徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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白鷺館アニメ棟

アール・デコ展とビュフェ展の後はプラハフィルでド定番の「新世界」を

2日続けて大阪出陣

 昨日に続いて今日も大阪遠征である。昨日は本来なら大阪で一泊するところを家の事情で帰ってきたのだが、やはりそれだけ疲労がある。とりあえず出来るだけ無理は避けたい。

 今日行くのはプラハフィルのコンサート。指揮は日本でもなじみのあるスワロフスキーである。昨今のチケット価格高騰で外来オケは軒並みパスだったんだが、本公演は最安席がかろうじて予算内に収まったことから確保した次第。また以前から言われる「チェコのオケに外れなし」に期待したこともある。

 午前中に家を出るが、昨日同様に今朝も雨天で傘を持っていく必要があるのが鬱陶しい。とりあえずJRで大阪まで移動すると例によってコンサート前に美術館である。今回は肥後橋周辺の2館をはしごする。まずは先週に続いて中之島キューブへ。

2日続けての中之島キューブ

 

 

「新時代のヴィーナス!アール・デコ100年展」中之島美術館で'26.1.4まで

現在の出し物

 アール・デコは第一次大戦後の 1910年代から1930年代にかけて、新しい芸術潮流として世界を席巻した(アール・デコを訳すると装飾美術とか)。それ以前のアールヌーヴォー(訳すると新芸術)のクネクネとした生体的な装飾と異なり、簡潔で工業デザインを意識したものであることが最大の特徴である。ガラス細工の世界で言えば、キノコやトンボなどをモチーフにして流線型デザインを使用したエミール・ガレがアールヌーヴォーの代表。簡潔でスッキリとして工業的大量生産も意識したルネ・ラリックがアール・デコになる。

 本展ではやはり当時の雰囲気をよく伝えるポスターなどが中心で、さらには宝飾品やガラス工芸品、衣装から車までを展示している。また「アール・デコと女性」というのがテーマであるとか。確かにアール・デコの時代は女性の社会進出が始まってきた時代でもある。

サカロフ夫妻のダンスのポスター

ポーランド総合博覧会

プレッサ展ポスター

 またこの時代は自動車の量産化による普及、飛行機、鉄道、船舶などの交通手段の発達で世界が結びつき始めた時代でもある。このような車のデザインもアール・デコが取り入れられた。

クラシックカー(BMWらしい)

同じくBMWのロードスター

ルノーのポスターも格好良い

鉄道旅の宣伝ポスター

 

 

 そしてやはりアートと言えばファッションである。直接的なファッションデザインだけでなく、女性向けの化粧品な小物類、さらにはその宣伝ポスターまでがアール・デコの世界となる。

ヴィオレ社、2枚の切り札

ヴォーグの香水

イヴニング・ドレス

ラリックによる香水瓶及びパウダーボックス

 また女性の社会進出により、経済的に自立した女性たちはレジャーなどを楽しむようにもなる。この時代には鉄道網などが整備されていたので、これらを使ってのレジャーが女性をターゲットにしたものとして登場する。

ローランサンが書いたパリの夜会

鉄道でウィンタースポーツへという宣伝ポスター

 

 

 この時代に登場した時代の寵児が、人気女優となったミスタンゲットだという。パリ中の劇場でショーを掛け持ちしたという彼女の特徴的な顔を描いたポスターも多数ある。どうもアール・ヌーヴォーにおけるサラ・ベルナールのような位置づけにいたようである。

ミスタンゲット

同じくミスタンゲットだが、これは顔の特徴をかなり強調

同じくミスタンゲット、これは漫画的

 ちなみにアール・デコ博に参加しなかったアメリカであるが、当時の摩天楼はまさにアール・デコ様式を体現したものであったという。また多くのアメリカ人が海を渡ってアール・デコ博を訪れており、やはりその影響はアメリカにも及んだ。本展にはまさにその摩天楼を描いたファッション誌ヴォーグも登場する。

摩天楼が描かれたヴォーグ

付録 大阪アール・デコ建物Map

 以上、芸術の一潮流であったアール・デコに当時の女性を取り巻く環境なども絡めた展覧会である。展覧会としてはやや散漫な印象があるが、とりあえず時代の空気は感じることが出来たような気はする。そしてこの時代、意外と現代に近い気もする。


 次は駅に戻りつつ近くの美術館に立ち寄る。

 

 

「ベルナール・ビュフェ-「線」に命を捧げた孤高の画家-」中之島香雪美術館で12/14まで

 ビュフェは1928年にパリに生まれ、ナチス支配下の抑圧的なパリで物資不足に苦しみながら絵画を描いていたという。戦後、ようやく自由を回復したと思ったら突然の母の死にしばし呆然自失となってしまい、そこからようやく立ち上がって太い直線的な描線で描く現在のスタイルを確立した。

 彼の作品は抑圧と不安を感じさせるところがあるが、それが戦後の社会不安を抱えたパリの閉塞感漂う空気と合致して、一躍時代の寵児となったという。

 ビュフェは若くして名声を得、その華やかな生活なども注目されたという。ただやはり成功者には毀誉褒貶は付き物で、美術界が抽象絵画へと突き進んでいく中で、あくまで具象にこだわるピュフェはワンパターンで商業主義的であるとの批判も浴びたという。

 そのような雑音を避けるように、やがてビュフェは美術界と距離を置きながら自分の世界を追究するようになったという。その作品は虫を描いたものとか、明らかに個人の関心のままに芸術を追及していたのが分かる。

 本展ではビュフェの作品を所蔵するベルナール・ビュフェ美術館(静岡県長泉町)の所蔵品からビュフェの生涯にわたる作品を抜粋して展示してある。なおビュフェの作品については生涯を通じてスタイルが変化しなかったとされるが、私の見たところでも明らかにまだ成功前のビュフェ自身が不安を抱えている時代の作品と、社会的に成功してからいわゆるリア充になってからの作品では、その精神的厳しさが違うのは見て取れる。こういう辺り、やはり作家の社会的地位からの影響は如実に作品に反映するのだななどと改めて感じさせられたのである。


 芸術家にとって社会的成功は、それが精神的安定に結びついて作品に深みが出る場合と、逆に内面衝動が減少して感性が鈍ってしまって作品が衰える場合の両パターンがあり得るものである。そのことを感じさせられた。ちなみにビュフェの場合は深まったでも衰えたでもなく、方向が変わって自由になったという印象を受けたが。

 

 

 これで肥後橋での予定は終了、大阪まで移動することにする。さて昼食であるが、やはり胃腸の調子は最悪で食欲はイマイチ。あまり重いものを腹に入れる気がしない。エキマルシェを適当な店を探してウロウロ。しかし「だし茶漬けえん」にまで行列ができている状況で入る店がない。そんなときにたまたま「利久」に待ち客がいないのが目に入ったので、ここはあっさりと塩タンでも食うかと入店する。

駅マルシェ内の「利久」(私の退店時には行列が)

 牛たん定食(3枚)を注文する。私はたんシチューが好きなのだが、さすがに暑いのと体調が悪いのとで塩タンだけにしておく。目論見通り塩タンは肉ではあっても結構あっさりと頂くことが出来て今の体調にはちょうど。

牛たん定食(かなり高くなった気がする)

 それにしても以前よりも価格がかなり上がっている気がする。無能な自民党政権のせいで物価は爆上がりである。その挙げ句に高市が大失敗したアベノミクスの継承なんて言い出すから、世界中が日本のオワコンを確信して円が大暴落。いよいよ狂乱物価が近づいてきている気さえする。そうなったら弱者から死んで行くことになる。嫌な世の中だ。

 

 

 昼食を終えるとホールに向かうことにする。今日も昨日と同じザ・シンフォニーホール。ただし入りは昨日の方が多かった。

雨のザ・シンフォニーホール

 喫茶でアイスコーヒーを飲みつつ、カツサンドをつまみながら時間をつぶす。

今日も喫茶で時間をつぶす(堕落である)

 開演時刻が近づいたところで座席の方に。このクラスのオケだと昔なら私の予算でももっとまともな席が取れたんだが、アホノミクスからの貧困化及び物価高騰で、今の私では3階サイドの見切れ席が限界。残念ながら客の入りはかなり悪く。上から見下ろした感じでは入りは3割行くかどうかというところ。3階貧民席は満席に近いが1階席などはホール中央以外はガラガラ。2階席は観客が極めて少なく、一番シュールだったのは2階正面席が前の2列と料金が安い後ろの2列にしか客がいないこと。

 

 

プラハ・フィルハーモニア管弦楽団

3階の見切れ席

[指揮]レオシュ・スワロフスキー
[ピアノ]松田華音
[管弦楽]プラハ・フィルハーモニア管弦楽団

チャイコフスキー:歌劇「エフゲニー・オネーギン」より“ポロネーズ”
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 op.18
ドヴォルザーク:交響曲 第9番 ホ短調 「新世界より」 op.95

 プラハフィルはオーソドックスな12型と中規模編成のオケ。さてその演奏であるが、最初の音を聞いた時に感じたのは「ああ、典型的なヨーロッパの二流オケの音色だな」というもの。アンサンブルに破綻はないのであるが、例えばチェコフィルのような一流オケと比較した場合には差は明らかである。音色まで揃ってくるレベルで弦楽セクションが丸ごと巨大な1つの楽器として聞こえてくるチェコフィルなどと違い、「ああ、12台のヴァイオリンが鳴っているな」という印象。またこのオケ特有と言えるレベルの味も薄い。破綻もないし下手でもないという印象が真っ先に立つ感覚である。

 スワロフスキーの指揮もことさらに彼自身の解釈を展開するというよりも、比較的安全運転に感じられた。正直なところ難点もないが、とりわけ強烈な魅力うすいのが本音。

 2曲目は松田をソリストに迎えての有名な曲。松田の演奏であるが、テクニック的に十二分なのは言うまでもないのだが、この超甘美な曲にしてはやや表現が抑え気味のように感じられた。アンコールなどを聞いた限りでは、特にテンポ変化などを多用するタイプのピアニストでもないが、もう少しロマンティックな表現もするピアニストに感じられたのだが、この曲に関してはやや抑え気味。はっきり言って安全運転に感じられた。そしてバックのスワロフスキーの指揮もやはり安全運転。正直なところ「もっとメロメロにやってもいいのに」と感じさせられる部分があった。

 さて休憩後の後半であるが、これはチェコのオケのド定番の「新世界」。チェコのオケならどこでも目をつぶっていても演奏できるという曲であり、チェコのオケならもれなく、この曲になると演奏レベルが問答無用で2段階ぐらいアップするという新世界チート能力という固有スキルを有している。そして当然ながらプラハフィルもこの固有スキルを有してるようだ。先ほどまでと比べて明らかに演奏に余裕が出てくるし、アンサンブル精度が一段向上する。

 スワロフスキーは、そのチート能力から生まれた余裕を存分に生かして、自らの表現を加えてきたようだ。指揮動作の大きさは先ほどまでとそう変わらないが、揺らしや強弱変化など明らかに仕掛けを増やした演奏を仕掛けてきた。そしてそのスワロフスキーの指揮にオケもこの曲に関しては問題なく追随できるようである。

 結果としてはやはりこの曲が本公演で一番楽しめる演奏になった。スワロフスキーが描いたの都会的ではなくあくまでチェコ的な新世界であった。それがこのオケの場合はしっくりくる。

 観客は少ないが結構盛上がっていた。立ち上がる観客も数人。まあ総じて決して悪い演奏ではなかったので、新世界で盛上がる観客がいても不思議ではないかもしれない。客席からの歓呼にこたえてのアンコールは、これまたド定番のスラブ舞曲第10番。チェコらしい曲でコンサートを締めくくる。