徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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白鷺館アニメ棟

神戸の大ゴッホ展を堪能してから、アンサンブル金沢のコンサートへ

神戸のゴッホ展へ

 今週は飛び石休。仕事が体にキツいのでこういうのは助かる。なお昔なら赤と赤にはされると赤になるの法則で、月曜日も休みにしてぶち抜きでどこかに出かけたところだが、今の私にはそれだけの体力も資金力も年有休暇の残りもない。昨日は年休取得者が多くて閑散としたオフィスで、孤独に仕事に打ち込んでいたところである。

 先週は週末遠征に平日は仙台出張まであったので体の負担は結構ある。年を考えるとこういう日は家でおとなしくゴロゴロしているべきなんだが、それはそれで精神が参ってくるという困った性分。この日もコンサートの予定を入れている。

 ちなみにコンサートに出かけるとなると、ついでを入れるのが私の毎度のパターン。今回のコンサートは大阪で開催されるアンサンブル金沢のものだが、その前に神戸に立ち寄って神戸市立博物館で先週末より開催されている「大ゴッホ展」を鑑賞していくことにする。

 ゴッホと言えばキラーコンテンツの一つ。特に休日は混雑が懸念されると言うことで、土日祭日だけは日時指定の前売り券が販売されている。今日の遠征はかなり前から計画済みだったので(「私はいつも用意周到なの」という脳内浜辺美波の声が)、本日の10時半からの分の時間指定チケットを確保済みである。

 予定よりもやや早めに家を出たこともあって、三宮に到着したのは9時半過ぎ。そこからプラプラと三宮の町を博物館まで散策する。やがて博物館が遠方に見えてくるが、どうも博物館前がとんでもないことになっている模様。なおこの時点で10時前だったのでここで待たされるのは嫌だなと思ったが、入り口に「10:30-のお客様入場中」の看板が出ていたので入場できる。

博物館前は既に行列が

 開催直後でまだ宣伝が行き渡っていないのが幸いしているのか、混雑はあるものの私が想定していたほどの最悪の状況ではない。内部の混雑を避けるために改札規制がかかっているようで入口前で数分待たされるが、10時頃には入場できる。場内は過剰な混雑もなく普通に見て回れる状況で、改札規制は正解だろう。もっとも会期末までこの状態が保たれるかは疑問(というか、主催者側としてはもって大勢来てほしいだろう)。

 

 

「阪神・淡路大震災30年 大ゴッホ展 夜のカフェテラス」神戸市立博物館で'26/2/1まで

 ゴッホがまだ無名な頃から注目してコレクションに加えてきたというクレラー=ミュラー美術館の所蔵品でゴッホがゴッホとなっていった課程を追う展覧会である。なお2027年には第2期として「アルルの跳ね橋」をメインにゴッホの人生後半の画業に迫るとしている。

 最初に展示されているのは、ゴッホが影響を受けたというバルビゾン派やハーグ派の画家たちの作品。ミレーの作品が2点展示されていたのが注目。やはりミレーは良い。落ち着いた農民画である。この後にゴッホの初期の作品が登場するが、その色使いを見ているとミレーらに影響を受けたのは明らかである。

 次に来るのはゴッホが農民画を描いていた頃の作品群。またデッサンの練習のために大量に描いたスケッチの類いも登場する。細かくミッチリと書き込んだスケッチを見ると、細かい点に稚拙さが窺える作品もあったりするが、ゴッホがかなり必死でデッサンの練習をしていたことが窺える。なおゴッホによるとデッサンの歪みは、写真のように描いたのでは動きが感じられないので、意図的に歪めてあるとのことである。まあこの辺りは様々な見解もあろう。

 ただしこの辺りまではまだゴッホがゴッホになっていない時期ともいえる。バルビゾン派の影響を引きずるその色彩はどす黒くて陰鬱で、後のゴッホの色彩爆発とは似ても似つかない。恐らくゴッホの画業がこの頃に終わっていたら、ゴッホはバルビゾン派周辺の無名画家として埋もれてしまっていただろう。

 やがてゴッホは印象派の画家らとの交流なども重ね、その影響を受けていく。その過程で色彩が爆発していくことになる。会場には当時のルノワールやモネ、ピサロらの作品が展示されているが、その明るい色彩はゴッホに影響を与えるに十分だったろう。実際に1885年の「秋の風景」辺りから本格的に色彩が登場するようになる。

初めて色彩が登場し始めた「秋の風景」

 また後期印象派のスーラなども含まれており、実際にゴッホは独自の点描画法に至ることになる影響を受けたと考えられる。ゴッホは自身が直接に印象派に加わることこそなかったが、交流をしていたのは間違いない。なおゴッホの評によると「マネは世間で評価されているほど優れた画家とは思えない」「モネの風景画、ドガの人物画は素晴らしい」とのことのようである。

 パリに出てきたゴッホは花瓶の花などの静物画を量産するが、この時に色彩の研究を重ねることになる。なお静物画に取り組んだのはモデルを雇うだけの金がなかったからとのことである。

野の花とバラのある静物

石膏像のある静物

 その後、より鮮烈な色彩を求めたゴッホはアルルへと移動する。このアルル時代に描かれた代表作が本展の目玉ともなっている「夜のカフェテラス」となる。ゴッホはこの風景の星空に魅了されたとのことで、このような星空は後の作品にも登場しており、まさにゴッホがゴッホになった瞬間だったと言える。

夜のカフェテラス

 

 

 1時間弱ほどで見学を終えて会場を後にする。ゴッホ展と言えばつい最近に大阪でも開催されたところなので、必然的にそれと比較することになるが、展示作としては初期作品に絞られていたのが本展の特徴。ゴッホの家族の絆というテーマを正面に出していた大阪でのものと違い、オーソドックスにゴッホがゴッホに至った道を紹介していたので、私としては本展の方がしっくりくる。ただいわゆるいかにもゴッホらしい絵が少ない(目玉として展示されていた「夜のカフェテラス」以外は地味な絵が多い)ので、一般受けとしては大阪でのものの方が良いだろうという気はする。

www.ksagi.work

 なお今どきの美術展の常として物販コーナーはかなり充実。私も絵葉書などを購入する。ちなみに物販コーナーに入場時にはチケットの呈示が求められるが、これは転売ヤーなどへの対策だという。拝金主義に取りつかれたつまらない輩のせいで、関係ない多くの者が不利益を強いられる今の世の中は明らかにおかしい。立法を含めた本格的な転売ヤー対策が必要とされるところである。

充実した物販コーナー

 

 

とんぼ玉ミュージアムに立ち寄る

 展覧会の見学を終えると、さらに混雑の度合いを深めている美術館前を抜けて、駅に向かってプラプラと歩く。ただ時間的に余裕があるので途中にあるとんぼ玉ミュージアムを覗いていくことにする。ミュージアムはビルの2階に入居している。

とんぼ玉ミュージアムはビルの2階

 とんぼ玉ミュージアムではとんぼ玉を中心に、様々なガラス工芸品を展示している。最初にはガラスの歴史のような展示もある。

歴史的ガラスの展示

 そして現代の作家によるガラスの銘品たち。とんぼ玉ミュージアムらしくガラス玉の中に細工をしたものなどがあるが、その細工の精細さは圧巻。

とんぼ玉の作品群

細工の精密さに圧倒される

動物を意識したとんぼ玉

 さらには楽しいガラス彫刻もある。個人的には都昆布やどかりはかなり笑える。

なかなかに楽しいガラス細工

都昆布が一番笑える

 またゴッホ展とのタイアップ企画として、ミクロモザイク作品(小さなガラス片を組み合わせた作品)による「夜のカフェテラス」が展示されている。

夜のカフェテラス

 ガラス細工製品の展示などもあったが、展示室自体は決して大きくなく(展示物も小さいので、展示点数は結構あるが)、どちらか言えばガラス細工制作の体験工房などの方が中心のミュージアムの模様。ちなみに私は学生時代に化学部でガラス細工は経験済み(当時の化学者は実験器具は基本的に自分で作るものであった)なので、ある程度は出来るという自信はあるが、今更それをする気もない。

 

 

 ミュージアムの見学を終えると駅に向かって散策。これからザ・シンフォニーホールまでの移動だが、途中でさんちかに立ち寄って昼食を摂っていくことにする。表通りにはこれという店がないのは分かっているので裏通りを散策。実は頭の中にイメージしていた店はあったのだが、なんとそこは閉店してしまった模様。そこで近くに「森のなかまたち」なる洋食屋を見つけたので入店することにする。チキンカツとローストビーフの日替わり定食(830円)を注文する。

さんちか裏通りの「森のなかまたち」

 ニンニクの効いたローストビーフはなかなか美味い。ただチキンカツは胸肉使用だと思うが、やはり肉質が淡泊に過ぎ旨味が薄い。味の薄さを濃いめのソースでカバーしているのだろうと思うが、やはりそれだけでは誤魔化しきれないところがある。

私にはいささかボリューム過剰

 ボリュームが多いこともあり、全部は食べきれずに店を後にする。CPは悪くないし若者がガッツリ量を食べるには良いだろう。ただ年と病気のせいで食事量が低下し、量よりも質を重視の方向に向かっている私には残念ながらマッチしない。

 

 

 昼食を終えるとザ・シンフォニーホールのある福島への移動だが、時間にやや余裕があることから阪神で移動することにする。やはり阪神は特急はともかく、普通列車は駅間が狭いせいもあって異常に遅い。尼崎で乗り換えてから福島までがとにかく長い。

 福島で降りてからホールに到着したのは開場15分前ほど。入口前に詰めても仕方ないので近くの公園で待機していようかと思ったら、ちょうどタイミングを合わせたかのように雨がぱらつき始めたので雨宿りをかねてホール前へ。結局は入口前の行列に並ぶことになる。

 開場するととりあえず喫茶へ。アイスコーヒーと高級サンドイッチで一息。やっぱり人間は一度堕落すると戻れないようだ。ところで本当はサンドイッチセットよりもケーキセットの方が良いんだが、ケーキ販売の再開はあるんだろうか?

毎度のように喫茶で堕落タイムを送る

 サンドイッチをつまみつつ、pomeraで原稿作成をしていたらロビーの方がザワザワとし始める。振り返ってみたらどうやらロビーコンサートをする模様。こういうのは関西のオケではなかなかない趣向である(今まで遭遇したのは新日フィルに札響ぐらいか。九響もあったっけ?)。弦楽四重奏でしばしくつろぐ。

ロビーコンサートが始まった

 そのうちに開演時刻が近づいてきたのでゾロゾロとホール入り。客席の入りは大体7~8割というところだろうか。まずまず入っているとの印象。

 

 

オーケストラ・アンサンブル金沢 大阪定期公演

やはりアンサンブル金沢は小編成である

[指揮]広上淳一
[ピアノ]トム・ボロー
[管弦楽]オーケストラ・アンサンブル金沢

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 「皇帝」 op.73
ベートーヴェン:交響曲 第6番 ヘ長調 「田園」 op.68

 アンサンブル金沢の編成は8-6-4-4-3型の2管編成ということで、室内オケ以上一般オケ以下という微妙なサイズである。小編成であることからそのアンサンブルの良さを前面に出した演奏となるところであるが、ホールの音響効果も活用することで決してこじんまりとした演奏にはならないのがこのオケの特徴。

 一曲目の「皇帝」だが、ピアノのボローの演奏がどちらかと言えば軽妙でオーソドックスなものであるので、今一つ重厚感がないという気がしないでもない。新進気鋭の若手イケメンピアニストとくれば、もう少し演奏に甘さやもしくは我の強さのようなものが出てくるのが一般的であるが、今回聞いた限りでは彼の演奏はオーソドックスなものであり、殊更わざとらしい揺らしやタッチの極端な変化というものは感じられなかった。その結果として安定感はあるのであるが、いささか地味な演奏というのが正直な感想である。

 バックのアンサンブル金沢も、ソリストに合わせてオーソドックスに音楽をまとめてきた感があり、安定感の方が表に出た感じの演奏。結果として「魂揺さぶられる」というような感覚はない。

 後半は田園。アンサンブル金沢の編成を考えると、最近の流行の一つとなってきている室内楽的田園で来るかと思っていたが、広上の指揮は普通に14型オケなどと同じような振り方をしてきている。また流行のノンビブのピリオドアプローチなどは取らず、オーソドックスにモダンアプローチである。

 その分、広上らしさは随所に現れている。とにかくゆったりと構えて振幅のあるロマンティックな演奏。音色を膨らませることに留意しているように感じられる。多彩で豊かな音色で音楽を組み立てていく印象。

 第2楽章なんかはまさにそのような広上のスタンスが端的に現れ、彼の指揮姿自体もネットリヌットリのいわゆる広上のタコ踊りが全開となる。非常に情緒豊かな音楽世界が繰り広げられる。

 舞踏的な第3楽章を経て、怒涛の第4楽章。ただここに来ると8型という弦楽陣の物理的制約の限界があり、ティンパニがドンガンやると弦楽陣の音がほとんど聞こえてこないという局面があり、これは若干気になったところ。そして雨上がりの爽やかな第5楽章となって、音楽は極めて爽快な気分のまま終了である。

 ホール内はまずまずの盛り上がり。その好評を受けての広上は「一曲だけ」とのゼスチャーを見せてからアンコールを演奏。これはビゼーのアルルの女からアダージェットという弦楽中心の美しい曲。こういう曲になるとアンサンブル金沢の弦楽アンサンブルの技術が披露される曲になる。

 しっとりと曲を終えたところで、いきなり広上が全く違う曲調の曲を続けて演奏を始める。「?」となっていると、そのうちにどこかで聞いたことがあるような旋律が・・・というわけで始まったのは広上版「六甲おろし」。大阪でこれは反則技というものである。場内は奇妙な盛り上がりに。流石にお祭り男広上淳一である。そう言えば広上は2年前にもこれをやったっけ。その時とはまたアレンジが変わっている気がする。

 というわけで何だかんだで盛上がるコンサートにはなったのである。北陸の雄・アンサンブル金沢は今年もその技量のほどを披露してくれた。