朝食は久しぶりに訪問の喫茶で
翌朝は8時に目覚ましで起こされる。ガサゴソと起きだすととりあえずは着替えて朝食のために外出する。
いつものように「カフェ・ド・イズミ」に行こうかと思ったが、シャッターが下りていて今日は開店していない雰囲気。そこでここから少し先にある「喫茶ロミ」に行くことにする。

ここに来るのは久しぶりか。注文したのはタマゴサンドのモーニング(420円)。以前は400円だった記憶があるので5%値上げしたようだ。ここにもアホノミクスの影響が。なお玉子焼きを挟んだタマゴサンドは相変わらず美味い。

朝食を終えるとホテルに戻ってくる。ただやはり朝から疲労感はかなりある。今日の予定だが、ザ・シンフォニーホールでのN響の公演である。しかし開演は例によってのN響タイムで16時からと週末の昼公演にしては開演が遅いので、それまで美術館に立ち寄るとしても時間が余るのは確実。そういうわけで500円を支払って今日はレイトチェックアウトすることにしている。
昨日は入浴せずにダウンしてしまったので、朝風呂で体を温めることにする。やはりこの方が少しは体の調子が上がるようである。後はチェックアウト予定の昼頃までPC作業を行う。この間に昨日の記事をアップ。
結局はそのまま昼前まで部屋でゴロゴロしてから、ホテルをチェックアウトする。さて今日の予定だが、先程も言ったように16時からのN響のコンサートがメイン。それまでの時間は美術館に立ち寄る予定。まずはJRで天王寺を目指す。最初の目的はハルカス美術館で開催中の広重展。
いつもよりエレベータが混雑していることが気になっていたが、入口では改札制限があるようでしばし待たされる。大抵は一番空くはずの昼食時でこれということは、他の時間はここに行列が出来る可能性がある模様。改めて「エジプト、浮世絵、印象派」という言葉を思い出す。いささか侮っていたか。
「広重-摺の極-」あべのハルカス美術館で9/1まで

広重の作品を大量に展示した展覧会。内外からかなり状態の良い作品を一挙に集めている。
まずは広重の最初期の作品の展示から始まるのであるが、この辺りの作品については正直なところあまり面白みを感じないのが本音。北斎のような強烈なインパクトや国芳のような迫力があるわけではない。上手いが特徴の薄い絵というのが正直な感想である。
この広重が風景版画で頭角を示す。会場には彼の出世作にして代表作の東海道五十三次を初めとして、彼の代表的な風景版画が展示されているが、ここで感じられるのはやはり彼の構図の上手さである。風景の中から主眼となる事物を配置して、それに安定した構造を持たせるのが非常に上手い。さらにはよく言われるデフォルメの巧みな使用なども見られる。やはりこの辺りの構成の上手さは風景版画で開眼したものと思われる。


ただそのような風景版画でヒット作を飛ばしつつも、広重自身はいわゆるマンネリに陥ってしまい、そこからの脱却に苦労したようである。確かに安定的な構図故にパターンに陥りやすいところがある。しかし晩年に向かってポイントを1点に絞った作品などで新境地を示す。さらには俗に実相寺アングルなどとも言われる、手前に大きく事物を配置してそれ越しに描くというような大胆な構図などが冴えを見せるようになる。安定した構図を崩すことで、画面に動きと奥行きを加える。このような描き方は広重の初期からその萌芽は見られるのであるが、晩年になって技として極めたようである。

会場には広重の作品ではあまりメインジャンルでなかった美人画や花鳥画の作品も展示されていたが、やはり風景画に比べるとやや平凡でインパクトに弱いという印象。やはり広重は画面構成力をフルに発揮できる風景画が真骨頂のようである。なおあえて豊国が得意とした役者絵や、同じく国芳が得意とした武者絵などは描かなかった模様。やはり彼自身も自分の得意ジャンルは把握していたようである。
会場内は満員の状態で、人の頭越しにやや離れて作品を鑑賞することを余儀なくされる状況。というわけで鑑賞条件としては最悪に近い。落ち着いて作品を鑑賞できる環境ではなかったので、結構雑な見方になってしまったのが残念なところ。ただ私が以前から感じていた「広重は上手いんだが、北斎や国芳や月岡芳年のようなつかまれるところがないな」ということを再確認せざるを得ない感があった。やっぱり元々下品な私には、広重の絵は少々上品に過ぎるのかもしれない。
なお売店では関連グッズとして永谷園のお茶づけ海苔が。まあ確かにあれについているカードが私が初めて広重を知ったキッカケではあるが・・・。


ハルカスを後にすると次の会場へと移動する。次は大阪城近くの大阪歴史博物館。正直なところ今日のN響コンサートも会場がここなら楽なんだが、なぜか今までの経験として、ここでN響のコンサートがある時に限って歴史博物館で立ち寄ろうと考える展示がなかったりするんだよな・・・。

「大化改新の地、難波宮-古代日本のターニングポイント-」大阪歴史博物館で8/26まで
タイトルには大化の改新と銘打っているが、殊更に大化の改新こと乙巳の変絡みの資料が出てくるというわけでもなく、難波宮についての資料を展示して紹介することがメインの展覧会である。
最初は難波宮が開かれる前からの難波地域について。難波地域は古代より海岸として漁業などが行われており、既に人の居住が見られていた。また飛鳥に都があったような時代から、交易港としても栄えており、朝鮮からの輸入事物なども発見されている。


乙巳の変の後に孝徳天皇は難波宮に遷都し、いわゆる大化の改新と呼ばれる政治改革はこの地で行われる。これが本展タイトルの「大化の改新の地」という意味である。


ただそれだけ歴史的に重要な地であるにもかかわらず、永らくその場所は不明であったという。しかし戦後になって大規模な遺構が発掘され、巨大な都市の全貌が明らかになってきたという。


ただ孝徳天皇の没後は斉明天皇が飛鳥で即位したことから、両都が並び立つような形にしばしなったようだが、686年に難波の宮が火災で焼け落ち、その後は飛鳥の方が都となって平城京などにつながっていくことになったらしい。



とのことで、展示物は考古資料が中心の極めて地味かつマニアックなもの。難波宮の歴史について学習するというのには良いが、正直なところあまり印象に残るものはなかったというのが本音である。
昼食には牛タンを
これで美術館巡り予定は終了したので、地下鉄で大阪に移動して昼食を摂ることにする。最初は少しお茶でもしたいと「つる家茶寮」に立ち寄ろうと考えたのだが、現地に到着すると待ち客が複数いる状況で、時間を考えると待っている余裕がないことから断念。そばやラーメンを食べたくないしということで、エキマルシェの「利久」に立ち寄って「タンシチューの定食」を頂くことにする。

この暑い最中にタンシチューはどうなんだろうかとの気もあったが、食べてみるとやっぱり美味い。なお私は塩っぱくてあまり得意でないテールスープも、今日は暑さで発汗が多かったせいか、いつもほどには塩っぱさが口に付かないので、少し飲んでおく。


昼食を終えたところでホールに移動。しかしこれが考えどころ。福島まで一駅JRに乗るの勿体ない気がするし、かと言ってここからキャリーをゴロゴロ引いてザ・シンフォニーホールまでというのもしんどい。どうするか迷ったが、結局は福島までのJRの料金とコインロッカー代をケチって、キャリーを引いてホールまで向かうことにする。ああ、やっぱり貧乏ってツラい(この選択になったのは、昼食代がやや高かったことも一因なんだが)。

いささか疲れた頃にようやくホールに到着する。さて今日のコンサートだが、私はいつもと違った席を確保している。今回確保したのはいわゆるオルガン席。オケを裏側から聞くことになるために通常とは環境が違いすぎることから私は避けてきたが、自身で演奏する人などは奏者の動きが後ろから間近に見られるので良いという。また指揮者を真っ正面から見られるために、西本智美の公演などでは特等席として一番最初に売り切れるとか。私も今回はヒメノのイケメン指揮ぶりを真っ正面から鑑賞しようとここを確保・・・したわけでは当然全くなく、例によってN響公演の情報が全く入ってこず、直前になって今日の公演を知って慌ててチケットを確保したので、ここしか残っていなかったというのが真実である。

まあ大枚はたくつもりならもう少しマシな席も残っていないわけでもなかったのだが、そこは指揮者が私的には評価の低いヒメノということがある。私がヒメノの演奏を初めて聴いたのは9年前のロイヤルコンセルトヘボウの公演でだが、その時には「指揮スタイルは格好良いのだが、何を伝えたいのかの中身が全くなく、ロイヤルコンセルトヘボウの無駄遣い」というまるで宮崎吾朗のゲド戦記のような評価を下しており、結局はこの年のワーストコンサート第1位に挙げている。さてあれから9年、当時の若手指揮者から中堅にさしかかったヒメノがどれだけ進化したかに注目である。
N響「夏」2024大阪

[指揮]グスターボ・ヒメノ
[ヴァイオリン]ノア・ベンディックス・バルグリー
[管弦楽]NHK交響楽団
【第一部】
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 二短調 op.47
【第二部】
ベートーヴェン:交響曲 第6番 へ長調 op.68「田園」
ソリストのバルグリーは非常に表情豊かな美しい音色で演奏する。優美でありながら力強い演奏。良い意味でオケをリードしている印象。それに対してヒメノの演奏はやや淡々とした感がある。それとこれは指揮者のスタイルにもよるものなんだろうが、ほとんどオケに指示を飛ばしている様子が見られないように感じられた。基本的にはテンポの指示以外にはあまり表情がないような印象。ただしN響だけあってアンサンブルは完璧である。
この曲に関してはバルグリーのロマンティックな演奏もあって、なかなかに盛り上がった。なおオルガン席はホルンの口がもろにこっちを向いているのと、ティンパニがいかにも近いことなどから、オケのバランスは崩れがちであるが、ソリストも近いので、ソリストの音色を聞き取りやすいというメリットはあるようだ。最初からソリスト目的ならこの席もありということか(私はそういう聴き方はまずはしないが)。
さて後半であるがベートーベンの田園。シベリウスではやや淡々とした印象であったヒメノであるが、やはりこの曲でもかなりあっさり風味である。やや速めのテンポでかなり軽快に進める。流石にN響自身は非常に美しいアンサンブルで聴かせるのであるが、ヒメノの進行があまりにクールに過ぎてとにかく軽やかに進んでいくだけという感がある。私からしたら「ここはタップリと歌わせるべき聴かせどころだろう」という箇所であっさりと流してしまうということが多々。その辺りがどうしても「いささか薄いな」と感じずにはいられないところ。よくクールで理知的な演奏というのもあるが、ヒメノの場合はそういうわけでもなく、とにかく情念が薄い演奏という印象である。そのせいかあまり音楽が心に響いてこない。
結局のところ彼はそういう感覚が薄いのか、そういうのを音楽にぶつけないタイプなのかは不明だが、最初に彼の演奏を私が聞いた時に「中身がない」と感じた理由はそれだったようである。それも今回の「田園」のようにベートーヴェンの曲中でも比較的情念が薄くてサラッとした曲ならそう違和感も大きくないが、これが「運命」ならもっと印象が変わっただろう。ましてや私の場合は、一番最初がチャイコの情念大爆発の「悲愴」だっただけに違和感が強すぎたのだろうと思われる。要は私は彼の演奏とは相性が悪いという結論になるんだろうか。
なおヒメノの心情のようなものがもっとも反映していたのは、皮肉なことにアンコールの伝ハイドン(ホフシュテッター)の弦楽四重奏曲であった。この時のヒメノはクールすぎずに弦楽陣を歌わせ、メリハリをつける指示を適宜飛ばしていたように感じられた。私にしたらこれはむしろ驚き。
なお最近のN響のコンサートはカーテンコール時の撮影が可の事例が多く、本公演でもプログラムには「カーテンコール時の撮影可」とあったので、スマホを構えていたら飛んできた係員に撮影を止められた。プログラム作成後に方針が変わったのだろうか? 意味不明である。そうだとしたら会場内に掲示は欲しい。やっぱりイケメンは肖像権が高いんだろうか?
この遠征の前日の記事