先週に続いて兵庫芸文でのコンサート
この週末はPACの定期公演のために西宮まで繰り出すことにした。指揮は下野竜也でプログラムはスメタナの「わが祖国」と、珍曲マニアのシモーノにしては比較的オーソドックスなプログラムか。
今回はかなり久しぶりに車を利用することにする。それは途中で大谷美術館に立ち寄ろうと考えているから。大谷美術館に電車で行くとなると、阪神で香櫨園駅から歩けなくはないが、炎天下に歩くのは嫌だなと思わせるには十分な距離。それに香櫨園から阪急西宮北口に行こうとすると今津で阪急今津線に乗り換えの必要があるということでアクセスが悪い。大谷美術館は車客を想定して無料の駐車場があるし、兵庫芸文も一応駐車場はついている(公演客用の割引料金もあり)。そういう点で今回はあえて車を選択した。
しかし車には車の固有の問題がある。土曜日の午前中に家を出たものの、何だかんだで予定よりも出発が遅れた上、阪神高速は事故原因の大渋滞。車がろくに動かないまま時間だけが無駄に過ぎていく。当初の予定では時間によっては大谷美術館以外にも立ち寄り先のイメージがあったのだが、それどころか大谷美術館に立ち寄ることさえ怪しいぐらいの時間になってしまう。西宮出口にたどり着いた時に美術館見学に十分というにはしんどい時刻。しかしこのままホール直行だと、何のためにわざわざコストをかけて車で来たのか意味不明(車利用はバカ高いガソリン代に、ボッタクリの高速料金、現地での駐車場代などとにかく無駄に金がかかる)。意地でも立ち寄っていくことにする。
「没後60年 洋画家・辻愛造 ―風景・風俗・挿絵―」西宮市大谷記念美術館で7/15まで
洋画家・辻愛造の回顧展。1895年に大阪で生まれた辻愛造は、赤松麟作の主宰する画塾で洋画を学び、亡くなるまで国展に出品を続けたという。またこの美術館のごく近くに居住していたことから、この館もゆかりがある画家であるという。その辻愛造の作品を風景画、風俗画、挿絵という観点から紹介する。
第一部は風景画とのことで多くの油絵作品が展示されているが、ザクッと描いた結構大胆な作品。よく見てみると比較的初期の作品と晩年の作品で微妙に画風が変化している。初期の作品は派手な色遣いで事物を描きわけていくパターンの作品である。
それが晩年になると太い輪郭線でサクッと描いた作品に変化する。この太い輪郭線は今回同時に展示されているルソーの作品なんかを連想させるところがあるが、ルソーほどの絵具の厚塗りはしていない。
第二部以降は撮影禁止なんだが、こちらの風俗画というのは水彩で描いた町などの風景であり、基本的には風景画の延長。ササッと書いた印象の絵画であり、先ほどのやや重厚な油絵とはまた描き方が根本的に変わっている。
第三部の挿絵については新聞挿絵などだが、こちらは基本的に先ほどの水彩画の描き方に近く、それを絵具を使わずにインクのみで描いたというようなところ。どうも辻の本来の画風はこちらが主のように思われ、最初の油絵はいかにも無理しているような感がなきにしもあらず。
第四部は辻愛造ゆかりの画家たちと題して、辻と関わりのあった同時代の画家たちを紹介しているが、梅原龍三郎などを始めとしてああいう絵具厚塗り系の画家が多く、正直なところ私の好みにはあまりに合致する画家はいなかった。
辻愛造の絵画については特に好ましいとも感じなかったが、それなりに味のある面白いものであった。こういう画家もいたのだということは頭の片隅に留めておこう。
ホールに直行するととりあえず間に合わせの昼食を
美術館の見学をザッと終えるとホールに直行することにする。しかしここでも随所で渋滞、いささかいらつかされることに。時間の浪費はあったがとりあえずホールには無事に到着、満車になることを懸念していた駐車場だが、中ホールでも同時にイベントがあったせいで混雑はしていたが、満車という状態ではなかったので何とか車を止められる。
さてこれからだが、開演時刻までは1時間を切っている。この時間ではまともに昼食を摂るのはまず不可能だが、それでも何かを腹に入れておかないと持たない。最初は喫茶に立ち寄ったが、スナックの類いがクッキーしかない。アイスティーでクッキーを流し込んだが、これだと公演途中でのガス欠は必至。
ただちに決断して、駅まで歩くと駅北側のケンタに立ち寄ることにする。今の私の体には良くないのは承知だが、背に腹は代えられない。ただ最近はデトックス的な生活になっているせいか、コーラの毒気がやけに体に強く感じられる(いかにも毒ですという味がする)。先程アイスティーを頂いていることもあり、コーラは少し口をつけた程度で廃棄する。それにしてもケンタのサンドも年々小さくなっていくが、明らかに最初の頃の半分以下の容積になっている。これぞまさしくアホノミクス効果。
応急の昼食を終えるとホールはとっくに開場しているので入場する。チケットを見せると「3階席は右のエレベーターをどうぞ」と案内され、この時に初めて3階席を購入していたことに気付く。高所恐怖症の私は落ち着かない高層席はできる限り避けるので、PACは大抵は1階席を確保する。それがわざわざ3階席を確保していると言うことは、チケット手配の段階で1階席に余程ろくな席が残っていなかったと言うことか。と言うことは今日の公演は結構売れているということになる。
兵庫芸文の高層席は久しぶりである。ここのホールはとにかく上に高いのが特徴であるが、客席の傾斜はフェスティバルホールの3階席ほどには急でないのが、私のような高所恐怖症には助かるところ。私の席は3階席の2列目の左ブロック中央寄りである。やっぱり1階席にろくなところが残ってなかったんだろう。
PACオケ第151回定期演奏会 下野竜也 スメタナ「わが祖国」
指揮:下野竜也
スメタナ:連作交響詩「わが祖国」
一曲目のヴィシェフラドはやや抑え目のテンポで堂々とした演奏。若いPACオケは14型という大型編成もあって力強い演奏である。もっとも金管の音色に関してはところどころ残念な部分が散見されないでもない。個々の奏者がまだ「味のある」音色を出せるレベルには至っていない感がある。その辺りはまだまだ今後の技術的課題であろう。鮮やかで煌びやかではあるが、いかにも「わが祖国」というボヘミア特有の幽玄さの類いは若干薄めに感じられる。
二曲目のモルダウに休憩なしで連続で突入する。この曲になるとさらに煌びやかさが増す。後半の怒濤の盛り上がりにかけてのパワーなどはなかなかであるが、やはり管楽器にも弦楽アンサンブルにももう一歩の甘さが見られるのはいささか仕方のないところか。三曲目は怒濤のシャールカ。下野率いるPACはメリハリ強めの演奏でなかなかに聴かせはする。
ここで20分の休憩を挟んでの後半は、四曲目のボヘミア情緒満載のボヘミアの森と草原から。ダンスのリズムが顕著に出てくる曲であるが、そういうリズム感はなかなか良い。もっとも味という点ではやはりやや淡泊気味で力でゴリゴリ押していく感が強い。
第五曲とターボルと第六曲のブラニークは続けて演奏される(この両曲は音楽的にもろにつながっているから、下野に限らず連続で演奏する指揮者は少なくない)。この二曲はかなり力で押していく面が強い曲調なので、こうなると若いPACのパワーが炸裂する感がある。クライマックスにかけては下野もノリノリで大フィナーレ。場内も爆発的に盛上がる。
カーテンコールは撮影可。下野もオケメンもノリノリで撮影に応える一幕も。まずまず盛上がったなかなか楽しいコンサートであった。