徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

チェコフィル大阪公演&「刀装具鑑賞入門」「ショパン-200年の肖像」

 翌朝は回りの部屋がバタバタし始めた7時頃に起床する。今日は14時からザ・シンフォニーホールでチェコフィルのコンサートなので、それまでは美術館などをウロウロするつもり。テレビをつけるとちょうど健康カプセルを放送中だったので、リアルタイムで原稿執筆。その後はこの原稿を書いたりなどしていたが、9時前になったところでホテルをチェックアウトすることにする。

 

新今宮の喫茶で朝食

 朝食を摂っていないのでまずはそれ。新今宮界隈の喫茶店「ラ・ミア・カーサ」モーニングセットを頂くことにする。この界隈は朝から開いている喫茶店が多いのは助かるところ。珈琲は私の好みよりはやや苦め(基本的に私は珈琲についてはインスタント舌である)だが、サンドイッチはなかなかうまい。

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ラ・ミア・カーサ

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モーニングセット

 朝食を済ませたところで最初の目的地へと。ここの博物館は隣がNHK大阪局である。

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大阪歴史博物館

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隣はNHK大阪放送局

 

「刀装具鑑賞入門」大阪歴史博物館で12/1まで

 最近は刀剣ブームで刀の展覧会が多かったが、あれらは刀身の方がメインで刃紋などが最大の見せ所となっていた。しかし本展は鍔やら小柄などといった拵え、刀装具の展示を行っている。刀装具コレクターで研究者だった勝矢俊一氏のコレクションの一部を遺族から寄贈されたことを記念しての展覧会だとのことである。

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刀の拵えについての説明

 展示品は鍔やら小柄に笄や目貫などの三所物、柄頭など各種に及ぶ。この中でいわゆる三所物がピンとこなかったが、目貫は刀身を柄に固定させるための釘を覆う金具、笄は髪をかき上げて髷を作るための道具で、小柄は小刀で木を削ったりなどの実用ナイフといったところで、これらはすべて太刀とセットで持ち歩くのが通常だったらしい。そう言えば時代劇で「あっ、危ない」という場面で主人公が何やら手裏剣のようなものをビシッと敵に投げつけるシーンを何度か見たことがあるが(私の脳内では現在里見浩太朗の映像が再生中)、あれが小柄だったようだ。

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三所物から小柄と笄

 この三所物は刀を飾るお洒落道具として統一したデザインなどを用いるのが流行だったようだ。また刀の鍔なんかも様々な意匠を凝らしたものが多い。ただ中には浮き彫りを凝りすぎて、鍔の本来の役割である相手の滑った刀身によって手をやられないように止めるという機能を果たすだけの強度があるのだろうかという疑問の湧くような作品もあった。やはり多分に刀も形式的な物になった江戸時代の話だからこの手の装飾が流行するわけで、刀がそもそも実用品であった戦国時代などでは考え方も違うだろう(大体刀自体が消耗品でもあったし)。平和になったら装身具の類いに凝るというのは世の常のようだ。その内に世界中の銃もその必要性がなくなり、射撃に邪魔になりそうなデコレーションが流行するような世の中になればよいのになんて考えることもしばし。

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この鍔なんか強度は大丈夫か?

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この鍔なんか太陽の塔にしか見えない

 凝った工芸品を鑑賞すると共に、刀という物について学ぶことが出来るという面白い趣向の展覧会であった。たまにはこういうのもありか。


 展覧会の鑑賞を終えて時間を見るとやや微妙なところではあるが、昨日立ち寄れなかった「ショパン展」に行くことにする。大阪から神戸まで戻ると美術館へと急ぐ。昨日は空気が抜けて干物状態になっていた屋上のカエルが、今日は復活している模様。

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屋上のカエルが今日は復活

 

「ショパン-200年の肖像」兵庫県立美術館で11/24まで

 画家ならともかく、音楽家のショパンを扱う展覧会とはいかなる展示をするのだろうという野次馬根性で見に来たような展覧会であるが、冒頭はショパンや同時代の有名人の肖像というお約束のパターンであった。その中にはショパンのいかにも甘いマスクの肖像画もあり、このマスクにピアノの詩人と来ればさぞかしモテただろうなんてことを想像する。その上にショパン以上にモテたと言われているリストのイケメン肖像なんかも登場する。

 さらにはショパンの曲をイメージして描いた絵画なども登場するのだが、残念ながらピアノ曲にあまり詳しくなく、ショパンの前奏曲第3番と言われても曲想が全く浮かばない私にはただの版画。さらにはショパンゆかりのワルシャワやパリなどの当時の風景と言ったようなかなり脈絡のない展示となっていく。

 面白くて貴重なのはショパンの直筆楽譜が展示されていたことだろうか。ショパンはインスピレーションが湧くと、まずはピアノでサラッと弾いてみて、それからスケッチをし、場合によってはそれを清書して出版するというスタイルだったらしい。いかにもピアニストとして名をなしていた人物らしい作曲スタイルではある。直筆楽譜を見ると結構細かくビッシリと書いてあり、天才肌でありながら結構几帳面な性格だったのではということが覗える。

 最後にはショパンコンクールに関する展示があり、歴代受賞者の紹介なんかもあった。一番最後にはピアノの森に関する展示まであったが、これは完全に蛇足。

 全体的にとりとめのない展示内容だったが、とりあえずショパンを核にしてその人物像にボヤンと迫るというぐらいの感覚だったらありなんだろうか。まあ正直なところ、ところで一体何を見せたかったんだとのツッコミを入れたくはなるが。


 見学はザッと30分ぐらいで終わる。これだと昨日ショパン展の方も立ち寄って、中之島香雪美術館を今日に回せば良かった。交通費と移動時間を無駄にした感がある。と言っても実際は美術展見学に費やす時間は事前には読めないのであくまで結果論である。人生、あの時にああしていたらというのは無数にあるものである。

 移動に時間がかかったので時間に余裕がない。結局は昨日に続いて今日も昼食抜きでホールに駆け込むことになる。ホール内でサンドイッチでも買おうかと思っていたが、今日は補助席まで出る大混雑なので喫茶には長蛇の列。案の定サンドイッチはさっさと売り切れなので、せめてコーラでわずかな燃料だけでも補給しておくことにする。

 

チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

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[指揮]セミヨン・ビシュコフ
[ヴァイオリン]樫本大進
[管弦楽]チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

スメタナ:連作交響詩「我が祖国」より「モルダウ」
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35
チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 「悲愴」 op.74

 もう一曲目のモルダウから魂を鷲づかみにされた印象。ビシュコフの表現力は川の水が跳ねる様子、月夜の下で静かに輝く水面、逆巻く激流と目の前にモルダウの流れがあるかのように見事に描き出す。このビシュコフの表現は一つ間違うと演出過剰の嫌みなものにさえなりかねない危険もあるのだが、それが超一流のテクニックを持つチェコフィルにかかると、他に例を見ないような濃厚で素晴らしい演奏となる。特にアンサンブルの完璧さはさすがと圧倒される。

 二曲目は樫本大進をソリストに迎えての協奏曲だが、大進の演奏は上手いのであるがやや表現が淡泊なところがある。それがビシュコフがオケセッションになると情感たっぷりに濃厚な表現をするので、大進も中盤以降はややそれに引っ張られた印象。結果としてはバランスの良いなかなかの名演。

 出色の出来だったのはラストの悲愴。緊張感張り詰める中で始まった第一楽章はとにかく美しい。美しすぎて切ない。それだけに展開が分かっていても途中の運命の暗転にはドキッとさせられる。怒濤のように訪れる運命にあらがおうとしつつも翻弄されているという印象。続く第二楽章は滑稽なワルツのような楽章なのだが、ここでも常に背景に不安が漂っていて、時々それが表層に表れる。第三楽章は演奏者によっては単純なファンファーレにしてしまう場合さえあるのだが(典型的だったのがバッティストーニ)、ビシュコフは決してそんな浅い表現はしない。押し寄せてくる不安感の中で空元気を出そうとしているかのような雰囲気であり、やがてはそれが狂乱状態に近づくのだが、そこで力尽きるという印象。

 そして最終楽章。ビシュコフは曲全体のクライマックスをシッカリとこの楽章に持ってきた。そこで繰り広げられる美しくも切なすぎる音楽はまさに魂を揺さぶる。あまりの切なさに思わず涙が出そうになった。ビシュコフもオケも見事な集中力でまさに力を使い果たすかのようにラストまで突っ走った。

 演奏終了後もビシュコフはグッタリした様子でいつまでもこちらを振り返らなかった。見ていて「出し切った感」が半端なかったが、同様にこちらもいささかグッタリしてしまった。実に濃厚で真に迫る悲愴であった。ポリャンスキーのテンション張り詰める悲愴とはまた別のタイプの超名演であった。


 これでこの週末の予定は終了だが、最後に今年を代表するかのような名演に出会えて非常に満足である。疲れも吹き飛ぶ思いで家路につくのである。