徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

「カラバッジョ展」「上方界隈、絵師済々!」「インポッシブル・アーキテクチャー」

 翌朝は8時まで爆睡した。目が覚めるととりあえず朝風呂。身支度を調えると9時にはチェックアウトして宿泊ホテルを移すことになる。週末は高級ホテルが超高級ホテルになってしまうので、予算の関係で宿泊先をもう少しランクの低いホテルに必要がある。移った先はホテルサンプラザ2ANNEX。私の定宿の一つで、この地域ではミドルクラスのホテルになる。このホテルの有り難いところは、早朝到着の客を想定してか、部屋空いていたら午前中からチェックイン可能であること。早速部屋に通してもらうと、そこで一息つきながら原稿を一つアップ。

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ホテルサンプラザ2アネックス

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シンプルで狭い個室

 10時過ぎには外出する。今日の予定は15時からいずみホールで開催される関西フィルのニューイヤーコンサートだが、その前に美術館に3カ所ほど立ち寄るところがある。まずは一番近くの美術館へ。

 

「カラバッジョ展」あべのハルカス美術館で2/16まで

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 劇的な効果で光と闇を描き、その後のヨーロッパ絵画にも大きな影響を与えた画界の問題児・カラバッジョの展覧会である。何しろこの人物、絵画の腕は抜きんでていたが素行に問題がありすぎて、挙げ句は人殺しをして逃走するというとんでも人生を送っている。こんな人物を見ていると、傑出した芸術的才能と円満で安定した人格とは両立しないものなのかという気さえしないでもない。

 本展ではカラバッジョの作品数点に、カラバッジョの真作か議論がある作品が数点、そしてカラバッジョに影響を受けたり彼を追随した画家の作品が多数展示されている。やはりカラバッジョの作品の特徴としては、光の劇的効果が図抜けているところ。多数の彼の追従者の作品を見ても、やはりその表現の深さの点でカラバッジョに及んでいるのは数人しか見当たらない。

 と言う点ではカラバッジョの作品か議論されているという内の一点は、私の目には「明らかにこれは違うだろう」としか映らなかった。光の描き方が単調で表現が浅く感じられた。そんな中さすがにカラバッジョの真作、特に「法悦のマグダラのマリア」と「聖セバスティアヌス」などは圧倒される表現力である。絵画について全くの素人である私がこれだけ衝撃を受けるのだから、本職の画家がこれらの作品を見たらなおさら強烈なインパクトを受けるのは当然とも言えるだろう。

 本展では出展予定だった「ホロフェルネスの首を斬るユディト」の作品がイタリアにおける手続きの問題で展示できなくなったとのことであるが、この作品は有名な実に劇的な場面を描いた作品であるだけに、そのことが返す返すも残念であった次第。


 カラバッジョ展の見学を終えると地下鉄を乗り継いで次の美術館へ。ここは昨日に寄ったフェスティバルホールの向かいになる。

 

「上方界隈、絵師済々!」中之島香雪美術館で3/15まで

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 江戸時代の上方絵画を展示する展覧会の上期は京都画壇の作品を展示。当然のように展示の中心は円山応挙となる。最初に登場するのは応挙による三顧の礼の光景を描いた襖絵であるが、劉備一行は中央付近に小さく描かれているだけで、背後に広がる中国の広大な農村風景が主となる壮大な作品である。この辺り、応挙の筆の冴えが見られる。

 次には呉春との競作による「竜虎図」なのだが、これは応挙が虎を担当。これがいかにも応挙らしい虎猫であって笑えるところ。応挙らしいリアルな表現で描いてあるのだが、そのリアルに描かれた動物はどこから見ても明らかに猫である。

 これ以外では曾我蕭白の「鷹図」が印象に残るところ。題材が題材だけに奇想は見られないが、緻密な表現がいかにも蕭白らしきところ。

 京都画壇となるとあまりに応挙の存在が巨人過ぎて、多かれ少なかれその影響を受けた作品が多くなるのだが、一方で文人画的なサクッと描いた自由な作品なども存在していて、京都画壇の多彩さの一端を感じることができた。


 香雪美術館の見学を終えると、次はここから歩いて行ける場所の美術館へ。ここの美術館は地上部分は小さいが、地下に広大な本体が隠れている。ところでここのはもろに川縁にあるのだが、もし津波などが来たら美術館が丸ごと水没してしまわないだろうか?

 

「インポッシブル・アーキテクチャー ー建築家たちの夢」国立国際美術館で3/15まで

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 インポシブルアーキテクチャー、直訳すると「不可能建築」となった場合、まず頭に浮かぶのはメタボリズムである。有機物のように新陳代謝をしていく建築物として企図され、街自体の設計も含めた巨大構造物構想だったが、使い勝手及び基盤となるコンクリートの耐久年数という超初歩的な技術面の考察もなかったせいで、壮大なる机上の空論として終わってしまった(その方がむしろ幸いだったのだが)運動である。で、本展を見てみると、予想通りというかもろにそのメタボリズムが該当するようである。

 巨大で奇抜な建物のデザインはコンセプトアートとしては目を惹くしそれなりには面白い。ただいずれも実用的視点が皆無であり、自身がその中で生活することを考えたら「不便そうだな」と思わずにはいられないし、これらの建築が街中に鎮座することを想像したら「醜悪だ」という感想しか抱けない。

 要は建築とは実用に根ざしている技術であり、実用を無視しての建築デザインなど無意味というのが私の考え。現代社会への批判や未来の理念の提供も結構だが、それをするべき分野は建築デザインではないだろう。実際にそこのところをわきまえていない建築家に、駅などと言う超実用的な建物のデザインを委託すると渋谷駅のようにとんでもないことになるわけである。

 と言うわけで、本展は「ふーん、面白いね」とは感じても、私としてそれ以上の感慨は全くなかったのである。


 これで展覧会の予定は終了。後はホールへ移動することにする。