久しぶりに大阪へ
怒濤のような一週間が過ぎ去り週末の休息である。今日は久しぶりに大阪まで遠征することにする。目的は大フィルの定期演奏会。つい先週に姫路まで大フィルを聴きに行ったところなので、大フィルの連チャンである。姫路では尾高による白鳥の湖というメジャー曲であったが、今回は同じく尾高の指揮でエルガーの「ゲロンティアスの夢」という「なんじゃ、そりゃ」という曲である。今期の大フィル定期は結構攻めたプログラムが多いが、尾高もエルガー趣味を露骨に炸裂させている。私には初めての曲なのだが、エルガーの曲はどちらかと言えば苦手なので心配である。
土曜の昼前に家を出るとJRで大阪へ。新快速は何かのトラブルで途中で止まりまくって、大阪に着いたのは予定よりやや遅れた時間。ゆっくりと昼食を摂っている時間もないし、PM2.5が派手に飛び交っているせいかそれとも疲労が溜まっているのか、体調も食欲も今ひとつ。仕方ないので移動ルートがてらの「ミンガス」に立ち寄り、カレーを食べる気力もないので「ざるそばのセット(860円)」を注文する。

おにぎりのにぎりが緩くて箸で挟むと崩れる難があるが、まあおにぎりと卵焼きはまずまずである。そばの方はやや太めのしっかりしたそば。食べ応えはあるが冷そばにはやや重い。恐らくこの麺なら温そばの方がしっくりきそう。

昼食を終えると地下鉄で肥後橋へ。ホールに直行する前に立ち寄るところがある。例によって私が個人的に「中之島キューブ」と呼んでいる美術館へ。

混雑に対する警戒と純粋にコスト削減目的で前売り券を購入していたのだが、案に反して美術館はかなり空いていて難なく入場が出来る。美術館に来る客が皆万博にでも向かったか? いや、その様子は全くない。なお私が全く興味のないもう一つの展示の方では、どうもチケットが時間指定制になっていた模様。もっともそちらも待ち客皆無であったが。

「生誕150年記念 上村松園」大阪中之島美術館で6/1まで

京都画壇を代表する美人画の大家・上村松園の作品を集めた大回顧展。出品作品は松柏美術館、名都美術館、光ミュージアム、京都市美術館などが中心。いずれも私は訪れたことのある美術館なので、実のところは見たことのある作品が少なくない。
さて上村松園の美人画は凜としたとか気品のあるとか表現されることが多い。その辺りはやはり女性画家が純粋に女性の美しさを描こうとした所以にあると思うんだが、男性画家が描いた場合に現れる男目線に対する媚びのようなものがないのが特徴となる。この媚びは男性画家でも鏑木清方や菊地契月などは比較的薄く、伊東深水などは濃く。竹久夢二になると露骨になる(あくまで私個人の感覚である)。これをどう感じるかで松園の美人画に対する評価は変わる。否定的評価の最たる物は「無機質で艶がない」というものであるが、私のように深水や夢二が苦手な者からは「品があって美しい」となるところである。


本展は松園の初期の作品から展示されているので、最初のやや模索が入っている時期から、名声を確立して確信に満ちて作品を製作している時期のものまで展示されているが、やはり段々と線などに迷いがなくなっていて、独自のスタイルが確立していることが分かる。


なお本展では松柏美術館が多数所蔵する下絵の類いも展示されているので、松園の模索の過程も覗うことが出来るようになっている。また松園には珍しい花鳥画もあったのが驚き。物量的にも十二分であり、上村松園の画業を堪能するに実に十分な見応えのある展覧会である。何か見て回るだけで心洗われた気分になれるのがこの人の作品のスゴいところ。


美術展の見学を終えるとそろそろ時刻なのでホールへ移動する。もう既に開場しているので直ちに入場、今日は少々暑いのでアイスコーヒーを頂きながら時間をつぶす。

コーヒーでクールダウンしながらこの原稿を執筆(ただし立ち席でのpomera使用は少々しんどい)、そのうちに時間になるので入場する。今回から新年度になるが私の席は以前と同じ。マニアックな曲のためか会員席にチラホラと空席が見える。

大阪フィルハーモニー交響楽団 第587回定期演奏会

指揮/尾高忠明
メゾ・ソプラノ/マリー=ヘンリエッテ・ラインホルト
テノール/マクシミリアン・シュミット
バリトン/大山大輔
合唱/大阪フィルハーモニー合唱団(合唱指揮:福島章恭)
エルガー:オラトリオ「ゲロンティアスの夢」作品38
ゲロンティアスの夢は詩人で神学者であったジョン・ヘンリー・ニューマンが記した、カトリックの信仰に基づく死後の案内的な作品のようである。それを自身もカトリックであって、作品に感銘を受けたエルガーがオラトリオ作品にしたとのこと。もっともプロテスタント系のイギリス国教会のイギリスではそのままだと世間の反発もあるので、カトリック独自の記述はかなり弱めてあるという。この作品の成功がエルガーの評価があがるキッカケになったとか。
要はバリバリの宗教曲であってその辺りは私が苦手とするところである。もっとも本作はその宗教要素を完全に除外しても、死に際して悩める主人公が信仰によって救済されるドラマとして成立する。音楽は極めて美しく、どうも曖昧模糊としたイメージのつきまとうエルガーにしては比較的明快な曲である。
ソリスト陣はなかなかの実力。主人公の悩める男・シュミットは、澄んだテノールでその心情を吐露し、彼を導く天使たるラインホルトはいかにも天使らしい純粋さを感じさせるソプラノである。そして所々でアクセント的に大山の安定感のあるバリトンが加わる。
大フィル合唱団もまずまずの歌唱で、尾高率いる大フィルの演奏も毎度の安定感であった。そういうわけでなかなかの演奏だったと感じる。もっとも私の苦手ジャンルというのは如何ともしがたく、本音を言うとあまりの美しさとありがたさで、私の魂も度々天界へと旅立ちしそうになっていたのではあるが。
それにしてもつい先週に尾高の大フィルで白鳥の湖に行ってきたところなので、大フィルはこの曲を数日で仕上げたということか。この辺りの対応力がプロとアマの根本的な違いなんだろう。アマは1つの曲を半年ぐらいかけて仕上げていくが、プロは基本的には楽譜を見た時点でそのまま弾けて、数回の練習で音楽としてまとめるだけの技倆がないと通用しないということになるのか。なお来週にはさらに大フィルはエッシェンバッハ指揮で第九をする予定。