徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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白鷺館アニメ棟

マケラ率いるロイヤルコンセルトヘボウは圧倒的パフォーマンスで場内を魅了した

今年最大のイベントへ

 この土曜日は今年最大のイベントに繰り出すことにする。それはロイヤルコンセルトヘボウの来日公演。何が今年最大かと言えば投入した予算である。今回私はC席(と言っても4階天井桟敷の最後列である)を押さえたが、それでも24000円である。なお会場端のこれよりも安い席もいくらかあったが、そんなものは発売早々瞬殺で押さえることが不可能。例のごとくに発売開始と同時に兵庫芸文の貧弱なサーバがダウンして、復活した時には全て完売していた次第。

 ちなみにこれは今年投入できる予算の最大限。ウィーンフィルの最安席(フェスティバルホール3階隅の補助席)が25000円なのでどらちを選択するかだったが、ティーレマンのウィーンフィルとマケラのロイヤルコンセルトヘボウなら、やはりロイヤルコンセルトヘボウの方が魅力があったということ。

 土曜の昼頃に家を出るとJRで三宮、そこで阪急に乗り換えて西宮北口を目指す。現地到着時には開場までまだ余裕があったので、駅前のケンタに立ち寄って腹ごなし。

 さっさと食料を腹に入れるとホールへ。既に開場時刻になっていたが、入口前には大行列が。どうやらかなりの観客がやってきている模様。

入場時にはこの大混雑

 私の席は4階の最後列。それにしてもこの席はかなり高度がある。オケを上から見下ろす感じ。なお上から見た限りではほぼ満席に近いと思われる。A席が32000円と決して安くはないコンサートなんだが(まあウィーンやベルリンの4~5万よりは安いが)、1階の前方席まで埋まっているところを見ると、1階席もほぼ埋まっていると推測される。ロイヤルコンセルトヘボウは大人気の模様。

4階の天井桟敷は流石に高い

 

 

クラウス・マケラ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

指揮:クラウス・マケラ
管弦楽:ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
マーラー:交響曲 第5番

 

 指揮のマケラは近年大量に登場したフィンランド若手指揮者の真打のような人物。22年のパリ管を率いての来日公演が印象に残るが、その時はパリ管の技量を最大限に活かした色彩的な演奏の上に、コンサート全体を通しての設計まで精緻に計算していたことに感心した記憶がある。

 今回のロイヤルコンセルトヘボウは16型と大きな編成、これに1曲目は3管編成での演奏。ドン・ファンはかなりメリハリが強くてオケが色彩的な音色を鳴らすのが印象に残る。弦はしっとりとして分厚く音色が非常に美しい。そして管はやはりかなり技量が高い。流石にマケラはロイヤルコンセルトヘボウの技量を極限にまで引っ張り出していることが感じられる。

 煌びやかで華々しくあるが、決して軽薄にはならない。その辺りのバランスの設計がしっかりと感じられるのは流石である。


 休憩後の後半は4管編成に拡大してのマーラーになるが、最初からかなり抑えめのテンポ設定であるのが特徴的。やはりロイヤルコンセルトヘボウの技量は圧倒的で冒頭からその音色に魅了されるが、マケラはこの圧倒的な個人技も計算に入れて、オケを最大限に活用しているようである。並みのオケならこのテンポ設定だと緊張の糸が切れて、緊迫感のないダラダラしたひたすら眠い演奏になりかねないのだが、そういうことにならないのは要所を押さえたマケラの指揮とロイヤルコンセルトヘボウの名手達の表現力によるもの。

 マーラーの交響曲は概して曲の背後に悲劇性が漂うのであるが、今回の演奏の場合は悲劇というよりは憂鬱というべき感情を感じられる。その憂鬱さの中に様々な感情が横切り、時折は狂気さえも帯びるという印象である。時折垣間見える狂気の爆発がこれまた鮮烈で印象的である。これは演奏自体のメリハリが非常に強いことから感じられる感情。

 有名な第4楽章になると、まさに陶然とするような美しさがある。夢見心地でかつ切ないまでの憂鬱さが漂う。

 そして最終楽章。憂鬱と希望、狂気と正気が入り混じったような複雑な音楽を、じっくりかつドラマチックに描いていく。分厚い弦楽陣には揺らぎはなく、名人的な管楽器は圧倒的なパフォーマンスを見せる。私が特に驚いたのは、5本のホルンが完全に重なって1本として聞こえてくること。さすがにロイヤルコンセルトヘボウは見事としか言いようがない。そして最高潮に盛上がってクライマックスとなる。


 場内の拍手は爆発的で多くの声も飛んでいた。西宮では久々の大盛り上がりである。マケラは何度も舞台袖と出入りしてのカーテンコール。そして楽団員が引き上げにかかっても拍手は鳴りやむ様子がなく、最後はマケラの一般参賀と相成ったのである。