翌朝は6時に起床する。7時まで寝るつもりだったのが早めに目覚めてしまった。まあ今日は早めから行動するつもりだったので、この際に起床することにする。
まずは朝食。食堂でオーソドックスなバイキング。品数は多くも少なくもないというところだが、一応は和洋両対応になっている。
朝食を終えるとシャワーを浴びてから身支度することにする。今日は本格的な雨は降らないようだが、生憎と曇りの模様。8時になる前にチェックアウトする。
さっぱ船で青の洞窟を見学
今日は昨日視察した浄土ヶ浜を見学するつもり。浄土ヶ浜といえば青の洞窟だが、この洞窟内に入るさっぱ船が8時半から運行しているはず。船着き場に到着すると私が最初の客。ライフジャケットとヘルメットを装備して、3人乗りのボートに乗り込むことに。
乗船券を買った時にかっぱえびせんを渡されたが、これは自分のおやつでなくカモメの餌用。こいつらが人間に慣れているというか傍若無人というか、船に乗り込んできて餌をねだるわ、挙げ句はヘルメットの上に乗っかるわとやりたい放題。よく見るとカモメのくちばしはかなり尖っているから、餌のやりかたを失敗してつつかれたら怪我しそう。思わずヒッチコックの「鳥」を連想してしまった。確かにこんな連中に集団で襲われたら助からん。
ボートは湾内を一周するがよく揺れる。正直なところ私などはもし船上で立ち上がったりしたら間違いなく海に転落するだろう。小舟の上で立ち上がるどころか戦うことの出来る村上水軍の強さというのを改めて想像するところ。確かに船戦は慣れていない者には無理だ。
やがてボートは青の洞窟に入っていく。かなり狭い洞窟なのでこのクラスのボートでないと内部まで入れないのは納得。ちなみにこの洞窟は八戸まで続いているという伝説があるそうだが、もしそうなら八戸は数十メートルぐらい先のようだ。奥ではかなり激しく波がはじけている。手前のところが外からの光で青く輝いているが、ここの水深は8メートルほどの深さがあるとのこと。なんとも言えぬ水の色である。ちなみにここにやって来ると願いが叶うという伝説がある。これで私も金持ちになって美人の彼女が出来てウハウハ人生・・・ってラピスの宣伝かいっ! もし実現したら、両脇に美女を侍らせて札ビラを広げた記念写真でも掲載します(笑)。
浄土ヶ浜を見学
さっぱ船の乗船後は遊覧船の方に乗るつもりだが、時間がまだあるのでその間に浄土ヶ浜海岸まで歩いて行くことにする。浄土ヶ浜海岸はここから徒歩5分弱。白い砂浜・・・ではなくて砂利浜である。奇岩の類いが沖に多数見えていて壮観。
遊覧船に乗船
浄土ヶ浜を見学後は遊覧船乗り場へ。乗船券を買ってしばし船が到着するのを待つ。浄土ヶ浜はことさらに「恋人たちの聖地」を名乗っているわけではないが、やって来ている客にはカップルが多い。とは言うものの、その平均年齢は私よりも遙かに上の60歳オーバー。その名の通り、浄土が気になる頃になるとここに来たくなるのだろうか(笑)。
遊覧船は200人は乗れる大型船とのこと(今日の乗客は二十人足らず)。ガイドの案内を聴きながら沿岸見学。ちなみにこの船は津波の際には船長ら3人が乗り込んで沖合に避難したおかげで無事だったとか。ただし他の2隻はこの時に被害を受けたとのこと。この船が残ったおかげで今も遊覧船が運航できているらしい。ただこの時に沖合避難した船長たちは、沖合で3日間も待機し続けることになったとか。食料を積んでなかったので、カモメの餌用のパンを食べて飢えをしのいだとか(水はあったんだろうか?)。とにかく寒いのが大変だったとのこと。3日後に戻ってくる時も、あちこちにがれきが浮かんでいて通常航路が航行不能でかなり苦労したらしい。
遊覧船は湾外まで出て辺りの海域を一周して戻ってくる40分のコース。この海岸は奇岩の群れだが、これは溶岩層が隆起して海で浸食されたものだとか。確かに各地に溶岩の結晶面のようなものが見える。これ以外にも堆積層などもあり、この辺りがジオパークたる所以のようだ。
道の駅で昼食を摂ることに
遊覧船で一回りしてきたところで浄土ヶ浜の見学は終了。さてこの後は・・・全く予定がないので、近くの漁協の道の駅に立ち寄って、土産物の追加及び海の恵みソフトを食べて一服。
どこか立ち寄るところでもと思ったが、1時間程度で行ってこれるところがない。実は近くにある県立水産科学館を候補に考えていたのだが、今日が月曜日で休館だったのが計算違いだった。うっかりと「月曜トラップ」に引っかかってしまった。
仕方ないので昼食もここで済ませてしまうことにする。先程のレストランでイクラと漬けサーモンの海鮮丼を頂く。いかにも観光地飯だが悪くはない。
ところでこの道の駅で宮古港海戦に関するイベントの萌えポスターを見かけたが、宮古港海戦と言えば、幕末に虎の子の戦艦・開陽を事故で失った旧幕府軍の土方らが、新政府軍の戦艦・甲鉄を奪取しようと、宮古港で奇襲をかけたという海戦である。結果は嵐のために作戦に参加した3隻の船舶の内の2隻が戦闘に参加できず、唯一攻撃をかけた回天は外輪船であったために甲鉄に接弦することが出来ず、しかも甲板の高さが3メートルも違ったために戦闘員が敵船にスムーズに移乗することも叶わず、作戦は失敗という結果だけを見ると結構グダグダな戦闘だったはずである(東郷平八郎はその作戦の大胆さに感服したようであるが)。幕末スターの土方歳三なんかも絡む事件だけに、宮古はもしかしてこれを観光の目玉の一つに考えているのか? そう言えば宮古の駅前で土方のポスターを見かけた記憶がある。なぜ萌えキャラが登場するのかは意味不明だが、イベントとして目の付け所は悪くはない。
宮古駅から鉄道で戻ることに
何だかんだしているうちに11時半ぐらいになったので、もう車を返却して宮古駅に移動することにする。宮古はとにかく列車の本数が少ないところなので、もし列車に遅れたら今日中に帰宅できない。やはり行動は慎重に行うことにする。とにかく「石橋を叩くだけで渡らない」と言われている私のことである(笑)。
到着した宮古駅は大勢の乗客でごった返していた。どうやら釜石方面に向かう団体客がいる模様。ただ、別に指定席を取っているわけでもないのに、改札を占拠して一般客を押しのけて優先的に乗車する団体客には疑問。これなら最初から指定席車両にしろと言いたい(三陸鉄道は団体客用に専用車両も運用するはず)。
三陸鉄道で釜石経由で帰宅することにする。本当は山田線で盛岡経由にしたかったのだが、とにかく異常に本数が少ないせいで、このルートだと帰り着けない。満員の車両に乗り込むと、しばし昨日と同じ車窓を眺めることとなる。海を目隠しするような防潮堤(しかもまだ工事中のところが多い)、住宅が建たずに更地ばかりの町、何やら気の滅入ってくると同時に、我が国の悪政に怒りがこみ上げてくる風景が続く。
ようやく釜石に到着すると、ここからJRの快速はまゆりに乗り換えて新花巻を目指すことにする。先程の団体がこれに大挙して乗り込んできたら嫌だなと思っていたが、どうやら彼らは目的地が違う模様。と言うか、はまゆりには指定席もあるのだから、団体客なら指定席を押さえているだろう。釜石駅で乗り換えの際に売店でライフラインのミネラル麦茶を購入するとはまゆりに乗り込む。昨日はSL銀河で賑わっていた釜石駅も今日は閑散としている。
列車は釜石の市街を抜けるとすぐに深い山の中を走る。それにしてもつくづくとんでもないところを通っている。ただ釜石線の方が山田線よりも本数が多いと言うことは、やはり宮古にアクセスする人数よりも、釜石にアクセスする人数の方が多いと言うことか。それにこちらは沿線に遠野という観光地があるが、山田線の沿線には何もない。
列車は山間地を抜けるとやがて遠野の田園地帯に出てくる。それまでの駅ではほとんど乗降がなかったが、遠野からは大勢が乗車してくる。車内は満員に近くなる。
列車はさらにしばらく進んでようやく新花巻に到着。私はここで下車である。新幹線のホームに移動するとはやぶさに乗車して仙台まで移動、ここで空港アクセス線に乗り換えて仙台空港まで行ってしまう。
仙台空港で夕食を摂って帰宅
面倒なので夕食は仙台空港で取ることに。入店したのは空港内の「そば処丸松」。「カツ丼とそばのセット」を注文する。場所柄CPは今ひとつであるが、味はまあ合格点だろう。
こうして夕食を終えると、空港内で土産物に萩の月を購入して神戸へと戻るのであった。
今回は三陸鉄道の視察と共に、この方面での諸々の宿題を解決するための遠征となった。それにしても三陸沿岸の実情は、改めてこの国の政権の庶民切り捨ての現実を目の当たりにさせることとなった。できる限り早い内にこの政権を打倒しないと日本はとんでもないことになるということを痛感せずにはいられなかったのである。
なおやはり遠野での長距離自転車こぎと、大槌での強行登山は体に大きなダメージとなって跳ね返ってきた。帰宅後、2~3日は下半身を中心に体がガクガクで歩くのにも不自由する状態になってしまったのである。やはり年齢を考えないといけないようだ。