ウィーンフィルのコンサートのために大阪で宿泊
さてこの週末はいよいよウィーンフィルとロンドン交響楽団の連チャンである。共に一流オケだけにチケットも高く、安い席を確保するのに非常に苦労した。ウィーンフィルについては運良く9000円のE席を確保できたが、ロンドン交響楽団についてはA席17000円しか入手できず、これは今年の一番高いチケットになってしまった。これらに大フィルの京都公演を加えたのがこの週末のスケジュールである。
金曜日の仕事をいつもより早めに終えると大阪に移動する。とりあえず夕食だが、面倒臭いので駅ナカの「利久」で牛タンとタンシチューがセットになった「まる得利久セット」にとろろを加える(以上で税込み1998円)。
私は仙台人ではないのだが、どうも最近は「困った時のタン塩」という感じになってきた。肉を食いたいがしつこいのちょっとという時にちょうど良いのである。またなぜかこのタンシチューというものが時々食いたくなる。
夕食を終えたところでまだ開演時間まで1時間半近くある。用心をしていつもよりも早めに出向いてきたが順調に来すぎたか。そこでフェスティバルホールに直行する前にホテルに立ち寄って荷物を置いてくることにする。今日の宿泊ホテルは法華クラブ大阪。宿泊料は若干高めだが、ウィーンフィルを聴きに来ている時にあまり貧乏くさいホテルに泊まるのもということで選んだホテルである。
ホテルは東梅田のさらに東なので結構距離がある。キャリーをゴロゴロ引きながら到着したホテルは繁華街というか、歓楽街のど真ん中に建っていた。付近はビジネスホテルと怪しいホテルが入り交じるいかに大阪らしい町並み。とは言うものの「品行方正を絵に描いたような」とか「歩く道徳教科書」と言われる私には歓楽街は全く無縁の世界だ。
ホテルにチェックインして荷物を置くと、東梅田から地下鉄を乗り継いで(これがかなり大回りになる)フェスティバルホールまで。開演時刻の30分前ぐらいにホールに到着する。私のE席は3階の一番奥の隅。取り外し可能の臨時席のようである。
場内はかなり入ってはいるが満席ではない。よく見ると所々まとまって空席がある。スポンサーの大和ハウス関連席だろうか? 全体的に高いのに悪い席に当たる部分が売れ残っているようである。確かに今回の地味な内容でS席35000円はいささか高すぎるように感じられる。
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮・ピアノ/クリストフ・エッシェンバッハ
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K. 488
プロコフィエフ:交響曲 第1番 ニ長調 op. 25 「古典交響曲」
モーツァルト:交響曲 第41番 ハ長調 K. 551「ジュピター」
今回の来日はメンバーも少なく、最大で第一vnが12人の小編成である。口の悪い輩にはウィーン室内オーケストラと揶揄される構成でもある。それはともかく、さすがに演奏のレベルは高く、冒頭のネットリとしたバイオリンの音色からしていかにもウィーンフィルのサウンドということを感じさせるし、鉄壁のアンサンブルには一分の隙もない。
しかしその演奏については妙に淡々としたという印象を受けるものでもある。あまりに教科書的な演奏で面白味とか熱狂というものからかけ離れた内容に感じられた。エッシェンバッハの指揮は単に譜面通りに振っているというものではなく、ところどころテンポを振ったり溜めを作ったりということも行ってはいる。しかしそれでも演奏全体の体温がかなり低いものに感じられてしまい、正直なところ「まだまだこんなところではないだろう」という思いが終始つきまとったのである。
またプロコフィエフの古典交響曲については、先日のデュメイ指揮による関フィルの演奏では「古典交響曲に対するオマージュである現代音楽」というニュアンスが強烈に感じられたのだが、今回のウィーンフィルの演奏では「疑いようのない完全な古典的交響曲」として聞こえてきた。非常に不思議な感覚であったのだが、これがウィーンフィルのカラーというものだろうか。
N響を揶揄する言葉として「公務員オケ」という言葉と「気分だけウィーンフィル」というものもあるが、本家ウィーンフィルを聴いてのこの不完全燃焼な感覚は、まさにN響のコンサートを聴いた時に感じたものそのものであった。こちら側の事前の期待値が高すぎるということもあり得るかもしれないが、それにしても肩すかし感は否定できないのである。
帰りは西梅田からプラプラと歩いてホテルに移動する。普通に歩ける距離ではあるがいささかダルい。ホテルに戻ると最上階の大浴場で汗を流してから早めに就寝する。
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