徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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白鷺館アニメ棟

板谷波山展を見学してから京都市響の「復活」、アクセルロッドの名演に心を鷲掴みにされる

今日は京都市響でマーラーの「復活」

 翌朝は目覚ましで7時過ぎに起床。起床するとまずは朝風呂で体を温めに。かなり快適。

 体が温まったところでバイキング朝食。品数はさして多くないがまずまず。パン食もあるので和洋両用で頂くことにする。朝からガッツリと腹に入れる。

バイキング朝食を頂く

 後はチェックアウトの10時まで原稿の入力やアップ及び荷物の整理。10時前でホテルをチェックアウト。昨晩遅くまで起きていたのでやや寝不足気味だが、概ね快適に過ごせたというところか。やはり新今宮の壁の薄い安ホテルとは違って静かなのがいい。

 さて今日の予定だが、14時30分から京都コンサートホールでの京都市交響楽団の定期演奏会である。と言うわけでそれまでは完全に空き時間。その間に美術館を一カ所訪問するつもりである。向かったのは泉屋博古館。板谷波山の磁器を展示している。美術館までは車でザッと20分ほど。秋の京都は下手をしたら車が動けなくなることがあるのだが、幸いにしてところどころつかえるところは概ね良好に車が流れている。美術館の駐車場に車を置くと見学へ。

泉屋博古館

 

 

「生誕150年記念 板谷波山の陶芸」泉屋博古館で10/23まで

 板谷波山は自ら窯を建造して、釉薬の研究などを重ねて独自の磁器の世界を極めた人物であり、近代陶芸家として初めて文化勲章を受章した人物でもある。とにかく作品に妥協がなく、それが故に特に陶芸家としての初期には極貧に喘いだという。

 上京して東京美術学校で彫刻科に入って岡倉天心や高村光雲の指導を受けていたことがあるらしく、その技倆が後の作陶において模様を薄肉彫で刻んでから絵付けをするという技法につながっているという。

葆光釉を使用した壺は独得の淡い色彩が魅力

 彼の研究成果であり特徴でもあるのが、葆光釉と呼ばれるつや消しされた薄い不透明な釉薬で表面を覆う技術である。その技法によって通常の磁器と異なる落ち着いて深みのある彩色表現をとっていることになる。ただしこの技法は焼成時の条件管理などがとてつもなく困難であり、勢い作品の歩留まりが悪くなるとのことで、波山自身も昭和初期以降はほとんど使用しなくなったとか。

 本展では波山の初期の作品に代表的な葆光釉を用いた作品、さらにはそれ以降の晩年の作品などを通して見ることが出来る。なかなかに見応えのある内容である。

 

 

 板谷波山展の次は常設展示の青銅器を見て回る。ここの青銅器コレクションはかなり有名であるが、とにかく質量共にすごい。

商時代の酒を貯める器

西周前期の穀物などを盛る器

これは楽器らしい、どことなく銅鐸を連想する

やけに愛嬌があるが虎だそうな。商後期の作品。

そして重文の三角縁神獣鏡

 

 

昼食には蕎麦を

 美術館の見学を終えるとホールの方に向かう。まだ昼頃なのでまずは昼食を摂ってからにしたい。アキッパで確保した駐車場に車を置くとプラプラ。まずは東洋亭に立ち寄ってみるが例によっての異常な混雑。とても開演までに入店できそうにないので諦める。どうやらこの店はランチは食べられないものと考えてかかった方が良さそうだ。

 結局は入店したのは「よしむら北山楼」。正直なところ、昨晩が茶そばだったのであまりそばの気分でもなかったのだが、進々堂は一杯だし、とんかつやラーメンの気分でもなかったので仕方なしの選択。この界隈はあまり飲食店が多くないので選択の余地が少ない。

よしむら北山楼

 しばし待たされた後に席に通される。注文したのはざるそばに丼がついた北山膳。これにデザートとしてそばプリンとアイスティーのセットを追加する。

 蕎麦は私の好みのタイプよりはややパサッとしている。意外に美味かったのが蕎麦の実を加えた大根のサラダ。

北山膳

 デザートのそばプリンが美味い。香ばしい蕎麦の実がプリンと非常にマッチする。

そばプリンとアイスティー

 昼食を終えるとホールへ。ホールはかなり入っており、9割ぐらいの入りというところか。

 

 

京都市交響楽団 第671回定期演奏会

結構大勢の観客が入場。当日券購入の行列も。

[指揮]ジョン・アクセルロッド(京都市交響楽団首席客演指揮者)
[ソプラノ]テオドラ・ゲオルギュー
[メゾ・ソプラノ]山下牧子
[合唱]京響コーラス

マーラー:交響曲 第2番 ハ短調「復活」

 冒頭からやや抑え気味のテンポで始まるが、この曲は初っ端からぶちかますような演奏が多い中で、アクセルロッドは明らかに意図的に抑制をかけているのが分かる。16型の4管編成(をさらに金管増量)というオケのパワーを暴走させることなく、むしろ美しくメロディを聴かせ、アンサンブルの正確さを表に出すようなかなり冷静な演奏。この曲に対してのこういうアプローチは初めて聞いたような気がする。

 第二楽章以降も抑え目のテンポでゆったりと美しく奏でるという印象。とにかく決して荒々しく雑にはならない音楽で、非常に緻密である。

 やがてそこにメゾ・ソプラノのソロが乗る。美しも力強く非常に迫ってくるもののある歌唱。そして半ば夢見心地のうちにこの短い楽章は終わって、長大なフィナーレに突入する。

 フィナーレになるにつれて切々とした感情が沸き上がってくる。オケの演奏は美しく切ない。そして段々と盛上がってきたところで合唱が静かに始まる。座ったまま、静かに唸るような合唱は声楽部と言うよりも楽器の1つとして聞こえてくる。通奏低音的に静かに響くオケやオルガンと一体化して静寂で荘厳な音楽空間を作り上げる。

 それが突然にクライマックス。合唱団がいきなり立ち上がったかと思うとそこから飛び出すのは天上の讃歌である。ここで心の底から熱い感情が沸き上がってきて胸をグッとつかまれるのが分かる。荘厳であり、歓喜にも満ちた何とも複雑な感情に支配される。そしてそのまま開放されるかのようなラストに突入する。

 最後まで唖然とするような演奏であった。テンポは明らかに抑え気味なのだが、そこに単なる緊張感とはまた違った張りつめたものがあり、全く弛緩することがない。しかも終わってみたら、一番のクライマックスに向けて徐々に盛り上げていって、最後に一番の山を作るという綿密な設計をしていたことが分かる。この設計力には圧倒されるのみ。

 ソリストが曲の途中でステージ脇からゆっくりと登場したり、コーラスがクライマックスで突然に一斉に立ち上がるなど、いろいろと細かい舞台上の仕掛けがあったのだが、そのような虚仮威しでなく、音楽そのものが一貫して高度に計算されており、盛上がるべくして盛り上がったというところである。

 私は完全に心を鷲掴みにされたのだが、同様の体験をした観客は少なくないようで、終演後は場内は満場の拍手に満たされた。アクセルロッドが歓呼の中を何度かステージ脇との往復して、楽団員も引き上げた後も拍手は鳴り止まず、結局はアクセルロッドがソリストやコンマスを引き連れての一般参賀。定期演奏会としては異例のこと(と言うか、このホールでこれがあることもかなり珍しい)となったのである。


 これでこの終末の遠征は完全終了。帰宅することとなった。関西4楽団の定期演奏会のハシゴとなった今回だが、いずれのコンサートも予想以上に内容が良く、実に満たされた気分となったのであった。もっとも体はクタクタである(笑)。

 

 

この遠征の前日の記事

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