徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

お知らせ

アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

奥村厚一展と巨大ロボット展をハシゴしてから、沖澤のどか指揮の京都市響のロシアもの

京都市響の定期演奏会のために出向いた京都は灼熱地獄

 今日は京都市響の定期演奏会のために京都に出向くと共に、京都方面の展覧会の見学を実行することにした。というわけで午前の内に家を出たのだが、とにかく暑い、死ぬほど暑い。そうしてたどり着いた京都はやはり灼熱地獄だった・・・。まずは山科まで移動してから地下鉄に乗り継いで東山の美術館へ。

 道すがら祇園饅頭工場に立ち寄る。いかにも工場直売という雰囲気の店。以前にここで購入したわらび餅が非常に美味だったことから土産物に持ち帰ろうという考え。なおついでに笹餅も合わせて購入する。

いかにも工場の裏口的な「祇園饅頭工場」

わらび餅と笹餅は帰宅後に頂いた。実に美味。

 隣を見れば三昧洪庵に大行列が出来ている。この炎天下にこの調子だったら1時間は待つ必要があるのではなかろうか。ここは以前に入ったことはあるが、確かに美味い蕎麦屋ではあるが、そこまでして入店する必要があるほどの店とも感じないのだが・・・。何かSNSの時代になって、なぜか分からない超人気店とかが登場する時代になってきたな・・・。

 

 

 目的の京セラ美術館までは裏通りの水路脇を散策しながら移動。見た目は涼しげな風景なんだが、実際は蒸し暑いだけの地獄。夏の京都は風情なんか感じている余裕がない。

水路の風景は見た目は涼しげなんだが・・・

 目眩がしそうになりながら、体力の限界ギリギリ近いところでようやく美術館に到着。早々に入館して内部で体を冷やす。

死にそうになりながら京セラ美術館に到着

 正面には相変わらず「村上隆もののけ展」絡みの展示が。なかなかに人気が高いようであって、人通りで賑わっている。ただこちらは以前に見学済みなので、今回はその横で地味に開催されている方の展覧会へ。なおチケットは事前に前売りを購入済み(これも少しでもチケット代を安くあげようという涙ぐましい努力である)。

もののけ展は相変わらず大盛況の模様

私が入場するのはこちら

 

 

「奥村厚一 光の風景画家 展」京セラ美術館で9/8まで

奥村をモネになぞらえている模様

 生誕120年、没後50年となった日本画家・奥村厚一の大規模な回顧展である。奥村厚一は風景画を中心に精緻な画風で描き続けた日本画家であり、写実に基づいた画法としては比較的保守的な画家である。

典型的な日本画である「落葉の秋」

静かな風景画「浄晨」

 ただ一番特徴的なのは光の表現が非常に巧みであり、それにかなり凝っているということである。実際に彼の描いた水の風景の作品などは水が輝いているのが見え、果たしてどういう手法で描いているのだろうと不思議に感じるぐらい煌びやかである。

水の描き方が巧みな「奔流」

あまりの輝きにどうやって描いているのかと驚く「橋立」

 

 

 そのために本展では光の画家としてモネになぞらえたような表現もあるが、実際には筆触分割で光の煌めきを描こうとしたモネと根本的に異なり、穏やかな表現で光の反射を描いている。またご丁寧に奥村が蓮池を描いた作品まで展示されているのだが、これを見ると水面のキラキラした反射に力点をおいたモネと異なり、奥村は透き通るような水の質感を描いているのが見て取れる。基本的にこれは日本画の伝統的なアプローチである。

蓮池を描いた「湖」は水の透明さが透けて見える

 日本画の伝統的表現といえば、いわゆる簡略化などもあり、奥村もそういう表現を用いた作品があり、そのような作品の中には小野竹喬や福田平八郎やなどを連想させるものもある。

小野竹喬を想わせる「早春」

福田平八郎を思わせる「浪」

 さらに静かな風景画は、赤が基調のものは奥田元宋を、青が基調の物は東山魁夷を連想させるなど、なぜか他の画家の名前が頭に浮かぶようなところがある。

赤い「赤松の林」は奥田元宋を想わせ

青い「秋湖」のような作品はもろに東山魁夷調

 

 

 彼のオリジナリティとしてはやはり水の輝き、光の漏れる独得の空の風景、そして彼自身が好きだったという山の風景だろうか。

水の風景を描いた「北岬」

同じく印象の強い「黒潮」

独得な空の「オランダ風景」

山を描いた「夕光」

全国を回ってこのようなスケッチを残したらしい

 非常に巧みな絵画であり、好ましさも感じさせる絵画である。そういう意味ではそれなりに楽しめる展覧会であったのである。


 京セラ美術館の見学を終えると次の目的地へ移動。次は烏丸御池にある京都文化博物館。ここでいかにもオタ向きな展覧会が開催されている。

 

 

「日本の巨大ロボット群像-鉄人28号、ガンダム、ロボットアニメの浪漫-」京都文化博物館で9/1まで

もうこの看板から血が騒ぐ

 日本のアニメーションの歴史において、外すわけにはいかないのは巨大ロボットの存在である。作中で力の象徴として大活躍する巨大ロボットは、多くの視聴者をワクワクとさせて、強烈な印象を与えてきた。そしてその存在は今日でも決してなくなってはいない。そのような日本アニメーションにおける巨大ロボットのデザインなどを振り返っていく展覧会である。

最初にイングラムのモデルが登場してるのが泣けるが

 まず最初に登場するのはちょうどアニメ黎明期に重なる巨大ロボットの祖とも言える鉄人28号。本作はテレビ初登場時にはアニメーションでなくて実写であり、しかも鉄人自体も巨大ロボットとは言えないという中途半端な状況で登場しているのだが、この作品について知る者は今は多くはない(私も全く知らない)。

1960年の実写版鉄人28号は知る人も少なかろう

 そして鉄人28号が一躍メジャーになったのが白黒放送時のアニメ版。ここで鉄人はリモコンで操作される巨大ロボットとして登場し、子供たちに大きなインパクトを与える。

鉄人28号と言えばやはりこの1963年の白黒アニメ版

 その後には時代に従ってカラー化されたり、さらに現代風デザインにリメイクされたり、CGになったり、逆に原点回帰でオリジナルデザインに戻ったりなどの時代に合わせた紆余曲折を経てきている。

カラー化されてリメイクされた1980年版

当時らしいデザインにリニューアルの1992年のFX

CGになった2005年版に原点回帰の2007年版

 

 

 そして巨大ロボットの存在を不動の物としたエポックメイキングな作品として、マジンガーZが登場する。コクピットを兼ねたホバーパイルダーが合体して起動する巨大ロボットは「パイロットが搭乗して操作する巨大ロボット」という現在のジャンルを確立した。

巨大ロボットの金字塔「マジンガーZ」

コクピットとなる小型機パイルダー

ジェットスクランダ-と合体して空も飛ぶ

マジンガーの代名詞である超合金の玩具は、当時はブルジョアのお坊ちゃんしか買ってもらえない高嶺の花

 

 

 さらに合体変形ロボが登場する。機能に合わせて3機の機体が合体パターンを変更して3種の巨大ロボになるゲッターロボ、より進化して「玩具で再現できる合体変形」という商業的意味も持ったリアル合体変形を初めて行ったコンバトラ-Vが登場。

3機が合体変形するゲッターロボ

玩具で再現できる合体変形をしたコンバトラ-V

5機が合体変形を完了すると

巨大ロボットコンバトラ-Vの誕生

 また磁力によってパーツが合体するというギミックを持った鋼鉄ジーグ。さらには巨大な像がロボットに変わり、さらには飛翔形態にも変形するという勇者ライディーンなどが登場する。

磁石の威力の鋼鉄ジーグ

勇者ライディーン

ゴッドバードに変形してトドメを刺す

こういうイラストは盛上がるな

 

 

 次のコーナーではガンダムの祖とされるハインラインの「宇宙の戦士」などが登場、人間が登場する強化スーツとしてのロボットの存在を考える。

モビルスーツの概念を初めて登場させた「宇宙の戦士」(ハヤカワ文庫のイラスト)

 次は宮崎駿の複数作に登場するロボット兵ラムダの実物大イラストに始まり、ダグラム、ボトムズなどの実物大イラストでその大きさを実感する(これらのロボットは実はマジンガーなどに比べると遥かに小さい物である)。

宮崎駿の複数作に登場したロボット兵ラムダ

いろいろ細かい設定がなされている

 巨大ロボットから、強化スーツであるモビルスーツへと進んだロボットはかなり小さくなる。ここでは「ダグラム」のコクピット、「ボトムズ」のスコープドック、「ザブングル」のウォーカーマシンなどの大きさも体験できる。

ダグラムのコクピットサイズ

ボトムズのスコープドッグはジープを立てたイメージ

なおスコープドックは立ち上がるとこのサイズ(会場外展示)

ザブングルのウォーカーマシンはまさに手足の生えた車

 3階展示室にはガンダムだが、ここでは床に巨大なガンダムの実物大イラストが描かれており、ガンダムの大きさが体感できるようになっている。マジンガーなどに比べるとリアリティを追求してかなり小さくなったガンダムであるが、それでもさらにリアリティを追求した結果、数メートルレベルまで小さくなったボトムズなどよりは遥かに大きく、ある意味で時代の過渡期の作品であることも実感できるのである。

巨大なガンダムの実物大イラスト

 

 

 そして1990年代以降の巨大ロボットとしてガガガことガオガイガー、さらにビッグオーゲキガンガーまで登場するのは正直なところ私としてはもう感涙物である。なお余談ではあるがビッグオーは特に私が入れ込んだ作品で、往時には未完成で終わったが私のHPの白鷺館にビッグオーの別館「大王演義」まで作ったぐらいである。この辺りの作品は70年代の巨大ロボット物に対するオマージュやリスペクトが込められているのが最大の特徴。

このイラストはもう泣ける

ガガガことガオガイガー

重量感が魅力のビッグオー

70年代ロボットものへのリスペクトに満ちたゲキガンガー

 なかなかオタとしては堪能できる本展だったが、私にとってズッコケずにいられなかったのが、一番最後に登場したのが「地球防衛企業ダイガード」だったという点。正直なところ本作は、様々な可能性を秘めたまま全てが不発でスベってしまった残念作だけに・・・。本作については本放送時に「ギャラはいらないから私を制作に関与させてくれたら、もっとまともな作品に出来たのに」とマジメに感じたぐらいである。

いろいろと残念作品だった「地球防衛企業ダイガード」

 なお予想通りであるが、最後の物販コーナーはプラモ中心に異常に充実していた次第。超不器用である私は、プラモには手を出さないと誓っているので(実は昔は作っていた)、ここはさっさと素通りして会場を後にするのである。

予想通りであるが異常に充実した物販コーナー

とりあえずプラモには手を出さないことにしている私

ところでこれは何だろう?

 ちなみに私だったら本展の一番最後を締めるべき作品としてはやはり「勇気爆発バーンブレイバーン」を挙げるところ。まあ昨期に放送が終了した直後の作品だけに、版権その他で無理だろうが。本作は今までの巨大ロボット物の流れを知っている者なら、感動の涙を流しつつ抱腹絶倒できる作品である。アマゾンプライムなどで見ることが出来るので、本展に興味を持つような者なら1度視聴をお勧めする。強烈にはまるか、強烈に拒否反応を示すかどちらかの反応になるだろうと思われる。ちなみに言うまでもないことだが、私はドップリとはまった。

bangbravern.com

 どうもオタ魂を強烈に刺激される展覧会で、いつもの格調高い(?)展覧会評と違って、ただのオタの趣味爆発になってしまった・・・(笑)。まあ本展はそういう内容ですから。

 

 

 さてオタ魂を強烈に燃やしたところで腹が減ってきた。コンサートの開演は14時半でもう既に1時間半ほどしか余裕がない。とりあえずホールの近くに移動してからそこで昼食を摂ることにする。店を選んでいる余裕なんてないので北山の「進々堂」がちょうど待ち客がいないのを確認して入店、ハンバーグのランチを注文する。

北山の「進々堂」

 まあ味については可もなく不可もなく。パンが食べ放題だがガンガン食っている時間もないし(開演まで1時間を切っている)、暑さに当たられて食欲もイマイチなのでさっさと腹に放り込んで店を後にする。2300円という支払は例によってCPが良いとは言えないが、まあロイヤルホストよりはまともである。

ハンバーグのランチ(これにドリンクが付く)

 灼熱地獄の中をホールへ急ぐ。もう既に開場しており、入場客が一段落ついた状態。私の席は例によっての3階席の正面である。

京都コンサートホールへ

 

 

京都市交響楽団 第691回定期演奏会

3階席の正面を取った

[指揮]沖澤のどか(常任指揮者)
[ピアノ]上原彩子★

プロコフィエフ:ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 作品26★
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシカ」(1947年版)

 12型編成で始まる1曲目は、上原の鮮やかな音色が冴える曲。また沖澤率いる京都市響の音色も実に鮮烈で煌びやかである。元々のプロコの曲自体は洗練されていない泥臭い部分も含んでいるのであるが、そういうところも含めて非常に明快で快活な演奏となっている。

 また改めて「京都市響ってかなり美しい音色を出すな」ということも感じさせられた。音色が美しくて安定感があるから、音楽が粒立ちが良くメロディが浮かび上がってくるところがある。結果として、私としてはあまり得意でないプロコでも最後まで厭きることなく楽しまさせてもらった。

 かなりの場内の盛り上がりに上原のアンコールはドビュッシーの子供の領分。短めのサクッとした曲であるが、十二分に歌わせて情緒溢れる演奏となっていた。


 後半は16型に拡大してのペトルーシカ。ストラヴィンスキーのやや軽めのバレエ音楽であるが、京都市響と沖澤の演奏はやはりかなり鮮やかで色彩豊かな演奏である。その音色はやはりこういうタイプの曲に非常に合致する。沖澤については以前からフランスものなどでの軽妙かつ洗練された演奏にその真価が最も現れる感があるのだが、実際にロシアの音楽と言うよりは、小洒落たフランスやラテン系の曲に聞こえるようなところがある。

 とにかく京都市響の演奏は、弦楽陣はしっとりと滑らかであるし、管楽陣は安定して良い音色を出す。やはり関西のオケの中では技倆面では頭一つ抜けていると感じさられるのだが、それを効果的に引き出すのが沖澤のポイントを押さえた巧みな指揮。常任指揮者に就任してからまだ2年目にして完全にオケを掌握してコントロールしていることが感じさせられる。

 広上の楽器として進化及び深化してきた京都市響であるが、それをさらに沖澤がそこにエレガントさを加えて洗練度を上げた感がある。この辺り、彼女の恐るべき才能を感じる。広上の推薦というのもやはりハッタリではないようである。