帰りに新見に立ち寄る
翌朝は7時過ぎに起床。目覚めはあまり良くない。暖房が集中管理のせいか私にはやや暑すぎて不快だったことと、夜中に物音で目覚めてから(近くの部屋に子供がいるらしく、夜でも結構うるさかった)半分寝ているような起きているような状態でウツラウツラと朝を迎えたからだ。また両足がふくらはぎを中心に非常にだるく、腰の様子もやや不穏。また風邪をひいたのか鼻づまりがひどい。湯治はいきなり体調が整うというものではなく、最初にいろいろと悪いところが出きってから快方に向かうというが、私のように体がボロボロすぎる者は、一日程度の温泉通いだと悪いところが出てきたところで終わってしまって逆効果か?
とりあえず目覚ましに朝風呂に出向く。やはり朝風呂は気持ちいい。サッパリしたところで朝食へ。朝食はバイキングだが豪華である。この辺りはさすがに大型温泉ホテル。
昼食を済ませると荷物をまとめてチェックアウト。駅までワゴンで送迎してもらう。こういう至れり尽くせりは日頃私が利用するような安ホテルでは望めないこと。こういうのに慣れると人間が堕落しそうである。
玉造温泉駅から特急やくもに乗車。このまま帰宅しても良いのだが、最後に一カ所立ち寄るところがある。新見で途中下車する。まず向かうのは新見美術館。この美術館、新見駅からそこに見えているのだが、出口と反対側に位置するためにかなり遠回りしないとたどり着けないという嫌なところである。
「没後90年 富岡鉄斎展」新見美術館で3/15まで
新見美術館が所蔵する富岡鉄斎コレクションを中心に、鉄斎の生涯を追っての作品を展示する。
鉄斎は典型的な文人画家で、元々は画業を本業にはしていなかった。しかし徐々に画業の方で名を挙げて、現在ではその方で大家として名を残した人物である。
年を追うごとに筆さばきが熟達していくのがよく分かるのだが、それと共に表現が自在となって自由度が増してきているのが一つの凄みである。サクサクと描いているようであるのだが、それが計算尽くでは到底不可能なような境地に達している。彼の作品については技が云々と言うよりも、その裏を支える人間性を磨いているのが作品に反映されているのではないかとの感を受ける。
新見の町並み見学
美術館の見学を終えると新見の町並みの散策に移る。新見はかつて街道の宿場町として繁栄した町だが、風情をとどめた町並みの一部が本町地区周辺に残っているという。
本町手前の商店街はどちらかと言えば昭和レトロの懐かしい雰囲気。本町地区は往年の宿場町の面影はあるものの、意外とその範囲は狭い。また町自体に活気が感じられないのが何よりも気がかりなところ。
新見グルメ
町並みを散策しつつフラフラと駅前に戻ってくる。途中で「山田屋」で夫婦饅頭を頂く。老夫婦が経営しているようなので夫婦饅頭なのだろうか。饅頭自体はいわゆる普通の大判焼き。普通にうまい。
新見駅まで戻ってきたが、新見を後にする前に昼食を摂る必要があるだろう。結局は新見駅前の「味の荘伯備」でカツ丼を注文。ただしご飯の量が多すぎたのと、朝食をかなりガッツリ食べたせいかあまり腹が減っていないのとで半分方残すことになってしまった。なおここはぼたん鍋などが有名なのだが、さすがに今日は昼から鍋を食う気は起こらなかった。
昼食を終えると新見駅から特急やくもと新幹線と在来線を乗り継いで帰宅。思い返せば玉造温泉に入浴に行っただけと言って良い遠征であった。
年末の保養旅行である。にもかかわらず、帰宅するとすぐに風邪をひいて体調を崩して寝込む羽目になってしまった。旅行に出る前から家人が次々と風邪をひいていたので逃げ出したのだが、その時には既に風邪をもらった後だったようだ。思わぬ不覚である。
玉造温泉はなかなかに良いところではあったが、私のよう落ち着きのない者にはどうにも退屈な場所だったのも事実である。どうしても私は温泉でゆったりと落ち着くという境地になかなかならないようだ。おかげで体に無駄な疲労が溜まってしまう。
この遠征の前の記事