徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

修復なった堀越城を見学してから、斜陽館に立ち寄る

バイキング朝食と朝風呂で英気を養う

 翌朝は6時半に起床するとまずは朝食バイキングに繰り出す。ドーミーのバイキング朝食は時勢がら今は小鉢バイキングとなっている。これはセッティングする方も大変だろう。内容的にはまずまず。

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ドーミーの小鉢バイキング

 朝食を済ませるととりあえず朝風呂。これが実に気持ちいい。昨日歩き回ってガタが来ている身体に活を入れる。例によっていつものごとく「小原庄助さんバンザイ!」。

 さて今日の予定であるが、基本的には次の宿泊地である黄金崎不老不死温泉に移動するだけである。そもそも今回の遠征の趣旨は「青森の温泉地を回ってゆっくりしよう」というものであり、以前に訪れたもののドタバタしていてゆっくりくつろげなかった酸ヶ湯温泉と、以前から行きたいと思っていた黄金崎不老不死温泉に行くというのが遠征のメイン。後は付け足しのようなものである。

 

堀越城を訪問する

 で、付け足しといえば、昨日弘前城を回った時に「堀越城の復元工事がこの春に終了した」とのポスターが貼られていた。実は堀越城は数年前に訪問しているのだが、その際はまさに工事のまっ最中で、工事現場の真ん中に本丸の神社だけがあるという状態で、とても堀越城を見るという状況ではなかった。ようやく修復工事が終わったというのなら立ち寄らない手はないだろう。堀越城は大浦為信(津軽為信)が居城とした城であるが、弘前城の建造によってそちらに本拠を移している。その後に一国一城令で廃城になったという。

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工事の終了した堀越城

 昨晩からやや雨模様であったが、生憎と今日は朝から断続的に雨がぱらついている。その中を堀越城まで車を飛ばす。確かに現地に到着すると立派なロータリーから駐車場まで完備された城跡公園となっている。正面には見事な堀と土塁が見えているが、これが発掘の成果に基づいて復元したものらしい。以前に私が訪問した時には、この辺りは絶賛工事中であった。

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外郭の堀と土塁

 三の丸を道路がぶった切る形になっており、広大な三の丸の一部は道路の向こうにある。本丸などの主要部はこちら側であるので、そちらを見学する。

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縄張図

 道路沿いに進んで三の丸を経由して本丸正面へ。本丸の周りは水堀が作ってある。また三の丸の土塁に登って西を眺めてみると、そこにも防御機構が据えられているのが分かる。土塁が互い違いになっているのは簡易な虎口である。さらにその奥にはかつては空堀があったらしい。平城ながらかなり大規模で堅固な城であるのは分かる。

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橋の向こうが本丸

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三の丸の土塁から西側を見ると食い違い虎口が

 

本丸から二の丸へ

 本丸には御殿の建物跡がある。結構立派な屋敷が建っていたようである。土塁で囲まれた本丸はそれなりの面積がある。今は本丸には熊野神社がある。

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本丸上の建物跡

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熊野神社

 ここから堀を超えて二の丸に移動。ここはかなり広い曲輪である。ここにも建物跡が残っている。二の丸の周囲を土塁が囲み、その土塁の向こうには空堀が掘られている。

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堀を超えて二の丸へ

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二の丸の建物跡

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かなり広い曲輪だ

 この辺りまで見学したところで、やみかけていた雨が再び本降りになってきたので車に逃げ帰る。車を動かして道路の向こう側に行ってみると、豪農の屋敷である旧石戸谷家住宅が移築されているが、どうやら先の三連休を最後に冬支度で閉館になってしまったようで内部の見学は出来ず。

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旧石戸谷住宅

 三の丸の見学とも思ったが、雨と風が強いので傘をさしてもずぶ濡れになりそうなのと、こちら側は遠くに建物跡らしきものが見えるだけで、特にこれという構造体もなさそうなので堀越城の見学はこれで終了とする。

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三の丸はとくに何もなさそう

 以前に見学した時にはこの城の真価は今ひとつよく分からなかったのだが、こうやって復元なってから見学するとかなり立派な城であり、この地域の覇者であった津軽為信の居城として相応しいものであることがよく分かった。城跡に時代考証を無視して天守閣とかをぶっ建てるのは迷惑だが、こういう発掘成果に基づいた復元は大歓迎である。

 

金木の「斜陽館」を見学する

 雨がやや激しくなった中を次の目的地に急ぐ。黄金先不老不死温泉に向かうにはここから北上して鰺ヶ沢を経由して日本海岸に回り込む必要があるが、その前にもう少し北上して五所川原方面に向かう。この辺りはまさに本州最果ての地らしく、荒涼とした風景が広がる。風が強く、道路の各地に雪よけ用の柵が付いているのが目立つ。

 今回向かうのは五所川原でなくそのさらに北にある金木。ここに太宰治の父が建設した豪邸が今は太宰治記念館「斜陽館」となっている。この館は太宰の「津軽」などにも登場するが、「とにかく大きいだけで風情もなにもない建物」だとのことである。私は殊更に太宰のファンというわけではないが(それでも「人間失格」ぐらいは若い頃に読んでいる)、この界隈まで来たからには立ち寄っておきたい。

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斜陽館

 金木はそこそこの集落である。今まで民家もまばらな荒涼たる大地を走ってきた後には結構都会にさえ見える。その中心に見るかに立派な屋敷が建っているがそれが斜陽館である。太宰の父の津島源右衞門が太宰が生まれる2年前にまさに金にあかせて建てた豪邸であり、和洋折衷の建築。この手の豪邸のお約束として青森ひばの高級材が使用されている。大地主だった津島の財力を示すものだが、戦後の農地改革で津島家も没落、まさに斜陽となって売却され、その後は旅館として使用されていたという。しかしやがて経営悪化で手放され、町が買い取って現在に至るとのこと。今は国の重要文化財ともなっている。

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玄関

 中に入ると、かなり広い土間と四間続きの座敷が目に飛びこむ。吹き抜け部の天井は高く冬は寒そうである。

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広い土間

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四間続きの座敷

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台所

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この米蔵には小作人からの米が納められた

 この座敷に津島家の仏壇が設置されているのだが、これがまた極めて絢爛豪華である。これだけでもかつて津島家の財力を覗わせる。

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太宰が生まれた部屋

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絢爛豪華な仏壇

 また手前には店として使用していた部分がある。津島源右衞門は金貸しも行っていたようであるが、太宰はこの家業が嫌いだったらしい(確かに百姓から小作料をふんだくった挙げ句にさらに貸し金で残りの金まで巻き上げているように見える)。

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ここが店

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金庫もあり

 

 洋風の立派な階段を登ると洋間がある。どうやら客を迎えるための部屋のようだ。

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洋風の階段がある

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かなり立派な階段

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そして二階の洋間

 その奥には太宰が子どもの頃に机を置いて勉強していたという部屋があるが、襖に書かれた漢詩の一節に「斜陽」の文字が見える。

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太宰の勉強部屋

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漢詩の末尾に斜陽の文字がある

 二階の部屋は旅館の客室として使用されていたと言うが、宿泊客からは「寒い」との声も多かったとか。確かに本格的に冷え込むとかなり寒そうな感じがある。

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旅館の客室としても使われた部屋の襖絵は河鍋暁斎門下の真野暁亭のもの

 私は殊更に太宰に対する思い入れはないので、普通に地方の豪邸として楽しんだが、太宰のファンなら感慨無量なところもあるのだろう。こうして見てみると太宰もそもそもは「ええしのボン」だったわけである。やや破滅的に見えるその生涯はそういう境遇に対する反発もあったろう。

 

金木で昼食にする

 斜陽館の見学を終えると、これから向かう先を考えると昼食を取れるような店に出くわすことはないと想定されることから、金木を立ち去る前にここの辺りのどこが昼食を摂ることにする。結局はGoogle先生にもお伺いを立てた結果、「丸一食堂」に立ち寄ることにする。

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丸一食堂

 本当に絵に描いたような「町のラーメン店」である。メニューにはラーメンだけでなくカツ丼なんかの類いもあるが、私は味噌ラーメンを注文。

 入店するとまず「時間は大丈夫ですか?」と聞かれる。列車の時間のことらしい。私が首からカメラをぶら下げていたので観光客だとは一目で分かったのだろう。ここは津軽鉄道の金木駅の近くなので、列車の利用者の場合時間がシビアなんだろうと思われる。私は「いえ、車ですから」と言って入店。ああやって聞かれると言うことは料理が出るのに時間がかかるんだろうと予測が付いたが、確かにいわゆる一般のラーメン屋と違って料理が出てくるのは遅めだったが、どうしようもないほど遅いというわけではないタイミングでラーメンが出てくる。ああいうことを確認するということは、以前に「ラーメンだったら列車の時間までに食べられると思ったのに」とかの苦情を観光客に言われたことがあるのかもしれない。

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非常に素朴なラーメン

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ホッとする味だ

 素朴な味と言うべきラーメンだろう。特別に美味いわけでもないが、妙に安心する味でもある。ご近所さんなんかがちょっと食事したりする店なんだろうなと感じる。

 昼食を終えたところで次の目的地に移動する。もう不老不死温泉に直行しても良いんだが、ここまで北上したのだからもう一箇所だけ立ち寄ることにする