翌朝は8時まで爆睡するつもりだったのだが、睡眠力の低下と部屋のうるささもあって7時に目が覚めてしまう。結局はそのままチェックアウト時刻までゴロゴロと過ごす。
さて今日の予定だが、メインイベントは京都で6時開演のロイヤルコンセルトヘボウ。しかしその前に10時から大阪ステーションシネマに「ノルマ」のMETライブビューイングに参加する予定。METなんて実際に行くのは不可能だし、もし引っ越し公演の類いがあったとしても、とても私に払える金額にはならないのは確実。私がMETの公演を見ようと思えばこれぐらいしか手はない。ただ3000円以上という料金は映画として考えると非常に高い。
ホテルをチェックアウトすると映画館に向かう。朝食は梅田のミンガスでカツカレー。朝はこれに卵と味噌汁がついてくるのがありがたいところ。
朝食を終えると映画館へ。ステーションシネマは駅の北ビルの11階にある。エレベータで直行だが、このエレベータが結構混雑する。
劇場内は3割程度の入りと言うところか。この辺りは想定内だろう。
METライブビューイング ベッリーニ《ノルマ》
指揮:カルロ・リッツィ
演出:デイヴィッド・マクヴィカー
出演:ソンドラ・ラドヴァノフスキー、ジョイス・ディドナート、ジョセフ・カレーヤ、マシュー・ローズ
新演出とのことであるが、そう画期的に解釈を変えたというものではなく、細かいところにいろいろと細工をしたというところ。
主役のノルマのラドヴァノフスキーの歌唱が見事の一言であったのは当然だとして、それと渡り合う形のアダルジーザのディドナートの堂々たる歌いっぷりが作品を大きく盛り上げていた。二人の二重唱などは迫力と美しさが一杯でさすがの一言。
さすがにMETというか圧倒された。主演はともかくとして、やはりその周辺が圧倒的である。またセットも大がかり。全体的に「金がかかってるな」という感覚がある。
なおライブビューはやはりオペラと言うよりは所詮は映画という印象が強かった。臨場感、音響共にどうしてもライブより劣るのは仕方ないとしても、やはりパタパタと視点が変わる映画的な画面はどうしても落ち着かない。なおそうなった場合につらいのは、主演陣がアップになった時にそれなりの年配であると言うことがハッキリ出てしまうこと。どうしてもうら若い男女の物語というのには無理が出る。この辺りは距離とメイクで誤魔化せるステージと違うところ。なお私が映像構成を担当するなら、メイン画面は客席からのロングの風景に固定して、メイン画面上方などのサブ画面にアップなどの映像を随時に出していくという構成にしたいところ。歌手が正面に大写しで見えているのに、音声は画面の端の方に定位するなんていう映像と音声の場所のずれから来る不快感も、こうすれば少なく出来るのではないか。普通にオペラを客席から見る感覚に近づく(基本的にはステージをロングで見ているが、時折オペラグラスをのぞき込むという感覚)ので、その方が結果として臨場感は増すような気がする。テレビの小さい画面ではなく、映画館の大スクリーンだからこそ出来る手法。誰かMETに提案してみて(笑)。
大丸レストランで昼食
オペラを終えると大丸のレストラン街で昼食を摂ることにする。「ル フィガロ」で洋食プレート(1980円)を注文。CPは難しいところだが味はまずまず。
昼食を終えるとJRで京都に移動する。それにしても相変わらず京都は人が多い。人が多すぎてどうにもならない。今や京都は日本で最も風情のない町の一つになってしまっている。そしてその風情のなさに拍車をかける大馬鹿建築の中が最初の立ち寄り先。
「ミュシャ展 ~運命の女たち~」美術館「えき」KYOTOで11/26まで
ミュシャ展は今では各地でしょっちゅう行われているが、それらの展覧会に対しての本展の特徴は、いわゆるアール・ヌーヴォー期のポスターが中心ではなく、ミュシャの初期の素描作品などが結構展示されていること。
そのような素描作品を展示することで、ミュシャのいわゆる流行デザイン作家としての面ではなく、彼自身が本来目指していた正当な芸術家としての側面に光を当てている。彼の素描を見ていると、当初から彼が卓越したセンスを有していたことが覗える。そしてそれが後のスラブ叙事詩に結びつくという流れが理解できる(本展ではスラブ叙事詩に纏わる展示は一切ないにも関わらず)のである。
展覧会の見学を終えると地下鉄で直ちに東山に移動する。当初予定では3箇所ほど立ち寄るつもりだったが、思いの外時間がない。次で恐らく最後になるだろう。
「岡本神草の時代」京都国立近代美術館で12/10まで
明治末期から大正期にかけて活躍し、独特のグロテスクささえ感じさせる表現を駆使した絵画を描いた岡本神草と同時代の関係ある作家たちの作品を展示。
岡本神草の作品については「官能的」という言葉が使われているが、私の正直な感想は上にも述べた「グロテスク」である。そういう点で反発も感じるのだが、やはり一度見たら忘れないぐらいのインパクトがある。なお大正期には大正デカダンスとも言われこういうタッチの絵画が流行ったのか、同タイプの作品は何種類か展示されていたが、やはりその中でも最右翼は彼と甲斐庄楠音。なお菊池契月の作品なども展示されているのだが、菊池契月の作品でもこの時期の作品は明暗表現などが濃厚さを漂わせている。たださすがに契月らしいのは清澄感が常に流れていること。なお岡本神草は菊池契月に師事することになるのだが、そうなると契月の影響か絵のタッチが以前よりも落ち着いた静かなものになる。静かさの中に微妙な色気のようなものを帯びていて非常によろしい絵画になったのであるが、残念ながら彼の画業はそこで突然に終わってしまう。
38歳という若さでの夭逝が実に惜しまれる画家である。
案の定、もうホールに移動しないといけない時間になってしまった。とりあえず地下鉄でホールに急ぐが、このままホールに直行したら夕食を摂る暇がないことに気がついた。といっても今更どこかに入店する時間的余裕はないし。昼食が遅かったせいで正直なところあまり腹が減っていないので、夕食はコンサート終了後に摂ることにして、今はとにかく何か軽く腹に入れておきたい。ということで、進々堂でパンを2つほど買って食べておく。
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
[指揮]ダニエレ・ガッティ(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団首席指揮者)
[チェロ]タチアナ・ヴァシリエヴァ
ハイドン:チェロ協奏曲第1番 ハ長調 Hob.VIIb-1
マーラー:交響曲第4番 ト長調(ソプラノ:マリン・ビストレム)
いきなり第一音から魅了された。なんて美しい音を出すのだろう。どうやればオケからこんな音色が出るのかと感心するぐらいである。一曲目のハイドンはオケの構成を小さくしている分、余計にアンサンブルが引き締まっている。そこにヴァシリエヴァのチェロが縦横無尽に響く。ハイドンってこんなに豊かで美しい曲を書いてたんだと曲に対する認識さえ新たにされる名演。
後半は14構成の大編成にしてのマーラーだが、こうなってもコンセルトヘボウの鉄壁のアンサンブルは揺るぎもしない。非常に濃密な弦の音色に安定感抜群の管が絡む。ガッティはこのオケを使ってゆったりとマーラーを謳わせてきた。下手なオケだとこのテンポでは完全に音楽が緩みきってしまうのだが、コンセルトヘボウがここで描きあげるのはまさに天上の音楽であった。うっとりする中に最後はソプラノが絡み、まさに夢見心地の中で曲を終えるのである。
さすがにロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団と言える演奏であった。前回の来日ではヒメノの悉く的を外した指揮にイライラとさせられたのだが、さすがにこのオケはキチンとした指揮者の元では凄まじいまでの実力を見せつけると思い知らされた。これだけ滑らかで濃密な演奏は今まで聴いたことがない。
朝から駆け回ったので結構疲れたのであるが、十二分に満足できるコンサートを堪能することが出来たので上々である。この日は満足して家路についたのである。