徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

小出楢重展を鑑賞してから、大フィルの定期演奏会はダウスゴーによるご当地ニールセン

大フィルの公演の前に美術館へ

 翌朝は目覚ましをかけた7時半まで爆睡。目が覚めても体がすぐには動かず、しばしゴロゴロしてからの起床となる。老化に伴って目覚めが悪くなっており、やはり朝一番からエンジン全開とならない悲しさ。

 ようやく起き上がるととりあえずはさっさと着替えて朝食に。朝食は例によって近くの「喫茶 京」へ。アイスコーヒーとミックスサンドを注文する。しめて1050円・・・ん?値段が上がった気がするが・・・まあこの内容でこの価格だと不満はないが。

近くの「喫茶 京」に立ち寄る

アイスコーヒーとミックスサンドを頂く

 朝食を終えて部屋に戻ってくるとチェックアウトの11時までシャワーを浴びたり、原稿作成したりなどで時間をつぶす。

 11時になるところでチェックアウト。さて今日の予定だが、メインはフェスティバルホールで開催される大阪フィルの定期演奏会。これが15時からなので、それまでに美術館を2ヶ所立ち寄る予定。

 1ヶ所目は天王寺の大阪市立美術館。「NEGORO展」が開催されているのでこれに立ち寄る。

流石にこの地味な出し物だと行列とかは皆無

 

 

「NEGORO 根来-赤と黒のうるし」大阪市立美術館で11/9まで

美術展案内

 古来より根来寺周辺では朱塗り器の生産が行われていたようである。そのことからこのような漆器は「根来」と呼ばれて各地に広がったとのこと。その根来の漆器について紹介する展覧会。なお朱塗り漆器の中には宗教的意味を持つものも少なくなかったようだが、赤という色が目に映える上に血の色であり、顔料の朱は腐敗防止作用を持つ水銀を用いることを考えると、これらが宗教的意味に容易に結びついたのは想像に難くない。

展覧会の表題にもなっている輪花盆

 とはいうものの漆器という性質上、形態的にそう奇をてらったり趣向を凝らしたりというものがあるわけではなく、あくまで日常使用品の延長線でしかない。いわゆる民藝的な美をそこに見出す向きもあるだろうが、私はそこまで高尚な趣味の持ち合わせがない。また朱漆が剥げてきて素地の黒漆が見え始めているという風合いの変化をわびさびとしてとらえられるほどには私はまだ枯れておらず、どうしても古ぼけただけに見えてしまう。

 というわけで私的には残念ながら今一つピンとこない展覧会であったというしかない。まあこういうこともちょくちょくある。

 

 

 特別展を見学した後は、ついでに常設展の方を回ってみる。最初の展示室はアジアの石像だが、中国の隋代の鳳凰像なんかが面白い。

隋代の鳳凰像と南北朝時代の簫楽天像

 次の展示室は古代中国の青銅器。泉屋博古館でも見たような獣型の酒器や香炉など、さらに定番の鏡類も展示されていて面白い。

西周の獣頭じこう(儀式用注酒器)

隋唐時代の銅鏡

六朝時代の香炉

 次はカザールコレクションから根付や印籠など。こういう細かいところに細工を凝らすのはいかにも日本的。芸術的価値も高いので外国人がコレクションするのは理解できる。

日光東照宮牙彫印籠

カザールコレクションの根付収納箪笥

 

 

 一番面白かったのは煎茶道に関する展示。江戸時代までのいわゆる茶道は葉をすりつぶした抹茶を使用していたのに対し、江戸時代の初めに中国から茶葉をお湯で煮出す煎茶が伝わり、最初は黄檗宗の僧らが行っていてものであるが、それが文人らの間に広がっていったという。

隠元が使用していたと伝わる白泥涼炉

 煎茶の普及に大きく貢献した人物に売茶翁がいる。京で煎茶を売り歩きながら禅の精神を説いた彼は、池大雅や伊藤若冲らとも交流があり、煎茶が広く普及していくきっかけともなった。後にこれらの煎茶の淹れ方などは体系化されて煎茶道として成立していくことになる。

伊藤若冲による売茶翁像

売茶翁はこの旗を掲げていたとか

今に伝わる売茶翁の茶器

 本展では売茶翁が用いた茶器や若冲による売茶翁の肖像などが展示されている。なお売茶翁は先のライジング若冲でも重要人物として登場していたが、こうして見るとなかなかに上手く本人の雰囲気を再現していたと感じる。さすがにNHKの正月ドラマだけあって、単なるBLドラマでは終わらないキチンとした描写もあったようだ。

江戸時代に花月庵で持ち入れられた急須

色絵紫陽花文重鉢

 煎茶道は現代にまで引き継がれていて、茶器なども多数展示されている。これはなかなかに面白かった。


 というわけで特別展の方は今一つで、常設展の方が私には楽しかったということになった。まあこんなこともたまにはある。

 

 

 美術館を後にすると移動だが、肥後橋まで移動してしまうと昼食を摂る店があまりない。それにとにかくしんどいので店を探してウロウロするのは嫌。というわけで天王寺駅の地下にある「心斎橋ミツヤ」に入店することにする。

天王寺駅地下の心斎橋ミツヤ

 注文したのは大した工夫もなくランチメニューを。ハンバーグ、とんかつ、エビフライのランチに追加でカキフライを一つつける。これにスープとライスを追加。

 最初はコーンスープ。まあ普通のカップスープである。

普通にコーンスープ

 続いてメインの料理が。ボリュームはまずまずであるが、残念ながら現在の私はボリュームよりは質に重点を置きたいところ。味についてはまあ普通というしかない。悪くはないが特別に美味いと感じるわけではない。ただこれで1500円ほどなら場所を考えるとCPは良いだろう。実際に私が店を出た時(正午過ぎ)には店の前には行列ができていた。

比較的ボリュームのあるランチ

 大フィルの公演はフェスティバルホールで15時から。そこで肥後橋に移動すると、そこから15時までの間に最寄りの美術館に立ち寄ることにする。私が個人的に「中之島キューブ」と呼んでいるあそこである。

中之島キューブ

 

 

「小出楢重 新しき油絵」大阪中之島美術館で11/24まで

 近代日本洋画壇の代表的な画家である小出楢重の四半世紀ぶりの大規模回顧展とのこと。小出楢重は独特の油彩画で知られ、特に静物画や裸婦像が有名。「裸婦の楢重」と言われるぐらいその裸婦像は有名である。

 大阪に生まれた楢重は油絵に魅力を感じ、画家になるべく東京芸術学校を受験したが、準備不足のために本命の西洋画科に不合格となり、最初は日本画科に入学したとのこと。その頃の作品と思わる作品が展示されているが、かなりカッチリとした作品。

美術学校時代に描いた出山釈迦図

 その2年後、当初からの志望であった西洋画科に転科、西洋画家としての修行を開始する。この時代の作品は後の片鱗は伺えているが、まだ伝統的な作風ともいえる。

自画像

銀扇

池畔初夏

 美術学校卒業後、大阪に戻った楢重は文展への応募を続けたが落選が続くなど不遇の時代を送ることになる。しかし「Nの家族」が二科展で評価を獲得したことが転機となる。そして1921年に渡欧、正味5か月ほどの短期滞在だったようだが、これが彼の画風に劇的な変化をもたらす。それまでの厚塗りの野暮ったい作風から、薄塗りを重ねる鮮やかな色彩へと変化し、これがいわゆる楢重スタイルの確立になった。

N婦人像

静物

パリ・ソンムラールの宿

 

 

 帰国後は二科展などで活躍する

帽子のある静物

貝殻草

地球儀のある静物

 1924年、楢重は大阪で信濃橋洋画研究所を鍋井克之、国枝金三、黒田重太郎ら同志と設立、戦前の関西洋画壇を牽引していくことになる。これらの関連画家の作品の紹介のコーナーが続くが、当時の関西洋画壇の空気が良く分かる。

国枝金三「都会風景」

松井正「都会風景」

鍋井克之「春の浜辺」

黒田重太郎「静物・デッセール」

田村孝之介「裸女群像」

高岡徳太郎「巴里」

 

 

 その後の楢重は芦屋にアトリエを構えて円熟した画業を重ねていくことになる。しかし43才で夭折、「枯れ木のある風景」を絶筆としてその画業を唐突に終えることになってしまう。

卓上静物

菊花

帽子を冠れる自像

遺作となった「枯木のある風景」

 最後には「裸婦の楢重」と言われた楢重の裸婦像を集中展示。画風は共通していてもその描き方は様々であることを感じさせる。

様々なパターンの裸婦像

 

 

 楢重展は以上であるが、本展では付属として同館が誇るモディリアーニ、佐伯祐三などのコレクションを展示。流石に選りすぐりの名品だが、私的にはシャープなキスリングの作品が好み。

モディリアーニ「髪をほどいた横たわる裸婦」

佐伯祐三「郵便配達夫」

藤島武二「カンピドリオのあたり」

キスリング「オランダ娘」

パスキン「腰掛ける少女」

 以上、正直なところ小出楢重は私の好きな画家ではないが、こうやって年代を追った回顧展を鑑賞することでこの画家に対する理解を深めることが出来、彼の作品に対する考え方も若干は変化した(とは言っても、あまり好みのタイプの画家ではないことは変わらないが)。彼の同志であった黒田重太郎の絵画も私はあまり好きでないことを考えると、どうも信濃橋系の作品とは相性があまり良くないようだ。


 美術展の鑑賞を終えた時には既に14時を回っていた。もう開場時刻になっている。ホールへと急ぐことにする。

今回の出し物

 

 

大阪フィルハーモニー交響楽団 第591回定期演奏会

指揮:トーマス・ダウスゴー
クラリネット:ダニエル・オッテンザマー

ニールセン:序曲「ヘリオス」作品17
ニールセン:クラリネット協奏曲 作品57
ニールセン:交響曲第4番「不滅」作品29

 

 日本では決してメジャーとは言いがたいデンマークの作曲家ニールセンの作品を、デンマーク出身の指揮者ダウスゴーがニールセン国際クラリネットコンクール入賞経験のあるオッテンザマーをソリストに迎えてのいわゆるご当地ものになる。

 デンマークは陸地でドイツと国境を接しているが、半島と島嶼部を含めた海洋国家であり、海峡を隔ててスウェーデンやフィンランドと接するというその立地的にも北欧国家に分類されることになる。またニールセンの生年はフィンランドを代表する作曲家であるシベリウスと同年の1865年であり、ノルウェーを代表する作曲家であるグリーグよりは20年ほど後になる。

 そういうわけであるので、ニールセンの音楽はドイツ・オーストリア系のものよりも北欧系のものを思わせる響きを持っている。ただその音楽自体はやや難解なところがあり、私自身も耳慣れないこともあって、一曲目に関してはよく分からないうちに終わってしまったという印象。

 二曲目のクラリネット協奏曲は、オッテンザマーの独特の演奏が前に出る。決して旋律的とは言い難い音楽を、オッテンザマーはややくぐもったところもあるように聞こえる独特の音色で展開している。流石にニールセンの音楽に対しての深い理解があるのだろう。その演奏はニールセンの音楽に対して理解がほとんどない私には完全には把握できない点が多々ある。演奏は素晴らしいものだったのだろうが、残念ながら私には現在のところは曲自体があまり面白く感じられない。

 休憩後の交響曲は私も一応数回は聞いたことがあるので比較的理解しやすい。荘厳さと荒々しい派手さが共存しているような独特な曲であり、クライマックスのティンパニ大乱打などは下手をするとやかましいだけのから騒ぎになる危険もあるので、ダウスゴーは野卑に落ちない演奏に配慮していたように感じられた。


 正直なところ私のニールセンに対する理解が浅いために、なかなか理解しきれなかったというのが本音のところ。決して嫌いなわけではないのだが。

 

 

この遠征の前日の記事

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