徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

京都の美術館を回ってから、ネルソンス指揮のボストン交響楽団のコンサートへ

そうだ、京都に行こう

 翌朝は7時に起床。体がズッシリと重い。かなり疲労が溜まっているようである。とりあえず今日の予定であるが、フェスティバルホールでのボストン交響楽団が夜の7時から。それまではフリータイムであるが、平日を利用して京都の美術館を訪問したい。

 とりあえず入浴で身体を温めると、昨日買い込んでいたおにぎりを朝食として腹に入れ、軽く昨日の原稿をまとめてから慌てて荷造りすると早めに出発することにする。いつもならチェックアウト時刻ギリギリまで粘るところだが、今日は京都の美術館を多数回るつもりなのと、夕食のために大阪に戻ってくる必要があることからスケジュールが厳しい。最初の目的地である京都国立博物館の開館が9時半なのでそれに合わせて入館するつもりで行きたい。

 ちなみに夕食のために大阪に舞い戻る必要があるのは、今回は旅行支援を使用したプランを選択したので、平日特典の大阪PAYを3000円分獲得しているので、それを使用するため。この大阪PAY調べてみると、思いの外加盟店が少なく最初から使用する店を定めていないとしんどいことになる。そこで今回は既に夕食を取る店に目星を付けているので、そこに早めに戻ってくる必要があることになる。

 ホテルをチェックアウトすると最初の目的地の京都国立博物館へ一直線・・・のつもりだったが、朝の渋滞に巻き込まれてオロオロしている内に未だに慣れない阪神高速のせいで間違った道路に入ってしまって、途中で高速を下りて下道を名神道に向かう羽目になって大幅に時間ロス。しかも京都に突入してからも京都名物の秋の渋滞で四苦八苦。平日でこの様なら週末などは想像するとゾッとする。結局は予定よりも30分近く遅れて現地に到着。博物館の駐車場に空きがあったことから、そこに車を置いてまずは最初の展覧会へ。

京都国立博物館平成館

 

 

「京に生きる文化 茶の湯」

 京都で発祥して日本の特徴的な文化の一つにまで進化した茶の湯の歴史を追う展覧会。

 まず最初の茶の湯はそもそも中国から伝わってきたものであり、その頃は中国や朝鮮の名品を使用していた。その頃の茶器はいかにも中国的であって、デザインなどは非常に洗練されていて工芸レベルの高さも感じさせるものである。

 そのような流れがしばし続くのだが、そこに段々と日本独特のものが加わっていく。中国のものを真似したような器も日本で製造されるようになるのだが、そこで劇的な変化が発生するのが安土桃山時代の巨人・千利休の登場(彼は文化界における存在感だけでなく、身長180センチと実際に物理的にも巨人だったそうだが)。それまで薄手のやや大きめの茶碗から、一気に厚手の小振りな茶碗に劇的に変化する。私的にはこの辺りの茶器から急激に興味が増す。ここではさらにあからさまに変な織部好みの茶碗なども登場。当時の文化人は、これを「面白い」と感じる感性があったとうことで、考えようによれば現代人なんかよりも余程「芸術が爆発」としている。文化が成熟した時代であることがそのようなことからも覗える。

 もっともここで気付いたのは、茶碗は劇的に変化しているのに対し、茶入れは最初の頃から大して変化していないということ。この辺りは何やら面白いところである。

 織部亡き後は、小堀遠州の「綺麗さび」の世界などが現れ、洗練された美しさの世界に向かっていく。なお遠州の茶器を見ていて思ったのは、この人物はいわゆる「可愛い」ものが好きだったのではということ。今の時代に生きていれば、結構「萌え」とか「映え」っていっていたような気がする。

 さらに茶の湯を庶民レベルに広げた本阿弥光悦なども登場。茶の湯の文化が拡大すると共に、この頃には中国から煎茶道なども入ってきてこの世界が多様化していったようだ。

 明治になると西洋化の波の中で瀕死状態になりかけた茶の湯も、家元達の奮闘もあって今日まで命運をつないでいる。そのような現代の茶器なども最後に展示されている。

 私の好みの関係で、一番の興味が利休・織部の周辺に収斂してしまうのは致し方ないことであるが、今回茶の湯の歴史を概観して、利休がなした革命の意味が改めて理解できたことが大きな収穫。「利休はそれまでの唐物の中心の茶の湯を大きく変革した」と言葉では知っていても、それを実際に目の当たりに出来たことによって本当に理解できた。


 京都国立博物館を後にすると次は東山へ。ここの京都市美術館と近代美術館をハシゴの予定。これがまた途中の道路が混雑して往生するが、まあ問題なく現地入り、市立美術館の駐車場に車を置いて美術館へ。

京セラ美術館

 

 

「ボテロ展 ふくよかな魔法」京都市京セラ美術館で12/11まで

展示室へ

 コロンビア出身で独得のふくよかな人物画で知られている「ボテボテボテロ」ことフェルナンデ・ボテロの展覧会。

 彼の作品はユーモアに満ちていてなぜか笑わされるのであるが、初期作品についてはふくよかなのは変わりないが、何となくグロテスクさを感じさせるものもある。

初期の作品

 彼は人物画が有名であるが、人物画だけでなくて静物画なども描いている。もっとも静物画を描いてもなぜかボテボテである。

ボテボテの静物画

花瓶の三部作

 彼の描いた宗教画やメキシコを訪問して現地の文化に触れての作品なども展示されている。

彼が描くとキリストやけに肉付きが良くなる

メキシコでの楽士たちを描いた作品

 

 

 そして彼の一番有名なのが、数々の名画を彼流にアレンジした一連の作品群。ユーモアとアイロニーが効いた彼独自の世界が展開する。

クラーナハが

こうなってしまう

ゴヤの貴婦人像も

このように

ホルパインは

これは比較的元絵に近いような・・・

そしてモナリザの横顔

 何とも奇妙な感覚に支配されることになった独得の展覧会である。私はというと、なぜか始終笑いが止まらなかったのであるが。


 京セラ美術館の次は、道路を渡って向かいの近代美術館へ。

道路向かいの美術館へ

 

 

「ルートヴィヒ美術館展 20世紀美術の軌跡―市民が創った珠玉のコレクション」京都国立近代美術館で'23.1/22まで

 ケルンのルートヴィヒ美術館は20世紀以降の現代美術に特化した美術館であるが、そのコレクションは市民からの寄贈を元に形成されたという経緯があるという。この美術館に所蔵される作品を展示。

 とのことであるのだが、やはり20世紀美術となると私とは相性が悪いのは否定できない。ドイツ表現主義などはギリで理解の範疇で、ピカソを中心としたヴラマンク、マティス、シャガール、モディリアーニなどの作品群は面白いのであるが、それ以降になると何とか付いていけるのはシュルレアリスムまでで、ポッポアートになってしまうともう私の目には全く無価値。

 そういうわけで、残念ながら私的には心揺さぶられるような面白いものは何1つ無かったというのが本音である。まあこれは致し方ない。

なぜかこのハシビロコウだけが撮影可

 

 

昼食は美術館内で済ませる

 美術館を3軒ハシゴしたところでもう昼を過ぎている。そろそろ昼食を摂りたいが、とにかく適当な店がないのがこの東山界隈。諦めて美術館のレストラン「cafe de 505」で済ませることにする。注文したのはビーフシチュー(+ライス)

美術館内のカフェ

 グツグツに煮え立ったシチューが出てくる。まあ特別に美味いと言うほどのものでもないが、まあ普通に美味いというところ。ただ最初から諦めているとはいえ、これで1650円は激烈にCPが悪い。まあこういうところではマズくなかったら良しと考えるべきだが。

ビーフシチューは煮立っている

 昼食を終えると駐車場から車を出して次の目的地へ。次の美術館はこの近くにある。

泉屋博古館

 

 

「木島櫻谷-山水夢中-」泉屋博古館で12/18まで

 日本画家木島櫻谷の山水画を中心にした展覧会である。

 櫻谷は青年時代、日本各地を訪れては写生をしまくったようで、その時の写生帖も展示されているが、これが驚くほどの精緻さと完成度である。彼が抜群のデッサン力を有していることはこれからも覗われる。

 初期の作品はその彼の特性と、また西洋画の流入によって影響を受けた当時の画壇の空気もあって、彼の作品はかなり写実的な風景画という趣で、その書き込みには西洋画の技法の影響が濃厚である。

 そこから彼は伝統的な中国の山水画の方向へと向かっていくことになる。もっとも若き日に各地を写生に回った(その後にもやはり写生には出かけている模様)ことから、あくまで山水画といっても日本を舞台とした日本的な山水画であり、若き日に取り込んだ西洋画的な表現も生きた独自の高い境地に到っている。そのために伝統的な山水画のいわゆる嘘くささがなく、真に迫ったものを感じさせるし、彼独自の空気表現の巧みさというものが存在する。

 というわけで低次元な感想で恐縮だが「見事」という一言に尽きたのである。小規模な展覧会であるが、なかなかに見応えを感じるものであった。


 ここは青銅器の展示も有名であるが、そちらは先日の訪問時に一回りをしているのでそれはパスすることにする。

 

 

思わぬトラブルで時間と予算を浪費

 美術館の鑑賞を終えて次の目的地へと思ったところで、車の様子がおかしいのに気づく。どうも右前輪の横っ腹にコブが出来ている。実は昨日の夜に大阪を走っていた時に道が見えにくかったせいで縁石にぶつけてしまったようで(維新の自分達の利権以外の予算はカット政策で、道路の白線が消えまくりで道を見失ったせい)、その時はドッシャーンとかなりひどい音がしたのでボディをへこませたかと思ったが、走りは特に問題がなく、ホテルに到着してから確認してもボディにもひどい損傷はなかったので放置していたのだが、どうやらタイヤの土手っ腹をやってしまった模様。ザクッと調べると「ピンチカット」といってタイヤの空気圧を支えるためのカーカスコードが切れてタイヤが空気圧に耐えられなくなったせいだとか(「ピンチカット」で検索すると画像が多数出るので、気になる方はチェックを。ちなみに私の場合はタイヤ側面に直径5センチ以上の、目で見て明確に分かるレベルのコブ状の膨らみが生じていた。)。放置するとバーストの危険があるとのことで、これはタイヤ交換しかないだろう。この後は福田美術館に立ち寄ることも考えていたのだが、どうやらそれどころではなさそうである。

 とりあえずGoogle先生に聞いて近くの自動車用品店を訪れたが、同サイズのタイヤの在庫がないから取り寄せになってしまうとのこと。お急ぎならオートバックスでも行った方が良いとのことなので、カーナビで調べて近くのタイヤ館に直行することに。よりによって京都でタイヤ交換する羽目になってしまった。私は以前にも遠征先でデジカメがご臨終してしまったせいで、今のKissデジは弘前で購入したのだが、全く何をやっているのやら。かといって、さすがにこのタイヤで自宅まで戻るのはヤバすぎる。高速でタイヤがバーストでもしたら洒落にならん。

 結局はここで小一時間と莫大な費用を費やしてしまったので、福田美術館は断念して大阪に直行することにする。ちなみに夕食を摂る店として目をつけているのは梅田ルクアの「美々卯」。3000円あることだし以前から気になっていた「うどんすき」でも食べようかと考えている。予約をしていないので混雑する夕方以降よりも早めに訪問したい。

 タイヤ交換も終えて高速を快調にすっ飛ばす。タイヤの不調に気付かずに高速走行中に突然バーストでも起こったら、私の運転スキルだとそのまま私の人生もこれまでの可能性もあったところである。まあ幸運だったと考えるべきか。もっともこれは余計な出費であり、この請求書は自分達の利権にばかり予算を回している吉村にでも回したいところだ。

 

 

夕食は梅田でうどんすき

 大阪に到着するとホール近くにakippa予約で確保していた駐車場に車を放り込み、地下鉄で梅田に移動する。目的とする「美々卯」はルクアの10階のレストラン街にある。現地に到着すると、以前に大阪ステーションシティシネマにMETライブビューイングを見に行った帰りに立ち寄ったことのある店であることを初めて思い出した。

ルクアの「美々卯」

 予定通り「うどんすき」を注文。4000円ちょっとなのでちょうど良い額。もっとも3000円の金券がなかったらとても注文しようとは思わないメニューでもある。

鍋に満たした出汁を温める

 鍋に出汁が注がれて温まり始めたところで具材一式が運び込まれてくるのでそれを投入。なお海老は生きた状態で持ってくるので、投入時に跳ねることがある。それが怖い人には茹でた海老を持ってくることも可能とのことだが、私は別にそのぐらいではビビらないのでそのまま海老を投入。

鍋に具材の半分を投入

 とりあえず全具材の半分を投入してもらう。鶏肉が煮えてハマグリの口が開いた頃が食べ頃とのこと(ちなみに私のハマグリは口を閉じたままでご臨終してしまったが)。やや柔らかめであるがしっかりしているうどんは確かに美々卯の麺。具材の湯葉などが美味いが、意外だったのはやや甘めのあるがんもと煮崩れを警戒して後で投入した子芋。特に子芋は本来は私の嫌いな食材なので驚いた。

バッチリ煮えたところを頂く

 なるほど伝統の人気メニューだけになかなか美味い。それと意外だったのは量的に私には絶対に不足だなと思っていたのに、食べ終わると腹にズッシリときて完全に満腹になったこと。さらにかなり身体がカッカと温まった。

 ただ少し気になったのは、やはり下品な育ちの私には味付けがいささか上品に過ぎるということ。出汁が悪くはないのだが味が薄めで私に対してはインパクトが欠ける。この辺りは大阪というよりは京都の雰囲気。恐らく織田信長などなら「味がない!料理人の首を刎ねろ!」と言い出すところだろう。下品な私にはむしろみそ煮込みうどんの方が相性が良いかも。

 大阪高級ディナーを終えると地下鉄で肥後橋に戻るとホールへ。今回のコンサートは料金高めなので私は当然のように3階の貧民席へ直行。場内はほぼ満席ではないかというような入り。どうやらネルソンス/ポストン交響楽団の方が、マケラ/パリ管やラトル/ロンドン響よりも人気のようだ。

フェスティバルホールの赤絨毯もクリスマス

 

 

アンドリス・ネルソンス指揮 ボストン交響楽団

3階席はやや遠い

指揮:アンドリス・ネルソンス
ピアノ:内田光子

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」
ショスタコーヴィチ:交響曲 第5番 ニ短調 作品47「革命」

 ボストン交響楽団は流石というか実に綺麗な音色を出すしアンサンブルも見事である。しかし「皇帝」が始まったと同時に「やけに淡泊に過ぎる」という印象を受ける。

 それはネルソンスがこの曲に関してはピリオドを意識したのかノンビブで演奏をさせていることにある。だから非常にシンプルで淡泊な演奏になる。バックがこの調子であるので、流石の内田光子も自身の弾き振りのような自在な濃厚な味付けを行うわけにはいかないのでいささか淡泊であっさりした演奏に終始する。

 ネルソンスの解釈はこの曲に対する一切の虚飾やハッタリをはぎ取ったようなもの。それはそれで解釈としてはありであるし、曲の本質に迫るかのような姿勢は感じるのであるが、ただ聞いていてそれが面白いかはまた別の話である。正直なところ最後の最後までオケもソリストも不完全燃焼のまま終わってしまった感が強い。

 後半のショスタコは、ボストン交響楽団の音色の美しさが際立つ。ネルソンスの指揮はこのボストン楽団を整然とまとめて、実に美しいハーモニーを引き出す。その音色の美しさはウットリとするレベル。ボストン交響楽団の技量の高さと、ネルソンスの統率力には舌を巻くところ。

 もっとも前半と同様にそこから出てくる音楽が面白いかといえば、残念ながら別の話になる。この曲に特有の鬱屈した苦悩から現れる狂気のようなものが完全にバッサリと削ぎ落とされて全く別の曲になってしまっている。あそこまで苦痛が一切なくて単に美しい音楽となってしまっている第一楽章は初めて聞いた。第二楽章も苦悩の影はなく少し憂愁が漂う程度のやや皮肉の効いた明るい音楽。第三楽章も同様に美しい一辺倒。最終楽章に関しては、バーンスタインなどの伝統的姿勢である勝利のファンファーレでもなければ、「遺書」以降に増えた苦痛と矛盾を抱えた中での狂乱でもなく、単純に生命力溢れる音楽という感じで、ボストン響のやや明るめの音色もあって苦悩の影が皆無である。

 それだけにオケと指揮者の技倆に感心しつつも、最後まで「これじゃない」感が私につきまとって離れなかったのである。音楽としては明快かつ美しくて演奏の密度も高いのだが、果たしてこれがショスタコだろうかという疑問。結局は演奏には感心しつつ、最後まで肩透かし感が強すぎて納得できなかったというのが私の正直な感想である。


 これで2日間に及ぶコンサートツアーは終了。帰宅の途についた。しかし身体の疲労は強く家に帰り着くなりバタンキューとなってしまったのである。そんなに強行軍を組んだつもりはなかったのが、これでも疲労が溜まってしまうとは私も老いたものである。「認めたくないものだな。老い故の行動力の低下とは。」

 

 

この遠征の前日の記事

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