徒然草枕

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転生したら尼子家の軍師になっていた件

新年第一弾はいきなり与太話です

 新年おめでとうございます。皆様は良い初夢を見られたでしょうか? 今年は私も初夢を見たようでその内容を覚えているのですが、これがまたかなり突飛で解釈に苦しむような内容だったので、与太話としてここに掲載します。

 まずは話の始まりですが、私は役所の地域振興支援部署のアドバイザーのような仕事をしていることになっています(この設定自体が私の現状とは何の接点もなくて、あまりに唐突なのですが)。そして地域産業の振興策や地方にIターンで移住したいというような若者の相談を受けたりしていました。そこに「領地経営の今後の方針・戦略のアドバイスを欲しい」と訪れてきたのが尼子家の殿様でした(もうこの時点で完全に時空を超越してしまっているのですが、その辺りはいかにも夢と言うべきでしょう)。

 尼子家の現状はというと、毛利からの圧迫を受けていて下手をすると滅ぼされる可能性があるとのことで、まずは国力の充実が必要であるという話になり、そのために私はいくつか献策をしました。

 

 

殿様に対しての献策内容

 まずと当面の脅威である毛利氏に対しては、毛利は明らかに強国であるので正面からそれに対抗するのは分が悪いということで、とりあえず当面の毛利の圧力をかわすための献策を行いました。それは毛利に対しては徹底的に専守防衛策を取り、当面は毛利に対してこちらからの侵攻は行わないという和議を行い、その上で毛利の関心を九州方面に集中させるように画策する。そして大友家とぶつかるように策略を巡らせるという戦術。

 そして時間を稼いだ間に山陰交易ルートを活性化して、とりあえず貿易を振興して経済力をつける。そしてその収益で最新兵器を導入し、とりあえず尼子家にとってのドル箱であるところの石見銀山を毛利から死守出来るように銀山を要塞化するという防衛策を提案。

 さらに今後の尼子家の方針としては西ではなく機内周辺の豊かな土地を支配下に収めて国力を増すという戦術をとり、当面の攻略目標は丹波の波多野氏である。

 以上を実現するためには人材の充実が必要、そのためには広く人材を募る必要がある。特に尼子家が充実させるべき人材は、武将については尼子十勇士などの人材は既に揃っているので、むしろ国力を充実させるべく経済官僚に力を入れて登用するべき。

 

 

そして尼子家の軍師に

 などなどを尼子の殿様に献策したところ、尼子の殿様から「是非とも当家に仕官してその構想を実現化の方向に向けて実行頂きたい」と尼子家に軍師(確か夢の中では「アドバイザー」と名乗っていたはず)として迎えられることになりました。

 そして尼子家の軍師となった私は、早速毛利家と大友家に極秘で使者を送り、先ほどの外交方針を実現するための手回しを実施、さらに交易のためのルートを確立するべく貿易港を複数整備させると共に、越前の朝倉氏や越後の上杉氏などと交易の取り決めをし、さらには朝鮮半島にも使者を送って朝鮮を通じての海外交易のルートも開拓、そしてそれらの支払代金となる石見銀山の防衛力強化を命じる。

 さらには人材登用のために自ら仕官を希望してきた者達の面接を実施する。その中の一人で「中央での争いに疲れたので、もっと地方で着実に農業を中心に地域振興の取り組みを行いたい」と希望している40代ぐらいの人物と話をしている・・・というところで目が覚めました(笑)。

私の尼子家との接点と言えば、これぐらいしか思い浮かばない

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例によってあまりに突飛すぎて意味不明

 まああまりに突飛な内容だったので、初夢の内容の解釈に苦しんでいる次第です。「一富士、二鷹、三茄子」などと申しますが、そんなのとはあまりにかけ離れている上に、そもそも私の現実と接点がなさ過ぎです。本ブログの私のプロフィールのところで軽く触れているように、確かに私には「これからの日本を何とかするためには衰退している地方を活性化する方策が必要」という考えはありますが、具体的に何かそれに関連する仕事をしているわけではなく、現実は私は某メーカーのロートル研究員に過ぎません。

 またそこから尼子氏に飛ぶというのが唐突すぎ。まず私は尼子氏に対して思い入れは特になく、そもそも尼子氏の興亡ついての知識はほとんどないです。だからそもそも私の元を訪れた殿様が、尼子氏の誰かも定かではないです。だから年代等の設定が全く不明です。そういうわけなので私が尼子の殿様に献策した内容は、一応は筋が通っているように見えても、恐らく戦国マニアの方が検証したら「いや、それは年代的に矛盾がある」とか「どう考えても実行は無理」と一笑に付される内容のような気がします。

 そういうわけですので、そのまま転生小説にするにあまりに内容の整合性に無理がありそうです(笑)。とりあえず起床した私は、まず第一に「なぜ尼子氏なんだ・・・」と首をかしげたということを報告しておきます(笑)。明智光秀の側近にでもなって「殿の大望を実現しようと思えば、羽柴に警戒をしておく必要があります。また細川は恐らく肝心なところで日和見するでしょうから信用ならないです。」と全力で諫言するって内容なら理解出来るが(笑)。

 

 

PCには何かと振り回されることが多くて・・・(愚痴)

PCの進化の早さに取り残された悲しいロートルジジイ

 今回は私の本業に纏わる愚痴である。私の本業を大雑把に説明すると、日常的にワークステーションなどをゴリゴリと動かして計算シミュレーションを行う仕事である。自らプログラムを構築したり、システムを設計や管理するというタイプの仕事ではないが、コンピュータには日常的に触れることになる。それだけに自身でもコンピュータに対する感度は比較的高いつもりだったし、実際に十数年前はPC自作などに明け暮れて、自作PCに関するHPの運営なんかもしていた。その頃は「Pen4がどうこう、AMDのAthlonがどうこう」などというハードなオタク会話なんかもしていたわけである。

 しかしやがてメーカーPCの価格低下によって自作PCの意味はなくなってきて、あれだけ全盛だった自作PCブームは急速に萎み、私自身も自作PCからは離れてプライベートのメインマシンにもHPのワークステーションを使用するようになると共に、PC界の最新アーキテクチャーについての知識が急速に無くなっていき、気がついたら「Core2DUOって何?」というロートル親父になってしまっていた。

 特にわけの分からんのが規格がやたらに入れ替わること。USBなんて一体何種類あるんだというぐらい入れ替わって、今はC-Typeだとか。果たしてこれもいつまでという感である。

こんなものいちいち覚えてられないUSBの種類(出典:パソコン工房HP)

 さらに激しいのがディスプレイとの接続。私が自作PCをしていた頃はVGAが通常だったが、それがDV-Iが出て、その後にDisplay、そして今はHDMIと乱立である。おかげでディスプレイと繋ごうとしてもケーブルがないとか、変換器具を購入しないといけないとかで散々、また昔使っていた周辺機器が接続形式の関係で使えなくなるなんてことも日常茶飯である。

 

 

社内のIT推進で振り回されてドタバタ

 さて本題になるのだが、私の勤め先も随分昔からPCが1人1台の体制になっていたが(実はそうなるまでにもいろいろあり、私の若い頃なんか手書きのレポートを何十回も最初から書き換えさせるのが仕事だと思っていた無能上司を排除して、レポートにワープロ、プレゼンにパワーポイントを導入させるまでに相当の苦労があったのだが)、その頃はA4ぐらいの大きめのノートPCを1台ずつという体制だった。しかし時代も進み、ノートPCも出張などを想定した小型のモバイルPCに変更するというお達しがIT部門から回ってきて、本日そのPCが配布された次第。

 元々はこのA4ノートですべてを済ませる前提となっていたのだが、私の信念は「デスクトップはリアルもバーチャルも広いに限る」で、プライベートでは5台のディスプレイを使っているぐらいである。


www.ksagi.work この時にディスプレイを5台にした

 そこでメインの仕事用のワークステーション用に使われていて、マシン更新後にお蔵入りしていた27インチのHPのディスプレイを必張りだしてきてVGAで接続して個人的に使用していた。当然のことながらノートPCのキーボードやポインティングデバイスなんかは使い物にならないので、マウスと外付けキーボードをUSBに、そして最近増えたwebミーティング用のインカムやカメラもUSBに接続していた状態である。

 

 

小型ノートは周辺機器の接続の問題がある

 しかし小型ノートとなったことで接続デバイスが全変更になった次第。今度のノートはディスプレイ接続がHDMIで、USBは従来タイプは2口のみで、後はC-Typeになっている。私が今使用しているディスプレイを確認したところ、幸いにしてHDMI端子はついているがケーブルが付属していない。USBを増やすためにHUBの増設が不可欠だが、そんなものは支給がない。というか、そもそもUSBのC-Type搭載のPCなら、ドッキングステーションでも使用して、すべての機器の接続はそこからというのが普通の考え方だと思うが、それも支給がない。

     
今はUCB-Cにこういうのを接続してオールインワンというのが主流

 それにしてもケーブルの選択1つでも大変である。USBなんて同じA-Typeでもminiがあったりとかで、今まで何度も買い間違えて無駄なケーブルが家に転がっているが、HDMIなんかでも比較的最近にモバイルノートのモバイルディスプレイ増設などのことをやっているからまだ分かるが、そういうことでもなかったらチンプンカンプンになりかねないところ。大分最新のPCに疎くなってしまったのを痛感する。

www.ksagi.work この経験がなかったら、HDMIの種類なんてチンプンカンプン

 

 

しかし実は一番の敵は内にこそあり

 結局は諸々の機器を買い足さないとまず仕事に取りかかれないという状況になった次第。しかしここで一番難儀なのがPC周辺機器の購入の伝票処理。まずPCに接続する機器はセキュリティの関係からケーブル1本に及ぶまでIT管理部門の承認を得る必要がある上に、購買伝票処理が極めて煩雑。しかもここ数年の会計システム変更に伴って、伝票処理ルールが二転三転していてその方法は把握出来ていない上に、予算番号までも変更多々で、今私の使える予算番号は何番なんですか? という状態。

 まあこういう状態に戸惑っているのは私一人に限った話でなく、結局はあまりの煩雑さにケーブルなんかは自分でAmazonでチャッチャと購入して、寄付してしまっているという者が少なくないとか。効率化のためのITのはずなんだが、IT化で余計な手間が増えた部分もある。

 

 

テレビドラマを製作する話(与太話)

与太話でゴメンナサイ

 今回は私が見たあまりに突拍子もない夢についての与太話なので、「なんだ、業界関係者のドラマ製作の裏話でも聞けるかと思ったのにふざけるな!」という方はどうぞお帰りください。「まあ暇だし、お前のくだらない与太話に少し付き合ってやるわ」という方だけどうぞ。またクラシック関係、山城関係などの記事を期待していた方はゴメンナサイ。夏休みでコンサートネタがないんだとお許しを。

 夢というのは日常生活の記憶とか、もしくは日頃から持っている願望とか恐れなどが原因で見るとか言うので、大抵は何かキッカケになる事実がありそうなもんだが、私が今回見た夢はあまりにも私の現実生活と何の接点もなかったから驚いたというところ。ザクッと内容を言うと、私がある新ドラマの企画・監督を担当することになったという夢である。

 

 

やけにディテールにこだわった作品のようで・・・

 私自身、監督することになった作品がアニメならまだいくらか分からないではないが、なぜか実写ドラマというのが驚き。で、その内容であるが、ある組織に父親を殺された少女がその敵討ちのために父の弟(叔父)の元で特訓をして、組織と戦うという内容。イメージ的にはスケバン刑事がモチーフではと思うが、それとも内容は違う。

多分基本イメージはこれだと思うが、そもそも私はこの作品を見てない

 ここでポイントの一つが少女が使用する武器だが、一般的にはヨーヨーなんかが多いが(まさにスケバン刑事)、それではスケバン刑事の亜流と見なされるからと私が提案したのがなぜか巻き取り式の金属製メジャー。通常のメジャーよりも一回り大きめの鋼鉄製メジャーを敵に投げつけて戦う。そしてメジャーだから投げた後は再び戻ってくるというギミック。アクションとしてはヨーヨーに近いんだが、ヨーヨーと違うのはメジャー自身が刃物になっているから、単にぶつけるだけでなく相手の首筋近くをピューと通過しながら首筋をザクッとやれるというのが特徴。

武器はこれの一回りデカい物で本体が鋼鉄製

 さらにこのメジャー、接近戦時には30センチほど引き出して引っ張るとロックがかかって硬度が増す(この原理は不明)ので、小刀のような使い方でザクザクと敵に斬りつけることが可能。もっと間合いの近い0距離戦になったら、指穴(本体に開いている)に指を通してメリケンサックのように使用することも可能という特殊ギミックがある。

 ちなみにヒロインの武器をメジャーにしたのは、そもそも彼女の父親は世界的な建築家であり、彼女自身も学校で建築設計を学びながら将来は父のような立派な建築家になることを夢見ていたという設定があるから。

 

 

いざ撮影で大問題が発生というオチでした

 ドラマ製作のために私はまず鍵となる小道具であるメジャーの製作のために、文房具製作を手がけている中小企業を訪問、そこの社長にメジャーの内容について説明して製作を依頼する。さらにヒロイン募集のオーディションを実施して、運動経験があってある程度のアクションには対応出来そうな10代の少女を採用。また戦闘シーンでは遠距離戦は映像で処理するが、近距離戦は殺陣が必要なので殺陣師と内容について打ち合わせをする。

 こうして準備万端を整えて、いよいよ撮影初日ということになる。しかし撮影所に「よろしくお願いします」とやって来た少女を見ると、明らかに想定よりも幼すぎる(大活躍していた頃の芦田愛菜ぐらいの印象で、どう見ても小学生~中学生ぐらい)。「えっ、こんな子だったっけ?」と絶句してスタッフと顔を見合わせる私。「困ったな・・・本人の演技力と撮影テクで少しは大人びた印象で撮ることは可能だが、殺陣の時の身長不足はどうしようもないぞ・・・」とスタッフと頭を抱えているところで目が覚めた(笑)。

 

 以上、あまりにも私の実生活と接点がなさ過ぎる突飛な夢なんだが、突飛な割にはストーリーが通っていたので驚いた(笑)。それにしてもなぜこんな夢を見たのかは未だに謎。予知夢であるわけもなく、また何らかの警告とも考えられんし(私は何かのプロジェクトを担当するようなエリート社員でもないので、担当選定に失敗するとかそういう余地もない)、実写ドラマを製作したいというような願望もないし(もっとも今時のつまらん作品だったら自分でも作れるのではと思ったことはあるが)、そもそも業界自体と何の接点もない。謎は深まるばかり・・・。

 

 

どうする家康 第2話「兎と狼」

何やら怪しい関係の信長と家康

 突っ走っている現代劇「徳川家康」ですが、相も変わらずあり得ない事実を次々と捏造してきます。やはり作品的には岡田准一の顔見せが必要と、わざわざ家康の元に現れる織田信長。家康は織田家での人質時代にいじめっ子信長に散々いたぶられて、骨の髄まで信長の怖さが身に染みついている模様。それにしても信長はいろいろな描き方をされますが、今回の信長はヤンキー度が一番高い。親父のライダー1号に刀をぬいて立ち向かうというこれまたあり得ないことをやってくれます。この信長が何やら家康に歪んだ愛情を持っている模様で、かなり歪な形ではありますが、今流行のBLを少し匂わせている。最近のNHKってこういう要素は不可欠なんでしょうか? そう言えば歴代最低視聴率と言われて平清盛でも、平氏の頭領と源氏の頭領がBL的展開をしていた前半は意外と好調でした。あのドラマが視聴率低下していったのはそういうのがなくなって以降。特に後半に清盛が暗黒変して、バニーちゃんこと兎丸あたりまで粛正された頃から視聴率はボロボロになったとか。

     
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 ちなみにNHKでBLといったら外せないのが、一昨年の正月ドラマの「ライジング若冲」。若冲の若き日を描くドラマと聞いていたら、中身はもろにBLそのものでした(笑)。おかげて私のブログにも「若冲 BL」のキーワード検索で来る人が続出で、危うく私のブログがBLブログに分類され掛かったというオチが・・・ん、これ以上触れていたらまたそっちに分類されかねないから、この話はこの程度にしておきますか。

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切腹を考える家康・・・しかし誰も止めない(笑)

 さてとりあえず信長はデモンストレーションだけしてから去り(そういう行動自体があり得ないんだが)、家康は這々の体で岡崎に逃げ帰る・・・と思っていたら、当の家康は「お前らの妻子は岡崎にいるかもしらんが、ワシの妻子は駿府だから、駿府に帰る」などと我が儘を言っております。その挙げ句に「岡崎なんかよりも駿府の方がずっと良い」という家臣達が思わず肩を落としてしまうような本音を。さすが本作の家康はトコトンへたれです。史実では、岡崎の城代が逃げ出したのをこれ幸いと、さっさと岡崎城を乗っ取ったはずなんですが・・・。

 しかし岡崎まで行ったところで、同門の裏切り者が出て、とにかく信じようと言った家康はまんまと欺かれて家臣は負傷を追って這々の体でお寺に立て籠もり。なかなか情けない状況ですが、ここのお寺の住職が里見浩太朗ですから、何かこの住職一人で数百人程度の軍勢なら叩っ切りそうな迫力があるのですが・・・。こんなちょい役にここまでの大御所使えるなんてのはさすがに腐ってもNHK。これで後は家康が「家康です」と北大路欣也にバトンタッチしたら、1万ぐらいの軍勢でも一掃しそうだが。

 史実では岡崎に戻ってきたものの将来の展望がなくなった家康は、先祖の墓の前で切腹しようとするのだが、そこを住職に説得されて翻意することになってる。しかし歴史的事実はドンドンとドラマのために捏造するのが本作。何とここに現れたのが、主君に対してため口で話すというあり得ないホンダム。挙げ句の果てが「介錯してやる」と来たもんだ。何やら石川数正も遠くから様子を覗っているだけで止めようとしないし。いやー数正、あんた家康を裏切るのはまだ数十年早いんと違うか・・・。

 

 

やけくそになって開き直った家康だが

 で、切腹しようとしていた家康だが、介錯してやるとまで言われたらかえって決意が鈍った模様。どう見ても葛藤の中身が「いや、ここは死なないと立場なさそうだけど、これをぐさっと腹に刺したら痛そうだな・・・」って雰囲気がある。さすがに「へたれ家康」。やっぱりこの作品のOPテーマって山本正之の方がピッタリだわ。

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やっぱり今回の大河のOPはこれの方がピッタリ

 結局は死ぬ気になって開き直って、ハッタリで裏切り者共を圧倒して岡崎城入りした家康。家臣連中は「おっ、殿がついに覚醒した」と感動していた模様で、あの単純バカのホンダムなんかも「うん、こいつを主君として付いていっても良いかも」なんてことを考えたのが滲んでいる。それどころかお寺で居候していた榊原康政まで付いていきそうです。後に徳川四天王に挙げられるのが彼ですが、出自は低い身分ということになってます。城に入った家康は、この岡崎を拠点にして三河をまとめるぞと家臣の意気を上げていたが、その裏で例によって「どうしよう」になっているというお約束。

 と言うわけで相も変わらず「軽い現代劇」ってことは否定できないところだが、まあ今のNHKにかつての重厚な大河を求めるのは到底不可能だろう。同じ軽さでも、まだ三谷幸喜に比べるとまともな方ではというのが私の評価。

 

 

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どうする家康 第1話「どうする桶狭間」

いかにも今日的な「英雄でない家康」

 今年の大河ドラマは家康とのことだが、とにかく今まで散々取り上げられた題材だけに、同じような描き方ではさすがに通用しないと切り口を変えてきたようです。タイトルから覗えるように、どうやら今回の家康は押し寄せる状況の中で翻弄されて「どうする」を突きつけられて四苦八苦する若者の姿として描く模様。まあ第1話を見ている限りでは「どうする家康」というよりは「へたれ家康」って方がピッタリのようですが。

     
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 なおどうも最近の大河OPはパッとしないのが多いですが、今回のは極めつけですね。1回聞いても何も頭に残らない。正直なところ山もサビも何もない音楽です。実は今回の内容を見ていて、私の頭の中に流れていた曲は一曲ですね。山本正之の「戦国武将のララバイ」。「ホントはのんほい」って感じだからな。実際「侍稼業が嫌じゃった」というのはもろに実感があるし。聞けば聞くほどピッタリだ。

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今回の大河のOPはこれの方がピッタリ

 

 

今川義元が良く描かれたのって今回が初めてでは?

 桶狭間って、確かに家康は敵中孤立で危機一髪に陥ってるんですよね。最前線の大高城に兵糧を輸送する任務に成功して、そこで一服しながら義元本隊の到着を待っていたらまさかの義元討ち死に。全軍総崩れになる中で岡崎城まで這々の体で撤退。もはやこれまでと切腹まで考えたが、止められて思い直すという。

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 その辺りは以前に歴史番組のネタにもなってます

 それにしても今回はチョイ登場しただけの義元がかなり良い描き方をされていた。息子の氏真にしても、ありがちのバカ息子という描き方ではなかったようだ。もっとも家康はこれから氏真と対立することになるので、その辺りは若干微妙な描き方にはなっていたようだが。なお家康は幼少期から過酷な人質生活を送ったとされているが、それは後に家康が大英雄になってからの脚色がかなりあり、実際には今回義元が「我が息子」と言っていたように、将来氏真を支える有力な側近として育成するつもりでいたから、人質と言いつつも客分扱いで、立派な家庭教師(義元の参謀だった太原雪斎)もついて英才教育を施されている。と言うわけで実のところは家康は今川氏に対してはそれほど悪感情を抱いていた様子はなく、実際には何だかんだで氏真の面倒を最後まで見て、氏真は家康の客分的な立場でそれなりに人生を謳歌しているのである(彼は大名の地位を離れて文化人として生涯を終えたが、ある意味でそれは彼の本分である)。

 この辺りは本作ではかなり意識していて、ナレーションが「それは辛く苦しい人質生活を送っておりました」の直後に、家康が脳天気にキャッホーと現れるところに全て象徴させている。この辺りは今回で一番「上手い」と思った演出かな。一応「今までの定説や伝説をぶち壊す」という意志を感じられた。とにかく家康ってなんだかんだいいながらも駿府でそんなにひどい苦労したり虐げられたわけでもない。だから駿府に対してはむしろ「懐かしい」という感情を持っていたのは分かる。そうでないと晩年に今川氏の駿府城を拡張して駿府に移ったりなどはしない。

 

 

方向性は分かるんだが、今風過ぎて軽すぎるのはどうか

 なんかそういうところも表現していたのは確か。三河に戻った時、回りの連中は「殿がお戻りになられた」と大喜びだが、当の家康は「何だ? この田舎くさくて貧乏くさいのは」と戸惑っている様子をもろに出していたが、まさにそれが本音だったのではと思える。伝記の類いだと「家康はこの時に、苦労しながらも将来を見据えて必死で耐えていた家臣達の姿を見て、自分が三河の君主として自立する覚悟を決めた」というようなことになっているが、本音は本作のように「重すぎる荷物を背負わされてもな・・・」ってところだったのでは。実際のところ家康は回りから担がれてNo1にならざるを得なかったけど、彼の本来の性格から見たら優秀な主君の元で家臣として忠勤に励むの方が向いていたし、本人もその方が良かったのではという気もする。

 で、今回のドラマであるが、家康を非英雄の観点から描いたのは今日的。もう既にまともな時代劇を撮るだけの技術がなくなったNHKは完全に開き直ったか、あからさまな現代劇として撮っているというのはここのところの流れ。気になったのは一番最初の登場の時の家康は完全な子供の時だが、それを松潤でそのまんまやってしまったので、さすがに人形持って「ブーン」だと、頭の可哀想な奴に見えてしまって・・・。伝説の暗黒大河「江ちゃん10才」を思い出してしまった。幸いにしてお馬鹿家康が数分で終わったのは救いであったが。

 まあ今回見た限りでは、かつての重厚な大河に比べると比較するのもアホらしいぐらい劣化しているということは完全肯定の上で、一応ギリギリ「あり」かなというところ。流石に本当にギリギリだから、あまりにファンタジーしすぎるとその一線を越える可能性あり。今回もホンダム登場の下りなんて「そんなアホな」ってエピソードだったから。

 

 

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2022年度クラシックライブベスト5

 さて年末恒例企画の年間ベストライブ。昨年まではコロナの影響でほとんどライブに行けなかったことからかなり無理矢理チョイスになってましたが、今年は以前ほどではないまでもそれなりのライブを体験できたので、ようやく通常の形式に戻すことにします。例によってまずはベストライブ5から。なおあくまで私の独断と趣味に基づいたチョイスですので、異論反論は多いにあるでしょうが、そこはお許しを。

 

 

ベストライブ

第5位
ジョン・アクセルロッド指揮 京都市交響楽団

 「復活」におけるやや抑え目に始まる第一楽章から、最終盤に向けて徐々に音楽を盛り上げていって、最後にクライマックスを持っていくという全体を通じての設計が実に見事。第一楽章を聞いた時点ではいささか不完全燃焼感があったのが、全曲が終わった時の見事なまでの感動に置き換えられてしまった。アクセルロッドは京都市響とこれまでも数々の名演を披露しているが、特に「復活」のこの見事な全体構成は圧巻であった。

 

第4位
アンドリュー・マンゼ指揮 NDR北ドイツ放送フィルハーモニー交響楽団

 若いドイツオケであるNDR北ドイツ放送フィルハーモニー交響楽団を、率いるマンゼは熱血ハゲ親父と言うべき躍動感溢れる指揮。この指揮の元に、オケは若さ溢れる、それでいてドッシリと安定感のある名演を繰り広げた。パワー溢れるエグモントに躍動感のある「英雄」は実に見事、またソリストにオピッツを迎えての堂々たる「皇帝」も印象深い。

 

第3位
シャルル・デュトワ指揮 大阪フィルハーモニー管弦楽団

 3年前に大フィルを率いて圧巻の「サロメ」を演奏したデュトワが、コロナによる2回のキャンセルを経て復活した。前回には大フィルのサウンドを一変させてくれたが、今回もデュトワが振るだけで大フィルが信じられないような艶っぽい演奏を繰り広げた。第一曲目のやけに色っぽいハイドンはいささか笑いが出そうになったが、ラストの「ペトルーシュカ」はもう圧倒されるまでのデュトワマジック炸裂。煌びやかにして鮮やかな演奏はいかにも忘れがたい。

 

第2位
クラウス・マケラ指揮 パリ管弦楽団

 ゴージャスなパリ管サウンドを自在にコントロールするマケラの達者ぶりが光ったライブ。序盤はあえて抑え気味に、後半に向けて盛上がる構成をしていたのは実に巧み。ラストの「春の祭典」はまさに見事としか言いようのない演奏。あのヒョロイ身体のマケラのどこからそんなパワーが溢れるのかと驚かされる熱演。またいくら煽っても決して雑にはならず、艶やかさを失わないパリ管は流石。

 

第1位
サー・サイモン・ラトル指揮 ロンドン交響楽団

 流石にロンドン響サウンドはもうその音色で魅了してくれる。それを十分に活かした上でスケールの大きなブルックナーを聞かせてくれたラトルは見事である。巨匠の域に踏み込んだベテランの技。とにかく決してブルックナーが得意ではない私を納得させて心酔させ、最後まで陶然とさせる名演奏であった。相変わらず「ロンドン交響楽団にハズレなし」である。

 

番外
METライブビューイング ケルビーノ「メデア」

 音楽は素晴らしいが、演じられる歌手が存在しないと言われていたメデアが、ソンドラ・ラドヴァノフスキーという最強の演者を得て、METで満を持しての初上演という触れ込みの問題作。しかしその前宣伝が過剰とは思えないだけの圧倒的な内容で、最後まで息をもつかせぬ舞台であった。今まで多くこのシリーズを視聴してきたが、ここまで魅了されたのは初めて。

 

 

ワーストライブ

 本年も多くの名演があったが、その影で数々のライブの中には私が首をかしげるようなものも。そのようなライブをリストアップ。

第3位
ユルゲン・ヴォルフ指揮 関西フィルハーモニー管弦楽団

 かなり個性的な高速第九だが、煽りすぎてガチャガチャしたいかにも落ち着きのない演奏となってしまい、関西フィルの持ち味が全く発揮されなかったと感じた。やけに耳障りで情緒に欠ける演奏という印象だけが残った。

 

第2位
ロバート・トレヴィーノ指揮 大阪フィルハーモニー管弦楽団

 ブラームスの2番は今まで何回かいろいろな組み合わせで聴いたが、ここまで心に響いてこなかった演奏は初めて。ゆったり謳わせているのであるが、それが単にテンポが遅いだけで全く心に届かない、入ってこない。元々アッサリ目の大フィルサウンドをさらに素っ気なくした印象で、出汁の入っていないおすましのような感覚で極めて物足りない。

 

第1位
アンドリス・ネルソンス指揮 ボストン交響楽団

 これは賛否両論が明らかに分かれそう(というか、お前の耳は聞こえているのかという批判がありそうだが)。確かにボストン交響楽団の技倆は圧倒的で、そのサウンドは実に見事だったのだが、ネルソンスがそこから引き出した音楽はあまりにアッサリしていて、どうにも物足りない。特に苦悩の影が微塵もないショスタコーヴィチは違和感全開であり、最後まで肩透かし感を否定できなかった。恐らくプログラムがショスタコでなければ評価も一変した可能性があるが。

 

 

総評

 今年はそろそろ外来オケの来日公演も復活してきて、ベストに3つ、ワーストに1つが入ることになった。来年度はさらに増加しそうだが、懸念はアベノミクスの当然予想された副作用による円大暴落によるチケットの急騰と、政府の「自分達の利権のために庶民からは徹底搾取」政策による貧困化のダブルパンチ。私もその直撃で、老後の不安の中(というか、このまま行けば野垂れ死にほぼ確定)で、行きたいからとチケットを押さえまくるということは不可能であり、必然的に行動は抑制されるだろうと言うこと。本年度もベルリン国立歌劇場については、バレンボイムもその代演となったティーレマンも目下の私の評価がそれほど高くないのと、何よりもチケットが高価すぎることで見送った。

 というように、今後に不安が過ぎるところであるがとりあえず本年度について振り返ると、まずはロンドン響とパリ管が圧倒的であった。特にパリ管を見事にコントロールするマケラの若き才能には圧倒されたところ。さらにやはりロンドン響サウンドには完全に魅了された。「ハズレなし」のロンドン交響楽団が今後もその記録を更新していくかも興味深くはある。そして3位はやはり大フィルサウンドを一変させるデュトワ。あの淡泊な大フィルからあれだけの艶っぽいサウンドを引き出すのには驚いた。4位のNDR北ドイツ放送フィルハーモニー交響楽団はまさに予想外のめっけものというところで、良い意味での予想外れである。5位は昨年にも安定した名演を披露してくれたアクセルロッドと京都市響の組み合わせを。

 なお残念ながら圏外だが、ここのところ低迷久しい感があった日本センチュリーがカーチュンの指揮の下で名演を聴かせたのも印象深い。久石指揮のライブも反響は上々で、ようやくセンチュリー復活の目が出てきたかと期待させる。なお近いところで、スラットキン指揮のN響の名演も印象深かった。

 一方のワーストの方だが、ここではあえてネルソンス指揮のボストン交響楽団を挙げることにした。ボストン交響楽団のサウンドは見事の一言で、それを率いるネルソンスの統率も実に完璧であり、そういう演奏面での不満は一切ないのだが、それだけに「これがショスタコか?」という違和感は逆に大きくなって、最後までそれを埋めることが出来なかった。これは私とネルソンスの志向の違いと言えそうである。2位のトレヴィーノ、3位のヴォルフについても、恐らく私との志向の違いなのであろうが、とにかく私としては「響いてこなかった」ということを否定できず、こういう形の評価にならざるを得ない。

 

 

2023年度ベストライブはこちら

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2021年度ベストライブはこちら

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ベルリンフィルからのプレゼント2023

今年もライセンス更新時期が到来

 さてそろそろ年末になってきたが、この時期になるとベルリンフィルデジタルコンサートホールの登録更新がやって来る。で、この時期には年末年始特別キャンペーンとしてベルリンフィルからのプレゼントが付いてくるというのが例年の行事である。

www.digitalconcerthall.com

今年はストラヴィンスキースペシャル

 私もベルリンフィルデジタルコンサートホールの契約はこれで3年目に突入することになるが、最初は1万7000円ほどだった年間ライセンスが、前代未聞の大馬鹿経済政策アベノミクスの当然の帰結から来た円安のせいで、今年はついに1万9900円。来年は2万円を突破しそうである。そうなると考えどころだろうか。もっとももしベルリンフィルが来日したとしたら、チケット価格は1回で軽くこの倍ぐらい行きそうだが。

DVDとBlu-rayのセット

 

 

 とにかく後1年は更新することにして先日払い込みをしたのであるが、本日特典が到着した(初めて海外からのエアメールが届いた時には驚いたが、流石にもう慣れた)。

豪華ラインナップである

 内容はDVD2枚とBlu-ray1枚で、収録内容は同じである(ならBlu-rayだけで良いんだが)。今年はストラヴィンスキースペシャルということで、キリル・ペトレンコ指揮のバレエ《火の鳥》、詩篇交響曲、3楽章の交響曲にフランソワ=グザヴィエ・ロト指揮でディヴェルティメント、パーヴォ・ヤルヴィ指揮の幻想的スケルツォ、サー・サイモン・ラトルでバレエ《春の祭典》という豪華ラインナップである。

ペトレンコの火の鳥

 なお申込期間は2023年1月3日までであるが、例によってそれより先に特典ディスクがなくなってしまったら終了ということである(2年前には年内に特典が終了するということが起こった)。ですからその気がある方は急がれた方がよろしいかと。なおもう既に月額契約などをされている方の場合は、自動的に今回のライセンスが間に挟まれるという形になったはずである。

 

 

京都の美術館を回ってから、ネルソンス指揮のボストン交響楽団のコンサートへ

そうだ、京都に行こう

 翌朝は7時に起床。体がズッシリと重い。かなり疲労が溜まっているようである。とりあえず今日の予定であるが、フェスティバルホールでのボストン交響楽団が夜の7時から。それまではフリータイムであるが、平日を利用して京都の美術館を訪問したい。

 とりあえず入浴で身体を温めると、昨日買い込んでいたおにぎりを朝食として腹に入れ、軽く昨日の原稿をまとめてから慌てて荷造りすると早めに出発することにする。いつもならチェックアウト時刻ギリギリまで粘るところだが、今日は京都の美術館を多数回るつもりなのと、夕食のために大阪に戻ってくる必要があることからスケジュールが厳しい。最初の目的地である京都国立博物館の開館が9時半なのでそれに合わせて入館するつもりで行きたい。

 ちなみに夕食のために大阪に舞い戻る必要があるのは、今回は旅行支援を使用したプランを選択したので、平日特典の大阪PAYを3000円分獲得しているので、それを使用するため。この大阪PAY調べてみると、思いの外加盟店が少なく最初から使用する店を定めていないとしんどいことになる。そこで今回は既に夕食を取る店に目星を付けているので、そこに早めに戻ってくる必要があることになる。

 ホテルをチェックアウトすると最初の目的地の京都国立博物館へ一直線・・・のつもりだったが、朝の渋滞に巻き込まれてオロオロしている内に未だに慣れない阪神高速のせいで間違った道路に入ってしまって、途中で高速を下りて下道を名神道に向かう羽目になって大幅に時間ロス。しかも京都に突入してからも京都名物の秋の渋滞で四苦八苦。平日でこの様なら週末などは想像するとゾッとする。結局は予定よりも30分近く遅れて現地に到着。博物館の駐車場に空きがあったことから、そこに車を置いてまずは最初の展覧会へ。

京都国立博物館平成館

 

 

「京に生きる文化 茶の湯」

 京都で発祥して日本の特徴的な文化の一つにまで進化した茶の湯の歴史を追う展覧会。

 まず最初の茶の湯はそもそも中国から伝わってきたものであり、その頃は中国や朝鮮の名品を使用していた。その頃の茶器はいかにも中国的であって、デザインなどは非常に洗練されていて工芸レベルの高さも感じさせるものである。

 そのような流れがしばし続くのだが、そこに段々と日本独特のものが加わっていく。中国のものを真似したような器も日本で製造されるようになるのだが、そこで劇的な変化が発生するのが安土桃山時代の巨人・千利休の登場(彼は文化界における存在感だけでなく、身長180センチと実際に物理的にも巨人だったそうだが)。それまで薄手のやや大きめの茶碗から、一気に厚手の小振りな茶碗に劇的に変化する。私的にはこの辺りの茶器から急激に興味が増す。ここではさらにあからさまに変な織部好みの茶碗なども登場。当時の文化人は、これを「面白い」と感じる感性があったとうことで、考えようによれば現代人なんかよりも余程「芸術が爆発」としている。文化が成熟した時代であることがそのようなことからも覗える。

 もっともここで気付いたのは、茶碗は劇的に変化しているのに対し、茶入れは最初の頃から大して変化していないということ。この辺りは何やら面白いところである。

 織部亡き後は、小堀遠州の「綺麗さび」の世界などが現れ、洗練された美しさの世界に向かっていく。なお遠州の茶器を見ていて思ったのは、この人物はいわゆる「可愛い」ものが好きだったのではということ。今の時代に生きていれば、結構「萌え」とか「映え」っていっていたような気がする。

 さらに茶の湯を庶民レベルに広げた本阿弥光悦なども登場。茶の湯の文化が拡大すると共に、この頃には中国から煎茶道なども入ってきてこの世界が多様化していったようだ。

 明治になると西洋化の波の中で瀕死状態になりかけた茶の湯も、家元達の奮闘もあって今日まで命運をつないでいる。そのような現代の茶器なども最後に展示されている。

 私の好みの関係で、一番の興味が利休・織部の周辺に収斂してしまうのは致し方ないことであるが、今回茶の湯の歴史を概観して、利休がなした革命の意味が改めて理解できたことが大きな収穫。「利休はそれまでの唐物の中心の茶の湯を大きく変革した」と言葉では知っていても、それを実際に目の当たりに出来たことによって本当に理解できた。


 京都国立博物館を後にすると次は東山へ。ここの京都市美術館と近代美術館をハシゴの予定。これがまた途中の道路が混雑して往生するが、まあ問題なく現地入り、市立美術館の駐車場に車を置いて美術館へ。

京セラ美術館

 

 

「ボテロ展 ふくよかな魔法」京都市京セラ美術館で12/11まで

展示室へ

 コロンビア出身で独得のふくよかな人物画で知られている「ボテボテボテロ」ことフェルナンデ・ボテロの展覧会。

 彼の作品はユーモアに満ちていてなぜか笑わされるのであるが、初期作品についてはふくよかなのは変わりないが、何となくグロテスクさを感じさせるものもある。

初期の作品

 彼は人物画が有名であるが、人物画だけでなくて静物画なども描いている。もっとも静物画を描いてもなぜかボテボテである。

ボテボテの静物画

花瓶の三部作

 彼の描いた宗教画やメキシコを訪問して現地の文化に触れての作品なども展示されている。

彼が描くとキリストやけに肉付きが良くなる

メキシコでの楽士たちを描いた作品

 

 

 そして彼の一番有名なのが、数々の名画を彼流にアレンジした一連の作品群。ユーモアとアイロニーが効いた彼独自の世界が展開する。

クラーナハが

こうなってしまう

ゴヤの貴婦人像も

このように

ホルパインは

これは比較的元絵に近いような・・・

そしてモナリザの横顔

 何とも奇妙な感覚に支配されることになった独得の展覧会である。私はというと、なぜか始終笑いが止まらなかったのであるが。


 京セラ美術館の次は、道路を渡って向かいの近代美術館へ。

道路向かいの美術館へ

 

 

「ルートヴィヒ美術館展 20世紀美術の軌跡―市民が創った珠玉のコレクション」京都国立近代美術館で'23.1/22まで

 ケルンのルートヴィヒ美術館は20世紀以降の現代美術に特化した美術館であるが、そのコレクションは市民からの寄贈を元に形成されたという経緯があるという。この美術館に所蔵される作品を展示。

 とのことであるのだが、やはり20世紀美術となると私とは相性が悪いのは否定できない。ドイツ表現主義などはギリで理解の範疇で、ピカソを中心としたヴラマンク、マティス、シャガール、モディリアーニなどの作品群は面白いのであるが、それ以降になると何とか付いていけるのはシュルレアリスムまでで、ポッポアートになってしまうともう私の目には全く無価値。

 そういうわけで、残念ながら私的には心揺さぶられるような面白いものは何1つ無かったというのが本音である。まあこれは致し方ない。

なぜかこのハシビロコウだけが撮影可

 

 

昼食は美術館内で済ませる

 美術館を3軒ハシゴしたところでもう昼を過ぎている。そろそろ昼食を摂りたいが、とにかく適当な店がないのがこの東山界隈。諦めて美術館のレストラン「cafe de 505」で済ませることにする。注文したのはビーフシチュー(+ライス)

美術館内のカフェ

 グツグツに煮え立ったシチューが出てくる。まあ特別に美味いと言うほどのものでもないが、まあ普通に美味いというところ。ただ最初から諦めているとはいえ、これで1650円は激烈にCPが悪い。まあこういうところではマズくなかったら良しと考えるべきだが。

ビーフシチューは煮立っている

 昼食を終えると駐車場から車を出して次の目的地へ。次の美術館はこの近くにある。

泉屋博古館

 

 

「木島櫻谷-山水夢中-」泉屋博古館で12/18まで

 日本画家木島櫻谷の山水画を中心にした展覧会である。

 櫻谷は青年時代、日本各地を訪れては写生をしまくったようで、その時の写生帖も展示されているが、これが驚くほどの精緻さと完成度である。彼が抜群のデッサン力を有していることはこれからも覗われる。

 初期の作品はその彼の特性と、また西洋画の流入によって影響を受けた当時の画壇の空気もあって、彼の作品はかなり写実的な風景画という趣で、その書き込みには西洋画の技法の影響が濃厚である。

 そこから彼は伝統的な中国の山水画の方向へと向かっていくことになる。もっとも若き日に各地を写生に回った(その後にもやはり写生には出かけている模様)ことから、あくまで山水画といっても日本を舞台とした日本的な山水画であり、若き日に取り込んだ西洋画的な表現も生きた独自の高い境地に到っている。そのために伝統的な山水画のいわゆる嘘くささがなく、真に迫ったものを感じさせるし、彼独自の空気表現の巧みさというものが存在する。

 というわけで低次元な感想で恐縮だが「見事」という一言に尽きたのである。小規模な展覧会であるが、なかなかに見応えを感じるものであった。


 ここは青銅器の展示も有名であるが、そちらは先日の訪問時に一回りをしているのでそれはパスすることにする。

 

 

思わぬトラブルで時間と予算を浪費

 美術館の鑑賞を終えて次の目的地へと思ったところで、車の様子がおかしいのに気づく。どうも右前輪の横っ腹にコブが出来ている。実は昨日の夜に大阪を走っていた時に道が見えにくかったせいで縁石にぶつけてしまったようで(維新の自分達の利権以外の予算はカット政策で、道路の白線が消えまくりで道を見失ったせい)、その時はドッシャーンとかなりひどい音がしたのでボディをへこませたかと思ったが、走りは特に問題がなく、ホテルに到着してから確認してもボディにもひどい損傷はなかったので放置していたのだが、どうやらタイヤの土手っ腹をやってしまった模様。ザクッと調べると「ピンチカット」といってタイヤの空気圧を支えるためのカーカスコードが切れてタイヤが空気圧に耐えられなくなったせいだとか(「ピンチカット」で検索すると画像が多数出るので、気になる方はチェックを。ちなみに私の場合はタイヤ側面に直径5センチ以上の、目で見て明確に分かるレベルのコブ状の膨らみが生じていた。)。放置するとバーストの危険があるとのことで、これはタイヤ交換しかないだろう。この後は福田美術館に立ち寄ることも考えていたのだが、どうやらそれどころではなさそうである。

 とりあえずGoogle先生に聞いて近くの自動車用品店を訪れたが、同サイズのタイヤの在庫がないから取り寄せになってしまうとのこと。お急ぎならオートバックスでも行った方が良いとのことなので、カーナビで調べて近くのタイヤ館に直行することに。よりによって京都でタイヤ交換する羽目になってしまった。私は以前にも遠征先でデジカメがご臨終してしまったせいで、今のKissデジは弘前で購入したのだが、全く何をやっているのやら。かといって、さすがにこのタイヤで自宅まで戻るのはヤバすぎる。高速でタイヤがバーストでもしたら洒落にならん。

 結局はここで小一時間と莫大な費用を費やしてしまったので、福田美術館は断念して大阪に直行することにする。ちなみに夕食を摂る店として目をつけているのは梅田ルクアの「美々卯」。3000円あることだし以前から気になっていた「うどんすき」でも食べようかと考えている。予約をしていないので混雑する夕方以降よりも早めに訪問したい。

 タイヤ交換も終えて高速を快調にすっ飛ばす。タイヤの不調に気付かずに高速走行中に突然バーストでも起こったら、私の運転スキルだとそのまま私の人生もこれまでの可能性もあったところである。まあ幸運だったと考えるべきか。もっともこれは余計な出費であり、この請求書は自分達の利権にばかり予算を回している吉村にでも回したいところだ。

 

 

夕食は梅田でうどんすき

 大阪に到着するとホール近くにakippa予約で確保していた駐車場に車を放り込み、地下鉄で梅田に移動する。目的とする「美々卯」はルクアの10階のレストラン街にある。現地に到着すると、以前に大阪ステーションシティシネマにMETライブビューイングを見に行った帰りに立ち寄ったことのある店であることを初めて思い出した。

ルクアの「美々卯」

 予定通り「うどんすき」を注文。4000円ちょっとなのでちょうど良い額。もっとも3000円の金券がなかったらとても注文しようとは思わないメニューでもある。

鍋に満たした出汁を温める

 鍋に出汁が注がれて温まり始めたところで具材一式が運び込まれてくるのでそれを投入。なお海老は生きた状態で持ってくるので、投入時に跳ねることがある。それが怖い人には茹でた海老を持ってくることも可能とのことだが、私は別にそのぐらいではビビらないのでそのまま海老を投入。

鍋に具材の半分を投入

 とりあえず全具材の半分を投入してもらう。鶏肉が煮えてハマグリの口が開いた頃が食べ頃とのこと(ちなみに私のハマグリは口を閉じたままでご臨終してしまったが)。やや柔らかめであるがしっかりしているうどんは確かに美々卯の麺。具材の湯葉などが美味いが、意外だったのはやや甘めのあるがんもと煮崩れを警戒して後で投入した子芋。特に子芋は本来は私の嫌いな食材なので驚いた。

バッチリ煮えたところを頂く

 なるほど伝統の人気メニューだけになかなか美味い。それと意外だったのは量的に私には絶対に不足だなと思っていたのに、食べ終わると腹にズッシリときて完全に満腹になったこと。さらにかなり身体がカッカと温まった。

 ただ少し気になったのは、やはり下品な育ちの私には味付けがいささか上品に過ぎるということ。出汁が悪くはないのだが味が薄めで私に対してはインパクトが欠ける。この辺りは大阪というよりは京都の雰囲気。恐らく織田信長などなら「味がない!料理人の首を刎ねろ!」と言い出すところだろう。下品な私にはむしろみそ煮込みうどんの方が相性が良いかも。

 大阪高級ディナーを終えると地下鉄で肥後橋に戻るとホールへ。今回のコンサートは料金高めなので私は当然のように3階の貧民席へ直行。場内はほぼ満席ではないかというような入り。どうやらネルソンス/ポストン交響楽団の方が、マケラ/パリ管やラトル/ロンドン響よりも人気のようだ。

フェスティバルホールの赤絨毯もクリスマス

 

 

アンドリス・ネルソンス指揮 ボストン交響楽団

3階席はやや遠い

指揮:アンドリス・ネルソンス
ピアノ:内田光子

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」
ショスタコーヴィチ:交響曲 第5番 ニ短調 作品47「革命」

 ボストン交響楽団は流石というか実に綺麗な音色を出すしアンサンブルも見事である。しかし「皇帝」が始まったと同時に「やけに淡泊に過ぎる」という印象を受ける。

 それはネルソンスがこの曲に関してはピリオドを意識したのかノンビブで演奏をさせていることにある。だから非常にシンプルで淡泊な演奏になる。バックがこの調子であるので、流石の内田光子も自身の弾き振りのような自在な濃厚な味付けを行うわけにはいかないのでいささか淡泊であっさりした演奏に終始する。

 ネルソンスの解釈はこの曲に対する一切の虚飾やハッタリをはぎ取ったようなもの。それはそれで解釈としてはありであるし、曲の本質に迫るかのような姿勢は感じるのであるが、ただ聞いていてそれが面白いかはまた別の話である。正直なところ最後の最後までオケもソリストも不完全燃焼のまま終わってしまった感が強い。

 後半のショスタコは、ボストン交響楽団の音色の美しさが際立つ。ネルソンスの指揮はこのボストン楽団を整然とまとめて、実に美しいハーモニーを引き出す。その音色の美しさはウットリとするレベル。ボストン交響楽団の技量の高さと、ネルソンスの統率力には舌を巻くところ。

 もっとも前半と同様にそこから出てくる音楽が面白いかといえば、残念ながら別の話になる。この曲に特有の鬱屈した苦悩から現れる狂気のようなものが完全にバッサリと削ぎ落とされて全く別の曲になってしまっている。あそこまで苦痛が一切なくて単に美しい音楽となってしまっている第一楽章は初めて聞いた。第二楽章も苦悩の影はなく少し憂愁が漂う程度のやや皮肉の効いた明るい音楽。第三楽章も同様に美しい一辺倒。最終楽章に関しては、バーンスタインなどの伝統的姿勢である勝利のファンファーレでもなければ、「遺書」以降に増えた苦痛と矛盾を抱えた中での狂乱でもなく、単純に生命力溢れる音楽という感じで、ボストン響のやや明るめの音色もあって苦悩の影が皆無である。

 それだけにオケと指揮者の技倆に感心しつつも、最後まで「これじゃない」感が私につきまとって離れなかったのである。音楽としては明快かつ美しくて演奏の密度も高いのだが、果たしてこれがショスタコだろうかという疑問。結局は演奏には感心しつつ、最後まで肩透かし感が強すぎて納得できなかったというのが私の正直な感想である。


 これで2日間に及ぶコンサートツアーは終了。帰宅の途についた。しかし身体の疲労は強く家に帰り着くなりバタンキューとなってしまったのである。そんなに強行軍を組んだつもりはなかったのが、これでも疲労が溜まってしまうとは私も老いたものである。「認めたくないものだな。老い故の行動力の低下とは。」

 

 

この遠征の前日の記事

www.ksagi.work

 

 

再開なったMETライブビューイングで、ヴェルディの大作「ドン・カルロス」を堪能

久方ぶりにMETライブビューイングに

 コロナで大混乱だった日常が、やや強引に通常モードに引き戻されつつあるが(本当に大丈夫かにはいささか疑問もある)、コロナのせいでしばし休止状態だったメトロポリタン歌劇場も興行を再開したという。そういうわけでしばし中止されていたMETのライブビューイングも本年から開始されている。今年冒頭からの再開だったのだが、第1回の「ボリス・ゴドゥノフ」は演目には興味があったのだが、上映日が1月下旬とまだコロナ全開の頃で出かけることに抵抗があったためにパス、その後は興味の薄い現代物だったのでパス、マスネの「シンデレラ」やヴェルディの「リゴレット」は一度見ている演目(「リゴレット」は今回新演出とのことだが)なのでパス、次の「ナクソス島のアリアドネ」は体調不良でパスした結果、今回の「ドン・カルロス」が本年最初となった次第。

www.shochiku.co.jp

 なお次回は「トゥーランドット」であるが、これは同演目同演出のを見ているので、他に予定があることもあってパスする予定。なおそもそもそのようなトゥーランドットが今回ライブビューイングの演目に上がっていたのは、ネトレプコがトゥーランドットを演じるというのが目玉になっていたのであるが、ネトレプコがウクライナ戦争絡みで例の「プーチン政権忠実度テスト」で引っかかって降板になった模様。急遽リュドミラ・モナスティルスカ(ウクライナ出身らしい)が代演になったようだが、残念ながら知名度では大幅に落ちるため、これは観客動員にも痛手となるのは必至だろう。

 なお私のここ数年のオペラ視聴経験から、どうやら私はひねくれて難解なワーグナーのドイツオペラよりは、歌手がヤンヤン歌いまくるヴェルディのイタリアオペラの方が相性が良いようだということも何となく分かってきた。ちなみに私はそもそもは歌付きはあまり得意ではなかった(元コーラス部員にも関わらず)ので、オペラや歌付きの交響曲に興味を持ちだしたのはここ数年である。そういう経緯があるからヴェルディの「ドン・カルロス」はライブビューイング再開には格好のタイトルではある。

 

 

予定よりも早く神戸に到着してカフェで時間を潰す

 そういうわけで今週末は「ドン・カルロス」を見るために神戸の国際会館の映画館を訪問することにした次第。なおここの劇場、かつては松竹だったのだが、この春からキノシネマに移行したらしい。以前の松竹の時に会員になるかどうかを迷っていたのだが、結局は入会手続きをしないうちに劇場が消えてしまった。

かなり久しぶりの神戸国際会館

 土曜の午前中に家を出ると神戸まで車を飛ばす。いつもは休日も大渋滞になることの多い阪神高速なので、用心をして早めに家を出ている。しかしこういうときに限って予想が狂うことが多いのもこの道路。今朝は渋滞皆無でいたってスムーズに走行。私が予想していたよりもかなり早く三ノ宮に到着する。そこで予約していた駐車場に車を入れると、とりあえず時間つぶしも兼ねてやや遅めの朝食を摂ることにする。立ち寄った「CAFE英國屋」でモーニングを注文。

三宮のCAFE英國屋

 玉子とハムのホットサンドは美味い。しかし残念ながら苦味の立った本格的なコーヒーは、ようやくコーヒーが飲めるようになったのがつい最近というお子様舌の私にはややツラい。

玉子とハムのホットサンドのモーニング

 一服するとpomeraを取りだしてきて、店内が混雑を始めるまでの間しばし時間をつぶす。

 

 

話題変わって、ちょっとお金の話を

 この原稿を書きながら、昨年からなけなしの貯金を投入して始めた投資信託などの状況を確認。昨年に私は行動目標の一つに「金の亡者になる」ということを掲げたが、その際に貯蓄等を全面的に見直した一環である(それまでの財形貯蓄を停止して投資信託、積み立てNISA、iDeCoなどに切り替えた)。これまではコロナ回復後の上昇相場で順当に利益を生んでいたが、この1ヶ月ほどの大暴落で今までに確保していた儲けがぶっ飛びつつある状況。国内株式は既に壊滅的だが、私が投資していた外国株もアメリカのインフレ懸念から明らかに調整局面に入っている。その流れは予測しながら、撤退時をしくじって逃げ損なった己の未熟さを恥じるのみ。この行動するべき時に出来ない優柔不断な決断の甘さ(石橋を叩きまくって渡らない)は、万事私の人生の足を引っ張っている。「あの時に決断して行動できいれば」という人生の悔いは枚挙にいとまない。

 ちなみに岸田総理は急に投資をするように国民に言い出したが、これはアベノミクス成果偽装のために公的資金でつり上げていた株式相場が限界に来たので、今度は国民の貯蓄を動員して無理矢理支えようという意図が明白。コロナからの回復局面の比較的相場が下がっていた時に投資を開始した私でこのざまなのだから、ホイホイと勧めにのって何も知らずに今頃から投資に乗り出した素人は、下降相場で貯蓄をすってしまうことになるのはほぼ確実。「とにかく物価さえ上がれば好景気」などという珍説を堂々と掲げる経済ズブシロ(一応経済学部出身のはずなんだが)の安倍と違い、岸田はそんな結果は十分了解した上で国民をミスリードしようとしているのだから極めて悪質である。こういう「国民に犠牲を強いてでも安倍の体面を重視する」というのはいかにも現政権らしい姿勢。

 

 

昼食は劇場向かいのレレストランで

 なんだかんだで時間をつぶしていると、昼食時になってきたので場所を移すことにする。次は昼食を摂る必要がある。国際会館向かいの「ロイン」に入店すると「ビーフカツ定食(1000円)」を注文する。

店はこの地下

 肉は柔らかいのであるが、やはり価格のこともあってかなり薄いのと、ソースが単純なウスターソース(やや甘めの味付け)であることをどう評価するかである。正直なところ、私の好み的にはやや物足りなさがつきまとう。

ビーフカツ定食

 昼食を終えるとまだ12時50分の開演までは時間があるので、また店内の混雑具合を見極めつつ、しばし時間つぶし。私が入店した時にはガラガラだった店内は昼食時にさしかかるにつれて急激に混雑し始めて来る。私の滞在が店の迷惑にならないようなタイミングを見計らって店を出ることにする。

 

 

劇場へ

 劇場は向かいのビルだからすぐである。以前はムビチケで予約してQRコードが送られたら、それを使って発券する必要があったのだが、システム変更でその手間が不要になったようである。

劇場はここの11階

 劇場前には映画の宣伝が貼り出されているが、「ククルス・ドアンの島」が今頃映画化されるというのには驚いた。確かに当時からファーストの中では独立性の高い異色のエピソードだったので、膨らませると単編にできるのは分かるが。なおガンダムでも既にオリジナル声優が既に数人亡くなっていることを考えると、こういう往年の名作のリメイクはそろそろ限界時期にさしかかっていることを感じる。なおプロモ映像も上映されていたが、CGも巧みに取り入れたいかにも今時のリメイクであり、まあ良く出来ていそうだ。もっともガンダムに対してそう思い入れのない私(何しろガンダムシリーズで傑作はと聞かれると「Gガンダム」と答える異端である)としては、わざわざ劇場に見に行く気はないが。

この時期にガンダムの新作か

 なお同じくリメイクの「銀河英雄伝説ノイエテーゼ」の宣伝も貼り出されていたが、こちらは以前に私があまりの駄作ぶりに呆れた作品である。確かに画面はCGなんかも使って綺麗になったのだが、肝心の話の内容がスカスカの上に、「この監督、原作読んだのか?」と疑問を感じるぐらい原作の魅力をそぎ落としてしまった作品だった。こういうのを見ていると、リメイクの問題はオリジナル声優の死去よりも、実は作品を作るべきスタッフのレベル低下の問題の方が大きいような気もする。まあそもそもリメイクに頼るのは、魅力的な新作を作り出す能力や意欲が既にないことの反映でもあるのだが。

劇場入口にデカデカと掲げられた駄作

 劇場で30分ほど時間を潰したところで入場となる。観客は10名ちょっとか。かなりガラガラである。

 

 

METライブビューイング ヴェルディ「ドン・カルロス」(フランス語版)

指揮:パトリック・フラー
演出:デイヴィッド・マクヴィカー
出演:マシュー・ポレンザーニ、ソニア・ヨンチェヴァ、ジェイミー・バートン、エリック・オーウェンズ、エティエンヌ・デュピュイ、ジョン・レリエ

 ヴェルディの中期の傑作として知られるオペラ作品。一般的には標題は「ドン・カルロ」とされるのだが、それはイタリア語版の話で、そもそも元のオペラはフランス語で書かれており(ヴェルディはフランス語も堪能だったらしい)、今回はそれに基づいてフランス語上演するので「ドン・カルロス」ということらしい。

 とにかく壮大な作品で上映時間は5時間ほど、本編は恐らく4時間ぐらいだろうか。その間、6人の主要キャラクターを中心にガンガン歌いまくるハードな作品なので、なかなか上演は大変で、メトロポリタンでさえかなり意欲的な取り組みだったという。

 ドン・カルロスのマシュー・ポレンザーニは、全体的に低音歌手優勢のこの作品の中で、美して力強いテノールで若くて繊細なドン・カルロスの苦悩を表現していた。同じく悩めるエリザベートのソニア・ヨンチェヴァも表現力抜群である。

 作品を締めるアクセントは、フィリップ2世のエリック・オーウェンズ。ズッシリと重量感のあるバスで、独裁者でありながら息子と妻のことで苦悩する王を迫力タップリに快演していた。

 ストーリー全体を通して主役級に存在感があったのがドン・カルロスの親友ロドリーグを演じたエティエンヌ・デュピュイ。苦悩と覚悟を秘めたロドリーグの心情は観客の心も打つ。最後の場面などは最大の見せ場としての圧倒的な盛り上がりが見事。

 大審問官のジョン・レリエはまるでショッカーの首領のような怪しさ全開。冷酷な権力者という側面を見事に表現していた。愛に暴走して結果として2人を不幸にしてしまったエボリ公女のジェイミー・バートンもある種の怪演と言ってもよい見事な存在感であった。

 主役2人の実力も見事なのであるが、その回りのキャストの存在感が極めて強く、それが作品全体を見事に盛り上げていた。それがヴェルディのスケールの大きな音楽と相まって一大叙事詩として展開する舞台には知らず知らずのうちに引き込まれてしまい。5時間に及ぶ上映時間を決して長いとは感じさせなかった。

 なおヤニック・ネゼ=セガンの体調不良で急遽の代演となったというパトリック・フラーのツボを押さえた見事な指揮にも触れておくべきだろう。とにかく音楽と声楽の絡み合った大パノラマ劇は観客を魅了するに十二分のものであった。


 とにかくかなり見応えありで、久しぶりにオペラを堪能という心境になった次第。なかなかに充実した気持ちでこの日は帰途についたのである。

 

 

2021年度クラシックライブベスト

 さて年末恒例企画の年間ベストライブだが、本年も昨年同様にコロナの影響直撃で私自身がほとんどライブに行けていない状態。そんな数少ないライブの中ではやはり実力的にウィーンフィルがぶっちぎりであって、まともなチョイスなどそもそもやりようがない。というわけで今年は「印象に残ったライブ」ということで選びます。

リッカルド・ムーティ指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

 まあ本年度はとにかくまずこれを挙げないわけにはいかないだろう。昨年度に続いてコロナ禍の中を押しての来日実現がまず驚きである。演奏についてはやはり技術力が抜群なのは相変わらずだが、メインプログラムの演奏自体は昨年度のゲルギエフの時ほどにインパクトが強烈なものではなかった。ただ伏兵だったのがアンコールの「運命の力」。これが心臓を鷲掴みにされるような名演で、この序曲だけでオペラ一編を見たかのような中身の濃さであることには圧倒された。やはりムーティはオペラ指揮者であるし、ウィーンフィルも歌劇場オケであることを痛感させられたのである。

エリアフ・インバル指揮 大阪フィルハーモニー管弦楽団

 今年の年初を飾った名演がこれ。インバルだけに名演確実とコロナ禍の中を危険を冒して大阪まで出向いたのだが、それだけの価値を感じさせられた。初っ端の古典交響曲からキレッキレの演奏であったが、それが後半のショスタコの10番でさらに炸裂。とかく分かりにくい面白くないとなりがちなこの曲に対して、最後まで興味をつながされる見事な演奏であった。また爆音でありながらも浮つかない大阪フィルの演奏も実に見事であった。

カーチュン・ウォン指揮 大阪フィルハーモニー管弦楽団

 タバシュニクの来日不可で急遽起用されたのがシンガポールの新鋭・カーチュン・ウォンだったのだが、代役と言うことを感じさせない早くも巨匠の風格さえ漂っている堂々たる演奏。実に色彩的な鮮やかな音色は見事であり、煌びやかな展覧会の絵は流石といったところ。大阪フィルからこのような音色を引き出すカーチュン・ウォンはやはりただ者ではないと感じさせられた内容。

 

 

藤岡幸夫指揮 関西フィルハーモニー管弦楽団

 世界初演の菅野祐悟のチェロ協奏曲が登場だが、宮田大のチェロ演奏が実に深い。菅野祐悟の曲は元々前衛的な尖った音楽ではないが、宮田の演奏だと非常に美しさが増し、まさに心を掴まれる。後半のラフマニノフも藤岡の指揮が実に甘美。また関西フィルの弦楽陣の音色も実に色っぽく、通常は荒々しさだけが目立つこの曲から、いつもと異なる情緒を引きだしてくれた。

ジョン・アクセルロッド指揮 京都市交響楽団

 一年ぶりの京都市響だったのだが、さすがに京都市響は上手いということを再確認させられたコンサート。曲目はかなり変化球であったのだが、極めて明快であるアクセルロッドの指揮は、ガジャルドの世界初演の音楽を実に分かりやすく我々に示してくれた。さらに後半の「英雄の生涯」も、下手をするととかく分かりにくくなりがちのこの曲を、一本の筋の通った物語として我々に示してくれた。実に曲の魅力を引き出すことに長けているという印象の演奏であった。

小林研一郎指揮 読売日本交響楽団

 決してボヘミア的とは思えない、相変わらずのコバケン演歌だったのだが、この曲の持つ泥臭さとコバケンの本質的泥臭さが呼応して。奇妙な次元での共鳴を帯びた独特の世界が展開した。それが日頃はコバケン演歌が決して得意とは言えない私にとっても、妙な心地よさにつながったという異世界体験。


 以上のように数少ないライブの中でも印象に残るライブは数点あった。来年度こそはコロナ禍の沈静と共に日常生活が戻ってくることを願わずにはいられない。

 

 

2022年度ベストライブはこちら

www.ksagi.work

2020年度ベストライブはこちら

www.ksagi.work

今度は腰に来てしまった

何もしてないのにぎっくり腰?

 6月頃には背中が攣るという異常で苦しめられたが、今度は元々持病である腰が悪化するという羽目になってしまった。

 切っ掛けは謎。元々体調が悪かった(恐らく強度の夏バテ)ことから仕事を1日休んで、昼食にラーメンでも作ろうと台所に立った途端に腰の両脇にビキンと激痛が走り、まともに身体を動かせなくなってしまった。腰を曲げる動作などをしていたのならぎっくり腰かなと思うが直立していただけで起こったので全く不明。

 まあ元々体重過剰なのが、ここのところのコロナお籠もりでさらに不健康な体型になってしまって、腰には過重な負担がかかっていたのは間違いないが、その蓄積がついに来てしまったか。しばらくベッドで横になっていたが、寝返りも「痛タタタ」って状態なので数日はほぼ横になっているだけ。たまに起き上がってヨロヨロしながらトイレに行くのが限界。

 ようやく短時間はPCに向かえるぐらいにはなったが、姿勢を動かす度に腰に激痛が走る状態なので長時間の作業は不可能。しかも限界が来たらベッドに横になりに行くという状況。おかげでこのブログの方も、「アニメ棟」の方はサラッと描いた原稿をチビチビとアップしたが、執筆にそれなりの時間とかなりの集中力が必要な「教ドキュ」の方は完全停止状態にある。幸か不幸か現在はオリンピック放送のために番組の方がほとんど停止の状態で、溜まっている記事自体はそう多くはないと言うことだけが救いではある。

 

結局は急遽サポーターを購入

 以前に着用していたサポーターを探したのであるが、部屋を片付けた時にどこかにしまったのか行方が不明(日頃整理整頓をしない者が急に掃除をした時に起こるあるある)。仕方ないのでAmazonでサポーターを注文して、プライムで緊急配達をしてもらうことにした。

     
このタイプのサポーターを注文した

 問題はこのサポーターをつけた状態で出勤が可能であるかどうかと言うこと。また出勤出来ても長時間のPC作業が可能かどうかにはかなり不安がある。

 なお教ドキュの原稿の方は、頭の中では大体まとまってはいるのだが、現在はそれを書き下ろすという作業に支障が生じている。この辺りは様子を見ながらリハビリとしてチビチビと進める予定。

 

セブンの「肉巻きおにぎり」食べてみた

宮崎県地場アイテムを取得

 今日、仕事の帰りに金をおろしにセブンイレブンに立ち寄ったら、おにぎりコーナーに「宮崎名物 肉巻きおにぎり」なるものが山積みしてあり、夕方で腹が減っていたこともあり、どことなく心惹かれたので購入した。価格は税込み321円とやや高め。

 材料を見ると米(宮崎産)豚肉(宮崎産)との記載あり、一応ご当地メニューということのようだ。

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宮崎名物肉巻きおにぎり

 破裂しないように切り込みを入れてから電子レンジで温めろとのこと。加熱時間は500Wで2分とのことである。

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切り込みを入れてから電子レンジで加熱する

 なお切り込みを忘れると間違いなく破裂するので、それだけは要注意。

 

見た目ほど味にはインパクトはない

 2分で温々の状態に出来上がる。醤油漬けのようで醤油の匂いがポワンと漂う。見た目はゴロンとしていて、それなりのインパクト。

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ゴロンとした塊である

 断面を見ると本当に醤油ご飯に豚肉を巻いてあるだけである。中華ちまきのように何か具が入るのかと思っていたが、本当におにぎりの模様。

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具は特に入ってません

 食べてみると味は醤油の味。ご飯はかなりもっちりしていてちまきかと思うが、材料を見ても分かるように餅米ではなくて普通の米を使用している。豚肉は醤油につけ込んであるのかやや硬め。その時はあまり強烈に味を感じないのだが、噛みしめると後で味がじわりと滲んでくるという印象。

 まあ悪くはないのだが、見た目ほどインパクトのある味ではない。300円超という価格を考えるとCPは微妙。

 ところで私は宮崎は3回ほど訪問した記憶があるのだが、こんなメニューは向こうでは見たことがないのだが(冷や汁とか鶏天とかは見たが)。一体どの辺りの名物なんだろう?

 

背中の激痛が

 年のせいか、身体の関節などあちこちがおかしくなるのは宿命だが、今朝は起床しようとすると背中が激痛で身体がひねられず、右手はろくに動かせない上に首も回らない状態。まあ金欠で首が回らないのは毎度のことだが、これはさすがにかなりの異常現象。とりあえず無理矢理に起きてみたものの、長時間椅子に座ってのPC入力作業など到底不可能。仕方ないので会社に電話して今日は一日仕事を休むことに。

 骨に何か別状が出るようなことは記憶にない。高齢になって骨粗鬆症でもなったら、くしゃみ一発で肋骨が折れるなんてことも起こると言うが、さすがに私はそこまでジジイではないし、そこまで骨密度が低下していることもない。これらから考えるに恐らく筋肉的な事象。背筋が攣ったような嫌な感触がある。右肩甲骨を中心として、周辺筋肉に不穏な気配がある。そう言えば以前から、くしゃみをした時に背筋にビキンと痛みが走ったことは何度かある。今回はそういう切っ掛けは思い当たらないのだが、何らかの理由で筋を違えたとか筋を痛めたとかではないかと思われる。

 とにかく動くのが辛いので午前中は背中に湿布を貼ってしばし横になって寝ていた。昼過ぎには痛みがいくらか和らいでようやく起き上がれるようになり、右手もいくらかは動くようになった(だから今、この入力を行えているわけだが)。まだ右肩には通常の肩こり以上のおかしな痛みや重さはあるが、明日には仕事に復帰できるであろう。

 近くの整形外科に行くことも考えたが、大抵大混雑している上に、骨レベルのトラブルだとともかく、筋肉レベルのトラブルの場合は、X線で「骨には異常がありません」と言われてからせいぜい赤外線を当てられて湿布をもらうのがオチ。しんどい思いしてわざわざ出かける気にもならない。結局はしばし様子を見るしかない状態。認めたくないものだな、老化故の衰えとは・・・。

 

貴方のデバイスにハッカーがアクセスしています。

典型的詐欺メールのパターン

 私のところに送られてきた不審メールである。タイトルは「貴方のデバイスにハッカーがアクセスしています。詳細を今すぐ確認してください!」となっている。

 サクッと調べてみるとどうやら典型的な詐欺メールであるようである。私はセキュリティの関係上でHTMLメールは表示しない設定にしてあるので、無意味な文字列が列挙されているだけなのだが、それを見ただけでもかなり多数に無差別に送ったメールであることが推測出来る。情報によると本文はスパイウェアに感染しているので除去したければビットコインを送れという代物らしい。

 全く中身のない単なる脅迫なのでこんなメールは無視してゴミ箱に突っ込んでおけばよい。単にそれだけのことである。

 

実害はなくとも迷惑ではある

 ネットをやっている者なら誰でも体験しているだろうが、この手の犯罪メールは後を絶たない。私のプライベートアドレスだけでなく、一般に公開していないはずの仕事用メールアドレスにまで届くことがあるからタチが悪い。そのメールによると曰く、私の仕事用PCを遠隔操作プログラムで乗っ取り、私がどのようなサイトを覗いているかという履歴をすべて取ったそうな。そうしたら、私がしょっちゅうアダルトサイトを覗いており、しかもその際に私のPCには付いていないはずのカメラ(笑)を乗っ取って、私が鼻の下を伸ばしてエロサイトに興じている姿を撮影したとか。で、これをばらまかれたくなかったら金を払えというお約束である。

 私の場合は荒唐無稽としか言いようがない内容なのだが(もし本当に私のウェブ閲覧履歴を押さえていたら、ニュースサイトとかAmazonとかぐらいしか行っていないのは一目瞭然)、人によってはドキッときて相手のペースに嵌められてしまう者がいるのだろう。

 

浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ

 昔のように郵便料金がかかっていた時にはこの手の無差別脅迫は郵送料で足が出る場合が多かったのだが、メール時代になって郵送料がかからくなくなったことで、この手の犯罪のコスト的リスクが激減したことで、馬鹿みたいに増加している。確かに今では1万通のメールを送ったとしても、コストはさしてかからない。犯罪者にしたら、1万人の中から1人でも引っかかる者がいたら十分にペイするという計算だろう。もし0人だったとしても、若干の通信料と手間が無駄になるだけとなったら、多くの犯罪者は十分に採算性のとれるビジネスと考えるのだろう。

 つい最近、いわゆる身代金ウイルスをばらまいていた拠点が「武力制圧」され、関係者が逮捕されるということがあったが、結局はこういう見せしめ効果で犯罪者を萎縮させていくしか方法はないのだろう。後は各人が犯罪耐性を上げることで、「そんな手口でダマされる者なんて誰もいない」と犯罪者を諦めさせてしまうか。まあ何にせよ、残念ながらこの手の犯罪の手口の根絶が難しいのは、未だに振り込め詐欺が絶滅しないことからも明らかではある。楽して一攫千金なんて虫のよいことを考える人間が存在する限り、残念ながらいつまでも続いてしまう。悲しいことではあるが。

 

シン・エヴァンゲリオンのコラボデザートを頂く

シン・エヴァパッケージのツインシュー

 お籠もりのストレス解消には甘物に限るというわけで、近くのイオンにデザートの買い出しに出かけたのだが、そこでシン・エヴァンゲリオンコラボ商品を見かけたので、ついつい買ってしまった。どうにもいい年をしてオタクな本性は誤魔化せない。

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パッケージは2種類

 どうやら田口食品のオランジェというブランドの商品の模様だが、エヴァのパッケージとカヲルのパッケージがあった。エヴァは初号機でなくて劇中に出て来たタイプのようなので、一見しただけだとエヴァとはピンとこなくてパチモノののように見える。またシンジでもアスカでもなくカヲルというのがこれまた。シンジも主人公(のはず)の割には扱いが悪い。これだけ扱いの悪い主人公と言えば、他には「進撃の巨人」のエレンぐらいしか思いつかない。あの作品なんて、ミカサやアルミンや兵長の方を主人公と思っている者も少なくないというし(と言うか、ここ最近の数巻を見ていたら、確実に主人公はそっち側でエレンは完全に脇役)。

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中身はいわゆる普通のシュークリームです(笑)

 中はコンビニスィーツなどでよくあるツインシューという奴。まあ普通に美味くて、これと言って特徴のあるものではない(笑)。と言うわけで午後のひとときをオタスィーツで楽しんだのである。