徒然草枕

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白鷺館アニメ棟

ビシュコフ指揮のミュンヘンフィルでドボ8他を

 先日、ゲルギエフ指揮のミュンヘンフィルの無観客ライブの配信を視聴したが、今週からプログラムが変更され、ビシュコフ指揮ドボルザークの交響曲第8番及びクルマンを迎えてのマーラーの「亡き子をしのぶ歌」が配信されているので視聴。

mphil.de

 

ミュンヘンフィルライブ配信

セミヨン・ビシュコフ指揮
エリザベス・クルマン(メゾソプラノ)

マーラー 「亡き子をしのぶ歌」
トヴォルザーク 交響曲第8番

 クルマンの歌唱はなかなかに哀感タップリである。その繊細な歌声はオケを押しのけるような迫力はないが、この曲にはよくマッチしている。その豊かで美しい歌唱は胸を打つ。ビシュコフ指揮のミュンヘンフィルもなかなかに切ない演奏を行って盛り上げる。

 後半はドヴォルザークの田園交響曲こと第8番である。ビシュコフと言えば、以前にチェコフィルを引き連れて来日した際のまさに川の風景が目の前にありありと浮かび上がるかのような「モルダウ」と、情感が爆発して心を揺り動かされた「悲愴」が記憶に残っている。非常に表現力豊かな指揮者という認識がある。

 そしてそのビシュコフの表現の幅の広さはこの曲でも反映されている。第一楽章ではまさに田園の風景と思わせる世界が展開する。曲は実に生き生きとして活発である。ただしビシュコフの表現は単にそのような表層的な風景的なものを描き出すのではなく、この曲が根底に秘めている感情的なものまで引き出そうとしているようである。

 第二楽章は長閑な歌なのだが、なぜかその奥に潜む不安感なのようなものが浮かんでくる。ここでビシュコフはピアニッシモのさらに下の相当に繊細な表現を使用してくる。そしてそれが終盤にかけての感情の爆発につながる。

 第三楽章は美しいワルツなのだが、ややメランコリックなところもある表現。繊細な美しさが正面に出た演奏。

 第四楽章はこの曲の場合は脳天気な空騒ぎというイメージがあるのだが、ビシュコフの指揮はこれをゆったりと情感タップリの表現で持ってきた。美しくていささかの哀感を帯びた演奏となっている。これはこの曲の解釈としては結構異色に感じる。

 さすがになかなか一筋縄ではいかないビシュコフ節だった。違和感がないではないがこれはこれで実に興味深い演奏である。一つだけ残念だったのは、ミュンヘンフィルにはチェコフィルほどの緻密さとしなやかさはないこと。ビシュコフのかなり広い表現幅を精密に再現するには、やはりチェコフィルレベルのオケが必要なようである。