徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

郡山周辺の未訪問山城を順次攻略する

 翌朝は7時に起床する。不思議なことに昨日よりも体の重さは解消している。今日はこの近辺の山城を回る予定なので、昨日のだるさを引きずっていたら大変だと思っていたが、これなら思う存分山城巡りをできそうだ。昨日の温泉が効いたのだろうか?

 目覚めるとまずは朝風呂。加熱温泉でゆったりと体を温める。これぞまさに極楽気分。小原庄助さん万歳!

 朝風呂を済ませるとレストランでバイキング朝食。特別なものではないがまずまずではある。とにかく燃料補給。

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バイキング朝食をガッツリ頂く

 部屋に戻ると荷物をまとめて9時前にはチェックアウトする。昨晩雪が降ったのか、地面にはところどころ雪が積もっているが、まあ歩くのに困るほどではない。今日はこれから駅前のタイムズレンタカーでデミオを借りることになっている。これが今日からしばらく私の愛車になるわけである。

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どうやら雪が降ったらしい

 

三春の常盤城を見学

 車を借り出すと最初に向かったのは三春。以前にこの辺りの城郭は視察しているのだが、常盤城だけが時間の関係で割愛されていたので、今回はまずは宿題の解決である。郡山では雪はちらつく程度だったのだが、三春が近づくと積もっているところがあちこちにある。私が借りたデミオはスタッドレスを履いているので雪も特に問題はないが、それよりも雪が溶けてベチャペチャになった路面があちこちにある方が問題。レインコンディションはスタッドレスタイヤが最も苦手とするところ。実際に走っていて覿面にグリップが低下するのが分かるので運転は慎重を要する(雪上の方がグリップが良い)。しばし走っていると、前方で超トロ車(40キロ制限の道路で20キロぐらいで走っている)がバスを率いて大名行列。あれは後ろのバスはたまったもんではないだろう。多分ダイヤはガタガタである。途中でようやく駐車場に入ったので見てみたら、今何かと話題の高齢者ドライバーだったようだ。あの運転の様子では、間違っても高速に乗ろうなんてこと考えないことを願う。

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常盤城のなんちゃって天守は遠くからでも見える

 1時間弱を要してようやく目的地の常盤城に近づく。案内看板が出ているのでそれに従った進んでいくと、三の丸の駐車場に到着できる。途中でかなり急な山道を登ることになるが、スタッドレスタイヤのおかげで傾斜をものともせずに駐車場まで登り切った。ここから見上げると上の方になんちゃって天守が見える。足元には雪が積もっているので慎重に登っていくことになる。登り口のところには「がけ崩れがあったので進入禁止」という看板が出ているが、見上げたところ特に通路に崩落したらしきところは見えないので、あくまで自己責任ということで進むことにする。

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案内に従って進んでいくと

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登城口にたどり着く

 常盤城は築城年代などは今一つハッキリしていないようだ。田村氏の家臣である石沢修理亮が入っていたようだ。田村氏が伊達派と相馬派に分裂して争った時、石沢修理亮は伊達についたが相馬氏に攻められて落城、石沢修理亮もその時に討ち死にしたとか。

 うねうねといくつかの削平地を通過して本丸に登っていく構造になっている。途中には遊具が置かれた公園もあるがこれも曲輪跡。公園整備されている割には曲輪跡がほぼそのまま残っており、保存状況は良好である。

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なんちゃって天守が見えてくる

 10分もかからずになんちゃって天守の立っている本丸に到着する。すると本丸の背後の切岸が派手に崩落して手すりなどが崩れている状態になっているのが見える。なるほどこれが立ち入り禁止の理由か。しかし城跡見学には何ら問題はない。

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本丸

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本丸切岸が大崩落している

 なんちゃって天守は展望台ということで自由に入れるようになっている。ただ本丸自体が既にかなりの高度があるので、ここからあえて展望台に上る必要はあまりない。

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ご自由にお入りください

 谷を囲うような形に多数の曲輪が削平されており、向こう側にある大きな曲輪が二の丸ということらしい。二の丸の下にも多数の曲輪が見える。

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本丸向かいの曲輪群

 本丸の奥には堀切を隔てて五の丸がある。これが北の出丸のようである。本丸を中心として多数の曲輪で守る体制ができている城郭であり、また全体を非常に見渡しやすい。このような実に優れた城郭がまだ残っていたとは驚きだった。

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空堀とその先の五の丸

 

惨劇の舞台・小出森城

 常盤城の見学の後はここから北上することになる。次に目指すのは小出森城。大内定綱麾下の菊池が城主だったが、大内攻略を目指す伊達政宗が攻撃、落城後に政宗は立てこもっていた者を老若男女関係なく800人なで斬りにしたという話が残っている。東北の諸侯は政宗のこの蛮行に戦慄したという。

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小出森城はあの尖った山上

 小出森城は集落の奥にある三角形の尖った山上にあるようである。案内に従って登城口に到着すると、ここに車を置いて斜面を直登する形になる。

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小出森城登城口

 しかしこれが大変である。かなりの急斜面である上に登るほどに傾斜がきつくなってくる。途中で息は上がるし足はガクガク。しかも足元は枯葉が積もっていてよく滑る。気を抜いたら転倒間違いなしである。幸いにして雪は積もっていなかったが、これで積雪があれば万事休すだろう。一番きつかったのが石段の手前。足元が急なうえにズルズルなので、下手すれば転落しかねないような状態。かなり気を付けながらようやく石段にたどり着いた。

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石段手前のこの辺りは立っているだけでも怖い

 山頂の愛宕神社にたどり着いた時には足がガクガクだった。ここが本丸ということになるのだろうが、かなり狭い。北側に犠牲者の慰霊碑と思われる石碑が立っている曲輪もあるが、ここを加えても数百人がこもるのはまず不可能である。

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神社の周囲はかなり狭い

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神社の裏手に回ると

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小さな削平地があるのみ

 周囲はかなり切り立っているが、ところどころ通路以上曲輪未満の平場があるが、ここに人を置けたかは微妙なところである。

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この手の通路以上曲輪未満の平地が多い

 石段を下りていく途中で分岐があったのでそちらを下りていくと神社に出た。この下は民家などがあり、この辺りなら多数を収容する曲輪が置けるが、麓であるために防御力は低い。

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神社に出た

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麓近くなら平場も多いのだが・・・

 結局のところ今一つ城郭の構造がよく分からないというところがあった。

 

大内氏の小浜城(下舘)を見学

 小出森城の次は小浜城を訪問することにする。小浜城は大内氏の城郭であったが、定綱の時に伊達に攻められて敗走、畠山氏の二本松城の攻略にかかった政宗はここに1年ほど在陣したという。そのためか城下は「政宗ゆかりの地」という看板が目立つが、これでも大内氏の面目がなかろう(笑)。まあ「大内定綱ゆかりの地」なんて掲げたところで「誰?」と言われてしまえばそれまでなので、仕方ないことではあるが。

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小浜城に向かう途中で見かけた謎の像(かかし?)

 山上は公園整備されているようで立派な石垣のある本丸が残っている。ここから見渡すと周囲の山上に曲輪らしき削平地が見える。これで見る限りはなかなかの規模の城郭であるが、気になったのは弱小国人領主であった大内氏にここを守れるだけの兵員が確保できたかである。なおこの城郭は下舘とも呼ばれており、ここの南にある上舘こと宮の森城と一体となって防御する構えになるとのこと。となるとさらに多くの兵員が必要なように思われるのだが。

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小浜城

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石垣は半分修復中

 本丸の石垣は後に蒲生氏郷が築いたものであるとのことなので、元々の城郭は土の城でもう少し切岸もなだらかだった可能性がある。本丸の中央には遊具が据えられているが、その奥からは屋敷の跡などが出たらしい。どうやら今は埋め戻されているようである。

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本丸風景

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何かを主張したいかのような碑

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ここから館跡が出たようだ

 周囲には畑化している平地が多数あるようだが、これらがかつて城郭の一部だったと考えるとかなりの規模の城郭である。大内氏が守るにはやや兵が不足の感があるが、伊達氏が攻略の拠点とするには最適であったろう。

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曲輪になりそうな平地はあちこちにあるが

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本丸と二の丸の間の堀切跡

 

宮の森城(上舘)を見学

 小浜城の次は宮の森城を見学に行く。宮の森城は今は神社となっているようで参道の石畳がある。車で入れないこともなさそうだが、雪がぱらつき始めている天候を考えると石畳の上でスリップするのも嫌なので車は手前に置いて歩いて見学することにする。

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宮の森城入口

 現在神社となっているのが本丸だとすると、奥に深い広大な曲輪ということになる。ただあまりに単純すぎる構造から、かつてはこの郭は複数の段になっていたのではないかと思われる。なお土塁の一部が社殿の近くに残っている。後は畑化された時に撤去されたか。虎口がどこになるのかがよくわからないのだが、奥の方にでもあったのだろうか?

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この上の神社のところが本丸

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本丸と城跡碑

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下舘にもあった何かを主張したいらしき石碑

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神社の裏には土塁も残る

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奥に非常に広い

 規模がそう大きくはない城郭という印象だが、大内定綱が本拠を置くとしたら、このぐらいの規模の城郭の方が兵力を集中して防御に有利だったように思われる。なおこの城郭は伊達輝宗拉致事件の舞台になったらしい。なおこの事件も未だによくわからない点があるのだが、私は政宗による輝宗暗殺事件というのが真相ではとみている。奥州に自分を中心とした新秩序を打ち立てることを考えていた政宗にとって、守旧派でもある輝宗は邪魔な存在であった可能性がある。先の小出森城での惨殺事件と言い、政宗は狂気を秘めたところがある。もっとも動乱の時代に天下平定を目指すような輩は多かれ少なかれそういう狂気を持っているものである(まさに織田信長などはけた違いのキ○○イだった)。こんなとんでもない時代には、残念ながら温和な常識人などは誰かに後ろから刺されるしかなかったわけである。

 これで今回新規に訪れる山城は網羅したが、この後は一つの山城を再訪する予定。それは数年前に訪れたことのある二本松城。今さら言うまでもないが、100名城に選定されている城郭である。