徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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白鷺館アニメ棟

4ヶ月ぶりに大フィルの定期演奏会に出向く

ライブに出向くのは3ヶ月ぶりか

 3月半ばの岡山フィルのコンサートを最後に永らくライブには出かけておらず、大フィルの定期演奏会も2月以来行っていなかったが、今回4ヶ月ぶりに大フィルの定期演奏会に出向くことにした。一時よりは沈静化したとは言え、まだまだコロナは収束にはほど遠く、変異株の流行なんかも気になるところであるが、さすがに私の方も公私共に半端ないストレスが溜まってきていて、明らかに鬱の兆候が出始めていた。このままだと本当に精神を壊しかねない。そうなってしまうとそもそも外に出る意欲さえがなくなってしまう。そこでそろそろ精神の健康を保つためには久しぶりに気分転換に出ることにしようと決めた次第。

 とは言え、気分転換でコロナに感染したのではたまらない。例によって厳戒態勢の元での外出である。移動はやはり最大の危険要因であると推測される電車は避け、あくまで車で移動することにする。またなるべく目的地との間を直行直帰である。今回の目的地はフェスティバルホールともう一つがハルカス美術館。会期末の迫る「グランマ・モーゼス展」はこんなご時世下だからこそ是非行っておきたいと考えた次第。

 午前中に出かけるつもりだったのだが、なかなか気力が沸かなくて結局はグズグズと昼前になってしまう。天王寺のMIOの駐車場に車を入れたのは午後1時頃。会期末ということもあって混雑していたら嫌だなと思っていたのだが、案に反してさほど混雑はしていなかった。日本ではグランマ・モーゼスの知名度はそれほどではないか。

 

「グランマ・モーゼス展 素敵な100年人生」あべのハルカス美術館で6/27まで

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 アメリカの農家の主婦だったアンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼスは70才を越えてから本格的に絵を描き始め、101才に亡くなるまでその絵画はアメリカで広く愛されてきた。そのグランマ・モーゼスの展覧会。

 典型的な元祖ヘタウマ絵画と言うべきか、とにかく技巧は感じないのであるが、実は見事なほどに描き込まれているのが特徴。一見、幼児の絵画のような純粋さも感じさせるものの、思わず目を惹くその画面は彼女の抜群の色彩センスを反映している。

 画題は限られていて、場面も彼女の日常生活の世界に限られている。しかしそこに描かれているのは古き良き農村の共同社会の日常であり、それは特にアメリカ人にとっては懐かしくもある心の故郷の光景なのであろうと思われる。それがアメリカで絶大な人気を誇る理由であることは頷ける。

 もっとも文化は異なれども、その絵画は日本人にとってもやはり訴えかけてくるものがある。特に今のようなコロナのせいで人々がバラバラになっている時であるからこそ、ここに描かれている一種の楽園的な風景には癒やされるものがある。

 アンリ・ルソーなどと共に素朴派に分類される元祖ヘタウマ絵画である。しかしまさに大器晩成というか、70才を過ぎてからこの絵を描きだしたなんて言われると、私でさえまだまだ若造である。

 

フェスティバルホールへと移動

 ハルカスでの次回展はポーラ美術館コレクション展とのこと。ポーラ美術館は印象派の秀品を多数所蔵する美術館だが、今まで2回ほど訪問したことがあるので、あえて行かないといけないという内容ではない。まあついでがあれば程度か。

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次回はポーラ美術館コレクション展

 ハルカスを後にするとフェスティバルホールへ移動する。車はAkippaで予約しておいた駐車場に入れてプラプラと歩く。

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久しぶりのフェスティバルホール

 フェスティバルホールは久しぶりである。ただホールに入る前に少し腹ごしらえをしといた方が良さそうだ。結局はこの日の昼食はフェスティバルゲートの地下でうどんを頂くことに。

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昼食はうどん

 遅めの昼食を摂ると入場する。こんな状況下であるが結構の客入りで1階の客席は7割方は埋まっている。

 

大阪フィル第549回定期演奏会

指揮:大山平一郎
ヴァイオリン:金川真弓

芥川也寸志/弦楽のための三楽章「トリプティーク」
ブラームス/ヴァイオリン協奏曲
ショスタコーヴィチ/交響曲第1番

 一曲目は現代音楽的なものが来るかと思っていたら、案に反して旋律的で非常に分かりやすい曲であった。第一楽章なんかはどことなく地球防衛軍が出て来そうな雰囲気もある。中盤に緩徐楽章を持ってきて、両端は急テンポという結構古典的な構成の曲である。大山の演奏はかなりガンガンと来る元気の良いものである。この曲の曲調ともマッチしていてまずまず。

 二曲目は大山がいきなりかなりロマンチックに入っていくので、これはソリストがどう受けるだろうと注目していたら、しっかりとそれを正面から受けて十二分な感情のこもった音色を奏で始めた。若手奏者は往々にして技術はあっても表現が淡泊で表情に乏しい場合が多々あるのであるが、彼女については音楽に深い表情があり、それを確かな技術がした支えしているという印象で、実に堂々とした演奏である。しっかりと最後までオケと渡り合って聞かせる演奏をした。これはなかなかに大器を感じる。

 最後はショスタコーヴィチの若き日の交響曲。どうもまだ曲の完成度が今ひとつの印象を受けるが、最後の空騒ぎなどは後の彼の交響曲に通じるところを感じる。大山の演奏はとにかくオケをブイブイと派手に鳴らしてくるという印象。全体的にかなり高音量でガンガンと来ていたような感じを受ける。ただその分、やや曲の陰影に欠ける部分があり、構成的に甘さを感じるこの曲の欠点も表に出てくる形になってしまった気がする。同じショスタコでも5番とかならもっと印象も変わったかもしれないが。

 ショスタコの1番はあまりよく知らない曲なのであるが、正直なところ曲自体があまり面白くないという印象を受けた。大山はヴィオラ出身の指揮者で73才のベテランということなのだが、その演奏は意外なほどに若々しいというか、まるで若者のようにガンガン行くタイプである。個人的にはもう少し年輪から来る深みとかが欲しいきらいはある。


 これで今回の大阪での予定を終えると直帰したのであった。しかし久々の大阪までのドライブは疲れたというのが本音。帰りのドライブは途中で意識が飛びそうになる危ない局面などもあり、心身共にかなり衰えが来てしまっていたのを痛感したのである。