徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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白鷺館アニメ棟

大阪フィルの定期演奏会と「あやしい絵展」

 先週は関西フィルの定期演奏会に出かけたが、今日は大阪フィルの定期演奏会である。その前に立ち寄るところがあるので午前中に出て、大阪には昼頃に到着する。まず向かったのはNHK大阪。と言っても用があるのはNHKではなくて、となりの歴史博物館である。車を地下の駐車場に入れると会場へ向かう。

 

「あやしい絵展」大阪歴史博物館で8/15まで

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 明治期に西洋から新しい技法や思想などが流入することによって、美術の世界では様々な新しい表現が登場した。その中には退廃的とかエログロとかいわれるようなジャンルもあり、かなりアクの強い作品なんかも登場することになった。そのような新しい潮流をしめすような作品を展示。

 とのことなのだが、存外そんなに怪しい絵は実はなかったりする。最初に登場するのはいわゆる生き人形で、その後には幕末から明治にかけての浮世絵、歌川国芳の歌舞伎絵や月岡芳年のいわゆる血みどろ画などが登場する。例によってこの辺りは、とんでもない絵であるんだが、とんでもなく上手い絵でもある。

 第二章が愛や異界を扱った作品となるのだが、藤島武二などは普通に綺麗な女性画、このコーナーで印象的なのは橘小夢の一連の作品。怪しげと言うべきか耽美的というべきか、また非常にモダンな絵柄であり、こういう作品は現在でも同じようなタッチで描いている者がいるように思われる(今日の天野喜孝などにも一部通じる)。

 「あやしい絵」というテーマに本格的に合致しそうな作品が登場するのは展示室が移っての二章後半から。ここで登場するのはやっぱりかと言うべき甲斐庄楠音に岡本神草。この両者の絵は誰が見ても疑う余地のない「あやしい絵」。その独得の毒々しいまでの表現のインパクトが強烈である。ただむしろ私は甲斐庄楠音が普通に母や裸婦を描いていた作品があった方に驚いた(笑)。そしてそこにさらに加わるのは例の明治から大正時代に女性ポスターを量産した北野恒富。いわゆる普通に美女を描いた白恒富でなく、デロリとした怪しげな作品の黒恒富が登場する。いわゆる大正デカダンスという流れである。それを代表する作品が本展の看板の一つになっている「淀君」。人物の内面までえぐり出すような強烈な絵画である。さらにその恒富に引っ張られた島成園の作品も登場。

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本展の看板にもなっている「淀君」

 一方で上村松園による狂気を扱った「花がたみ」や鏑木清方が人魚を描いて作品なども登場するが、この辺りは確かに怪しさは感じさせるのであるが、やはり基本的に上品で美しさもあるというのが彼ららしいところ。

 最後は大正期のモダンで退廃的な出版物などにつながるのだが、小村雪岱に関しては確かに怪しげで退廃的だが、高畠華宵辺りまで出てくるのはちょっと違うのではという気もしないではない。もっとも第二章の前半でミュシャの作品まで出ていたから、そっちの流れで取り上げるなら確かにありだが。

 と言うわけでテーマ自体は漠としてかなり雑な括りであったが、幕末から明治、大正にかけてのインパクトのある絵という観点で見ればなかなかに面白かったと言える。


 会場は意外と混雑しており、これには驚いた。そう言えば以前に「恐い絵展」が評判になったことがあったが、キャッチーなタイトル付けが成功したのだろうか。まあ確かに大正デカダンスとかかれるよりは、「あやしい絵」の方が分かりやすいが。

 

ホール近くに移動すると昼食

 後は早めにフェスティバルホールに向かうことにするが、途中で道路がやけに混雑している。何だと思ったら前方に珍走団のような怪しげな車が。「今時珍走団?」と思ったら、どうやらいわゆるビジネスウヨだった模様。やけに大挙して集合しているから何だと思ったら例の「表現の不自由展」の大阪展に抗議しているようだ。会場近くではいわゆる「お外に出て来たネトウヨ」も登場して警官隊と睨み合いになっていた。全く暇な連中である。ちなみに私は本展については、イデオロギー的には理解出来るが、芸術的に興味が全く湧かないのでパスしている。

 今日はフェスティバルホール近くの駐車場をアキッパで1日確保している。そこに車を入れるとフェスティバルホールまでやって来るが、まだ開演までには2時間ある。そこでまずは昼食を取ることにする。店を選ぶのも面倒臭いので「而今」でランチタイム用のラーメンセット(1000円)を頂く。ラーメンにご飯と唐揚げが2個。なるほど、こうすればラーメンのややボリューム不足も補うことが出来るか。ラーメンは相変わらず私好みの味で美味い。

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またも「而今」

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ランチタイムのラーメンセット

 遅めの昼食を終えると最寄りの美術館にもう一カ所立ち寄ることにする。

 

「上方界隈、絵師済々Ⅱ」中之島香雪美術館で8/22まで

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 18世紀後半になると、京都の円山派の流れを汲みつつも、そこに独自の要素を加えた画家たちが大阪に現れる。その3人、上田耕夫、上田公長、長山孔寅の作品を紹介する。

 耕夫は円山派に習いつつも、与謝蕪村に対して傾倒していたとのことで、その作品は円山派の写生の流れを汲みながらも文人画的要素の強い作品である。画題も長閑な田園風景などが多く、ほっこりとする絵。

 公長は呉春に師事しており、いかにも円山派的な作品も描いているが、文人画風の作品もあったりなど結構幅広い。その辺りにかなり器用さを感じる。実際に人気の画家だったらしく、忙しすぎて弟子に教えていられないから画譜を出版したといわれている。

 孔寅は画家だけでなく狂歌師でもあったという自由人であるが、伸び伸びとして楽しげな作品が特徴なようである。

 正直なところ、いずれの画家も私は初めて名前を聞いた者だが、当時の大阪画壇がこのように百家争鳴的に賑わっていたのだろうということは感じられる。もっとも今回の三人は、いずれもまずまず面白くはあるのだが、私の印象に強烈に残るようなものはなかったのが事実。


 美術館を一回りした頃には開場時刻を過ぎていたのでホールに向かうことにする。ホールの入りは7割というところか。まずまず入っている。

 

大阪フィル第550回定期演奏会

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指揮:カーチュン・ウォン

リスト/交響詩「レ・プレリュード」
バルトーク/弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽
ムソルグスキー(ラヴェル編)/組曲「展覧会の絵」

 予定していたミシェル・タバシュニクが入国制限で出演不可のため、急遽シンガポール出身の新進気鋭の若手カーチュン・ウォンが代演することになったようである。

 なおカーチュン・ウォンは私が若手の中で注目している一人。オケの色彩的な鳴らし方が実に上手いという印象を受けていたのだが、今回は一曲目の「レ・プレリュード」からもろにその真価を発揮する。とにかく音色が煌びやかで華やか。大フィルのここまで華やかな音色を聞くのはかなり久々のようにも感じられる。決して急がずに堂々と明確に鳴らしてくるその演奏は、この曲に対していつになく強い印象を与えた。

 二曲目のバルトークはハッキリ言って私には苦手なジャンルであり、曲自体も正直なところ面白いとは感じられない。しかしそれにも関わらず、多彩な音色でなかなかに興味をつなぐ。弦楽を左右に完全に対象に分ける配置は作曲家自身によって指定されているもののようだが、その完全対称配置の左右から交互に飛び出してくる音楽は、作曲家がかなり効果を計算していることは覗える。

 カーチュン・ウォンの指揮は大フィルの弦楽陣から実に鮮烈な音色を引き出しており、そのことが曲全体のメリハリにつながっている。音楽の内容云々を抜きにしても、サウンドだけでも聞かせる内容を持っている。

 そのような音色を大フィルから引き出すカーチュン・ウォンであるから、最後の展覧会の絵はまさに予想した通りの演奏である。メリハリが効いていて音色は極めて煌びやかで多彩。ラヴェルによるオーケストレーションの真価をもろに発揮した演奏である。しかも若手指揮者にありがちな暴走はなく、ドッシリと構えた実にスケールの大きな演奏でもある。いつになく大阪フィルのソリスト陣も安定感があり、なかなかの快演であったと言える。

 素人目で見ても、指揮者が非常に的確で明快な指示を飛ばしているのは覗えた。しかもそれがことごとく実に効果的である。やはりカーチュン・ウォン恐るべし。既に巨匠の風格さえ感じさせている。