徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

篠ノ丸城&山崎城を見学してしそうよい温泉で汗を流す

 昨日は大阪にコンサートに出向いたが、今日は近場の城郭を訪問することにする。と言うのも、最近はコンサート中心で運動不足がかなり来ており、体力回復のためにはやはり城郭回りも再開すべきと考えた次第。そこで比較的近くでリハビリに手頃な城郭を選び出した。今回の目的地は山崎。黒田官兵衛ゆかりということで最近に観光開発が進んだらしい。播但有料道と中国自動車道を経由するとすぐに到着できる。

篠ノ丸城 赤松氏の一族の高山上の詰めの城

 今回まず訪問したのは篠ノ丸城。赤松氏の一族の宇野氏がこの地においた居館の背後に詰めの城として築いたものらしい。戦国期には宇野政頼の嫡男の満景が城主となったが、1574年に父子の不和で満景は廃嫡となり殺害されたとのこと。その後は家臣の内海左兵衛が城代となったが、1580年に羽柴秀吉の攻撃によって落城したとのこと。なお宇野氏滅亡後に黒田官兵衛が「山崎の城に居城した」という表記が黒田家譜にあることから、これが篠ノ丸城のことではということで、強引に黒田官兵衛ゆかりということになっているようだ。

 いかにも赤松氏の城らしくかなり高い山の上に築かれている。ただ今回この城を選んだのは、かなり上の方まで車で行けることが分かっているから。さすがにこのクラスの山を麓から登り切るだけの体力は今の私にはない。

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篠ノ丸城はこの山上にある

 うねってはいるが道幅も広くてキチンと整備された道路を登っていくと、ちゃんと駐車場まで完備されていて至れり尽くせりである。どうやらこの山は公園として整備されているらしい。この駐車場から少し歩くと山頂へ行く山道の入口がある。

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駐車場完備

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少し歩くと登山口

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山道だがしっかり整備されている

 ここからは九十九折りの山道を登っていく。かつての体力が十分だった頃なら鼻歌まじりに登れそうな道なのだが、現状では息が上がってフラフラという情けなさ。それでも途中で何度か休憩しつつようやく山頂にたどり着く。

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ヨレヨレになりながらも山上に到着

 山頂には思っていたよりも広いスペースがある。主郭の回りは土塁でしっかりと守られており、主郭の周囲には何段かの曲輪が取り囲んでいる。

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奥に土塁で囲われた主郭がある

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城跡碑あり

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主郭に入る

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内部はかなり広い

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石碑なのか墓石なのか

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城郭の構造

 北の方の曲輪の先に畝状竪堀があるとのことなのだが、その辺りに降りていっても鬱蒼としていて私の目ではよく確認できなかった。

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北側には数段の曲輪がある

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この辺りが先端部

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さらに降りてみたがよく分からない

 西の曲輪の北の斜面にも畝状竪堀群があり、そこは標識まで立っていて分かりやすくなっている。ただ竪堀自体はあまり明瞭ではない。

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西の曲輪の方に回ってみることにする

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ここの竪堀はまだ分かりやすい

 一方、西の曲輪の先端にある堀切はかなり明瞭に残っている。西の尾根からの道をこの堀切で断ち切ってある。

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西の曲輪には休憩所があり、二の丸との表記が

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その先には明瞭な堀切が

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降りてみるとかなり急

 赤松氏らしい高山の山上に築いたそれなりの規模の城郭であった。あまり期待していなかったが、それに反して結構見所のある城郭であった。やはりこの近辺の赤松氏城郭は侮れないようだ。

 

ジビエ料理を頂いてからしそうよい温泉で汗を流す

 久しぶりの山登りでタップリ汗をかいたところで、やはり温泉と昼食にしたい。この近辺となるとやはりしそうよい温泉か。まずは温泉近くの朱鳥庵でジビエ料理を頂くことにした。「猪鹿鳥おまかせ御膳(2500円)」なるメニューがあったのでそれを注文。

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朱鳥庵

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店の入口

 なんとトレイ2枚にタップリと小皿料理がのってきた。猪のカツや焼き肉、鹿のタタキや鴨ローストなどジビエの盛り合わせ。この料理がこれまた悉く美味い。ジビエで力が湧いてくる印象。

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この品数の多さには絶句

 昼食を堪能した後は温泉へ。相変わらずお湯はしっとりと肌に馴染むのだが、気になるのは以前にも増して客が減っていること。そのためか離れた場所にあった露天風呂は閉鎖されており、また飲食コーナーも閉鎖になったようだ。どうもじり貧ムードが漂い始めている。やはり僻地だけに苦しいのだろうという気がする。果たして次に来た時にまだ営業しているだろうか。かなり不安になってくるところだ。安富の花温泉も閉鎖されたし、どうもお湯の良いところに限って寂れてしまうのはどういうことだ?

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しそうよい温泉

 

山崎城 住宅地に埋もれた松平氏の藩城

 腹が膨れて汗も流したところで、最後に住宅地内に埋もれている城郭を訪ねていく。それは山崎城。1615年に宍粟郡3万8千石を与えられた松平石見守輝澄(家康の孫)がこの地に築いたという城郭である。江戸時代になってから築かれた城なので、赤松氏のような山上に築く必要はなく、交通の便の良い位置に築いてある。その後、城主は転々としたものの城自体は明治まで続き、明治になって藩邸が学校になって今日に至っているとか。

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案内看板より山崎城縄張図

 現在は二の丸跡は山崎小学校に、三の丸跡は文化会館に、本丸跡は民俗史料館という風に見事に公的施設に変わってしまっている。遺構としては市指定文化財となっている陣屋門と左右の土塀ぐらいしかないのだが、地形に城郭としての特徴が残っている。南側の水路はかつての堀の名残と考えられるし、民俗史料館と山崎小学校の間にもかつての本丸と二の丸の間の堀の名残を示す地形が残っている。埋御門跡には立派な石垣と虎口があるが、これは多分後世の復元だろう。

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文化会館が三の丸

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本丸裏手の埋め門

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現存する本丸陣屋門

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前のスペースはかつての堀の名残だろう

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向こうの学校が二の丸跡

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どことなくかつての堀の名残がある

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城南の堀の名残と思われる水路

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前の道の屈曲もかつての堀の名残か

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ここが大手門跡

 遺構自体はほとんどないが、それでも一回りするとかつて城郭だったということは明らかに分かる。城跡の石碑が建っているだけ程度だろうと思っていたが、良い意味で予想を裏切られた。

 これで今回の予定は終了。久しぶりの山歩きで足腰にかなりガタが来ているし、明日はまた大阪まで遠征する予定だし、無理はせずに帰宅することにしたのである。