徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

大阪に戻ってスワロフスキー指揮のチェコブルノフィルのコンサート

名古屋駅でそばを食べてから大阪に戻る

 翌朝はまた8時前に自動的に起床。懸念していたとおりに両足に痛みが出ており、太ももに張りがある。とりあえず朝食を簡単に済ませると風呂で体をほぐしておく。

 ホテルをチェックアウトして名古屋駅に到着したのは10時半頃。今日の予定は大阪のザ・シンフォニーホールで開催されるコンサートに参加するだけ。大阪に移動する前に昼食を摂っておきたいと高島屋を覗くが、飲食店街は営業開始が11時からでまだ準備中。仕方ないので名古屋駅の方に戻って、名古屋駅内の飲食店街のそば屋「みやび」「鴨南蛮そば」と「天むす」を注文する。

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名古屋駅の「みやび」

 鴨南蛮と名乗るからには出汁は鴨肉と煮込むのが当然だと思うのだが、最近は後で鴨ローストをトッピングしただけの安直なそばをよく見かける。ここもそのタイプだった。カモロースト自体は美味いが、そばと絡んでいない。

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鴨なんばそばと天むす

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店内で「爆発する酒」として有名な「るみ子の酒」を発見

 

 

化け猫ヤマトに遭遇

 昼食を終えると新幹線改札に向かうが、名古屋駅構内では何やらクロネコヤマトのイベントが開催されており、巨大黒猫の像が据えてある。しかしこれではクロネコヤマトと言うよりも化け猫ヤマトである。そう言えば猫又転じて化け猫になったたま駅長はどうしているのやら。

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化け猫ヤマトの宅急便

 もう名古屋での用事はないので、新幹線の予約を早めて大阪に移動することにする。大阪には昼過ぎに到着する。新幹線を早めたこともあって開演時間まで少し余裕があるので、大丸に立ち寄って喫茶で抹茶パフェを頂く。

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コンサート前にお抹茶ドーピング

 お抹茶ドーピングが済んだところで福島に移動する。このホールに来るのは今年何回目だろう。オケの知名度が低いためか、今日は6割程度の入りというところか。なおここに来ての私の計算違いは、足のダメージがかなりひどくなっていること。朝からあった太ももの張りが時間と共に強くなってきて、今ではホール内の上下移動さえツラいぐらいに足がこわばっている。まあ今日は主に座っているだけなので何とかなるか。

 

 

チェコ国立ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団

[指揮]レオシュ・スワロフスキー

スメタナ:交響詩 「モルダウ」
ドヴォルザーク:交響曲 第8番 ト長調 op.88
ドヴォルザーク:交響曲 第9番 ホ短調 「新世界より」 op.95

 今年は軒並みチェコのオケが来日したが、その中でも技量的には一段劣ることは否定できない。アンサンブルにはやや甘さがあるし、管についてはかなり荒っぽい感じがある。ただそれでもご当地もののアドバンテージは明らかにある。爆演型の指揮者でもあるスワロフスキーが巧みにオケを誘導して、その粗さを爆発力につなげた感がある。最初のモルダウなどは滔々と流れる大河というよりも、その終盤などは大スペクタクルを繰り広げる急流になっている。

 さらにドボルザークの田園交響曲ともいわれる8番も、そのままの勢いで突入したようである。ボヘミアの田園とは何と野趣に富んでいることかと思わせるような怪演。ややこの曲のイメージとは異なる感があるが、これはこれで面白くはある。

 新世界はさすがにオケにとっても十八番中の十八番なんだろう。演奏には安定感が出るし、爆発力の方も暴走寸前で何とかコントロールしたようである。決して巧みな演奏と言える内容ではないが、それでも音楽としては十二分に楽しめる演奏となった。

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チェコ風味満載のアンコールドカ盛

 それにしてもスワロフスキーも盛り上げ上手だ。アンコールに持ってきたハンガリー舞曲第5番がノリノリの熱演で、あの荒々しく高速テンポな指揮にピシャリと合わせてきたオケにも感心。スワロフスキーはほとんど指揮台の上で踊っていたが、楽員の方もそれに近いような感があった。さらにこの後も全開のスラブ舞曲15番が来て、やんやの大喝采の中でコンサートは終了したのである。

 

 今回は中部フィルとブルノフィルという決して一流とは言いにくいオケのコンサートであったが、逆に音楽の楽しさとは決して技量だけで左右されるわけでもないということも感じさせられることになった。演奏の場における空気や熱量のようなものまで伝わってくるのがライブの醍醐味と言えよう。