先日に続いてリハビリ山城攻略だ
先週、久しぶりに山城攻略に乗り出したところだが、この日曜日も続けて山城攻略に挑むことにする。今度は先日よりもさらにリハビリとなる本格的なものになる。
まず最初に立ち寄ったのは和気の北曽根城跡。山陽道の和気出口で降りると向こうにいかにもの山容が見えてくる。私がこの地の領主でもここの山上に城を構えるだろう。なおこういうタイプの山の常として、この山も「和気富士」と呼ばれているらしい。遠目に見ただけでも久しぶりの本格山歩きになりそうだが、とりあえず山の高さをザッと見たところで「攻略は可能」と判断する(体力と相談して最悪の場合は撤退も考えにあった)。

北曽根城、浦上宗景配下の城郭
北曽根城は別名名黒山城。戦国末期にこの地に勢力を誇った浦上宗景の家臣である明石景行が築いた城とのこと。その後に弟の宣行が跡を継ぎ、宇喜多氏の内乱で浦上氏を滅ぼして4500石を与えられたものの朝鮮の役で戦死、息子の久藏も関ヶ原で宇喜多氏に従って敗北したことで廃城となったとのこと。
車は駅前の駐車場(1日100円)に停めると、歩行者専用の橋を渡って対岸に。登山路は宇高建具点の向かいにあり、神社の奥から続いている。なおこの神社の鳥居が立っているが、裏側に宇高○○と書いてあったから寄贈したんだろう。宇高氏はこの地の名士なのかもしれない。



案内によると北曽根城までは700メートル。特別な装備はいらない初級コースとある。確かに道は険しいがキチンと整備されていて、足下はスニーカーでも不安はない。



ただ登りは険しい。岩山をひたすら登っていくのだが、身体がなまりきっている私の足腰がすぐに悲鳴を上げる。もう大分登ったかと思ったところで4合目の表示が心を砕いてくる。

5合目を過ぎて6合目の辺りから周りが岩場めいてくる。辺りが急に開けるので一番見晴らしが良いのがこの辺り。



8合目ぐらいになると大分城内という雰囲気になってくる。もしかして水場だったのではと思われる岩の隙間などもある。


ヘロヘロになって山頂に到着
そしてようやく山上に到着。山上は三段の曲輪になっていて、一番下は帯曲輪か。


その上の曲輪の方にテレビのアンテナが建っている。

その一段上が主郭であろうと思われる。そこそこの面積があるので建造物などを建てるには十分であり、いざという時のお籠もり城だったのだろう。ここには測量点と山上にはありがちな祠が。和気富士172メートルとの表示もある。その隣のむき出しの岩が一応山頂だろうか。とりあえずよじ登って山頂制覇はしておく(笑)。



北側には一段低いところに曲輪がある。回り込んで見てみると、奥に深い曲輪で周りは結構切り立っている。尾根筋沿いに奥の山に通じるルートはあるようだが、ここからは上級者コースだし私はハイキングが目的ではないので引き返す。ハイカーにとってはこの山頂はただの通過点に過ぎない模様。



見学を終えたところで慎重に降りてくる。久しぶりの登山で足がかなりヘロっているので要注意。特にむき出しの岩場のところなど、足を滑らせたり立ちくらみでもしたら洒落にならないことになる(多分命を落とす)ので、足下に注意しながらの行程となる。
無事に下まで降りてきた時には15時過ぎぐらい。日没までにもう一ヶ所回っておきたい。ここから北上すると目指したのは日笠青山城。まずは麓の長泉寺を目指す。
日笠青山城、浦上宗景と運命を共にした城
日笠青山城は浦上宗景の宿老であった日笠頼房の居城だったという。しかし1577年に宇喜多直家の攻撃によって落城したとのこと。これは宇喜多直家の攻勢で天神山城が落城した時で、頼房は播磨に落ち延びる宗景に護衛として付き従ったが、その後に播磨で不慮の事故で亡くなったとか。先の北曽根城と同様に浦上氏の興亡に巻き込まれた城である。

車は麓の長泉寺のところに置いて行くことにする。長泉寺からかつての大手道が山上まで通っているらしいが、事前の情報によるとこの道はかなり荒廃していて進むのが困難とのことなので、山道(と言っても車が通れる舗装道路である)を先に進んで尾根筋に取り付くことにする。



長泉寺を過ぎてかなり急な山道(車で登れないこともないだろうが、多分恐怖を感じそうな勾配)を登っていくと、尾根筋に登れそうな箇所が見えるのでここを進んでいく。

尾根筋には道とまでは言い難いが、一応は歩けるようになっているルートが通っている。これを城の方に向かって進んでいくが、ところどころ笹などが茂ってルートが怪しげなところがあるのが気になるところ。しばらく歩くと目の前に明らかに人工の深い堀切が現れる。この堀はかなり切り立っており、さすがに前の崖にとりついて登るのは不可能である。


倒木で進路を塞がれているが、それをくぐって回り込みつつ登っていくと広い削平地に出る。これは明らかに曲輪であるが、どうやらこれが北郭らしい。



ここをさらに進んでいくと、堀切を越えた先に神社らしき建物が見える。どうやらこれが主郭らしい。この周辺には多数の竪堀があるらしいんだが、正直なところ鬱蒼としているせいで私の目には識別が難しい。なんにせよ、かなり強固な防御を施されていたようである。実際にこの城はこの険しい地形と強固な防御によって、宇喜多氏の侵攻を1度は退けているようだ。





ここから回り込んで降りていった何やら送電施設のようなものがあるのが二郭か。


帰路で危うく遭難しかける
二郭の手前辺りから大手道らしき通路が延びているので、ここから先に進めるかを見るために少し降りてみる。しかし谷筋であるためか地面が水っぽくてぬかるんでいる上に、途中で進路を大量の倒木で塞がれて道が不明確になっていることから、このルートからの下山は断念、そろそろ日没も気になる時間にさしかかってきたこともあって、最初に来た尾根筋ルートで戻ることにする。


しかしこれも問題があった。北郭手前の堀切に降りるところまでは良かったのだが、その堀切を登った先で足下の鬱蒼とした笹林の中で道を見失ってしまったのである。往路でこの部分は道が分かりにくい上に方向転換もあるから危険だなとは感じていたのだが、目印などをつけてなかったことを後悔する。進んでみるが顔にさしかかる枝を折らないと行けない時点で方向を間違っているのは明らか。しばしグルグル回ることになる。
日没は近づいてくるし焦りも出る。一旦主郭に戻ってから、先ほどの大手道を強行突破した方が良いだろうかなどいう考えも頭を過ぎる。このまま日没を迎えて山上から助けを呼ぶという情けない上に迷惑千万なことだけは避けたい。何にせよとりあえず一旦引き返すことを決めて進んだところで、目の前に道らしきものを見つける。

そこを進んでみると最初の下の方の遠くにガードレールが見えて、最初の登り口の上に到達した。やっとホッとしたところである。山中の単独行で一番恐いのは不慮の事故で動けなくなること、次は道に迷うことなんだが、危うく遭難するところであった。これは反省する点も多々である。やはり用心を期すには、往路でポイントに何か目印を置いていって、帰りにはそれを回収しつつ戻るというのがベストだったんだが、帰路は大手道経由の可能性も考えてそのような目印を置かなかったのが失敗だった。せめて木に紐でも巻いていくなど、残していっても害にならないような目印を付けておくべきだったか。そう言う意味ではよく見かける先人が残したテープとかは助かるんだが(たまにルートを間違えていて混乱することもあるが)。
温泉に立ち寄ってから帰る
無事に車の所に戻ってきた時には日は西に傾いていた。疲れたし帰宅することにする。山陽道の和気IC目指して南下。その途中の川沿いで「和気鵜飼谷温泉」の看板を見る。そう言えば数年前にここを訪れたこともあったと思い出す。今日はややハード目の山歩きの上に、結構気温も高く頭からかなり汗をかいた。今日は温泉を想定してなかったので入浴の準備をしてないのだが、恐らくレンタルタオルぐらいあるだろうと手ぶら入浴で立ち寄ることにする。

鵜飼谷温泉は宿泊施設のようだが日帰り入浴客で賑わっている。泉質はアルカリ単純泉で40度以上の高温泉との表示はあるが、細かい泉質分析表は掲示されていない。施設は泡風呂である内風呂と露天風呂にサウナというシンプルな構成。内風呂の方は温泉感はあまりなくて新湯のような印象。ここで身体を温めてから露天風呂の方に入浴に行く。こちらはアルカリ泉らしくヌルッとした感触がある。ここでゆったりとくつろいで先ほどまでの足腰の疲労を抜いておく。特別に上質な湯というわけでもないが、まずまずの湯である。ただ湯は快適だったのだが、着替えを用意してなかったせいで汗でベタベタの服を再び着ないといけないことだけは心底悲しかった。
夕食も摂っていくことに
面倒臭くなって来たのでそのままここのレストランで夕食も摂っていくことにする。カツ丼が1050円。まあCPは仕方のないところだろう。味としては可もなく不可もなく。


ところでレストランの入口に「おかやま理大うなぎ」なるもの掲示が出ており、数量限定でひつまぶしもある模様。近大マグロは聞いたことがあったが、理大うなぎは初めて聞いた。後で調べたところによると、好適環境水なる特別な飼育水を使用して、通常の養殖よりも早く育てて脂の乗りも良いというものらしい。ただこの説明を見る限りでは、いわゆる完全養殖とは違って通常の肥育のように思われる。目下技術開発が急がれているのは完全養殖なのであるが。

こんなものがあるのなら、話の種に食べていけば良かったなと少々後悔しつつ和気を後にして帰宅する。
結局はかなり久しぶりの本格山城攻略と相成った次第。やはり足腰の疲労もそれなりにあり、まだまだ体力増強が必要であることが痛感されたのだが、同時に今回危うく遭難しかけたことで、体力だけでなくかなり勘も鈍っていることを痛感したのである。まだまだ全盛期に近いところにまで回復するのは道が遠そうだ(私は全盛期でさえ、決して人よりも頑強というわけではないのに・・・)。