雪の渋温泉から帰還
翌朝は7時に起床。昨夕から降り続いていた雪で辺りは一面の銀世界である。雪の積もった向かいの旅館が非常に絵になる。これをそのまま版画にしたら川瀬巴水の作品になりそうである・・・というか、この構図はどこかで見たことがあるような気がするんだが・・・。
冷え込む中を早速、朝食前に朝風呂でくつろぐ。この旅館はこの風呂は正解であった。
朝食は和食。朝から飯がうまい。
湯田中駅行きのバスは9時50分頃に出るはず。余裕をもって9時半頃にチェックアウトする。辺りは一面雪で除雪していない道には雪が積もる。足下が滑るのではと心配していたが、温度が低いのと雪が降り積もった直後でアイスバーン化していないのが幸いしてほとんど滑らない。
バスは予定より5分以上遅れて到着する。列車に遅れてはいけないので、バスは圧雪路を急ぐ。とりあえず私が乗る予定だった特急の発車時刻には間に合う。
長野電鉄のスノーモンキー特急は成田エクスプレスの車両だとか。昨日の古式ゆかしいパノラマ車両よりは近代的車両である。ただなぜか座席が集団見合い型で固定されている。また何やら外国人(欧米系)の団体客が。おかげでかなり混雑している。そこにさらにバスからの乗り換え客を押し込んで列車は定刻に発車する。
沿線風景は昨日とは一変して銀世界になっている。一夜でのこの変貌ぶりは驚く限り。雪の積もった山の木々は非常に絵になる。そのままで水墨画の風情である。雪をかぶった分は背景の中に溶けて消えてしまい、残った枝の部分だけが墨で表現される。そういえばそんな絵画をどこかで見たような・・・誰だったかな?応挙か?それとももっと近代の画家だったっけ? ちなみにこれをそのまま青っぽい色彩で写実したら東山魁夷の絵画になりそう。
長野駅に戻ってくると、本遠征最後の美術館として水野美術館に立ち寄ることにする。水野美術館まではバスで10分強。雪の積もった庭園が美しい。
「菱田春草と信州の日本画家たち」水野美術館で3/1まで
横山大観らと共に日本美術院の創設に参加、その中心メンバーとして日本画の改革に取り組んだ巨匠の展覧会。
最初期の東京美術学校時代の作品から、朦朧体と言われた模索期の作品、さらに渡欧を経ての最晩年の作品まで網羅してある。春草が模索の果てにたどり着いた心境を垣間見ることが出来る。
併せて西郷孤月と菊池契月の作品も展示してあった。西郷孤月は若き頃からその才能に注目され、もっとも朦朧体を極めていたと言われつつも放浪の果てに若くして病死した画家であるが、その若き頃の筆に冴えのある作品が見られる。菊池契月については私は美人画のイメージが強かったのであるが、本展では初期の歴史画が展示されている。大正期の明るい美人画とはまた異なった雰囲気を体験できる。
善光寺前で昼食
水野美術館の見学を終えるとバスで長野駅まで戻る。長野駅からは特急しなので帰ることになるが、予定している列車の発車時刻までまだ1時間以上ある。当初予定では長野駅前で昼食を摂って帰るつもりだったが、ここで思い立つ「善光寺へ行こう」。
善光寺行きのバスに飛び乗ると善光寺大門まで。昨日よりはマシなようだが、今日も混雑がひどくてバスがスムーズに走れない。
善光寺大門のバス停で降りると、目の前が竹風堂。やはり長野に来たらここに立ち寄らないと嘘か。善光寺よりも先にまず昼食を済ませることにする。
注文したのは山家定食の栗おこわ大盛り。やはり栗おこわがうまい。最初に長野に来た時から、私の中では「長野=竹風堂」のイメージができあがってしまっている。今は栗あんみつを頼んでいる時間的余裕がないのが恨めしい。
善光寺を超特急参拝
昼食を済ませて時間を見る。もう時間にほとんど余裕がない。帰りに要する時間だが、バスが普通に走れば10分ほどだが、今日の状態を見ているとスムーズに走れそうに思えない。さらにバスの到着が遅れる可能性がある。となると所要時間としては安全圏を考えて20分+αぐらいは確保しておきたいところ・・・と考えて帰りのバスの発車時刻を見ると、参拝に費やせる時間が13分ほどしかない。もうこうなると参拝というよりもタッチ&ゴーだが、ここまで来て昼食を摂っただけで引き返すのはあまりに悲しすぎる。ここはとにかく実行あるのみ。というわけで善光寺の参道を早足で駆け抜けることと相成った。とりあえず簡単に参拝を済ませて帰ってきたが、意味不明の急な運動でこの雪の中で汗ばむ羽目に。
バスは定刻より若干遅れて到着。長野駅に戻ってくるとキャリーを回収して特急しなのに飛び乗る。帰りのしなのは指定席満席とか。相変わらずサンダーバードと共によく混む特急である。北陸新幹線の開通で少しは状況が変わるだろうかと思ったが、よくよく考えてみるとどちらも北陸新幹線のルートとは無関係である。
最初は半分方が空席だった指定席は、松本からの大量の乗車で一気にごった返す。どうやら自由席はかなり悲惨なことになっている様子(降りる人のために道をあけてくださいの放送あり)。電動振り子のワイドビューしなのはごった返した時には地獄絵図になるのは数年前のシルバーウィークに体験している。早めに座席を確保しておいて正解だった。車内でぼんやりと過ごす内、自然にウツラウツラとしてくる。次に目が覚めたときには南木曽を過ぎた頃だった。列車が少々定刻より遅れているので新幹線への乗り換えが微妙な感じである。それならいっそのこと名古屋で夕食を摂って帰ろうと思い立ってエクスプレス予約で帰りの新幹線を遅い便に振り替える。途中でトンネルで電波が寸断されたりなどがあったが、どうにかこうにか帰りの新幹線を確保。
名古屋で夕食を摂ってから帰宅
名古屋に到着すると夕食を摂る店を物色。味噌煮込みうどんは食べたのでひつまぶしか。ただし高島屋にピッタリの店はなく、ウナギの店といえば「竹葉亭」のみ。元々は東京の店なので、ひつまぶしも名古屋流と江戸流がある。ここは当然のように江戸流の方を。名古屋流はウナギはパリッとして味付けは濃く、江戸流は蒸した柔らかいウナギにあっさりした味付けとのこと。
例によって一杯目はストレート、二杯目は薬味付き、三杯目は茶漬けで頂く。茶漬けにすると元々あっさり目のウナギがさらにあっさりする印象。一杯目のストレートが意外に良い。やはり江戸前のウナギはウナギ丼で頂けということか。どことなくウナギが「ひつまぶしなんて田舎の食べ方でなく、もっと洗練された食べ方をしてくれ」と主張しているような感じがある。
夕食を終えると新幹線で帰宅と相成ったのである。
当初から意味不明の遠征であったが、要約すると、新重伝建の稲荷山を見学し、諏訪大社と半分氷結した諏訪湖を見て、有賀城入口ですっころんで首を痛め、渋温泉で雪を見てきたというところか。いよいよもって趣旨が不明になってきた。これは私の人生そのものか。
なお首の方は大したダメージがなかったのだが、帰宅後に右手首を傷めていたことが判明して、しばらく湿布のお世話になることになったのである。重大なけがをしなかったのは幸いだが、不調が数日後になって現れる辺りに年齢を感じてしまう次第。
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