄やや相場が高い)。

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天ぷらの蕎麦の定食

 

スーパー銭湯「天山の湯」で時間をつぶす

 昼食を終えると車に戻ったが、さてこれからどうするかが困った。コンサートは3時開演で、密を避けるために私は2時15分に入場するように指定されている。しかし今は12時過ぎ。駐車場は北山にAkippaで既に確保しているが、そこまでは所要時間はザッと30分というところ、駐車場からホールまでの移動時間を10分として、現在時刻を考えると1時間ちょっとをどこかでつぶす必要がある。とは言うものの行くべき当てがない。いっそのこと車中でこのままエアコンをかけて寝るかとも思ったが(車の後ろは水路になっているのでアイドリングをかけていても迷惑になる家はない)、それもあんまりではある。

 そう言えばここに来る途中でスーパー銭湯らしき施設があったのを覚えている。Google先生に相談したところ、それは「さがの温泉天山の湯」という施設らしい。することもないのでそこに立ち寄ることにする。

 サーモグラフによる体温チェックを受けてから入館。いつもこれを受ける度に、画面に赤字で「兵庫」と出て「貴様、兵庫県人だな!」と連行されるという「とんで兵庫」妄想をしてしまう。

 昼間から結構な客が入っている。風呂は内風呂と外風呂があるが、外風呂には地下から汲み上げたというナトリウム・カリウム塩化物泉の金泉の浴槽がある。やや肌に刺激があって若干の粘りがある温まる湯である。これでしばし身体を温めてから、内風呂の湯温が体温に近いので身体に負担がなく長湯できるという「体温風呂」に入ってしばしくつろぐ。この遠征ではあちこち動き回った上にコロナに神経を使っていささか気が立っているところもあったのでちょうど良いリラックスである。

 風呂からあがるとサイダーを一本飲み干してから、畳敷きのごろ寝の間に行ってしばしウトウト。やっぱり寝台はあまり柔らかすぎるベッドよりも、ある程度の硬さのある方がかえって具合が良いななんて思いつつ身体を休めたのである。

 

京都コンサートホールは最大級の厳戒態勢だった

 スパセンで1時半頃までくつろぐと支払を済ませてから車で移動。目的の駐車場に到着したのはちょうど2時。ここから歩いてホールに到着したらジャストタイムであった。

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雨の京都コンサートホール

 ホールではまずサーモグラフィによる体温チェックを受けてから、間隔を開けて入場。チケットはQRコードの葉書が送られてきており、プラグラムも置いてあるものを自分で持っていく型式。さらにホール内部は3席ごとに座席を使用しており、3階席は使用していなかったようであることから、これだとホール定員の1/4も入れていないのではないか。

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座席は2席分の間隔を開けている

 今までのコンサートの中で一番の厳戒態勢である。やはり京都市が関与している施設だけに、万が一にもクラスターでも出したら責任問題ということだろうか。ここまで神経を使っているようだと、これでは今後まともなコンサートが出来る日はかなり遠いだろうなという気もする。

 ステージ上はかなりの閑散配置をしている。前後の奏者の間隔は関西フィル以上に開けているので、最大で8型ぐらいが限界というところ。実際に今回の公演では一曲目のカルメンは6-6-6-6-4+打楽器という変則構成で、さらに二曲目のストラヴィンスキーは5-5-5-4-4+二管(クラリネットなし)というこれまた変則構成であった。

 早くホールに入場した人へのサービスとのことで広上淳一によるトークや指揮者の秋山和慶を迎えてのトークなどがある。それによるとやっぱり、どんな形であれライブを出来るようになったということがまずホッとしたというところが本音のようだ。なお今回はかなり珍しい曲であるが、「これらの曲を今まで振ったことは?」という広上の質問に対して、さすがのベテラン秋山も「初めて」と答えたそうな。そりゃそうだろう。私はこんな曲の存在さえ知らなかった。

 

京都市交響楽団 第647回定期演奏会

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指揮 秋山和慶

ビゼー(シチェドリン編):カルメン組曲~弦楽と打楽器のための編曲版~
ストラヴィンスキー:バレエ組曲「プルチネルラ」

 一曲目はビゼーの曲を元にシチェドリンがバレエ用に編曲したもの。カルメン組曲と名乗っているが、実際はカルメンだけでなくアルルの女などビゼーの他の作品からもメロディを引っ張ってきている。こうして聞いてみるとやはりビゼーというのは一流のメロディメーカーであることが改めてよく分かる。

 弦楽と打楽器だけという変わった編成だが、その分打楽器は各種様々大量に使用しており、5人の打楽器奏者が目まぐるしく移動しながら各種楽器を扱っていた。それだけに多彩な音色でなかなかに楽しませてくれ、管楽器が加わっていないという編成上の不足を全く感じさせなかった。京都市響の弦楽陣のアンサンブルも見事にバシッと決まっていた。

 二曲目はストラヴィンスキーのバレエ曲だが、ストラヴィンスキーの完全オリジナルではなく、ペルゴレージの作品を基にした(とされているが、実際には他の作曲家のものも混ざっているらしい)編曲であるという。打楽器さえも含まない小編成の合奏協奏曲風の曲である。新古典主義の方向に向かったストラヴィンスキーを象徴する曲である。

 弦楽のアンサンブルも締まりがあったが、随所ではいるオーボエの情緒溢れて美しい音色が特に印象的であった。いつもの大編成とは違う魅力をまた見せてくれた。

 通常とは違う趣向でまた趣深いコンサートではあった。ただやはり無観客でやったマーラー4番を観客入りで出来るように早くなって欲しいものである。


 これで本遠征の全てのスケジュールは終了である。雨の中を新名神を突っ走って帰宅の途についたのである。正直なところ身体のあちこちは痛いが、心身共になかなかに充実した時を過ごすことが出来た。ただコロナ予防にはかなり神経を消耗したが。

 

 

大フィルのフル編成のブルックナーを堪能する

 さて四連休であるが、いよいよ東京・大阪で感染爆発が発生している状況での外出はやや抵抗のあるところ。それにも関わらず政府はGoToキャンペーンで外出を促している。「感染拡大防止のために不要不急の移動は避けつつ旅行に出てください」という意味不明の状態である。

 ところで私の方なんだが、実はGoToとかは一切関係なく、最初からこの四連休は外出の予定が入っていた。そもそも23日は大阪で大フィルのコンサートがあるし、26日は京都での京都市響のコンサートである。正直なところ、一旦大阪に出て戻ってから改めて京都にまた出向くというのはかなりしんどい(先日の大阪日帰りはかなり体力的ダメージがあった)。当初の目論見では京都は新幹線で行くつもりだったが、どうも昨今の状況を見ていると新幹線も安全とは言い難いように思われる。となるとやはり車で行くしかない。と言っても大阪で宿泊することには抵抗があることから、この際に以前から考えていたプランを結合することにした。とにかく人の多いところに行くのはリスキーであるから、人のいないであろうようなところに行くに限るというわけで滋賀に宿泊することに決定したのが1ヶ月前。しかしその後にさらなる事態の悪化にGoToパニックでドタバタが発生した次第。結局は直前まで決行を悩むことになったが、結果的には万全の対策を行った上で実行することに。

 昼前に家を出ると車で大阪に向かう。阪神高速は大阪に向かう側は空いているが、反対車線の方は渋滞が出来ている。どうやら大阪から外出する者が多い模様。こりゃGoToが完全に不要不急の移動を煽っていることは明らか。大丈夫かな?

 途中の京橋SAで昼食を摂ることにする。感染の危険が一番高いのはやはり食事時だと考えるので、さすがに大阪で昼食を摂るのは抵抗がある。そこで大阪に入る前に昼食を摂ることにした次第。とは言うものの、SAで車を降りてみるとマスクもせずにウロウロしている者も少なくない。さすがにこれはあまりに危機感なさ過ぎ。何となく四連休明けてしばらくすると感染爆発が拡大するのは必至に思える。

 

 昼食を終えると大阪まで移動、中之島出口で高速を降りるとAkippaで事前予約して駐車場に車を置く。開場は14時からだがそれまでに時間があるのでホール向かいの美術館に久しぶりに立ち寄る。なお今回は感染予防の意味もあって、新装備として銅を使った抗菌手袋も導入している。この手袋、薄手だから作業の邪魔をしない上に、これをつけたままスマホの操作もできるという優れものである。

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新装備の抗菌手袋
     

「茶の湯の器と書画ー香雪美術館所蔵優品選」中之島香雪美術館で8/30まで

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 同美術館が所蔵する茶の湯絡みの器などを展示した展覧会。楽茶碗なども多数展示されていたが、私が一番興味を感じたのは茶入。形態といい模様といいなかなかに面白いものが多数あった。

 茶碗類の展示も多数。黒楽茶碗などの類もあったが、よく見る光沢のある釉薬の物でなく、マットな仕上げになっている茶碗もあり、こんなものもあったのかと驚いた次第。また朝鮮製の飯用茶碗なんかも茶器に流用されたとのことで、そのような椀の展示もあるが、正直なところ茶を入れるより飯を入れたくなる。当時の茶の湯がかなり自由な精神で行われていたことが感じられた。


 美術館の見学を終えると向かいのフェスティバルホールへ。コロナの中というのに結構な人数が来ている。ホールの方は厳戒態勢だが、年齢層が年齢層だけに万が一集団感染でも起こったら人死にが出る(なんて言っている私自身も高危険性群に含まれる)。そんなことになれば、全国でコンサートが実施不可能になるだろうから慎重にならざるを得ない。

 ステージの方にはモーツァルト用の12型のオケがセッティングされている。ソーシャルディスタンスを置いて楽譜台は1プルトに2台だが、これをブルックナーの際には16型まで拡張するそうだ。ここまで拡張できたら合唱付きはまだ無理だが、マーラーの合唱なしの交響曲なら演奏可能。ようやく大フィルもフル活動を開始ということになる。 

 

大阪フィルハーモニー交響楽団 第540回定期演奏会

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12型のオケがセットされている

指揮:飯守泰次郎

モーツァルト交響曲第35番「ハフナー」
ブルックナー交響曲第6番

 最初は12型でのモーツァルト。正直なところややまとまりに欠ける感のある演奏である。飯守は統制を効かせるタイプの指揮者ではないので、オケは豪快に鳴っているのだが、豪快すぎてやや金管が前に飛び出しすぎたブラスバンド状態。そのために非常に元気はあるのだが、モーツァルトとしては「?」なところのあった演奏。

 次は16型に拡張してのブルックナー。大フィル通常編成に完全復帰である。やはり金管がかなり過剰気味にガンガン鳴るのであるが、今度は弦楽の方が拡張されているのが功を奏して、先程のように金管だけが聞こえてくると言う状況は改善されている。第一楽章は金管中心でかなり元気にガンガン行って、第二楽章は弦楽中心でなかなかに美しい演奏。大規模弦楽陣もなかなかにまとまってシッカリと聞かせている。

 飯守のあまり統制をかけない指揮は、この曲の場合にはそれが幸いしてキラキラと華やかであって威勢の良い演奏になった。また曲の方もブルックナーにしてはかなり派手目の曲調であることからこういうタイプの演奏がぴったりとはまる。久しぶりに大編成のオケの威力を堪能したのである。


 コンサートを終えると今日の宿泊地の彦根に移動することにする。今日宿泊するのはルートイン彦根。私が到着した時点では既にかなり多くの車がやって来ていた。駐車場はほぼ一杯。やっぱりGoToで観光客が増えてるな・・・。大丈夫か?

 テレビをつけたら感染者数が過去最多とのニュースが走っている。気になるのは滋賀が二桁にのって過去最多を更新したということ。もう少し時差があると考えていたのだが、予想以上に同時多発的に発生しているようだ。特にもう東京は全域に広がっており、東京自体をロックダウンする必要が出ているのではと思える。

 さて夕食を摂る必要があるのだが、このホテル周辺は国道沿いのチェーン店ばかりというのが、実はこのホテルの一番難儀な点。と言っても遠くまで出かける気力もなく、結局はくら寿司で夕食を済ませることに。安直だな・・・。

 この日は立て続けの長距離ドライブのせいもあって疲労がかなり強いので、風呂を済ませると早めに就寝したのだった。

 

東京シティフィルの無観客演奏会をYouTubeで視聴、さらにN響の無料配信も

 東京シティフィルが6/26にオペラシティで行った無観客ライブ(どうやらリアルタイムライブ中継もあったらしいが私は知らなかった)がアーカイブ公開されているようなのでそれを視聴した。


第335回定期演奏会 (ベートーヴェン:交響曲 第7番 イ長調 Op.92)/指揮:藤岡幸夫

 指揮は藤岡幸夫。オケはコロナ後には標準となっている10編成の模様。ソーシャルディスタンスには配慮しているが、楽譜台は1プルト辺りに1台になっており、オケの配置としてはそう違和感はない。なおシティフィルはこれがコロナ後初の正式公演になる模様。

 

東京シティフィル第335回定期演奏会(6/26公演)

指揮:藤岡幸夫
東京シティフィルハーモニック管弦楽団

ベートーヴェン 交響曲第7番
エルガー 夕べの歌(アンコール)

 やはりオケも指揮者も感じるところがかなりあるようで、特に指揮の藤岡はかなり感情の入った熱い指揮であり、そのテンションは終盤にかけて盛り上がって行っている。これに対してオケの方であるが、こちらもかなり熱い想いは感じられる。もっともどうしてもアンサンブルが完全とは行かず、藤岡の興が乗ってきて突っ走り出せば出すほど、所々危ない部分がどうしても出てしまう。

 とは言うものの、そういう技術的な面を越えた熱い想いのようなものは、画面を通じてさえ伝わってくるようであった。無観客というオケとしては異質な環境であっただろうが、それでも何かを伝えたいという気持ちは音楽を突き動かすのであろう。


 藤岡は先日の関西フィルのコンサートでもかなり熱い指揮(やや暴走気味に感じられたところもあったが)を披露したのであるが、やはり様々思うところはあると思われる。なお関西フィルでもプログラム変更になった「仏陀」を、いつか近日中に必ずやりたいと言っていたが、本公演も元々の予定を大幅変更になったことから、予定のプログラムは必ず近日中に行いたいと発言していた。無事に開催可能となる社会状況が訪れることを祈るのみである。

 

N響もHPでアーカイブ録音を順次公開の模様

 シティフィルだけでなく、永らくまともにコンサートを開催できていないN響も過去の演奏をHPで順次公開する模様である。期間限定なので要注意。

(スケジュール)

www.nhkso.or.jp

 第1回のトン・コープマンの「ジュピター」が配信中であるが、こちらはライブ映像だけでなくハイレゾでの音声配信もある模様。

(映像配信)

www.nhkso.or.jp

(ハイレゾ音源)

gate2.primeseat.net

 なおハイレゾでDSD11.2MHzで再生するにはマシンスペックや回線に条件がある模様。私のシステムはHPの数年前のワークステーションで回線は普通のローカルケーブルテレビ。これで問題なく再生できているようだから、そうハードルの高い条件でもないようである。私のPCサウンドシステムでご機嫌なサウンドが再生されている(さすがにライブ映像の付属音声よりは大分音質が良い)。ハイレゾ対応を謳っていたスピーカーが初めてその真価を発揮したか(笑)。

www.ksagi.work

 巨匠トン・コープマンの手にかかるとN響がまるで古楽アンサンブルのような音を出すのは驚き。ピリオド奏法のためにあっさりとした風味でやや快速なテンポでの軽妙な演奏。この軽やかさはモーツァルトのモーツァルトたる所以とも思えてくる。実にクリアで明快な演奏である。

 今後も2週ごとにしばらく新プログラムが送信されるらしいので注目である。

 

クラシック音楽館「日本のオーケストラ特集」

 昨日録画しておいたのを今日になって鑑賞。コロナの影響でN響が永らくまともにコンサートを出来ない状態になっているから、アーカイブの中から地方のオケについての録画を引っ張り出してきた模様。今、各地で地方オケが模索しながら活動再開しているところなので、それに対する応援というニュアンスもあるのだろう。

 

 最初に登場したのは札響。放送されたのは2014年11月14日Kitaraでのエリシュカ指揮によるブラームスの交響曲2番から第4楽章。相も変わらず荒っぽいと言っても良いレベルの元気のある札響サウンド。いささか暴走気味ではあるのだが、これがエリシュカに率いられると感動的な名演になる。エリシュカは惜しくも昨年亡くなったが、その最終ライブである2017年のシェエラザードは恐らく私には生涯忘れることの出来ない伝説の名演。その前年に聞いたチャイコの5番もこれまた熱い名演だった。オケと指揮者の関係がこれだけの演奏を引っ張り出すんだと感心したケースである。

 次に登場するのは東海の覇王・名古屋フィル。放送されたのは2008年7月4日愛知芸術劇場コンサートホールでのティエリー・フィッシャー指揮によるベルリオーズの幻想交響曲から第2,4,5楽章。私はティエリー・フィッシャーについては今まで聴いたことがないが、名古屋フィルについては何度か聞いている。名古屋フィルについての正直な感想は「悪くはないのだが、何かもう一味欲しい」というもの。本演奏でもその感はある。フィッシャーの指揮も今回聞いた限りでは何やら仕掛けはあるのだが、どういう方向を目指しているのかが今ひとつピンとこなかった。なお録音状態があまり良くないのか、やたらにティンパニの音が全体に被ってきて演奏がすごく不明瞭だったのも印象を悪くしている。

 3番目に登場するのが我らが関西フィル。やはり関西フィルとなったら震災の話とデュメイの話が絶対に出てくる。特にデュメイの存在が音楽面で与えた影響は大きく、デュメイが音楽監督に就任後の関西フィルは弦楽陣を中心に飛躍的に実力を高めてきたとの評もある。今回放送されたのは2008年10月8日にザ・シンフォニーホールで演奏されたラヴェルのチガーヌ。デュメイのヴァイオリン独奏で指揮は飯守泰次郎。超絶技術を披露しているデュメイの演奏がメインで、残念ながらオケの方は添え物程度(笑)。ただデュメイは単にヴァイオリンの技倆だけでなく、指揮者としても独特の音楽性を示しており、クセは強いもののかなり魅力のある演奏を行い、実際に関西フィルとの組み合わせでの名演も多い。私がライブで聞いた中で記憶に残っているのは2018年のサン=サーンスの交響曲第3番だが、それ以外で印象的だったのは、彼がドボルザークを演奏したらチェコのドボルザークと言うよりも、ブラームスの愛弟子のドボルザークというイメージの演奏になること。

 

 4番目に登場したのは中国の雄・広島交響楽団。この楽団と関わりの深い秋山和慶の演奏を紹介している。2010年5月14日広島文化交流会館でのシベリウス交響曲第2番から第3,4楽章を放送している。広島交響楽団自体は技両面ではまだまだ課題も少なくないオケであるが、秋山がここまで鍛えてきたという経緯がある。今は下野に引き継がれて今後どういう進化を遂げるかが興味深いところ。秋山とオケとの信頼関係が滲むような安定感のある演奏である。

 最後は仙台フィルと山形交響楽団。東日本大震災後、被災地のオケとして様々な活動を行ってきた仙台フィルであるが、それに飯森範親率いる山形交響楽団が加わって、震災復興の思いをこめて2012年7月20日東京エレクトロンホール宮城にてマーラー交響曲第2番「復活」を演奏したコンサートから第5楽章を。なおこの演奏の録音だけが他と比べて各段に音質が良いのだが、恐らく震災絡みの特番か何かの一環でNHKがかなり気合いを入れて録音したのだろう。実際にステージ上にも何本かそれようのマイクを立ててあるのも確認できる。飯森範親はかなり感情で振るタイプなので、格別な思いが籠もっているのはこっちにもビンビン伝わってくる。自分でも「かなり遅いテンポ」と言っていたが、確かにテンポはかなり遅い。ただし指揮者とオケが思いを共有化しているのだろう、緊張感が途切れることがなくその空気もビンビンと伝わってくる。これは恐らく現場で全曲を聴いた観客は相当感動したのではないかと思われる。

 次回も地方オケの特集をするようで、今回扱われなかった九州交響楽団、アンサンブル金沢、群馬交響楽団に我らが日本センチュリー交響楽団と京都市交響楽団が登場するようだ。扱われなかった神奈川フィルは東京のオケ扱いなんだろうか? これでオケ連正会員の地方オケではずされているのは神奈川フィルの他はセントラル愛知、大フィル、大阪交響楽団、PACオケとすべて地方都市(大半が在阪)のオケ。だけどPACなんてそもそもNHKが放送素材を持ってなさそう。

 

東京交響楽団のオペラシティからのライブ放送を見る

 今日の14時より、東京交響楽団によるオペラシティでの公演のライブ放送がニコニコ動画であったのでそれを見ることにする。

 今回は来日できないノットがリモート録画指揮という極めて斬新な取り組みを実践するとのこと。とにかくいろいろな試みを見せてくれるノットであるが、この日本初ともいう取り組みの結果はどうなるやら。なおここまでしなくても、普通に日本人指揮者でも良いのではという気もしないではないのだが、やはりそこはノットあっての東響なんだろう。

 なお中継映像は各所ズームが入るいわゆるテレビ型映像と、固定カメラによる映像の2パターンがあるが、そもそも視点があちこちに切り替わるのが落ち着きなくて嫌いな私は迷わず固定映像を選択。

 

東京交響楽団 東京オペラシティシリーズ 第116回

指揮:ジョナサン・ノット(ドヴォルザークに収録映像にて出演)

ブリテン:フランク・ブリッジの主題による変奏曲 op.10(指揮無し)
ドヴォルザーク:交響曲第8番 ト長調 op.88

 一曲目は小編成(弦楽のみで8編成)のオケによる指揮者なしでのブリテンの曲。現代寄りの音楽でありながら、曲想に所々古典のような雰囲気が滲むこともある変わった曲。

 指揮者なしでの演奏であるがなかなかに統制が取れていて美しい演奏。弦楽の密度が非常に高い。東響、なかなか良い演奏をするというところである。

 後半はノットの指揮によるドボ8だが、これについてはノットはモニター指揮である。当初はリモートによる指揮も考えたそうだが、どうしても時差が発生するために難しく(地球の裏側だと衛星中継でも時差が出る)、結局は録画によるものにしたとのこと。ノットもスイスロマンドでは超斬新配置の第九を指揮したりなどとにかくいろいろとやる男である。

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 休憩時間の間に指揮台の位置に大型モニタが複数配置されるというかなり珍しい光景。オケの音を聞かずに指揮映像を収録したノットも大変だが、一方的に指揮映像に合わせて演奏するオケも大変である。

 で、心配した通り、冒頭はコンマスにも動きがない(ヴァイオリンはやや遅れて入る)せいもあってか、入りがピッタリと合わずにややグチャグチャする局面も。その後もノットのやや快速テンポもあってかかなり危ない局面もチラホラ。録画映像ではノットもテンポ指定ぐらいしか出来ないし、実際の音を聞いて修正指示を飛ばすと言うことが出来ない無理はある。阿吽のアイコンタクトなども取れないこともあり、正直なところ第1楽章前半はオケは指揮に合わせるので精一杯という印象を受けた。演奏に余裕が感じられない。

 その後もやはりノットがオケの空気を読むことが出来ない超KY状態であるので、ノットらしいテンポ変動や溜が出るとそこでオケがどうしてもグチャグチャしてしまう。どうしても演奏におっかなびっくりの手探り感が出てしまう。やはり全体を統一する強力な意志の不在というのは大きく、改めて指揮者とは単なる人間メトロノームではないと痛感した次第。ノリで振る部分もあるノットも大変だったろう。

 まあ新たらしい試みではあるが、さすがに少々無理はあったかなというところ。ノットらしい特徴は出ていたのであるが、ノット指揮というよりもノット風というような雰囲気になってしまった。それでも演奏崩壊にならなかった東響はさすがである。この辺りはノットの癖のようなものを楽団員がよく理解していることが大きいんだろうか。


 それにしてもやっぱりまだニコニコ動画の方がカーテンコールよりも音質が良いし送信の安定性も高いという現実。これはどうにかしないとカーテンコールマズいぞ。

 

関西フィル第312回定期演奏会のために大阪に出向く

 東京は本格的に感染爆発、大阪も60人越えで実質的に感染爆発というかなりヤバい状況の中で大阪に出向く羽目になってしまった。1ヶ月ほど前に関西フィル事務局から「次の定期演奏会に来られますか?」と電話確認が来た時には、あまり深く考えずに「やるんなら行きます」と言ったものの、まさかここまで急激にヤバい状況になってくるとは。とりあえず考えられる限りの対策はした上で出向くしかない。当然のように一番危険な鉄道を避けるために車で往復することにする。

 金曜の仕事を終えるとすぐに車で大阪に向かう。夕方の阪神高速は例によって渋滞があるが、幸いにして致命的な遅れは生じずに目的地に到着。駐車場は今回はタイムズでもakippaでもどちらも事前予約が出来なかったので、時間制駐車場を出たとこ勝負にすることにしている。とりあえずザ・シンフォニーホール周辺の駐車場を調べて第1希望から第3希望ぐらいまで用意しておいたのだが、難なく第1希望の駐車場に車を停めることが出来る。まあこういう時に日頃の行いが出るというものだろう(笑)。

 駐車場に車を置くとホール周辺で夕食を摂る店を探すが、今日は小雨がぱらつく悪天候の上に昨今のコロナ患者急増の影響か、この界隈もいつになく人通りが少ない。店を覗いても開店休業みたいな店が多いし、実際にご臨終してしまったらしき店もある。相当影響は出ているようだ。観光地なんかが悲惨な状況になっているのは想像に難くない。しかしこの時期にGoToキャンペーンなんて明らかに常軌を逸しているし、もうこうなったら直接支援しか手はないだろう。

 

無事にコロナ禍を生き抜いた「やまが蕎麦」で夕食

 ラーメンやカレーという気分でもなかったことから、結局は「福島やまが蕎麦」に入店して「ざる定食(750円)」を摂ることに。どうも最近はそばを食べる頻度が増えてきた。私も老化してきてかつてのように肉をガッツリという気にはならなくなってきた。

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よくぞ持ちこたえてくれた

 この店に来るのも半年ぶりに近いのではなかろうか。正直なところ「よくぞ生き残ってくれた」というところ。久しぶりだが相変わらずそばが美味い。もっとも今日は昼が軽かったせいもあって、おにぎりをつけてもやや量的には不足気味。帰ってから何か食べるしかないな。

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ざる定食

 

編成は以前よりも大型になったが、厳戒態勢は変わらず

 夕食を終えるとホールへ。ホールは相変わらずの厳戒態勢。入場時にもソーシャルディスタンスを守ってチケットは自ら千切って箱へ。手はアルコール消毒をしてから入場、プログラムも手渡ししないし、トイレ前にはソーシャルディスタンスを守っての行列のマークがあり、喫茶スペースは完全封鎖。場内は「大声でのおしゃべりはおやめください」の放送が常に流れているという厳戒態勢である。

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入場は厳戒態勢なので時間がかかる

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封鎖された喫茶室

 ステージは以前よりはやや奏者を接近させた配置にしているが、まだ1プルトに楽譜台を2つずつ置いている状態。どうにか10編成を配置したようだが、予定していた「仏陀」の演奏は無理とのことでプログラムは変更になっている。

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10編成をステージ上に配置

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楽譜台は1プルトに2台

 観客も閑散配置。1700席のホールに700人ほどしか入れていないという。ここまでしてこれで感染が起こるようなら、もう感染を防ぎながら社会生活をすることは物理的に不可能だろう。私も消毒薬のスプレーと滅菌用ウェットティッシュを持参して自衛しているが、実際にどこまで有効なのかは分からない。

 

関西フィル第312回定期演奏会

指揮:藤岡 幸夫(関西フィル首席指揮者)
ヴァイオリン:岩谷 祐之(関西フィル・コンサートマスター)

チャイコフスキー:弦楽セレナーデ ハ長調 作品48
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47

 一曲目はコロナ以降とみに演奏機会が増大している「オー人事」ことチャイコの弦楽セレナーデである。最初はどうも関西フィル弦楽陣らしくないやや硬めの音色に聞こえたが、尻上がりに調子が良くなってきたようだ。デュメイに鍛えられて以降進境著しい弦楽陣が、段々と持ち味のネットリとした艶のある音色を出して来た。閑散配置のせいでアンサンブルは通常よりも困難になっているのは演奏の端々に覗われたが(序盤やや硬質な音色に感じられたのも、微妙なアンサンブルの乱れのせいかもしれない)、その点での決定的な破綻はなかった。また藤岡もいつにも増して見やすい指揮を意識していたように思われる。結果としては非常にまとまりのある美しい演奏になっていた。

 さて関西フィルファンにはお馴染みの岩谷をソリストとして迎えてのシベリウス。前回は演奏会では2管編成に弦は6編成というかなり変則的な構成だったせいで、弦と管のバランスが微妙だったが、今回はその点ではオケの方はバランスが取れるようになった。ところでこの曲はとかくソロがか細くなってオケに埋もれてしまいがちになる危険がある曲だが、岩谷の演奏はなかなかに力強くオケに埋もれるということはなかった(通常よりも若干小さめの10編成も功を奏しているか)。ただプレトークで藤岡は岩谷の演奏を「悪魔的」と評したのだが(以前に木嶋真優の時もそう評したことがある。藤岡が好きな言い回しなのか?)、その割には意外に大人しい演奏だったようにも感じられた。技術的安定感でしっかりと押していったという印象。歌いはするものの意外と遊びは少ない。むしろバックのオケの方が途中でかなり荒れ狂う場面があった。藤岡の指揮がいささか暴走気味だったかも。

 やや地味目の印象のコンサートであるが、しっとりカッチリとまとめた演奏は関西フィルらしいか。何となく指揮者の藤岡の感情が行間から滲み出てくるようなところもあったが、この異常事態にはやはりいろいろと感じるところはあるだろう。

 

 コンサートを終えると深夜の阪神高速を突っ走って帰宅。さすがに仕事終了後に大阪までの往復はキツい(幸いにして公演中にうつらうつらすることはなかったが)。こういう時には気合いを入れるために水木の兄貴の「熱風伝説」を。「マシンは僕だ~」(これだけで何の主題歌か分かる人は私と同年代のオタク)と絶叫しながら帰宅の途についたのである。

 

小泉指揮の名古屋フィルの「田園」をカーテンコールで聴く

 先の7/10に5ヶ月ぶりで開催された名古屋フィルの定期演奏会が、カーテンコールでライブ中継されたとのことだったんだが、私がその情報を入手したのが7/11だったために(直前まで名古屋フィルのHPでもライブ中継の件はアナウンスされていなかった)聞き逃していたのだが、本日からカーテンコールにてアーカイブ送信されることになったようなので、早速聴いてみるとことにした。

curtaincall.media

 ステージの奏者の配置は今まで他所の配置と違って、若干奏者間の距離を取っている気もするが通常配置に近いもの(弦楽奏者は1プルト当たりに楽譜台1台である)である。ステージでソーシャルディスタンスを取ったところで、もし楽団員から感染者が出たら恐らく楽団丸ごと休業だろうし、観客との間に距離を取ってコンサートでのクラスターが発生しなかったら良しと考えるのは一つの判断だろう。そもそも実際にこれでコンサート会場でのクラスターが発生するようなら、通勤電車は完全にアウトである。

 

名古屋フィル第481回定期演奏会

指揮:小泉和裕

ベートーヴェン交響曲第6番「田園」

 なかなかにまとまりの良い演奏。歯切れの良いドッシリとした安定感のある演奏で、小泉らしく無難ではあるが大きな特徴もないというところがある。終始一貫して手堅くまとめた感がある。

 つい最近、山形交響楽団も同曲を演奏していたが、そっちは演奏できることへの喜びと山形の風景が一体化したような独特の演奏だったが、名古屋フィルの方は演奏できることへの喜びというよりも、ようやく演奏できるようなった安堵感のようなものの方を強く感じられたような気がする。これは小泉の表現がやや抑制気味で、極端な感情の爆発は抑えていたことによるような気がする。最終楽章などもう少し楽園的イメージがあっても良いように思われたのだが。


 ライブ中継では未だに、サーバ負荷によるものか回線容量によるものか知らないが、途中で演奏が途切れるなどのトラブルがあるカーテンコールであるが、今回アーカイブを聴いている限りでは送信も安定しており、音質もまずまずのところにいっている。初期の音声バランスやレベルが滅茶苦茶だった頃に比べると各段の進歩を遂げたのは明らかである。今後も、日本発のクラシックストリーミングサービスとして安定した発展を、この業界のためにも願いたいところである。

METの「さまよえるオランダ人」は流石にゲルギエフが冴えまくり

いよいよMETライブビューイングもファイナル

 さてコロナで中止になった分のMETライブビューイング3週連続上映はいよいよファイナルの「さまよえるオランダ人」のみとなった。それにしてもこの間にもコロナの状況は日に日に悪化して、東京は実質的に感染爆発状態(にも関わらず諸般の事情でアラートは出ない)であり、その影響は関西にも及びつつあり、大阪も爆発前夜という雰囲気になってきており、当然のように大阪と運命共同体の兵庫もその影響を受けつつある。この調子で来週以降の大阪でのコンサートが大丈夫なのかなと心配しつつ、今週も車で三ノ宮まで繰り出すことにする。

 タイムズ予約で確保してた駐車場に車を預けると、とりあえずは昼食。国際会館周辺の店もそんなにめぼしいところはないし、11時半から開店の店が多いので、12時からの上映に間に合わない。仕方ないのでセンター街の方をうろついてみるが、こちらの店も11時開店がほとんどなので、開いている店がない。そんな中、一軒だけ開いているラーメン屋を見つけたので入店して炒飯と醤油ラーメンのセットを注文したのだが、これは残念ながら失敗だった。炒飯は味自体は悪いと言うほどではないのだが、妙にコゲばしかったし、何よりもラーメンがまるで駄目。醤油に化学調味料だけで味をつけたような感じで、とにかくマズかった。ここは再訪はなし。

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失敗ラーメン

 ラーメンを食べ終わった頃には他の店も開店し始める。そこで口直しに「亀井堂」に入って「宇治金時」を注文する。抹茶の味が強くてなかなか美味い上に、見た目以上に小豆が入っている(外からは少ししか見えていないが、実は底の方に意外に入っている)のがうれしい。実のところ今日は悪天候で宇治金時ドーピングが不可欠な状況ではないが、久しぶりに生き返った気分にはなった。そのまま国際会館に直行する。

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センター街地下の亀井堂

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宇治金時ドーピングをする

 

 

 券売所の表示を見ると「さまよえるオランダ人」が「のこりわずか」になっていたので何が起こったんだ?と思ってネット販売をチェックしたが、そんなに売れている様子もない。だが館内には結構大勢の客が上演開始を待っているので、どうなってるんだと思いながら空中庭園の方を一回りして戻ってきたら、観客が全くいなくなっていた。どうやら先ほどの待ち客は11時40分から上映開始の「イップマン完結編」を待っていたようだ。何やらブルース・リーの師匠のカンフー名人の話らしいが(劇場で予告を見ただけなので中身はよく知らない)。それにしても結構年配が多かったと思ったが、よくよく考えると、ブルース・リーのファン層自体がもう年寄りか。そう言えば、ガンダムファンなんかも最近は種とか00とかわけの分からんのが増えていて、ファースト原理主義者はもう年寄りらしいし。

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残席表示が「残りわずか」になっている

 ようやく上映開始で館内に入場。入場客は確かにこの三週で最も多かったが、それでも20人ちょっと程度。

 

 

METライブビューイング ワーグナー「さまよえるオランダ人」

指揮:ワレリー・ゲルギエフ
演出:フランソワ・ジラール
出演:エフゲニー・ニキティン、アニヤ・カンペ 、藤村実穂子 、フランツ・ヨーゼフ=ゼーリヒ、セルゲイ・スコロホドフ 、デイヴィッド・ポルティッヨ

 ワーグナー初期のヒット作品。永遠に海上を彷徨い続ける呪いにかかったオランダ人が純粋なる乙女の愛によって救われるというロマンティックストーリー・・・というのが普通の解釈だが、私にはオランダ人の肖像画に惚れてしまった二次元オタの腐女子が、その肖像画に瓜二つのイケメンにぞっこんになってしまって、究極まで自己陶酔した挙げ句に自らを犠牲にまでしたという話のようにも見えてしまったりする。

 さて本公演の指揮はゲルギエフ。彼のライブを何回か聴いたところでは、どうもあまり統制をかけずに豪快に鳴らすややヌルい演奏という印象を持っていたが、本公演ではこのオケを豪快に鳴らす手法が極めて効果的である。もう開始早々その格好良さにグッと心をつかまれた。特にその序曲はもうこれだけでこのドラマ全体を象徴していることが非常によく分かり、いきなり堪能させられてしまった。ワーグナーマジックとゲルギエフマジックの二重の魔術に魅了されたというところ。さらには作品世界をダンスとプロジェクションマッピングで表現しきった演出も見事であった。通常は途中で拍手はしないワーグナーのオペラで、ここのところはMETの会場でも拍手が起こっていたのも納得。私もその場にいたら多分拍手したろう。改めて、やっぱりゲルギエフってオペラ指揮者なんだなと感じた次第。

 作品は終始、この「格好良い」音楽に乗せてドラマチックに展開する。休憩なしの三幕連続構成で上演時間2時間半と短めであることと、晩年の作品ほど複雑な音楽構成でないことなどが幸いして、ドラマがだらけないし、内容も理解しやすく音楽の演劇とのマッチ度も高い。これはワーグナー初心者向きの作品だななどとも感じた次第。

 悲劇的運命に翻弄されているにも関わらず非常に堂々として見えるオランダ人はニキティンの落ち着いた演技と歌唱の代物。一方のゼンタを演じたカンペはややエキセントリックにも見える少女(恋に恋するヒステリックな少女という印象だった)を圧巻の歌唱力で演じた。終盤の去ろうとするオランダ人に対して自らの純愛をたかだかに主張するシーンなどは圧倒されてしまった。ゼンタを純粋に愛していながら結局報われなかった不幸なエリックの美声のテノールのスコロホドフも好演。

 久々にオペラの音楽で圧倒されたというのが本作であった。見応えあるなとつくづく感じた作品である。


 帰りには例によって長田に立ち寄って和菓子の購入。定番ういろは購入できたが、大西のつゆ草は十分な量を確保できなかったので、長田神社前に行って加島の玉子焼きを購入。ここはかつては長田神社で祭りがある度に定番になっていた人気の露店だったのだが、知らない間に神社前に店を構えたのがここ。玉子焼きとはいわゆるベビーカステラと言われる類いの菓子だが、ここのは以前から味のバランスが絶妙である。これを1000円分購入して帰ることに。

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そろそろ再びコロナが気になり始めたところだが、METライブビューイングに出かける

コロナは本当に大丈夫なのか?

 東京では完全にコロナの感染二次爆発(と言うよりも、そもそも一次爆発が終息していなかったのだが)が発生し、大阪・京都などでも観光客の回復と共にコロナ感染者数がジリジリと増えてきているという不穏な情勢の中だが、私も警戒しつつ神戸までMETライブビューイングを見に行くことになった。今回はヘンデルの「アグリッピーナ」。ところでこの調子でいったら、来週の「さまよえるオランダ人」大丈夫かな? その頃になったらもう東京はアラートを出さざるを得ない状況に追い込まれていると予想できるが(あくまで経済優先で補償をしたくない小池百合子が抹殺する可能性もあり得るが)。

 午前中に家を出ると車で神戸まで移動する。さすがに私もまだ最大の感染源になっている可能性が高い(にも関わらず、なぜか政府の想定では常に設定外になっている)鉄道での移動をする度胸はない。正直なところ車での移動は日本の異常にクソ高い高速料金に、これまた二重課税のせいで異常にクソ高いガソリン代、そしてこれまた異常にクソ高い駐車料金まで必要になるので財布には非常に厳しいのであるが、自分自身が高危険群である身を考えると、自衛はせざるを得ない(東京なんかは自衛しない奴は自己責任で死ねと都が言っている状態だし)。

 タイムズ事前予約で押さえた駐車場に車を置いた時は上映開始時刻である12時の1時間ほど前。生憎とパラパラと雨が降っている状態。この時になんと傘を持ってくるのを忘れていることに気がついた。結局はコンビニでビニル傘を買って無駄な出費。

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国際会館は今日も雨だった・・・

 

昼食を摂るために立ち寄った店での非常に不愉快な経験

 上映開始時刻までに昼食を摂ろうと、国際会館の向かいにある「神戸ステーキプロペラ」に立ち寄ったのだが、ここで予想外の不愉快極まりない事態に直面することに。

 私が到着した時には営業開始の11時の10分ぐらい前で、既に年配の女性2人組が待っていたのでその後に並ぶ。どうやら聞こえてきた話では、前の二人は30分前から待っているようだった。その間も店員が慌ただしく店を出入りして横を通り過ぎていったのだがこちらを見る様子もなかった。その内に開店時間が。前の2人が入店しようとした途端に店員が名前を聞く。「?」状態の年配女性2人に対して店員は「今日は予約が一杯なので席がないです」の一言。これにはさすがに彼女たちも「私たちが30分前から待っていて、その間に店員が何度も出入りしていたのに、それなら何で一言言ってくれないんだ」と食い下がる。これは極めて当然の話である。予約客ならそんな30分も前から雨の中で待つなんてことは普通あり得ないので、そこは「ご予約の方でしょうか?」と声をかけるのが当たり前である。別に予約客を優先するのも逆に予約を受け付けないのもその店の方針で自由だが、その店のルールをすべての客が把握していることを前提にするのはおかしい。声をかけるのが嫌なら「当店は予約客優先ですので、ここで待っていても入店できません」と張り紙しておくか、せめて「本日は予約客で満席です」の表示ぐらいしておくのが常識というものである。

 恐らく客なんて黙っていても来るという姿勢の店なんだろう。私は呆れたのでさっさと店を後にする。そういう姿勢の店は料理以前の問題である。なお私はどこかの店に立ち寄った時、その店の料理をマズいと感じた時には、基本的には店名を出さずに「今日の夕食は失敗だった」と記すだけにしている。それは所詮美味い不味いは個人の好みがあるので、それを押し付ける気も営業妨害紛いのことをする気もないからだ。もっともCPがイマイチぐらいは言うことはあるが、それはマズいという意味でなく、大抵は美味くはあるが価格がそれ以上に高いという意味である。だが客あしらいなどのサービスの部分は、飲食店としての基本中の基本である上に、店側としても改善はすぐに可能である部分であるので、あえて店名を挙げる。

 ちなみに私は10分弱ほど待っただけなので、ムッとしただけでその場を去ったが、これがさすがに30分以上待ってこの対応だったら、こんな超マイナーブログに書くだけでなく、Googleマップや食べログにまで書き込むぐらいの怒りは持っただろうと思う。もし彼女たちがそれをしたとしても、今回は許される行為であると言うことは私が保証する。

 

気を取り直して近くの喫茶店で昼食

 仕方ないので他の店を探して南下したところ「くろんぼ」なる喫茶店を見つけたのでそこに入店する。ところでこの店名、全く何の悪意もないだろう事は分かるが、今のご時世を考えると結構グレーな店名である(黒人差別と取られる可能性がある)。ランチにはオムライスのセット(950円)があるようなのでそれを注文する。

 

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喫茶店である

 今時珍しくなりつつある純喫茶というやつのようである。まずはサラダから登場。野菜は美味いがいささかドレッシングのかけ方が私には豪快に過ぎる。少しカロリーが気になる(笑)。

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ややドレッシングが豪快なサラダ

 オムライスはデミ系というやつか。最近は具無しのオムライスも多いが、ここのはソーセージやら豆まで結構具だくさん。味はしっかりしている。これにコーヒーが付いて終わり。私はアイスコーヒーを頼んだが、残念ながら苦味の強い本格的コーヒーは私のようなお子ちゃまに向かない。味の好みはあるが、喫茶店ランチとしてはCPはまずまず。ご近所の常連とかが付きそうなな雰囲気である。

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デミ系の具だくさんオムライス

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さらにアイスコーヒー

 

都会のオアシスで前世の血が騒ぐ(笑)

 30分でランチを終えると劇場へ。国際会館にはさながら都会のオアシスというような空中庭園があるのだが、そこに巨大な壺が置いてある。説明によると200年前にオリーブオイルを貯めるために使われていた壺とのこと。子供の頃から段ボール箱に入って遊んでいた私としては、貴重な壺と書いてなかったら中に入りたくなるところ(笑)。私は高所恐怖症と先端恐怖症はあるのだが、なぜか昔から閉所恐怖症だけはない(笑)。むしろ狭いところは落ち着くから好きで、恐らく前世はハムスターだったのだろうと考えている(笑)。

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都会のオアシス

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何となく入りたくなる壺だ

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ガッテン? と思ったらガーデンだった(笑)

 ところでこのスペース、椅子とテーブルなども置いてあり、どうやらビアガーデン用のスペースでもあるようなのだが、今年はビアガーデンなんて出来るんだろうか?

 上映開始の10分前から劇場に入場。観客は10人足らず。やはりヘンデルのマイナー作品となると、このご時世にわざわざ出てきてまでという者は少ないか。

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国際松竹

 

METライブビューイング ヘンデル「アグリッピーナ」

指揮:ハリー・ビケット
演出:デイヴィッド・マクヴィカー
出演:ジョイス・ディドナート、ブレンダ・レイ、ケイト・リンジー、イェスティン・デイヴィーズ、マシュー・ローズ

 ヘンデルがローマ時代の物語に載せて、当時のフィレンツェの権力争いを風刺したとされている作品。それをマクヴィガーは現代劇に翻案している。権力を巡る滑稽で空しい争いはいつの時代も変わらないということらしい。

 本作はMETのレパートリーの中で最古の時代の作品に属するという。ヘンデルだけに音楽はバロックの軽快で簡素なもの。これを時代相応の演出でしたら地味になりそうなところだが、現代劇に翻案したことで逆にバランスが良くなっている。私はオペラの現代劇翻案は基本としては否定的なのだが、本作に限ってはむしろ正解のような印象も受けた。

 やはりヒロインのディドナートの圧倒的な存在感が一番。歴史的に見た場合の希代の悪女の一人・アグリッピーナ(本作の彼女は悪女というよりは、息子を皇帝にしたいと執着する強度の親バカに過ぎないとも言えるが)をふてぶてしいまでのたくましさで演じている。眉一つ動かさずに邪魔者を消しそうな冷淡ささえ垣間見える。

 ただそれ以上に目立ったのは、彼女の息子であるネローネ(いわゆる暴君ネロである)を演じたケイト・リンジーの怪演。オペラ歌手に珍しいスレンダーなボディをした彼女は、何の違和感もなくスボン役をこなす(今時のチャラいイケメンにしか見えない)だけでなく、歌唱力に加えてダンスのセンスも有しているのに驚かされる。特に体操のごとくに派手な動きを取りながらのアリアの歌唱には唖然とさせられた。見事に中二病的なヤンキーのネロを好演しており、抜群の存在感を示した。

 歴史的にはアグリッピーナに負けず劣らずの血みどろな人生を歩んだポッペアだが、本作では愛するオットーネのことを思いつつ、アグリッピーナの策略に欺されてしまうまだまだ経験の浅い女性。その揺れる内面を表現したブレンダ・レイはディナードと渡り合うだけの存在感がある。一方、ポッペアの思い人であるオットーネを演じたディヴィーズは非常に美声のカウンターテナーだが、美しすぎるがゆえに、単なる恋する若者だったら十分だが、将軍にしてはやや線の細さを感じさせてしまうところがある。

 一癖も二癖もある登場人物が揃うこの作品を、マクヴィガーの演出は現代劇翻案することによってさらに癖の強い人物達のドタバタ劇へと展開した。この巧妙な演出と、各人の表現力が相まって、印象の強い舞台へと仕上がっていた。ここまで濃い舞台となると、出しゃばらないヘンデルの音楽がむしろしっくりくるということに驚いたのである。これがワーグナーやヴェルディのように音楽が濃いと、舞台の濃い演出とケンカになる可能性が高かったろう。この辺りが実に巧妙であった。

 正直なところ、ヘンデルで現代劇翻案と聞いた時「わざわざ行くまでもないかな・・・」とも思っていたのだが、結果は見てみて正解であった。さすがにメトロポリタンは侮れない。そう言えば先週も「ガーシュインか・・・どうしようかな」と迷ったんだったっけ。


 オペラを堪能すると例によって長田で和菓子を仕入れて帰宅したのである。今回はういろの仕入れには成功したが、残念ながら大西のつゆ草は売り切れだった。夏の人気商品だけに、週末などは売り切れの場合があるのが難点である。

 それにしてもコロナの新規感染者数は東京で131人と完全に感染爆発、大阪でも17人、京都で9人と明らかに都市部を中心に再爆発の傾向が現れてきている。これは来週の上映やら、月末の関西フィル、大フィル、京都市響などは大丈夫だろうか?

 

上映中止になっていたMETの「ポーギーとベス」を劇場再開でようやく見に行く

 昨日大阪から帰ってきて、正直なところ疲れがまだ体に残っているのだが、今日は再び神戸に出向くことにした。目的はMETライブビューイング。例のコロナ騒動で上映が流れた「ポーギーとベス」がこの週末に上映されることになったから。昨日大阪に出たついでに大阪の劇場に立ち寄れないかも考えたのだが、大阪ステーションシティシネマは11時から4時間と言うことで関西フィルとモロ被り、なんばパークスシネマの方は18時半からなので、終わってから帰ったら深夜になってしまう。しかもなんばパークス周辺には夜も開いている駐車場がない。かといって車を福島において地下鉄なんかで移動したら、何のために車で行ったのかが不明になってしまう。と言うわけで今日になって神戸の国際松竹に出向くしか手はなくなった次第。

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神戸国際会館

 例によって駐車場はタイムズの予約で確保済み。阪神高速を突っ走って三ノ宮に到着すると、契約駐車場に車を置く。上映開始は12時からなのでまだ時間があるので、最初は国際会館地下のスタバによって抹茶ラテを買ったのだがこれは大失敗。甘すぎて気持ち悪くなってきたので半分も飲めずに破棄。

 

 

三ノ宮で昼食を

 そろそろ11時になったので上映前に昼食を摂っておくことにする。立ち寄ったのは国際会館向かいのビルの地下にある「ロイン」。ステーキハウスであるが、昼食時には安価なランチメニューがあり人気と聞いた。入店するとランチメニューの中から「ミニステーキランチ(1000円)」を注文する。ちなみにこれで不足の人には「ミニステーキラージ」という意味不明(笑)なランチもある。

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国際会館向かいのロイン

 サイコロステーキとの表記があったが、ファミレスなどの整形肉とは違って、要はステーキなどを切り出した切れ端のようである。焼き具合は強火でザッと焼いたという印象。カチカチにならずに柔らかいが、いささか香ばしいと言うよりも焦げばしいという感がある。肉が薄手なのとソースの味付けの関係で、ステーキと言うよりは焼肉という印象。多分ステーキを食べたら美味しいだろう。

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ミニステーキランチ

 それにしても人気のランチと聞いていたのだが、開店直後とはいえ客が私の他には親子連れ一組というのはいささか寂しすぎる感がある。明らかに表を歩いている人数も少ないし、まだまだ飲食店は苦戦中のようである。

 

 昼食を終えると劇場に向かう。座席は一席飛ばしの閑散配置になっているが、その閑散配置がほとんど埋まらない状態。恐らく観客全員で20人に届いていない。

 

 

METライブビューイング ガーシュイン「ポーギーとベス」

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国際会館11階の国際松竹

指揮:デイヴィッド・ロバートソン
演出:ジェイムズ・ロビンソン
出演:エリック・オーウェンズ、エンジェル・ブルー、ゴルダ・シュルツ、ラトニア・ムーア 、デニース・グレイヴス、フレデリック・バレンタイン

 アメリカ南部の黒人たちの集落、キャットフィッシュロウ(なまず横町)で暮らす足の不自由な乞食のポーギーは、ベスに密かに思いを寄せていた。そんな時、ベスの内縁の夫であるクラウンが賭博のトラブルで殺人して逃亡、取り残されたベスをポーギーが匿うことになる。ポーギーの愛に安らぎを感じ、彼と共に生きていこうと決めるベスであるが、そこにクラウンが戻ってきて・・・という物語。黒人社会をガーシュインがジャズテイストで描いた人気作である。

 まともに生きたいと思いつつも、薬物依存がある上に男に頼らないと生きていけない性分のベスを演じたエンジェル・ブルーの演技は、ベスの内面の葛藤を滲ませており、悪女ではないがどうしようもない女性であるベスのキャラクターを見事に表現していた。

 存在感が目立ったのは、フランクと並んで本作の悪役であるスポーティング・ライフのフレデリック・バレンタインの怪演。どうしようもない超チャラ男キャラを怪しさ全開でありながら妙な愛嬌も感じさせる極めて印象的な悪役として表現していた。時にはその存在感は完全に場を支配していた。

 主役のポーギーを演じたエリック・オーウェンズは圧倒的といっても良い存在感であった。ポーギーの一途さ、心の機微を見事に描ききっていた。もっともあまりに堂々としているのでただの片足の不自由な乞食には見えなかった部分もあるが(笑)。もっともこのポーギーは荒くれ者であるフランクを結局は格闘で絞め殺しており、確かに実はただ者ではないのであるが。

 貧しさの中で互いに助け合いながら生きている黒人のコミュニティーの中の、どうしようもない連中による悲しい人間模様を描いたのが本作。まともな生き方をしたいと思いつつも結局はそれを果たせずに誘惑に負ける悲しいベスと、そんなベスを一途に思って生きる支えにしているポーギーの悲しさは胸を打つ。

 それにしても抜群だったのはガーシュインの音楽。作品に非常に合致して魅力的な音楽の数々は心を打つ。なお本作、アメリカ近代オペラの代表作と捉えられているが、ハリウッドのミュージカルとして演じても違和感のない内容であり、劇中のアリアのいくつは実際にいわゆる定番曲になっているとのこと。正直なところ私はガーシュインの音楽はあまり知らないし興味もあまりなかったのだが、本作を見て初めてガーシュインの天才を確信した。なおそのガーシュインの音楽に、見事で歯切れの良いダンスを組み合わせた演出も抜群であったと言える。

 なお作品中には権力を振りかざす白人警官なんかも登場(悪役というよりは単なる嫌な奴)しており、その辺りは図らずしも妙にタイムリーであるようにも感じられたが、これはむしろ余計な話か。


 ガーシュインってすごい音楽家だったのだということを初めて理解した。それだけでもわざわざ疲れを押して神戸まで出張ってきた価値はあったというところか。

 

 

帰宅途中で長田の名物菓子を購入する

 この後は帰宅するのみだが、途中で私がかつて住んでいた長田に立ち寄る。長田は実は有名な和菓子屋が何軒かあり、そこの定番土産を買って帰ることにした。立ち寄ったのはまず「長田のういろや」。ここで「抹茶ういろ」を購入。ういろといえば名古屋名物のクソマズい「ういろう」のせいで非常に印象が悪いが、そういう者はこの長田のういろを食べてみることをお勧めする。完全に別物である。名古屋の何やら羊羹の出来損ないのようなまずい菓子ではなく、ここのういろはもっともっちりとした柔らかいちまきに近いような菓子で抜群に上手い。その代わり完全な生菓子なので日持ちがしないのが難点(だから駅などの土産物にしにくい)。

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 さらにもう一軒「餅屋大西」に立ち寄って、この店の夏の定番である「つゆ草」を購入。いわゆる水饅頭であり大垣などでは名物のようだが、長田の人間としては水饅頭といえば大西のつゆ草というのは常識。冷やして食べると実に美味である。

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 今回購入したのは上記の2点のみだが、実は長田はこれにほうらく堂」「ほうらく饅頭」という薄皮饅頭もあり、これらを合わせて「三種の神器」とも呼ぶ和菓子の定番である。もし長田界隈に来ることがあれば、長田神社参道筋のこれらの店をお勧めするところである。

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