しっかりと朝食を摂ってから昼前にびわ湖に向かう
その晩は爆睡したんだが、6時半ぐらいに自動で目が覚めてしまうという長年のサラリーマン生活による悲しい性。しばらく寝床でゴソゴソしてから、仕方ないので起床することにする。
起き出すとまずは目を覚ますために入浴。屋上の露天風呂で体を温めてようやく活動体制に入る。
体が温まると朝食。ここは朝食バイキングがそこそこ充実しているのがポイントが大きい。朝からしっかりと燃料補給しておく。これなかなか大事。なお最近は年のためか朝はほとんど食べられいことが増えてきたので、朝から食べれるというのは自分の体調を測るバロメータにもなる。つまりは今日は体調は悪くないということか。

ここのチェックアウト時刻は12時。今日の予定は14時からびわ湖ホールで開演の京都市響のコンサートのみなのでチェックアウトを急ぐ必要がない。そこでチェックアウト時刻までネットブースにお籠りして昨日の原稿アップをしてから、しばしベッドでゴロゴロしてから11時ごろにチェックアウトする。
さてそろそろ昼食を考える必要があるのだが、祇園周辺はインバウンドの影響で貨幣価値が暴落しており、そば一杯2000円とか平気でする界隈なので、この界隈でまともな飯は期待できない。というわけで一旦大津まで移動してしまうことにする。京阪と地下鉄を乗り継いで浜大津へ・・・と思ったのだが、京阪は大混雑で車内は身動き取れない状況。その乗客がそのままゾロゾロと改札口へ。改札口が混乱している余波で私のICOCAの処理がうまくできていなかったらしく、地下鉄の改札口で「ICOCAが未処理になっている」と追い返されて京阪の改札まで戻る羽目になって無駄な時間を浪費する。最近はタッチカードが増えてきたが、どうもまだまだ信頼性はイマイチの模様。
ゴタゴタがあったが、昼頃にはようやく浜大津に到着。さてここで昼食を摂る店を探す必要があるが、まず頭に浮かぶのは以前に行った「ニクバル」だが、この時間だと行列ができていてすぐに入店できないのは確実。今日はそんなに時間的余裕がないのでパス。となると他の店を探す必要があるということでネット検索。「あたか飯店」なる中華料理屋があるということなのでそこを訪問することにする。

結構大きないかにも宴会なんかもやってますという高級中華料理屋という趣の店構えである。とりあえず入店すると、酢豚とカニレタスチャーハンのハーフサイズを注文する。
うーん、ハーフサイズと言ったらこんなものかもしれないが、それにしても予想以上にボリュームが少ない印象。特に酢豚はこれで880円はいささかCPが悪すぎる感がある。まあ今時の物価高騰のご時世ではこうなのかもしれないが・・・。味は悪いわけでなかったのが救い。


昼食を終えたがまだ若干の時間がある。そういうわけで「三井寺力餅」に立ち寄ってお茶をしていくことにする。団子を頂きながら飲む宇治茶が最高に落ち着く。


何だかんだで13時前ぐらいになったのでホールに移動することにする。ここからホール最寄りの石場までは2駅だからすぐである。
場内はまずまずの入り。開演前に沼尻によるプレトークがあるが、びわ湖ホールも設立から年月が経って老朽化が著しいので改装をするという話が。また今回の公演はマーラーチクルスと銘打って今まで実行してきたが残りは2,3,5の3曲。ただし2,3は合唱団の用意が必要なためにいろいろと経費が掛かって大変。またこの円安で海外からアーティストを招聘するのも困難になっており、そうこうしているうちに今回の公演のプログラムから「マーラーチクルス」の文言が外れてしまったと愚痴。ここは是非とも皆さんからも要望の声をという最後はお願いになってしまった。またもやこんなところにも高市不況の影響が。

沼尻竜典×京都市交響楽団マーラー・シリーズ

指揮:沼尻竜典
管弦楽:京都市交響楽団
マーラー:交響曲第9番
マーラーの最後の(完成した)交響曲である。9番の呪いに取りつかれてしまったマーラーは、その結果として「大地の歌」という逡巡までする(現実的に「大地の歌」は交響曲として見られることが多い)。しかし結局は管弦楽作品を作ってしまって第9番と名付けざるを得なくなり、自らその呪いを実現するかのように本当にこの世を去ってしまう。
沼尻のプレトークによると、マーラーはその運命に抗うというよりも受け入れたのではないかとのことである。基本的にこの曲は運命を受け入れる姿勢が感じられて、わずかに抗う姿勢が見えるのは第3楽章のみとのこと。
基本的に沼尻の演奏はそのプレトークでの説明通りに、運命に対して静かに受け入れているかのような感覚がある。諦観というか、それではかなり後ろ向きに聞こえてしまう。もっと自然に運命と溶け合っている感覚がある。
この楽章はかなり内容的に混沌とした複雑なところがあるが、沼尻はあえてそれを読み解こうとせずに混沌としたまま全て開示したという印象。京都市響は流石にこの難解な曲でも一切の乱れもなく冴えた音色を響かせている。
切々と胸を打たれて続くは第2楽章。ややシニカルな響きも感じられるが、基本的には穏やかかつ美しい音楽である。もっともあまりに穏やかに過ぎていささか変化に乏しい感も無きにしも非ず
第3楽章は一転して荒々しい乱痴気騒ぎとなる。ここに来ると沼尻はかなり煽ってきている印象。京都市響も一丸となってガンガンと豪快に行く。沼尻が言っていた「第3楽章には運命に抗おうという姿が少し見える」というのがこれか。もっともとても「少し」とも思えんレベルではあるが。特にラストの捲りは相当のものだった。これで崩れを見せなかった京都市響は見事。
最終楽章は振幅のある音楽。かなりの集中力を持ってクライマックスに向かって怒涛の進撃という印象。先ほどの楽章よりも音楽自体の振幅がさらに大きく、歌わせたかと思えば怒涛の盛り上がりが来てという変化の激しさ。そして最大まで盛り上げてから一転して静かな悟りの境地へと達し、そのまま大往生へと至る。
前半にはややゴタゴタした感覚があったが、終始一貫して京都市響の音色には冴えがあったし、後半に向かって集中力が上がっていくなかなかの演奏であったと感じられた。
この遠征の前日の記事