徒然草枕

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白鷺館アニメ棟

ゲルギエフとミュンヘンフィルでブラームスの二重協奏曲と交響曲第3番

遠征を断念した日曜は大人しく部屋でネット視聴

 ミュンヘンフィルが以前からライブ配信を行っているが、現在はゲルギエフ指揮のブラームスの演奏を無料配信している。期間は一週間で1/30までとのことなので早速聴きに行ってみた。

www.mphil.de

 それにしても最近はブラウザーが勝手に翻訳してくれるおかげで非常に助かる。私はそもそも外国語に関しては非常に不自由な人間で、ドイツ語はおろか英語でさえもスラスラと読むということは到底出来ないのだが、勝手にブラウザが日本語っぽいもの(場合によっては内容がかなり怪しい時もあるが)に翻訳してくれるので、おおよその意味は流し読みで取れるのは非常に大きい。もっともベルリンフィルのように最初から向こうで日本語サイトを用意していて暮れるに越したことはないが。

  なお本来は今日は私は京都市響の定期演奏会に出向くつもりであったのだが、現在のコロナの感染拡大状況、さらには現在の私の体調(コロナの症状には該当しないが、日頃の心身の疲労からくる持病の悪化等の不調)を鑑みて、京都までの長距離移動を断念した次第(車で行くのは体力に自信がなかったし、鉄道は危険性が高いので避けたい)。私は石原伸晃のような上級国民ではないので、万一感染しても入院もさせてもらえず野垂れ死にされられるのは間違いない。というわけで今日は大人しく室内で過ごすことにした次第。正直なところ高村のショスタコは興味はあったのであるが・・・。というわけでチケット代は京都市響へのお布施。

 

ミュンヘンフィルライブ配信

ヴァレリー・ゲルギエフ指揮
レオニダス・カヴァコス(ヴァイオリン)
ゴーティエ・カプソン(チェロ)

ブラームス ヴァイオリンとチェロの二重協奏曲
      交響曲第3番

 冒頭からいきなりやや哀愁を帯びたカプソンのチェロの音色がなかなかに聴かせてくれる。曲調も相まってなかなかに甘美な演奏。ゲルギーの一つ間違えばそこらのホームレスに見えかねないくたびれた外観と、無精ひげを生やしたやはりむさい外観のカヴァコスというビジュアル面の問題(笑)さえ除けば、メロドラマ的な甘美な世界が繰り広げられる。二人のソロだけでなく、背後のオケも含めて実に優美な演奏であり、この辺りはいわゆるゲルギー節の真骨頂。もっともこの曲は単に甘美なだけでなく、緊張感もいささか欲しい気もしないではない。特に最終楽章などは。

 交響曲第3番については、予想通りというか予想以上に美しいメロドラマで来た。特に有名な第3楽章など冒頭からメロメロである。やや抑えめのテンポでしっとりゆったりと哀愁タップリである。そしてその空気のまま最終楽章に突入。しっとりドッシリと壮大なメロドラマのフィナーレを飾るというところ。ミュンヘンフィルの音色もなかなかに厚い。非常に壮大な美しい世界で一編の終了と相成ったのである。

 例によってのゲルギー節の全開運転である。以前に来日時に私が聴いた時よりもオケとゲルギーのツーカー感がかなり増している印象。緊張感はやや欠けるがとにかく美しいというゲルギーの演奏に特化してきた感がある。もっとも私の見立てでは、ミュンヘンフィルは本質的にはもっとバリバリ鳴らしてくるオケだと思っているのだが。

 

ロンドン交響楽団のライブ配信でラトル指揮のベルクとシューベルトを

ロンドン交響楽団もライブ配信に注力の模様

 ベルリンフィルがコンサートを実施できなくなってデジタルコンサートホールに力を入れているが、コンサートを開催できなくなっているのは新型コロナで混乱しているイギリスも同様であるようだ。イギリスの雄であるロンドン交響楽団がライブ配信を実施しているようである。どうもこの1月から公開でのコンサートを実施できない状況になった模様。

www.lso.co.uk

 なお収録した演奏はMarqueeTVで配信されるようである。MarqueeTVはそもそもは有料配信のようであるが、ロンドン交響楽団のコンテンツは配信開始後1週間は無料で視聴可能とのこと。ログインを求められるがGoogleアカウントでのログインも可能な模様なので視聴してみた。

 ちなみにMaequeeTVでの有料配信は年間88.99£(12600円ほど)だが、今だと半額の44.99£になるとのこと(1年過ぎたら自動更新のようなのでその点が注意)。金額的にはベルリンフィルデジタルコンサートホールよりは若干安いか(為替変動での変化の可能性あり)。やはり世界の一流オケはオンライン配信での世界を視野に収めたビジネスを開始したようである。まあベルリンフィルやロンドン交響楽団なら知名度と実力でその手のビジネスは可能であろう。後は同様のことが出来そうなのはウィーンフィル、コンセルトヘボウ辺りか。アメリカのシカゴやサンフランシスコ辺りは考えないのか? またこれだけが一斉に有料放送を始めたらとても払いきれないし見切れないが(笑)。

 

ロンドン交響楽団ライブ配信(2021.1.7 LSOセントルークスで収録)

指揮:サイモン・ラトル
ヴァイオリン:レオニダス・カヴァコス

ベルク ヴァイリオン協奏曲
シューベルト 交響曲第9番「ザ・グレート」

 最初のベルクの協奏曲は正直なところ私には奇っ怪な曲にしか聞こえないが、カヴァコスの演奏は実に切れ味鋭く、明らかに私の好みとはかなりズレる奇っ怪な曲に関わらずなかなかに面白く聞ける。非常に明快な演奏であるために曲をつかみやすく、この手の曲に良くありがちな「何をやっているのやらよく分からない」という状況にならない。

 二曲目は非常に軽快で前進力の強いグレート。第一楽章から躍動感に溢れてグイグイと進んでいく印象。伝統的には重っ苦しいグレートが少なくない中で、これは比較的現代的なアプローチか。やや哀感を含んで聞こえる第二楽章なども哀愁よりも滑稽さのようなものの方が表に出ている。そのまま怒濤のようにラストまで突っ走っている。非常に鮮やかで煌びやかな演奏である。響き自体が非常に陽性、それでいても音色自体は薄くならないのはさすがにロンドン交響楽団と言うべきか。長大なこの曲であるが、おかげで退屈せずに済むわけである。

 最早巨匠と呼ばれる年代に突入しているラトルであるが、今回を聞く限りにおいてはどうしてどうしてまだまだ若々しいなという印象を受けた。ラトル健在であるのはうれしい限り。

 

ペトレンコ指揮でラフマニノフとチャイコフスキーにアルティノグリュ指揮でビゼー

 さて今日は久しぶりにベルリンフィルのデジタルコンサートを聴くことにした。どうやら今年の公演がアップされたようであるので、そのペトレンコライブと昨年のアルティノグリュのライブを。

www.digitalconcerthall.com

 

ベルリンフィルデジタルコンサートホール(2021.1.16)

キリル・ペトレンコ指揮

チャイコフスキー 幻想序曲「ロメオとジュリエット」
ラフマニノフ 交響詩「死の島」
チャイコフスキー 幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」

 今回はチャイコフスキーとラフマニノフの幻想的な曲3題である。

 ロメオとジュリエットについては、ペトレンコらしい明確でクレバーな指揮であり、謳わせるところはしっかりと謳わせている。ただ美しくはあるのだが、この物語特有の痛々しさのようなところがあまりない。普通に激しくも美しい音楽としてまとめたという印象である。

 二曲目はややおどろおどろしくも騒々しい曲なのだが、何となく全体的に混沌とした雰囲気がある。バリバリと鳴らしてはいるんだか、今ひとつこもった印象。

 最終曲もかなり混沌とした曲なのではあるが、そこのところはラフマニノフとチャイコフスキーの違いで、旋律には明快さがある。前半はややグチャグチャした印象があったが、後半になるにつれて非常に明確な演奏となった。ペトレンコにもベルリンフィルにも冴えが感じられてマズマズ。

 幻想的な小曲3曲の組み合わせだったが、ベルリンフィルの美しさとペトレンコらしい切れ味は感じさせられた。ただ曲調もあって全体的にゴチャゴチャした感じの響きになったのが気になるところ。

 

ベルリンフィルデジタルコンサートホール(2020.12.5)

アラン・アルティノグリュ指揮

ストラヴィンスキー 「プルチネッラ」
ビゼー 交響曲ハ長調

 1曲目はストラヴィンスキーの新古典主義的な曲。曲調には古典的なものを感じさせるのだが、その響きには近代性を含んでいる。さすがにベルリンフィルは室内楽的な締まりのある演奏を聞かせる。また弦のアンサンブルに重なる管楽器の妙技はさすがにベルリンフィルらしい名人芸。さすがに鉄壁の安定性がある。アルティノグリュの指揮も躍動感のあるもの。

 2曲目もいささか古典的にも感じられるビゼーの交響曲。もっともそこにメロディメーカー・ビゼーらしい美しい旋律が潜んでいる。アルティノグリュの演奏はとにかく軽快である。やや快速目のテンポでグイグイと行く。とにかく元気で明るく気持ちの良い演奏。

 総じて実に爽快な演奏であったという印象である。アルティノグリュの若々しさが溢れる感じでなかなかに魅力的であった。

 

ゲルギエフ指揮ミュンヘンフィルでシューベルの「未完成」他を

 以前にも紹介したミュンヘンフィルのHPで同オケの昨年の演奏のライブ配信がされている(ドイツ時間で1/8まで)のでそれを視聴した。今回はゲルギエフ指揮による「未完成」他。なおこのライブ配信はミュンヘンフィルによると、今年はクリスマスコンサートが開催できないので、その代わりにこれを年末年始にリビングでお楽しみくださいとのこと。

www.mphil.de

 

ミュンヘンフィルライブ配信

ヴァレリー・ゲルギエフ指揮
アンナ・ヴィニツカヤ(ピアノ)

プロコフィエフ 古典交響曲
ショスタコーヴィチ ピアノとトランペットのための協奏曲
シューベルト 交響曲第7番「未完成」

 古典交響曲についてはなかなかに明快で歯切れの良い演奏。表面的な古典的雰囲気の奥に潜んでいる実は現代的な響きまでキチンと表現している演奏である。

 ショスタコはヴィニツカヤの緩急自在の妙技が痛快。非常にアクロバチックなところのあるこの曲であるが、これを時は激しく時には叙情的に非常に柔軟性に富んだ演奏である。

 最後はお馴染みの未完成だが、例によってゲルギエフの指揮はオケに必要以上の統制はかけずにゆったりと謳わせる雰囲気がある。ただどうもミュンヘンフィルは緻密なサウンドを重ねるよりは元気にバリバリやる方がカラーなのか、所々ややアンサンブルが甘めに聞こえる部分もあり。まあそれでもトータルとして美しさを損ねるところにまでは行っていないからまずは良しだろう。ゆったりとした音楽に心癒やされる感がある。

 

NHK-Eテレでカサド指揮のN響の第九を聴く

 この大晦日の夜はNHK-Eテレで放送されたクラシック名演・名舞台2020を見る(そもそも紅白なんて微塵も興味がないし)。前半は各地のローカルオケでのベートーヴェン交響曲全集だったが、これはダイジェストなのでまあ各オケの個性は分かるが(と言っても個性が際立っていたのは山形交響楽団ぐらいか)、音楽として聴くのはどうかというところ。

 後半はカサド指揮によるN響による第九。カサドと言えば以前に大阪でN響の公演を聴いたことがあるが、かなり個性的な演奏をする指揮者である。

 

NHK交響楽団第九演奏会

パブロ・エラス・カサド指揮
髙橋絵理(ソプラノ)
加納悦子(メゾソプラノ)
宮里直樹(テノール)
谷口伸(バリトン)
新国立劇場合唱団

 私が以前聴いた時には、チャイコの交響曲第1番「冬の日の幻想」が「夏の日の喧噪」という雰囲気で面食らったのであるが、今回の演奏も基本的にその時に近い。その指揮ぶりはエネルギッシュでキビキビとしてメリハリが強く、グイグイと非常に前進力の強い演奏である。また音色は基本的に陽性であるのが最大の特徴。第九の第一楽章は苦悩のようなものが漲る曲調であるのだが、カサドにかかると苦悩の影はなく、快速なテンポで軽快に音楽が進んでいく。それはそれでノリが良いので巻き込まれてしまうのだが、果たして第九がこれで良いのかという一抹の疑問は過ぎる。

 さらに第二楽章も全く同じ調子。かなりアップテンポでドンドンと進んでいく。決して音楽自体が浅いわけではないのだが、やはりノリはやや軽め。次の第三楽章はさざめく印象で通常は聞こえてこないような様々な音が聞こえてくるので、普通の演奏とはかなり異なる印象を受ける。

 そして第四楽章だが、合唱団はご時世柄総勢40名程度と通常の半数以下、それに合わせてかN響の編成も12編成とやや小さめのこともあり、パワーで押す第九とは対極的な、軽ろやかで明快な演奏を繰り広げる。合唱のみならず各楽器の音色も非常に明確でかつシンプル。装飾や虚仮威しを極限まで廃した淡々とした印象を受ける演奏である。そして常に基本的に演奏自体は常に陽性。ベートーヴェンの苦悩のようなものは全く見えない。

 いわゆるスペクタクルな高揚感というのが皆無な極めてクールでクレバーな印象を受ける演奏なので、非常に違和感は強い。とは言うものの、これはこれでありという気はする。とにかく異質かつそれでいて興味深い演奏であった。以前に大阪で聴いた時も思ったが、このカサドという指揮者、なかなかに一筋縄でいかないようである。将来的には「奇才」と呼ばれるようになる可能性大。


 なんて感想を書いているうちに新年が来てしまった。昨年はろくでもないことが非常に多かったが、新年こそは実り豊かな年となって欲しいものである。

 

ベルリンフィルからの贈り物

国際郵便で小包が到着

 年末の慌ただしい中に突然に国際郵便が送られてくるからなんだと思ったら、ベルリンフィルデジタルコンサートホールの年間チケット購入特典のDVD及びBDが送られてきたようである。1年間どうせダラダラと月極契約を続けるのだったらこっちの方が安いから私は申し込んだんだが、正直なところ申し込んだことを既に忘れていた(笑)。

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立派な箱入り

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ペトレンコのジャケット

 一度は通常通りに観客を入れてのコンサートが可能となっていたベルリンフィルも、その後のドイツのコロナ感染状況の悪化で再び無観客コンサート状態に戻ってしまったようだから、ライブ配信部門の収益強化のために打ち出した策だろう。しかし予想以上に申込者が多かったのか、当初は来年1/4までと言っていた締め切りがかなり繰り上げになったようである。

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DVD2枚とBD1枚

 まあディスクの内容は昨シーズンのコロナ自粛期間中に行われたペトレンコライブでの室内楽版マーラー交響曲第4番とかのものであり、これらはネットでも配信されている内容なので正直なところ特別なありがたみはない(笑)。こんな立派な箱に入って送ってきたので高級感があるだけ(笑)。何か早速メルカリやらヤフオクやらに出品する輩も登場しそうな気がする。私は一応記念に取っておきますが。

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BDの開始画面

 

この手の取り組みは日本のオケも強化するべきでは

 さすがにベルリンフィルぐらいになるとネット配信でもそれなりの顧客を集めることが出来るので、こういう方式も成り立つということだろう。日本のオケも収益強化の一環として取り組んでもらいたいところだが、残念ながら日本のオケで世界マーケットをターゲットに商売できるところはまずないから、市場が国内に限られて市場規模のショボさを考えるとインフラ投資する気さえ起こらないか。

 単独オケで難しいのなら、例えば関西オケ連盟とか、東京弱小オケ連盟(N響とか読響とかは自身で配信できるインフラがあるはずだから)とかで取り組むことは出来ないんだろうか? 現在の状況を見ていたら、意外と地方の山形交響楽団なんかがカーテンコールと組んで一番早く実施するかも・・・。実際にこういう取り組みが進めば、例えば関西在住の私でも札幌交響楽団の定期演奏会を聴くなんてことが可能になる。これはオケもファン層を広げるという意味で有効。またオケとして気になるのは、今までのファン層が「ネット配信があるんだったらそっちで良いわ」とコンサートに来なくなる懸念だろうが、ネット配信は缶詰のようなものだから、「缶詰が美味しいからレストランに行く必要がない」なんて者はそう多くないと私は推測している。

 なお私が聴きに行った10/20の大フィルのチャイコチクルスI、8/23のチャイコチクルスIIが現在カーテンコールで無料配信されているようである。

curtaincall.media

 

2020年度クラシックライブベスト

 さて、2020年度終了に際しての本年度のベストライブ・・・と言いたいところだが、今年はコロナでコンサートは壊滅的状況。国内オケでさえ春から夏にかけてはコンサートが出来ない状態で、それがフル編成でようやく開催可能となったのは冬になった頃という状況、来日オケに至っては本年度はコロナ騒動前の1月に来日したフィルハーモニア管と11月にほとんど奇跡のように公演を実施したウィーンフィルの2つのみという状況。当然のように今期はまともなチョイスにはなりようがないという悲しいところです。

 

ベストライブ

 そんな中で強引に選択すると、実質的にウィーンフィルのぶっちぎりにならざるを得ない状況があります。とは言え、本年の2件は例年のベストライブと比較しても決して遜色のあるものではありません。

第2位
エサ=ペッカ・サロネン指揮 フィルハーモニア管弦楽団

 とにかく野生の雄叫びのような「春の祭典」が見事すぎた。圧倒的なパワーなのだが、それが決して雑にはならないという技量の高さに驚かされた次第。ドッシリとした安定感と漲る緊張感の中で繰り広げられるサウンドスペクタクルにはただただ呆然とするばかりであった。また庄司のヴァイオリンの妙技についてもまさに圧巻であった。場内も珍しいぐらいの大盛り上がりで、春先からこんな名演が飛び出すとは今年も春から幸先が良いと、その後の名演続出に期待したのであるが・・・。

第1位
ワレリー・ゲルギエフ指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

 まちがいなく中止だと思っていたのだが、まさかの公演実施には驚かされた。しかしこの異常な事態の中でウィーンフィルもゲルギエフも並々ならぬ気合いが入っていたことがビンビンと伝わってきた。以前より何かと「手抜き」が言われることの多いゲルギエフとウィーンフィルなんだが、彼らの本気モードはこんなにもすごいのかと圧倒された。「悲愴」の圧倒的な美しさは従来の概念を覆すような感動的なものであり、心の底から揺さぶられた。またマツーエフのピアノの美しさも極めて印象的であった。単に今年のナンバー1というだけでなく、文句なく私が今まで聴いたウィーンフィルのライブの中でもぶっちぎりのナンバー1であった。

 

ワーストライブ

 今年はこういう状況ですので、あえてワーストとして上げるほどの迷演はありません。ただそんな中でワーストとはまた異なるニュアンスのものとして番外編を一つ挙げておきます。

番外
小林研一郎指揮 読売日本交響楽団

 コテコテのコバケン演歌むき出しの「英雄」だったんだが、これがどうしてどうして、ややゲテモノ感はあるものの意外に面白い演奏だった。特に第二楽章のこぶしの回った(ように聞こえてしまう)葬送演歌はまさにコバケン節の神髄であった。正直なところコテコテのコバケン演歌は私は得意ではなかったのだが、この公演の前の大フィルとの「マンフレッド交響曲」といい、曲によっては意外にはまる(ただしベートーヴェンの4番に関しては「?」だったが)ということに気づいた次第。


 以上のように今期はとにかく公演の絶対数が少なすぎるのでまともな選定とはなっていない。しかし上記の2公演共に、例年のベスト5に並んでも何ら遜色のないレベルの公演であるので、その点についてはありがたいところであった。

 

ビシュコフ指揮のミュンヘンフィルでドボ8他を

 先日、ゲルギエフ指揮のミュンヘンフィルの無観客ライブの配信を視聴したが、今週からプログラムが変更され、ビシュコフ指揮ドボルザークの交響曲第8番及びクルマンを迎えてのマーラーの「亡き子をしのぶ歌」が配信されているので視聴。

mphil.de

 

ミュンヘンフィルライブ配信

セミヨン・ビシュコフ指揮
エリザベス・クルマン(メゾソプラノ)

マーラー 「亡き子をしのぶ歌」
トヴォルザーク 交響曲第8番

 クルマンの歌唱はなかなかに哀感タップリである。その繊細な歌声はオケを押しのけるような迫力はないが、この曲にはよくマッチしている。その豊かで美しい歌唱は胸を打つ。ビシュコフ指揮のミュンヘンフィルもなかなかに切ない演奏を行って盛り上げる。

 後半はドヴォルザークの田園交響曲こと第8番である。ビシュコフと言えば、以前にチェコフィルを引き連れて来日した際のまさに川の風景が目の前にありありと浮かび上がるかのような「モルダウ」と、情感が爆発して心を揺り動かされた「悲愴」が記憶に残っている。非常に表現力豊かな指揮者という認識がある。

 そしてそのビシュコフの表現の幅の広さはこの曲でも反映されている。第一楽章ではまさに田園の風景と思わせる世界が展開する。曲は実に生き生きとして活発である。ただしビシュコフの表現は単にそのような表層的な風景的なものを描き出すのではなく、この曲が根底に秘めている感情的なものまで引き出そうとしているようである。

 第二楽章は長閑な歌なのだが、なぜかその奥に潜む不安感なのようなものが浮かんでくる。ここでビシュコフはピアニッシモのさらに下の相当に繊細な表現を使用してくる。そしてそれが終盤にかけての感情の爆発につながる。

 第三楽章は美しいワルツなのだが、ややメランコリックなところもある表現。繊細な美しさが正面に出た演奏。

 第四楽章はこの曲の場合は脳天気な空騒ぎというイメージがあるのだが、ビシュコフの指揮はこれをゆったりと情感タップリの表現で持ってきた。美しくていささかの哀感を帯びた演奏となっている。これはこの曲の解釈としては結構異色に感じる。

 さすがになかなか一筋縄ではいかないビシュコフ節だった。違和感がないではないがこれはこれで実に興味深い演奏である。一つだけ残念だったのは、ミュンヘンフィルにはチェコフィルほどの緻密さとしなやかさはないこと。ビシュコフのかなり広い表現幅を精密に再現するには、やはりチェコフィルレベルのオケが必要なようである。

 

広島交響楽団の第九の配信を見る

広島でのイベントのライブ配信

 Twitter情報から広響の第九の公演が配信されているとの話が入ってきたので、早速それを見に行くことにした。公開期間は1週間とのこと。

play.rcc.jp

 なおこれは毎年広響が行っているイベント的なもので、広島サンプラザホールに市民合唱団を加えて1000人以上の合唱団で第九を歌うというもので、広響が演奏をしているようである。ちょうど関西の大阪城ホールで行われる1万人の第九と似た主旨のようである。広島ではこのイベントを30年以上行っているらしい。

 もっとも今年はこの状況で、広島もコロナで警戒警報が出ている最中、さすがに千人以上をホールに押し込んで合唱というわけにも行かなかったので、合唱団を大幅に絞り込んで(40人ほど)、皆さんはライブ配信を聴きながら合唱してくださいということらしい。

 無観客のガランとした一種異様な雰囲気のあるホール内での演奏。正直なところこの環境ではオケもかなりやりにくいだろうということは感じられる。

 

サタケ第九ひろしまオンライン演奏会2020

指揮:下野竜也
広島交響楽団

ベートーヴェン 交響曲第九番

 下野の指揮はややテンポ良くグイグイと前進力の強いもの。やはりイベント的性格が強いことも考えてか、過度に濃い解釈を加えていないような雰囲気がある。

 音楽はテンポ良く進んでいくのであるが、やはりこの特異な環境での演奏はオケとしてもやりにくさはあるだろう。どうも広響のアンサンブルには残念ながら雑さが垣間見られる。特にやや早めに進行する第一楽章なんかでは、演奏が団子になってしまってグチャグチャする場面も多々。広響は元々元気はあるが、それが有り余ってやや雑さのあるオケではあるのだが、その悪しき部分がやや出たような印象を受ける。

 第二楽章、第三楽章と過度には溺れず結構淡々と音楽は進む。オケの演奏自体は第一楽章よりはまとまりが良くなってきている。

 第四楽章であるが、かなり広い上にデッドなホールの特性もあってソリストはやや遠め、またさすがに40人編成の合唱団では拡大編成の広響と音量的バランスが取れない。多分音声さんはかなり必死で頑張っているだろうと推測できるのだが、それでもどうしても合唱が背後に引いてしまってオケにかき消されるのはどうしようもない。また合唱団もこの状態では回りと合わせるのも大変だろう(素人だったら音程さえ取れない可能性が高い)。ソロ歌手の集まりという印象で合唱団としてのまとまりにどうしても欠ける。

 コロナに負けず例年のイベントを何が何でも実行したその意気や良しであるが、やっぱりソーシャルディスタンスを守っての第九の演奏というのはかなり困難であるということも痛感させられたのである。


 そしてコンサートの最後は蛍の光でいかにも年末感満載で閉じられたのである。なんか除夜の鐘が聞こえてくるような気がした(笑)。

 しかしこうして見ていると、やっぱり最早第九は日本の年末行事の一つなんだなということを感じさせられる。その第九がまさかこんな展開で危機に瀕するとは予想もしてなかった。

 

ゲルギエフ指揮ミュンヘンフィルのコンサートをネット配信で聞く

ヨーロッパのコロナの状況の悪化ぶりが分かる

 Twitter情報から、藤田真央がピアノでゲルギエフが指揮したコンサートの無料ライブ配信が12/20のAM3時まで行われているとの情報が入ったので、慌てて聞きに行くことにした。プログラムはベートーベンのピアノ協奏曲第4番とブラームスの交響曲第1番。どうやら今後も別プログラムを配信するつもりのようである。

www.mphil.de

 いつの演奏かというのが定かではないのだが、どうやら無人のホールで収録したもののよう。ドイツではコロナの感染拡大の悪化を受けてベルリンフィルデジタルコンサートホールも再び無観客配信に戻ってしまった模様であるが、恐らくミュンヘンフィルもなかなかまともにコンサートをするという状況にないようである。何やら世間の状況が今年の4月頃の状態に逆戻りしつつあるのを感じる。

 かく言う日本も特に大阪、東京などでの感染爆発の状況はひどいものがあり、コンサートの開催については先頃国により基準が緩和されたものの、果たしてこれからどうなるかは極めて不透明。また開催されたとしても行くかどうかはまた難しい判断がある。

 実は私も来週水曜日の読響の第九のチケットを所持しているのであるが、果たしてこの状況で大阪を訪問してフェスティバルホールへ行くのが大丈夫かについては甚だ疑問がある(読響の公演は特に人気が高くてホール内の密集度が高いし)。私ももう既に若くはない上に持病ありなので余裕で高危険群である。そういうことを考慮して、実は既に先週開催された関西フィルの第九は出かけることを断念している。大阪の感染状況が後3日で急激に改善する可能性はまずないし(もしそんなことが起これば、今度はとうとうデータ捏造が始まったかと疑う必要がある)、それらを考えると今回は残念ながらパスせざるを得ないだろう。正直なところまだ迷っているが、やはり第九に命は賭けられないか。

 

ミュンヘンフィルライブ配信

ヴァレリー・ゲルギエフ指揮
福田真央(ピアノ)

ベートーベン ピアノ協奏曲第4番
ブラームス 交響曲第1番

 福田のピアノは流石に若さに溢れるというか、とにかくロマンティックで甘い。元々第5番と違って甘美なところのある第4番であるが、特に第1楽章などはメロメロの甘さがある。総じてゆったりと徹底的に甘美に謳わせる演奏である。

 ゲルギエフ指揮のミュンヘンフィルもその福田の演奏に合わせてややゆっくり目の演奏を行っている。もっともオケの音色自体はややクールで福田のようなメロドラマというのとはやや趣が違う。むしろそれが全体としてのバランスを良くしているか。

 後半のブラームスはいきなりかなりドッシリとした導入部から始まる。この決して急かない演奏はいわゆるゲルギエフ節か。ドッシリと構えはするものの、決して過度に統制はせずに結構豪快に鳴らさせるところもいわゆるゲルギー節。緊張感が前面に出ずにむしろ音色の美しさの方が前面に出てくる。太いが重くはない演奏である。下手したら「ヌルい」演奏になりかねなくはあるのだが、ギリギリその一歩手前というところか。もっとも私個人としてはこの曲はもっと緊張感がビリビリと漲るような演奏が好みではある。

 第2楽章以降も基本的に同スタンス。とにかく音色の美しさが正面に出てくる。第2楽章など実に楽園的である。第3楽章も似た雰囲気。そして最終楽章はやや重めに始まるのだが、やはり決して完全に重くはならないというのは第1楽章と同様である。そしてベートーベンの第九と似ていることがよく指摘されるメインフレーズの登場であるが、あまりに美しく柔らかく奏でられるので余計に第九のように聞こえる。そのままドッシリと最後までというところか。

 まあ総じて言えるのは「炸裂するゲルギー節」というところか。これが好き嫌いの分かれるところではあるのだが。

 

年間チケットを購入して、ペトレンコとベルリンフィルのショスタの8番を視聴

デジタルコンサート年間視聴券を購入

 ベルリンフィルデジタルコンサートホールからBDとDVD付けるから年間視聴券を18500円で販売するので買ってくれとのDMが届いた。正直なところ特典のBDとDVDにはそれほど魅力を感じないものの、現状で毎月1900円/月(ユーロ相場によって多少上下する)程度を払っている状況を考えると、このまま1年ぐらい視聴するんだったら、今後ユーロが暴落でもしない限り単純に得になりそうな。まあ今のところ「元が全く取れていない」なんて言いつつも、結局はこのままズルズルと多分最低1年は視聴継続するだろうと考えたら、まあこれに乗るのも良しかということで契約した。

www.digitalconcerthall.com

 ところで既に月極契約している者はどうなるんだ? と思っていたら、その場合は自動的に月極契約が1年間停止するということをサイトに「日本語で」キチンと掲載してある。全く至れり尽くせりである。それにしてもベルリンフィル、完璧な日本語サイトまでキチンと用意してあるのは流石だと思う。私のように「外国語に著しく不自由している者」にはたとえ英語サイトがあってもハードルが高いところだが、ここみたいに日本語サイト(それもありがちな変な翻訳語でなくて自然な日本語)があれば、契約したりするのもハードルが極めて低くなる。やっぱりこの辺りはグローバルビジネスしているところは違うもんだと感心する。

 というわけでこれからさらに1年間こことつきあうことにしたところで、元を取るためにまたプログラムを1つ視聴。今回はペトレンコが指揮したショスタコーヴィチ交響曲第8番の無観客ライブ。11月半ば頃の公演だが、前回のバレンボイムの「わが祖国」の時はかなり閑散としてきていても観客を入れていたのだが、無観客ライブになったということは、ドイツのコロナ状況悪化で観客を入れての公演が再び難しくなってきたか。恐らく年間ディスカウント券の発売もそういう状況を反映してのことと推測される。なお販売は1/3までとのこと。

 

ベルリンフィルハーモニー管弦楽団デジタルコンサート(2020.11.13)

指揮:キリル・ペトレンコ

ショスタコーヴィチ 交響曲第8番ハ短調

 ショスタコの8番は私にとって馴染みのある曲とは言い難いが、とりあえず冒頭から第1楽章自体はあの有名な第5番にかなり似ているのが印象に残る。重苦しい低弦に悲鳴を上げるような弦楽セクション、時折咆哮を上げる管楽器というショスタコの非常に聞き慣れたパターンが登場する。

 ペトレンコの指揮は例によって切れ味鋭い。非常に明快で簡潔でもある。ベルリンフィルの技倆も相まってスパッと斬り込んでくるようなエッジの効いた演奏となっている。

 曲調は楽章が進むにつれて混迷していくようなところがある。ショスタコはこの次の交響曲第9番で世間の期待を見事に裏切る軽快で簡潔な作品を持ってくるのだが、そこにつながる片鱗は既に随所に覗えるようになってきている。もっとも曲調自体はかなり重苦しく、最後は息を引き取るかに思えるような終曲でもある。

 切れ味鋭いペトレンコの指揮にかかると、このような混迷した曲でも音楽自体が非常に明快に伝わってくるのは流石である。この作品は表現の点で非常に難解な曲に感じられるが(下手に演奏したらただのグダグダに終始して眠いだけの曲になりそう)、その点はペトレンコとベルリンフィルの組み合わせのレベルの高さに感心させられるところ。もっとも私としては「楽しむ」というところに行くまでには、もう少しこの曲について私自身が慣れる必要がありそうだが。ただし本演奏を聞く限りにおいては決してハードルは高くない。

 

バレンボイム指揮でベルリンフィルの「わが祖国」

 毎月視聴料を払っていながら、実際には払ってるだけになりかかっているベルリンフィルのデジタルコンサートであるが、やはり料金の元ぐらいは取る必要がある。というわけで久しぶりに今年の演奏のアーカイブを視聴する。今回は10月にあったバレンボイムによる「わが祖国」。

 チェコの国歌のような音楽なのだが、バレンボイムにもベルリンフィルにも共にチェコとの接点はない。果たしてどういう演奏が飛び出すか。

 

ベルリンフィルハーモニー管弦楽団デジタルコンサート(2020.10.24)

指揮:ダニエル・バレンボイム

スメタナ 交響詩「わが祖国」

 まあ最初から予想は出来たのであるがあまりチェコ臭さは感じない演奏である。バレンボイムの指揮はどことなく泥臭さを感じさせるものであるのだが、それはいわゆるチェコの土俗の感覚ではなくて、何やらもっと別のものであるように思われる。

 とにかく目立つの急なテンポの変動などの激しさ。そのために特に第一曲のヴィシェフラドなどがかなり通常のイメージと違う。唐突に動くテンポに流石にベルリンフィルはよく追随しているが、それでも所々怪しいところはある。

 ただ何となくどこかヌルさを感じさせる演奏でもある。また細かいテンポ変動も納得のいくものならよいのだが、結構聴かせどころと思える場を高速テンポでサラッと流してしまうと思うと、なんでここと思う箇所でストンとテンポを落としたりと、どうも表現意図とかと無関係にテンポが動くような気がしてならない。この曲は全体的にチェコの舞踏のリズムがあるのであるが、どうもリズムが悪くて踊っていると途中で蹴躓きそうな箇所が多い。

 とにかく「流れが悪い」という印象が表に来る。どうしてもここ一番でつっかえつっかえのような奇妙なリズムが出てくるので、今ひとつ乗り切れない演奏である。その辺りが最後まで違和感として全く解消しなかった。

 

亀山城と福田美術館を見学してから、京都市響の定期演奏会を聞きに行く

湯の花温泉を後にすると亀山城に向かう

 翌朝は7時の目覚ましに叩き起こされる。昨晩の就寝が早かったせいで一度4時頃に目が覚めたのだが、その後に二度寝で爆睡してしまったようである。

 起床するととりあえずシャワーを浴びて目を覚ます。朝食はレストランで8時から。元々はバイキング朝食だったようだが、時勢がら今は和定食となっている。まずまずの内容。

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おでん付きの朝食

 今日は予定があるのでチェックアウト時刻の10時までは粘らずに9時過ぎにはチェックアウトする。今日はまずは亀山城に立ち寄るつもり。

 

亀山城を見学する

 亀山城は明智光秀ゆかりの城で、徳川家康が天下を押さえた後にも地理的重要性から天下普請で建造されたという。しかし明治以降は建造物から石垣の石までが払い下げられ、城跡は荒れて地元民さえ近寄らない状況となっていたという。それを見かねた大本の教祖が買収して、信者達が石垣を積み直して整備したとか。途中で戦前の大本に対する国家による大弾圧があったりなどもしたが、紆余曲折を経た後に今日に至っているという。

 見学地域は大本にとっての聖地も含まれるので、事務所に届け出てミュージアムの入場料(300円)を支払う必要がある。まあ私有地なわけなので仕方なかろう。本来なら国有地などにして公的機関が発掘調査結果に基づいて復元するべきなんだが、既にこの地が大本の拠点となっているので、なかなかそういうわけにはいかないようだ。恐らく復元の元になった情報は、かつてこの城内を遊び場にしていたという教祖の子供時代の記憶だろう。それだけにいくらか改変されている可能性があることは考慮に入れておく必要がありそうだ。

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橋を渡って進むことに

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これは堀の名残だろうか

 見学エリアに入るといきなり目に飛び込むのは天守台の石垣。どうやらこの辺りの石垣は一部かつての石垣が残存していたのか、穴太積みの特徴が見られるとのこと。どうやらすべての石垣が売り払われたわけではないということか?

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見学エリアはこの奥

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天守台の石垣

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やや小さい石が多い石垣は後で積み直したものだろう

 天守台に登ると光秀が自ら植えたとされる巨木が生えている。ちなみにこの反対側に石塔のようなものが設置されているが、これは大本の聖地とのことで撮影禁止。どうもこの天守台自体が聖地にされていたのを、辛うじてこの木だけは見学できるようにしたようだ。聖地として無闇に関係者以外の立ち入りは禁じたい大本と、この光秀ブームに乗じて観光の目玉としたい地元亀岡市との微妙な駆け引きもあったことと推測する。

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天守台上の巨木

 見学可能エリアを一回りして戻ってくると、大本のミュージアムの方を覗く。こちらは陶芸の展示中。色鮮やかな陶器が展示されていたが、やや軽薄に見えて私の好みではなかった。

 どこまでが往時の遺構か今ひとつハッキリしなかったのと、見学可能エリアがごく一部であることなどから、城の全貌が把握できたとは言えないが、この亀岡の地の地理的重要性と、その亀岡の中央にそびえる独立丘陵という地形からも、徳川幕府が要地として重視したのは至極当然と考えられる。なお建物類が明治に売却されたために、現在も移築城門とされる建造物が市内に数カ所残存しているらしい。

 

嵐山周辺はものすごい人出でたどり着くのに大変

 亀山城の見学を済ませると京都へ移動する。ホールに行く前に福田美術館に立ち寄ろうと嵐山に向かう。しかし嵐山に近づくにつれて道路は大渋滞の上に嵐山周辺は交通規制がかかって予約していた駐車場にたどり着けない。結局は大きく迂回して駐車場にたどり着く形となり、ここでかなりの時間を無駄に浪費することに。しかも嵐山周辺は猛烈な人出で明らかな三密状態。一体どうなってるんだ?

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嵐山周辺は猛烈な人出

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福田美術館に到着

 

「悲運の画家たち」福田美術館で1/11まで

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 悲運に見舞われた画家や悲劇の場面を描いた絵画、さらには現代には存在が半ば忘れられるという「悲運」に見舞われてる画家も含めての展覧会。嵯峨嵐山文化館とも共同での企画だが、今回は時間の関係で福田美術館だけを見学。

 展示作は、まず登場するのは電車にはねられて命を落とした木島櫻谷、さらには市電にひかれて左足を切断した速水御舟、利き手の自由を失って左手で制作を続けたという木村武山の作品などを展示。

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木島櫻谷の作品

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これは速水御舟

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木村武山の「鶴」

 さらには悲劇的運命を辿った静御前を描いた上村松園の作品も展示されている。

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上村松園の「静御前」

 次の展示室には後継者として将来を嘱望された息子を失った(狩野派による暗殺説がある)長谷川等伯の大作も展示されている。

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長谷川等伯の大作

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左隻

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尾形乾山の皿なども展示

 「悲運」というテーマで画家を括るのはいささか疑問がないでもないが、展示作はいずれも見応えのある作品ばかりだったのでその点では面白かった。

 本来ならここからさらに足を伸ばした第二会場も覗くべきなのだが、嵐山到着までに想定外の時間を浪費したために時間的余裕がない。さっさと嵐山を後にするとホールの方に移動することにする。

 

ホール近くの蕎麦屋で昼食

 ホール近くに借りた駐車場までには30分程度かかる。ようやく車を置くとホールにたどり着く前に、途中の「蕎麦屋じん六」に立ち寄って鴨そばを昼食に頂く。

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蕎麦屋じん六

 しっかりしたそばは悪くない。ただサッパリしているというよりも単に塩っぱいだけのつゆが私の好みと大きく外れる。価格も高いのでCPも良くない。そばよりも印象的だったのは極めて濃厚なそば湯か。

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鴨そば

 とりあえず昼食を終えるとホールへと急ぐ。

 

京都市響第651回定期演奏会

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京都コンサートホール

大友直人(桂冠指揮者)
清水和音(ピアノ)

グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調op.16
エルガー:交響曲第2番変ホ長調op.63

 清水のピアノはネットリネットリとした独特のテンポと抑揚のある濃厚なもの。これに対して大友の伴奏は相変わらずのあっさり風味であるのだが、これはこれでバランスの取れたなかなかに面白い演奏となった。いささかこってり目の清水のピアノはやや胃にもたれる感がないでもないが、情感を訴えるという点ではアピールのあるものであった。

 後半のエルガーは元々茫洋とした曲調に対して、大友は強烈に個性を訴えるタイプではないので、全体的に印象が薄めの演奏であったという気がする。第1番に比すると第2番はいささか騒々しい曲であるが、どことなくそれが空騒ぎっぽく聞こえてしまった感もなきにしもあらず。どうも私はエルガーの音楽とか、ターナーの絵画といったイギリス系とは相性が良くないのか。


 コンサートを終えると京都から長駆して帰宅することに相成ったのだが、温泉でゆったりとくつろぐという主旨の遠征であったにも関わらず、結局は疲労困憊してしまったという毎度のような本末転倒と相成ってしまったのである。まあ念願だった黄金崎不老不死温泉の訪問は果たしたし、酸ヶ湯温泉で宿泊という課題も成し遂げたので満足度は高いが。後は夏場にでも訪問して岩木山見学(8合目までは車で登れる)や嶽温泉宿泊でも出来れば青森は完全終了だろうが。

 

関西フィルの定期演奏会で宮田大のチェロを聴く

思いがけずにコロナとニアミスの恐怖

 今日はザ・シンフォニーホールで関西フィルの定期演奏会があるのでそれを聞きに行った。と言うものの、現在の大阪は完全にアラートが出ている状態。知事と市長がコロナ対策を全く打たずに利権のための都構想にかまけていたツケが出て、人口比での感染者数では東京をも上回るという滅茶苦茶な状態。日本のコロナ蔓延は明らかに天災でなく、政府による人災だが、それが端的に現れている状態である。

 さてこのような大阪に乗り込むわけであるから、当然ながら厳重警戒で移動はすべて車である。どう考えても満員列車が感染源にならないなんてことはあり得ないから、今回の事態が一段落付くまで鉄道はまず使えないと考えている。駐車場は例のごとくにアキッパで確保している。

 今日は仕事を午前中で終えると昼から銀行に出向く。ちょっと所用で銀行に行かないといけなくなったので今日は午後休である。銀行で諸々の手続きを済ませたところで大阪に向かうことにするが、さすがに昼食を摂ってから銀行で手続きを行っても、このまま大阪に直行したのでは数時間は時間が余る。そこで立ち寄り先を考えるが、美術館関係は大阪・兵庫共に何もなし。唯一目玉となり得る「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」は先日見学している上に、中之島香雪美術館にまで立ち寄っている。美術館関係は皆無となると、スパ銭にでも立ち寄って時間をつぶしていくことにする。で、スパ銭に立ち寄ったのだが、何やら時短営業とかになったとかでドタバタしていたと思ったら、従業員からコロナ感染者が出たとかで・・・オイ、勘弁してくれよ・・・。発熱が今日で検査で判明したのがさっきで、そもそも18日以降は出勤していないとのことだが、いつどこで感染したのかが不明だから危険度が判定できない。日本のコロナ感染者って、いつもこの調子で「追跡不能」になってるんだろうな。今回はたまたま発覚したわけだが、この調子で「気がつけば隣にコロナが」って状況が各地で起こってるんだろう。もっと検査を広げないとそもそも感染対策自体を行いようがない。

 結局はなんやかんやのドタバタでスパ銭を5時に出たので駐車場に到着したのは5時半頃。やむなく開場の6時まではそこらで時間をつぶす羽目になる。相変わらずホールの警戒は厳重である。

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ホールはイルミネーションで飾られているが

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相変わらずの厳戒態勢

 

関西フィルハーモニー管弦楽団 第315回定期演奏会

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ザ・シンフォニーホールも通常体制に戻っている

[指揮・ヴァイオリン]山下一史
[チェロ]宮田 大

サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番 イ短調 作品33
シューベルト:交響曲第8(9)番 ハ長調 D.944 「ザ・グレイト」

 宮田のチェロは流石というか音色が綺麗である。その上にオケをバックにしてもチェロの音色が前に出てくるだけの力強さがある。山下が指揮する関西フィルはかなりメリハリの効いた演奏。宮田の華麗さのあるチェロの音色と、さすがにフランス系の曲想が相まっていわゆるゴージャスさを感じさせる演奏となった。

 後半はシューベルトのグレイトであるが、山下の指揮は前半でも聴かせたようなメリハリが強くてかなり躍動感のあるもの。動きも大きくてなかなかの熱演であることを感じさせる。もっともオケの音色はかなりブンチャカと鳴るのであるが、関西フィルの持ち味としてはブンチャカと派手に鳴らすよりは、もう少しシットリと鳴らした方が味が出るというところがある。山下の指揮は前進力が強くて、リズムを刻むようなところが前に出るので、抒情部をゆったりシットリ鳴らすという雰囲気には今ひとつならない。トータルとして明らかに悪い演奏ではなかったのであるが、その辺りが若干の寂しさを感じたというのも事実。

 

 コンサートはそれなりに満足度は高いものであった。ただやはりコロナが本格化してきたことが気になってか、聴衆の数は今ひとつで、会員席に空席が多かった。関西フィルの会員にも高齢者が多いので警戒しているのだろう。かく言う私も危険性が高い層に属するので、これ以上コロナが蔓延してくるようだと考え直す必要がある。知らない間にコロナとニアミスする危険性が増しているのを痛感している。

 正直なところ今日はかなり疲れた。帰りの運転が朦朧運転になってはいけないので、こういう時は気付けの水木のアニキのCDをガンガンかけることに。ハンドル握りながら「ゼーッット!!」と絶叫している危ない車が夜の阪神高速を突っ走る。何とか無事に帰り着いたが、今回は何かとドッカリ疲れたのである。

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「聖徳太子展」を見てから、大フィル定期演奏会でコロナ後初のマーラーを聴く

「聖徳太子-時空をつなぐものがたり-」中之島香雪美術館で12/13まで

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 この度、香雪美術館が所蔵する聖徳太子像と聖徳太子絵伝の修理が完成したことを記念して、これらのお披露目をしようという展覧会のようである。

 入場すると最初に迎えてくれるのは子ども時代の聖徳太子の像である。聖徳太子はとにかく嘘か本当か怪しい伝説が多数ある人物だが、その伝説の一つが2才で合掌して「南無仏」と唱えたというものである(幼児がゴモゴモ言ったことを回りが勝手にそう聞き取ったんじゃないかと思うが)。その時の太子の姿をかたどったという像である。ふっくらした顔つきだが、険しい表情はとても幼児のものではない。

 またこの時代の観音像も展示されているが、白鳳時代のものらしく全体的にフックラとしたシルエットの像となっている。この柔らかさに時代を感じる。

 次に展示されているのが今回修理が完了した聖徳太子像である。柄香炉を持って立つ少年太子は、父である用明天皇が病で倒れた時に、それを心配して見舞う姿であるという。背景まで細密に描かれているのが異色であり、その中には極めて不鮮明であるが水墨山水画まで描かれている。なお本作は鎌倉時代に描かれた重要文化財であるが、後の南北朝時代に模写されたのではと思われる作品も併せて展示してある。細部の表現などを変えてあるのが面白い。

 修理作業の詳細について紹介するコーナーなどもあったのであるが、短気でイラチの私にはとても不可能な作業である。まさに絹糸の一本一本までチェックするような極めて精緻な修復作業を施し、しかも後の世に今回の修復部分を容易に判別できるような配慮までしているようである。こういうところは修復作業に携わる匠の技術とこだわりが感じられるところである。

 メインが聖徳太子絵伝の展示。香雪美術館が所蔵しているのは全9幅中の3幅で残りのうちの5幅をボストン美術館が所蔵し(海外流出したんだろうな)、1幅は所在不明とのこと。なおほとんど同じ構成の作品が愛知の本澄寺が所蔵しており、これと併せて展示されていた。内容は太子の生涯を描いたものであるが、これがまさに伝説満載である。

 結局は聖徳太子とはいかなる人物であるかというのは、絵巻の類いでは分からないようだ。それにしてもここまで伝説となる理由はどこにあるのかという辺りも興味深いところではある。

 

 展覧会を一回りしたところで14時半頃になっていたので、向かいのフェスティバルホールへと急ぐ。厳重なゲートを抜けると館内は通常配置で7割の入りというところか。ステージ上も完全に通常配置に戻されていて、マーラー用の大編成オケがステージに並べるようにセットされている。そう言えばコロナ以降、マーラーを聴くのは初めてではなかろうか。

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16編成のオケを配置できるようにしてある

 

大阪フィルハーモニー交響楽団 第543回定期演奏会

指揮/尾高忠明
曲目/G. ウィリアムズ:海のスケッチ
   マーラー:交響曲 第5番 嬰ハ短調

 一曲目はイギリスのウェールズスの女性作曲家グレース・ウィリアムズの弦楽合奏曲。イギリスものを得意とする尾高らしい選曲である。20世紀の作曲家ではあるが、あまり現代音楽臭い曲ではなく、普通に美しい曲である。ただしあまり旋律的ではないので、ボンヤリと聞いていると眠気を誘うところがある。3曲目の「セイレーン海峡」など、まさにセイレーンに魅了されたかのごとく私もウツラウツラしかけたのであったが、ハッと気づいて周りを見渡せば、前方ではカップルが互いに寄りかかって熟睡中で、私の周辺も大半が完全に落ちてしまっていた。あまりに心地よすぎるのもいかなものかというところ。大フィルの弦楽陣はなかなかに良い音を聞かせていた。

 休憩後の後半はマーラーの交響曲第5番。冒頭のトランペットから安定感があって大フィルの演奏はなかなかに冴えている。尾高の指揮はドッシリとしたやや遅めの安定したテンポで進めていくが、さざ波が立つような独特のリズムを感じさせる。

 第1楽章は葬送行進曲とも言われているが、悲愴な曲と言うよりはズッシリと安定感のある重い曲という印象。第2楽章は少々気分が変わるがそれでも低重心の重さは相変わらずである。

 第3楽章のスケルツォもゆったりと謳わせていた。有名な第4楽章は徹底的に美しい曲。結構なメロドラマだった印象である。最終楽章は乱痴気騒ぎにはしないで落ち着いて節度の効いた演奏で終了というところであった。ゆったりとスケールの大きな演奏というのが全体を通してのイメージである。ただ私としては、最後はもう少し馬鹿騒ぎしても良かったのではという気はする。

 総じて大フィルの演奏には安定感があり、大フィルも上手くなったもんだなと感心した次第。尾高自身の演奏には私は今まであまり面白いものを感じたことはないが、オケビルダーとしての能力は間違いないようである。


 場内はなかなかの盛り上がりだったように感じられた。やはりマーラーは観客に対してもアピールするものはあるだろう。私も久しぶりに堪能したというところである。

 この後は車を回収すると帰宅と相成った。狭いエリアを動いただけなんだが、美術館巡りは意外と歩くので、これでも7000歩程度は歩いていたようだ。帰りになって疲労が出てきて正気を保つのに苦労したが、何とか無事に帰り着いたのである。十分に注意はして行動したつもりではあるが、後は2~3日後に突然に発熱したりしないのを祈るのみ。もしそうなれば持病のある若くない身では命も危ない。