徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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白鷺館アニメ棟

ハルカスでの「福富太郎の眼」展を見学してから、アクセルロッド指揮の京都市交響楽団定期演奏会

チェックアウト時刻までホテルで粘る

 翌朝は7時にセットしていた目覚ましで叩き起こされる。鹿児島遠征の疲れがまだ残っているところでの大阪遠征なので疲労は濃い。

 とりあえず今回は朝食付きプランと言うことで、ホテルでもらった食券を持って近所の「宮本むなし」まで朝食に出向く。ホテルから外出する必要があるので着替えないといけないのが面倒臭いところ。非常に質素な朝食だが、今日は食欲はそれなりにある。

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シンプルな朝食だが、食欲はそれなりにあり

 朝食を摂って帰ってくると朝風呂を浴びることにする。やはり体を温めておかないと十分に動けない。朝風呂をするとだらけてしまって仕事にならないという者もいるが(だから小原庄助さんは「朝寝朝酒朝湯が大好き」で身上をつぶすんだが)、私の場合は逆に朝風呂を浴びた方が後の動きが変わってくる。特に最近は年で筋肉が落ちたせいか、平熱が大分下がっていて36℃に届かない(通常35度台で、起床直後などは低すぎて体温計がエラーになったことがある)ぐらいなので、体温を上げてやらないと動けない変温動物になってしまっている。

 風呂を終えると原稿入力もしんどいので、テレビを見ながらボケーッとチェックアウト時刻の10時まで過ごす。年を取ってくるとこういうボケーッとした時間も回復のために必要なようである。

 ホテルをチェックアウトするとまず目指すはハルカス。先日の鹿児島帰還のおりに後回しにした展覧会が一点あるのでそれに立ち寄る。

 

 

「コレクター福富太郎の眼」あべのハルカス美術館で1/16まで

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 キャバレー王と言われた福富太郎が、自身の審美眼に基づいて収拾したコレクションを展示する。

 福富太郎の絵画コレクションはそもそもは鏑木清方の作品で始まったとのことであるが、最初に展示されているのは鏑木清方を初めとする浮世絵の流れを汲む日本画家の美人画である。

 個人コレクションと言うことで作品の選択に一貫した趣味が現れているが、まずは人物画ばかりであるということ。それと同じ鏑木清方でも私が好む凜とした清楚さの漂う作品よりも、若干崩れた色気のようなものが見える作品を好んでいるという辺りは、流石に「キャバレー王」と思わされるところがある。鏑木清方作品の中でも問題作とされた「妖魚」がコレクションに含まれていることなどが象徴的である。

 基本的には関東の画家の作品が多かったようだが、コレクションが広がるにつれて関西の画家の作品も集めるようになったようで、そうした中で北野恒富や島成園などの作品も登場することになる。そうするとやはりというか、彼がコレクションしているのは同じ北野恒富でもデロリとした怪しさの漂ういわゆる黒恒富。本展の表題作となっている心中前の男女を描いた「道行」なんかはその最たるものだろう。いかにもドロドロとした感情が渦巻いていそうな作品だが、そういうところに魅せられるのがこの人らしい。

 となると当然のように似たような情念が滲む島成園なんかにも手を出すのは理解できる。ちなみに上村松園は今ひとつ趣味に合わないと言っていたらしいが、これも非常に理解できるところである(まさに私の趣味の対極を行っている)。そしてこの趣味からだったら絶対にあるはずだと思っていた甲斐庄楠音も含まれていた。

 さらにコレクションは広がりを見せ、日本がでなくて洋画にも及び、岸田劉生の作品なども登場する。私が個人的に興味を持ったのは岡田三郎助の「ダイヤモンドの女」。和服にダイヤモンドとという怪しげなところが福富の興味を惹いたもののようである。

 村山槐多に佐伯祐三などといった変わったところから小磯良平などまで登場し、最後に象徴的に登場するのは満谷国四郎の「軍人の妻」。夫の遺品を抱いて悲しみに耐える妻の姿を描いたものだが、この作品はすぐにアメリカに渡っていたものを、福富が購入して里帰りさせたものだという。向こうではかなり雑に扱われていたのか画面が汚れていて、彼女がかすかに涙を流していることが分かったのは帰国してからだとか。このいかにも感情が伝わってくる絵画を選ぶ辺りも一貫性が感じられるところ。

 個人コレクションも様々あるが、ここまで「一貫性」を感じたコレクションも珍しい。どんな画家でも名作も駄作もあるので、福富は作家名にこだわらずあくまで自身の審美眼に基づいて作品を選んだと言うが、確かにそれが良く分かる。私の今までの経験でも、公的施設のコレクションなどは逆に、一応は有名どころの画家の作品ではあるが「?」な作品を見かけることが多い。この辺りは実に興味深い。

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ちなみにハルカスの次回展はこれ

 

 

大渋滞の中をようやく京都に到着

 これで大阪での予定は終了したので京都に移動する。今日は1年以上ぶりに京都市交響楽団の定期演奏会に出向くつもりである。

 名神高速を京都まで突っ走って京都南ICで降りるが、そこからが大渋滞。京都市内に入ってからは車がなかなか動けない状態で、ようやく予約しいた駐車場に到着した時には、通常の倍以上の時間を要していてグッタリである。

 さてコンサートまでに昼食を摂りたいが、頭にあった「東洋亭」は前を通った時に大行列があったのを目にしており断念、「進々堂」を覗くがここも大勢が待っている。どうも今日の京都は混雑が異常なようだ。気分は洋食だったんだが・・・。どうも表通りの店はダメっぽいので、少し気分を変えて裏通りに回って「かつ善」を訪問してみる。幸いにしてカウンター席が空いていた。

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裏通りのさらに奥という奇妙な場所にある「かつ善」

 ロースカツ膳(1400円)を注文。オーソドックスなトンカツであるが、適度に脂の入った肉をさっくりと軽めに揚げている。なかなかに美味。当初に考えていた洋食とは異なったが、肉を食べられたことで良しとしよう。

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ロースカツ膳

 昼食を終えた時にはもう既に開場時刻となっていた。京都コンサートホールに出向くと、今日のチケットを受け取ってから入場する。いささかマニアックと言えるプログラムが祟ったか、入場客は3~4割というところ、正直なところガラガラである。

 

 

京都市交響楽団 第662回定期演奏会

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[指揮]ジョン・アクセルロッド(京都市交響楽団首席客演指揮者)
[作曲/ギター]ホセ・マリア・ガジャルド
[箏]榎戸二幸
[ナレーション]ダニエル・オロスコ

ホセ・マリア・ガジャルド:セビリアの侍[世界初演]
R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」 作品40

 一曲目はギターのホセ・マリア・ガジャルドが自ら作曲したという「セビリアの侍」。世界初演とのこと。仙台からヨーロッパに派遣された支倉常長の使節団の物語を元にした曲らしい。いわゆる一般的な現代音楽と違って、もっと普通な映画音楽的な雰囲気のある曲であり、かなり馴染みやすい曲である。ナレーションが話を進めて、琴とギターを中心に音楽が奏でられるという独得のもの。ナレーションは基本は日本語なのであるが、どうも所々外国語も混じっていた(としか私には思えなかった)様子で、正直なところ内容が聞き取りにくかったのが難点。結局はナレーションが何を言ってるのか分からないので、パンフを見て情景を理解していたという状況になった。もっともそれでも曲の理解にはさして困らなかったが。

 アクセルロッドの演奏は実に明快で色彩的である。おかげでこの曲が余計に映画音楽のように聞こえる。結果として分かりやすさを増していたように感じられた。

 後半は「英雄の生涯」であるが、やはりアクセルロッドの演奏は非常に色彩煌めくものである。京都市響の演奏も実に華やか。ただし単に音楽がキラキラするだけでなく、音楽の構成が明確に浮かび上がってくる印象を受ける。正直なところ私はこの曲については今までは曲の意味が今ひとつつかみにくいところがあったのであるが、今回初めてこの曲の構成が明確に分かったような気がする。特に最期に至っては晩年の英雄が自身の生涯を静かに振り返りながら人生を終えるという光景が明瞭に目の前に浮かんできた。

 安定感のある京都市響の演奏に、明快なアクセルロッドの指揮が絡み合ってのなかなかの名演であった。来る前は正直なところ微妙なプログラムという気もあったのであるが、いざ終わってみると大正解だったというコンサートであった。こういうことがあるからライブは分からない。


 満足して京都を後にしたのだが・・・帰りも市内は大混雑で、途中から車がほとんど動かない状態。結局は名神に乗るまでに1時間以上を要するというとんでもない事態だった挙げ句に、名神に乗ってからも茨木の手前で大渋滞、帰ってきた時には予定をはるかに越える時刻となっていてグッタリしてしまったのである。やっぱり秋の京都なんて行くもんでないと改めて痛感。

 

 

本遠征の前の記事

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