徒然草枕

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ベルリンフィルデジタルコンサートホールでヒメノ指揮のシェエラザード

「あのヒメノ」だけに不安はある

 昨日は有年山城で遭難しかかって(笑)、散々な目にあった。おかげで身体のあちこちに疲労がある。なお駒山城の時は太股の筋肉に疲労が集中していて、翌日には足がガタガタという状態になったが、今回は太股にはそれほど来ていない。それよりも木をつかんだり岩肌に取り付いたりで何だかんだで全身を使っているので、足腰から腕に至るまで全身がまんべんなくダルいという状況である。

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 そんなこんなで今日は一日プラプラしていたんだが、今日はベルリンフィルデジタルコンサートホールの時差配信があるのでそれを視聴することにする。指揮はグスターボ・ヒメノとのこと。ベルリンフィルは初出演だろう。

 もっとも私はヒメノは以前からよく知っている。ただし極めて悪い意味でだが。私が初めて行ったロイヤルコンセルトヘボウのコンサートの指揮がヒメノだった。その頃の彼は指揮デビュー間もない頃のようであり、果たして新生の天才指揮者登場か、それとも実力不足の若者のどちらかと興味津々であったのだが、結果はもろに後者であり、何とも言い難い腑抜けた悲愴を聞かされる羽目になってしまい、安くはないチケット代が勿体なかったことを覚えている。ロイヤルコンセルトヘボウの音色自身は抜群だっただけに、それを指揮するヒメノに全く指揮の意図が見られなかったのが非常に悲しかったのを覚えている。

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 という極めつけに悪印象が残っているだけに、今回のヒメノの指揮にはいろいろな意味で興味津々である。ベルリンフィルに登場すると言うことは、その後の彼はそれなりの研鑽を積んで実力を身につけて評価されることになったのか、それとも単にベルリンフィルに良くある若手指揮者(年齢的には中堅と言うべきだろうが)のお試しか。それは今回の中継である程度は分かるだろう。

 

 

ベルリンフィルデジタルコンサートホール

指揮:グスターボ・ヒメノ
ヴァイオリン:アウグスティン・ハーデリッヒ

ジェルジ・リゲティ 《ルーマニア協奏曲》
プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第2番ト短調
リムスキー=コルサコフ 交響組曲《シェヘラザード》

 一曲目は現代作曲家の曲とのことだが、特にそれらしい奇妙さというのはない結構普通の曲である。とは言うもののいささか曲自体のまとまりが悪い感を受ける。ヒメノは相変わらず指揮姿は堂に入っているのだが、その指揮の内容自体は特に印象なし。

 二曲目はこれもベルリンフィル初登場というハーデリッヒをソリストに迎えてのプロコの協奏曲。ハーデリッヒの演奏は流麗で軽妙であるのだが、この曲に対してはいささか軽すぎるような気もする。プロコだけに軽さと美しさでなく、もう少しガツンとゴリゴリしたところを叩きつけても良いように感じるのであるが、そういう角が全くない。結局は最後まで終始まろやかで滑らかな演奏であり、「えっ?こんな曲だったっけ?」という戸惑いはいささか最後まで残った。ハーデリッヒは技術的には実に見事なものであったが、私としてはもう一味欲しかったという印象。

 ハーデリッヒのアンコールはポピュラー的な軽妙な音楽(曲名が出たが私には分からない)。どうも彼の演奏はこういう曲の方がやはり合っているようである。

 20分のインターバルを経て、後半はシェエラザードとなる。ご存知、リムスキー=コルサコフがその管弦楽スキルをフル投入した一大音楽叙事詩である。ヴィルトーゾ揃いのベルリンフィルを駆使したら普通に演奏するだけで、サウンドスペクタクルとなることは予想が付く。問題はそこに一味が加えられるかである。

 さてヒメノの指揮なのであるが、サウンドスペクタクルというよりは滑らかで端正な音楽に振ってきた。これがヒメノ流なのかもしれないが、このことが「特徴が薄い」にもつながりやすい。また私がロイヤルコンセルトヘボウの来日公演で感じたヌルさでもある。細かい溜などもたまには使うが、やはり私には「なぜそこで溜める、なぜここで溜めないで流す」とスッキリしないことが多い。ヒメノは弱音から中音域の旋律を美しく聴かせようとするようなのだが、どうもそこに緊張感はない。だから美しくともいささか退屈に感じさせられる。正直なところ、この曲で「退屈」と感じたことは初めてである。最終楽章なども祭の乱痴気騒ぎは良いんだが、音楽自体に緊迫感がないので、嵐の中で難破したと言うよりも、船員が浮かれている内に船が沈んだという印象になってしまう。

 やはり基本的にヒメノの演奏は私が以前に感じた「ヌルい」という感覚から根本的には変わっていなかったようである。それにしてもここまでシックリこないというのは、技倆云々とかではなく、どうも私と根本的に相性が悪いとしか思えない。私以外の者が聞けばもっと評価も変わるのだろうか。

 なお演奏中にコンマスのヴァイオリンの弦が切れて、セカンド奏者が慌てて自らのヴァイオリンを手渡して弦の張り直しをするというトラブルもあったようだ。この曲はコンマスソロが重要な役割を果たすだけに一つ間違うと大惨事である。こういうことも起こるのがライブならでは。