徒然草枕

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ノー・ガンズ・ライフ 第20話「絵空事」

鉄朗の自立と明かされていくこの世界の成り立ち

 予想通りというか、お約束通り十三はコントロールされていなかったというところで、後は鉄朗とウォシャウスキーとの間での、この世界に纏わる経緯に関する話が延々という話の核心に迫ろうとしているのだろうが、ややもすれば退屈になりがちな内容がメイン。もっともそれだけだと本当に退屈極まりなくなってしまうから、背後で十三がドンパチやっておりましたが。

 で、ウォシャウスキーは拡張体のそもそもの意義という類いのことを繰り返していましたが、どうも本人が既にマッドサイエンティスト的傾向を露わにしているようなことから、それが正しいものを目指しているとは思いにくいですね。ベリューレンとは違った方向でやっぱり狂っていると考えるのが妥当でしょう。そしてそれまでは鉄朗に対しては一応は丁重な姿勢を示していたのが、終盤になって鉄朗が自らの思いのままにならないと判断すると突如として本性を現す。まああの化け物じみた外観は、この人物の化け物じみた内面を象徴しているんだろうと思います。

 

 拡張体の意義と言えば、ああいう機械で人体を補うというのは、そもそも先天的障害や後天的な病気や事故で身体機能の一部を失った者に対する拡張的な義手・義足ってのが本来のはずです。しかしそれが通常の人間をしのぐような性能が与えられることになれば、恐らく軍事方面という一番非生産的かつ非人道的方面に悪用されてしまうと言うのも今の社会では起こる可能性は非常に高い。まあこのテーマは決して新しいものではなく、サイボーグ009の頃からある古典的SFテーマではあります。パラリンピックなんかも、現在は失われている身体の機能を義手・義足などで補助することでスポーツとして成立していますが、あれが義手・義足自身が独自のパワーを持って人間以上の能力を発揮するようになったら、最早それはスポーツではなくて機械の性能披露の場になってしまう。

 今回の内容の肝は、こういうウダウダした話の背後で、十三と鉄朗の互いの信頼関係がかなり強固に増しているし、鉄朗自身も自分自身の弱さや甘さを認めた上でさらに上を目指そうとするという強い意志を示すという大きな成長をした。自分が言っていることが理想主義だと言うことは分かっているが、それを捨てる気はないというのがいかにも彼らしい考えです。「理想主義」という言葉を使うと、いかにも現実を見ていない実現不可能な愚かな考えというイメージで語られますが、それを目標に行動して何が悪いというところでしょうね。「核兵器廃絶」とか「世界から戦争という愚行をなくす」なんてのもそういうところがあります。

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