徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

お知らせ

アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

皿食わばテーブルまでで、津山城に立ち寄ってから帰る

ただ帰るだけでは面白くない・・・もうやけくそだ!!

 この日は目覚ましを6時半にセットしていたのだが6時には目が覚める。身体がとにかく重い。そして腰よりも両足に怠さとしびれが来ている。腰は硬直していて起き上がるのもえっちらこといった状態。しばしゲームをしながらボーッとしてたら、気がついたら朝食の時間が近づいていたので、慌ててその前に風呂に飛んでいく。

 やはり身体を温めると少し動くようになってくる。どうやら最近の私は変温動物に成り果てたらしい。よく老人と言えば縁側でひなたぼっこのイメージがあるが、身体が老化してくると熱の産生が減ってきて変温動物化するのだろうか。ウミイグアナが海から上がったら体温を上げるためにひなたぼっこするという話を聞いたことがある。

 大急ぎで入浴を住ませると、少し遅れて朝食へ。朝食は和食でまあ普通に美味い。

f:id:ksagi:20200922175259j:plain

朝食の和定食

 後はチェックアウト時刻までワーケーションである。それにしても今回の遠征ではひたすら部屋で原稿打ってた気がする。それでも更新が追いついていないのが現実。何か生き方を間違えているのを感じる今日この頃。

 今日は帰るだけなのでチェックアウト時刻ギリギリまで粘るのだが、そうこうしているうちに毒食わば皿までを通り越して、皿の次にはテーブルも食ってやろうかという気になってきた。行きがかりの駄賃でもう一カ所だけ立ち寄ることを決めてホテルをチェックアウトする。

 ホテルを出るとひたすら南下。山の中を突っ走るイメージ。途中で湯原温泉の脇を通る。湯原温泉は以前に行ったことがあるが、あそこは川原の混浴の露天風呂が有名。ただここの露天風呂は湯の中でひたすら女性が来るのを待っている「ワニ」と呼ばれる連中が出没するのでも有名。それと脱衣場で車のキーの盗難が増えているらしい。最近のキーはご親切にもボタンを押すと車がどれかまで教えてくれるので、キーさえ手に入れれば自動車泥棒は容易になっているという。何かと日本も昔の長閑な時代のルールは通用しなくなって来ているようだ。この辺りも欧米化と言うべきなのか。悲しい話だ。

 

 

津山城に立ち寄ることにする

 湯原ICから米子道に乗ると、途中で中国道に乗り継いで向かうは院庄IC。ここで下りて津山に向かう。本遠征の「身体に鞭打ちながらの山城シリーズ」の大ラスとして津山城に立ち寄ろうという考え。ここもかなり昔に来たままそれっきりになっている。何度か津山方面に繰り出すことを考えたが、なかなかこれだけのために出てくる気にもならなかったので、通りすがりの駄賃である。

 院庄ICを下りてしばらく走行すると、正面に山上の石垣が見えてくる。こういうのがあると自然にテンションが上がって、精神のモードが切り替わってしまうのが私の常。無料の鶴山公園駐車場があるのでそこに車を置く。ちなみにこの駐車場、入口ゲートがやけに狭いので抜ける時はそろそろである。見ていたら、急角度で入ってきた車が、危うくこすりそうになって切り返しをしているという姿も。大きな車に乗った下手くそドライバーだったらしんどそう。

f:id:ksagi:20200922175640j:plain

正面山頂に津山城が

 車を置くと津山城の正面へ。正面には江戸時代に現在の津山城を築城した津山藩主・森忠政の像が鎮座している。忠政は森家の6男で、兄に猛将長可やら美少年蘭丸などがいたが、いずれも若くして亡くなったので、結局は忠政が家督を継ぐことになったらしい。

f:id:ksagi:20200922175719j:plain

三の丸の石垣を見ながら正面へ回り込む

f:id:ksagi:20200922175803j:plain

津山藩主・森忠政

 入場料を払って入城。今まで無料の城郭ばかり回っていたから、入場料を取られるのにはいささか戸惑う。

 近世城郭だけあってとにかく石垣多用の立派な城郭である。津山藩は18万石とのことだから、この城はいささか気合いを入れて作りすぎではと言う気もする。気合いが入りすぎと言えば、ついつい勢いで五層の天守を建ててしまって、それが幕府に咎められたので、4階の屋根の瓦を外して庇だけにし「これは四層の天守だ」と言い張ったというエピソードがあるとか。ただその天守も残念ながら廃城後に破却されて残存していない。

f:id:ksagi:20200922175846j:plain

津山城縄張図(出典:余湖くんのお城のページ)

 

 

迷路のような複雑な構造を登っていく

 180度回転する形で三の丸に上がると、二の丸のさらに奥の本丸に復元された備中櫓の姿が見える。そしてすぐ右手に二の丸に上がる表中門があるのだが、この規模の大きさに驚く。普通は城門は敵の攻撃を防ぐために小さめに作るものだが、異常に大きい。その代わり枡形の回りは石垣で囲まれてその上には多数の櫓があり、むしろ敵勢をここに誘い込んで周囲から十字砲火で殲滅するという狙いか。

f:id:ksagi:20200922180205j:plain

三の丸へは180度回り込むことになる

f:id:ksagi:20200922180230j:plain

向こうに備中櫓の見える三の丸

f:id:ksagi:20200922180258j:plain

かなり巨大な表中門跡

 二の丸に上がると先ほどの備中櫓がそこに見える。津山城ではすべての建造物が破却されたのだが、2002年には築城400年記念行事として備中櫓の復元工事が始まり、2005年に完成したという。どうせ復元するなら天守を復元すればとも思うのだが、それは予算が足らなかったのだろうかななどと考える。

f:id:ksagi:20200922180321j:plain

二の丸から見上げる備中櫓

f:id:ksagi:20200922180514j:plain

二の丸もかなり広い

 二の丸を回り込むと切手門跡を抜けて上がったその先に、本丸の表鉄門跡がある。鉄門というだけに鉄板を貼った門があったらしい。

f:id:ksagi:20200922180530j:plain

本丸方面に向かう

f:id:ksagi:20200922180608j:plain

これが切手門跡

f:id:ksagi:20200922180749j:plain

この奥が表鉄門跡

 

 

本丸の備中櫓を見学

 そこを抜けると本丸。先ほどの備中櫓は正面奥に見えている。本丸はかなり広いが東側の石垣は積み直し工事中。

f:id:ksagi:20200922180853j:plain

本丸へ出た

f:id:ksagi:20200922180912j:plain

東の石垣は積み直し作業中

f:id:ksagi:20200922180940j:plain

奥に見えるのが備中櫓

 備中櫓は御殿の一部として使用されていたという特徴があるそうな。そのためか内部には貴賓席のような一角がある。畳敷きになっていて、明らかに居住性を重視した櫓となっている(櫓は軍事拠点として板張りのところがほとんど)。確かに造りは屋敷である。

f:id:ksagi:20200922181038j:plain

備中櫓内を見学

f:id:ksagi:20200922181052j:plain

内部は御殿である

f:id:ksagi:20200922181107j:plain

主の間と思われる

 

 

天守台は完全独立構造

 天守台は備中櫓の横の門を抜けていく形になっており、天守の存在する部分は完全に本丸と分離されているので、最後の最後は天守に立てこもって徹底抗戦出来る構造になっているらしい。つまりは忠政は津山城をとことん戦える軍事要塞として設計している。そのためにもあちこちの櫓に鉄砲や弓などの武器も備蓄されていたという。しかしこれらの武器も長き大平の時代にかなりの部分が雨漏りによる損傷などで使用不可能になっていたとか。実際のところ、これだけの城郭を気合いを入れて作ったは良いが、後の藩主にしたらこれだけの城郭を維持するのは大変だったろう。かといって放棄してどこかの屋敷に移るというわけにもいかないし、結局はメンテの手が回らなくなったんだろう。

f:id:ksagi:20200922181217j:plain

天守台に行くには備中櫓脇の門を抜ける

f:id:ksagi:20200922181253j:plain

完全に独立曲輪になっている

 天守台は独立曲輪の中にあり、高さは6メートル。その上にさらに天守がそびえていたのだから、さぞ壮観であったろうことは想像に難くない。忠政の得意満面な顔が浮かぶ気がする(調子に乗りすぎて立派な過ぎる天守を建てたせいで、幕府に言い訳する羽目になったんだが)。

f:id:ksagi:20200922181323j:plain

振り返れば天守台の石垣

 天守台は巨大な穴蔵から登る形になる。つまりは五層だけでなく地下倉庫つきである。やはり最後の最後はここに立て籠もることになっていたのだろうことが覗える。

f:id:ksagi:20200922181349j:plain

天守台には巨大な穴蔵がある

f:id:ksagi:20200922181512j:plain

天守台上から

f:id:ksagi:20200922181544j:plain

まさに絶景

f:id:ksagi:20200922181800j:plain

備中櫓方向を見る

 なおここの石垣に「愛の奇石」と銘打っているハート型の石があり、この奇石に触れたカップルは恋が成就するという恋愛スポットだというのだが、相手のいない者は相手が見つかる御利益はあるのだろうか? ちなみに私がいつも気になるのは、カップルが来ると恋が叶うパワースポットと名乗る場所は各地にあるが、カップルというのは既に「恋が叶った」形なのでは? などと人生において女性とのデートの経験皆無の私などは思ってしまうのだが? その辺りはどうなんだろうか? なおこの石、多くの者が触ったのか明らかに中央が磨り減ってくぼんでいる。恋の御利益を求める観光客が多いのか? なお今の時代は結婚したカップルの3組に1組は離婚している計算になるという。恋が実ることよりも、愛が生涯続くことの方が困難であるらしい。

f:id:ksagi:20200922181419j:plain

愛の奇石だそうな

f:id:ksagi:20200922181436j:plain

石の中央が磨り減っている

 

 

裏手を回って下りてくる

 天守台の見学を終えると本丸に戻って裏鉄門跡を通って城の裏手に下りる。本丸の腰曲輪を経由して二の丸の背後まで下りるが、そこから先の門は全面通行禁止になっているので、二の丸の表に戻ってくるとまた備中櫓の正面に出る。

f:id:ksagi:20200922181821j:plain

裏鉄門跡を下りる

f:id:ksagi:20200922181840j:plain

腰曲輪からさらに下りる

f:id:ksagi:20200922182006j:plain

石段が険しすぎるので木の階段を後付け

f:id:ksagi:20200922182036j:plain

下りた先の門は全面通行止め

f:id:ksagi:20200922182109j:plain

仕方ないので二の丸を回り込む

f:id:ksagi:20200922182122j:plain

立派な本丸石垣

f:id:ksagi:20200922182134j:plain

備中櫓正面に戻ってきた

 まあとにかく立派な城郭である。石垣フェチの私は大興奮する城郭である。石垣マニアを自称していて「大村城の石垣は2時間ぐらいは見ていられる」と公言していた高橋英樹などなら、この石垣だったらこれだけで半日つぶせると言いそうだ。

 記憶にあったよりもはるかに巨大で立派な城郭だったので、想定以上に歩いてしまった。その負担は腰よりもむしろ足に来ているようである。正直なところ足を上げるのがキツい。これは動けなくなる前に本当に撤退した方が賢明なようだ。

 

 

昼食を摂ると帰宅、しかしやはり後でツケが来た

 津山で昼食をと思っていたのだが、適当な店が見つからないうちに中国道の津山ICまで到着してしまった。仕方ないので昼食は勝央SAでとんかつ定食を頂くことに。最後は何とも間に合わせのしまらない結果となってしまった。

f:id:ksagi:20200922182212j:plain

この日の昼食

 こうして6泊6日及ぶ久々の大型遠征は終了した。目的であったところの月山富田城の10年ぶりの見学を果たしたことは非常に満足度が高いし、再訪した米子城と津山城も実に堪能できた。さらには序盤に回った鳥取城と砂丘美術館も印象深い。また島根県立美術館の風景画展もなかなか良かったなどと内容は実に濃かった。特にここのところのお籠もりで石垣欠乏症にかかっていた私としては、立派な石垣の連続で久々にお腹いっぱいである。

 ただ恐れていたように身体へのツケはかなり来た。あれだけ温泉療養しまくったにもかかわらず、腰の方は未だにギクシャクして鈍い痛みがある状態。そして足の方はガタガタ。翌日になるとふくらはぎは吊って痙攣するわとまともに歩くのも苦労する状態。体力的にガタガタになっていたのを痛感したのである。これはやはり何かの形で運動を再開しないと・・・。

前の記事

www.ksagi.work