湯の花温泉を後にすると亀山城に向かう
翌朝は7時の目覚ましに叩き起こされる。昨晩の就寝が早かったせいで一度4時頃に目が覚めたのだが、その後に二度寝で爆睡してしまったようである。
起床するととりあえずシャワーを浴びて目を覚ます。朝食はレストランで8時から。元々はバイキング朝食だったようだが、時勢がら今は和定食となっている。まずまずの内容。
今日は予定があるのでチェックアウト時刻の10時までは粘らずに9時過ぎにはチェックアウトする。今日はまずは亀山城に立ち寄るつもり。
亀山城を見学する
亀山城は明智光秀ゆかりの城で、徳川家康が天下を押さえた後にも地理的重要性から天下普請で建造されたという。しかし明治以降は建造物から石垣の石までが払い下げられ、城跡は荒れて地元民さえ近寄らない状況となっていたという。それを見かねた大本の教祖が買収して、信者達が石垣を積み直して整備したとか。途中で戦前の大本に対する国家による大弾圧があったりなどもしたが、紆余曲折を経た後に今日に至っているという。
見学地域は大本にとっての聖地も含まれるので、事務所に届け出てミュージアムの入場料(300円)を支払う必要がある。まあ私有地なわけなので仕方なかろう。本来なら国有地などにして公的機関が発掘調査結果に基づいて復元するべきなんだが、既にこの地が大本の拠点となっているので、なかなかそういうわけにはいかないようだ。恐らく復元の元になった情報は、かつてこの城内を遊び場にしていたという教祖の子供時代の記憶だろう。それだけにいくらか改変されている可能性があることは考慮に入れておく必要がありそうだ。
見学エリアに入るといきなり目に飛び込むのは天守台の石垣。どうやらこの辺りの石垣は一部かつての石垣が残存していたのか、穴太積みの特徴が見られるとのこと。どうやらすべての石垣が売り払われたわけではないということか?
天守台に登ると光秀が自ら植えたとされる巨木が生えている。ちなみにこの反対側に石塔のようなものが設置されているが、これは大本の聖地とのことで撮影禁止。どうもこの天守台自体が聖地にされていたのを、辛うじてこの木だけは見学できるようにしたようだ。聖地として無闇に関係者以外の立ち入りは禁じたい大本と、この光秀ブームに乗じて観光の目玉としたい地元亀岡市との微妙な駆け引きもあったことと推測する。
見学可能エリアを一回りして戻ってくると、大本のミュージアムの方を覗く。こちらは陶芸の展示中。色鮮やかな陶器が展示されていたが、やや軽薄に見えて私の好みではなかった。
どこまでが往時の遺構か今ひとつハッキリしなかったのと、見学可能エリアがごく一部であることなどから、城の全貌が把握できたとは言えないが、この亀岡の地の地理的重要性と、その亀岡の中央にそびえる独立丘陵という地形からも、徳川幕府が要地として重視したのは至極当然と考えられる。なお建物類が明治に売却されたために、現在も移築城門とされる建造物が市内に数カ所残存しているらしい。
嵐山周辺はものすごい人出でたどり着くのに大変
亀山城の見学を済ませると京都へ移動する。ホールに行く前に福田美術館に立ち寄ろうと嵐山に向かう。しかし嵐山に近づくにつれて道路は大渋滞の上に嵐山周辺は交通規制がかかって予約していた駐車場にたどり着けない。結局は大きく迂回して駐車場にたどり着く形となり、ここでかなりの時間を無駄に浪費することに。しかも嵐山周辺は猛烈な人出で明らかな三密状態。一体どうなってるんだ?
「悲運の画家たち」福田美術館で1/11まで
悲運に見舞われた画家や悲劇の場面を描いた絵画、さらには現代には存在が半ば忘れられるという「悲運」に見舞われてる画家も含めての展覧会。嵯峨嵐山文化館とも共同での企画だが、今回は時間の関係で福田美術館だけを見学。
展示作は、まず登場するのは電車にはねられて命を落とした木島櫻谷、さらには市電にひかれて左足を切断した速水御舟、利き手の自由を失って左手で制作を続けたという木村武山の作品などを展示。
さらには悲劇的運命を辿った静御前を描いた上村松園の作品も展示されている。
次の展示室には後継者として将来を嘱望された息子を失った(狩野派による暗殺説がある)長谷川等伯の大作も展示されている。
「悲運」というテーマで画家を括るのはいささか疑問がないでもないが、展示作はいずれも見応えのある作品ばかりだったのでその点では面白かった。
本来ならここからさらに足を伸ばした第二会場も覗くべきなのだが、嵐山到着までに想定外の時間を浪費したために時間的余裕がない。さっさと嵐山を後にするとホールの方に移動することにする。
ホール近くの蕎麦屋で昼食
ホール近くに借りた駐車場までには30分程度かかる。ようやく車を置くとホールにたどり着く前に、途中の「蕎麦屋じん六」に立ち寄って鴨そばを昼食に頂く。
しっかりしたそばは悪くない。ただサッパリしているというよりも単に塩っぱいだけのつゆが私の好みと大きく外れる。価格も高いのでCPも良くない。そばよりも印象的だったのは極めて濃厚なそば湯か。
とりあえず昼食を終えるとホールへと急ぐ。
京都市響第651回定期演奏会
大友直人(桂冠指揮者)
清水和音(ピアノ)
グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調op.16
エルガー:交響曲第2番変ホ長調op.63
清水のピアノはネットリネットリとした独特のテンポと抑揚のある濃厚なもの。これに対して大友の伴奏は相変わらずのあっさり風味であるのだが、これはこれでバランスの取れたなかなかに面白い演奏となった。いささかこってり目の清水のピアノはやや胃にもたれる感がないでもないが、情感を訴えるという点ではアピールのあるものであった。
後半のエルガーは元々茫洋とした曲調に対して、大友は強烈に個性を訴えるタイプではないので、全体的に印象が薄めの演奏であったという気がする。第1番に比すると第2番はいささか騒々しい曲であるが、どことなくそれが空騒ぎっぽく聞こえてしまった感もなきにしもあらず。どうも私はエルガーの音楽とか、ターナーの絵画といったイギリス系とは相性が良くないのか。
コンサートを終えると京都から長駆して帰宅することに相成ったのだが、温泉でゆったりとくつろぐという主旨の遠征であったにも関わらず、結局は疲労困憊してしまったという毎度のような本末転倒と相成ってしまったのである。まあ念願だった黄金崎不老不死温泉の訪問は果たしたし、酸ヶ湯温泉で宿泊という課題も成し遂げたので満足度は高いが。後は夏場にでも訪問して岩木山見学(8合目までは車で登れる)や嶽温泉宿泊でも出来れば青森は完全終了だろうが。