翌朝は8時に目覚ましで起床。ホワイトノイズ発生器の効果があったかどうかは不明だが、かなりグッスリと眠れて気分は爽快。早速ビジネスマンの戦闘服に着替えると、最小限の荷物を持って9時過ぎ頃にホテルを出る。今日の仕事は13時から品川だが、その前に上野に寄り道。国立西洋美術館で開催中のミケランジェロ展に立ち寄ろうとの考え。
上野駅ナカで朝食を摂ると、チケットも上野駅で調達して美術館へ。ここの美術館は駅からのアクセスが良いのがメリットの一つ。
「ミケランジェロと理想の体」国立西洋美術館で9/24まで
ギリシア・ローマ時代には芸術の世界においては肉体表現が重視され、理想化された肉体が彫刻などの世界で展開した。そのような肉体表現はキリスト教支配下の中世ではタブー視されることになるが、人間重視のルネサンスで再び復活する。
本展ではギリシア・ローマ時代の彫刻から始まり、ミケランジェロに至るまで作品を各種展示。ミケランジェロの作品については二点展示。未完成のためにダヴィデなのかアポロなのかが分からないという「ダヴィデ=アポロ」と戦争のせいで破壊されてしまったものを近年に修復した「若き洗礼者ヨハネ」。「ダヴィデ=アポロ」については未完成のために細かい表現はまだ行われていないにも関わらず、体全体に漲る力強さはさすがにミケランジェロという作品。ヨハネの方は戦火に焼けてしまった顔の上部が痛々しいが、残された緻密な表現はこれまたさすがである。
なお会場には1506年に発掘され、その生々しい苦悶の表現などからミケランジェロを始めとして多くの芸術家に衝撃を与えたという古代彫刻の傑作・ラオコーン像の復刻も展示されている。ただ本作については映像で見たオリジナルよりはやや表現が抑えめに感じられた。また破損していた右腕については、復刻者の解釈によって高々と掲げられる表現をとったようだが、いささかこれについては私は疑問。というのも、どことなく苦悶の様子と言うよりは「イェィー!」という雰囲気に見えてしまったからである。
美術館を出た時には11時半頃。そろそろ昼食を摂ってから仕事先に向かう必要がある。昼食を上野で摂るか、品川で摂るかだが、品川は全く土地勘がないことから上野で昼食を摂っていくことにする。立ち寄ったのはいつもの「黒船亭」。いきなり満席で待たされるが、ほどなく席が空く。注文したのは「オムライスセット(2500円)」。
コースになっていて最初のにんじんのスープはかなり美味い。ただメインのオムライス自体は意外に平凡。エビが入っていたのには驚いたが、それならチキンが入っている方が私好み。デザートも美味かったが、トータルで見るとCPはやや低め。
昼食に予定外に時間を取ったので仕事先まで急ぐ。
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仕事の方は上々だった。タップリ寝たせいで眠気もなく、頭の冴えた状態で仕事に臨むことが出来、なかなかの収穫があった。
さて仕事が終わったら自由時間。これからはコンサートに出向くことにする。目指すはサントリーホールで開催されるロシア国立交響楽団(スヴェトラーノフオケ)の公演。懸念は指揮者が私があまり高く評価していない西本智美であること。だからリスク回避の意味で12000円のS席ではなく、6000円のC席を購入している。ベルリンシンフォニカーの時などと同じパターンである。
品川から地下鉄を乗り継いで六本木一丁目へ。18時前には到着するのでここで夕食を摂ることにする。「杵屋」に入店して「きつねうどんのセット」を。うどんはまずまずなのだが、店内がやけにたばこ臭いのが気になる。どうやらこの店は禁煙も分煙もしていない模様。今時こういう店には喫煙者が集中するので、通常の店よりもさらに臭いということになり、非喫煙者にとってはとても立ち入れない店になってしまう。この様子だと、次の時には私もここに来るのは考え物。
開場時刻頃にホールへ。ホールには大勢の客が押しかけているが、オバサン層が多いのは西本コンサートの常か。ただそういう層だけでなく、ロシアからの外来オケを聴きに来たというタイプの観客もかなり見受けられる。
ロシア国立交響楽団〈スヴェトラーノフ・オーケストラ〉
指揮:西本智実
チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 Op.64
チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 Op.74?「悲愴」
西本の指揮は相変わらず身振りは派手なのだが、表現自体はおとなしい感じで特別な印象が薄い。またスヴェトラーノフオケは悪いオケではないが、アンサンブルがやや乱れることがあり、またロシアオケによくあるような暴力的な破壊力を持っているタイプではないようで全体的に中庸なオケ。なお序盤は指揮者とオケの意思疎通にややギクシャクした印象があった。西本がオケに対して「もっとメリハリをつけて」「もっと謳って」というメッセージを投げているのにオケの方はサラッと流してしまったり、オケが指揮者の意図したものと異なる速度で走りかけたりといった場面が見受けられた。また未整理のまま音をぶちまけたように聞こえる場面もあり、雑然とした演奏という印象も受けた。このちぐはぐさは中盤以降からはやや解消したが、それでもこの曲に漲るチャイコの情念のようなものが全く感じられず、全体的に緊張感に欠けたやや眠目の演奏になってしまった感は否定できない。
後半の「悲愴」は前半の5番よりはずっとまとまった演奏となった。西本の指揮も熱が入っており、その熱がいくらかオケに伝わった感があった。ただオケのアンサンブルの甘さのせいもあってやはり緊張感は不足。美しさはあるのだが、それがこの曲特有の切ないほどの情念と言ったところまではやや及ばない。特に一楽章にその傾向が強かった。二楽章以降はそれなりにまとめて美しさのあるマズマズの演奏にはなったが、今ひとつ不足を感じる部分はいくらかある。
雰囲気が少し変わったのはアンコール曲。アンコールは一曲だったが、これはオケが指揮者関係なしに突っ走ったのか、パワー爆発でアンサンブル無茶苦茶という豪快な演奏になった。このオケはこんな音も出したのかと驚いた次第。このパワーを魅力として引き出しつつ、全体をまとめきれる指揮者(それこそスヴェトラーノフとか)にかかればこのオケももっと違った演奏をしそうである。スヴェトラーノフを黄泉から呼び戻すことは叶わないから、現役指揮者ならフェドセーエフかポリャンスキー辺りか。
西本もいわゆるオスカル様の色物指揮者から本格的な実力派指揮者に転身を図るとすれば、そろそろ正念場のように思われる。どことなくまだ自分のスタイルの確立を模索しているように感じられた。今回の演奏でも「無難」もしくは「平凡」の一言であり、これが西本のスタイル、魅力だと言えるようなものはまだ見えてこない。さすがに指揮スタイルの美しさだけでは音楽ファンに対するアピールにはならない。なお以前には明らかにパフォーマンスとしか思えないような無駄な動きも多かったが、今回見た印象ではそのような無駄な動きは随分と減ったようである。女性指揮者にもシモーネ・ヤングのような先人もいるので、彼女にも頑張ってもらいたいところ。かつては「大勢を統率する必要のある指揮者には女性は向かない」なんてことが大っぴらに言われていた時代もあったぐらいなのだから、時代も変わったものである。
なお客層もやや変化したのか、悲愴の第三楽章終了後に拍手が起こったり、宝塚さながらの場違いな黄色い歓声が飛ぶということも今回はなかったようである(熱心な追っかけの類いと見られる者はいくらか見受けられたが)。やはりいろいろな意味で西本も転機にさしかかっているか。もっとも会場で配られたチラシはことごとく西本指揮の公演のもののみと、興行側は未だに西本を色物扱いしているのは何となく覗えてしまったのであるが。
感想としては12000円を払っていたとしたらハズレ、6000円だったらこんなものかと言ったところ。結果として私の選択は正しかったということになる。なお西本の現況が分かったのは一つの収穫。以前に聴いた時には、所詮はいずれ消える色物指揮者という印象しかなかったが、今回の印象ではもし10年後に生き残っていれば存外良い指揮者になっているのではという気がした。
コンサートを終えるとホテルに戻り、大浴場で体を温めてから就寝する。今日も疲れた。