METライブビューイングのためになんばに移動する
翌朝は8時に目覚ましで起床する。しかし体が異常にダルくてしんどい。しかしゴロゴロもしていられない。意を決して起き上がるとまずは朝食を取りにレストランへ。朝食は和定食と洋食を選べるようになっているが、和定食を選ぶ。

まあオーソドックスな和食である。可もなく不可もなくというところ。流石にメニューがいささか寂しくはあるが。
さて今日の予定だが、METライブビューイングのアンコール上映がなんばパークスシネマで11時半から。ここのチェックアウト時刻が10時で、10時ちょうどに住之江公園行きのバスが出るので、それに乗って移動の予定。とりあえずそれまでは朝風呂などで時間をつぶす。
10時前になったところで手早く荷物をまとめると清算を済ませてチェックアウトする。風呂などは充実していてなかなか良かったが、やはりワーキングスペースがない施設は私にはいささかツラい。次に利用することがあったら、そこの対策を考えておく必要がある。PCが使えないとなると、せいぜいが出来るのはpomeraでテキストを作成するぐらいか。テキストだけ作成しておいて、どこかPCを使えるスペースでざっとまとめてアップするしかないが、これも結構手間である。
チェックアウト時刻が10時なのでバスが混雑しないかが懸念されたのだが、案に反して乗客は私一人。どうやら思いのほか車の利用者が多いようである(場所を考えたら当然ではある)。10分ちょっとでバスは住之江公園に到着すると、ここで私と入れ替わりに十数人が乗車してくる。どうやら朝からの利用者が多い模様。
なんばパークスまでは大国町で御堂筋線に乗り換えるとすぐ。ただパークスシネマは一番南端なので結構歩く必要がある。この辺り、やはり立地的には大阪ステーションシティシネマなどと比較すると圧倒的に不便。

劇場到着は11時前。しばし待ってから入場。入場客は十数人というところでガラガラと言って良い状態。再上映なのでもう既に見ているファンも多いだろうし、そもそも今回のアンコールがあるということのアナウンスもあまり大々的ではなかったし。
METライブビューイングアンコール ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:オットー・シェンク
出演:ミヒャエル・フォレ (ハンス・ザックス)、ヨハン・ボータ (ヴァルター)、 アネッテ・ダッシュ (エファ)、 ヨハネス・マルティン・クレンツレ(ベックメッサー)、ハンス=ペーター・ケーニヒ (ポークナー)、カレン・カーギル (マグダレーネ)、ポール・アップルビー (ダフィト)、 マシュー・ローズ (夜警)
休憩時間を含めて上演が6時間近くという、ワーグナーの単独作品としては最長の大作(連作なら大作「指輪」などがあるが、各回単独だとこれよりもいずれも短い)である。作品自体はワーグナーにしては比較的軽めの作品で、愛を賭けてマイスターたちの歌合戦に参加する若き騎士の物語である。
騎士ヴァルターはニュルンベルクの町で金細工師の娘エファと恋に落ちる。しかしエファの父は間もなく開催される歌合戦の優勝者に娘と財産を与えると宣言してしまい、エファと結ばれるためにはヴァルターは歌合戦で優勝する必要に迫られる。しかしマイスターの間で定められている歌に関する規則を知らないヴァルターの歌は、エファとの結婚を狙うベックメッサーの妨害もあって酷評を浴び、マイスターへの昇格試験に失格してしまう。
エファの父のポークナーの友人であり、靴職人のザックスはそんなヴァルターに才能を感じ、明日の歌合戦で彼が優勝できるように指導をする。実は彼もエファのことを愛していたのだが、エファがヴァルターに惹かれていることが分かっている彼は、エファへの思いを諦めて二人の幸福を叶えるために影で助力する。そうして歌合戦の当日を迎える。
大体のストーリーはこの通りで、最終的にはヴァルターは見事に歌合戦で優勝して目出度し目出度しとなる大団円。ストーリー展開は軽妙で悪役と言えるベックメッサーは歌合戦で大恥をかいて退場になるという落ちが付くことになる。
さて音楽の方であるが、例によってワーグナーの音楽はヴェルディのような単純なメロディではなく、実のところ節回しなどは難解な部分がある。ただ基本的に作品が喜劇的なのと、ヤンヤン歌う歌合戦がテーマということがあり、指輪などのような分かりにくい作品ではない。
ヴァルターのボータは純粋でありやや直情的な青年を好演しており、エファのダッシュも可憐な乙女を見事に演じている。そして本作の主役であるザックスのフォレは堂々たる存在感でザックスの苦悩も演じ、さすがの安定感を見せている。また嫌な奴のベックメッサーのクレンツレのマヌケっぷり全開の演技が作品に軽妙さを与えている。
指揮のレヴァインは流石に作品を知り尽くしており、ツボを押さえた安定感のある演奏をしている。この辺りは流石。それだけにレヴァインがあのような末路を迎えることになったのは何とも残念であるのだが。
なお作品を通してワーグナーのメッセージのようなものも垣間見える。マイスターたちの雁字搦めの規則に窮屈さを感じて批判的なヴァルターの態度や、それに共感しつつも伝統の重要性も認識しているザックスは音楽の変革を目指していたワーグナーの抱えていた葛藤の反映のようにも見える。ただラストでマイスターになることを拒絶するヴァルターに対して、伝統を決して軽視するべきではないとザックスが説得するところを見ると、ワーグナー自身もある程度そこに折り合いをつける気になった模様。もっともその後にドイツ主義的な演説が続いてしまうのは、ワーグナーの考えがもろに滲んでいるのだが、これをセリフで訴えてしまうのはいささかダサいし正直引いてしまう。
これで本遠征の全日程は終了。JRで帰宅するのである。