徒然草枕

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アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

茨城地域城跡巡り(小田城、関城、大宝寺城、多賀谷城、逆井城、畑田城、徳宿城)&小美玉温泉

 

 翌朝は7時頃に起床すると早めにホテルをチェックアウトする。最終日の今日はもう東京での予定はなく、茨城方面に移動して茨城地域の城郭巡りをする予定。

 つくばエキスプレスでつくばまで移動、ここでレンタカーを借りる。貸し出されたのはカローラアクシオ。私はヴィッツのつもりでいたのだが、車のサイズがやや大きくなったのが気がかりである。

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カローラアクシオ

 まず最初に立ち寄ったのは小田城。国の史跡に指定されており、最近になって発掘と復元がなされたという城郭である。

 カーナビの案内に従って小田城を目指すが、ここで早速懸念していたことに直面する。小田城近くになってからかなり狭い路地に誘導されてしまって進退に苦しむことに。カローラアクシオの小回りがヴィッツよりもやや劣ることが災いして、角を曲がる時に道幅ギリギリ。ボディをこすらないかといきなりヒヤヒヤする羽目に。こういう時はヴィッツの前モデルは良かった(新モデルは図体がでかくなった上にパワーが落ちていて好きでない)。

 どうにかこうにか路地を抜けると小田城の隣の案内所の駐車場に車を置く。案内所にはパンフレットなどがあると共に、小田城を紹介するビデオなども上映されており予習に最適。さすがによく整備されている。

 

小田城 鎌倉時代の小田氏の居館

 「小田城」は鎌倉時代からの小田氏の居城であり、小田氏の祖である八田知家が1185年に常陸守護としてこの地に居館を置いたことから始まるという。その後、南北朝の騒乱などもあるが、戦国時代になると北条氏や上杉氏の進出に翻弄されることになる。この地域の小領主の悲しさで、北条が進出するとその支配下に、上杉が進出してくると今度はそちらの支配下になどと変転することになるが、1569年の小田氏治の時にとうとう小田城は佐竹氏に奪われることになり、1583年には小田氏自身が完全に佐竹氏に臣従することになってしまった。結局小田氏はそのまま小田城を奪還することは叶わず、小田城自体も佐竹氏の秋田移封に伴って廃城となったとのこと。何やら北関東地域の小領主の悲哀を感じずにはいられない話である。

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小田城復元模型

 このような経緯から、小田城は何回かに渡って整備されており、発掘調査の結果では初期の居館時代から戦国期に渡って徐々に城域が拡張されたことが確認されており、この時代の城郭建築を知る格好の遺跡だとか。

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現地配付資料より

 湿地の多かったこの地域の城らしく、小田城は広い外堀と土塁でしっかりと守られている。基本的には単郭構造だが、馬出などもあるようである。また土塁の数カ所は広く高くなっており、櫓でも構えていたのではないかと思われる。

 

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幅広い堀と北口側の土橋
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正面の曳き橋と東曲輪

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北東の土塁上からの風景

 土塁の中には屋敷などの建物跡も残っている。また庭園などもあり、2カ所の池が発掘されている。小領主の館といっても、内部は結構広いのが感じられる。小領主の城としてはかなり本格的に防御を固めた堅い城であるが、それ故に逆にこの地域の争奪戦の要として巻き込まれることになったのだろう。この地域を睨む一軍を配置するには十分だが、北条や上杉の数千の軍勢に囲まれるとひとたまりもないという規模の城郭である。この地域の小競り合いで済んだうちはどうにかなるが、戦国末期の大大名の下に収斂していった時期では小田氏の生き残りは容易ではなかったろう。

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建物跡と庭園跡
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南虎口の石積みとその先の馬出

 小田城見学後は北西の下妻市を目指して車を走らせる。今の下妻市から筑西市の関東鉄道が走っている辺りは、かつては沼地の中に張りだした台地で、この台地上にはいくつかの城が構えられていたという。まず一番北の関城跡を訪れる。

 

関城 南朝方拠点の城

 「関城」は南北朝時代に小田城と共に南朝方の拠点となっていた城郭である。東西南を沼に囲まれ、北に堀を掘った堅固な城だったという。

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奥に見える小高いところが関城

 現地は今では田んぼの中の小高い丘という地形である。私が訪問した時には城跡の神社で何か神事が行われた直後のようで多くの車が群がっていた。大規模な城だったようだが現在は宅地化しており、土塁の残骸と見られるものが所々に残っているだけである。現在神社があった辺りが本郭の跡のようである。周辺は民家になっているが、今でも南側は相当切り立っていることは確認できる。

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本丸跡の神社とかつての土塁跡

 

大宝寺城 同じく南朝方の拠点

 関城の次はこの南の「大宝城跡」を訪れる。ここは現在は大宝八幡宮があるところで、南の鳥居の辺りにかなり高い土塁が残っている。土塁の手前の道路の所はかつては堀でもあったのではないかと思われる。ここもかつては西北東を沼地に囲まれた地形であり、平安から南北朝時代にかけて城郭が築かれていたという。今は八幡宮を中心とした住宅地となっているが、この一帯が周辺の田んぼよりは一段高くなっており、かつての地形が覗える。大宝城は1341年に春日中将顕国が興良親王を奉じて小田城からここに移って南朝方の拠点となったが、北朝型の猛攻で苦戦し、食糧不足と城内不和のために1343年11月12日に落城、城主下間政泰は討ち死にしたとのこと。

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南の鳥居の辺りに土塁があり、手前の道路はかつての堀跡か
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本丸の大宝寺八幡宮辺りは周囲よりも高い

 

多賀谷城 多賀谷氏が北条を退けた堅城

 その南にあるのが「多賀谷城」。今では完全に下妻の市街地に埋もれ、かつての本丸の一部が城址公園として残るのみだが、ここの一帯はかつては沼地に迫り出した半島だったようである。多賀谷氏はここを拠点にこの地を支配し、北条氏政の軍勢を撃退するなど147年に渡って下妻領主として繁栄したという。しかし関ヶ原の合戦では佐竹氏と共に西軍についたために家康に憎まれて追放されてしまい、この時に多賀谷城も廃城となったとか。城主追放の際には奥方はじめ奥女中達が行く末を案じて、沼に身を投げるなどして自害したという哀れな話も残っている。

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かつての縄張り図
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今となっては至って普通の平和な公園である

 

逆井城 北条氏の拠点

 下妻地域を一回りした後は南西方向に長駆する。目的地は坂東市の「逆井城跡」。戦国末期1577年に北条氏が北関東進出拠点として築城した城郭で、豊臣秀吉の小田原征伐後に廃城となった。現在まで外堀や土塁が残っていたことから、櫓等を復元して城址公園として整備したという。

 現地はかなり整備されている。駐車場に車を置くと正面には立派な櫓や大規模な堀が見える。堀を超える形で橋が架かっており、その橋の向こうは門になっている。

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かなり立派な逆井城

 門の脇が二層櫓になっておりここには入ることが出来る。入口を守る櫓といったところ。登ってみようかと思ったのだが、どうしたわけかこの建物には久々に高所恐怖症が発症して登ることが出来なかった。

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橋を渡って二重櫓に行くと、内部は登ることも可

 塀に沿って進むと井楼櫓が建っている。かなり高い物見櫓だが、これは最初から立ち入り禁止になっている。

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二重櫓奥の井楼櫓はかなり高い

 この近くには主殿が復元されており、関宿城の城門だった薬医門が移築されている。主殿はシンプルな建物だが、内部も一応作ってあってふすま絵などが描かれている。

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城門に主殿
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襖絵も復元

 この奥がこの城の一番の見所の一つでかなり立派な堀が残っている。この奥には土塁に囲われた曲輪があり、そこには東の橋を渡って櫓門を抜けると入ることが出来る。この城の北はかつては飯沼という大きな沼だったことから、ここはこの城の一番奥にあたり、ここがかつての本丸だったらしい。さすがに非常に堅固な守りとなっている。

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かなり明瞭に堀跡が残る
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橋と櫓門を通って本丸へ

 本丸の東側が二の丸だが、この辺りは詳細な構造はなくてひたすら広い広場となっている。ただその東には土塁と堀の跡がしっかりと残っている。どうやらこの東にはかつてはさらに三の丸もあったらしい。

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三の丸との間の堀はほとんど埋まっているが広い

 とにかくかなり大規模な城であり、北条氏が北を睨んで気合いを入れて整備した城であるということがよく分かる。面積も大きくてかなりの大兵力を入れることが可能であることから、ここに北関東制圧のための大軍を詰めて、隊を整えてから一気に出陣ということだったのだろう。復元建造物なども良く出来ているので当時の城の様子をイメージしやすくお勧めできる城跡と言える。

 

 ここまで見学を終えたところで既に昼をかなり回っている。昼食を摂りたいが付近には店らしきものはない。調べたところ、ここから北上したところに八千代グリーンビレッジなるキャンプ場などの複合施設があり、そこに温泉やらレストランがあるようだということなのでそちらを目指す。

 八千代グリーンビレッジは山の中のキャンプ場といったイメージ。バンガローなどが複数建った複合施設になっている。その一角に温泉やらレストランのある建物がある。しかし私がレストランを覗いたところ、ちょうど老人の団体が券売機の前で行列を作っている。店内のテーブルもほとんど塞がっているようだし、厨房にもあまり人数がいるようではないしということで、これはいつまで待たされるやら分かったものじゃない。私は老人会の団体と違って暇ではないのでここは諦めて他の場所を探すことにする。

 

道の駅しもつまで昼食のそばを食べる

 しかし移動は良いがあてがない。その時に頭にふと浮かんだのは<関城めがけて走っていた時に「道の駅しもつま」という看板を見かけたこと。道の駅なら飲食店ぐらいあるだろう。とにかく何もあてがないのでそこを目指すことにする。

 道の駅に到着したが現地はかなりの大混雑。車を停める場所にも困る状態で、何とか空きを見つけて車を停める。何やら新そば祭なる幟が多数立っている。そこで蕎麦でも食べることにしようと、ここにあるそば屋「そば打ちめいじん亭」に入店することにする。

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そば打ちめいじん亭

 この店も混雑しておりしばし待たされることになる。ようやく入店すると「鴨のつけそば」を大盛りで注文、さらにこれにトロロ飯をつける。

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鴨のつけそば

 そばの風味はなかなか良い。ただ付け出汁についてはどうにかならないかという気もする。基本的に北関東系のダダ辛い味付けは私に合わないが、アクセントに加えている柑橘の味も今ひとつしっくりこない。やはり北関東から東北にかけての料理は私の舌には合わないなということを感じずにはいられない。残念ながらこのエリアの料理で美味いと思ったことはほとんどない。そばは良いだけに実に残念。

 とりあえず昼食を済ませたが思ったよりも時間を費やしてしまった。今の時期は日没が早いことを考えるとタイムリミットは4時過ぎぐらいだと思った方が良い。今日は茨城空港から飛行機で帰るつもりなので、茨城空港方面に移動してから次の目的地に向かいたい。

 

三階城・・・は断念

 次の目的地に考えたのは鉾田の三階城。北上して北関東自動車道に乗ると、東関東自動車道に乗り継いで鉾田を目指す。鉾田出口を出ると三階城はそう遠くない。しかし三階城に向かう道路の入口のところで行き詰まる。元々の道路が農道で幅が狭いらしく、入口が極端に狭い上に急角度。どうもアコードアクシオの旋回能力では入れそうにない。無理してこすったりでもしたら大変だ。結局は三階城は諦めることにする。

畑田城 

 ではということで次の目的地を調べたところ、ここの南に「畑田城跡」があるらしいのでそこを目指すことにする。地図では分からなかったのだが、現地に行くと小学校や西光院がかなり小高い丘の上に乗っている。この丘の上が畑田城だったらしい。かなりの急坂を登って西光院の前までたどり着くが、どうも城の遺構のようなものは見当たらない。どこかに案内看板ぐらいはあるらしいのだが、結局見つけることも出来ず日も西に傾いてきているので見学もそこそこに引き上げることにする。

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この高台上の小学校の辺りが畑田城

 日は大分西に低く傾いており、時間的に次が最終となるだろう。ここから近いところということで、三階城の北にある「徳宿城」に向かうことにする。

 

徳宿城 平安期の徳宿氏の城

 現地に行くと住宅地の間の狭い道に案内看板と入口がある。向かいに空き地があるのだが今はロープが張ってあって入れない。そこでギリギリに左に寄せて道路に車が通れるスペースを空けた上で停車する。

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徳宿城登り口

 徳宿城は平安末期に徳宿親幹によって築かれた。徳宿氏の父は平国香の七代目で鹿島郡を治めており、その北部に徳宿氏を創立したのだという。徳宿氏の二代目秀幹の長男俊幹は三階城を拠点として安房氏の祖となり、次男朝秀が畑田城を拠点として畑田氏の祖となったとのこと。1486年九代目道幹の時に水戸城の江戸氏の攻撃を受け、江戸氏二千余名に対して徳宿氏総勢三百余名という圧倒的に不利の中で、道幹は覚悟を決めて敵陣に切り込んで討ち死にしたとのこと。

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本丸周辺の腰曲輪と祠のある本丸

 看板の横の道から登るとすぐに本丸脇の腰曲輪らしき部分に出る。そこからさらに一段登ると本丸になっている。本丸は現在神社になっており、その背後の南側はかなり切り立った崖になっている。恐らくその下はこの地域の常としてかつては沼だったと思われる。東側は鬱蒼としていて立ち入り不可、北側に向かうとかなりハッキリとした堀切があって、そのまま道は北部の住宅地に続いている。沼地の台地の北側を堀切で断ち切って城郭にしたという様子である。構造的には関城や大宝城と類似した構造。南と西を見る限りではかなり切り立っているので、それなりの防御力を持った城郭であったことは覗えるが規模はそう大きくはない(東側にもっと大きかった可能性はある)。

 

 徳宿城の見学を終えた頃には日は西に完全に傾いて、やや薄暗くなり始めた。もうタイムアップである。後は帰宅を考えるべきだが、帰りのスカイマーク便は茨城空港を19時35分に出発。まだかなり時間がある。ここはどこか温泉にでも立ち寄って、ついでに夕食を摂りたいところである。調べたところ近くにほっとパーク鉾田なる日帰り温泉施設がある模様。そこで車を走らせる。

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ああ、無情!

 ほっとパーク鉾田まではそう時間を要せずに到着する。しかし現地に到着すると何となく雰囲気がおかしい。駐車場に車がほとんどいない。「?」と思いつつ建物に近づくと「施設総点検のため11月7日~11月14日臨時休館」の立て看板が。選りに選ってピンポイントである。思わず天を仰いで「オーマイガッ!」もしくは「ジーザス!」。それとも私は一応は仏教徒なので「オーマイブッダ!」に「シッダールタ!」か。

 仕方ないので場所を変えることにする。次にヒットしたのは小美玉温泉ことぶき。茨城空港からも近いようだしちょうど良さそうだ。

 ことぶきに到着した時にはもう日はとっぷりと暮れている。ことぶきは典型的な地方の日帰り入浴施設で、地元のお土産などを売っている売店もある。食堂も一応あるが小規模。夕食は空港に行ってからの方が良さそうだ。とりあえず入浴することにする。

 

小美玉温泉ことぶき

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 小美玉温泉はやや黒っぽい湯。泉質はナトリウム-炭酸水素塩・塩化物冷鉱泉とのこと。若干ネットリとした感触があるが弱アルカリ性らしい。東京の蒲田辺りの黒湯と同じような感触がある。なかなか上質な湯。地元民らしき連中が大勢押しかけていて人気のようである。

 露天はやや寒いので内湯でタップリ温まるとロビーでしばし休憩。テレビでは稀勢の里がいきなり負けている。彼はもう駄目かもしれないな・・・。

 

茨城空港周辺にはガソリンスタンドがない・・・ 

 体を温めてしばしゆったりすると空港に向けて移動することにするが、空港到着前にガソリンを入れておく必要がある。しかしここで驚いたのが空港周辺のガソリンスタンドがことごとく日曜日には休みであること。これだから田舎は・・・。今になってつくばで車を借りた時に、トヨタレンタカーの店員が「もしガソリンを入れられなかったら、向こうで精算も出来ますから」ということをわざわざ説明してくれた意味が理解できた。あの時は「なぜそんなことをわざわざ念押しするんだろう?」と疑問に感じていたのだが、こういうことだったのか。茨城空港恐るべし。結局は30分ほど走り回ってガソリンスタンドが全滅だったので、ガソリンは走行距離で精算することに。後で聞いたところによると、この周辺で日曜日に営業しているガソリンスタンドはたった一軒とのこと。

 かなり久しぶりの茨城空港である。数年前に来た時は神戸からここに飛んで、すぐにレンタカーを借りて大洗に移動したので空港内を見学していない。元々自衛隊の基地だったところを民間との併用にしたので空港設備は最小限。売店とレストランがあるぐらいである。なおあの東日本大震災ではいきなり天井パネルが落下するという事故があったのだが、どうやら天井パネルはそれではずしてしまった模様。

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天井パネルははずしてしまっている
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空港内の謎のキャラクター達

 売店で土産物を購入すると、レストラン「すぎのや本陣」で夕食を摂ることにする。レストランは既に満席に近かったが、どうやらこれが全部私と同じ便に搭乗する予定の客の模様。何とか席を確保すると夕食を摂ることにする。茨城の郷土料理はけんちんそばとのことだが、そばは昼に食べたのでけんちんうどんを注文する。

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けんちんうどん

 関東のうどんということでやや不安はあったのだが、やはり味は濃いめだが具だくさんうどんという風でなかなかに美味い。空港内レストランでこれが920円だと良い方だろう。

 

 夕食を終えるとすぐに荷物検査を受けて搭乗ゲートに。茨城空港の狭い待合室は搭乗客でごった返している。すぐに搭乗手続きが始まって、搭乗口を抜けるとこの空港にはボーディングブリッジなんて設備がないので、滑走路を歩かされる。そしてなぜかガルパン模様の搭乗タラップで乗り込むことに。そう言えばこの空港の別名がガルパン空港だったっけ。こんな最後の最後に聖地巡礼かよ・・・。

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ガルパン空港搭乗タラップ

 茨城空港から神戸空港に飛び、この日に無事に家に帰ってきたのであった。久しぶりに一日を城郭巡りに費やしたが、そもそもそれ以前の東京展覧会ツアーで相当に消耗していた挙げ句だったので、帰ってきた時にはかなりヘロヘロになってしまっていたのである。思いの外体力が落ちているようである。私もそろそろ年齢のことを考えて無理はやめておかないと・・・。

 ちなみに今回の遠征では美術館は予定していたところをすべて回ったが、城に関しては私の想像よりも茨城が広かったこと、私が思っていたよりもこの時期の関東の日没時刻が早かったこと、私の想定よりも体力を消耗してしまっていたことなどから、当初の予定よりもかなり立ち寄り先を減らすことになってしまった。これはいずれはこの地域へのリターンマッチが必要。また東京訪問のついでに茨城に繰り出すことになるだろう。

 

 

岐阜県内山城巡り(美濃金山城、明知城、久々利城、大森城、今城)

 翌朝は8時手前まで寝ていた。一度6時頃に目が覚めたが二度寝。かなり疲れも残っている。シャッキリしないまま、とりあえず朝食へ。朝食はドーミー名物の地元食も含んだ和洋両対応のなかなかのもの。

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ドーミー朝食は現地食の和洋両対応、みそカツに小倉トーストもあります

 朝食後は入浴して血の巡りをよくする。今日は本格的に山城巡りをする予定なので、とにかく体を動くようにしておかないと。

 

 9時過ぎにホテルをチェックアウトすると東に走る。まず最初の目的地は「美濃金山城(兼山城)」。この度、続100名城に選定された城郭であり、本遠征の城方面での主目的である。そもそも続100名城が選定された時、その時点で私の未訪問城郭は三春城、品川台場、鮫ヶ尾城、美濃金山城、水城の5カ所で、美濃金山城以外の4つは順次視察終了で最後に残ったのがここだった次第。

 美濃金山城に向かう前に、兼山町の戦国山城ミュージアム(旧兼山歴史民俗資料館)に立ち寄る。どうやらここは兼山城の続100名城選定に合わせての観光整備の一環でリニューアルされた模様。内部は兼山町の歴史にまつわる展示もあるが、より戦国関係の展示を増やして、しかもミーハー色を増している。何やら怪しいイケメン明智光秀の幟も。民俗資料館らしいのは一階の方で、かつて木曽川水運で栄えた兼山の歴史、かつてここを走っていた名鉄八百津線の兼山駅に関する資料などもある。なおこのコーナーは悪質な鉄オタ(別名盗鉄)による盗難を警戒してか、防犯カメラ装備になっている。

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民俗資料館

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兼山城模型

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兼山駅関連展示

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謎のイケメン明智光秀

 ここで兼山城に関する資料を集める。なお可児市自体が今回を機に山城観光誘致を目指しているようで、各山城の資料の配付なども積極的に行っている模様。

 

美濃金山城(兼山城) 斉藤氏ゆかりの続日本100名城

 資料が揃ったところで兼山城に向かうが、その前に町から見られるという米蔵跡の石垣を見に行く。ここはそもそもは屋敷跡で、それが江戸時代には年貢を貯蔵する米蔵、さらに明治以降には製氷池として使われていたとか。なかなかに立派な石垣である。なおここから兼山城に登るルートもあるらしいが、そもそも山登りが目的ではない私はもっと楽なルートを取ることにする。

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米蔵跡の石垣

 さて兼山城に出向くことにする。出城まで車で上ることが出来、そこから10分ほどで本丸にたどり着けるとか。かなり便利な山城である。出城までの道は急ではあるが舗装された道路であり、余程変なタイミングで変な対向車(運転が下手なくせに無駄に大きな車を運転している輩とか)に出くわさない限り全く問題のない山道である。

 

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金山城案内資料

 出城には駐車場も設置されている。もうここの時点でかなりの標高。遠く可児市街を見渡せるし、下には蘭丸広場も見える。

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広い出城跡

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見晴らしは抜群

 本丸方面への登り口は出丸の入口の近くにある。案内看板から杖、パンフレットまで装備されていて万全の構え。今回の続100名城選定を機に観光開発につなげようという可児市の意気込みが伝わってくる体制である。

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登城口も万全の体制

 兼山城は1573年に斎藤道三の名で猶子の斉藤正義が築城、しかし正義は久々利城主の土岐三河守に謀殺されてしばし城主不在になる。なお正義の謀殺についてはこの後に土岐三河守が道三から処罰されていないことから、正義の力が強くなったことを警戒する道三による陰謀との説もあるとか。後に美濃を織田信長が支配すると、金山城には家臣の森可成が入り、可成の戦死後は長可が城主となった。1600年に森氏が信州に移封されたことで廃城となったとのこと。なお森可成の三男・成利がジャニーズ系の森蘭丸であり、森蘭丸ゆかりの城ということで蘭丸広場ということらしい。
 登城口から整備された山道を登り始めると10分もかからずに三の丸に到着。ここには大規模な虎口があり、先ほどの米蔵からつながる道がここに通じていて、これが本来の登城ルートであるようだ。

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三の丸

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破城の跡が残る石垣

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虎口跡

 ここから一段上がると二の丸。ここには物見櫓なども建っていたらしいが、現在は木が茂っていて視界がない。

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二の丸

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二の丸物見櫓跡

 二の丸からはかなり大規模な大手枡形を経て南腰曲輪。ここから天守台の西南を回り込んでいよいよ本丸に到着する。

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非常に大規模な大手枡形虎口

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天守台西南隅石

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本丸に到着

 本丸はなかなかに広大なスペースがあり、発掘調査の結果の礎石跡も残っている。見晴らし抜群で、兼山の町や木曽川を見下ろすことが出来る。この地を支配する拠点としては格好の立地であることがよく分かる。 

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城跡碑

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抜群の眺望

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本丸裏手虎口

 本丸から裏手に降りたところにあるのが東腰曲輪。ここには立派な石垣があるが、自然岩盤と石垣を利用した集水枡跡がある。城郭において重要な水の確保は当然ながら万全を期している。

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本丸下集水枡跡

 ここからさらに降りたところに東部曲輪があり、また左近屋敷に通じる道もあったようだが、この辺りは斜面崩落などもあって左近屋敷には現在は行けなくなっているようだ。自己責任で強引に進んでみようかとも思ったが、途中がグチャグチャで進むのは不可能と判断。

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この下が東部曲輪

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左近屋敷方面は大崩落で進行不可

 一回りして見たが、さすがに続100名城に選ばれるだけあって立派な城郭である。なお非常に保存状態が良いのは、明治時代に皇室の御料林になっていて民間に払い下げされていなかったかららしい。これが結果として遺構の保存につながったとか。とかく古代史解明などに際して妨害することが多い宮内庁だが、たまには逆に貢献することもあるらしい。

 これで続100名城も含めての視察完了。一段落である。今後また大々的に私が動くとしたら続々100名城が選定された時か(笑)。しかしまあ現実にはもう不可能だろう。選定に値する城を全国で100選ぶことが困難だし、特に現在の原則となっている一県最低一件というのは間違いなく不可能。そこで無理すると「?」って城郭ばかりが並ぶ羽目になるし。まあ一県最低一件の原則を崩せば、後50ぐらいだったら選べなくもないが。

 

 美濃金山城の見学の後は、ここから南方にある「明智城」を見学に行く。明智光秀ゆかりの城郭とも言われている。なお恵那にある明知城も明智光秀ゆかりを名乗っているが、歴史的に見て本命は明智城の方だろうと言われている。

 

明知城 明智光秀生誕の地と言われる城郭

 明智城は天龍寺南方の東西に長い山地上にある。大手口から登る方法もあるが、私は住宅地の中にある西出丸曲輪の方から見学することにした。入口前に車を置いて見学するが、西出丸曲輪は曲輪と言うにはあまりに削平されていない。自然地形そのままであって建物などは建てられないだろう。

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現地案内看板より

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西出丸曲輪はほとんど削平されていない

 そこから東に進むと馬場や本丸などの表示があり、模擬馬防柵などが建てられて整備されている箇所があるが、スペースがあまり広くないので、大きな建物は建てられなかったであろう。なお本丸奥の展望デッキは立ち木のために眺望皆無。

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模擬馬防柵と馬場

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二の丸

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さらに本丸

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城跡碑

 さらに東に進むと大手道を守る形で中の丸があるが、スペースが狭いことはともかく、切り岸などの加工がしていないので、大手側からの斜面が緩くて直接に取り付くことが可能なように見えることが気になるところ。どうも城郭全体的に自然地形にあまり手を加えていないように感じられる。

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大手道を守る中の丸

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大手道、左の中の丸との傾斜が緩すぎる

 なお西大手曲輪方面に向かう道は山崩れでもあったのか閉鎖されていた。どうも全体的に曲輪と言われれば曲輪なのかもしれないが、あまり手が入っていない様子であり、ここを城郭として使用していたとすれば、やはり明智氏はかなりの小勢力だったのだろうなという印象を受けた。

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西大手曲輪方面への道は閉鎖中

 

 明智城の次は久々利城を目指すが、その途中で「かつ円」なるとんかつ屋を見つけたのでここで昼食を摂ることにする。牡蠣フライやヘレカツのセットを注文。まあ可もなく不可もなしの普通のとんかつ。

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かつ円

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可もなく不可もなし

 昼食を終えると久々利城最寄りの可児市郷土歴史館へ。こちらでは陶器の展示中。志野や織部などなかなかに面白い茶碗の展示があった。 

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この手の茶碗が多数

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黒茶碗

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これは志野

 

久々利城 土岐氏の堅固な居城

  こちらで久々利城の地図をもらってから「久々利城」の攻略に挑む。登城口から登り始めると、5分もせずに最初の枡形虎口に到着する。久々利城は先ほどの斉藤正義を謀殺した土岐三河守・悪五郎の居城だったが、彼は1565年に信長の侵攻の際に降伏し、森長可の家臣として仕えた。しかし1583年に長可に謀殺され、久々利城も夜襲を受けて落城となったらしい。まさに生き馬の目を抜く戦国時代らしいエピソードである。

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久々利城縄張図

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登城口

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すぐに枡形虎口にたどり着く

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枡形虎口内部、左手が三の丸

 この立派な枡形虎口から一段上が三の丸。広い曲輪であり、ここから虎口に攻めてくる敵を狙い撃ちできるような構造になっている。

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三の丸の背後には二の丸、本丸が続く

 ここからは二の丸、本丸が階段状に続くようになっている。この辺りは尾根筋に設けられた城郭ではお約束の構造。最高所の本丸からはかなり見晴らしが良くなっており、ここは防御の拠点でもある。 

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横手から本丸に回り込む

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本丸

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本丸から二の丸、三の丸を見下ろす

 この城郭の特徴は、ここから土橋を経てさらに奥にも曲輪があることである。先ほどの本丸は戦闘指揮所であり、実際の城主はこちらにいたのではないかと感じられる。側面から本丸に迫ろうとする敵があっても、ここからなら狙い撃ちできるだろう。

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本丸の奥は土橋を経て奥の曲輪につながる

 さらにこの奥にはこの城の最大の見所とも言われている。二重堀切がある。これは背後の尾根筋から攻められることを防ぐためにかなり深く掘削されており、しかもそれを越えてきた敵は上の曲輪から狙い撃ちできるようになっている。尾根筋に設けられた城郭は背後からの攻撃が弱点であるだけに、こちらの防御は万全を期しているようだ。

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背後の尾根を断ち切る二重堀切

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二重堀切を上から

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奥の曲輪

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奥の曲輪から本丸方面

 先ほどの明智城などと比べるとかなり大規模な加工が施してあり、かなりの大勢力による築城であることが覗える。城内にも多数の兵が籠もることが出来、土岐氏(久々利氏)がかなりの力を持っていたことが覗える。だからこそ森長可は正面からの攻略でなくて謀殺という方法を用いたか。

 かなり見応えのある城郭であり、先ほどの兼山城にも準じる。これこそ続々名城に選ばれても良い城郭か(笑)。

 

大森城 土岐氏家老の城

 久々利城の次はここの南西にある「大森城」へ向かう。大森城は先ほどの土岐氏(久々利氏)家老奥村氏の城であり、1583年に森長可に攻められて落城したとある。

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大森城遠景


 城郭は大森神社の背後の山上にある。大森神社の駐車場に車を置いて見学。ここも今までの城郭と同様にパンフレットが完備、可児市の観光に対する意気込みが見える。

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パンフレットより大森城復元図

 城へは大森神社の手水舎の奥に山に分け入るルートがあり、入口は不明瞭だがその奥にはキチンと案内看板もある。そこから竹林の中に入っていくことになる。 

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大森神社

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手水舎脇のここから分け入る

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すぐに案内が見つかる

 案内に従って登っていくと、本丸と南の曲輪の間の堀切に登ることになる。なおここを北に進むとこの城郭全体にわたって築かれている東側の横堀になっている。

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本丸への登り口、右手が横堀

 本丸に登ると整備の後はあるが下草が茂って鬱蒼としている。南には土塁に囲われた曲輪があるが、こちらはさらに鬱蒼としている。また本丸上では何本かの巨木が根こそぎひっくり返ってたまま放置されている。台風か何かでやられたのだろう。背丈の割に細すぎることから、この山もしばらく手が入れられていなかったようであることが覗える。

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鬱蒼とした本丸

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大変なことになっている

 ここの先には虎口のような構造が見られて、その先には北側の曲輪がある。ここは手元の資料によるとかなり複雑な構造になっているようだが、なだらかな地形になってしまっていて私の目では構造の詳細はよく分からない。

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本丸虎口らしき構造

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その先の曲輪は詳細が不明瞭

 ここの先には大規模な枡形虎口が見られる。そこを抜けると例の横堀。それを突っ切って下に向かって降りてきたら、大森神社の北側に出てきた。

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曲輪周辺に土塁らしきものの痕跡は見える

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大規模な枡形虎口

 なかなかに凝った構造の城郭であったが、このような凝った構造は大森城が落城の後に森長可によって美濃金山城防御の支城として改修された時のものと思われるとのこと。なるほどそれなら納得である。規模的には元々家老の城としてはこんなもんだろう。もっとシンプルな構造だったとしたら、土岐三河守を謀殺した森長可の大軍に急襲されたらひとたまりもなかったろうと思われる。

 

今城 地元土豪小池氏の城

 かなり疲れてきたし、時刻もそれなりの時刻になってきた。次の目的地で最後だろう。次は「今城」に向かうことにする。今城は地元の土豪である小池家継が築いた城郭で、小池氏は美濃金山城に森長可が入場した後にはここを退去して農民になったとか。

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今城復元図

 今公民館に車を置けるのでそこに車を置くと、徒歩で今の集落に向かう。老人憩いの家の奥に今城への登城路があり、案内看板等もある。なおここは私有地であるので所有者に迷惑をかけないように注意とのことだが、そんなことは私有地であろうと公共用地であろうと同じことである。

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今公民館

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一見分かりにくいが、ここを入る

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今城入口

 立ち入り可能領域はロープで区切られている。まず最初に屋敷のあった三の丸に出て、ここには今でも水がある井戸が残っている。ここの北側に枡形虎口があることから、現在大手門の表示のあるところは本来の入口でなく、こちらが本来の入口だろうと思われる。この虎口は三の丸と現在五輪塔のある曲輪で守られるようになっている。

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三の丸井戸

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三の丸虎口

 ここから一段登ったところにある小曲輪が二の丸。土橋で本丸とつながっている。

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小さい二の丸

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二の丸と本丸の間の土橋

 最高所に本丸があり、東側と南側はそのまま外と接する形になるので土塁で守られている。戦いの時にはこの上から斜面に取り付く敵兵を狙い撃ちすることになるだろう。

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土塁に囲まれた本丸

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本丸奥の食い違い虎口

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その奥の構造は不明

 背後は南側の山地につながる部分であり、明らかにこの城の防御の弱点。そちらがわには食い違い虎口があり、土塁上には櫓なども建てられていたようである。なおその虎口の先に出丸の表記も案内板の図面にはあったが、それは明確ではない。

 

 これで今日予定していた城郭は大体押さえた。まだ体力的にはもう一つ二つ回ることも不可能ではない余裕はあるが、明日に帰宅する体力のことと、これから宿泊地に移動する時間のことを考えると無理はやめてもう移動することにする。今日宿泊するのは養老温泉ゆせんの里ホテルなでしこ。昔なら今から長駆して帰宅するところだが、さすがに今はその体力は覚束ないので無理はせずに一泊することにした次第。

 

養老温泉ゆせんの里

 中央道から名神道を経由、大垣ICで降りると養老温泉に向かう。養老温泉周辺の道は背後にまるで壁のような鈴鹿山脈を控える大田んぼ地帯。すごい風景に思わず笑ってしまう。ホテルは妙な雰囲気の建物。イメージは南仏のリゾートだろうか。本館が日帰り温泉で、隣接している療養棟に宿泊者専用の浴場と宿泊棟がある。宿泊棟は中庭がある妙な開放感の構成。やはり南仏のリゾートだろうか。部屋の装備は一般的なビジネスホテルと同様。

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南仏のリゾートイメージの建物

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室内はややゴージャスなビジネスホテル

 ホテルにチェックインするとまずは入浴。最初は宿泊者専用の内風呂へ。養老温泉はナトリウム・カルシウム-塩化物泉。源泉温度は40度くらいなので熱湯を加水して温度を上げている模様。薄い白褐色に着色した温泉で金気臭がある。鉄分を含んでいるようである。色が真っ赤でないということは湯の鮮度が良い証拠。実際に肌当たりの良い湯である。

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宿泊者専用浴場

 内風呂の次は本館の大浴場に入浴に行く。こちらは内風呂・露天風呂・サウナと一渡り揃っている。こちらには内風呂に加温していない源泉浴槽があるのが特徴。39度程度のやや温めの湯だが、元々温まるタイプの泉質なのでそうぬるいとは感じない。

 風呂から上がると養老山麓サイダーを頂いて一服。さっぱりしたサイダーである。

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養老山麓サイダー

 風呂から出ても体がポカポカするのがこの泉質の特徴。入浴を終えると部屋に戻って一休みする。

 夕食は館内のレストランで。メニューは予約当初は会席膳の予定だったが、数日前にホテルから電話がかかってきて、今月になってからの新メニューのステーキ膳がお得だからと勧められたのでそちらに変更している。

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サラダ

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ステーキ膳

 前菜のカルパッチョから始まって、メインは飛騨牛のステーキ。このカルパッチョもなかなか味が良かったが、飛騨牛が脂の入り方といい実に良質で柔らかくて美味。これはなかなか。最後のデザートまで含めて非常に堪能した。これは当たり。

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美味そうに焼けてきた

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デザート

 夕食後はしばしテレビなどを見てくつろいでから再び入浴に行く。ここの湯は実に快適。実はこのホテルの湯にはあまり期待していなかったので、それを良い意味で裏切られた。すっかりくつろいでから、本館の食堂に行って醤油ラーメンで小腹を満たす。

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ラーメンで小腹を満たす

 後は本館でしばしくつろぐ。休憩室でチェアに横たわりながら西郷どんなんかを少し見ていたが、やはりこのドラマはどうしようもなくつまらない。

 部屋に戻るとかなり疲れが出てくる。しばしBDを見ていたが、その内に眠気が強烈にこみ上げてきたのでこの日は明日に備えて早めに眠る。

 

名古屋フィル第461回定期演奏会&岐阜観光(川原町観光に鵜飼いを遠望)

 翌朝は7時に目覚ましで叩き起こされるまで爆睡していた。目が覚めるととりあえずシャワーを浴びてから、昨日帰りにイオンで買い求めていたパンとサンドイッチを朝食にする。

 荷物をまとめながらテレビをつけると「まんぷく」を放送中。前の朝ドラは見るに堪えないほどひどい作品だったが(話の辻褄が合わない、登場人物の人間性が全く描けていない、各キャラクターの行動に一貫性と意味がない、などそもそも脚本のレベルが異常に低すぎた)、今度の作品はキチンと人物が描けているようだ(そもそもそれは本来なら当たり前なのだが)。

 ドラマが終わった頃には荷物をまとめてチェックアウト、これから岐阜まで走ることになる。例によって大阪市内は異常に走りにくい。道路の混雑はひどいし、マナーも最悪、そしてドライバーは殺気立っている。つくづく大阪は車で走りたくない。

 吹田JCTから名神に乗ると、後はひたすら走り続けることになる。このまま岐阜まで一気に走っても良いのだが、多賀SAで途中休憩をする。ここで途中休憩したのは予定通り。今日は10時から西宮でのチケットの販売があるのと、このSAには「敏満寺城跡」なる遺跡があるのでそれを見学しとこうという考え。

 多賀SAには予定通りにちょうど10時前に到着、車を置くとスマホをつないで兵庫芸文のサイトにつなぐが、サイトがダウンしていてつながらない。毎度の事ながらここのサーバはチケット発売の度にサイトがダウンする。結局はフラフラと敏満寺城跡を確認しながら何度か接続を試みることに。

 

敏満寺城 中世の要塞寺院

 敏満寺城跡はその名の通り敏満寺という寺院が城塞化したものだとか。敏満寺は中世ではこの辺りを代表する大寺院だったらしい。しかしこの寺社勢力も、浅井長政に攻められて大きな被害を受け、さらに寺の焼き討ちが趣味だった(笑)織田信長に攻められて根こそぎやられてしまって今日の状態と言うことらしい。 

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城跡は現在は公園

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地形的には周囲よりも小高くなっている

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土塁上のこの辺りは櫓跡か

 城跡といっても特別な遺構があると言うほどではない。SAの隣にドッグランがある公園があるが、この辺りが城内らしい。今も土塁と思われる土盛があるのと、地形的に結構切り立っていることなどが城っぽさを感じさせる。

 

 城跡(?)を一回りし、その間に何とか無事にチケットも手配完了、再び岐阜に向かって走ることにする。さて最初の目的地だが、それは岐阜の川原町。長良川河畔の古い町並みが残っている地域であり、長良川の鵜飼い船などもここから出ている。今まで何度か岐阜は訪れているが、この地域のことは知らずにスルーしていた次第。

 

 名神から東海北陸道へ乗り継ぎ一宮木曽川ICまで高速道路は順調だったのだが、一般道に降りた途端に岐阜の手前で大渋滞で想定以上に時間を費やすことに。

 とりあえず昼前に川原町に到着する。長良川沿いの臨時駐車場に車を置いて川原町まで10分ほど歩いたが、到着するとキチンと町並み見学者用の駐車場があることに気付いてずっこける羽目に。

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長良川、このやけに高く土盛した中州の意味は後に判明

 

川原町 長良川沿いの商家町

 川原町は長良川沿いの旧商家町で、今は鵜飼い船なども出ている。道路沿いに奥行きの深い町屋の建物が多数並んでいて、それらの中には現在も観光客相手の商売をしているところも多い。なお前の道路がこの手の商家町にしてはやや広めなのだが、これは元からそうなのか、どこかの段階で区画整理したのかはよく分からない。ただかなり古い建物が多いので、昭和以降に区画整理されたとは思えないが。

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川原町

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町並には趣がある

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旧商家が立ち並ぶ

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商家には倉もある

 町並みを端まで歩いたところで、鮎料理の店「泉屋」を見つけたのでここで昼食を摂ることにする。注文したのは「若鮎天ぷら・稲庭うどん御膳(2700円)」

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泉屋

 コースのようになっていて、まずは前菜から。いずれも鮎がからんだ料理だが、なかなかにうまい。ただ腹は膨れない。

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前菜と鮎の寿司

 次に若鮎の天ぷらが出てきて、少し遅れて稲庭うどんが到着。若鮎の天ぷらは非常に美味。稲庭うどんも腰があってツルツルと非常に美味。

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若鮎の天ぷらと稲庭うどん

 最後はデザートは山椒のアイス。これは山椒の実を使っているとか。ミルクアイスは後口がネットリしがちだが、このアイスは後味がサッパリしていて非常に爽快。これは初体験である。

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後味さっぱりの山椒アイス

 なかなかに美味かった。ただ食事量がかつてより減っている今の私にさえこれはいささかボリューム不足。そういう点ではCPにはしんどいところもある。お洒落に美味しいものを食べたい女性向きか。私のようなガッツリ食べる下品な男向きではない。まあその場合は鮎ラーメンにでもしておけば良かったのか。

 町並みを一番端まで見学して折り返してくると、これまた一番端にある店「緑水庵」みたらし団子を頂くことに。団子は至って普通だが、町屋を活かした風情ある店内がなかなか良い。

 

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緑水庵
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趣ある店内にみたらし団子

 

 川原町の見学を終えたところで一旦ホテルに荷物を置きに行くことにする。今日の宿泊ホテルはドーミーイン岐阜駅前を予約している。ドーミーインの契約駐車場に車を入れるとホテルにキャリーを預けてから岐阜駅まで。ドーミーイン岐阜は「JR岐阜駅から陸橋で直接接続」と記載がある。こう聞くと本当に駅の真ん前のイメージだが、実際は陸橋でつながっているのは事実だが、駅に到着するのには5分程度かかる距離がある。知らない間に岐阜駅前の陸橋エリアがかなり広がっているのである。

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ドーミーイン岐阜

 岐阜から名古屋まではJRで30分かからない。思っている以上に岐阜は名古屋に近い。これだと確かに誰も不便な岐阜羽島駅なんて使わずに名古屋駅を使うよな・・・。

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岐阜駅前の金の信長像は、金のエンジェル1枚、銀のエンジェル5枚でもらえません

 今日の名フィルのコンサートはフォレストホールで開催なので金山まで移動する。金山駅前では閉館になった名古屋ボストン美術館が閉鎖されている。何やらもの悲しい風景。全くこの国は文化面は実に不毛だ。これで名古屋に来る機会も減りそうな気がする。それでなくても今は愛知県美術館も改装で閉館中だし。

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閉鎖されている名古屋ボストン美術館

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悲しすぎる

 フォレストホールに到着したのは開場の20分ぐらい前。既に大勢の客でごった返している。こんなところで待つのもしんどかったので、ホール内の喫茶でアイスココアを頂きながら時間をつぶすことにする。

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フォレストホール

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アイスココアで一息

 喫茶でマッタリと30分ぐらいつぶしてからホールに入場。ロビーでは選抜メンバーによるロビーコンサートが。最近はこの手のイベントをするところが増えている。記憶にあるところで札響、新日フィルがしていた。そう言えばアマの神戸フィルもしてたな。

 チケットは売り切れのようなことを言っていた気がするのだが、ホール内には空席もチラホラとある。年間会員の中で来てない者もいるんだろうか。まあこの曲は賛否両論あって、あまり好きでない者も結構いるから。 

 

名古屋フィルハーモニー交響楽団 第461回定期演奏会

小泉和裕(指揮/名フィル音楽監督)
中部フィルハーモニー交響楽団(共演)
並河寿美(第1ソプラノ)
大隅智佳子(第2ソプラノ)
三宅理恵(第3ソプラノ)
加納悦子(第1アルト)
福原寿美枝(第2アルト)
望月哲也(テノール)
宮本益光(バリトン)
久保和範(バス)
グリーン・エコー,名古屋市民コーラス,名古屋混声合唱団,一宮第九をうたう会,名古屋シティーハーモニー,クール・ジョワイエ(合唱)
名古屋少年少女合唱団(児童合唱)

マーラー: 交響曲第8番変ホ長調『千人の交響曲』

 名フィルと中部フィルのジョイントによる20-17-14-12-10という超巨大編成なのが今回のオケ。しかし急遽の編成とは思えないぐらいオケのまとまりは出来ていた。ちなみに今回は合唱も含めると497人の編成で、1000人まではいかないものの「500人の交響曲」というかなりの大規模なものになっていた。とにかく人数が多くて遠いのを意識してか、小泉の指揮も見やすいようにいつも以上に動作を大きくしていたようだ。小泉の指揮は万事諸々に目を配っているのが感じられる。

 ただことごとく邪魔をするのはこのホールの異常な音響の悪さ。大編成の合唱団にも関わらず音が抜けてこないし、その前に配した独唱陣はさらに輪をかけて音が前に出てこず、やけに合唱陣が遠くに感じられる。また超巨大編成のオケもその破壊力を完全に発揮したとは言いにくい部分がある。なおホールの構造的にバンダの金管はステージサイドに配していたが、おかげで残念ながら天上のラッパが地上のラッパになってしまって、あのびわ湖ホールの劇的効果を思い出すといささか寂しい結果になってしまった。
 ホールのせいでかなり効果が減殺されていたが、そもそもかなり華やかな曲なので会場はそれなりに盛り上がっていた。この曲は特に終盤の盛り上がりが気分を高揚させる効果がある。その内に年末の第九に代わって、年末のマラ8の時代が・・・来ないか。

 

 ライブを終えるとホテルに戻る前に夕食を摂ることにする。名鉄で名古屋まで戻って、そのまま名鉄百貨店のレストラン街へ。案の定うなぎ屋は大行列なので、諦めて「文化洋食店」カニコロッケを頂くことにする。

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名鉄百貨店の文化洋食店

 カニコロッケはこの店の名物であるが、切ってみるとまるでミンチカツのように見える濃厚な中身が特徴。カニの風味が非常に強くて実に美味。

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濃厚なカニコロッケ

 夕食を終えると岐阜に戻る。JRの快速に乗るとすぐ。体感的には大阪-神戸よりも近い印象。

 

長良川鵜飼いを遠望

 岐阜に戻ってくると、ホテルに帰る前に少しだけ寄り道をする。ちょうど今は鵜飼いのシーズンとのことなので、鵜飼い船には乗らないまでもせめて雰囲気だけでも体験しておこうかと考える。岐阜の駅前からバスで長良橋まで移動。長良川を眺めると既に多くの乗合船が出ている。それを眺めながらしばしボンヤリ。その内に打ち上げ花火を合図に松明を灯した鵜飼い船が出陣。 

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合図の花火が上がる

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何やら始まったが遠すぎて何のことやら

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望遠レンズを使用しても暗すぎて様子は分からず

 長良川北岸のホテルから多くの人が出てきて川を眺めているが、鵜飼いは南岸側でやっているので遠くに松明がチラホラ見えるだけである。南岸側には目隠しのように背の高い中州を作ってあるので視線が遮られて何も見えない構造になっている。鵜飼いをキチンと見ようと思うと、3000円以上を払って見学船に乗るしかないシステムになっているわけである。まあ彼らの収入源はこの乗船料なんだから、ただ見されたら商売にならないだろうから、その辺りはしっかり考えてある。望遠レンズで覗くと松明の明かりで鵜をつないでいる紐ぐらいは見えるがその程度。まあそれでも鵜飼いの雰囲気は味わったのでバスで引き返すことにする。

 

 ホテルに入るとまずは入浴。ここのホテルは温泉大浴場があるが、源泉は池田さくら温泉(揖斐池田町からの運び湯のようだ)で、ナトリウム炭酸水素塩泉でpH8.6のアルカリ泉とのこと。この湯が内風呂に注がれており、ヌルヌルとした本格的な湯。pHを見ると先日訪問した出石温泉元湯にも匹敵している。なお外気浴もあるが、こちらは新湯のようなので内風呂を中心に入浴。体に本格的にキツいのは明日以降のはずなのに、今日一日でもかなり疲労がたまってしまった。特に腰の状態が怪しい。そこでできる限り疲労を抜いておくことにする。非常に心地よい湯で堪能する。

 風呂上がりには往路に多賀SAで買い求めていた饅頭でマッタリ。地元米を使っていると説明があったが、確かに皮がかなりうまい。帰りにお土産で欲しいところだが、残念ながら上り側でしか売っていないと言ってたな・・・。

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多賀SAで買い求めたくうや観助餅がこの夜のおやつ

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餡入りの半撞く餅のようだ

 風呂から上がってしばしマッタリすると、夜のドーミー名物夜鳴きそばへ。今日は昼・夜共にやや軽めで小腹が空いていたのでこれは非常にありがたい。

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ドーミー名物夜鳴きそばで小腹を満たす

 夜食を摂るとしばしテレビを見ていたが、やはりろくな番組がない。体の方がかなり疲れていることだし早めに寝ることにする。

 

養父市大杉の重伝建地区と此隅山城見学

 この三連休は特に予定もなく家でゴロゴロしていたのだが、やけに天気の良い空を眺めているうち、こんなことをしていると精神にも肉体にもよろしくないという気持ちがこみ上げてきた。そこで月曜日に急遽外出することにした。

 目的地として考えているのは、新たに重伝建に指定された養父市大杉。山間に多い養蚕集落の建物が重伝建指定されたらしい。これに以前から気になっていた出石の此隅山城を絡めて遠征計画のできあがり。ライブ通いを始める前のオーソドックスな遠征パターンである。大雑把に計画を策定してルートを調査すると、午前中のうちに慌てて家を車で飛び出す。

 久しぶりの自家用車による長距離ドライブである。国道2号から播但道に乗り継ぐと北に向けてひた走る。中国道以北の播但道は対面2車線になるので決して走りよい道ではないが、車もそう多くないので順調なドライブで朝来ICに到着、ここから県道70号、県道6号を経由して目的地へ。なお帰宅してからGoogleマップを見れば、明らかに和田山から和田山八鹿道路の養父ICを経由した方が早いはずなのだが、どうも私のカーナビの地図には和田山八鹿道路が入っていなかった模様。

 

養父市大杉の重伝建地区 

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遠くからの町並

 現地は典型的なのどかな山村。重伝建地区内に文化交流施設木彫展示館があるので、そこの駐車場に車を置いてプラプラと見学、案に反して結構な台数の車(7台ほど)が止まっていて驚く。

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木彫り展示館

 木彫り展示館は、かつて診療所として使われていたという建物の中に木彫り作品を展示してある。展示作は実に様々。いわゆるほのぼの系の作品もあれば、かなりシュールな作品まで。中には笑えるものもある。こうして見ると、木彫りというのも芸術としてのかなり表現力を持っているものだと改めて感心する。 

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作品の数々

 木彫展示館を見学した後は集落内を散策。集落を見下ろす丘の上に二ノ宮神社があるのでそこを見学。斜面に祠を連ねた意外に大規模な神社で驚く。なかなかに趣があり、気分が落ち着く。

 

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落ち着いた風情のある二ノ宮神社

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神社から見下ろした町並み

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養蚕住宅の町並

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突き出した三階が特徴

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蚕室の温度管理のためのものとか

 養蚕住宅は突き出た三階があるのが特徴。ただし今となっては養蚕をしている家もなく、その家を宿泊施設にしたりカフェにしたりしている。そんな一軒、「Rico cafe ~分散ギャラリー養蚕農家~」を見学。

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いわゆる古民家カフェ

 内部は3階までが吹き抜けたオープンスペースの建物。広い空間が開放的で、三次元的接続の面白さのようなものがあるが、同時に高所恐怖症にはいささか落ち着かない建物でもある。また風通しが良い設計になっているが、逆に冷暖房をしようとすると大変な構造でもある。このオープンスペースの内部に様々な作品が展示してある。

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 一回り見学を終えるとカフェで軽く昼食を摂ることにする。注文したのは鹿肉カレー。赤米に鹿肉カレーとサラダが添えてある。サラダがなかなか美味いが、肝心の鹿肉カレーについては甘口のカレーが私の好みと違っており残念。また鹿肉は意外に淡泊なので、カレーにするなら何らかの手でもう少しコクを補って欲しいところ。

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いわゆる鹿肉カレー

 養蚕集落の見学を終えると移動。近くのかいこの里交流施設を目指したのだが、何と閉館中。三連休中に閉館とは何とも商売っ気のないことだが、地方はたまにこういう施設があるから恐ろしい。仕方ないので、すぐに本遠征の第二目的地である此隅山城へと向かうことにする。

 

此隅山城 秀吉に落とされた山中氏の城郭

 「此隅山城」は出石の市街の北方にある。そもそもは山名氏ゆかりの城郭で、1372年に山名時義が築城したとされている。しかし1569年に山名祐豊の時に羽柴秀吉に攻められて落城、祐豊はより険しい有子山城に本拠を移して廃城となったという。ただその有子山城も1574年に羽柴秀長に攻められて落城、祐豊は因幡に出奔したとのことで、もう既に没落していた山名氏では、いかに堅固な城塞に頼ろうとも最早勝負にはならなかったということのようである。

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此隅山城遠景

 此隅山城のある山の北西に古代学習館があるのでそこに車を置くと共に、此隅山城のマップを入手する。登山道はここのちょうど裏から出ているらしい。

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此隅山城登山口

 動物除け用のゲートを抜けるといよいよ山城攻め。初っ端から険しい尾根筋の直登ルートになる。しかし下草は刈ってあるし、ルートもしっかりと定められているので不安はほとんどない。一番の問題は鈍りきっている私の体。数分と歩かないうちに心拍が上がって息が苦しくなってくる。体力がピークだった数年前なら一気に登れてしまいそうな斜面を、今は何回かに分けて登らないと息が続かない。

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登山道は整備されている

 いきなり心臓が止まってしまっては洒落にならないので、様子を見ながら休憩を取りながら慎重に登っていく。尾根筋には所々細かい削平地があるのでしばし休憩を取るのには向いている。

 5分ほど登っていくと主郭まで300メートルの標識が立っているが、ここから先がさらに厳しい登り。ロープを使って急斜面直登の場面がある。

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急坂をロープで登る

 そこを登り切るとようやく曲輪らしきところに出る。そこからさらに数段の曲輪を登っていくと、かなり大きな堀切があって、その先が主郭群。

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この堀切の先が主郭群になる

 目の前に聳える崖を横目に見ながらまずは右手に回り込む。土塁に囲まれた細長い曲輪に出るが、これが主郭群の一番下の曲輪。この西にさらに一段降りたところに西曲輪がある。

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右手のこの曲輪の一段下が西曲輪


 西曲輪に降りてみると、中央部には削平し残したような小山があり、ここが見張り台ではないかと思われる。その下には展望台と称した場所が。ここの曲輪と南の千畳敷とでお屋敷の側面を守備する形になっているという。 

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西曲輪の先端は展望台になっている

 西曲輪の見学後は主郭目指して数段の曲輪を登っていくことになる。この辺りも尾根筋に小曲輪が連なり、その間をかなり険しい尾根道が結んでいる。最後には関所よろしく巨岩まである。

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ロープを使って本丸へ登る

 最後はロープまで使ってようやく主郭に到着。主郭とそれを取り巻く二の郭というべき曲輪で山頂はなっている。なお案内図によると千畳敷には山道が通じていないとのことだが、確かに上から見下ろしてもそちらの方面は鬱蒼としていて進めそうな気配がない。

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急に視界が開ける

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頂上の本丸

 主郭からはかなり眺望が利き、この辺りを支配するには格好の立地と思える。ただこの堅固な城でも落城したとなると、山名氏が有子山城に逃げるのも分からないでもない。

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展望はかなり利く

 帰路は北東の曲輪群に沿うコースを取るが、結果としてはこれは失敗だった。というのはこちらは往路に比べて極端に整備状況が悪く、途中で危うくコースを見失いそうになる。ようやく遊歩道の標識を見つけてホッとしたものの、そこから先も道とは言いにくいような所ばかり通ることになり、急斜面を斜めに下っていた時に足を滑られて1メートルほど滑落して擦り傷を作る羽目に。ボロボロになりながらようやく登山口と書かれたところまで出てきたが、今度はそこが鬱蒼とした竹藪で、どっちに進めば抜けられるかが分からずウロウロ。散々な有様でようやく集落の所まで出てきたのである。途中の見学どころでなかったし、これは大人しく最初の道を戻った方が良かった。

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本丸の裏手に下りたのだが

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だんだんと道が怪しくなり

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そしてとうとう道が消失した

 トボトボと車の所に戻ってきた時には全身ドロドロのボロボロであった。頭から汗だくだし、とにかくどこかで汗を流したい。この近くで温泉と言えば出石温泉乙女の湯があったはずと車を飛ばすが、何と本日は休館とのこと。全くこれだから田舎の施設は・・・。

 

出石温泉湯元館で入浴

 仕方ないので近くをウロウロしていたら、出石温泉湯元館なる施設を見かけたのでそこに入ることにする。ややくたばった印象のある外観の施設で、入浴料は300円。

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外観はややくたばっているが、湯は抜群

 しかし入浴して驚いた。pH8.5というナトリウム-炭酸水素塩泉は浸かるなり肌が強烈にヌルヌルする美肌の湯。擦りむいた右肘がいささかヒリヒリするが、なかなかにして最上の湯。

 浴槽は内風呂と露天風呂があり、内風呂の方がやや温度が高め。露天風呂でくつろいで内風呂で体を温めるというパターン。地元の常連らしき連中を多数見かけたが、この湯なら確かにそうなるだろう。私ももし家の近くにこんなに素晴らしい温泉があれば、毎日仕事の後に通いたい。

 

 しっかり汗を流したところで、やはり出石まで来たならそばは食べて帰りたい。ここの隣にそば屋があるようだが、残念ながらもう営業終了の模様。そこでここに来る途中で見かけたそば屋「善店」に入店することにする。注文したのは「皿そば」

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善店

 とりあえずお約束のようにデフォルトは5皿。トロロで頂くが、ややパサッとした蕎麦はいかにも出石蕎麦。なかなかに美味い。そこでさらに5皿を追加。こちらは玉子を入れて頂く。なかなかに上々の蕎麦であった。ただ蕎麦を食べ始めた途端に、先ほどの入浴の影響が出て全身が汗だくになってしまったのは計算外。

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出石名物皿そば

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さらに追加

 これで全予定終了。まずまず久しぶりに充実した内容であった。後は夕闇迫る但馬を後にして、播但道をひた走って帰宅することになったのである。

 最近はライブ三昧だったが、今回は久しぶりに原点に戻ったような遠征であった。後これで美術館がついていれば完璧という所。やはりこういう遠征も良い。

 

武雄温泉~佐賀地域城郭巡り~脇田温泉

 翌朝は6時半に目覚ましに起こされる。とりあえず朝風呂を浴びることに。やっぱりここの湯は最高。朝から体に染みいる感覚がたまらない。このためにあえてこのホテルを選んだ価値があったという物だ。

 入浴後はバイキング朝食。朝食バイキングに関してはこんなものというところか。豪華でもないが粗末でもない。ビジネスホテルにプラスαぐらいのイメージ。

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朝食はややシンプル

 9時過ぎには支払いを済ませてチェックアウト。今回は貧民プランに会社の福利厚生割引を適用して支払いはビジネスホテルにプラスα程度。温泉の湯のことを考えると十二分な価値のある宿泊であった。

 今日の予定だが、福岡方面に向かいつつ昨日立ち寄らなかった城郭を巡る計画。ただし相変わらず雨は断続的に強くなったり弱くなったりなので、本格的な山城は除外するしかなかろう。とりあえず出たとこ勝負である。

 

臥龍城 鎌倉時代の城郭

 最初に向かったのは肥前鹿島の「臥龍城」。鎌倉時代の中頃に原長門守貞光が砦を築いたのが始まりとのこと。後に松尾氏に攻められて消失してしまったとのことで、現在は臥竜ヶ岡公園の一部となっている。公園は肥前鹿島の市街の独立丘上にあるのだが、臥竜城はその背後の丘との間を堀切で断ち切った手前にある。丘全体を城にしても良いようなものだが、それだと地方領主クラスの手勢では守るに広すぎるのだろう。小さいが回りは切り立っていて結構堅固である。

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手前の山とは堀切で分かたれている

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そこそこの広さの本丸の中央には祠が

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高さもそれなりにあるし周囲は切り立っている

 

武雄温泉で入浴

 臥龍城の見学後は武雄温泉に戻ってくる。実は昨日武雄温泉に寄るつもりだったのだが、時間がなかったので嬉野温泉に直行した次第。やはりここまで来たのだから武雄温泉にも浸かってみたい。

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武雄温泉の楼門

 立ち寄ったのは武雄温泉の楼門のところにある元湯。由緒ある公共浴場である。入浴料が400円にタオルセットを借りると250円。ぬる湯とあつ湯の二つの浴槽があるが、私にはぬる湯でも少々熱いぐらい。泉質は単純アルカリ泉とのことでややヌメリのある湯である。

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武雄温泉元湯

 入浴後は武雄温泉新館の見学。ここはかつて公共浴場として使用されていた建物らしい。大正4年に建造、楼門と共に辰野金吾がデザインを手がけた建築で、共に国重要文化財に指定されているという。

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温泉新館

 一階に浴場が並んで、二階は畳の休憩室になっている構造。どことなく道後温泉本館を思わせる雰囲気もあるが、妙に中国的な外観が特徴をなしている。

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五銭浴室

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天井

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二階から見た浴室の屋根

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二階は畳敷きの休憩室

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中華風の窓から望む楼門

 新館を見学したらご当地コーラのうれしのチャコーラで一服。大昔のコカコーラのような妙な薬臭さを感じる懐かしい味。独特の風味が茶タンニンやカフェインであろうか。

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独特の味のチャコーラで一服

 武雄温泉を後にすると東に向かって走って行くことにする。武雄北方ICから長崎自動車道に乗り、この春に開設されたばかりの小城スマートICで降りる。次の目的地はここのすぐ南。

 

千葉城 鎌倉時代の千葉氏の拠点

 最初に立ち寄ることにしたのは「千葉城」。そもそもは鎌倉末期に関東千葉氏の本家が支配していた城で、戦国期に龍造寺隆信が台頭するまでこの地を支配していたという。

 円明寺の北にある山上にある城郭なので最初は円明寺方面から車でアクセスしようとしたが、墓地から先の道は急斜面の上に舗装のコンクリートはひび割れ、そこに落ち葉や木の枝が散っている状態で、小雨がちらほらなこの天候では非力なマーチではスリップしそうな気がしたので車で進むのは断念して徒歩で登ってみる。するとしばし進んだところで交差点に出くわす。見たところもっとしっかりした道が下まで通じていそうである。そこで地図で確認してその道を進むことにする。

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円明寺からの道はこの悪路

 最初は畑のフェンスの間の農業用の道路であるがこれが途中から山道につながっている。道幅も対向車が来なければ問題ない幅があり、この道路経由で山上まで上ることが出来る。山上にはキチンと駐車場があって「千葉公園」との看板まで出ている。

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出直してようやく千葉公園に到着

 そこを入っていくと展望台のある公園になっており、千葉城に関する説明看板がある。それによると千葉城は大中小の三つの山からなっており、中と小は出城でここは中に当たるらしい。小が東にさらに降りたところにある須賀神社で、大は駐車場の奥の電波塔の建っている山のようだが、鬱蒼として進むのを躊躇う状態だったのでそちらの見学は断念した(後でグーグルで確認したら、山上に続く道もあって車で進めそうな雰囲気だが、どちらにしても大した遺構があるとも思えない)。

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天守閣ならぬ展望台が立っている

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展望は良い

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本郭はこの山上らしいが・・・

 

小城城 鍋島氏の陣屋跡

 千葉城から降りてくると、次はここの少し南にある小城公園に立ち寄る。ここは小城藩主題藩主の鍋島元茂と二代藩主直能によって築かれた庭園である。3代の元武がここに陣屋を設けたことから「小城城」とも呼ばれている。

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陣屋があったのはこの山上らしい

 現地は水の流れる風光明媚な公園であり、春には桜の名所にもなるそうな。背後に小高い丘があってこの上に小城藩の陣屋があったようだが、丘の周辺はなだらかであって戦闘に耐えるようなものではないし、そのための構えも全くない。いかにも平時の陣屋という風情。

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丘の南には岡田神社と庭園がある

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岡田神社

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庭園

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山上には神社がある

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しかし周囲は比較的なだらかで防御力はそう高くない

 公園の見学を終えるともう昼過ぎ、佐賀県道48号線を佐賀方面に東進しながら昼食を摂る店を探す。この沿線には不思議なほどにラーメン屋が多い。そんな中、同じ敷地内にセブンイレブンがあって便利なことから「らーめん竹ちゃん」に入店する。「ラーメンと餃子のセット」を注文。

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らーめん竹ちゃん

 細麺のとんこつラーメン。味は至って普通。餃子も至って普通というわけで、特に印象に残るようなものではないが、失敗というわけではない。価格も妥当だし、まあ普段使いならこんな店かなというところ。

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とんこつラーメン

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細麺である

 

姉川城 竜造寺配下の水城

 昼食後もさらに東進。次の目的地は「姉川城」。神埼市にある平城である。1360年に菊池武安が築城し、後にその子孫の姉川氏が入ったという。戦国時代は当初は少弐氏に属し、後に竜造寺隆信配下となって大友宗麟の侵攻を防いだとか。

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狭い道路の両側が環濠に浮かぶ曲輪

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全体の構造がつかめない

 現地は環濠に囲まれた田んぼであり、水路に囲まれた田んぼのなかに民家が点在しているという状態。これが城といわれればそうだろうが、構造のようなものはよく分からない。

 

直島城 こちらは大友氏配下の水城

 次はここの南東にある「直鳥城」。ここも姉川城と同様の環濠の城郭で、やはり龍造寺氏や大友氏の騒乱に巻き込まれたようだが、こちらは大友陣営だったようだ。湿地で両軍入り乱れての泥沼の戦いになったことが想像される。

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住宅地奥の水路の合間に何やら見えるのだが、構造はよく分からず

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やはり全体がつかみにくい

 こちらも姉川城と同様で民家や田んぼの間を環濠がうねっているという構造で、車で回っても単なる田んぼにしか見えない。

 

 佐賀は元々湿地であるのでこういう形態の城が多いのだろう。佐賀城などもいざとなったら城全体を水没させる防御態勢があったと言うし。この手の水城は山城に比べると一見したところは堅そうには見えないのだが、実際に攻めるとなると水路の入り組んだ地形は難攻不落であったろう。

 都合今日一日で5つの城郭を回ったことにはなるが、正直なところ城を見たという感覚はあまりない。特に最後の2つは田んぼを見たという印象しかない(笑)。姉川城と直鳥城はどこかに車を置いて徒歩で見て回らないと状況がつかめないだろう。ただ現地には車を置ける場所が見当たらなかったので、いずれ下調べをした上で再アタックするしかなかろう。それにしてもどうしても山城を省いてしまうとつらいものがある。

 

脇田温泉で宿泊

 さてもうそろそろ夕方である。回るべきところもないし、そろそろホテルに向かって移動することにする。今日の宿泊ホテルは脇田温泉のルートイングランティア若宮。脇田温泉は博多の東のかなり山の奥にあり、かつて筑豊での炭鉱が華やかかりし頃は歓楽温泉として繁栄した時期もあったらしいが、炭鉱も廃止されて久しい今となっては、数軒の温泉宿が残る鄙びた温泉地という風情になっている。

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山間の脇田温泉はどことなく閑散とした空気が漂う

ルートイングランティア若宮

 ルートイングランティア若宮はこの温泉街から少し外れた山の中にある。スポーツなども出来る保養施設となっている。元々は厚生年金の施設だったのが民間に売却された物らしい。部屋の感じなどは確かにルートインよりは公共保養施設感がタップリ。

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ルートイングランティア若宮

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いかにも公共保養所っぽい

 チェックインを済ませると何はともあれ入浴することにする。大浴場は内風呂と露天風呂があり、露天風呂には洞窟風呂なんてのもあるが(グランティア太宰府にも同様の物があった記憶がある)、湯自体は内風呂の方が良い感じ。泉質はアルカリ単純泉とのことだが、正直なところあまり温泉感は強くない。ヌルヌル感もそう強くなく、印象としては少し軟らかい新湯というところ。

 風呂から上がって一息つくとすぐに夕食。脇田温泉周辺は何もないところなので夕食付きプランを選択していた。夕食はレストランのランチメニューから選択とのことなので、ネギトロ丼を選択、またビール一杯がついているとのことだが私は酒は駄目なのでパインジュースに代えてもらう。

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いかにも日帰り入浴施設のランチっぽい夕食

 味は良くも悪くも普通。まあルートインの花茶屋なんだからそりゃそうだろう。

 夕食を終えるとしばしマッタリしてから再度入浴。今度は内風呂でじっくりと体を温めることにする。やはり湯は内風呂の方が良いようだ。ただインパクトの強さは全くない温泉である。

 風呂から帰ってくると疲れが出てグッタリしてしまう。自分で布団を敷いてその上で横になったら動くのが嫌になってくる。今日は大して運動したつもりはないが、長距離の運転が疲労につながったのだろうか。その内に意識を失ってしまう。

 

元寇防塁~水城~嬉野温泉

 翌朝は6時半にセットしていた目覚ましで起こされた。昨晩は結局は8時過ぎぐらいからウツラウツラと浅めの眠りが続いていたようだ。体全体がずっしりと重い。外を見てみると秋雨前線の影響による雨とのことで、どうも今日の活動はかなり制約を受けそう。

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長崎は今日も雨だった

 朝一番から目覚ましのために大浴場に入浴に行く。シットリとした快適な湯が体に染みいる感覚。これだから朝風呂はやめられまへんな・・・。朝寝もしたいところだが。

 入浴後は手早く荷物をまとめておくと朝食。これはオーソドックスな和食。朝からご飯が美味い。とりあえず燃料を体に入れておく。

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朝から和定食が美味い

 

 朝食後にはすぐにチェックアウトする。今日は諫早駅から特急つばめで一気に博多まで移動する予定。ただスケジュールを考えると、当初に乗車を予定していたつばめには間に合わないと予想されたことから、昨夜の内に1本遅らせている。しかし外は雨がひどい上に諫早駅までの道も渋滞が激しい(通勤ラッシュだろうか?)ので、結局は途中でもう1本遅らせることに。これで当初予定よりも1時間遅いスケジュールを余儀なくされることになるが、どっちみちこの雨ではまともにスケジュールを実行することは不可能だろう。今回の遠征では「無理をしない」を第一に置いている。昔なら万事をスケジュール通りに黙々と行動していたが、今はそれだけの気力と体力がない。

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島原鉄道車両

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ハウステンボス号

 レンタカーを返却すると諫早駅でつばめに乗車。雨は常に降っていて、時々かなり激しくなる状況。空はどんよりと曇って禍々しい雰囲気。私の乗車予定のツバメは数分遅れで到着する。

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特急つばめに乗車

 到着した白ツバメは結構混雑している。とりあえず席についてどんよりとした空を見ている内にウトウトしてしまう。次に気がついた時には列車はもう鳥栖を過ぎていた。

 到着した博多は土砂降りの状態。その土砂降りの中を駅前のレンタカー屋へ。貸し出されたのはマーチ。とかく縁があるがとにかく好きではない車だ。

 さて今日の予定だが、回るべきところはいくつか考えているが、今日のこの天気だとかなり制約を受けることになる。この天候では山城の類いはまず不可能だろう。そこで最初の目的地は「元寇防塁」とする。

 

元寇防塁 元軍襲来を妨げた鎌倉の防壁

 元寇防塁は第一回の元寇の後に元の再来に備えて幕府の命で築かれた防壁である。二日目の元寇ではこの万全の準備が功を奏して、元軍は九州に上陸できずに撃退されている。

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元寇防塁の手前にある蒙古塚

 現在防塁が残っているのは今津地区とのことなのでそちらを目指して車を走らせる。しかし現地に到着してから進むに困ることに。カーナビが示す道は道とも言えないような道だし、そもそも現地は路地の迷路。散々苦労して情報を集めた結果、緑町集会所のところに車を数台停められるスペースがあることが分かる。

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松林の中の説明看板

 ようやく車を置くとここから元寇防塁までは歩いて1分ほど。看板の近くに遺跡として残っている防塁があり、その少し西には復元された防塁がある。厚さ、高さ共に結構あり、イメージとしては古代城郭の城壁。この城壁を盾に大軍に立て籠もられれば、当時世界最強だった元軍といえども上陸もままならなかったのは当然であろう。なお以前は第一回の元寇では元軍の団体戦と新兵器によって日本側はケチョンケチョンにやられたというのが通説であったが、最近は実は日本軍も意外と善戦していたという愛国者様達が泣いて喜びそうな話が出てきている。確かに地の利を生かしたゲリラ戦などを行えば日本側にも有利な材料は多々あったと思われる。この後にゲリラ戦の天才である楠木正成などが登場したことを考えれば、日本は意外にゲリラ戦に長けている。

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防塁の遺跡

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こちらは復元防塁

 

水城 大和朝廷が唐の襲来に備えた城壁

 元寇防塁を見学した後は「水城」の見学に向かう。こちらは時代をさかのぼって天智天皇の時代、大和朝廷の百済救援軍が唐・新羅連合軍の前に惨敗した後、唐による侵攻を警戒して太宰府防衛のために築かれた防壁である。版築工法で作られた土塁であり、高さは数メートル。しかも水城の名の通り手前には水が引かれて堀が作られていたという。これをちょうど山から山の間を塞ぐように作ったのだから何とも大規模。

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水城跡

 今はかつての東門の跡に見学者用の施設があり、ここでパンフレットをもらったり解説ビデオを見ることが出来る。

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土塁に埋まるような形になっている案内施設

 ただいざ現地に来てみると、確かにその規模には驚くが、所詮はただの土盛りであまり見るべき点がないのが事実だったりする。城のような分かりやすい施設があるわけでないのは、観光面においてはかなりの欠点。

 

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展望台から見下ろした水城

 

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水城の北側には堀跡の田んぼがある

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南側(内側)から見た水城

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東門の柱跡

 結局今日は塀を二つ見ただけだった(笑)。しかも元寇防塁が思っていた以上の辺鄙にあったことから、水城を見終わると既に15時前。もう時間もないし、雨もひどいしということで今日の宿泊ホテルに移動することにする。今日は嬉野温泉で宿泊するつもり。ホテルは和多屋別荘を予約している。当初は別のホテルにする予定だったのだが、直前になって貧乏人向け夕食なし廉価プランが出てきたのが乗り換えた理由。やはり嬉野温泉でもここの湯は最高であるのが最大の選択理由。

 太宰府ICから九州自動車道と長崎自動車道を乗り継いで嬉野を目指す。ところで私が借りたマーチだが、運転していると基本的に80キロで走りたがるのが分かる。通常のアクセル操作をしているとすぐに80キロぐらいまで速度が落ちてくるのだ。流れに乗るにはかなり意識してアクセルを踏み込む必要がある。やはり諸々で感覚が合わない車だ。気を抜くと観光バスに追い抜かれる羽目になる。

 

嬉野温泉和多屋別荘で宿泊

 嬉野温泉には17時前に到着、かなりの雨が降っている。チェックインすると早速入浴する。嬉野温泉はナトリウム-炭酸水素塩・塩化物泉のアルカリ泉だが、ここのホテルの大浴場はさらに高温の源泉を加水することなしに冷却して適温にしているというこだわりよう。しかも湯は常に掛け流しでダバダバと浴槽に注がれており、溢れた湯は目の前の川に流れているという贅沢ぶりである。肌にしっとりとまとわりつく最高の湯。これに入るためにわざわざここまで来たわけである。最上の湯をタップリと堪能する。

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和多屋別荘

 川を眺めながら露天風呂でくつろぐが、雨のせいでかなり水が増えて濁流になってゴーゴーと流れている。先の大雨ではこの川が溢れて大浴場も浸水したとかで、サウナは現在故障中。私はサウナは使わないから関係ないが。

 ちなみにここの浴槽は黒川紀章の意匠による物だとのことだが、私の彼に対する評価は「安藤忠雄よりはマシ」という程度の物なので。確かに彼は安藤忠雄のようなガラクタは作っていないが、鉄筋コンクリート建造物の耐久性といった基本的最重要要素を考慮せずに、メタボリズムなんて提唱しちゃう人物なんで・・・。

 

嬉野温泉で散策で思わぬ超高CPディナーにありつく

 入浴を済ませて一息つくと夕食のために外出することにする。幸いにしてこの頃になると雨がやんでいた。温泉街をプラプラしながら夕食を摂る店を探す。結局立ち寄ったのは「和洋創菜えびね」「おまかせ御膳(2080円)」なるメニューがある。サイコロステーキ、ぼたんえびの刺身、ジャンボエビフライなどの記載があるので、これらの中からメインを選ぶのかと思えば、なんとこれが全部ついているという。とりあえずこれを注文する。

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えびね

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このメニュー、マジですか?

 まずオードブルから出てくる。これがなかなか美味い。そしてパイスープ。味付けがやや甘めなのが気になるがなかなか美味い。そしてエビフライに続いてメインが出てくるのだが、これのボリュームに圧倒される。エビフライだけで普通のランチメニューなんかだったらメインのボリュームがある。たっぷり堪能したのだが、この後にコーヒーとデザートが。とにかくかなりのボリューム。とにかくCPの高さに圧倒された。嬉野温泉もまだまだ知らないところがあったようだ。

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まずはオードブル

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そしてパイスープ

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メインの料理の奥にはジャンボ海老フライまで

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そしてコービー&デザート いやはや驚きのボリュームでした

 夕食後は温泉街をしばし散策する。嬉野温泉は温泉街というよりも普通の町に温泉ホテルがチラホラというイメージに近い。川縁に新湯広場なる温泉公園みたいな物が出来ているが、これがまたあまり意味のない施設になっているのがどうにも。何やら温泉街としての統一イメージのようなものはない。

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特に何があるというわけではない川縁の新湯公園

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長崎街道嬉野宿東構口跡

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長崎街道

 ホテルに戻ってくると、テレビを見てしばしマッタリした後、再び入浴のために大浴場へ。やはり湯は最高だが、中国人のオッサンがうるさい。中国人が二人いたら、日本人十人分のうるささである。

 入浴の後はしばしテレビを見ていたが、やはりろくな番組がない。結局は今日もやや早めに就寝することにする。

 

長崎地域山城巡り~小浜温泉

 翌朝は7時半に目覚ましで叩き起こされた。途中で何度か眠りが浅くなっていたが、概ねは爆睡していた模様。

 目が覚めるとレストランで朝食。諸々のメニューがあるが、豚の角煮があったのでこれをメインで頂くことに。朝食後は朝風呂を浴びてからしばしの休息。

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朝から長崎地場飯でガッツリ

 チェックアウトは9時過ぎ。長崎駅から10時の区間快速で諫早まで移動するのが今日の予定。諫早でレンタカーを借りて、大村周辺の城郭でも回るつもり。

 久しぶりに訪れた諫早駅は以前と違って高架駅になっている。西口から出るとオリックスレンタカーへ。貸し出されたのは勝手知ったるヴィッツ。

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諫早駅は高架駅舎になっている

 車に乗り込むと大村方面に向かって移動する。途中で鈴田峠の辺りで「岸高城」があるのでそこに立ち寄ることにする。

 

岸高城 諫早からの侵攻を防ぐ丘城

 岸高城に向かう道は国道34号線で道の駅長崎街道鈴田峠を過ぎた辺りに右に入る道があるのだが、その道が狭すぎるせいで通り過ぎてしまい。何度も前を行ったり来たりする羽目になる。ようやくたどり着いた岸高城は住宅地の中にある独立丘。

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案内看板は立つが、地形は改変されている模様

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登り口のようだ

 多分私有地なんだろう、重機でかなり加工した跡がある。今ついている登り道は本来のものではなく、東側にあるうねった道が本来の登り道か。岸高城自体はその由来はハッキリしないが、戦国期に諫早方面からの敵を防ぐために築かれた砦だと考えられるとのこと。確かに立地が諫早から大村に抜ける鈴田峠の要地にあるので、そう考えるのが自然だろう。

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腰曲輪らしきものはある

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山頂の本丸はかなり殺風景

 頂上まで登ると大村方面への視界は開けているが、諫早方面は木のせいで視界がふさがれている。主郭の回りはかなり切り立っているが、北側にある腰曲輪というのは現在かなり加工されてしまっている平地のことだろうか? なお西にある堀切というのはよく分からなかった。

 

大村市武家屋敷街を散策

 岸高城の見学を終えると大村市街に移動する。今回の予定としては大村の武家屋敷街を見学しようと思っている。大村公園の玖島城は既に見学済みだが、武家屋敷の方はまだ立ち寄ったことがない。 

 武家屋敷街は中央に久原城跡があり、それを中心に武家屋敷が通り沿いに広がっている。最初は車で一回りしようかと思っていたが、思っていたよりも道が狭いので、大村公園の駐車場に車を置いて徒歩で回ることにする。

 駐車場から本小路を歩いて行くと最初に出会うのが五教館御成門。これは大村藩の藩校の門で通称「黒門」だそうな。藩校の跡地は現在は大村小学校になっており、今でも入学式と卒業式の時には生徒がこの門をくぐるそうな。

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立派な黒門である

 

久原城 大村氏発祥の城

 ここから南に向かった住宅地中にあるのが「久原城跡」。藤原純友の孫の直澄が赦されてこの地に入って大村氏を名乗ったと伝えられているとか。

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この石垣は時代が不明(比較的新しそう)

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今は完全に民家となっている

 しかし今となっては民家となっており、いつのものやら定かでない石垣などがあるのみ。

 

 ここの向かいあるのが小姓小路でこれはJRの線路を横切る形になっている。踏切を渡るにはもう一本南の道路に行く必要がある。

 ここの小さい踏切を渡った先にあるのが日向平武家屋敷跡で、大村藩勤王三十七士の中尾元締役旧宅がある。

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実に立派な門構えである


 ここから一本北の通りが先ほどの小姓小路。狭い通りの両側にかつての武家屋敷の石垣が残っている。石垣密度はこの辺りが一番高い。

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小姓小路は線路を越えてつながる

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小姓小路の石垣群

 ここの先に稲田家家老屋敷跡というのもあるが、ここは建物は残っておらず、立派な石垣の構えがあるのみ。

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残念ながら石垣しか残っていない

 

旧楠正隆屋敷

 ここからさらに奥に上っていった先が旧楠本正隆屋敷。ここまでで大分歩いた。ここに駐車場があることを知って、車で来れば良かったと後悔したが今更どうしようもない。

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立派な門構え

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楠本正隆屋敷

 旧楠本正隆屋敷は内部の見学も出来る。楠本正隆は先に出た大村藩勤王三十七士の一人で、明治維新後には長崎府判事、新潟県令、東京府知事などの要職を歴任した人物である。後に国会議員となり、衆議院議長を務めたとのことなのでかなり栄華を極めている。この屋敷自体は明治3年に建造されたものだが、某豪商の屋敷を解体した際の廃材などを用いているらしく、屋久杉などかなり良い材料を使用していることが分かる。

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仏壇と神棚がある

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非常に立派な屋敷だ

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随所の細工も細かい

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実に趣がある

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楠本正隆肖像

 ただ楠本正隆自身は請われて東京に上った後はここには帰ってきておらず、彼の弟がここに住んでいたらしい。昔の武家屋敷の流れを汲むこの建物は、今は大村市の史跡に認定されて管理されているらしい。

 ちなみにここの庭園はよく結婚式の写真撮影などにも用いられるとのこと。なお元々は水の巡る庭園だったのだが、先の地震以来水が涸れてしまったとか。確かに大村市の観光案内HPの写真では水の流れる庭園の様子が掲載されている。

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残念ながら今は枯山水ならぬ枯れ枯れ山水

 

 ここのすぐ近くに旧円融寺庭園跡があり、例の大村藩勤王三十七士の碑も立っている。ところで彼らは結局は時代の中で勝利する側に回ったからこうやって今日も顕彰されているわけだが、その一方で時代の流れの中で敗北する側に回った者もいるのだろうなということに思わず心を馳せてしまう。それぞれが自身の信じるところに従って行動したのだろうが、それが結果として報われる場合とそうでない場合に分かれてしまう。何やら人生の切なさのようなものも感じてしまうのだ。私もこの年になり、人生においても明らかに敗北の側に立つことがほぼ確定したことから、どうも最近は時代の敗者に思いを馳せることが増えてきている。

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旧円融寺庭園跡

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勤王三十七士の石碑

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中央に楠本正隆の名が

 後は上小路武者屋敷通りの浅田家家老屋敷跡(これも壁だけ)に立ち寄ってから駐車場のある大村公園まで戻ってくる。大体2時間近く歩いていた計算になるし、灼熱地獄だし、かなり消耗した。頭から汗だくで持参した麦茶は完全に飲み干している。大村公園に戻ってきたところでジュースを買って一気に飲み干す。

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上小路に塀だけが残る浅田家家老屋敷跡

 ようやく車に戻ってきたところでどこかで昼食を取る必要があることに気づく。しかし暑さに当てられて食欲もイマイチ、店を探すのも面倒になっているので、沿道にあったスシローに立ち寄る。以前から不思議なのだが、大都市にあるスシローはまずいのに、ここのスシローは意外といけるんだよな。仕入れ先が違うんだろうか?

 この時点で3時近くになっている。天候は徐々に怪しさを増しているし、それ以上に私の足下が怪しさを増しているということで、本格的山城を攻略出来る状況ではないと判断、もうここでホテルに向かって移動を開始することにする。

 

小浜温泉に向かう

 今日の宿泊先は小浜温泉。島原方面に行く途中にある温泉地。雲仙温泉に向かう場合の経由地になる。大村からは車で1時間程度かかる。

 途中で軽い渋滞などに出くわしつつも順調に小浜温泉に到着する。小浜温泉は海沿いの温泉地だが、海際まで山が迫っている地形なので温泉近くにはいわゆる海水浴場などはないようだ。

 今日の宿泊ホテルは海辺の宿つたや旅館。やや年季の入った印象の建物で客室は全室海側を向いている。

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つたや旅館

 

小浜歴史資料館

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 部屋に荷物を置くとすぐに外出する。この旅館の裏手の斜面上に小浜歴史資料館なる施設があるのでそれを見学する。

 何とも奇妙な資料館である。門をくぐると最初に目に入るのは温泉の源泉。激しい煙を上げて硫黄の匂いがしている。近くを見ると「温泉熱を活用したバイオディーゼル燃料の製造」なる看板が立っている。温泉熱を使って廃食用油からバイオディーゼル燃料を製造する実証試験を実施しているらしい。うーん、エコ。

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湯煙を上げて湧き出す源泉の脇ではバイオディーゼル実証試験中

 奥には湯大夫展示館と歴史資料展示館があり、湯大夫展示館の方は小浜温泉発展の礎を築いた本多湯大夫の邸宅の跡で築170年だそうな。内部には本多家ゆかりの品を展示とのことだが、着物やら陶器やら書やらと意味不明な展示。

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湯大夫展示館

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展示内容はいささか謎

 歴史資料展示館の方はかつての小浜温泉の様子を再現したものでレトロ風情があってなかなか面白い。

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歴史資料館の展示はレトロ

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昔の小浜を復元している

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こういうポスターが良いです

 特にこれといって見るべき物があるというところではないが、入場料100円ならこんなものだろう。

 

小浜温泉つたや旅館

 ホテルに戻ると入浴することにする。まず最初に屋上の貸し切り露天風呂に。私が入ったのは入徳の湯。見晴らしは良くて気持ちの良い風呂だが、湯自体はなめても味はしないし、肌当たりは新湯。そう言えば廊下に「ラジウム泉」との表記があったが、小浜温泉はそもそもナトリウム塩化物泉のはず。もしかして人工温泉か? とりあえず湯にあまり興味を持てないので一渡り体をほぐすと風呂から出る。

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非常に眺めの良い浴槽

 部屋に戻って一休みしてから次は2階の大浴場へ。こちらの露天風呂に浸かってみると、肌当たりのしっとりした塩っぱい湯。こちらが正しい小浜温泉の湯である。なかなかに快適。ゆったりと体をほぐす。ナトリウム塩化物泉なので、風呂上がりにややネットリした感覚がある。

 しばしマッタリしていると夕食時刻の6時。夕食は部屋食とのことなので部屋に料理が一渡り運ばれてくる。定番どころの刺身から天ぷら、椀物、すき焼きなどとオーソドックスな組み合わせだが、なかなかに美味い。デザートまで含めて夕食を堪能した。

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懐石膳

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腕物

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これはデザート

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ご当地サイダーを頂く

 夕食を終えて布団を敷いてもらうと急激に疲労や眠気が押し寄せてくる。しばし布団の上で横になっていたが、そのうちにそのまま意識を失ってしまう。

 

浜名湖周辺山城巡り

 翌朝は7時過ぎまで爆睡。目が覚めるとまずはサゴーロイヤルに朝風呂を浴びに行き、ついでに朝食を摂ってくる。朝食はバイキングで和洋両対応だが、昨晩に食い過ぎたのかあまり食は進まない。

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朝から胃がもたれて食欲はイマイチ

 帰りに山喜の風呂にも立ち寄っておく。このホテルの風呂は向かいの建物の一階にある小さなもの。狭いし、閉塞感もあり、それでいて特別に湯が良いというわけでもないので、これはサゴーロイヤルのものを使う方が正解である。

 

遊覧船で浜名湖を見学

 朝食を終えてしばしマッタリすると、この日は9時頃にチェックアウトすることにする。今日の予定だが、浜名湖周辺地域の城郭を巡るつもり。ただその前にホテルで浜名湖遊覧船のチケットをもらっているので、どうせだから乗っていくことにする。1時間コースと30分コースがあるらしいが、湖を1時間もウロウロしても退屈するだろうと思ったので、30分コースに乗ることにする。

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遊覧船に乗り込む

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遊覧船内部

 遊覧船の舘山寺港はホテルのすぐ向かい。すぐに船が入ってくるが、そう大きな船ではないのですぐに一杯になる。眺望は上の階の方が良いのだろうが、今日も茹だるような暑さなので、冷房の効いた室内に留まることにする。ところで舘山寺港や船内のあちこちで妙なイケメン侍の看板を多数見たが、これはまた何かのアニメだろうか? いわゆる美少年ワラワラの腐女子向け逆ハーレムものを昔に置いたような雰囲気の作品と思われるが、いくらなんでも眼鏡の忍者はありえないだろう・・・(しかも今風の四角の縁の眼鏡なんて)。

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船内に立っていた謎のイケメン忍者

 港を出た船はまずはかんざんじロープウェイの下を通って内浦を進み、フラワーパーク港に立ち寄る。海沿いに建ち並ぶホテルや遊園地を海側から眺めることになる。フラワーパーク港からはさらに大勢が乗り込んできて、船内は完全に満員状態である。

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湖から見た舘山寺温泉

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遊園地

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ロープウェイが通っている

 フラワーパーク港でUターンした船は浜名湖に出て行く。まずは東名高速道路の下をくぐる。船内放送によると、湖北には姫街道と呼ばれる街道があるらしく、それは「入鉄砲に出女」で東海道では女性へのチェックが厳しかったことから、それを嫌って大名の妻女などがこちらの街道を通ったことからそう呼ばれたとか。

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東名高速道路の橋

 遊覧船は再び東名高速道路をくぐると、舘山寺の南の方まで回って一周してから舘山寺港に戻ってくる。以上で30分の遊覧コース。特に何があるというようなものでもないが、それでもなかなかに面白かった。

 遊覧船を下りるといよいよ城郭巡りに入ることにする。一番最初に立ち寄ったのはかんざんじ温泉から北に向かった先にある刑部城。

 

刑部城 徳川家康に落城させられた今川の悲劇の城

 「刑部城」は先に登場した姫街道沿いの要衝を守る今川配下の城郭であったが、勢力を伸ばしてきた徳川家康に攻められ、ひとたまりもなく落城したとのこと。その際に、城主の姫が近くの金襴の池に身を投げたという伝説がある。

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川沿いのこの丘の上が刑部城

 今は金襴の池も埋め立てられて痕跡もなく、城跡は小さな神社となっているのみ。この神社があるのが本丸でその一段下が二の丸だと考えると、規模からしてせいぜい100人程度も籠もれれば良い方だし、地形もさして険阻とは言えず、徳川の大軍に攻められるとひとたまりもなかったろうことは想像に難くない。

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この上が本郭

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本郭にある祠

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下の二の郭は鬱蒼として何が何やら

 

堀川城 同じく家康に攻められた城

 次に訪ねたのはこの西にある「堀川城跡」。今日では田んぼの中の道沿いに城跡碑があるのみで遺構と言えるものは全くないが、ここは地形的に見て水城だったと推測される。この城には一揆勢が立て籠もったらしいが、やはり徳川勢の前に落城、この際に徳川勢による撫で切りが行われたとの記録もあるらしい。なお先の堀江城の大澤氏は、ここが落城したのを受けて降伏したとのこと。

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田んぼの中の道路沿いに看板がある

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城跡の石碑が建つのみ

 

気賀関所 姫街道を監視する関所

 近くに姫街道の気賀関所が復元されているのでついでに立ち寄る。雰囲気は箱根関所をこじんまりさせたようなところ。役所内にはお役人様も鎮座している。結構気合いの入った復元だと思うが、入場料は無料と太っ腹。なおあまりに暑いので、隣の売店でソフトクリームを購入して一服。

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関所の門

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気賀関所

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お役人衆が取り調べ

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女改め

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不審者はこの牢に入れられる

 

井伊谷城 直虎ブームで有名なった井伊家の居城

 関所の次は井伊谷城に立ち寄ることにする。言わずと知れた井伊直虎ゆかりの城で、大河ドラマにも散々出てきている城。今回の大河ブームで急遽整備された模様である。まあ今回の城郭巡りではここが一番メインである。

 現地に到着すると見学者用の駐車場も用意されている。ただこの駐車場から登山口までが若干の距離がある。通常ならなんということもない距離だが、もう昼時で暑さもさらに増してきている状態であり、登山口手前まで来ただけで熱中症になりそう。このまま登るのは危険だと感じたので、近くの図書館に飛び込み体を冷やしてから登りに挑むことにする。

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登城口

 山頂までは通常なら10分もかからない程度の距離。道も急ではあるが完璧に整備されており、普通なら鼻歌でも歌いながら一気に上まで登れるもの。しかし今は暑さが普通ではない。この暑さの中で体を動かすだけでもかなりの重労働。途中で2カ所ほど休憩ベンチがあるので、そこにたどり着くごとに一休みして給水。体はフラフラ、頭はチカチカになりながらようやく山頂に到着する。

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ところどころにあるベンチで休憩しながらの登山

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ようやく大手虎口に到着

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本丸 何やら顔出し看板がある

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本丸案内看板

 井伊谷城自体は単郭の単純な城。いざという時のためのお籠もり用の城だったのだろう。ただ小さい城なのでそう大軍は籠もれない(そもそも井伊家はそんなに大軍を持っていないが)。高さはそこそこあるので見晴らしは抜群である。

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井伊谷を一望

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本丸奥には御所の丸

 なおここの東方にさらに堅固な城である三岳城がある。実はここの次はそちらに立ち寄るつもりだったのだが、このコンディションではとても不可能であると判断せざるを得ない。この時点で今日の城郭訪問のうち、山城はすべて除外せざるを得ないという結論に至る。

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三岳城はこの山上

 山上で十分に水分を補給してから、ほとんどグロッキー状態で車まで戻ってくる。さてこれからの予定から山城をすべて除外したことでこれからの立ち寄り先がほとんどなくなった。そこでこういう時のための予備プランを発動することにする。山が駄目なら洞窟である。この近くに竜ヶ岩洞なる鍾乳洞があるらしいのでそこに立ち寄ることにする。

 

竜ヶ岩洞で鍾乳洞探検

 竜ヶ岩洞まで車を走らせるが、私と同じことを考えたものが多かったのか、現地に到着すると駐車場はほぼ満車で止める場所を探して車が行列しているぐらいの大混雑である。ようやくスペースを見つけて車を停めると、とりあえず大混雑の売店内で体を冷やしつつ、三ヶ日みかんサイダーで一服。みかんの酸味がなかなかに美味。

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現地は大混雑

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三ヶ日みかんサイダーで一服

 体が冷えたところで洞窟に潜ることにする。しかしながら洞窟の中も満員。ゾロゾロと連なって見学する状態。鍾乳洞は鍾乳石自体はそこそこだが、バリエーションがあるのと、洞窟の全長がそれなりにあることから見応えは十分。ただ途中で一カ所、鳳凰の間はコースから引き返して見る形になっているのだが、そこでは100人ぐらいの行列が出来ていてとんでもないことになっており、その部分だけは見学をパスすることに。一応ここがこの洞窟の一番の見所らしいのだが・・・。

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案内看板

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竜の爪

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ワニ

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狭い洞窟内を進む

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慈母観音

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長寿の泉

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白蠟の間

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大量の水が流れ落ちる場所も

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光の演出もあり

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鍾乳宮司

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黄金の富士

 さてこれからどうするかだが、山城を除外した結果としてこれから訪問するべき城郭は野地城と佐久城だけになってしまったので、そちらに向けて移動しつつ、もう昼時なので昼食を摂る店を物色することにする。

 竜ヶ岩洞から東に少し走ったところに「そば処雅楽之助」なる店を見かける。今の気分として何となく和そばを食べたくなっていたし、この店からはどことなくビビッと来るものがあったのでここに入店することにする。

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雅楽之助

 とろろ付きのざるそばを注文する。しばし待った後に登場したのは細めのしっかりと腰の強いそば。つゆの味もまずまず。なかなかの美味である。まさに今、私が食べたいとイメージしていたタイプのそばである。ボリュームもまあ十分だし、これは大正解。

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ざるそばはボリュームもあり

 

野地城で思わぬトラブル

 満足して昼食を終えると目的地に向かうことにする。浜名湖岸を走って最初は「野地城」。しかしカーナビに誘導されたのは別荘地のような界隈の中の狭い道。そこからさらに細い道がつながっている。間口を見たところキューブならどうにか通れそうと判断して先に進んだ・・・のだが、これが結果としてはとんでもない大失敗だった。道は先に行くほど細くなり、ついには蜜柑畑の中のあぜ道のような道に。もう左右がギリギリで走る度に左右で生け垣がこすれるような音が。しかし転回スペースはないし、バックするのもほぼ不可能。直進するしかないと諦めて路地を抜けきるところまで進んだが、ようやく路地地獄を抜けてから車から降りて確認すると、見事に車のサイドが細かい傷だらけになってしまっている。これが自分の車だったら仕方ないで済ますかもしれないが、レンタカーだけにそういうわけにもいかない。結局はレンタカー屋に電話したり、保険屋に電話したり、最後は事故証明を取るために警察に連絡したりで1時間以上を費やす羽目に。幸いにして今回に限ってNOCチャージなどの保険までフルでかけていたので(普段はかけないんだが、なぜか今回に限ってはかけていた)金銭的な負担は一銭もなかったが、時間ロスと何より精神的ダメージが甚大。一気に意気消沈である。自身の判断の甘さを責める気持ちばかりが湧き上がってきて感情に収拾をつけるのに苦労する。

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野地城はこの奥だったんだが・・・

 とりあえず野地城は車でのアクセスは不可能だし、この炎天下を歩いて行く気もしないし、そもそもほとんど遺構はないと聞いているので、ここは飛ばして佐久城に行くことにする。

 

佐久城 室町時代の浜名氏の居城

 「佐久城」は野地城から直線距離で500メートルぐらい南にある。現地にはホテルなどが建っていてそのために城の半分ぐらいは破壊されてしまっているが、今でも本丸などが残っているようだ。リゾートホテルの合間を縫って現地まで走って行くと、一応城見学者用の駐車スペースもあり、案内看板までキチンと立っている。

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案内看板完備

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しかしその隣に嫌な看板も

 佐久城は室町時代に三ヶ日町一帯を支配した浜名氏の居城であるとのこと。1348年に浜名左近大夫清政がこの地に築城し、その子孫は足利幕府で将軍の側近として活躍したという。1583年12月の徳川家康の侵攻に際して、九代目の肥前守頼広が今川氏配下として籠城戦を行ったが、翌年2月に力尽きて降伏、その後は家康配下の本多百助信俊がこの城を守備したが、1583年に野地城を構築したことによって廃城となったとのこと。

 本丸は公園整備されている模様。まむし注意の看板が嫌だが、とりあえず先に進むことにする。通路はちょうど空堀になっており、そこを登ると馬出がそのまま残っている。

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本丸周辺の空堀

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馬出の土塁

 そこから土橋で本丸とつながっており、虎口を経由して本丸に入ることが出来る。本丸は土塁なども残存しており、石碑や屋敷跡の看板があり、井戸跡も見ることが出来る。ただ辺りがかなり下草が茂っており、先ほど「まむし注意」の看板を見た直後とあっては、不用意に分け入ることは慎まれる。とりあえず進む先を杖でバンバンと派手に叩きながら大きな足音を立てて慎重に進むことにする。

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馬出と本丸の間の土橋

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本丸虎口

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鬱蒼とした本丸

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本丸井戸跡

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城跡碑

 ホテルまで建っていると言うからろくに遺構はないのではと思っていたのだが、思いの外立派な遺構が残っていた。先ほどどん底まで落ち込んでいた気持ちが、これでようやくわずかに持ち直す。

 

宇津山城は断念・・・

 最後に宇津山城に立ち寄ろうと近くまで行ったのだが、現地は思いの外高い山だったことと、もう時間に全く余裕がなくなったことにより諦めて引き返す。

 

 車を5時には返却する必要があるので浜松駅まで急ぐ。途中で東名高速道路を経由して浜名湖SAで一休み。ここは浜名湖を望む風光明媚なSAだが、ちょっとした公園になっていて遊覧船なども出ている模様。

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浜名湖SA

 一休みを終えると浜松まで車を急がせる。浜松駅近くまで来てから立ち寄る予定だったガソリンスタンドが休業していたりなどのドタバタはあったが、無事に車を返却する。

 

やはり浜松といえばうなぎを食べないと・・・

 後は帰るだけだが、夕食を摂ってからにしたい。やはり最後はうなぎを食べて帰るべきか。駅前のうなぎ屋「八百徳」に立ち寄って「鰻重」を頂く。

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駅前の八百徳

 東海地域は関西風と関東風のうなぎが入り交じっているが、ここのは関東風の柔らかい鰻の模様。私は関西人だが、これはこれでうまい。またタレの味がなかなか良い。さすがに浜松のうなぎは侮れないか。もっとも税込み3456円という支払いは、やはり昨今の状況のせいか高い。

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関東風の鰻重

 夕食も終えて新幹線で家路についたのである。ただ異常な熱波の影響は帰宅してから現れ、しばらくは熱中症のようなだるさが続く羽目になったのであった。遠征するならもう少し時期を選ぶ必要があったと後悔することしきりだが、昨年はこの時期でもこんなことはなかったはずなのだが・・・。

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浜松駅から新幹線で帰宅

 

静岡観光~舘山寺温泉&「ミュシャ展」at 静岡市美術館&静岡交響楽団第80回定期演奏会

 翌朝は7時前に自動的に起床。体に怠さは少しあるもののおおむね快調。ただ今日も暑くなりそうだ。東海地域には軒並み熱中症警報が発令中である。

 朝食はバイキング。ここのレストランはシェフがベトナム人で、ベトナム料理などがあるのが特徴らしいが、私のチョイスは和食中心。ジジイには南方系料理はあまり相性が良いとは言えない。昨晩が軽めだったせいか食が進む。朝からガッツリと燃料補給しておく。

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朝食バイキングでガッツリ

 朝食後は入浴。体をシャッキリと目覚めさせる必要がある。さて今日の予定だが、2時から清水で開催される静響のコンサートがメイン。後は諸々考えていることもあるが、天候次第というところがある。外が命の危険を感じるほどの灼熱地獄なら、予定を大幅に省略する必要がありそう。

 ホテルをチェックアウトしたのは9時過ぎ。さて今日の予定だが、静響のコンサートは2時からなのでそれまでは諸々考えている。キャリーを静岡駅のロッカーに放り込むと、まずは久しぶりに駿府城に立ち寄ることにする。

 

駿府城 今川の拠点から家康の居城になった城

 「駿府城」は言わずと知れた徳川家康がらみの城郭。現在の形は家康が天下を掌握してから天下普請で整えられたもの。ただ元々は今川氏の城郭だったはずだが、町の中にも今川のいの字もない。「海道一の弓取り」と言われた戦国の傑物も、最期が良くなかったせいでどうしても扱いが悪い。昨今は今川義元よりもむしろ、その後に戦国の動乱の中をユラユラとしぶとく生き残った蹴鞠の達人「ファンタジスタ氏真」こと今川氏真の処世術が注目されていたりする。彼を見ていると、中途半端なプライドは捨ててしまうことが生きていく上での一番有効な戦術ということを物語っているのだが。

 駿府城は明治の廃城後に陸軍の駐屯地になったとのことで、その時に内堀が埋め立てられているが、その周辺は残っている上に、最近になって櫓等が復元されていてかつての偉容を取り戻しつつある。また現在、かつての天守台周辺が発掘調査中とか。

 県庁の周辺にはかつての外堀の一部も残存している。駿府城は典型的な輪郭構造になっており、この堀が一番外側に当たる。大手門の虎口跡などはかなり立派で見応えがある。さすがに100名城に指定されている城郭ではある。

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かつての外堀跡

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県庁前の入口は明らかに後付け

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大手虎口跡

 駿府城入城の前に県庁別館の展望ロビーに立ち寄ろうと思っていたのだが、開場が10時からとのことでまだ時間があるので、先に駿府城の見学をすることにする。駿府城の東御門から入場すると、櫓や庭園のセット入場券を購入して見学に回ることにする。

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巽櫓

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東御門

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その奥は見事な枡形虎口

 東御門及び巽櫓はとにかく立派な木材を使用しているのが目立つが、これらの木材は静岡県内だけでは調達できず、一部は吉野から取り寄せたらしい。ということは国家的プロジェクトとして復元したということか。

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使っている木材も立派

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駿府城の模型

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かつてはこのような天守があったらしい

 東御門の奥にはかつての本丸堀の一部がまるで池のような状態で残っている。よくよく見ていると駿府城内部はほとんどが空き地なので、その気になれば本丸堀を掘り起こして復元することも可能なように思えるが・・・。

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本丸堀の断片が各所に残っている

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本丸堀と二の丸堀をつなぐ水路

 

 巽櫓の次は紅葉山庭園の見学。ここは駿府の自然をミニチュア化した庭園で内部には駿河湾から富士山、さらには箱根の山まである回遊型庭園である。なかなか変化があって面白い。

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紅葉山庭園

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駿河湾の風景を模している

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典型的な回遊型庭園である

 そこから西の方では天守台の発掘作業中。かなり掘り起こしたらしく土砂の山が出来ている。発掘現場は見学でき、掘り起こされた天守台の石垣を見ることが出来る。かなり大規模な石垣を持った城郭であったことが覗え、さすがに天下普請。

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天守台石垣は発掘作業中

 最後は坤櫓を見学。ここもかなり気合いの入った復元ぶりでなかなか見応えあり。

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坤櫓

 これで一周。最後はセット券に付属していたおでん引換券を持って駿府城の売店へ。灼熱地獄の中で熱々の静岡おでんを頂くことになったが、水分と共に不足しかけていた塩分を補給するにはちょうど良いかも。おでんの味はまずまず。

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静岡おでんで一服

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静岡おでん

 駿府城を一回りしてから県庁の展望ロビーに立ち寄るが、登ってみるとガラガラ。それに冷房があまり効いていなくて生ぬるいのであまり快適とは言えない。また晴れにも関わらず煙っていて富士山は見えず。面白いのは上から見る駿府城ぐらいか。

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閑散とした展望ロビー

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残念ながら富士山は見えない

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駿府城を見下ろす

 

静岡市内の人気店「河童土器屋」で海鮮丼を頂く

 駿府城の見学を終えたところで昼食を摂ることにする。立ち寄ったのは市役所の近くの「河童土器屋」。海鮮丼で有名な店らしい。私は「上海鮮丼セット(1950円)」

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河童土器屋

 季節のネタを盛り合わせたという海鮮丼はまずまず。意外にうまかったのが添えられていた天ぷら。サクッと揚がっていてなかなかのもの。これは天丼を頼んだ方が正解だったかも。最近は私の住んでいる地域でも新鮮な海産物が比較的容易に入手できるようになっているので、海鮮丼の類いで感動することは少なくなってきた。

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海鮮丼セット

 人気のある店らしく、私が店を出る時にはかなりの行列が出来ていた。分からないでもないが、そこまでするほどの店かは若干疑問もあり。これも所謂口コミサイトなどの影響か。それにしてもカッパドキアと海鮮丼の結びつきが今ひとつ分からない。

 それにしても暑い。駿府城を歩き回っただけでかなり消耗してしまった。完全にミネラル麦茶がライフラインになってしまっている状況。当初予定ではJRで近郊の城に繰り出すことも考えていたのだが、そんなことをしていたら熱中症になりそうなので、その予定は放棄することにする。となったら代わりのプランが必要だが、静岡市立美術館で「ミュシャ展」を開催しているのでそれに立ち寄ることにする。この展覧会は京都の伊勢丹で開催された時に行っているのだが、どうやら静岡会場限定展示などもあるらしいし、会場スペースの狭い京都伊勢丹では展示内容が省略されていた可能性も高い。諸々を勘案すれば立ち寄る価値はあると判断した。

 静岡市立美術館は久しぶりの訪問。駅前ビルの中にある近代的な会場で、白主体の内装がいささか眩しい(笑)。今回は展示に合わせてサラ・ベルナールの一連のポスターがホールに展示してあって華やかな雰囲気。

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ミュシャのサラ・ベルナールシリーズ

 

「ミュシャ展~運命の女たち~」 静岡市立美術館で7/15まで

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 ミュシャの初期作品から最晩年の作品まで、ミュシャの画業を振り返る展覧会。

 明らかに京都展よりも展示点数が多く、特に初期作品などに初めて見た作品が多く含まれる。とにかくこれらの作品を見ていると、ミュシャのデッサン力の高さが覗われる。

 ミュシャが世間に出るきっかけとなったサラ・ベルナールの一連のポスターなどはまあよくある展示であるが、面白かったのが実際のモデルの写真も展示されていたこと。写真と絵画を比べると、ミュシャがモデルの特徴を活かしつつも巧みに美化していることが分かり、さすがに20世紀最強の萌え絵師と呼ばれるだけのことはあると妙に感心。

 またスラブ叙事詩をスライドで展示していたのも面白い。かつて東京で実際に見た光景を思い出しながら懐かしい気分となった。

 最後は静岡展独自企画の尾形寿行氏のOGATAコレクション。これは絵画と言うよりもミュシャの装飾を集めたものであり、アール・ヌーヴォー見本市のようになっていた。


 スラブ叙事詩が何とも懐かしかった。これの実物を見ることは一生叶わないと思っていたのだが、今から思えば東京で実物を見ることが出来たのはまさに奇跡だったように思われる。今までいろいろな願いのほとんどはことごとく叶うことのなかった私の人生だが、この願いだけは珍しく叶えられたものになる。

 展覧会を一回りしていたらちょうど適当な時間になった。コンサートに出向くためにJRで清水駅まで移動することにする。マリナートホールは清水駅から陸橋で直接つながっている。

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マリナートホール

 マリナートホールは二階席まであるそこそこの大きさのホールだが、そこの一階席にだけ観客を入れていて、それでも埋まっているのは座席の5~6割というところ。いささか寂しい感もある。

 

静岡交響楽団 第80回定期演奏会

【指揮】野平一郎
【ソリスト】五位野百合子、河野克典
【合唱指導】戸﨑裕子、戸﨑文葉
【合唱】県民参加による合唱団、音楽青葉会・静岡児童合唱団

ビゼー/アルルの女「第2組曲」
ビゼー/交響曲 ハ長調
フォーレ/レクイエム op.48

 10-8-6-4-4の小編成のオケだけに、どうしても弦などの音圧が不足気味。マリナートホールが意外に響くホールなので、それがオケにはかなりの助けになっている。
 一曲目のアルルの女に関しては、ホルンや金管がボァーとやけに締まりのない音を出すせいで、今ひとつ精彩を欠く演奏。通常編成よりもトラなどで増量したと思われる金管陣が逆に徒になっている。フルートが孤軍奮闘していた印象。

 交響曲の方は編成がスリムになった分だけまとまりのある演奏になっていたが、それでも全体的に演奏の精度を欠くのは相変わらず。この曲の持つ華やかさだけは伝わってくるが、全体としてはやや面白味に欠ける演奏となってしまった。

 フォーレのレクイエムに関しては、合唱団が意外に健闘している。ただ編成的に混声合唱ではなく女声合唱+α程度というイメージになってしまっているのはバランス的には少々しんどいところ。それでもソリスト二人の美しい歌唱などもあってこの曲の魅力を伝えるのには成功していたと感じた。

 静響の実力に関してはもうひと頑張り欲しいと感じたのが正直なところ。なおマリナートホールが意外に良いホールであることには驚いた。かなり静響に向いているホールだと思う。もし西宮のようなデッドなホールだったら、静響の音量では後まで音が届かないだろう。


 観客がなかなか温かい拍手を送っていたようなので、東海地域ではそれなりに認識されているオケなんだろうと思われる。今後、着実なレベルアップを図って欲しいところである。もう少しアンサンブルの精度を上げれば、室内オケ的な方向性が出るだろう。モデルにするとしたらアンサンブル金沢か。名古屋辺りで合同コンサートなんて考えはないのだろうか?

 それにしても図らずしてレイクエムの連チャンとなってしまった。これで後はモーツァルトのでもあればフルコースである。ただ同じレクイエムと言ってもやはり性格はかなり違う。ヴェルディのもろにオペラ調のに比べて、フォーレのはひたすらに美しい。レクイエムとしてはこちらの方が正解か。ヴェルディのだと死者が棺桶蹴飛ばして復活しそうだから。

 コンサートが終了すると、直ちに静岡まで戻ってからキャリーを回収して新幹線で浜松に移動する。ここからはレンタカーでの移動になる。今日はかんざんじ温泉のホテル山喜で宿泊する予定。

 かんざんじ温泉までは車で1時間弱だが、道路が結構混雑していて特に浜松市外を抜けるのに時間がかかる。しかも結構起伏もある。ようやく浜名湖が見えてきたらかんざんじ温泉はすぐ。

 

堀江城 舘山寺温泉に埋もれてしまった直虎ゆかりの城郭

 かんざんじ温泉は浜名湖に着き出した半島状の土地にある温泉地。小高い山があるが、この山上にはかつて「堀江城」という城郭があり、大澤氏が拠点としていたという。大澤氏は井伊家と同様に今川の家臣であったが、後に徳川家康の侵攻時には井伊家とは対称的に家康と戦うことになる。しかし結局は和睦して徳川に下ったとのこと。と言うわけでここも井伊直虎ゆかりということで最近になって看板が立てられた模様。

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近くのバス停に案内看板がある

 とは言うものの、肝心の城郭自体は完全に遊園地とホテルの敷地になってしまっていて見る影もない。どうやら本丸は現在は観覧車が立っている下のようだ。ホテル九重の駐車場から堀江城跡の看板だけが見えている。

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ホテル九重の駐車場脇にある看板

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この小山が堀江城の中心だったらしい

 

舘山寺温泉で宿泊

 ホテル九重の駐車場をスルーして、今日の宿泊ホテルに向かうことにしている。私は残念ながらホテル九重みたいな高級ホテルに宿泊できるような財力はない。今回の宿泊ホテルはホテル山喜

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ホテル山喜

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シンプルな部屋ではある

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一応窓からは浜名湖が

 ホテル山喜は室数も多くはないかなりシンプルなホテルである。向かいの巨大ホテルサゴーロイヤルの系列だが、周辺の弱小旅館が買収されたのだろうかという雰囲気。サゴーロイヤルでカバーできない個人客などをこちらがカバーする形になっている。部屋はシンプルだがなかなか綺麗で良い部屋である。そう高くはないホテルで、浴場と食事はサゴーロイヤルを使用できるというのが最大の売り。

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こちらは豪華ホテルのサゴーロイヤル

 ホテルにチェックインした時にはもう6時過ぎ。夕食は7時過ぎからサゴーロイヤルでバイキングとのことなので、その前にサゴーロイヤルに入浴に行きたい。チェックインの時に「屋上露天風呂がお勧めですので是非」と聞いているので、とりあえず屋上露天風呂に直行することにする。

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屋上露天風呂

 露天風呂は浜名湖に面した開放感抜群のもの。湖からの風を受けながらの入浴はなかなか快適。ただ泉質はナトリウム・カルシウム・塩化物強塩泉ということで一般的なもの。また加水・加温・循環・塩素消毒ありなので、湯自体にはあまり特徴はない。どちらかと言えば湯を楽しむと言うよりも雰囲気を楽しむ温泉か。

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風呂から浜名湖を一望

 

 入浴を終えて湯上がりどころでしばしマッタリした頃には夕食の時間。レストランへと出向く。到着したレストランでは既に大勢の客が臨戦態勢。ここのレストランは座席に案内してもらえるので席取りの必要はない。それもあって伊東園のような殺伐とした雰囲気はない。

 料理も品数豊富でなかなかうまい。売りの一つはうなぎ食べ放題。まあ国産ではないと思うが、このご時世うなぎ食べ放題は気分的には豪華。蒲焼きにうな茶漬けとたっぷり頂く。もっともうなぎの蒲焼きはそればかりそうべらぼうに食えるものでもない(これこそが食べ放題が出来る最大の仕掛けでもあるのだろうが)。

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夕食第一陣

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夕食第二陣はうなぎ

 そのうちにカンパチの解体ショーが始まるので、カンパチの刺身も頂く。コリコリとして新鮮で美味。後はデザート類を頂いて終了。制限時間は90分あるのだが、私は40分ほどで怒濤のごとく食いまくってさっさと引き上げる。ただこのまま真っ直ぐ引き上げるのも何なので、サゴーロイヤルの内風呂の大浴場に入浴してから帰る。こちらも内風呂と言いつつも湖の眺望がある風呂(と言っても今は真っ暗だが)。湯に関しては、やはり露天よりは消毒がややマシな気がする。

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カンパチの刺身

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デザート

 風呂はなかなか良かったが、しこたま食べた直後に入浴というのはあまり良くなかった。若干気分が悪くなってきて口からうなぎが出てきそうな状態なので、とりあえずホテルの部屋に戻ってから一休みする。

 布団を敷くと(セルフサービスである)そこにゴロンと横になって「人類誕生」の後半を視聴。今回はいよいよクライマックスで、日本にホモサピエンスが渡ってくるという話。彼らは南方から丸木舟に乗って渡ってきたという結論。そして彼らをかき立てたのはホモサピエンスが世界中で繁栄する原因となった「好奇心」。それにしても考古学も古生物学もすべてこの数十年でかなり進化し、かつての定説が完全に変わってしまった。何やらこんな世界も諸行無常である。

 腹が膨れて入浴も済ませ、ドッと疲れが押し寄せてくるのでこの日は早めに就寝する。

 

姫路地区マイナー山城(楯岩城、英賀城、国府山城)巡り&「連作の小宇宙」at 姫路市立美術館

 昨日は夏バテ気味で散々だったが、家に帰った後にひたすら寝続けて何とか回復。となるとこのままゴロゴロしていると体が鈍りそうな気がしてきた。そこで思い立って姫路の美術館を訪問すると共に、同地のマイナー城郭を攻略することにした。

楯岩城 赤松氏の山城

 まず最初に立ち寄ったのが「楯岩城」。国道2号線から太子竜野バイパスに突入し、山陽自動車道の山陽姫路西ICに向かう姫路西バイパスが分岐する前のトンネルの上にある山城である。

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楯岩城遠景

 楯岩城は赤松則弘が建武年間(1334~1338年)に築城した城郭で、嘉吉の乱の際に落城したという。その後は赤松貞村が居城として5代続いた後に秀吉によって落城させられたとか。

 やはり高山好きの赤松氏らしく、かなり高い山の頂上に構えた城郭である。麓から登る登山道もあるらしいが、体力に全く自信のない私はなるべく車で上まで登ってから攻略することにする。この山の中腹には今は閉鎖された老人施設があり、そこに行く山道が通っているはずである。かなり狭い上に急な道で、ノートだとギアをLに入れてもエンジンが死にそうな音を上げているが、とにかく道路が閉鎖されている一番上まで登る。

 そこに車を置くと閉鎖された道路を徒歩で進む。何十メートルと進まないうちに山頂に向かって登る道が設置されているので、そこをひたすら登ることになる。距離としてはそう長いわけでもないのだが、斜面を直登するような道なのでなかなかしんどい。

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山道のどん詰まりから車止めを越えて先に進む

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途中に山道がつけてある

 途中で倒木が道を塞いでいたり、大きな岩を乗り越えたりなどのお約束があるが、山頂の電波塔のところに到着するのには20分もかからない。この電波塔のあるのは北側の山頂でここが本丸とのこと。巨石がゴロゴロ転がっており、これらは城の構えに使用されていたのだろうか。

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倒木に道を妨げられ

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巨石を乗り越える
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電波塔が見え、何かの遺跡らしい巨石も

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この曲輪に巨石がゴロゴロしている

 もう少し南に行ったところにこの山の山頂があり、この辺りも明らかに曲輪らしき構造になっている。本丸の続きかはたまた二の丸か。ここには三角点があるが、その背後に巨石が積み上がっている。何のためかはよく分からないが、私の勘ではここには祠でも祀っていたのではないかと考える。

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さらに奥に進むとまた巨石の群れ

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この巨石は何なんだろう?

 さらに南西方向に降りていった先にも曲輪がありそうな雰囲気があるが、そこまで行くのはやめて引き返すことにする。

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この先にも何段かの曲輪らしきものが

 帰りは急な下りなので行きよりも慎重に進む。途中まで降りてきたところでバイクで登ってきていた人がいて驚く。バイクも意外と登坂力があるようだ。

英賀城 三木氏の城も今は住宅地に埋もれる

 次の目的地は黒田官兵衛絡みの城郭だが、その前に行きがかりの駄賃で「英賀城跡」に立ち寄る。と言っても今や遺構は住宅街と田んぼに完全に埋もれており、今日残っているのは土塁の一部のみ。この近くには英賀城跡公園があり、天守台に見立てたと思われるインチキ石組みが見える。本丸の跡には石碑と説明看板が立っているのみ。ちなみに英賀城は赤松氏が守る砦だったが、嘉吉の乱で赤松氏の勢力が減退した後に三木氏が城主となって整備されたと言う。で、お約束のように秀吉に滅ぼされている。

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英賀城公園のインチキ天守

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英賀城土塁跡
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本丸跡は看板があるだけ

 土塁本丸跡の距離から考えてもかなり大規模な平城であったと考えられる。この辺りは元々は低湿地と思われるので、堀や水路を縦横に巡らせた城郭だったのだろうと推測される。

国府山城 黒田官兵衛ゆかりの山城

 英賀城を通り抜けると向かうは「国府山城(妻鹿城)」。黒田官兵衛の父・職隆が築いた城郭で、官兵衛が姫路城を秀吉に譲り渡すと自らはここに移ったという。

 以前は登山道もろくに整備されていないというような話を聞いたことがあるのだが、大河ドラマの関係で急遽諸々が整備されたようだ。道路手前から案内看板まで立っているので、場所を間違う心配はない。今時ろくな作品のない大河ドラマだが、こういうところには影響力があるようだ。ただ後数年もすればその大河ドラマも忘れられ、現地の山道は下草に埋もれて案内看板も朽ち果ててしまうなんてのがオチなので、そうならないうちに訪問しておいた方が賢いだろうという判断。

 遠くから見た山容は市川沿いにそそり立つ独立峰で、周囲はかなり切り立っているが山頂は平坦なように見えることから、城郭にするには格好の地形である。もし私がこの地域の支配者だったとしても、まず間違いなくあの山上に城郭を構えたはずである。

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国府山城遠景

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案内図

 登山道は麓の荒神社から出ている。一部下草が茂ってきていたり、笹がひどく繁茂している箇所もあるが、登山道はまだ概ね良好に保たれているようだ。途中で井戸跡やかまど跡などを見学しつつ登っていくと、笹藪を抜けたところで南側の鉄塔がある。この辺りの笹藪はかなりひどくて周りの状況がサッパリ分からないので、出来れば完全に払ってしまって欲しいところである。笹は繁殖力が強いので、このままだと早晩ここの道は埋もれてしまいそうである。

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登山道は荒神社から

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登山口に黒田官兵衛の旗が

 

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登山道は整備されている

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井戸跡

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かまど跡
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しかし鉄塔手前では深い藪に進路を阻まれる

 鉄塔の先には経塚跡がある。そこからはいくつの曲輪を経ながら本丸に向かって登っていくことになる。途中には二層の隅櫓跡とか狼煙跡なんて表記もある。

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鉄塔を抜けた先にある経塚

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登った先の廓跡

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狼煙廓

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二重の隅櫓跡

 最高所が本丸で、ここは木を刈ったりなどの整備がされているようで北西方向の視界がかなり開けており、遠くには姫路城を望むことも出来る。また西方向はかなり切り立っており、この城郭の堅固さを思わせる。

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視界が開けてくると

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本丸に到着

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姫路城を遥かに望む

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本丸からの風景

 ここからさらに北東方向に向かう。途中で急坂を井戸曲輪まで降りたりしたが、結局はもう一度上に登ってくることになる。一番北のどん詰まりにも大きな曲輪がある。

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北廓

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近くの井戸廓

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上に上がって盤座跡

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北の奥の曲輪はかなり広い

 ここからは腰曲輪を経由して帰ってくることになるが、途中で二つ目の鉄塔に出くわす辺りの笹がまたひどくて、道を見失いそうになるぐらい。この笹は今のうちに何とかしておいて欲しいものだ。もしかしたら黒田官兵衛ブームの頃には刈っていたものが、その後放置されてこうなったのだろうか。とにかく笹や竹は成長が早い上に侵略性が高いので困りものである。刈ったぐらいならすぐ生えてくるので、出来れば根こそぎ焼き払いたいところだが、実際はそう乱暴なことも出来ないだろう。ただ最近は各地の城跡で竹や笹の侵略を受けているところをよく見る。あいつらはとにかくたちが悪いので要注意。

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腰曲輪

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しかし帰り道は完全に藪に埋もれる

姫路キャッスルグランヴィリオホテルの華楽の湯

 山城を回ってかなり汗をかいたし腹も減った。美術館に立ち寄る前に入浴と食事をしておきたい。姫路駅前の姫路キャッスルグランヴィリオホテルに日帰り入浴施設の華楽の湯があるとのことなので、そこで入浴をすることにする。

 ホテルの立体駐車場に車を置くとホテル本体へ。浴場は中で窓口はフロントとは別にある。私は今回はタオルを持ってきていないので、レンタルタオルセットをつけて1200円。湯について調べようと成分表を見たところ、源泉は花温泉とのこと。花温泉と言えばかつて安富町にあった温泉施設で、私はたまに行っていたのだが最近になって閉鎖されたところである。そこの温泉をどうやら運び湯しているようだ。

 風呂は岩風呂やらヒノキ風呂やら多彩。そう大きいわけでもないが小さいわけでもないというところ。肝心の湯の方だが、残念ながら安富花温泉で感じられたような硫黄臭は皆無。加温循環しているせいか新湯と大して変わらないような印象。アルカリ単純泉なんだが、ヌルヌル感もあまりない。正直なところ温泉としては今ひとつだが、普通にスーパー銭湯のように考えるとマズマズか。

 昼食はここの食堂で摂ることにする。本当は昼食メニューを注文したかったのだが、ホテルに着いた時点で昼食時間は終了しており、今はティータイム。仕方ないのでティータイムでもある食事メニューをということで、おろしそばとおにぎりを注文。そばはボリュームはさしてないが味はマズマズ。一方のおにぎりはやけにボリュームがある。

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食事処で昼食

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おろし蕎麦とおにぎり

 泉質はそれほどでもないが、そもそも姫路地区には温泉が皆無であることを考えると、今後も汗を流すのには使えるか。なお入浴で3時間、さらに食事もすると合計で5時間駐車場が無料になるとのことから、ここでゆったりと過ごすのが良いようだ。リラックスコーナーなどもあるらしい。ただ今日は次の予定があるので1時間程度でホテルを後にする。

 最後は美術館に立ち寄ることにする。しかしこのホテルから美術館までの道のりが大渋滞。スムーズに走れれば5分もかからないところが20分ぐらいかかる始末。

「連作の小宇宙」姫路市立美術館で6/24まで

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 いわゆる連作作品に注目してそれを展示するという主旨なのだが、ハッキリ言ってテーマとしては極めて曖昧。連作作品は点数が多いためになかなか一挙展示しにくいから、この際にやっておけというようにも見える。実際に展示されている作品は「連作」という意外には特に脈絡はない。

 展示作の中で面白かったのはピカソによる「ヘレナ・ルビンスタインの肖像」の連作。同一人物の肖像スケッチを描く中で様々な手法を試みており、そのテストのための作品群と言ったところ。比較的普通のスケッチから、明らかにキュビズム風のスケッチまで様々でかなり試行錯誤が見られる。

 後は「大日本魚類画集」か。鯛やヒラメなどのやけに美味そうな魚が並んでいたのが何とも。


 美術館の入場料が割引使用で400円だったのに対し、駐車場の料金が600円なのには呆れた。以前からここの駐車場はボッタクリもいいところである。本来は美術館に入館したら割引があっても良いのだがそれもなし。そもそも料金プランが3時間600円しかないのがおかしい。せめて1時間200円の料金体系にするべきところ。こういうところは姫路市の一番駄目なところである。観光に力を入れるべきであるのに、根本的なところがダメダメ。こういうサービスの基本がなっていないから、何かをする度に大失敗を重ねているわけである。

 姫路地区のマイナー城郭巡りであったが、意外に見所のある城郭もあった。まだまだ知られざる城郭は各地にいろいろありそうである。

 適度に汗を流し、適度に体をほぐしたところで帰途についたのである。これで明日以降、体がガタガタにならなければ良いのだが・・・。

佐和山城を見学して帰宅

 昨日も早めに就寝したのだが、今朝は完全に7時過ぎまで爆睡していて目覚ましで初めて気がついた。相当に疲労が溜まっているようで、起き上がった時にあからさまに体が重い。

 とりあえずシャワーを浴びて目を覚ますと、朝食バイキングのためにホテルのレストランに出向く。朝食バイキングは品数としてはそう多いものではないが、味はまずまずであった。和洋両様でガッツリ食えるのは良い。朝食後はとにかく体が重いので、ホテルのチェックアウト時刻の10時ギリギリまでベッドでゴロゴロしながら過ごす。

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朝食バイキング

 ホテルをチェックアウトすれば今日は帰るだけ・・・なのだが、実のところはその前にもう一カ所だけ立ち寄るところがある。彦根と言えば井伊直政・・・でなくて、その影に追いやられている石田三成である。この彦根にはその三成ゆかりの城である佐和山城がある。やはりここに立ち寄っておかないといけないだろう。

佐和山城 三成に過ぎたるものと言われた堅固な居城

 佐和山城への登山道は龍潭寺の奥にあり、龍潭寺の前には駐車場もあり、佐和山城ボランティアガイドの詰め所なんかもあるようである。龍潭寺の奥の墓地の方に進んでいくと佐和山城登山口の案内があり、「野猿の群れが出没するので注意」との看板が。ハイキングコースになっているような山だからと唐辛子スプレーは持ってこなかったのだが、持参した方が良かったか?

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佐和山城遠景
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警告看板を過ぎて山道を登っていく

 山道に入るが、ハイキングコースとして整備されているので道は悪くない。これは楽勝・・・と言いたいところなのだが、足が全く前に出ない。私自身が感じていた以上に足腰がヘロヘロになっていた。太ももは上がらないし、ふくらはぎは痙攣しそうな状態。山道にさしかかった途端にいきなりリタイヤという情けない状態になりかけたが、さすがにここまで来てそんな情けないことにはなりたくない。必死で気合いを入れて途中で普段の3倍は休憩を取りながらヨタヨタと登っていくことに。

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大洞弁財天との分岐

 大洞弁財天との分岐を過ぎて少し登ると大穴のある曲輪に出る。ここが西の丸の端で、この曲輪は煙硝櫓跡(なぜか表記は塩硝櫓となっている)とのこと。どこの城でもとにかく煙硝倉は万一の爆発に備えて、城から外れたところに半地下にするか土塁で囲うかして設置するものである。現地の看板には「この土抗の用途は不明」とあるのだが、普通に考えると火薬を蓄えていたのでは?

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煙硝櫓

 この辺りの周辺は鬱蒼としているが平坦地であり、西の丸の曲輪であることが分かる。ここを奥まで進むと堀切らしき跡があってそこから険しい登りになる。これを登り切ると本丸。足はもうガタガタだが、ここまで来ると好奇心が体を支える状態。

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西の丸

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西の丸の端

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堀切がある
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ここからさらに登るとようやく本丸

 ようやく本丸に登ると視界が開ける。本丸跡はなかなか広いスペースがあり、西の丸から登ってきたところには虎口構造らしきものが見られるように思われるが、佐和山城は大規模に破城されているために往時の構造はほとんど残っていないとのこと。

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本丸

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風景が良い

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彦根城が見えている

 ここで一息ついてようやく生き返ると、本丸奥の南の方に降りてみる。こちらは元々大手口の方向のはずである。随所にかつての構造の片鱗のようなものが覗える。また二段の巨石が残っているが、これがかつての隅石垣だとか。佐和山城の石材はほとんどが彦根城に持って行かれたとのことなので、かつてはこの山上に立派な石垣が存在したのだろう。それはさぞかし壮観だったろうと思われる。何しろ佐和山城は「三成に過ぎたるものが二つあり」と言われた内の一つなのだから。なお西軍の中心だった三成の居城だけにさぞかし溜め込んであるだろうと勇んで佐和山城に乗り込んだ東軍の諸将は、財宝の類いが一切なかったことに唖然としたらしいが。関ヶ原での準備のために資金を費やしたということも考えられるが、元々三成は個人的に蓄財をする類いの人物ではなかったのだろう(実際にかなり潔癖な人物だったようだ)。今時の政治家とえらい違いだ。

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本丸の南を降りていく

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これはかつての隅石垣だとか

 南側に降りたところには千貫井戸があり、ここは今でも水が湧いている。水の手の確保もしっかりなされていたということで、この辺りは全く抜かりがない。

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さらに降りた先にある千貫井戸

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今でも水を湛える

 佐和山城を一回りしたところでヨタヨタと山を下りてくる。なかなかに見応えのある山城であった。徳川によって徹底的に破壊されているが、それでも地形などは残っており、往時の姿を垣間見ることは可能である。これもやはり私撰100名城Bクラスだろう。

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麓の龍潭寺にある佐和山城主の像

 もう限界まで疲れ切っているが家まで帰る必要がある。高速に乗るとすぐに多賀SAに入るが、車を停めるところに困るぐらい大勢でごった返している。そんな中「近江多賀牛」で昼食。これもしばし待たされてからの入店となる。

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多賀SAの近江多賀牛で昼食にする

 注文したのは近江牛ハンバーグとサイコロステーキの膳。味はまずまずだが、やはり場所柄CPは激烈に悪いのは仕方ないところ。

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味はマズマズだが場所柄CPは悪い

 昼食を終えた後は、途切れそうになる意識を無理矢理つなぎながら、何とか無事に家まで帰り着いたのである。それにしても新名神の高槻-神戸間が開通したのはかなり大きい。今までは西宮辺りで慢性的な渋滞で苦労させられたのだが、それをバイパス出来るようなったことは非常に助かる。

 結局、GWを北陸の温泉でゆったり・・・のはずが、北陸の山城を駆けずり回ってグッタリといういつものパターンになってしまったのである。全くもって学習能力がないというか、懲りないというか、業が深いというべきか・・・。

彦根市街重伝建地区(河原町芹町地区)散策

 翌日は7時に起床。体の調子は悪くはないがやや重い。雨は降っていないようだが、どんよりと曇っているのが気になるところ。

 朝風呂を浴びると8時から朝食バイキング。まあまあだがとにかく混雑しているのがまいる。

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朝食バイキング

 10時過ぎにチェックアウトするが、困ったのは今日どうするか。とにかく今日は彦根まで走って彦根で宿泊することになっているが途中の予定がない。元々は山城に立ち寄るつもりであったが、今日のこの天候では難しそう。とりあえず天候を見ながら予定を考えることにして彦根に向かって走る。

 今日からGWの後半のせいか北陸道は車がかなり多い。渋滞こそしていないが走るのに神経を使わないといけない状態。結局は疲労で休憩のためにSAに入るが、車を置くところがないくらいの大混雑。しかもレストランは席が一杯というような状態。

 途中から雨が激しくなってくるし、結局は今日は山城を諦めて彦根に直行することに。

 

彦根の河原町芹町地区の重伝建を見学

 彦根に到着したのは1時過ぎ。ホテルのチェックイン時刻が3時からなのでまだ時間がある。一応こういう時のプランは考えてある。最近に重伝建に指定された河原町芹町地区。江戸時代の商家町の面影が残っているという。

 事前調査で地区の北端のところに駐車場があることが分かっているのでそこに車を置く。ここから徒歩で町並みを散策。確かにところどころ江戸時代の卯建がある建物が断片的に残っているが、全般的には昭和レトロな雰囲気の方が強い。商売をしている家も数軒あるが、空き家らしき家もあるのが気になるところ。

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石田三成と井伊家の両方の石碑が

 町並みを一往復して帰ってくると入口のところにある魚屋「魚浩」で昼食にする。魚屋だけあってお勧めは海鮮丼。さすがにネタは十分に入っている。また添えられていたあら汁がうまい。

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魚浩は魚屋

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魚屋の海鮮丼

 

彦根で宿泊

 昼食を終えた頃には3時近くになっていたのでホテルに移動することにする。今日の宿泊ホテルは彦根キャッスルリゾート&スパ。彦根城正面のやや高めのホテルなのだが、会社の福利厚生割引で朝食のみプランがビジネスホテルレベルの価格になったことから選択。このホテルは若干変わったホテルで、形式としてはビジネスホテル形式なんだが、高めのレストランがついていたり(なので私は朝食のみプランにしている)などと観光ホテルと折衷になっている。立地が良いので客は多いようである。

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彦根キャッスルリゾート&スパ

 ホテルにチェックインするとまずは大浴場で汗を流す。そんなに広い浴場ではないが、全面ガラス張りの正面窓からは彦根城が真正面に見える。この人工温泉の展望大浴場でじっくりと汗を流してくつろぐ。

 汗を流してサッパリした後はしばし部屋でくつろいでから買い物と夕食を兼ねて外出する。夕食を摂る店は全く何も考えていなかったが、遠出する気力も体力もないので、割引券をもらっていた隣の「献上伊吹そば つるかめ庵」天ぷらそばを注文。なかなかにしっかりと腰のあるそばで美味。

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つるかめ庵

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天ぷらそば

 そばを食べた後はこれも割引券をもらっていた「どら焼き虎てつ」ひこにゃんのどら焼きをおやつに購入。後はコロッケを食べながら彦根城方面を散策。

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ひこにゃんのどら焼き

 

彦根城周辺の散策

 彦根城は5時で門が閉まるようなのでその手前までプラプラと散策。改めて見てみるとなかなかに立派な城である。特に登り石垣などが見事。あちこちの城を回っている内に段々と城に対する観察の仕方がマニアックになってきていて、以前に来たことのある城でもまた違った見え方がすることを感じている今日この頃。今回は彦根城に立ち寄るつもりはないが、またいずれ改めてじっくりと見学しても良いかもという考えが頭をよぎる。

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ここはかつての外堀の一部とか

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大手口

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見事な登り石垣である

 とにかく疲れがかなり溜まっている。この日は日が沈む頃にはホテルに戻ってきて、もう一度入浴したりやなんやかんやで結局は部屋でボンヤリと過ごしたのである。

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夜にライトアップされる彦根城天守

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さすがに暗すぎて撮影はギリギリ

 

城生城~春日温泉~金沢市内重伝建散策~山代温泉

 翌朝はやはり4時頃に一旦目が覚めてしまうが、そのまま二度寝。朝方にどこかから子供の絶叫のような声が2回聞こえてきたが、「やかましいな」と思いながらも寝続け、7時半にセットしていた目覚ましで目覚めることに。睡眠力自体は落ちてきているのだが、とにかく疲労が強いようである。

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地元食も交えたドーミー朝食

 さて今日の予定だが、困ったものだ。天気予報によると今日は午後辺りからかなりの雨が降るとのこと。となると山城は難しいところだが、そもそも今日回る予定だった城郭はほとんどが昨日に回り終えている。そこで今日は昨日回る時間がなかった富山市南方の城生城に午前の内に立ち寄って、近くの温泉で汗でも流そうかというのが最初の予定。

 ホテルをチェックアウトすると富山を南下する。空模様は極めて怪しいが、まだすぐに雨が降るという雰囲気ではない。とりあえず雨が降り出す前に目的を達成すべく車を走らせる。

城生城 南北朝時代から続く川縁の堅城

 神通川の上流、かなり山が迫ってきている辺り、八尾カントリークラブの西の川沿いの山上にあるのが城生城。南北朝時代ぐらいにこの地域を治めていた斎藤氏の居城であったという。戦国時代にはその位置的重要性から諸勢力の争いにさらされたようだ。

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城生城遠景

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城生城構造図(本丸案内看板より)

 現地に到着すると本丸の西に当たる辺りに入口の案内看板はあるが駐車場はない。とりあえず駐車禁止の標識はないようなので、道路の邪魔にならなそうなところで左ギリギリにつけて止めておく。

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城生城入口

 入口から足下が鬱蒼としているので大丈夫かと不安になるが、一応案内看板などは立っているので、念のための唐辛子スプレーを腰から下げて進む。すぐに腰曲輪方向との分岐の看板があるが本丸方向へ直進、さらに登ると堀切方向との分岐があってやはり本丸方向に進む。ちなみに腰曲輪方向の道は、川沿いの斜面の細道で足を滑らせたら谷底に真っ逆さまになりそうな道にも関わらず、道上にかなり樹木の枝などが張りだしてきている状態だったので結局は見学を断念している。

 

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入口からいきなり鬱蒼としている
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最初の看板を直進し、次の看板で本丸方向へ

 登り切ると思いの外広い曲輪に出る。これが二郭のようだ。本丸はここの右手(南側)にあり、堀切がある上に高低差もあるところを土橋で登るようになっている。

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思いの外広い曲輪に出た
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案内看板に従って土橋を登る

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上の段に出る
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奥にもう一段あるので案内に従って登る

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本丸に到着した

 本丸には城跡碑と案内看板が立っている。決して広いスペースではないが、周囲を見下ろす高所に位置し、下に見える大堀切との高低差はかなりのものである。

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本丸周辺はかなり深い

 二郭に戻ると北に向かうが、すぐにかなり広い堀切に行き当たる。これを超えるとこの先はかなり広大な曲輪。ただし鬱蒼としているのでその全貌は把握しにくい。ところどころに土塁があることは分かる。途中で←井戸跡という看板があったので鬱蒼とした中をそちらに進む。途中で藪がガサッと音を立てたのでドキッとしながら思わず手が腰に伸びるが、幸いにして動物の類いではなかったようだ。なお井戸跡はそれらしい窪みがあるだけ。

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二郭の先にある土塁と櫓跡

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その隣のかなり幅広い堀切

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井戸跡

 この曲輪はかなり北まで広がっているようだが、先は鬱蒼としているので引き返すことにする。

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この先は鬱蒼としているので引き返す

 二郭から降りて分岐点を今度は大堀切方向に向かう。こちらは大堀切の下から本丸を見上げることになるが、これが壮観。急斜面というよりも断崖絶壁で高さは10mはありそうなので、これをよじ登ることはまず不可能。ただ気になったのは土が大分えぐれてきているのか、本丸の端の方などは木の根で辛うじてもっているようなところがあったので、大雨でも来たら大崩落しないかということ。

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本丸を下の大堀切から

 

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とにかく大規模な堀切である

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ただしいつ崩れるか分からない部分もある

 この大堀切の南側にも曲輪がある。こちらが大手方向になるらしいが、それを守るらしい曲輪が数段になっている。

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この堀切の先にも構造がある

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下の方にも曲輪がありそうだが、ここまで来ると不明

 東西北の三方を川に囲まれて切り立っており、南からの攻撃には大堀切などの防御機構を万全に構えたかなり堅固な城である。また山上のスペースは結構広く、館などを建てるにも十分と言うことで城を構えるのには格好の地形と言えよう。

 そう知名度が高い城というわけでもないので正直なところ侮っていたのだが、来てみると思いの外に見所の多い城であった。まだこんなところに私撰100名城Bクラスが潜んでいたとは・・・。

春日温泉で一服

 1時間ほどの山城散策で汗をかいた後は、近くの春日温泉に立ち寄ることにする。大沢野ウェルネスリゾートウィンディというスポーツジムなどと複合した巨大施設があるので、そこの浴場へ。ナトリウム塩化物泉とのことでややネッチョリした印象だが、特別強い浴感はない。かけ流し浴槽などもあり意外と本格的。なお源泉温度がかなり高いので加水はしているようだ。

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大沢野ウェルネスリゾートウィンディ

 この時点で昼頃だが、山城の予定をこなして温泉で汗を流すといよいよこれからすることがなくなってしまった。完全ノープランである。こうなったら金沢にでも行くしかないかと思いつく。お昼もまだだし、久しぶりに自由軒にでも行くか。

金沢のひがし茶屋街で昼食

 北陸自動車道を経由して金沢までは1時間ほど。到着した金沢は大勢の観光客でごった返している。北陸新幹線開通以来、とにかく金沢は観光客が増えているが、今日はもうGWなのか異常に観光客が多い。自由軒に立ち寄るべくひがし茶屋街の方面に車を向けたが、駐車場に空きが全くない。結局は駐車場を探して兼六園付近まで移動することに。

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ひがし茶屋街は観光客で一杯
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観光客だらけ

 兼六園近くにようやく車を置くと、ひがし茶屋街の自由軒までトボトボと歩く。しかし到着した自由軒の前には大行列が。思わずため息。しかしここまで来た以上引き返す気もない。結局は40分ほど待たされることに。

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自由軒には行列が出来ている

 ようやく入店、注文したのはオムライスとビーフカツ。ジューシーなビーフカツは相変わらず美味いが、少し首をかしげたのはオムライス。ここのオムライスはケチャップでなくて醤油ベースなのが特徴なのだが、以前に食べた時のような鮮烈な印象がない。端的に言えば味が落ちたような気がする。私の体調のせいなのか、それとも本当に味が変わったのか。客が以前に比べてかなり増えているようなので、手が回らなくなって味が落ちているんでなければ良いが・・・。実際に観光ガイドの類いに取り上げられたことで駄目になってしまう店は少なくないだけに少々心配。

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オムライス

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これが醤油ベース

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ビーフカツも美味い

 自由軒を出た時にはとうとう雨が降り出した。傘を持ってきていなかったので慌ててループバスで駐車場に戻る。当初は車から傘を回収してここからバスで移動しようと考えていたのだが、雨が本降りになってきたのでその気が失せる。とりあえず次の目的地の近くまで車で移動することにする。

 

長町武家屋敷街の見学

 金沢に立ち寄ったのは自由軒で昼食を摂ることだけが目的でなく、長町の武家屋敷を見学したいというプランも考えていたから。金沢は今まで何度か来ているが、立ち寄り忘れていたのが長町の武家屋敷街である。そこで長町の近くまで車で走ると観光用の駐車場があったのでそこに車を置いて徒歩で見学に向かう。

 長町の武家屋敷街は水路沿いに往時のイメージの塀が連なっている。家自体は必ずしも往時のものが残っていると言うわけではないが、塀の雰囲気をそろえているので町並みとしては風情がある。

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雨の長町武家屋敷街
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 中には九谷焼を販売している店やら和菓子屋やら観光客対象の商売を行っているところが多い。私も九谷焼の見学をしたり、みやげの和菓子を購入しておく。土産に九谷焼を・・・とも思ったが、こちらは私の財力では全く手が出ない。

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中には商売をやっている家も少なくない

 それにしてもここもひがし茶屋街ほどではないが観光客が多すぎて閉口。GWということもあるだろうが、やはり北陸新幹線開通以降、金沢の観光客が異常に増えているのを感じる。おかげで京都同様に風情が全くなくなってきた。景気の刺激のためにインバウンドの拡大も結構だが、副作用としては観光地がいろいろと荒れてくる。これは困ったことだ。特に喧しい中国人の団体客はどうにかならないものか。

 

山代温泉で一泊

 30分ほどプラプラと散策を行って長町の見学を終えたところで、雨の中を今日の宿泊ホテルまで移動することにする。今日宿泊するのは山代温泉の大江戸温泉山下家。山代温泉までは北陸道経由で1時間程度で到着する。山下家は古総湯や総湯のある山代温泉の中心地。そこにある城郭風の超巨大建築が山下家である。元々は山代温泉を代表する巨大ホテルだったんだが、昨今のレジャーの変化と不景気に耐えられずに大江戸温泉の軍門に降ったというところか。山下家と言えば私の子供時代には関西でも良くCMが流れていた。あの時代によくCMを見た旅館と言えば山下家以外ではびわこ温泉ホテル紅葉、有馬温泉兵衛向陽閣、伊東温泉はとやホテルなどである。この中でホテル紅葉は業績不振と老朽化で閉館して取り壊されてしまった。兵衛向陽閣はまだ健在のよう。はとやホテルは行ったことがないのだが、あまり良い噂は聞いていない。この辺りは時代の変化というものを感じさせられる。

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大江戸温泉山下家

 今日は予約が一杯のようで、やや遠目の駐車場に案内される。チェックインを済ませて私が通されたシングルルームは客室と言うには極端に狭い部屋。いわゆる典型的な「添乗員部屋」という奴である。まあシングルプランがあるだけで良しと考えていたのでここまでは予想の範疇だが、禁煙部屋にも関わらずドアを開けた途端にむせかえるようなたばこの臭いがするのには閉口。長年散々たばこの臭いをしみつけた部屋に、ファブリーズをシュッシュッして灰皿を撤去したらそれで禁煙部屋のできあがりというものでもあるまいに。さすがにこれにはテンションが下がる。

 ちなみにかつては喫煙天国とさえ言われていた日本(「男のくせにたばこも吸えないのか」なんて言う馬鹿なおっさんが普通にいた)も、昨今では世界的潮流を受けて非喫煙者の方が多数派となり、今や喫煙者は少数派。そう言うわけでビジネス的にも喫煙部屋を設けずに全部屋禁煙にする方が効率的になっている。ただ喫煙部屋を禁煙部屋に切り替えた場合に問題になるのは、それまで染みついた臭い。長年に渡るたばこの臭いはファブリーズ程度で消えるものではない。これを確実に脱臭できる技術を開発したら、ホテル業界や中古車業界などにビジネスチャンスがありそうだ。

 部屋に荷物を置くとすぐに外出する。とりあえず総湯は以前に行ったことがあるので、今回は古総湯に入浴したい。古総湯はシンプル極まりない設備で、4m四方程度の浴槽が一つあるだけ。洗い場が全くない構造である。明治時代の昔の共同風呂を再現したのだとか。かけ湯をすると入浴するが、とにかく熱い。最初はビックリする。足をつけた途端にヒリヒリして、いきなりは体をつけることが不可能。雪国の温泉は往々にして湯温の高いところが多いが、どうやらここもそのようだ。

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古総湯

 山代温泉の泉質はナトリウム・カルシウム-硫酸塩・塩化物泉とのことであるからようは食塩系。寒い地域に多い「温まる湯」。ここの湯もとにかく汗がやたらに出てくるのが特徴。肌当たりはややネットリしている。温度が高いこともあって、とにかくサッパリと目が覚めるタイプの湯。

 浴場の上には休憩室があるのだが、これがまた奇妙なスペース。色ガラスが何か落ち着かないし、開放感がないので圧迫されたような気持ちになる。少し休んだだけですぐに出てくる。やはり休憩室なら道後温泉本館が風情があって良いかな。

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何となく妙な圧迫感のある休憩室

 古総湯の入浴を終えると隣の総湯の売店で温泉卵を頂く。これが意外に美味い。これは確かに古代ローマの温泉技師でなくても驚くところだ。

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隣にある総湯

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この温泉玉子が実に美味だった

 ホテルに戻ると屋上の展望大浴場へ。山代温泉を見下ろす格好の浴場であるが、やはり湯自体は先程の古総湯よりは劣る(消毒臭がする)。また湯温は観光客を意識して若干低めの模様。壺風呂に湯が張ってなかったのは、大江戸温泉のコスト低減戦略の一環だろうか。

 

 入浴を終えたところで夕食バイキングへ。大江戸温泉らしいバイキングで、内容的には普通に美味い。また伊東園の配給飯とは比較するまでもない。ただ特に驚きや感動はない。同じ大江戸温泉でも鬼怒川温泉のものよりは劣る印象。バイキングと言えば最近では作並温泉の一の坊のが非常に良すぎただけに、あれの記憶が残る現時点ではかなり不利だろう。

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大江戸温泉夕食バイキング

 私のプランにはアルコール飲み放題が付いている模様。しかしこれは完全に無駄。アルコール飲み放題抜きで安くなっているプランがあれば良かったのだが・・・。まあ勿体ないのでノンアルコールカクテルを一杯だけ頼む。

 夕食を終えると部屋でプラプラ。とにかくしんどい。今日はあまり歩いた記憶がないのだが、かなり広い城生城内を散策したことと、兼六園からひがし茶屋街や長町内など結構歩いていたのか今日も1万2千歩を超えている。ここのところ連日1万歩超えである。単に1万歩だけならそれほどでもないが、ことごとく山道を含んでいるので中身が濃い。やはりダメージは大分蓄積しているようだ。しばらくベッドで横になって過ごすが、1時間程度休んでから大浴場へ入浴に行く。

 大浴場はかなり広い空間で、かつての地域を代表する大ホテルの面目を一番感じる設備である。湯は露天風呂よりは良い印象。とにかくゆったりと体を浸し、特に足の疲れを取っておく。

 この日は夜の11時頃までBDを見て過ごし眠くなったところで就寝する。

北陸山城巡り(二曲城、舟岡山城、木舟城、安田城、白鳥城)&「デザインあ展」at 富山県美術館

 昨日は10時に寝てしまったので、朝の4時になると一旦目が覚めてしまった。8時間ほど爆睡したくてもそれができないのは老化の兆候。仕方ないので後は寝たり起きたりを繰り返しながら7時に起床。

 目が覚めるとすぐに大浴場へ。湯が体に染みいる感覚で快適。目下のところは下半身に少々の怠さはあるが、幸いにして足腰が立たないという状況ではない。

 朝食は8時から和食。これで腹を満たしてからすぐにチェックアウトする。今日は山城巡りの予定。

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朝から和食

 

二曲城 鳥越城の出城で一向一揆の城

 最初の目的地は二曲城。鳥越城の向かいの山上にある出城で、鳥越城と共に一向一揆勢が立て籠もって最後まで織田信長の攻勢に抵抗したのだという。この二曲城は最近になって鳥越城と併せて整備されているとのこと。そもそも今回の遠征を思いついたのはこの城の話を聞いたからでもある。

 二曲城の近くに「一向一揆の里」なる道の駅に付随した資料館もあるようなのだが、残念ながら今日は資料館は休みのようなので、そのまま二曲城に向かう。この一向一揆の里の奥に二曲城の登り口があり、そこに向かう橋の手前に車を置けるスペースもある。

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二曲城登り口

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非常にザクッとした案内図

 案内看板によると登城路は本丸まで尾根筋を直登するルートと、谷筋を進んでいくルートがあるようである。私は尾根筋を直登するルートを選択。なかなかに険しいルートであるが、途中で三の郭、二の郭を経由して見学していくことが出来る。

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途中の分岐から斜面を直登の形に

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その先が三の郭

 まず最初に三の郭に出くわし、その背後の堀切を越えて虎口を抜けた奥にあるのが二の郭、この郭は土塁で囲われている上に、掘立柱建物跡がある。一の郭を守備する上で重要な曲輪であったろうと思われる。

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三の郭奥の堀切から虎口に回り込む

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建物跡もある二の郭

 ここから険しい山道をさらに登った先が一の郭。砂利を引いた山道がスニーカーだと滑ったりして結構難儀したが、数分で登り切る。一の郭には建物跡に炉跡、また驚いたことにこんな山頂に井戸がある(今は埋まっているが)。こんな山頂の郭で水が確保できるのなら、確かにこの城はかなり堅固である。

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二の郭奥の急な山道を登っていくと一の郭の虎口に着く

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一の郭
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井戸跡にかまど跡

 山頂からの眺望はかなり良い。向かいの山頂に鳥越城が見えており、両城の間では狼煙などを使うまでもなく、旗で通信することも十分可能であろう。

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鳥越城は向こうの山上にある

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鳥越城

 一の郭の裏手に九十九折りの山道が続いており、谷間の四の郭に降りてくることが出来る。四の郭の手前には石垣と空堀があったようである。なおここから五の郭につながっているように地図には表記があるのだが、鬱蒼として道が分からなかったので五の郭の見学は断念した。

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本丸裏手の山道を谷まで降りてくる

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倉跡と表記のある四の郭

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四の郭手前の石垣と空堀

 四の郭からは谷間の道を歩いて行けば入口に戻る。この谷筋は水が湧いていて、途中から川が流れている。地元水道用の取水施設?と思われるものもある。

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谷間の道を歩いて戻る

 そう複雑な構造の城ではなかったが、見所もそれなりにあって登って気持ちの良い城であった。これも私撰100名城Bクラスと言ったところか。

 

白山比咩神社を参拝

 二曲城の見学を終えた後は白山比咩神社まで車を走らせる。白山比咩神社は全国の白山神社の総本社である。白山神社の駐車場に車を置くと神社の参拝。願うは世界人類の幸福(笑)。

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白山比咩神社

 

舟岡城 平安時代からある詳細不明の城郭

 ここまで来たのは実のところは神社が主目的ではない。目的は神社の隣の山上にある舟岡城。築城年代は定かではないが、平安時代から城郭としての機能は有していたらしい。ただ一般的には鳥越城などと同様に一向一揆関連の城郭と分類するのが妥当なところなのだろう。鳥越城と同様に織田信長の北陸攻めで落城とのこと。登口は事前にGoogleストリートビューで目星をつけたとおり、山の東南側にある。

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舟岡山城はこの山上にある

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舟岡山城登り口

 しばし九十九折りの山道を登ることになるが、10分もかからずに登ることが出来る。途中で前方で巨大な影が動くのが見えてゾッとしたがカモシカだった。確かに山道に何やら足跡らしきものがあったので何かがいるとは思っていたが、あんなデカイのがいるのは考えてなかった。カモシカはこちらの姿を認めると勝手に去って行ったが、あの巨体が本気でケンカを売ってきたらただじゃ済まない。やはり自然の中では人間というのは最も弱い生き物ではということを感じる。

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鬱蒼とした山道を登ることになる

 山道を登り切ったところが主郭で、ここに大きな石碑が立っているが、城跡碑ではなくて白山比咩神社に関するもの。「白山比咩神社創祀の地」と刻まれており、どうやらそもそもの白山比咩神社はここに建てられていたようだ。その後に手取川河畔に移され、大火で焼失などがあって現在の位置に築かれたようだ。神社用に最初に整備されたところを土台にして城が築かれたということか。

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白山比咩神社創祀の地の碑

 この主郭の隣に二の郭らしき曲輪があるが、その間には結構大規模な堀切があり、土橋がつながっている。二の郭の先も曲輪らしき構造があるのだが、鬱蒼として詳細は明らかでない。

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二の郭の手前には土塁らしきものが

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土塁だけでなく堀もあるようだ

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二の郭はかなり広い

 馬出門の方向に向かうと、詳細は明らかではないが虎口的な構造が見られ、主郭などの曲輪とはかなり高度差があり、これらの曲輪が切岸になっていることも分かる。

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二の郭の先端辺りから馬出方向に回り込む

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これが二の郭の切岸

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堀もあるようだが構造が不明確

 大手門方向から下に降りようかと思ったのだが道が判然としないので、北の方向に抜けることにする。主要曲輪以外の山の全域が完全には整地されていない緩斜面であるものの城内のような構造になっている。この部分も城内に含めればかなり広大な城郭となる。ここには屋敷でも置いて、いざという時には背後の曲輪に立て籠もったのだろうか。この平地の北の端の方には搦め手口と言っても良いような構造があり、そこの西側の高所にこれを守るかのような四の丸と表示された曲輪がある。これは全山が要塞であったということであろうか。

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登った先が四の郭

 

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案内看板はあるが藪や森が深すぎて全体構造がつかめない

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北口の脇に登る道がある

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登った先が四の郭

 北口から降りると何やら民家の庭先のようなところに出てきて、その先には県立青年の家がある。そこのグランドの端には舟岡山遺跡なる縄文時代の住居跡があり、竪穴式住居が復元されている。

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舟岡山遺跡の復元竪穴住居

 実のところ、二曲城に来るついでに近くに何か城郭がないかと調べて行き当たった城だったのだが、全く予想外に充実した城だった。こちらも私撰100名城Bクラス相当。全くうれしい誤算であった。

 

 さてここまで予定をこなしたところで昼過ぎ頃。ここで今日想定していたスケジュールはすべて終了してしまった。と言うのも昨日の清水山城のダメージがかなり深刻になるだろうと推測されたことから、今日は宿泊地の富山に移動するのがメインで、それに山城2つと神社1つぐらい絡めたら時間的にも体力的にも一杯ぐらいだろうと考えていたからである。しかし当初の想定に反して、私が貧乏性から来る想定外の行動力で山城をかけずり回ったことで、予定外にスケジュール消化が早くなってしまったという次第。

 ここは予定変更して、明日の富山からの復路に予定していた城郭巡りを今日に繰り上げることにする。天気予報によると明日は雨とのことなので予定を前倒しにしておく方が無難でありそうだ。

 

木舟城 北陸の戦国騒乱の渦中にあった湿地の城

 最初に立ち寄ったのは木舟城。北陸自動車道を砺波JCTで能越自動車道に乗り換え、福岡出口で降りたすぐ南の田んぼの中にある城跡である。1184年に石黒太郎光弘が築城し、戦国期には織田氏と上杉氏、佐々氏と前田氏となどの争乱の渦中で戦闘の拠点となったという。秀吉の越中平定後は前田利家の弟の秀継が入城するが、その年の11月に生じた大地震の際に軟弱な地盤が祟って城が倒壊し、城主夫妻は命を落としたとのこと。その後は秀継の子の利秀が継いで復興を試みたものの、結局は翌年に石動城に居城を移して廃城となったという。

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木舟城

 現在は史跡公園として整備され専用の駐車場まで設置されているものの、遺構として残っているのは本丸の一部と東にあった神社の部分だけ。往時には沼地に浮かぶ城だったらしいが、現在は大部分が水田になっており遺構はほとんど残っていない。

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案内看板

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残るは土塁の一部のみ

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回りは見事に田んぼばかり

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かつては向こうの神社も城の一部

 

安田城 秀吉が佐々成政攻めのために築いた水城

 次に立ち寄ったのは富山市にある安田城。井田川左岸に築かれた戦国時代の平城で、秀吉が佐々成政を攻めた際に本陣である白鳥城の支城として築いたものだという。井田川から水を引き入れた堀を巡らせて防御している。その後は田んぼの中に埋もれていたのだが、非常に良好な状態で遺構が発掘されたことから、戦国時代の平城の構造を伝える貴重な遺跡として史跡指定されて復元も行われて今日に至っている。

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資料館

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安田城の構造

 現地に到着すると隣には資料館なども置かれていて史跡公園としての万全の整備が行われている。城といえば一般には石垣に天守閣などというイメージがあるが、この城は土塁の上に柵を巡らした簡便な構造であり、戦国期の大抵の城はこうであったということである。まあこの辺りは城巡りの中級者以上には常識ではあるが、初心者などには実際にこういうのを見てみないと実感できないかもしれない。

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安田城正面

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 本郭、二の丸、右郭が堀の中に浮いているような構造で、これらが土橋でつながれている。これらの橋は現在はかなりしっかりしたものになっているが、当時はすぐに落とせる簡単な木橋や吊り橋だったかもしれない。各曲輪の周囲は土塁で囲まれており、特に本郭周囲の土塁は高さも幅もあり、この土塁の上自体が攻撃のためのスペースであったことが覗える。

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二の丸から本丸への橋

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本丸内部

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本丸土塁上から本丸内部

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本丸土塁上から二の丸方向

 ちなみに往時の土塁の一部が保存展示されている施設もあるようである。単純に土塁と言っても、数種の土砂が複雑に重なり合っている模様。

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この中で土塁が保存展示されている

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往時の土塁内部

 そう大規模な城郭ではないが非常に整備されていてよく分かりやすい。また平城の遺構は大抵は市街地や田んぼに埋もれて完全消失してしまうことが多い(先ほどの木舟城などが典型的)ことを考えると実に貴重な遺跡である。というわけでこの城郭も私撰100名城Bクラス。

 安田城の次は先ほど名前の出た白鳥城を見学に行くことにする。秀吉が本陣を置いた城郭でこちらは山城である。安田城の北方2キロ程度先の山上にあり、こちらも一応城址公園となっているようだ。

 白鳥城への移動の途中で「番やのすし」を見かけたので昼食のために入店する。考えてみたらもうとっくに昼を過ぎているのに昼食がまだだった。私の城巡りは気をつけないと昼食を忘れることがある。しかし昼食抜きだと途中でガス欠になる。

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番やのすし

 回転寿司だが実質的には注文して握ってもらうというタイプ。私の大好きなホッキ貝など適当に8皿ほど握ってもらう。ネタも良くなかなかうまい。これで2000円程度だからCPも悪くない。さすがに富山の寿司は侮れない。

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ホッキ貝など何皿かつまむ

 

白鳥城 佐々成政攻めの秀吉の本陣

 燃料補給をしたところで白鳥城に向かう。登城口は山道の途中に看板が立っており、山道をもう少し進んだところに車を置けるスペースもある(ここの眺望が良い)。

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駐車場からの眺望

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白鳥城登り口

 北二の丸、本丸外郭を抜けて本丸に登るのには10分かからない。本丸は一番の高所だが、残念ながら鬱蒼としていて眺望はあまり良くない。

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北二の丸
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空堀を越えて先を登る

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本丸外郭
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その奥をさらに登る

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本丸に到着

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本丸天守台

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白鳥城平面図

 本丸から東に降りたところにある曲輪が二の丸。そう大きな曲輪ではなく、隅に井戸跡がある。

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本丸から東に降りる

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二の丸

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井戸は埋もれてしまっている

 本丸の西には西一の丸があるが、この辺りは鬱蒼としていて構造が今ひとつよく分からない。

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本丸西を降りてみるがかなり鬱蒼としている

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西一の丸との表記が

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西一の丸

 全体的に鬱蒼としすぎていて構造が良くつかめなかったが、それでもそれなりの規模を持った山城であると言うことは理解できた。多分樹木を取っ払えば富山城を見下ろせるはずであり、秀吉がここに本陣を置いたのは当然であろう。結局は秀吉の大軍に迫られた佐々成政は降伏するより他に手はなかったのであるが。

 

 一日で山城を三つということになりかなり疲れたが、最後にもう1カ所回っておくべき場所がある。それは最近オープンした富山県立美術館。富山には以前に町外れに県立近代美術館があったが、場所も良くない上に施設の老朽化も進んでいた。そこで駅北の運河地域の再開発と共に、ここに県立美術館を移転したようである。

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富山県美術館

 美術館は混雑しているらしく、駐車場には満車の看板が出ていて回りをグルグルと回らされることになる。ようやく車を止めると入館。一階は天井が低めで圧迫感のある建物。これが展示室のある2階に上がると一転して天井が高い開放感のあるフロアになる。展示室は3階にもあるが、この辺りは吹き抜けも多く、開放感があるとも言えるが高所恐怖症にとっては悪夢のような構造。最近多いタイプの建物であり、設計には大分県立美術館と似通ったセンスを感じる。

 

「デザインあ展 in TOYAMA」富山県美術館で5/20まで

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 NHKの番組で有名なデザイン「あ」の作品を展示。この番組を私はほとんど見たことがないのだが、一風変わった芸術番組?である。

 展示は番組などにも出てきた様々なパターンのものを。なかなかに神出鬼没なアイディアで子供だけでなく大人も十分に楽しめる。アーとする心なんてものは、こんな面白さの中で育成されるということであろうか。私は「現代アートは遊園地のパビリオンのようなもの」と言っているが、まさにそういう雰囲気。

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 展覧会の見学を終えると館内を一回り。収蔵品に関しては以前に見たことがある作品であるが、展示室が凝った感じになっているので印象が変わる。屋上はオノマトペ広場とのことだが、これは端的に言って子供用の遊園地である。「グルグル」とか「プヨプヨ」といった類いのオノマトペにちなんだ作品というよりも遊具が多数設置してある。多分、美術館に子供連れで来てもらおうという発想なんだろう。そう言えば館内にもキッズスペースがあった。

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屋上オトノマペ広場
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 美術館を回った後は喫茶で一服。今日は暑いから非常に疲れている。美術館の喫茶にはあまり寄らないのだが、今日はもう限界。

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喫茶で一服する

 

ドーミーイン富山で宿泊

 一服して落ち着いてからホテルに移動することにする。今日の宿泊ホテルはドーミーイン富山。ドーミーは高級ホテルだが、今回は社内の福利厚生割引が適用できたのでここに宿泊。

 駐車場は満杯らしく、隣の提携駐車場に止めることになる。さすがにホテルも一杯の模様。ホテル内で見かける顔は皆アジア系なのだが、言葉を聞くと多国語が飛び交っている。

 チェックインを済ませるとすぐに大浴場に入浴に行く。ここのホテルは天然温泉の大浴場付きである。ナトリウム硫酸塩泉という湯はやや褐色を帯びたネットリした肌触りの湯。とりあえずこの湯で疲れ切った体をほぐすことにする。

 

 入浴を済ませると夕食のために町に繰り出す。この辺りは富山の繁華街だが、今ひとつピンとくる店がない。昼に食べたのが寿司でなければ寿司栄にでも行くところだが、さすがに寿司を連チャンする気にもならない。結局は適当なそば屋に入って天ぷらそばを注文。手打ちそばを名乗っているが、当たりともハズレとも言えない微妙なそば。そしてそばはともかくとして天ぷらの方はハズレだ。

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残念な天ぷら蕎麦

 いまいちパッとしない夕食を摂って帰ってくると、しばしホテルのベッドに横になったまま動けなくなってしまう。今日は既に1万7千歩。昨日に引き続いての強行軍で限界を超えている。

 結局はベッドの上で1時間近くグロッキー状態の後にようやく活動再開。とりあえず大浴場へ繰り出してもう一回入浴してから、ドーミーイン名物の夜鳴きそばで小腹を満たす。

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ドーミー名物夜鳴きそば

 後は部屋に戻ってBDを見ていたのだが急激に眠気が。結局はこの日も早めに就寝する。

 

「ターナーからモネへ」at 福井県立美術館&清水山城&粟津温泉

 翌朝は5時過ぎぐらいから周囲がドタバタとやかましくなってくるが、意地で7時起床。どうにも体がだるい。

 朝食は8時からでオーソドックスな和食。朝からしっかりと腹に入れて体にエンジンをかける。

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朝から和食が美味い

清水山城 湖西を代表する戦国時代の大山城

 9時前ぐらいに旅館をチェックアウトすると、まずは最初の目的地である清水山城を目指す。清水山城は鎌倉時代から戦国時代にこの地域で活躍した佐々木氏の居城だったという。この地域を代表する山城の一つで、ここの訪問は以前から懸案となっており、今回の遠征のルート選定においてもこの城の存在が大きな理由の一つとなっている。実は昨年の秋にここを訪問する予定を立てたのだが、その頃にこの近辺で熊の目撃情報が多発して警戒警報が出ていたために見送った次第。宿の主人の話でも、去年は旅館の近くでの目撃情報もあったのだとか。ここのところの温暖な天候で熊が冬眠から起き出している可能性はかなりあるので、今回はそれを警戒しての装備も一応用意してある。Amazonで購入した熊撃退用の唐辛子スプレーである。

       

 麓の運動公園の駐車場に車を置くと事務所で地図をもらって、唐辛子スプレーなどの装備を整えた上で山を目指す。しかしここで道に迷って予定のルートよりかなり外れることに。結局たどり着いたのは鉄塔メンテ用と思われる直線の舗装道路。ここからでも登れたが、これから行く方には大手口から登ることを勧める。

 標高の大して高い山ではないので、ここをしばらく登ると西館の西側に到着するので西館の見学をする。

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現地配付資料より

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私はここから登った

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こちらが大手口

 西館はかなり広い。屋敷を構えるには十二分の広さである。主郭はこの奥をさらに登ったところ。ここから山道になるが、恐らくノートは無理でも軽トラなら登れる道。この道を登ってしばらく進んだ先に主郭へ直登する急階段がある。主郭の周辺はかなり切り立った地形になっている。

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西館の大手と土塁
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堀切などの横を抜けて奥の本丸へ

 この階段を登ると主郭。主郭は結構広く手前には鉄塔が立っているが、この場所はそもそも櫓があったと考えられている場所とか。主郭はL字型になっており、建物の礎石跡も発見されている。ここからは広くびわ湖までを見渡すことが出来、この地域を押さえる要衝と言えるだろう。

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本丸への急傾斜

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畝状竪堀が明瞭に見える

 

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鉄塔の立つ本丸はL字型をしている

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遥かびわ湖を見渡せる

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建物の礎石も残っている

 主郭から二郭に降りる道があるが、ここを進んでみると二郭との間はかなり深い堀切(5m以上はあるだろう)で区切られており、ロープが垂らしてある。これをつかんで降りていくということになるのだが、ロープをつかんだところで現在の私は左肘の腱鞘炎のせいで握力がほとんどなくなっていることを思い出す。20代ぐらいまでの頃ならロープを頼りに谷底に軽快に降りていくことも可能だったろうが、今となっては増大した体重を軟弱化した腕力ではとても支えきれない状態になっている。無理は止めて引き返すことにする。

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主郭から二郭に降りようとすれば、最後は深い堀切に阻まれる

 一旦主郭から降りて下から二郭に回り込む。こちらも崖の中腹にわずかに道を切っているだけで足下はやや不安だが、上から回り込むよりは安全性が高い。

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無理をせずに下から回り込むことにする

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先ほどの堀切を下から見る
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こちらもそれなりにひどい道を回り込むことにはなる

 ようやくたどり着いた二郭は主郭よりは狭いがそれでもそれなりの面積はある。また周囲は土塁や切り立った崖に囲まれていてかなり守備の固い曲輪である。土塁の欠け目からロープが下がっているのだが、どうやらこれで下の三郭に降りろということのようだが、高さは先程の主郭の時の倍以上はありそうだし、険しさもかなりのもの。これはとても無理と言うことで引き返す。

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二郭に到達

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主郭方面を振り返る

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下の三郭へはかなり深いところをロープ伝いで降りることになるので断念

 引き返すと北曲輪群の見学へ。この手の山城は尾根筋伝いが防御の弱点となるので、その方向に尾根筋を断ち切るために設置された曲輪である。ここも主郭との間にはかなり深い堀切があり、もしこの曲輪を落としたところでやはりここから主郭を攻めるのはかなり困難だろうが、念には念を入れた防御の構えというところか。。

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本丸裏手の北曲輪群登り口

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本丸との間はこの堀切

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北曲輪群の小曲輪

 下から見た時には標高もそう高くないと感じたのだが、主郭周辺の険しさはかなりのもので、かなり堅固な城郭という印象を受けた。全体的に見所も多く、これは私撰100名城Aクラス相当と判断できる。

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西館を下から

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西館にある井戸

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ここが大門

 帰りは西館から大門を経由して大手道を降りてきた。そのまま降りてくるとテニスコート脇に出てきた。どうやら私は最初に球場の方向に向かったのだがそれが間違いで、正解はテニスコートの南の道を真っ直ぐ進み、農業用フェンスに沿って直進するコースだったようだ。どうももらった地図の記述の仕方が紛らわしかった。

 

敦賀温泉リラ・ポートへ

 久しぶりに本格山城訪問でかなり汗をかいた。やはり次の目的地へ行く前にどこかで汗を流しておきたい。そこで敦賀のリラ・ポートに立ち寄ることにする。ここは北陸トンネル掘削時に湧き出した温泉をそのまま温泉施設にしたという施設。リラ・ポートは北陸自動車道の敦賀ICの近くの山沿いにある。ちょうど北陸自動車道を目の前に見下ろす形になる。

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リラ・ポート

 入浴券を購入すると早速入浴。ここは高温槽と中温槽があるが、それぞれ湯が違う。高温槽は北陸自動車道掘削時に湧き出したアルカリ単純泉。ヌルヌル感が結構ある湯である。中温槽の方は1500mの地下からくみ上げたというナトリウム炭酸水素塩泉。こちらはヌルヌル感にややネットリした感触が加わる。施設としてはこれらの内風呂にプラスしてサウナと露天風呂がある。

 施設の雰囲気はスーパー銭湯そのものなのだが、湯は意外なほどに本格的である。入浴料金1000円というのがいささか高めだが、その気になれば一日くつろぐことも可能ということを考えればマズマズか。立地については便利なのか不便なのか微妙なところ。

 入浴を終えると昼食もここのレストランで摂っておくことにする。注文したのはとんかつの膳。福井名物ソースカツ丼を意識してか熱々の鉄板に乗ったとんかつにソースをしっかりかけるタイプ。なかなかにうまい。またとんかつに敷いてあるキャベツが意外にうまい。CP的には今ひとつだが観光地であることを考えるとマズマズであろう。

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レストランでとんかつの膳を頂く

 汗も流して昼食も終えたところで次の目的地を目指す。次の目的地は福井県立美術館。ここで開催されている「ターナーからモネへ」展の見学が本遠征での美術館方面での主目的の一つ。今まで各地で巡回していたが、ことごとく予定が合わなくて行けなかった展覧会。それに北陸でご対面である。

 北陸道をしばし北上して美術館へ。結構観客が来ているようで美術館の駐車場は車で一杯の状態。私はたまたま幸いにして近くの駐車場に駐車できたが、もっと遠いところに回された者もいた模様。

 

「ウェールズ国立美術館所蔵 ターナーからモネへ」福井県立美術館で5/27まで

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 18世紀西洋の風景画からはじまり、その影響を受けつつ独自の風景画世界を確立したイギリスのターナー、その後に開花した写実主義絵画、そして前衛絵画であった印象派、一方で当時の主流だったアカデミズム絵画にラファエロ前派など、さらにはポスト印象派といった西洋絵画史の流れに沿った作品を展示。目玉はターナーの作品数点とモネの代表作の一つ「サン・ジョルジョ・マッジョーレ」。

 なかなかに有名どころの作品を押さえてあり、それなりに見応えがある。個人的には印象に残ったのはミレーの「突風」。ありえない劇画的な突風の描き方が面白い。また意外にアカデミズム系絵画に良品あり。

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 以前にターナー展を見た時に、ターナーの晩年の作品がモネの晩年のようだと感じたことから、「ターナーからモネへ」と題していたのはその辺りの関わりを解説するのだと思っていたが、単にターナー時代からモネ時代という意味で、実質的には「英国ウェールズ国立美術館展」だった。

 

 なお今回はたまたま学芸員による作品解説があったので非常に分かりやすくて参考になった。この手のイベントは作品に対する理解を深めるのに役に立つのだが、時間がかかるのが難点。結局はこの日もここで1時間以上を費やすこととなった。なお学芸員によってはかなり見解が偏っている場合もあるのでそれは要注意。

粟津温泉法師で宿泊

 展覧会の鑑賞を終えるともうそれなりの時間。今日の宿泊先へ移動することにする。今日は加賀温泉郷の粟津温泉で宿泊する予定にしている。福井から加賀温泉までは1時間以上かかる。意外に距離があるもんだ。粟津温泉に到着した頃には夕方頃になる。

 宿泊ホテルは法師。歴史と格式のある由緒正しいホテルらしいが、今となってはやや老朽化が随所に見え、安ホテルにもなれず、かと言って高級ホテルで押し通すのもしんどいという微妙なところになっている雰囲気。で、私がここを選んだのも微妙に割安なプランがあったから。

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粟津温泉を代表する大ホテル法師

 チェックインの前に中庭を鑑賞しながらの呈茶サービス。この辺りには格式を感じる。通された部屋は中庭に面したなかなか良い部屋。ホテルは複数の建物がこの中庭を環状に取り囲むという独特の構造をなしている。

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ロビーから中庭を眺める

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部屋も落ち着いた雰囲気

 部屋に荷物を置いてホッとしたところで大浴場へ入浴に行く。大浴場は巨大な内風呂とやや小ぶりの露天風呂が併設された、この手の大型ホテルでは一般的な構成。泉質はナトリウム-硫酸塩・塩化物泉とのこと。ややベッタリした感触の湯だが、特別に強い浴感はない。湯としては先程のリラ・ポートの方がインパクトはあったか。

 

粟津温泉街散策

 入浴を終えた後は買い物も兼ねて町中に散策に出る。粟津温泉自体は歴史もある温泉地のようなのだが、古来からの温泉地の常でやや寂れムードも漂っている。廃墟になったホテルなどがあったりするのがまた印象が悪い。恋人達の聖地があったり、新しく交流広場を作ろうとしていたり盛り上げの手を打っているのは分かるが、果たしてそれが功を奏するか。そもそも加賀温泉郷は山中温泉、山代温泉などもあり最初から過当競争気味だし、昨今は大阪を中心とした近畿地域が経済的にも今ひとつ低調なので、それも影響しているだろう。やはり抜本対策としては日本全体での地域振興が必要なのであるが、トップがお友達に便宜を図って偉そうにすることしか頭にない無能では・・・。

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粟津温泉総湯

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粟津演舞場

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恋人たちの聖地・水の広場
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「?」なセンスの顔出し看板の裏は絶賛工事中

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こんな広場が完成予定だとか

 温泉街を一回り散策して戻ってきたらそろそろ夕食である。夕食は4階の宴会場で会席料理。品数もあり、それなりに美味いのではあるが、特別な驚きはないというのが本音。どうしても可もなく不可もなしの普通の会席である。また全体的にサービスがドタバタギクシャクしてるのが気になるところ。格式を守り切るか、サービスを切って価格を下げるかという二者択一にいずれ迫られそうな気がする。それを失敗したら、いずれは大江戸温泉か伊東園なんかに買収されてしまう恐れも・・・。

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夕食メニュー

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懐石料理
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 夕食を終えて部屋に戻った頃から下半身の強烈な怠さに襲われる。今日は既に1万4千歩を超えている上に山城込みであるから相当にダメージがあるはずである。明日動けなくなると困るので、大浴場に繰り出して足を良くほぐしておくことにする。

 夜になると疲れがどっと押し寄せてくるので、この日もやや早めに就寝する。