徒然草枕

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白鷺館アニメ棟

METでR.シュトラウス「アラベッラ」を鑑賞後、神戸の美術館で大正版画など

いざ、神戸へ

 この週末は神戸方面に出向くことにした。目的はMETライブビューイングの2025年度2作目。今回はR.シュトラウスの「アラベッラ」である。R.シュトラウスの歌劇は「ばらの騎士」は以前に見たことがあるが、「アラベッラ」は初めての作品。

 劇場は毎度のように三宮のキノシネマ神戸国際。これが他に大阪方面の用事があれば大阪ステーションシティシネマを利用するところだが、今回の用事は神戸方面なので近いに越したことがない。またその後の移動も考えて車を利用することにする。三宮で車となると駐車場が頭の痛いところだが、既にakippaで確保済みである(割高な土曜日価格だが・・・)。時間が遅れてはいけないので土曜の朝は早めに家を出る。例によって京橋の手前辺りで渋滞(事故渋滞の余波の模様)に合うが概ね順調に到着、上映開始時刻の1時間前ぐらいに車を駐車場に放り込む。

 さて上映までしばし時間があるし・・・と考えた時に頭に浮かんだのは「これから長丁場になるから朝食をしっかり摂っておきたい」という考え。今朝は出かけに軽くパンを腹に入れただけなのでいささか腹具合が心もとない。

 そう思いながらプラプラしていたら目に入ったのが「ヒシミツ醤油」なる店。どうやら醤油屋が定食店を営んでいる模様。現在の時間帯はちょうど600円のモーニングがあるようである。

三ノ宮の「ヒシミツ醤油」

 モーニングメニューは8種類のご飯から2種類を選んだものに豚汁がと香の物が付いている模様。私は醤油漬け卵かけご飯とかしわめしの組み合わせを選ぶ。

ご飯はこの8種(ランチはお代わり自由とあるが、モーニングは2杯のよう)

 醤油漬け卵は黄身だけでかなりの濃厚な風味。黄身を醤油漬けにしたことで水分が減ったのか、半分固まりかけたような状態になっている。これはなかなか美味。かしわめしの方は鶏はそぼろよりもさらに細かい粉末に近い状態なので鶏の存在感なし、シイタケもほとんど見えないのでなんとなく単なる醤油飯に近い雰囲気がある。豚汁は普通に美味い。量が少ないのと何となく市販のレトルト的な味と言えなくもないが。なおこの手の店は大抵米に気を遣うものだが、何となくご飯に炊き立て感がなかったのは時間的なものか。

600円のモーニング

 まあ600円という価格を考えると妥当か。朝からしっかりと和食を摂りたいという向きには最適。正直、年を取ってくるとこの手の和食を摂れる店がありがたいんだが、そういう店はなかなかない。もう最近はがっつりと洋食というのはかなりキツイので。

 朝食を終えて一段落ついた辺りでそろそろの頃合いとなったので映画館に向かってプラプラと移動。劇場内はいつにもなく人が多いのが、すべてがMETの客とも思えないので、ほとんど同じ時刻に上映開始のシネマ歌舞伎の客も混ざっているか、それともさらに人気の映画があるのか。なおMETの方の入場客は20人ちょっとぐらいいたから、いつものこの劇場にしたら入りはやや多い目(演目によっては数人というのがよくあるので)。なお映画案内はやけに韓国や中国の映画の宣伝ばかりだったが、ああいう予告を見ていたら既に邦画も大分ああいう新興国に負けだしていることを感じる。作品の好みはともかくとして(正直なところ私が見たいと思うジャンルの作品はなかった)、勢いがかなりある。日本は経済だけでなく文化面でもかなりアジアの後進になりつつあるようだ。自民党の悪政によって庶民から経済力だけでなく活力まで奪われてしまっているのを感じずにはいられない。最後は自分たちの利権のために、命まで奪おうとしてくるだろう。

キノシネマ神戸国際へ

 

 

METライブビューイング R.シュトラウス「アラベッラ」

指揮:ニコラス・カーター
演出:オットー・シェンク
出演:レイチェル・ウィリス=ソレンセン、ルイーズ・アルダー、パヴォル・ブレスリック、トマシュ・コニエチュニ、ブリンドリー・シェラット

 博打狂いなのに贅沢三昧しているせいで破産寸前になっているダメ侯爵夫婦が、美しい娘を玉の輿に乗せることで一発逆転を狙うというとんでも話である。ただそんなとんでも状況に関わらず、姉のアラベッラは恋に恋する少女で白馬の王子様が自分を迎えに来てくれることを信じているという天然でありながら、自分に言い寄る男達を秤にかけるしたたかさも持ち合わせている。一方姉を愛する妹ズデンカは、親が娘二人も貴族にふさわしい育て方をできるだけの金がない(娘はドレスなど何かと金がかかる)というとんでもな理由で男として育てられたという不幸人。この二人の恋愛に関するドタバタを描いた軽い話である。

 シェンクによる演出は正攻法に19世紀後半のウィーンの貴族社会をお洒落に描いたもので、変に奇をてらった現代翻案などと違って無難で好感を持てるものである。

 アラベッラとズデンカの二人がソプラノになるのだが、ソレンセンもアルダーもキンキンしたタイプのソプラノではないので頭が痛くならなくて済む。お互いに思いあっていて、だからこそ今回大トラブルを巻き起こしてしまう姉妹の情愛を柔らかく美しく表現している。

 この二人に翻弄される形になるのが、アラベッラに一目惚れして求婚のためにウィーンまでやってくる田舎の資産家貴族のマンドリカであるが、これを演じるコニエチュニは感情の幅が広くて演じるのが結構難しいと感じられるこの役をなかなかに好演している。愛情深き故に嫉妬で暴走し、間違いに気づいてからとりかえしが付かない事態に自責の念で叩き潰されという一番劇的な展開をするマンドリカについて、矛盾を感じさせない一貫した演技をしている。

 正直なところ演劇の内容については「そんなのあり?」って感じさせるやや無理のあるハッピーエンドではあるのだが、まあ喜劇としてならそれもありだろう。もっとも軽い喜劇にしてはやや大仰に過ぎる感があるのがR.シュトラウスの美麗な音楽。「ばらの騎士」や他の交響詩などを連想させるリヒャルト節が随所に感じられるいかにも「らしい」音楽を展開している。個人的にはその音楽と劇の内容がややミスマッチに感じられる部分もなきにしもあらずであったように感じられた(モーツァルトレベルでの軽快さがあっても良かったような内容である)。

映画館の案内では一番気になったのはこれか

 映画を終えると帰る前に寄り道である。車を回収すると六甲アイランドまで走る。目的地はここの同じビル内に同居している二つの美術館。地下の駐車場に車を入れると、まずはファッション美術館の方の見学から。

神戸ファッション美術館

 

 

「THE 新版画 版元・渡邊庄三郎の挑戦」神戸ファッション美術館で3/29まで

今回の出し物

 明治以降衰退の途をたどっていた浮世絵版画に魅了された渡邊庄三郎は、自ら版画店を構えると新しい木版画の制作に取り組むことになる。これがいわゆる「大正版画」とも言われる新版画の誕生となる。

 庄三郎は最初は海外の作品に目を付けたという。そういうわけで本展で最初に登場するのはオーストリア人のフリッツ・カペラリやイギリス人のチャールズ・ウィリアム・バートレットなどの外国人の作品となり、そこに登場するのはホノルルで波乗りをしている風景などであり、いわゆる浮世絵版画とは題材がかなり違うことに面食らう。

 しかしその一方で庄三郎は日本画家の作品を浮世絵の伝統を汲む木版画で制作することを試みていた。そして鏑木清方に許可を取って、その門下である伊東深水や川瀬巴水に声をかけたという。それらの作品が後に続く、なお大正版画を代表する川瀬巴水の作品の美しさに関しては今更説明するまでもないのだが、私が驚いたのは伊東深水。正直なところ私は以前より伊東深水の絵画(特に美人画)はどことなく「媚び」が感じられて苦手なのであるが、精緻に風景を描いた作品は純粋に美しく、またいわゆる美人画に属する女性を描いた作品も、なぜか版画になると私が嫌った「媚び」が消失しているのに驚いた。それが技法的なものなのか時代的なものなのかは分からないが。

 さらには笠松紫浪なども登場、彼の作品については大正期のものと昭和期のものとで全く作風が変化しており、昭和期のものは明らかに当時人気の大正版画の様式(川瀬巴水などが典型的な)をかなり意識したものになっているよう感じられた。

 大正版画も浮世絵版画などと同様に多彩な展開をした。役者絵なども手掛けており名取春仙の役者絵なども登場。非常に明快に被写体の特徴をとらえた、それでいて写実性を感じさせる役者絵は印象深い。

 最後は花鳥画の小原祥邨。写生に基づいた日本画を彫師や摺り師が技術を尽くして版画として表現しており、彼の作品は海外でも高い人気を呼んだとか。

小原祥邨「柘榴に鸚鵡」

 大正版画には川瀬巴水絡みで以前より興味はあったのだが、今回こういう形でその全貌を概観することになり非常に面白かった。特に伊東深水に関してこちらからの観点で今まで見たことがなかったのでこれが驚き。

 

 美術館目的の方はこちらの方が本命だったんだが、ついでに隣の美術館にも立ち寄る。こちらは一応テーマは掲げているが、実際の内容は中西勝を中心にしたコレクション展である。

となりの「神戸ゆかりの美術館」へ

 

 

「『たくましい生命』没後10年・中西勝を中心に ー美術家たちの表現スタイルー」 神戸ゆかりの美術館で3/8まで

 中西勝は1924年に大阪で生まれ、2015年に没した日本の洋画家である。帝国美術学校で学徒動員で絵画の修行中の1944年に学徒動員で中国に派遣されたが、逃走を図るなどの問題を起こしているという(まあまともな反応だ)。1945年に中国で捕虜になったのち、1946年に帰国したという。そして1947年に帝国美術学校を卒業。その頃の人物画が展示されているが、やや重たい色調の普通の洋画である。

中西勝「T嬢」(1947年)

 1949年に神戸市立西代中学校の美術教師として赴任、その頃から二紀展に出品するようになって入賞を重ね、二紀会の名誉理事となったという。その二紀展に出品するようになった時期の絵画があるが、これは原始美術に影響を受けた作品だという。混沌とした中に非常に強いエネルギーを感じさせる強烈な絵画である。

「人類無限」(1950年)

 1956年になるとキュビズム的な絵画が現れるが、それは時代の流れの影響を受けたのではないかと思われる。この時期には日本では抽象絵画が流行したはずで、1959年の作品はキュビズム的でギリギリ具象の範囲にとどまっているが、1960年の作品は既に抽象の域に踏み込んでいる。

「黒い太陽に於ける群像」(1956年)

「虫媒」(1960年)

 しかし1967年の絵画になるとまた作風が一変する。世界を回ってメキシコなどに立ち寄ったそうだが、その時にはオーソドックスな風景画を残している。

「メキシコ フチタン風景」(1967年)

 

 

 その延長で1970年代に入るが、1976年の「豚のいる風景」などは何となくフォーヴを思わせるところである。

「卵と老人」(1975年)

「豚のいる風景」(1976年)

 それが1980年になるとまた一変する。それまで重苦しい色の背景が多かった作品の背景に明るさが見られるようになる。

「棲まう(トルティーヤを造る女達)」(1980年)

 そして1990年代になると作品はさらに明るくなり、画面全体がファンタジー色を帯びるようになる。これが最終的に彼が至った境地のようである。なかなかに変化が激しく興味深かったが、こういう風に年代を追って作品を展示していけば、作家の心境の変化を追うことが出来て興味深かった。単にこれを数点バラバラと展示されただけだったら「作風がコロコロ変わるわけの分からん画家だな」で終わったところだったろうが。

「華こぼれて」(1995年)

「華に唱う」(2001年)

「雲は流れて」(2009年)

 

 

 後半はその他の作家たちだが、まさに現代も活躍中の作家たちの作品になるのだろう。まだ版権が切れていないのか撮影禁止作が大半。その中で印象に残ったのは数点というところだろうか。

角卓「艶景」

元永定正「作品」

丸本耕「Work 2」

 これで今回の全予定は終了で帰宅することと相成ったのであるが、この時になって初めて私は今日の昼食を摂っていなかったことに気づいたのだった・・・。今から昼食を摂るにはもうあまりにも遅すぎる時間だし、結局はこの日は昼食抜きに。どうも私の遠征は昼食がおろそかになるパターンが多い。まあ山城攻略などの体を使うものでないのでぶっ倒れる心配はないが、持病のことを考えるとあまりよろしくはない。