徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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白鷺館アニメ棟

ムーティとウィーンフィルの圧巻の演奏に姫路のホールが騒然とした

姫路の新ホールにウィーンフィルを聴きにいく

 さて今日は姫路で開催されるウィーンフィルのコンサートに出向くことにした。フェスティバルホールの分でも良かったのだが、あえて姫路を選んだのは、チケット争奪戦に出遅れて私が見た時には既に安席は完売でS席のクソ席しか残っていなかったのと、姫路に今度新しく出来たホール(アクリエひめじ)を視察してみようという好奇心からである。

 金曜日の仕事を早めに終えると車で姫路に向かう。ここのところ大阪方面で散々渋滞で難儀したことから早めに行動したのだが、ところが案に反して思いの外スムーズに走行できたせいで、現地に到着したのは開演の2時間以上前という状況。どうしようかと思ったのだが、駐車場にもう車を入れてしまう。こんな早くに来る者なんていないだろうと思っていたのだが、既に駐車場には結構な車が入っていて、ホールの建物内にも人がパラパラといる。ウィーンフィル来姫に気合いの入りすぎている者がいるのだろうか? 確かに天下のウィーンフィルが姫路にやって来るとなったら、姫路市発足以来のビックニュースではある。今回のウィーンフィルの公演は東京、大阪、名古屋、姫路という日本の四大?都市を回ることになっている。

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駐車場側から入る

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長い廊下が続く

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左側の展示場の上には吹き抜けが

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2階も長い廊下

 

 

駅の近くまで夕食を取りに行く

 仕事場から直行したので今日はまだ夕食を摂っていない。どこか夕食を取れる店はと思ったのだが、だだっ広い建物内にはレストランはおろか喫茶さえ見当たらないし、周辺も駅前再開発地ということでか、店の類いはまるで見当たらない。仕方ないので姫路駅方面に向けてテクテクと歩くことにする。

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一応屋根付きの廊下で移動できる

 一応は駅からは屋根付き通路がつながっており、もし雨でも濡れずに移動は出来るようになっている。とは言うものの、歩ける距離とはいえ、あまり積極的に歩きたいという距離でもない。大分嫌気がさしてきた頃に映画館などが入っているビルが見えてきたので、結局はそこに入って「大戸屋」で夕食を摂ることに。姫路駅前は意外とこれという店がないのは今までで経験的に知っているので、吟味するのも面倒くさい。

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結局は大戸屋に入ることに

 大戸屋に入店すると注文したのは牡蠣フライ定食。やはりこれからのシーズンは牡蠣ドーピングに限る。牡蠣フライ6個入の大盛りである。

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牡蠣フライ定食

 まあ大戸屋の牡蠣フライならこんなものだろう。元々多くは求めていない。まあ可もなく不可もなくと言うところか。やはり本気で牡蠣を食うなら、姫路からさらに足を伸ばして日生ぐらいまで行く必要があるだろう。

 牡蠣フライを完食したところで、口直しにティラミスを注文する。こってりとややしつこめだが、この甘さが牡蠣の後では心地よい。

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デザートのティラミス

 

 

まずまずのホールのよう

 そろそろ6時前になってきたのでホールに戻ることにする。この頃になると駅からゾロゾロと歩いている者も増えてくる。年配の団体が「まだ歩くのか」と愚痴ってたりするが、その気持ちは良く分かる。駅からタクシーに乗るほどの距離ではないが、歩くとなると結構嫌な距離である。特に年配にはキツそう(私も既に若くないのだが)。

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夕食を終えた時には外は真っ暗だった

 ホールに到着した時には入場待ちの行列が出来ていた。例によって「全席指定だから並んで待つ必要はないのに、しっかり時間前から行列を作って並ぶ」という日本人の習性発揮である。それにしても姫路市民は気合い入りすぎではなかろうか。

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ザ・日本人

 入場するとホールを視察する。大ホールは2000席とのことなので、かなり大きい。フェスティバルホールが2700席、ザ・シンフォニーホールが1700席、兵庫芸文大ホールが2000席なので、ちょうど兵庫芸文と被る。客席は3階までなので、兵庫芸文の4階よりは少ない。

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ホール1階(建物としては2階)ロビー

 多目的ホールということで音響が気になっていたのだが、やはり反響は少なめだが、今時の「すっきりした音」という言い方も可能で決して悪くはない。かつて姫路のホールと言えば、とにかく反響が0でティンパニを叩いても最初の打撃音だけがガッと聞こえるだけという別名「音響のブラックホール」こと姫路市文化センターしかなかったことを考えると、かなりの進歩と言えよう。良くも悪くも「ライバルは兵庫芸文」だろう。

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1階席から見たステージ

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振り返ると3階建て

 私の席は当然のように3階の天井桟敷。3階席はかなり急だが、そのおかげで最後列までステージが見える構造になっている。シートはまあ普通というところ。

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3階席からの風景

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一番端からだとこんな感じ

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椅子はこういうタイプ

 最初は3階席に半分も入っていない状態だったので大丈夫かと心配になったのだが、開演直前になって急激に客が増えてほぼ満席に近くなった。恐らく大阪方面からの遠征組も少なくないのだろう。地元組は気合いを入れて早くからスタンバイし、遠征組は仕事を終えてから新幹線で飛んできたのだろうか。

 

 

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団来日公演

指揮:リッカルド・ムーティ

シューベルト:交響曲第4番 ハ短調 D. 417「悲劇的」
ストラヴィンスキー:ディヴェルティメント~バレエ音楽『妖精の接吻』による交響組曲~
メンデルスゾーン:交響曲第4番 イ長調 作品90「イタリア」

 一曲目はシューベルトが東南アジアの火山噴火の影響による天候不順で、ヨーロッパが食糧不足のパニックに陥っている時に書いたとされる交響曲。世相を映したという考え方も出来るが、それよりは心の深層の不安を描いた曲だとされる

 ・・・のだが、ムーティの演奏は決して「悲劇的」ではない。やはりムーティのカラーなのか非常に演奏自体が陽性なのである。それにウィーンフィルの音色もどちらかと言えば陽性なので、初っ端こそ重苦しく始まるが、その後は悲劇性よりもひたすら美しさの方が前面に出てくることになる。ゆったりと極めて美しい音楽が展開し、二楽章などは若者が将来を夢想するというような趣のひたすら美しい曲。最後までその調子であったので、これには少々面食らった。とは言うものの、この曲の美しさというものを初めて認識することとなった。

 二曲目はストラヴィンスキーのバレエ音楽とは言うものの、「春の祭典」などとは違ってかなり大人しい曲である。管楽器は先ほどよりも増えて華々しい音色はあるが、決して野生が炸裂とはならない。あくまでエレガントで上品である。それにそもそもどれだけ管が吠えても、それが「喧しい」とならないのがウィーンフィルサウンドである。先ほどまではあまりなかった華やかさが前面に出てくるが、それでありながらしっとりと美しいという内容である。

 

 

 20分の休憩の後が「イタリア」となる。さすがにイタリア人のムーティだけに、曲の空気を把握しているような印象で、冒頭からグッとつかまれる感じである。「悲劇的」を陽性に演奏したぐらいであるから、当然ながらこの曲はギラギラの陽性である。イタリアの日差しまで目に浮かぶような音楽、それをムーティは決して急ぐことなく徹底的に歌わせる。こういう風にメロディが前に出てくるとさらにイタリア風味が増すというものである。

 そのままゆったりたっぷりと終わるのかと思っていたら、最終楽章には突然にドンチャン騒ぎを持ってきた。急にテンポを上げてのまさしくイタリアの馬鹿騒ぎそのものである。そして怒濤のように終了。ノリノリの演奏に場内は盛り上がる。

 しかし圧巻はむしろこの後だった。万雷の拍手を受けてムーティがアンコールに演奏したのがヴェルディの「運命の力」。しかしこれがムーティとウィーンフィルのオペラ魂が高次元で共感して炸裂したような素晴らしい演奏。いきなり最初の弦楽のさざめく音色に心を捕らえられるが、その後のフルートソロの嘆きのメロディには鷲掴みにされる気分。「なんて音色を出すんだ」と気がついたら涙がこぼれていた。ヴェルディの大悲劇のオペラの要素を詰め込んだ序曲を、ムーティとウィーンフィルの両者はまさにドラマチックに演じきったという印象。

 ここで場内は完全に大興奮の坩堝となった。爆発的な拍手に足を踏みならしている者までいる。「大声は出すな」との注意をされているので大声を張り上げる馬鹿はいないが、感動の呻きのようなものは漏れてくる。さらに立ち上がる者まで多数出ての満場の拍手の渦、これがオケ団員が引き上げても終わらないという収拾のつかない状態に。ムーティが一般参賀で登場したが、何と引き上げてもまだ拍手は止まず、結局はムーティは2度目の一般参賀。「お願いだから帰らせて」というように会場に手を振りながら引き上げてようやく終了。このような事態は大阪でもほとんど経験がない(一般参賀2回というのは初めてだ)。

 実際のところ、私の印象も「終わってみたら「運命の力」に全部持って行かれた」という気がする。それまでの演奏が決して悪かったわけではないのだが、最後の「運命の力」が凄すぎた。最近はやはり老けたかなと感じていたムーティが、あの時だけは若者に戻ったようにさえ見えたのである。