徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

吉備路の古墳巡りをしてから帰宅する

昼食を済ませると古墳巡りに繰り出す

 翌朝は7時まで完全にグッタリと死んでいたようだ。明らかに昨日の山城のダメージが脚を中心として全身に来ている。とりあえず朝風呂で目を覚ますと共に体をほぐしてから、8時前に朝食へ。朝食は和洋両対応のバイキング。今朝も朝からガッツリと頂く。

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朝食バイキングをガッツリ頂く

 部屋に戻ると今日の予定の事前調査。実は昨日の晩に調べておくつもりだったのだが、とにかくしんどすぎて何もする気も起こらずに寝てしまった次第。今日はこの周辺の古墳巡りをするつもり(そのつもりでこのホテルを選んでいる)なので、そのおおよその場所を調査して巡回ルートをザクッと決めておく。

 

 

作山古墳を見学

 ホテルをチェックアウトしたのは9時。早速最初の目的地へと向かう。最初に向かったのは作山古墳。国指定の史跡である前方後円墳である。規模としては全国で第九位とのこと。サンロード吉備路からは車で10分とかからない。古墳の回りの路地をグルリと走っていたら、古墳の西側に見学者用駐車場を発見、そこに車を置いて徒歩で見学に向かう。

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作山古墳

 上に登ってみたら巨大な丘陵である。自然丘陵を加工して作成した前方後円墳であり、そのために形態にやや歪みがあるとか。しかし鬱蒼としているせいで上からでも全体の形状は把握しにくい。なおここはまだ本格的な発掘が行われていないとのことで、墓の主は恐らく後円部の地中深くに眠っているのではないかとのこと。

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前方部頂上

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後円部に向かって移動

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後円部頂上

 

 

こうもり塚古墳を見学

 作山古墳を見学した後はこうもり塚古墳の見学に向かう。この古墳はホテルの東側でこれも10分もかからない。この辺りには備中国分寺跡や国分尼寺跡などの遺跡もあり、見学者用の県営駐車場が中心にあるのでそこに車を置く。

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遠景

 まずはこうもり塚古墳を見学。ここは規模としては先ほどの作山古墳に劣るが、内部の石室が発掘されており、巨石を利用した石棺を見学できるのが特徴。石室も巨石で組んであり、工作機械のなかった古代のことなので、かなりの労力がかかってあろうことが思われる。ちなみにここと私が以前に見学したことのある牟佐大塚古墳、さらに箭田大塚古墳の三つを岡山県下三大巨石古墳と数えるらしい。

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石室に向かう

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石室内に入れる

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巨大な石棺が見える

 この近くに吉備路文化館があり、版画作品展を開催しているとのことなので立ち寄る。展示されていたのはルオー、藤田嗣治、シャガール、ピカソ等の有名どころの版画作品。唸るほどの作品はなかったが、入館無料なのでまあこんなものか。

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吉備路文化館

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旧山手村役場

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旧松井家住宅

 

 

国分尼寺跡を見学

 次はその奥にある国分尼寺跡を覗く。とは言うものの、今はダラダラした斜面に礎石の跡が残るのみ。それなりの規模の寺院だったことは分かるがそれだけ。

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築地土塀跡

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中門跡

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内部

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金堂跡

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礎石が残る

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講堂跡

 

 

国分寺跡を見学

 国分寺跡の方は、今はその一部にお寺が建っている。備中国分寺が中世に廃城になった後、江戸時代に日照山国分寺として再興されたのが今日の姿とか。元々の備中国分寺はもっと規模が大きかったらしく、もっと南に門があったようである。

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南門跡

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伽藍配置図

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日照山国分寺

 

 

造山古墳を見学

 最後に造山古墳を見学しておくことにする。造山古墳はここからさらに北東方向にあり、遠くから見ると完全に小山である。こちらは規模としては県内第一位、全国でも第四位だとか。なお上位三つは仁徳天皇陵、応神天皇陵、履中天皇陵でいずれも宮内庁管理下で立ち入りが禁止されているので、自由に立ち入れる古墳では最大ということになる。案内に従って進むと見学者用駐車場が完備されている。

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遠景

 車を置くと徒歩で登るが、これがちょっとした山城見学の風情。しかも山城に付きものの「まむしに注意」の看板まで立っている。案内に従って登ると前方部に到着。ここには神社が建っているが、その脇に手水鉢よろしく鎮座しているのが石棺のようだ。

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登り口から鬱蒼としている

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出た!山城に付き物の看板

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前方部頂上

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神社になっている

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この手水のようなのが

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実は石棺だとか

 ここから後円部に向かうが、通路は鬱蒼としていて下草をかき分けて進む必要がある。先ほどの「まむしに注意」の看板が気になるところだ。後円部の周辺は何段かに削平した跡があるのだが、これは後世に城か畑にされた跡だとのこと。城にするには絶好の立地なので、私がこの地域の大名だったとしてもこの上に城を作ったろう。ただ古墳だけに水場はなさそうであるが。

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下草をかき分けつつ後円部へ

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後円部頂上

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前方部方向を振り返って

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見晴らしは抜群

 ザクッと吉備路の古墳群を一回りしたが、やはり古墳は登ってみるとただの山みたいなもので、どうしても山城などに比べると見所に欠けるというのが正直な印象。やはり古墳は発掘していくらというようなものに思われる。仁徳天皇陵を世界遺産にという声もあるが、あれなどは宮内庁管轄で立ち入れないだけに余計見所がないだろうから、世界遺産にすると言ってもしんどいのではないか。近くで見ても川の向こうに見える鬱蒼としたただの小島というだけである。日本では天皇の墓という可能性が出てきたらその時点で発掘が中止されて閉鎖されてしまうが、明治天皇や大正天皇の墓を曝くわけでもなく、千年以上前のご先祖(?)の墓なんて今の天皇と関係ないのではないかと思うのだが? 実際にこの制約が古代史解明の障害にもなっているし、天皇も人間宣言したわけだし、そろそろ考え直すべき時期ではないか。

 

 

昼食を摂ってから帰宅する

 これで本遠征のすべての予定は終了、帰途についたのである。帰宅の前に途中でホテルのレストランに立ち寄って昼食のポークジンジャーを頂くことにした。

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この日の昼食はホテルレストランでポークジンジャー

 そもそもはふるさと旅行券を使うのが目的のような遠征で、明確な目的もプランもなかったのだが、大松山城が意外に見所があってなかなかに良かった。ただ当初に考えていた「温泉でゆったりと夏の疲れを癒やす」というプランのはずが、終わってみたら山城と古墳を歩き回ってグッタリの内容になってしまったというのは完全な読み違いであった。どうも温泉でゆったりというところまでまだ枯れていないようで、毎回のように「温泉でグッタリ」になってしまうのはなぜ?