徒然草枕

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白鷺館アニメ棟

ニューヨークフィルの録音でドホナーニとギルバートを聴く

今回はニューヨークフィルの過去録音を聴く

 ニューヨークフィルのHPで2012年代の録音が公開されているので、それでドホナーニ指揮によるシューベルトの「ザ・グレート」とギルバートによるドヴォルザークの「謝肉祭」とチャイコの4番を。

nyphil.org

 ちなみに「準備中」になっていたオンデマンド配信が開始されることになった模様。年間5209円(月額だと520円)とのことでベルリンフィルデジタルコンサートホールの大体半額というところか。これを高いと見るか安いと見るかは人によるだろう。

 

ニューヨークフィルライブ録音(2012.3.22)

Schubert’s Symphony No. 9, Great

指揮:クリストフ・フォン・ドホナーニ

シューベルト 交響曲第8番「ザ・グレート」

 始まった途端に驚くのはそのあまりに快速に過ぎるように思えるテンポである。まるで早回しのようにグイグイと進むグレートである。ここまでテンポが速いとこれは解釈や表現云々という以前に、何か元曲のテンポ設定に関する新事実でも浮上したのかという考えも生じる(近年でもベートーヴェン時代のテンポ設定は現在と根本的に違うという指摘があった)。

 それはともかくとして、テンポだけに限らずとにかく陽性なグレートである。第一楽章などはアップテンポなせいと、そこにニューヨークフィルの陽性な音色が加わってとにかく元気爆発という印象。重厚さや壮大さでなく、躍動感と前進力が表面に現れている。

 そしてやや哀愁を帯びて聞こえる第二楽章も、この調子でやられると哀愁ではなくて滑稽さを秘めた音楽として聞こえてくることになる。単に陽性なだけでなく、全曲を通して生命感が非常に強い。実に活気溢れるグレートである。

 3年前の来日時にズヴェーデン指揮の公演を聴いた時には、元気な爆音オケであり緻密さに欠けるという印象を強く受けたのであるが、この演奏に関しては緻密さまでは感じないが雑と言うまでではない。もっともいささかエネルギーに溢れすぎなのはやや違和感がないわけではない。


 なかなか奇妙な演奏だったという印象。ただしかなり興味深くはある。さらにギルバート指揮による演奏もあるのでそちらも視聴。

 

ニューヨークフィルライブ録音(2012.5.12)

Gilbert Conducts Tchaikovsky’s Fourth Symphony

指揮:アラン・ギルバート

ドヴォルザーク 「謝肉祭」序曲
チャイコフスキー 交響曲第4番

 タケシことアラン・ギルバートがニューヨークフィルの音楽監督を務めていた頃の録音である。

 謝肉祭に関してはとにかく華やかな曲であるが、それでいて馴染みやすいのはドヴォルザークたる所以か。こういう元気な曲になるとニューヨークフィルのカラーに非常にマッチする。非常に躍動感に満ちた演奏である。

 チャイコフスキーの方は冒頭からやや抑え目のテンポで、華やかにはならず地味目の内容である。それよりはタップリと情感を謳わせるというタイプの演奏。いささか哀愁を帯びた演奏でもあるのだが、ニューヨークフィルの音色が基本的にかなり陽性であるので、哀愁にドップリと浸かりきるところまでは行かない感がある。

 音声配信なので映像を見られないのがいささか残念なのであるが、ギルバートはタケシの名に違わずゴツい体躯をフルに駆使したエネルギッシュな指揮振りから、剛田イズム全開などとも言われるのだが、単にがさつなだけのジャイアンではなく意外に細かい仕掛けの多い指揮をする。その特徴は本公演でも現れており、楽章中でも細かい溜やら煽りやらは所々に見られる。第一楽章などは抑え目から始まって、ここ一番になったら煽りまくったりなどの変化の激しいものであり、第二楽章も哀愁タップリに謳わせながらも突然に爆発を仕掛けたなりなどである。第三楽章のピッツカートなどはかなり高速でぶっ飛ばしており、とにかく変化とメリハリが強い。

 最終楽章などは単なる空騒ぎでなく、ドッシリと構えてスケールの大きな音楽にしようとしている仕掛けが見られる。ただしニューヨークフィルの方が完全に一糸乱れぬとまでは行っていない印象がある。まあそれでも剛田イズム全開のなかなかに楽しめる音楽ではあった。


 ギルバートの演奏はもう一本上がっている

 

ニューヨークフィルライブ録音(2013.2.21)

Bloch’s Schelomo and Brahms’s Symphony No. 1

指揮:アラン・ギルバート
チェロ:ヤン・フォーグラー

ブロッホ シェロモ
ブラームス 交響曲第1番

 一曲目は私には全く馴染みのない曲なのだが、20世紀初頭に活躍したスイス出身のユダヤ人作曲家ブロッホが1916年に作曲した曲だとか。シェロモというのは古代イスラエルの王であるソロモンのことであり、ソロモン像から着想を得た作品とのこと。

 現代音楽に入りかけの時代であるが、私が聴いて「馴染みやすい」と感じるのであるから、恐らくやや保守的な曲なのだろうと考えられる。フォーグラーのチェロの音はなかなかに厚みと深みを感じさせるもので、曲に重々しい威厳を与えている。

 ブラームスに関してはドッシリと構えながらも躍動感のある演奏である。例によってニューヨークフィルの音色は陽性であるので暗めの曲調の中でも明るい生命感は滲んでくる。ただしこれが場合によっては「軽さ」に聞こえなくもない。

 最終楽章も基本的に整然とリズムを整えてきた端正な演奏の方向であり、ニューヨークフィルでお馴染みの元気爆発というよりは、ドッシリと構えて美しさの方が前面に出るという印象。これがギルバート流のブラームス解釈というわけだろうか。