いきなり恋の聖地に
今回は因幡街道の古い街並みを辿る旅に出ることにした。最初の目的地は智頭を考えていたのであるが、グダグダやっている間に家を出るのが遅れてしまい、智頭まで行っている時間が無くなってしまったためにその手前で引き返すことにする。
ここで立ち寄ったのが宿場町とは全く無関係の恋山形駅。以前に鳥取の三朝温泉からの帰途で、特急スーパーやくもで通りかかった時にその異彩を放つ駅の風景が強烈にインパクトがあったことから、一度立ち寄ってやろうと思った次第。
鳥取自動車道を智頭南ICで降りると智頭急行は高架とトンネルで高速走行する路線なので、駅は山沿いの意外と高い場所にある。国道373号線からかなり登っていくことになる。
もう駅の手前から恋ロードなるピンクのラインが引いてあって「しまった、独身の50男が来るところではなかった」と少々後悔するが、ここまで来てひるんではいられない。その恋ロードをノートで登る。
駅舎というようなものはない無人駅だが、駅はもう目も眩むようなピンク。山間の風景の中で妙に浮いている。しかもそこに鉄道娘の萌え要素まで加わって一種異様な空間となっている。
駅の前には恋ポストなるものまで設置されている。ここに切手を貼った手紙を投函したら、山形郵便局でハート型の風景印を押して届けてくれるらしい。と言っても私は恋文を出す相手はいないし、自分に手紙書く趣味はないのでこれはパス。
駅のホームには恋の鐘なるものも設置。恋が叶う鐘と書いてあるが、よくよく考えると私には既に片思いの相手さえいないということに気づいた。我が人生を振り返るに、40前ぐらいから恋愛以前に回りに全く女性がいない生活を送っているのだから、そりゃそのまま独身になるのも必然だったというわけでもある。まあ積極的に動かなかった私の自業自得とも言えるが(実はそうしたくても出来なかった理由はあるのだが)。思い返せば私のラストの恋愛チャンスは30代半ばぐらいだったが、結局は阪神大震災のドタバタで吹っ飛んでしまっている。と言うわけで諸々を考えていると情けなくなってきたので、やけくそで鐘を一回撞いて帰ってくることにする。
そう言えばよく「カップルでこの鐘を撞くと結ばれる」なんてのを見かけるが、そもそもそんなところに二人連れだって行っている時点で、既にかなり関係が進んでいるのだから、余程下手しない限り結ばれるのではと恋愛未経験の私などは思ってしまうのだが、そういうものではないのだろうか? どうしても男女の機微だけは私には理解できない。
うーん、それにしても何とも奇妙なスポットだった。カップル盛り上がりスポットなのか、鉄娘萌えスポットなのか、独身男うつスポットなのか。まあとりあえず三朝温泉の帰途に抱いた疑問はこれで解決である。ちなみに駅内には「日本に4つ恋の駅」との表示があったのだが、この駅以外は室蘭線の母恋駅と三陸鉄道の恋し浜駅、西武鉄道の恋ヶ窪駅だそうな。ちなみに調べてはいないが、愛の付く駅ならもっとありそうである。何しろ愛知に愛媛と県名自体に「愛」の付く県があるから。ちなみに静岡県にそのものズバリの愛野駅というのがある。で、愛の兜なら直江兼続・・・となんか段々やけくそになってきた。
近くのPAでそばと「物騒な」もちを頂く
どうも妙なパワーに晒されてバグりそうになってきたので早々に撤退して昼食を摂りに行くことにする。再び智頭南ICから鳥取自動車道に乗るとすぐに次の福原PAに降りる。ここは上り線だけが使えるハーフPAになっている。このPA自体は特に何もないのだが、ここから少し外に出たところに「みちくさの駅」という産直販売店兼蕎麦屋があることを知ってるので、そこに立ち寄ることにする。
店の前には赤文字で「エゴマみそ味 半殺しもち」といういささか物騒な看板が出ているがこれが名物の模様。さらに「本日そばプリンあり」との表示も出ている。そこで入店するとおろし蕎麦と半殺しもちのセットとそばプリンを注文する。
中は山小屋風の建物にジャズがかかっているという奇妙な空間。しばしマッタリしたところで蕎麦が出てくる。かなりしっかりとした腰の強い蕎麦で実に私好み。おろしの辛味が実に効いていて美味。ただ量がいささか寂しい。今更ながら大盛りを頼んどいたら良かったと後悔する。
半殺しもちなる物騒なものは、要するに五平餅のことのようである。一般的には半搗く餅などとも言う代物。エゴマのみそがなかなか美味いが、私の好みとしてはもう少し搗いている方が好き。
そばプリンはかなり柔らかめでプリンと言うよりはムースの雰囲気。甘味の少なめの実にアッサリとしたデザートである。サッパリしているが、デザートとしてはもう少し甘味も欲しいかな。
宿場町大原を見学する
昼食を終えるといよいよ宿場町に立ち寄ることにする。目指すは大原宿。因美街道の宿場町としてかつて栄えた地であり、今でも往時の街並みが一部残存しているという。
鳥取自動車道を大原ICで降りると大原宿の観光案内所の駐車場に車を置く。確かに街道沿いに往時の面影をとどめる住宅が散在している。脇本陣、本陣なども残っているが、脇本陣は長屋門が残っている。本陣はまだ子孫が居住している模様で残念ながら見学は出来ない。
謎の七福神門
宿場町を一回り北から南まで見て回る。途中で面白かったのは鬼瓦のところを七福神にした門がある家。ちなみにガレージのために後で開けたと思われるところには、なぜか西郷どん?とペリー?がいたようだが。
大原は重伝建には入っていないが、意外と風情のある住宅が多かった。重伝建指定の街並みでも、ここより疎らなところは結構あるのだが。まだまだ巷には重伝建指定されていないがかなり風情のある家並みはまだまだある。
武蔵の里は寂れきっていた
大原の宿場町を見学したら、ここから少し南下して宮本武蔵ゆかりの地を訪ねる。大河ドラマで宮本武蔵が放送された頃に、武蔵の生家や武蔵神社辺りの一角を整備したと聞いている。
しかし現地に到着すると人影が皆無。売店らしきところは閉鎖されているし、庭園を備えたメイン施設であるはずの資料館も閉館中。そう言えば以前に隣接してあった温泉入浴施設が老朽化で閉鎖されたと聞いていたが、とっくの昔に解体されて幼稚園か何かになっている模様。
どうも典型的な「大河に便乗して自治体が町おこしに乗り出した挙げ句に大失敗した例」を実践しているようである。恐らく大河が放送している頃はまだ良かったが、それから年月が経つにつれて、継続して集客できる能力が無かったのだろう。お役所仕事の弊害である。
本当はこの周辺の新免氏ゆかりの山城を訪問することも考えていたのだが、武蔵の里のあまりの寂れっぷりにテンションが落ちたのと、そもそも今週は極度の疲労が溜まっていて体力に余裕がないのと、もう既に時間に余裕がない上にさきほどからパラパラと雨粒が落ちてきていることなどから断念して次の目的地に向かうことにする。
最後は平福宿に立ち寄る
次の目的地は因幡街道で大原の手前の宿場町になる平福。実は平福は10年以上前に一度訪問しているのだが、その時は佐用地区が豪雨で甚大な被害が出た(洪水で避難中の住民が数人犠牲になった)という直後であり、平福地区も被害が出て修復中の住宅もあった状態だったので駆け足でザッと回っただけである。今回大原に立ち寄ったついでに久しぶりに見学してやろうという考え。さらに前回訪問時は利神城は石垣崩落が放置されている状態で立ち入り不可だったんだが、最近ようやく史跡認定されて修復工事が始まったという朗報を耳にしている。その状況がどうやっているかを遠目に確認してやろうという考えもある。
道の駅ひらふくに車を置く。ここはかつての陣屋跡に隣接しており、陣屋の長屋門が現存している。なお道の駅で鹿肉コロッケを販売していたので、日本人よシカやイノシシをもっと食えと提唱している私としては、これを頂くことにする。鹿肉が淡泊であるので、いわゆる普通のビーフコロッケよりもアッサリした味である。美味。
道の駅の展望台から利神城を眺めると、どうやら足場が組まれていることが分かる。石垣の修復作業が始まった模様である。早く安全が確保されて、天下晴れて城跡見学が出来るようになることを祈りたい(私の足腰が登山に耐えられる内にお願いしたい)。
宿場町を見学する
ここから歩いて平福の宿場町を見学する。ここの宿場町は川沿いに広がる町であり、町屋の裏手から佐用川を船で水運していたと考えられる。
街並みをフラッと南端まで見学。一番南端には宮本武蔵が初めての決闘を行ったとされる地があるが、ここは刑場跡らしい。別に墓地の類いには全く恐怖も不快感も感じない私だが、どうもここはあまり良くない空気を感じたので立ち入るのはやめる。
南端から折り返してくると、今度は街並みを北端まで散策。南側には商家だったらしき家が多かったが、北側は寺社が目立つ。昔ながらと思われる住宅はその中に点在している。
かつて訪問した時には結構古い住宅が残っている印象だったが、今回改めて訪問すると、住宅が残っている地域は結構限定されているようである。それでも全体としては重伝建レベルである。
今日は山城は皆無だったのでさして歩いていないはずなのだが、長時間ドライブのせいで異様に疲れた。実際にこの帰り道は途中で意識が飛びそうになるぐらいの疲労で、かなりヤバい運転になりかかっていた。昔に比べると全然体力も集中力も低下したことを痛感するのである。