徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

ロートレックとミュシャ展を鑑賞してから大阪フィルの定期演奏会へ

週末のコンサート連チャンに出かける

 この週末は大フィルとパリ管のコンサートのために大阪に繰り出すことにした。ついでに美術館にも立ち寄ろうという計画。

 朝の内に車を出すと阪神高速を突っ走る。毎度のように神戸に入ったところで渋滞に引っかかるが、とりあえず何とか切り抜けたところで京橋で下りる。大阪に行く前に神戸で一カ所立ち寄りである。

 

 

「よみがえる川崎美術館 川崎正蔵が守り伝えた美への招待」神戸市立博物館で12/4まで

 川崎造船所を建造した川崎正蔵氏は、西洋化や廃仏毀釈の嵐の中で棄損されていく日本の伝統の美術品に危機を感じ、自らそれらを収集して自身の屋敷に展示して公開するということを行っており、それは神戸における初めての私立美術館と言えるものとなった。その後、昭和の金融恐慌で残念ながらコレクションは売却を余儀なくされ、また美術館となっていた屋敷も戦災で焼失して、今日では川崎美術館の存在を伝えるものは当時の少ない写真などの資料のみとなったという。そのかつての川崎美術館のコレクションを集め、川崎氏の目指したところを偲ぶという展覧会。

 川崎氏は特に日本の寺社が破壊にあって文化財が失われることを恐れていたとのことなので、コレクションの中心には日本画や仏教美術品が多い。最初のコーナーはそれらの展示であるが、必ずしも有名品にこだわるのではなく、作品自体を吟味して蒐集しているようである。

 また川崎氏はコレクターとしてだけでなく、芸術家のパトロンとしても活躍していたといい、七宝の復元も支援を行い皇室に献上するなどしてその地位を高めることにも貢献したようである。展示の後半は皇室所蔵品なども登場するのであるが、皇室に献上されたという屏風などに関しては、確かに作品のレベルの非常に高いものが揃っている。

代表的収蔵品は看板になっている「牧場図屏風」

 展示の一番最後は、川崎氏が愛蔵して最後まで身近に置いていたという寒山拾得。なんかどことなく楽し気に見える作品であり、これが川崎氏の心情を反映しているのだろうかという気がする。

 

 

昼食はホール地下でラーメン

 博物館の見学の後は大阪まで車を走らせる。ホールの近くにアキッパで確保した駐車場に車を入れるとコンサートの前に最寄りの美術館に立ち寄る予定だが、その前に昼食を摂ることにする。フェスティバルホール地下の「而今」に立ち寄り、特製アサリ塩ラーメンにランチタイム限定のチャーマヨ丼を付ける。

いつもの「而今」

 塩ラーメンはあさりのコッテリした味がして私好み。チャーマヨ丼はやや辛めのチャーシューの切れ端にマヨネーズを和えることで少しまろやかにしたチャーシュー丼。マヨネーズが決して好きでもない私が抵抗なく食べられるんだからまずまずである。

特製あさり塩ラーメン

やや細めの麺

そしてチャーマヨ丼

 昼食を終えると目的としていた美術館へ。

中之島美術館の巨大な四角い建物は目立つ

 

 

「ロートレックとミュシャ パリ時代の10年」中之島美術館で'23.1/9まで

 ロートレックとミュシャ、共にパリでポスター美術で脚光を浴びた時代の寵児である。この二人が競演していた1890年~1900年のパリの奇跡の時代に焦点を当てて、彼らのポスター及び同時代のポスターを展示するという展覧会。

 ロートレックに関しては最初の作品である「ムーラン・ルージュ」。さらに彼の存在を印象づけた代表作であるブリュアンを描いた作品なども展示されている。サクッとしたシンプルな線で、人物の内面までをも見通すような描写をする、どこか斜に構えたスタンスがロートレックの最大の特徴である。

ロートレックのデビュー作「ムーランルージュ」

ブリュアンを描いた作品はよく特徴を捉えている

 一方のミュシャの登場は衝撃的であった。サラ・ベルナールを描いた「ジスモンダ」のポスターで一躍パリの人々の脚光を浴び、一夜にしてスターダムにのし上がったと言われいる。彼の美しいポスターは当時のバリでポスター泥棒が続出したと言われている。そのサラ・ベルナールを描いた一連のシリーズが展示されている。ミュシャの特長は、とにかく女性を理想化して美しく描くというもの。ロートレックのアプローチとは対照的である。

ミュシャの衝撃のデビュー作「ジスモンダ」

同じくサラ・ベルナールを描いた「椿姫」

 

 

 両者が牽引する形で、パリではポスター文化花盛りの時代を迎える。華やかな夢の時代でもある。ミュシャについてはミュシャ様式と呼ばれる形式が、アールヌーヴォーの中核として注目され、ミュシャは急造する注文に対応できず、広告図案を使い回ししたりまでしたというが、ついには「誰でもミュシャ様式のデザインを製作出来るようにした」図案集まで発行するに及び、これは当時のベストセラーになったという。

ロートレックによる「サロン・デ・サン」の告知ポスター

同じくミュシャによる告知ポスター

ミュシャの鉄道の宣伝ポスター

これはビール

アールヌーヴォー様式の家具

ミュシャによる図案集

 しかしそのような華やかな時代もやがて去る。ロートレックは過度のアルコールからの病気で36才で若くしてこの世を去り、ミュシャもパリを去って故郷のチェコへと移ることになる。本展ではその晩期に至るまでの作品を展示。特にロートレックに関してはこの10年間に登場した全作品を展示と謳っている。

ロートレック最晩年の作品

ミュシャによる四季を描いたカレンダー

 

 

 一方のミュシャであるが、とにかく作品数が膨大である上に、何だかんだと今までミュシャ展はいろいろと訪問しているので、正直なところ私にとっては初見の作品はほとんどなかったという印象である。しかしポスターを中心とした当時の華やかなパリの空気を味わうという点に関しては、なかなか心地よい展覧会であった。

ボナールによるシャンパンのポスター

アンリ・ブリヴァ=リヴモンのアブサン酒

バルのリキュール

 気が付けばもう2時になっている。今日の大フィルのコンサートは3時開演。そろそろホールに向かう必要があるのでフェスティバルホールへ。

フェスティバルホールへ向かう

 

 

大阪フィルハーモニー交響楽団 第562回定期演奏会

指揮/ミシェル・タバシュニク
合唱/大阪フィルハーモニー合唱団(合唱指導/福島章恭)

曲目/ウェーベルン:管弦楽のための6つの小品 作品6
   ストラヴィンスキー:詩篇交響曲
   チャイコフスキー:交響曲 第4番 ヘ短調 作品36

 正直なところ、前半の2曲は私にはよく分からない。ウェーベルンは結構音色がキラキラと派手な曲だと思っていたら、あっという間にサクッと終わってしまった。

 二曲目のストラヴィンスキーは、弦楽セクションがチェロとコントラバスだけで、ヴァイオリンとビオラを除いたスペースにピアノが2台並べられたのには驚いたが、曲自体は主体はコーラスの方のように感じられ、今一つ分かりにくい曲。

 上記の2曲に関しては、そもそも私が曲自体が全く理解できないのだから、演奏について云々できるものではない。演奏について理解できるのは後半のおなじみのチャイコフスキーの4番が登場して初めて。

 さてタバシュニクの演奏であるが、これは極めてアクが強い個性的なものと言って良いだろう。チャイコの4番の冒頭と言えば、派手派手な金管の斉奏に載せて、そのまま勢いでグイグイ行くのが普通なのだが、そこにおいて奇妙なほどに抑制をかけてくる。またテンポの変動も多くて、走るのかと思ったらそこでいきなりストンと落としてくるので、思わずつんのめりそうになることが何度も。

 通常と異なるアンサンブルが正面に浮上したり、ハッとするほど美しい場面があったりなど興味深い点もあったのであるが、今一つ乗り切れないというか肩透かしを食らうというかで正直なところ苦手だなと感じる部分が多々あったというのが正直な感想である。

 

 

いつものホテル中央オアシスで宿泊

 コンサートを終えると車を回収して、今日の宿泊ホテルに向かうことにする。今日宿泊するのは私の大阪での定宿であるホテル中央オアシス。新今宮界隈では比較的高級クラスに属するホテルである。部屋はシンプルな構成であるが、ここは風呂とトイレがセパレートになっているのが一番の特徴。洗い場のある風呂なのでくつろぐことが可能である。

ホテル中央オアシス

 駐車場に車を置くと部屋入り。政府による入国規制全面緩和の影響か、ロビーではアジア人団体客の姿も見かけた。またホテルが少し騒がしくなってきそうである。これがコロナの再爆発につながらなければ良いが。
 

シンプルな構成の部屋に

洗い場付きの浴槽

 部屋に入りすると直ちに作業環境の構築。デスクの脇に電源もあるし環境構築には困らないのだが、このホテルの弱点はネット環境。回線が遅いことは否定できず、ブラウザで複数ウィンドウを立ち上げると画面が凍ってしまってネット接続が断たれることも。

作業環境の構築は容易だが、ネットがやや遅い

 

 

夕食は串カツ

 少し作業をしたところで夕食のためにジャンジャン横丁に繰り出すことにする。人出は完全に以前のレベルに戻ってきている模様。「てんぐ」や「八重勝」の前は大行列だし、大興寿司の前にも人だかりが出来ている。以前に比べて外国人団体客の姿が明らかに増えているのが一番の特徴である。

今日も人出がかなり多い

 夕食は何にするか迷ったが、結局は何の工夫もなく「だるま」に入店することにする。しばし待たされた後に入店、串カツを適当に十数本つまんで支払いは2000円ちょっとという毎度のパターンである。

結局はいつもの「だるま」

まずは軽く10本ほど

さらに餅を含む3本を追加

 後は帰りに明日の朝食を調達していくと、部屋に戻ってから入浴してゆったりとくつろぐ。まあこのために選んだようなホテルである。しかし入浴をすると疲れが一気に出てきて頭がボンヤリとするので、結局この日はろくに何を出来るまでもないままに早めに就寝する。

 

 

この遠征の翌日の記事

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