徒然草枕

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アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

益富城、松尾城を攻略して、ドロドロになってたどり着いた筑後川温泉は天下の名湯だった

今日は山城攻略に繰り出す

 翌朝は7時前まで爆睡状態。それにしてもかなり寝た。疲れが取れたというか、むしろ体がだらけたような気も。目覚めたところでとりあえず、昨日何の作業もせずに寝ちまったので原稿の執筆から。

 ある程度作業をしたところで朝食に行く。朝食はバイキング。内容的には品数はそう多いというわけでもないが、まあまあというところか。とりあえず和洋両用でガッツリと腹に入れておく。

バイキング朝食

 さて今日の予定だが、今日は筑後川温泉で宿泊するつもりでホテルを予約している。それまではこの周辺の未訪問山城を攻略の予定。ただ天気予報によると今日は午後ぐらいから雨とのこと。これだとかなり行動が制約されることになりそう。状況によっては目的地をリストラする必要もありそう。とりあえず今日は特に急ぐスケジュールでもないのでチェックアウトの11時手前まで入浴したり、原稿の続きを打ったりなどして過ごす。ようやく昨日の分の原稿を仕上げてそれをアップし終わったころには10時過ぎ。慌てて荷物をまとめるチェックアウトする。

 空はかなりの雨模様だが、まだ雨が降り出してはいない。出来れば雨が降る前に行動したい。まずは最初の目的地である益富城方面に向かうが、その前に一カ所道すがら立ち寄りポイントを急遽増やしている。

 

 

王塚古墳の見学

 博多から山間を抜けてほぼ真東に走る。1時間程度走ると桂川に到着。ここにある王塚古墳が最初の立ち寄り先。近くの王塚装飾古墳館に車を置くとまずは展示を見学。

王塚装飾古墳館

 王塚古墳とは六世紀前半に作られた前方後円墳だという。そこの石室から豪華な装飾壁画が発見されたことから、国の特別史跡に指定されたという。

正面に見えるのが王塚古墳

出土品の数々

馬具が副葬されていた

このような形で使用されたと推測される

 

 

 九州の北部地域には大和政権からは独立したかなり有力な豪族がいたことからそれらの墓であろうか。副葬品として馬具などが発見されており、壁画にも馬の姿が描かれていることから騎馬を使用した部族のようである。

石室の復元

内部は装飾画がビッシリと描かれている

独特の文様

 古墳館から見える真正面に王塚古墳はある。前方後円墳にしては方墳の部分が小さい印象があるが、土取りで崩されてしまったらしい。まあそんなこんなで消滅してしまう古墳は少なくないんだが、この古墳の場合は装飾された石室が見つかったことで急遽保存が決定され、ある程度復元も行われた模様。現在は石室は空調で管理して保存されている模様で、たまに一般公開もされているようだが、この秋の一般公開はコロナの影響で中止という張り紙が古墳館に貼り出されていた。

王塚古墳には保存施設が建設されている

方墳の方には削られた跡が

 

 

益富城を見学する

 王塚古墳の見学を終えると益富城に向かう。益富城は桂川の南東、国道211号線の東にそびえる山上にある。途中で一夜城←という看板が出ていて、そこを運動公園などがある山道を走っていくと登城用の駐車場に行き当たる。結構高い山上にある城郭だが、ここでかなり高度を稼げるので、後は尾根沿いに水平移動がほとんどになるので楽である。

ここを左折して山に向かう

 益富城は秋月氏を攻める時に秀吉がここに一夜で間に合わせの城を建築したという伝説があり、それが看板に出ていた一夜城伝説のようである。これに恐れおののいた秋月氏は逃亡したらしい。後に後藤又兵衛が城主となったが、出奔したことから、母里太兵衛が城主となり、その病死後に一国一城令で廃城となったという。

益富城縄張り図

 駐車場周辺を見渡しただけでとにかくかなりの規模の城郭であることが分かり、久々に私の山城魂に火が付く。「城着!!」山城エネルギーに晒された私は、この掛け声で伝説の戦士センダーやイソダーのように0.02秒で城オタ戦士シロダーに変身するのである。変身することによって体力及び持久力は倍増し、冷静な判断力は半減する。「バカさって何だ、懲りないことさ。城愛って何だ、躊躇わないことさ。」装備はシロダースティック(登山用杖)、シロダーアイ(キヤノンKissデジタル)、シロダースプレー(虫よけスプレー)、シロダーポーション(ミネラル麦茶、別名「ライフライン」)、シロダーシールド(折りたたみ雨傘)である。なお九州地区は熊は絶滅とのことなのでシロダーバズーカ(熊撃退用唐辛子スプレー)は装備していない。

駐車場脇には広大な谷筋

 

 

 出丸、別曲輪方向の道もあるがまこれは後に回して、まずは本丸方向に向かって遊歩道を歩いていくと、いきなり別曲輪なる独立曲輪に出くわす。どうやら谷筋を守っているようだ。この曲輪だけでも結構大きい。

いきなり出くわす別曲輪

谷の向こうのずっと奥が城の本体

 そこから整備用の軽トラが入ると思われる道を進んだ先にあるのが、本丸を守るための空堀。なお畝城竪堀もあるようだが、残念ながらそれはあまり明瞭ではない。

軽トラも入ると思われる登城路を進む

いきなり空堀

 その反対側にある大きな曲輪が水の手曲輪で、かつてはここの奥にため池があったらしい。奥に石垣跡というか、巨石がゴロゴロしているところがあるが、確かにこの周辺は今は水がないが、それでも水の気配を感じる。

水の手曲輪

奥には「石垣跡」とある

畝城竪堀は残念ながら不明瞭

一方空堀は明瞭である

 

 

二の丸に到着

 ここから軽トラ用と思われる道路を直登すると、山上の二の丸に行き当たる。ここに城跡碑と後藤又兵衛の顔出し看板が立っている。

軽トラ道路を登っていく

二の丸に到着する

 左手奥には明確な枡形虎口があり、ここが搦め手口とのこと。この先の下にも数段の曲輪がある。では先ほどの直登ルートは裏口であろうか?

枡形虎口

その下に曲輪が見える

 二の丸は山容に従って北西の奥に深く、奥には東屋が建っている。ここからは辺りを一望することができる。

横矢

奥に深い

東屋の奥にはさらに本丸が見える

辺りを一望できる

 

 

本丸もかなり広い

 その奥は本丸で、ここには本丸御殿ならぬ謎の建物が建っているが目的は不明。かなり大きな曲輪である。右手には櫓跡が存在している。

本丸御殿?ではなさそう

ここも奥に深い

この石積みの上は櫓跡

 奥には巨大な枡形虎口があり、どうやらそこが大手口の模様。ここになぜか展望台が建っているが、ここから見ると枡形虎口の構造が良く分かる。

巨大な枡形虎口の奥になぜか展望台

展望台の上から枡形虎口の構造が良く分かる

 

 

本丸虎口を抜けて馬屋跡へ

 通常なら本丸まできたところで引き返すところだが、既にバーサークモードに突入している私は、大手口からさらに先を見学することにする。

さらに下っていく

北方向に向かって降りる道がある

途中に畝城竪堀の跡がある

 この大手口から降りて行って、途中から北に向かって下っていくと馬屋跡と記された曲輪群に行き当たる。実はここが元々の秋月氏の城ではという話もあるようだが、確かに地方領主のいざという時のお籠り城なら十二分なだけのスペースはここだけでもある。

下の曲輪に降りてきた

複数段の曲輪を降りていく

一番下が馬屋跡とある

 

 

出丸方面へ

 再び車のところまで戻ってくると今度は出丸と別曲輪の見学。手前の出丸は独立曲輪になっていて、谷筋を挟んで本丸と向かい合う形。単独での守備力も高そう。

駐車場に戻ってくると出丸・別曲輪方面へ

進んだ先が出丸との分岐

出丸へ

ここも広い

谷筋を見張っている

 

 

別曲輪はかなり広大

 そこからさらに先に進むと別曲輪だが、この別曲輪は複数あってどれも規模が大きい。このような別曲輪まで考えると、この城の収容可能人員の多さに驚く。通常の山城だとこの別曲輪の規模もないところが多い。この部分だけで数千人は収容可能。とんでもない規模の山城である。

別曲輪方面へ

この手の曲輪が複数存在する

奥にいくらでも

ただし先に進むほど足元が怪しくなる

ついにこの状態になりここで断念

 とにかくこのレベルの山城がまだ残っていることに驚いた。久々に私の準100名城Aクラス相当の城郭である。

 

 

松尾城に向かうが・・・

 ちょうど益富城の見学を終えたころから雨がぱらつき始める。次はここから南下して松尾城跡に向かう。松尾城は戦国時代に秋月氏の家臣であった宝珠山山城守の居城だったとのこと。1600年に関ケ原の功績で黒田長政がこの地を支配したが、一国一城令で廃城となったという。

松尾城縄張り図

 現地にはかなり立派な駐車場が整備されており、看板まで設置されているのだが、いざ進み始めると傾斜が思っているよりもキツイのに、足元は下草が茂っている上に湿った土で滑りやすいというかなり難儀な状態。どうにかこうにかルートを推測して登ったが、途中で何カ所も倒木で塞がれているし、どうも整備がされずに長らく放置されている印象を受ける。

駐車場及び案内看板は整備されているが

登城路がかなり荒れている

 恐らく山城ブームに乗っかって地元の新たな観光地と一旦本気で整備したものの、観光客誘致効果があまりなくて地元が飽きてしまったのではという気がする。全国各地の山城跡で結構見かける構図である。

完全に道なき道になってしまう

 

 

藪に埋もれて何が何やら、さらに降りるのが大苦労

 何度も滑りながらようやく城跡にたどり着く。大手虎口の石垣は修復されて立派なのだが、残念ながら城跡全体が茂りまくった草に埋もれてしまっている。城内の建物礎石跡なんかも藪の中だし、周辺にあるという畝城竪堀なども全く確認のしようがない。

虎口周辺は復元されているが

建物礎石跡は藪に埋もれている

城内はこのありさまで何が何やら

 というわけで残念な城郭見学になってしまったのだが、本当の困難はこれからだった。往路ではどうにかこうにかルートを判断できたが、復路になるととにかく足元が下草だらけでルートが明確でないせいで、複数のルートが見えてどれが正規ルートか分からない。しかも足元は小雨でさらに滑りやすくなっており、何度も転倒してそれでなくても下草でビショビショになっていたズボンが泥でドロドロ。途中で完全にルートを見失って結局は正規ルートから全く外れた場所に降りてきてしまったのである。

こんな離れたところ(遠くに見える看板が正規の登り口)に降りてしまった

 途中から傘なんてさせる状態でないから、上半身はずぶ濡れ、下半身はドロドロである。とりあえずこのままだとレンタカーの運転にも問題ある(そもそもシートに座れない)のでズボンは履き替えるが(山城探索でズボンが駄目になるのはよくあるトラブルなので、大抵は替えを用意している)、これで完全に戦意喪失である。既に3時近くになっているし、雨はひどくなってきているのでこれ以上の予定の実行は困難と判断して、このまま今日の宿泊ホテルへと移動することにする。

 

 

ドロドロになりながら筑後川温泉に到着

 山道を突っ走ことしばし、4時前ぐらいにホテル花景色に到着する。ここは筑後川温泉ということで、本館にも大浴場があるが、表には日帰り入浴施設の虹の湯があり、宿泊客はこちらも利用できるというシステム。

ホテル花景色

 とりあえずチェックインを済ませて部屋に入る。部屋は典型的な旅館の部屋にベッドを2台入れたという構造。ベッド化することで布団敷きがいらないというコスト削減のメリットがある。何となく昔ながらの旅館をコスト削減して持たせているという印象がある施設。空調も元々は集中管理だったものを後で個別空調を追加した様子がある。なお温泉旅館ながらWi-Fi装備なので、これは恐らくインバウンド対応。

標準タイプの旅館部屋に大きなベッド

窓からは筑後川

筑後川の風景

 コインランドリーがあればドロドロになったズボンなどを洗濯したかったのだが、コインランドリーはないようなので仕方ないからドロドロになった傘をとりあえず洗い流しておく。

 一息ついたところで近くにスーパーがあったことに気付いていたので、そこまで買い出しに行く。気が付けば今日は何だかんだで昼食を摂っていない(私の山城遠征はとにかく昼抜きになることが多い)。さすがに夕食までにせめてパンぐらいは腹に入れておきたい。

 スーパーでパンと夜のスイーツを購入。スプーンをもらおうと思ったら「プラスブーンは廃止しました」とのこと。ご近所さんならそれで良いだろうが、私のような旅行者はそれだと困る。これもセクシー大臣の最後っ屁である。結局あの大臣は何一つとしてまともな政策をせず、無駄に市民生活を混乱させただけだった。仕方ないのでとにかく何か代わりになるものとして、アイスクリーム用の木の匙をもらって帰る。

 

 

筑後川温泉は想像以上の名湯だった

 ホテルに戻ってくると入浴することにする。まずは虹の湯の方を訪問。貸切風呂の無料券をもらっているのだが、貸切風呂は日帰り客で一杯とのことで、どうやら8時ぐらいにならないと空きが出なさそう。そこでとりあえず8時に予約を入れておいて(宿泊客特権)、大浴場で入浴することにする。

別館の日帰り施設「虹の湯」

 大浴場はどことなく昔の共同浴場の趣がある。ただ風呂場に入った途端にヌルヌルした湯で足を滑らせて、風呂マットの上で大転倒、幸いにしてけがはしなかったが、危ういところであった。これは足腰の弱った老人は要注意である。

複数の貸切浴場があるが、まずは大浴場へ

 浴槽は岩風呂で、中央で仕切って上流を標準湯、下流をぬる湯としている。まずは下流側で体を慣らしてから上流に入浴するが、そもそもそう極端に温度が高くはない。泉質はこれがアルカリ性の硫黄泉というかなり珍しいもの(硫黄泉は硫酸塩などになるので酸性泉が多い)。かなり強烈なヌルヌル感(だから入口で転倒したのだが)があるところに、硫黄臭が漂うというかなり強烈かつ上質の湯であり、その点では他の追随を許さないというところがある。

 かなり強烈な湯を堪能した。その後はホテルに戻るとホテルの大浴場でも入浴。基本的に湯は同じはずだが、虹の湯の方が濃厚に感じたのは湯の使い方に違いがあるのだろうか? なおなぜかこちらには滑り台がついているのだが、これは子供がプールと勘違いする原因になるので、ゆっくりと湯を楽しみたい向きには邪魔。

 とりあえずゆったりと湯を堪能した。筑後川温泉は初めて来るが、まさかここまで強烈な湯に出会えるとは予想外だった。泉質では日本でもトップ10には余裕で入るのではないか。嬉野温泉も実に良好な泉質だが、そこにさらに硫黄泉を加えた最強の美肌の湯がここになる。これでまた私もさらに男前があがるというものである(笑)。

 部屋に戻ってくるととりあえず仕事環境構築。Wi-Fi装備があるので問題なく仕事環境は作れるが、問題は私の体調の方。既に今日の山城のダメージ(益富城で長距離歩いたダメージは地味に、松尾城で滑って転びまくったダメージは露骨に)が体に響いていて、胡坐の姿勢で長時間テーブルに向かっていると集中力が続かない。何だかんだで四苦八苦しながら原稿作成に取り組んでいる内に夕食の時間がやってきたのでレストランの方に出向く。

仕事環境は構築できたものの、作業ははかどらず

 

 

夕食に出向く

 夕食はお約束の通りに会席料理。刺身が付いているが、イカにブリにヒラメの縁側と筑後川沿いだが川魚はない(笑)。

お約束の会席料理

 小鉢類は様々な盛り合わせで見た目が美しいし味も良い。

小鉢類は凝っていて美味い

なぜか海魚ばかりの刺身

 鍋は豚の鍋が付いている。

鍋付き

 そして季節に合わせて栗ご飯。一応かまど炊きということになる。モッチリとしてこれも美味。

かまど炊きの栗ご飯は美味い

 後は茶碗蒸しや揚げ物なども登場。

茶碗蒸しに

揚げ物が到着

 さらに煮物も。いずれも美味。

すり身の煮物

 これに簡単なデザートがついて終了。全体的にまずまずの夕食であった。

最後は簡単なデザート

 夕食を終えて部屋に戻ると、原稿入力もしんどくて文章が頭に浮かばない状態なので、試しにタブレットをうちのHDプレイヤーに接続してみるとつながったので、ボーッとそれを視聴。仮面ライダーが終わったぐらいで8時前になったので虹の湯の方に貸切浴場に入浴に行く。

 確保されていたのは家族湯のばしょう。どの辺りがばしょうなのかはよく分からないが、小さめの浴槽に良質の湯がダバダバと注がれて常にオーバーフロー状態。ここでゆったりと自分のペースで長めに入浴する。まさに極楽である。体がクタクタにとろける感じで、このままシチューの具になりそうである。

 

 

貸切湯をたっぷりと堪能する

 貸切湯を十二分に堪能して帰ってくると原稿執筆・・・と思ったが、全く頭がまとまらないので5分で断念してベッドの上にゴロンと横になりながら、タブレットでしばしネットブラウズ。結局はそのまま疲れが出てきたので早めに就寝することにする。

 

 

この遠征の翌日の記事

www.ksagi.work

この遠征の前日の記事

www.ksagi.work