徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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白鷺館アニメ棟

京響定期はデ・フリーントでシューベルトとブルックナーのマイナ-曲

京都で前泊する

 この週末は京都市響と大フィルの連荘となる。そこで金曜日の仕事を早めに終えて京都に急行して・・・と考えていたのだが、なぜかここのところ多忙を極めている私の本業の方がここに割り込んできた。金曜日に急遽の仕事が夕方までガッツリと入ってしまい、早めに切り上げるということが不可能になった次第。

 これは困ったと考えた私、ここで一計を案じることにする。既に私は業務の内容的に在宅勤務でもオフィスにいるのと全く変わらない仕事が出来る環境が構築されている(何なら妙な電話がかかってこない分、在宅の方が集中できるぐらい)。つまりは私はネット環境さえあれば全国どこでも仕事が出来るというわけ。そこで木曜日の業務が終了してから京都のホテルに直行し、金曜日は夕方までホテルでお籠りでリモートワークをしたうえで、ホールに駆けつけようと考えた次第。京都までの移動の時間を要しないので、これだとギリ間に合う。

 というわけで木曜日の仕事を終えると京都に移動。これがJRの列車トラブル(最近やたら多いのは、JRも現場力が著しく低下しているのを感じる)とのことで予定よりも30分以上遅れての到着となる。

 今日の宿泊ホテルは私の定宿京都ユニバーサルホテル。安宿ではあるが高速Wi-Fiを設置したとのアナウンスがされていたので、リモートワークぐらい問題がないはずである。このホテルは夕食付きなので、今日の夕食はホテルで済ませるつもりだったが、京都駅の到着が予定よりもかなり遅れたせいで、9時の夕食時間に間に合わない可能性が高い。仕方ないので京都駅東口を出たそこにある「つくもうどん」でう鶏天うどんとミニ牛丼のセット(1010円)を腹に入れていくことにする。

JR京都東出口すぐにある「つくもうどん」

 ここの出汁はいりこだしとのことなので気になっていたのだが、サッパリした出汁で思っていたより悪くない。ただ関西人の私にとっては、昆布ベースのかつお出汁のような深みと広がりがないとかんじてしまう。麺はもっちりと腰があって上々。ただ鶏天の鳥の味付けは私の好みとは違う。

鶏天うどんとミニ牛丼のセット

 というわけで 「悪くはないが、やはり関西とは文化が違うな」というのが正直な感想。やはり私の場合は丸亀製麺の方が好みに合う。

 

 

 とりあえずの夕食を終えると地下鉄でホテルに移動。到着時には20時半を回っていたのでやっぱり夕食には間に合わなかったなと思っていたら、「夕食はどうしますか?」と聞いてくる。えっ?と思って確認したら、夕食はラストオーダーが21時でレストランの閉店が21時半とのことで、まだギリギリ間に合うらしい。日替わりメニューはサバの味噌煮とシウマイとのことで、少し腹が不足気味だったこともあって付いてくるものなら食べようと考える。

 部屋に荷物を置くとレストランに直行。ご飯は最小限の盛りにしてもらって、おかず中心に頂くことにする。想定外の夕食第二弾となってしまったが、まあマズマズか。ただ、私はこんな生活をしていて良いんだろうか?(主治医からの教育的指導が入りそう)

この日の夕食mark2

 部屋に戻るととりあえず念のために明日の仕事に問題がないかの通信環境の確認。持参した本業用社用PCをWi-Fiに接続すると、仕事に必要なソフトの動作具合を確認、問題が発生しないことを確認したところで、PCを副業用PCに入れ替えて原稿の執筆に入る。

 ある程度の作業を終えたところで、ふきっさらしの凍える廊下を通って大浴場へと入浴に行く。これがあるのもここの良いところだが、どうも最近は浴槽の湯がぬるく感じるのは私が年を取ったということだろう。全国を回った若い頃には共同浴場などで、熱すぎてとても入っていられないような湯に悠々と浸かっている老人を目にしたものだ。やはり皮膚感覚も老化と共に鈍るようである。それと代謝が落ちてくるので、必然的に寒さに弱くなるのだが。

 再び寒い中を部屋まで戻ってくるとしばし執筆作業の続き。一段落付いたところでベッドで横になってタブレットをいじっていたが、眠気が急激に押し寄せるので就寝する。

 

 


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 翌朝は仕事モードと同様の時刻に起床。レストランに朝食を摂りに行く。まあたいした内容ではないが、当面の腹を満たすには十分。これからの仕事に備えての燃料補給である。

実にシンプルな朝食

 デスク上の副業用PCを撤去して本業用PCと入れ替えると、本日の勤務に入る。ネット環境は概ね安定していて問題なくアプリも使用可能。ここからの私はサラリーマンモードに切り替える。


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 昼休みは昼食のために出かける。立ち寄ったのは近くの店「あじあん」味庵?アジアン?謎な店名だが、メニュー的には単なる定食屋なので、どちらかと言えば味庵か。生姜焼き定食(900円)を注文する。

謎な店「あじあん」

 特別豪華でも美味くもないが、まずまず普通に美味い。内容的には十分でCPも良い。何となく新今宮界隈の店を連想させる典型的な普段使いの店。使える店に出くわしたという印象。

生姜焼き定食(900円)

 昼食を終えると近くのスーパーで麦茶を仕入れてからホテルに戻る。リモートワーク後半戦である。

 

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 夕方になると本日の勤務終了。ここでサラリーマンモードから遊び人モードに切り替える。今日はこの後、京都市響の定期演奏会のために北山の京都コンサートホールまで出向くのだが、その前に夕食を摂っておくことにする。夕食はホテルのレストランでトンカツ。まあ給食みたいなものだが腹を膨らませておく。それにしても朝夕がこれで、仕事までしているせいで会社の研修感が半端ない。安ビジネスホテルでリモートワークだと、どうしてもリゾートホテルのワーケーションのようには行くはずもなく、どうもまだ精神が完全に遊び人モードに切り替わっていないようである。

どことなく給食感のあるホテルの夕食

 北山までは九条から地下鉄で一本。この地の利もこのホテルの最大のメリットの一つ。ここには今まで大抵は土曜の昼に来ていたから、夜の京都コンサートホールは数年ぶりぐらいの気がする。

数年ぶりの夜の京都コンサートホール

 今日はデ・フリーントによるシューベルトの4番とブルックナーの3番の初稿版という、有名作曲家の比較的マイナー作品という地味な選曲。ただ地味すぎるせいか入りは5割程度というところか。今回は私はこれも数年ぶりに1階の真ん中あたりの席というかなりの良席を確保できたのだが、この入りだからこそか。

これも数年ぶりの1階席

 公演30分前からデ・フリーントのプレトークがあり、そこで今回の曲目についてのなかなか面白い話を聞ける。デ・フリーントによるとシューベルトとブルックナーの今回の曲は「同じ言語で書いてある」ということらしい。これは単に両者が共にドイツ語を使用しているという意味ではなく、もっと深い意味で音楽的に相通じる書式があると言うことだろう。私には完全に理解できたわけではないが、シューベルトの作品はハイドンやベートーヴェンなどの先人に、ブルックナーはワーグナーに対するリスペクトが含まれていて、作品中に引用などが見られるということのようだ(ちなみに今日だと著作権法云々ということになりかねんとのことだが)。こういう解釈など、デ・フリーントもかなり研究者肌のところがあるようである。

 

 

京都市交響楽団 第708回定期演奏会

指揮:ヤン・ヴィレム・デ・フリーント

シューベルト:交響曲 第4番 ハ短調 D.417 「悲劇的」
ブルックナー:交響曲 第3番 ニ短調 (初稿/1873年)

 

 デ・フリーントはノンビブに近い演奏をするが、決してピリオドと言うわけでもなく、演奏自体は結構エモーショナルでバリバリしたものを聞かせる。

 シューベルトの4番についてはプレトークでデ・フリーントが「なぜ悲劇的と言われるか分からない」と言っていたが、それはこの曲の冒頭が悲劇的な哀愁を帯びているからだろう(ただし全曲を通すと決して悲劇的な響きはない)。デ・フリーントは冒頭から結構バリバリとやってくるので、結構激しい音楽になっている。

 もっとも激しすぎて、いつになく京響の音がやややかましく雑に聞こえる部分がなきにしもあらずだった。冒頭から若干の違和感を持ったが、これは今回は私の席がいつもの二階席からかなり前の席になったことによる音響バランスの変化もいくらか影響しているかもしれない。

 その長躯を駆使して指揮台なしで行うデ・フリーントの指揮は、パワーに満ちたグイグイと来るものである。ただ今回のこの曲の場合は果たしてそれが正解かは微妙なところ。デ・フリーントの指揮を聞くと、確かに彼が「なぜ悲劇的と言われるかが分からない」ということについては理解できたが。まあ私ならあえて「悲劇的に」振ったかもしれない。

 後半はブルックナー。この曲はワーグナーに献呈されたとのことだが、デ・フリーントによるとかなり難儀な経緯を経ており、初版はウィーンフィルに初演を委託したものの、「複雑すぎて演奏が困難な上に長すぎて退屈」と演奏を拒否されるなど散々だったようである。その後、かなり経ってからブルックナーお得意の改訂が行われたが、その頃にはブルックナーはワーグナーに対する傾倒がなくなっていたので、その時に最初のワーグナー要素がかなり削除されたとか。しかしこの稿もあまり評判が良くなく、最終的にはもう一度改訂された第三版が登場し、これが今日最も演奏される稿であるという。初稿については近年に再発見の形で登場し、それを見たデ・フリーントは素晴らしさに感動したとのこと。

 なんだが、ブルックナーがあまり得意なわけではない私には、この稿がいわゆる一般的な稿とどう違うのかの詳細は分からない。ただ冒頭から記憶にあるこの曲らしき音楽とは旋律のバランスなどが違うのは分かる。また随所でワーグナーのオペラを連想させるような響きがあることぐらいは感じる。

 私は楽器が全く出来ない(私は先天的に楽器や絵画や運動などの体を使う行為についての才能が著しく欠けているようだ)ので、演奏の困難さについては分からないが、確かにかなり複雑な音楽であることは分かり、当時のウィーンフィルが演奏を拒絶した理由には何となく納得がいく。ただ私がそれ以上に引っかかったのは「無駄に長い」ということ。この辺りは私がそもそもブルックナーがあまり得意でないからこそ強烈に感じる。曲がどこに向かっているかが不明で、無意味にグタグタと韜晦しているように感じる部分が多々。特に最終楽章などは途中でかなり苦痛になってきたことを否定できない。

 というわけでデ・フリーントのメリハリの効いた指揮と京響の安定した演奏は素晴らしいものであったのだろうと感じるが、私には「うーん、やっぱりブルックナーは苦手だわ」という印象だけが強烈に残った感がある。


 コンサートを終えるとホテルに直帰する。地下鉄で九条に移動してホテルへの夜道をトボトボ。以前から言っているけど、なぜかこの行程が地味に精神に響くんだよな・・・。この界隈、何か私の深層心理に触るものがあるんだろうか?

 ホテルに戻ってくるととりあえずは入浴。それから仕事PCを副業PCに交換してから原稿執筆。しかし今日は疲れが溜まっていて作業が全くはかどらない。ある程度のところで見切りをつけて就寝してしまう。

 

 

この遠征の翌日の記事

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