今度は有年山城にリベンジだ
先週は見事に駒山城にリベンジを果たしたのであるが、その代償は結構大きかった。その夜から両太ももに張りが現れ、翌日は足がガクガクで歩くのが困難、特に下り階段を降りる時に踏ん張れずに膝がガクンと落ちるという情けない事態になってしまった。
しかしその一方で、明らかに体自体のキレは良くなってきたし、何よりも「あの山道を制覇できた」ということは大きな自信となってきた。そうしてようやく木曜日ぐらいになってほぼ体が動くようになってきたら、「今週もどこかを攻略すべきだな」という気持ちが頭を持ち上げてきた。
そこで適当な対象を考えた時に、上郡の隣接地域で以前にその険しさのために撤退した山城があったことを思い出した。それは有年山城。以前に訪問したものの、途中で岩場を含む登山道の険しさと、何よりも言うことを利かない軟弱な足腰のせいで撤退した記憶がある。現在の回復度合いを計るには格好の対象である。
山城攻略の前に上郡で昼食を摂る
この考えから繰り出すこととなった。出発は昼前だったので現地に到着したら既に昼時、登山中のガス欠を避けるためには食事を先に取っておきたい。そこでここから少し足を伸ばして上郡まで。先週には日曜日のために閉まっていた「お食事 久」を訪問することにする。今回注文したのはお昼の御膳(1320円)。
メインが今日の魚メニューに小鉢が複数。魚メニューはカンパチのサラダ(カルパッチョと言うべきか)。これがなかなかに美味い。また小鉢の味も上々。今回は団子汁がややしょっぱめに感じたが、少し煮詰まったか。トータルとしてやはりホッとする和食。
有年山城攻略に取りかかる
昼食を終えると今日の目的地である有年山城に向かうことにする。有年山城の場所は以前に撤退した時に分かっているが、その時から問題は車を止める場所。以前の時には角の神社の前に車を置いたが、ここにはあからさまな駐車禁止の標識はないが、交番がすぐそこにある場所に公道駐車するのは考え物。
前回訪問時に薬師堂のところから登れるのが分かっているのでそちらに向かう。手前にほとんど駐車車両のない駐車場があって、有年山城の幟は多数立っているが、登山者用駐車場の表記はない(しかし月極駐車場とかの表記もない)。一時停車してどういうことだろうと辺りを調べていたら、案内パンフレットを見つけた。それによると登山者用の駐車場は離れた場所にあるらしい。慌てて車を移動する。
自治会館の駐車場に車を置くと再び帰ってくる。さて今回の攻略ルートだが、2通り考えられ、一つが岩場もあるいかにもの「城攻め感のあるルート」。恐らく前回撤退したのはこのルートだったようである。もう一つは薬師堂から続く「らくらくルート」らしい。当然のように自らの体力の回復度合いを測りに望んでいる私は、心身の鍛練を兼ねてあえてハードな城攻めルートを選ぶ・・・なんてことはしない。私は肉体を痛めつけることで悟りを開くという小乗仏教的な苦行主義も、身体を鍛えれば神に近づくという修験道的なマッチョ信仰も、体育会的精神主義とも無縁で、同じ目的を達成するなら楽に最小エネルギーで達成するのが正解という近代合理主義者である。迷わず「らくらくコース」を選ぶ。
薬師堂から先の動物除けゲートは開け放たれていて、その先は前回来た時とは比較にならないほど整備されている。なお軽なら余裕で、コンパクトカーでも何とか八幡神社には登れそうである。体育会系ルートを通るつもりなら、いっそのこと八幡神社に車を停める手もありそうである。私はそっちではなくて整備された「らくらくルート」の方を進むことにする。
らくらくルートを進み始めるとすぐに目印でもある夫婦岩が見えるが、下から見る限りではどういう風に夫婦岩なのかがよくわからない。お一人様岩に見えるのだが・・・。これからは人生の多様化も含めて、お一人様岩とかぼっち岩もあっても良いかも・・・ってそんなもの見たくもないか。
再整備されたらしいのは結構だが
やたらにあっちこっちに幟が立っているところを見ると、私が5年前に訪問した時にはこんなものは全くなかったことから、どうも最近になって登山ルートと共に整備されたようだ。邪魔になる木も下草も払ってあるので歩きやすいことこの上ないが、問題はこの整備状態がいつまで続くか。
「どうも昨今は山城ブームらしいので、ここらでいっちょ地元の山城も整備して観光開発」と夢を抱く自治体などが増えている。皆、その内に評判になって昇太や千田氏が撮影隊を引き連れてやってきてNHKで放送されて一気にメジャーデビュー、地元に観光客が押しかけて山城饅頭でも作って大儲け・・・なんて夢を描いたりするのだが、実際はいつまで経っても昇太も千田氏もやってこず、たまにやって来るのは怪しくて汚い身なりをした城オタだけ(私のような)、その内に地元民も登城路の維持が面倒臭くなってきて荒れ始める。さらには自治体が整備予算などを投入していたら、維新の議員が「税金の無駄遣いだ、そんな金があるのなら俺の関連企業に回せ」と予算をカット、結局は登城路は荒れ果てて藪に沈み、久しぶりに城オタが地元の人に尋ねたら「確か大分前に山頂までの登山路が整備されたはずだが、今でも通れるかは分からない」なんて言われる羽目になるってことが非常に多い。
実際に播磨一円で大河ドラマ「軍師官兵衛」に合わせて官兵衛関連の山城が一斉に整備されたが、大河ドラマ放送から既に7年。中にはその後放置されてもう既に藪に埋まりつつある城も少なくない。
次の目印である炭焼窯跡を過ぎてしばらく進むと、階段の手前にはなぜか黄色いベンチまで用意されている。非常に周到に整備されているようである。
階段を登ってしばらく進むとようやく5合目に到達。ここまでは体力不足で息が切れたり、ふくらはぎが軽く張ってきたりはするものの大して困難なルートではなく、確かに「らくらくルート」だった。ここで何やら大岩群展望台との表示があるのでそちらに進んでみる。
大岩群方面に進むが、その後に想定外のハプニングに遭遇する
少し進むと確かに大岩群の表示があり、かなりの巨石がゴロゴロしている。そしてその先には展望台というかむき出しの岩場があり、かなりの景観である。ただし落ちたらひとたまりもないだろうから(クレヨンしんちゃんの作者の件が頭を過ぎる)、足下は怖々である。
さてここからどう進むかだが、背後を見ると人が通った跡のようなものも見えるし、尾根筋に到達できそうな雰囲気がある。そこで背後の崖を登り始めた・・・のだが、結果としてはこれが大失敗であった。
この上が尾根筋だろうかと思ってそこまで登ってみたらまだ崖の中腹ということを数回繰り返したところで、完全にルートを見失って迷ってしまった。やばいと思った時にはもう引き返すためのルートさえ不明という状態。最悪の事態に陥ってしまったようであることに気づいた時には既に手遅れである。
もうこうなったらとにかく上へ向かって登り続けるしかない。その内に正規ルートに出ることを期待してひたすら崖を登るが、この山は上に近づくほどに傾斜が急になってくる。足下がよろめいて崖から落ちそうになったところで慌てて木をつかんだり、手がかりとして木をつかんだと思ったら、それが根元から抜けてしまったり、伐採された倒木に進路を塞がれてそれを無理やり乗り越えたりなど、先週よりもハードな行程をしばし進むことになる。
正直なところかなり心細くなってくる。しかも困ったことにこの山には目下のところ人の気配が全くない。こうなってきたら最悪は「遭難」なんてことまで頭を過ぎり始める。大分息が上がってヘロヘロになってきた身体をライフライン(ミネラル麦茶)で癒やしながら、何とか登り続けることに。
あそこまで登れば正規ルートではという期待が裏切られ続けること10回以上。ようやく上方に正規ルートを示す赤い矢印が見える。まさに女神のお導きという感じで、ここでようやくホッとするが、まだホッとして力が抜けてしまったら足下が滑って崖から転落である。注意して足場を確認しながらルートを策定、まさに崖にへばりつくようにして登り切る。
散々な目にあったがようやく正規ルートに合流することが出来た。ここで本当にホッとしてしばし力が抜けてしまう。それにしても久しぶりに大失敗をしてしまった。まず山ではルートではないルートっぽいコースがいくらでも見える上に、下から尾根筋を判断するのは無理ということを忘れていた。完全に山歩きの初歩の初歩を無視しての失敗である。しかも三十代ぐらいの頃なら無理やりに体力に物を言わせて踏破ということも不可能ではないが、今や私の体力も筋力も往時とは比較にならないぐらいに衰えている。一つ間違えたら本当に遭難したり、転落して動けなくなるという危険さえもあった。とにかくルートを外れたのではと思った時に迅速に引き返すべきであったと反省しきりである。
四苦八苦したが何とか山頂に到着する
ようやく正規ルートに合流すると登っていくことになる。西郭の手前には帯曲輪もあるようである。
ここから少し登ったところが西郭である。西郭はかなり広い曲輪で先端の方には数段の曲輪があるようである。
背後が山頂の本郭になるようであるが、そちらには数段の曲輪が続いている。その手前に井戸跡か何か不明なのだが、巨大な穴が。
見事に整備された本郭に拍子抜け
山頂の本丸はベンチまで備えてあり拍子抜けする。確かにすごい整備が進んでいる。確か私が5年前に撤退した時には「山頂には何もない」と聞いていた。今は山頂にベンチに案内看板だけでなく、記念ノートから登城記念カードまで置いてある。
東南の方向を見ると多くの山が見えるが、それらの中には、もし時間と体力に余裕があったら続けて攻略と思っていたところもあるが、現在のヘロヘロな体力から考えるとそんな余裕は皆無なのはいうまでもない。
東の尾根筋に曲輪が続くようなのでそれを見に行く、3段ほど小曲輪が続き、その先端には井戸跡がある。なおここから古墳ルートの登城路が続く。ここを経由して帰ることも考えたが、もう既に体力に全く余裕がないことを考えて安全策をとることにする。
西曲輪群を巡りながら降りてくる
結局は帰路は往路と同じ「らくらくコース」を取ることとした。西曲輪群の南側を経て降りていくことになるが、ここを通った時に、どこまで登っても尾根筋に取り付けなかった理由が分かる。かなりの急傾斜になっており、登山路整備されていないと登るのが困難なぐらいの段差になっている。これでは北側からの崖経由では取り付けなかったはずである。そもそも根本的にルート設定を間違っていたのである。
結局はガクガクになった足下に注意しながらようやく下まで降りてきた。これで有年城攻略完了である。
有年宿を通過すると上郡で一服して帰宅する
ようやく車の所に戻ってくるともう帰宅だが、やはりその前に燃料補給をしておきたい。と言うわけで再び上郡に戻ることにする。西国街道を通過するがそもそもこの辺りは西国街道の有年宿だったらしい。かつての面影のある家もあるが、基本的には新しい家が多く、昔の面影は残念ながらあまりに無い。あえて言うなら東端の街道の屈曲はいかにもこういう街に多い構造ではあるが。
上郡に戻ってくると「ヨット」に立ち寄ることにする。ここも先週は休みで立ち寄れなかったところ。今回もプリンパフェ(770円)を頂くことにする。やはりなかなかの美味。
こうして先週の昼食と喫茶のリベンジをすると帰宅することに相成ったのである・・・って、今回の主目的は何だったっけ?