今日は群馬まで移動する
翌朝は7時半頃に自動的に目が覚める。8時まで寝るつもりで目覚ましをセットしていたのだが、サラリーマンの悲しい習性ではある。昨日買い込んでいたおにぎりを腹に入れると9時前にはチェックアウトする。
今日の予定は高崎への移動。前橋で開催される群馬交響楽団のコンサートを聴きに行くついでに高崎地区の美術館に立ち寄るつもり。ただその前に上野に寄り道。東京都美術館で「ボッティチェリ展」が今日から開催のはずである。
上野駅内のチケット売場でチケットを購入してから美術館に向かうが、美術館前には既に100人弱の開館待ち客が。まあ想定の範囲内か。開館時間までにこの人数が倍以上に膨れ上がるが、館内はごった返しというほどではなかった。
「ボッティチェリ展」東京都美術館で4/3まで
ボッティチェリの作品でも玉石混淆な印象。いかにもサクッと仕上げた感じで既製品的雰囲気があるのはいわゆる工房作品だろう。ボッティチェリ自身の直筆によると思われる作品は完成度がけた違いである。細かな描線の描き込みと明瞭な明暗表現は彼の神髄だろう。
本展ではさらに彼の師匠に当たるフィリッポ・リッピの作品、さらにその息子でボッティチェリの弟子になるフィリッピーノの作品も併せて展示してあった。フィリッポ・リッピの作品はいかにも古くさい絵画という印象だったが、フィリッピーノの絵画はボッティチェリよりもさらに繊細な表現が目立つ柔らかめの絵画であり、これはこれでかなり好ましい絵画に感じられた。当時はボッティチェリの作品は男性的(理知的という意味になるらしい)、彼の絵画は女性的と評されたようだが、今日的な目で見るとフィリッピーノの作品の方が後世の絵画に近いように感じられた。
高崎に移動する
展覧会の見学を終えると高崎に移動することにする。特に急いでいないので新幹線は利用せずに高崎線で移動するつもり。ただしロングシートで長時間揺られるのは嫌なのでグリーン車を利用することにする。
高崎行きの列車が出るまでに時間があるのでエキナカでカレーを食べるがイマイチ。やはりどうしてもエキナカは場所代が高くなるのでCPは悪くなる。特にイートインの店は覿面にCPの悪いところが多い。CPだけを考えるとアメ横辺りまで繰り出せばいくらでも店はあるのだが、あそこまで行くのも面倒だし・・・。
高崎行きの列車は1階の13番ホームから発車の模様。私は「何とかと煙」で2階席に陣取る。2時間近くの長旅になるので、この原稿を入力したりリクライニングでゆったりとくつろいだりで過ごす。
高崎に到着すると宿泊ホテルであるホテル123にキャリーを預けて身軽になる。
これから高崎の美術館を回る予定だが、その前に昼食を摂ることにする。ホテル近くの「大庄水産」に入店して「マグロ丼(750円)」を頂く。内陸の群馬でマグロ丼というのも奇妙な話だが、まあCPは悪くはないか。
昼食を終えたところで近くのビルの中にある美術館に入館する
「トップランナー2 日本画の若き力」高崎タワー美術館で1/31まで
新進気鋭の日本画家の作品を集めた展覧会。独特の質感のある自然描写の猪俣公介、竹内栖鳳の影響を受けたという川又聡の動物画、独特の色使いに魅力のある松岡歩、幽玄さを感じさせる松村公太、4名4様の個性が発揮されていて面白い。
美術館の見学を終えると駅の反対側に渡ってそちらの美術館にも立ち寄る。
「犬塚勉展 永遠の光、一瞬の風。」高崎市立美術館で1/31まで
山野や渓流の風景を描き続け、38才で山で散った夭折の画家の作品展。
彼は一貫して「自然を描く」ということを目指したらしいが、確かにその絵画には単なる風景画ではない生々しさがある。単に風景を模写するのではなく、その場の空気感のようなものまでが伝わってくるのである。草の一本一本まで描き込んだ緻密な絵画から、岩を独特のタッチでザクッと描いた絵画まで画風は結構変わるのだが、自然の真の姿をとらえようと言う姿勢は常に一貫している。
晩年は水の表現を一つの課題にしていたようであるが、その水を通してもっと深いものを表現しようとしていたことが伺える。「もう一度水を見てくる」と言い残して山に入り、悪天候で力尽きたのが彼の最後になったとのことだが、若くしての不慮の死が惜しまれるところである。
休憩後、前橋に移動する
美術館の見学を終えたが、ここでとりあえずの予定はなくなってしまったので、とりあえず一旦ホテルにチェックインすることにする。チェックイン手続きを済ませると大浴場で入浴してしばしマッタリ。コンサートは前橋で6時半からなので、5時過ぎぐらいに外出して高崎駅から前橋に移動する。前橋まで4駅ほどなのですぐに到着する。
前橋に到着したが、以前にここに来たときも感じたのだが寂れ感が半端でない。全国の県庁所在地の都市の中でも寂れムードはトップクラスのように感じる。とくにまずいのがテナントがほとんど立ち退いて閑散としている駅前ビル。案内看板を見ると撤退したテナントの跡が生々しく、まさに幽霊施設の墓標そのものである。これは根本的に何とかしないと、駅前でこれでは町自体の印象が極めて悪い。
駅前で少々時間をつぶそうかと思っていたのだが、これでは時間をつぶすどころでないのでやや早めだがホールに移動することにする。ホールはこちらと反対の駅南側にある。南口から数分歩いたちょっとした公園の南にあるのだが、この駅南側が北側に輪をかけて活気がない。どうなってるんだ?前橋は。
到着した前橋市民文化会館は開演待ちの客で一杯だった。どうしようもないので私はしばしNexusでマンガでも読みながら時間つぶし。ようやく開場時刻が来ると全員がゾロゾロと入場。ホールは良くも悪くも典型的な地方の文化会館。先日に中部フィルの演奏会を聴きに行った犬山市民文化会館と区別がつかないぐらい。
第54回まえばし市民名曲コンサート
指揮:マティアス・バーメルト
ヴァイオリン:小林 美樹
グリンカ/歌劇《ルスランとリュドミラ》序曲
チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35
ムソルグスキー(ラヴェル編曲)/組曲「展覧会の絵」
群馬交響楽団の演奏は正直に言うと下手と言える。金管がヘロったり音抜けしたり、私にさえ分かるようなミスもある。また弦などもよく見ているとボウイングが揃っていないこともある。
ただ技術的に劣るからといってそれが必ずしもダメな演奏になるとは限らない。決してヌルい演奏をしているわけでもないし、投げ槍になっているようではない。グリンカはそれなりに楽しい演奏だったし、展覧会の絵も管楽セクションが必死であるのは伝わってきた。10の実力がある楽団が8の演奏をするよりも、6の実力しかない楽団が精一杯の6の演奏をしてきた方が時として音楽的には面白いものになる時もある。そういうものである。
なおソリストの小林美樹は堂々たる演奏であった。ややもすれば不安定さが出るバックのオケを引っ張った感があった。
いろいろな意味で先日の中部フィルと重なる部分があるオケであった。地方で頑張って欲しいオケと言うところか。観客もいかにも地元という印象で、子供も結構来ていたようである。もっともそのせいで会場内はいささかザワザワとした雰囲気であったが。
夕食は内陸県群馬でなぜか魚介類
コンサートを終えると高崎に戻る。帰りは電車の本数が少ないせいで駅でしばし待たされる。ようやく高崎駅に到着したのは9時過ぎ。夕食を摂る必要があるが、面倒なので高崎駅前の「豊丸水産」に入店。「貝焼きの盛り合わせ」「貝汁」「鉄火巻き」「じゃがバター」「卵焼き」などを頂く。それにしてもなぜわざわざ内陸の群馬で魚介類ばかり食ってるんだが。
ホテルに戻ると入浴してから就寝する。明日は再び東京に戻ることになる。
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