徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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白鷺館アニメ棟

年末最後は読響の第九

ようやく社会復帰です・・・

 先週後半にインフルエンザを発症、しばし高熱で寝込んだ挙げ句のようやくの娑婆への復帰である。今思えば月曜日の出張の帰り、電車内にあごマスクでゲホゲホと咳き込んでいる怪しい奴はいた。どうやらそのバイオテロに巻き込まれた模様。

 週末は38度を超える高熱でうなされる羽目になり、楽しみにしていた大フィルのブルックナーとかはバスせざるを得ないという苦渋の選択に。流石にこれ以上チケットの無駄が続いたら精神の方が持たん。週明けには完全に熱も下がったが、まだウイルスの排出があり得る人間バイオ兵器状態なので数日間は自主隔離。その後、処方されたタミフルも完全に飲みきったので、今日の読響公演はなんとか出かけることに。

 久しぶりの仕事を早めに終えると大阪へ。JRは事故とかでいきなり遅れが生じているが、それでも10分程度の遅れで大阪には到着する。読響公演はフェスだが、その前に夕食を摂る必要はある。とは言うものの、インフル以降は食欲は壊滅状態。軽めに済ませたいということで、エキマルシェの「えん」に立ち寄ることにする。

エキマルシェの「えん」

 今の私の食欲では出汁茶漬け辺りがちょうど。ただそれにしても高くなったもんだ。鯛出汁茶漬けで1200円。これもアホノミクス効果。自分だけが国富を囲い込む貧乏神なんかをトップに戴いたせいで日本は落ちる一方である。

高くなったものである

 夕食を摂るとホールへ移動する。毎度の事ながら読響の公演は観客が多い。ほぼ満員の入りである。

本日の演目

 

 

読売日本交響楽団 第40回大阪定期演奏会

14型のシンプル第九

指揮=フランチェスコ・アンジェリコ
ソプラノ=中村恵理
メゾ・ソプラノ=清水華澄
テノール=ダヴィデ・ジュスティ
バス=エギルス・シリンス
合唱=新国立劇場合唱団(合唱指揮=水戸博之)

ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」

 

 今年の第九はイタリアの新鋭・アンジェリコ。最初の一音から「あれ?」と感じたのが正直なところ。楽器の音が非常に分離が良くて美しく聞こえる。ただそれは良いんだが、この曲の第一楽章冒頭に見られるべき緊張感が皆無なのが気になる。この曲の特に第一楽章は運命の試練に迫られるかのような緊迫感があるのが通常なのだが、そういう空気は全く存在せず、とにかく美しくて温かい音楽。ラテン系と言えなくもないが、はて、この曲ってこんなにハートウォーミングで柔らかかったっけ?と頭の中がいささか疑問符で満たされる。人生のつらさ苦しさが押し寄せるよりは、クマさんのぬいぐるみでも飛んでそうな脳天気な世界になってしまっている。

 第一楽章でこの調子だから、いささか緊張が和らぐ第二楽章、第三楽章となると完全に平和そのものの音楽であり、闇の気配さえ感じられない。平和で美しいが少々退屈な音楽になってしまっている。

 当然最終楽章の解釈も変わってくる。苦悩の中から歓喜のフレーズが浮上、しかしそれを遮るように再び苦悩が迫ったところで「おお、このような旋律ではなく」となるはずが、そもそも最初から苦悩の影がないわけだから、明暗の対比が明確にないままに歓喜の歌に突入する形になる。おかげで音楽としてのメリハリが薄い。合唱団は流石に上手いし、ソリストも表現力豊か(テナーのジュスティに関してはいささか表現過多気味だが)ではあるのだが、それが十二分に効果を上げていない。

 そういうわけであるので、どうも最後までいささかメリハリに欠ける演奏という印象を受けた。陽性の第九を目指すならそれはそれでありなんだが、それならばそれなりの音楽の構成を出してくれれば良かったのだが、結局はそれが感じられなかったというところ。正直なところ、毛色を変えてきたら単にそれだけで滑ってしまったという印象である。


 残念ながらどうも最後までシックリこなかったというのが正直な感想。どうも今年の第九は関西フィルのは熱量不足、読響のは緊張感不足と言うことでいずれも趣味に合わずという残念な結果になってしまった。第九もマンネリ化はどこでも起こっているから、新趣向を狙っているのも分からないでもないが。


 今日は第九一曲なので早めに終了、今日は早く帰れるなと思っていたら、JRが車輌トラブルとかで止まっていて大阪駅で延々と一時間近く待たされる羽目になり、結局はいつもよりも帰宅が遅くなったという次第。まだまだ体調も本回復からは遠いのに、どうも散々である。今までも大概ろくでもない人生だったが、来年からはせめてもの好転を願いたいのだが、この調子だとさらにろくでもない展開が待ってるんだろうかなどと気が重くなる。